<東京怪談ノベル(シングル)>


たったひとつの帰る場所

 レピア・浮桜は、先日エルザード王女エルファリアに救われて以来、ずっと踊り子として過ごしていた。
 時にエルファリア自身のために、エルファリアの別荘で。
 時にベルファ通りまで行き、黒山羊亭で。
 時にアルマ通りまで行き、白山羊亭で。
 また時に、天使の広場で。
 神罰<ギアス>に呪われた彼女は、夜しか生身の人間ではいられない。夜が明ければ、陽があがっている間は、石像へと化してしまう。
 だから。
 夜の間だけはせめて、楽しく踊っていようと――

     ***********

 ある日のこと。
「今日は黒山羊亭で踊りましょう」
 そう決めたレピアは、黒山羊亭で見事な踊りを披露し、黒山羊亭に集まる冒険者たちの賞賛をあびていた。
 黒山羊亭は酒場だ。中にはマナーの悪い客もいる。
「なあなあ、今夜一緒にすごさねえか」
 酔っ払いに声をかけられ、レピアはにっこり笑って「あたしは踊っているほうがいいんだ」と答えた。
 すると酔っ払いは剣を持ち出し、
「俺の言うことが聞けねえのか!」
 などといかにも酔っ払い的な理屈を持ち出した。
 レピアは呆れてため息をつき、それからパンと酔っ払いの剣を手で払う。怒った酔っ払いが剣を振りかざすのを半身をそらして避け、それから酔っ払いのみぞおちに膝を打ちこむ。
 酔っ払いが気絶する。
 周囲の歓声がますますあがる。
 レピアは丁寧に礼をして、それから再び踊り始めた。

 レピアは気づいていた――
 踊りを踊っている観客とは微妙に違うまなざしで、自分をずっとうかがっている視線があることに。

 踊り終わった後、レピアはわざと無防備な態度で黒山羊亭を出た。
 ベルファ通りへと、思った通りについてくる気配がある――

「誰?」
 レピアは立ち止まり、問うた。
 陰から、ひとりの女が現れた。
 長い黒髪――……
 女はひどく満足そうな目でレピアを見ていた。そして、信じられないことをレピアに言い出した。
「なに……? 仲間になれ……?」
 何の仲間かはよく分からない。ただ、この女は他人で遊ぶのが好きらしい。レピアのあでやかな美しさ――多彩な踊り――そして腕っぷしに惚れこみ、こうして声をかけてきた、と――
「馬鹿馬鹿しい」
 レピアはふんと鼻を鳴らした。
 そして、ひゅっと身をかがめた――ミラーイメージ。相手にいくつもの幻影の自分を見せ、そして女が惑ったところを一撃の殴打で沈める。
「他人で遊ぶなんて言ってると、こういう目に遭うのよ」
 気絶はしなかったものの、すぐには起き上がれないでいた黒髪の女に、レピアは背を向けた。
 そこで――ぎょっと立ちすくんだ。
 東から、陽の光――
「う、そ。もう、朝――」
 ぴし ぴしぴし
 足下から這い上がってくる、おぞましい音と感触。
 そして、背筋が凍るほどの恐怖――
 背後で、黒髪の女がにやりと笑ったような気がした。
 そしてレピアは、抗うこともできないまま石像となった。

     **********

 目を覚ましたとき、そこは知らない場所だった。
 目の前に、あの黒髪の女がいた。
「―――!」
 とっさに逃げ出そうとして、ふと気づいた。体中を縄で戒められている――
 黒髪の女は、せせら笑った。
 そして――すっとその指先をレピアにつきつけた。。

