<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


幻の魚

 木の扉が重そうな音を立ててゆっくりと開く。
 白山羊亭看板娘ルディアはそちらへ顔を向けて、あ、と小さく声
を上げた。視界の先で、全身マントに包まれた姿の小さな少年が、
深くお辞儀をする。
「この前は、ありがとうございました。おかげ様で、ぽつぽつとお
客様がお見えになるようになりました」
「あたしは何もしてないけど、そっかぁ。良かったね〜」
 嬉しそうに笑う娘に少年も頷きながら、マントの間から手を出し
紙の切れ端を差し出した。それを受け取り、ルディアは首を傾げる。
「・・・漁師?」
「正確には漁師、ではないんです。けれど、釣りが得意、もしくは
魚の事に詳しい、となるとやはり、漁師の方が適任かな、とは思っ
たんですが・・・」
 少年は、ゆっくりと酒場内を見回すようにして、その場にいる人
々を観察した。
「でも・・・近くに海は無いし・・・。川とか湖はあるけど、余り
漁師さんってお客さんとしては来ないかも」
「ですよね・・・。街の中に釣具屋さんが無いから、そうだとは思
ったんです。とりあえず、この紙を置いていきますね。依頼書」
「いいわよ。貼っとくね」
「ありがとうございます」
 深深とお辞儀をして、少年は再び重そうに扉を開けて立ち去った。
 ルディアは残された紙に書かれている内容にじっくり目を通し、
一瞬思い悩むような表情になったが、すぐにそれを目立つ場所へと
貼り付けた。

『幻の魚求む!
 腕前は問いません。道具はこちらで用意できます。とある湖に生
息すると言う、幻の魚を捕ってきてください。
ただし、他の生態系に影響を及ぼさない。変な力は使わない。以上
の点を厳守してください。
お問い合わせは、おべんと屋さん『つつじ祭り亭』へどうぞ』

◇◆

 幻。世の中には、なんと『幻の○○』が多いことか。
 『本日休業』の木札を扉に引っ掛けながら、少年は嘆息した。そ
んな存在するかも不明な得体の知れない物のために、どれだけの時
間と労力を浪費してきたか。そして、それらに引っ掻き回されて、
この札を扉に掛けるのは幾度目なのか。
「・・・全く、あの人は・・・」
 半ば憎しみを篭めて、札を扉に叩きつけると、背後からにゅっと
巨大な影が伸びた。
「おぅ、どうしたよ?」
「・・・あ・・・オーマさん」
 少年の倍はあろうかという背丈の持ち主が、そこに立っている。
「先日は、いろいろとお世話になりました。せっかくお越しいただ
いて申し訳ありませんけれど、今日は店は休みなんです」
 深深とお辞儀をした少年を眺め、オーマ・シュヴァルツは店内を
覗き込んだ。店内も厨房もがらんとしているが、弁当の支度をして
いたであろう、という気配が残っている。
「あ、えぇと・・臨時休業です」
 慌てて少年が付け加えた。
「ま、いろいろ事情はあらぁな。それよりお前さん、白山羊亭に貼
ってあったアレな」
「アレ・・・あ、はい!『幻の魚』ですね。ご存知なんですか?」
「『ソーン腹黒商店街新聞』で読んだんだけどよ・・・」
 オーマいわく。


『アノ湖に、ついにアレが現れる?!

 先日、怪奇現象に事欠かないアノ湖に、アレが出没したことが確
認された。発見者は、Bさん(45歳)。Bさんが先日午後4時過
ぎ頃、アノ湖で日課の釣りを行っていたところ、突如霧が発生。湖
面に黒い影が見え、釣り上げようとしていた魚を餌ごと食いちぎり、
潜水した模様。
 Bさんは、「伝説だと思っていたが、まさか存在したとは」と話
している。』


「この説明だけで、どうやって『伝説の魚』って分かったんかねぇ」
 隣で新聞を同じように読んでいたおじさんが、呆れたように呟く。
「いや、アレのことは、あんま詳しく喋っちゃなんねぇ、ってこと
になってるのよ」
 そんなおじさんに、赤黒い肌のおじさんが囁いているつもりの大
声で答える。
「あんま話すとな。祟られる、っちゅう話よ」
「そいつぁ穏やかじゃねぇよなぁ。ちょいと話聞かせてくれよ、親
父さんよ」
「お、おぉ、オーマ。いきなりびっくりするじゃねぇか」
「下僕主夫親父筋☆の仲だろ」
「う・・うむ・・・」
 よく日焼けしたおじさんいわく。
「アレは、『幻の魚』って言われててな。滅多に拝めないんだが、
霧がかかった時だけ出るって話よ。未だ誰も釣り上げたことがねぇ。
どんな餌でも食っちまう悪食ぶりだ。どんだけでかいのか、興味は
あるけどなぁ・・・」
 あの悪食ぶりじゃあ・・・。おじさんは、付け加えた。
「食ってもマズイだろうな、あれは」