 細い指先――

 思わずその指先の、先の先を見てしまって。

 ぐるぐる ぐるぐる

 レピアの意識が回転する。

 ぐるぐる ぐる……

 意識が、そして記憶が――

 一瞬見えた姿は、親友たるエルファリアの姿――
「エルファ……リア……」

 ぐるぐる ぐるぐる

 ――細い指先がレピアの意識を吸い込んだ。
 かくん、とレピアの首が下を向く――

 やがて顔をあげたとき――レピアはぼんやりしている意識を頭を振ってはっきりさせようとした。
 記憶があいまいだ。
 ――あたしは誰だった?
 そうだ、思い出した。
 エルファリア。エルファリア王女付きの踊り子だった。
 けれどメイドたちに苛められて――捨てられた、惨めな踊り子。
 そうだ、思い出した。
 それを女だけの海賊船の船長が拾ってくれて、今のあたしは海賊――

 目の前の黒髪の女が、それを思い出させてくれた?
「ありがとう……」
 レピアはにこりと眼帯の女に微笑みかけた。
 微笑が返ってくる。女は、縄の戒めを解いてくれた。
 レピアはお礼代わりに、黒髪の女に踊りを踊ってみせ、
「じゃあ私は急いでみんなのところに帰らないと……!」
 と海賊船に向かって走り出した。

     ***********

 海賊船では、レピアの来訪を大歓迎した。黒山羊亭や白山羊亭で、レピアの踊りや腕っぷしを知っている海賊メンバーが多かったのである。
 ここは女だけの海賊船。世捨て人たる女たちが、船長に拾われ集まった。
 しかしレピアほどにあでやかで、そして腕の立つ女は他にはいない。
 レピアは副船長として、その腕を振るうこととなった。

 女だけの私掠船。エルザード海域以外でなら、好き放題に暴れられる。
 隣国の海域に行っては、レピアは高笑いをしながら部下の女たちに命令した。
「さあ! あの商船を奪うよ……!」
 魔法を使える部下が威嚇射撃を行う。逃げようとする商船をそれ以上のスピードで追いかける。
 いかりを思い切り投げつけ引っ掛けて、レピアはいの一番に商船へと乗り込んでいく。
 もっとも戦闘能力が高いのはレピア――
 護衛についている冒険者たちを軽くひねり、そして商人たちをくぐりぬけ舵の元へと走る。
 そしてそこにいた船長と舵士をキックであっさりと黙らせると、縄で縛りあげ、彼女は舵を取って宣言した。
「さあ、この船はもうあたしたちのもの……! みんな、荷物を運びなさい……!」
 船ごと奪っても船は邪魔なだけ。必要なのは中身だけ。
 ついでに冒険者たちからは武器も奪って、今日の漁は成功――

 またある日には、貴族船を襲った。
 護衛についている者たちはさすがに手ごわかった。
 しかしレピアはさすが踊り子だけあって、身のこなしが早い。冒険者たちのほとんどの攻撃をかわし、そしてカウンターで沈めていく。
 冒険者たちさえいなければ、貴族たちなど港の野郎どもの乗っている商船、客船よりもっと楽だ。
 貴族船では、財宝が大量に手に入った。
「え? アコヤ貝の秘宝?」
 面白いものを手に入れたと聞き、レピアは部下からそれを受け取る。
 それは――手にすくい持つサイズのアコヤ貝だった。
 吸い込んだ相手を、数日かけてその中で真珠に変えてしまうらしい。
「その真珠には、表面に相手の顔が浮かびあがるのですって……! 何て面白い秘宝……!」
 解呪の法も手に入った。
 レピアは船長の了承を取り、アコヤ貝の秘宝を自分のものにした。
 そしてそれを使って、略奪した船の船員や貴族たちを吸い込んでは真珠に変え、元に戻してはまた吸い込んでもてあそぶように扱い、思う存分楽しんだ。

 ある日には海賊船の部下たちのために踊りを――
 普段の海賊をやっているときとは別人のようにあでやかな踊りを踊るレピア。ひらりひらりと、蝶のように。またしなりしなりと濡れ衣のように。
「みんなのために踊れるあたしは……幸せよ」
 ひとりひとりの額や頬にキスをして回りながら、全員に社交ダンスの手ほどきをして相手を務めさせ。
 船員たちは喜んだ。美しき副船長のためにダンスを覚え、そして副船長の相手を務めた。
 美しいダンスパーティが、海賊船の中で催されるようになった。
 レピアはその変化に、満足そうに心底幸せそうな笑みを作った。

     **********

 ある日――
 レピアはエルザードの港に戻ってきた。奪ってきたものを金に変えるためだ。
 と、そこで――
「レピア!」
 呼ばれて振り向いた。
 そこに、髪を振り乱して駆けてくる、見覚えのある女性の姿があった。
 エルファリア王女――
「レピア! レピア……さがしたのよ、レピア……! 最近噂になっている眼帯の女と一緒にいたという情報以来行方が分からなくて……さがしたのよ……!」
 しかし。
「何を……! わたしを捨てておきながら!」
 レピアはきっとエルファリアをにらみつけた。
 エルファリアは驚愕したように目を見開き――そして声をあげた。
「何を言っているのレピア、私の大切なレピア!」
「あんたはあたしを捨てた! 今のあたしは海賊レピア! 近づくな!」
 レピアは懐に手を入れる。
 エルファリアは戦慄し――そして泣きそうな顔になりながらレピアにすがった。
「あなたは何かの術にかかっているのね……! お願いレピア、思い出して、本当のあなたを……!」
「うるさい!」
 レピアは懐から取り出した、両手ですくい持つサイズのアコヤ貝をエルファリアに向けた。
 それは略奪で手に入れた秘宝。
 吸い込んだ相手を真珠に変える――
「―――!」
 エルファリアは輝く光に包まれた。
 吸い込まれるその瞬間――
「――呪いよ、今解かれん。解放されし、その名はレピア――!」
 エルファリアの口から呪文が紡がれる。
 解呪の法――

 からん……

「………」
 レピアはその手からアコヤ貝の秘宝を取り落として、呆然とつったった。

 ぐるぐる ぐるぐる
 再び意識が回転する。
 ああ この感覚は――あの時の。
 ぐるぐる ぐる……
 記憶が回転する。
 思い出すのは――たったひとり。

「エル……ファリア……」

 ――あたしは誰だった?
 エルファリアの親友――エルファリアとともに生きようと願った、踊り子――!

「エルファリア……エル……ファリア……!」

 すべてを思い出し、レピアはアコヤ貝の秘宝をすくいあげた。
 そして解呪の法を唱えた。
「美の女神ヴィーナスの心、真珠とならず姿へと変え――!」
 アコヤ貝の中から光があふれ――
 光の中から、大切な大切な親友の姿が――
「エルファリア……」
 元に戻ったエルファリアに、レピアは泣きそうな顔を見せた。
「ごめん……なさい。あたしは……迷惑を……」
「いいの、レピア」
 エルファリアはレピアを抱きしめた。
「あなたが戻ってきてくれるならいいの……お願い、戻ってきて……」
「―――」
 レピアは言葉をつまらせながらエルファリアに抱きついた。
「エルファリア……あなたの元に帰りたい……」
 嗚咽とともにつぶやく。
「ええ、帰ってくればいいわ」
 エルファリアは優しくレピアの背を撫でる。
 レピアは思う。

 ――あたしが帰る場所は、ここにしかない。

 自分を優しく抱きしめてくれる、この腕の中にしか……。

 遠目に海賊船が見えた。
 その傍らに、黒髪の女も見えた。
 レピアは二度と、目を合わさなかった。
 ――塗り替えられた記憶。その中でエルファリアが悪役とされたこと。
 そのことが決して許せなかったから。

 何より自分が許せないまま……
 それでも、優しくエルファリアが抱きしめていてくれるから。
「今夜は踊るわ……エルファリアのためだけに」
 レピアは囁いた。
 エルファリアはレピアの額に口づけを落として、
「ええ」
 とうなずいた。
 優しい微笑みが、お互いの心をつなぎ合わせた。
 これからもずっと。これからも……ずっと。


 ―Fin―