 
「・・・ってなわけだ」
「・・・不味いんですか・・・」
 オーマの説明に、少年は肩を落とした。
「まだ決まったわけじゃあねぇけどよ」
「いえ、むしろ不味いほうがいいかもしれません・・・。あの人が
それで諦めてくれるなら・・・」
 少年は低く呟き、それからふと気付いたように顔を上げた。
「それでオーマさんは、もしかしてその魚・・・」
「おぅ。こいつぁいっちょ、日頃鍛えしメラマッチョ親父愛美筋フ
ルフル活用★の時かもしれねぇよなぁ?マズいとあっちゃあ、メシ
のタシにはならねぇけどよ。素敵ナマモノ浪漫はやっぱ見捨てちゃ
おけねぇよなぁ」
「つまり・・・?」
「竿糸餌を借りに来た、ってぇわけだ」
「はい!」
 いそいそと『本日休業』扉を開けようと手をかけた少年の後方。
勿論オーマの後方、から・・・不意に、芳しい香りが一抹の不穏さ
を漂わせて・・・流れてきた。
「・・・オーマ・・・?!」
 それに半瞬遅れて、気高くも麗しい声が人の名を呼ぶ。
「ユ、ユンナ・・・?」
「幻の高級魚・・・。オーマ。確かに、幻の高級魚を食べさせてや
るから、って言ったわよね・・・?」
「い・・・言った、か・・・?」
「幻というからには超レアで、とってもとっても美容にも良くって、
まさにこの美の至高たる私の為に存在するような高級魚・・・と、
言ったわよね・・・?」
「それを言ったのはおまぇ・・・」
 ユンナは格調高く微笑み、華麗に踵落としを決めた。ふしゅるる
とオーマは撃沈し、その向こう側に少年が残され・・・。
「あら、ごめんなさい」
 それへとユンナは向き直った。
「あぁ・・・えぇと・・オーマさんのお知り合い・・・ですね?」
「そう。残念なことにね」
「・・・そうですか・・・」
「幻の高級魚・・・では無かったのね」
「幻の魚ですから、レアで高級だとは思いますが・・・。まだ誰も
釣ったことが無いらしいですし・・・。ただ、どちらかと言うと、
珍品の類かもしれませんが・・・」
 実物を見てみないことには何とも。少年が応え、ユンナはちらり
と地面にめり込んでいるオーマを見やった。冷ややかに見つめつつ
・・・減給ね・・・。と呟く。
「僕は、ラ=ギィと申します。ユンナさん、とおっしゃるのですね」
「えぇ」
 頷き、さてどうしたものか・・・と、とりあえず店の外に置いて
ある椅子へと、優雅に腰掛ける。それへ、いそいそとラ=ギィが茶
を運び、ついでに竿や糸を地面に並べ始めた。
「あら、それは?」
「魚を釣る道具です。オーマさんが幻の魚を釣る、とおっしゃって
下さったので・・・。白山羊亭に、釣って欲しい、という依頼を出
したところ、見て下さったようで」
「そうなの」
「ユンナさんも・・・釣っていただけるのですか?」
「私?!私に釣れ、と言うの?」
「だって、釣ってみないと分かりませんよ?美味しいのかどうか、
美容や健康にいい成分が含まれているのかどうか。実際に見て、調
理してみないと。釣れたらうちの店長がご馳走しますから」
「・・・そうね・・・」
 にっこり微笑む少年に、ユンナは手にしていたカップをテーブル
へと置いた。
「私、箸より重いものを持ったことが無いの」
「・・・そうですか」
 その手にしているカップは、箸より重いと思いますけど・・・と
は言わないでおく。
「だから、そうね・・・。オーマにさせるわ。二人分」
 ユンナはそう言って、竿を選び始めた。

◇◆

 ラ=ギィが用意した竿糸餌は、それなりに種類があった。
 オーマは竹竿、繊維糸、むきエビを選び、ユンナは強化竿、強化
糸、ミノーを選んだ。オーマは、家計節約のために釣りをさせられ、
自然釣りが上手になったらしい。その経験故に、道具も考えて選ん
だようだった。対してユンナは、高そうという理由で竿や糸を選び、
餌に関しては気持ち悪いなどの消去法でミノーとなったらしい。
 ともかく3人は、件の湖へと出かけた。
 
 湖まではそう遠くない。しかしその道中、ラ=ギィが今回この依
頼を出した理由を話し始めた。
 ラ=ギィが店員を勤める『おべんと屋さん』には、調理全般を行
う店長が存在する。その店長は、とにかく『めずらしもの好き』で、
『素材集め好き』らしい。放っておくと、平気で店を1週間、1ヶ
月と空けてしまうので、その度にラ=ギィが怒らなければならなく
なるのだが、最近は『幻の魚』を一目見る、ということに没頭して
しまったのだと言う。
 それも、毎日通いつめる、というわけではない。ある時突然、飛
び出して行ってしまうのだ。その為、仕方なく臨時休業にしたりす
る・・のだが。
「いい加減、そういう収集的なことは、他の人にまかせるとかにし
て欲しいんです。せっかくお客さんもついてきたんですし、急に休
業とか・・・」
「ラ=ギィが代わりにしたらどうなの?」
「僕ですか?・・・調理師見習いレベルの僕では、到底満足の行く
お弁当は作れないと思います。部分的には可能ですけど・・・やは
り、店長が作らないと・・・」
「お勧めはできねぇけどよ。一旦調理したもんを冷凍して、必要な
時に解凍したらどうだ?」
「そうですね・・・。そんな便利なことが簡単に出来れば良いので
すが」
 青々とした水面が、風に揺られて僅かに波打つ。その湖面に鳥が
舞い降り、足に魚を掴んで再び飛び立った。さやさやと静かな音だ
けが支配する穏やかな場所に、『悪食で祟ったりする幻の魚』が潜
んでいそうな様子は感じられない。
「さぁて、釣りますか〜」
 気合を入れて、オーマが手馴れた様子で準備を始める。対してユ
ンナはそれらをオーマに任せたまま、木陰に座っていた。とにかく、
減給オーラが出ているため、オーマは逆らえず素直にユンナの分も
準備し。
「軽いから持てるだろぉ?」
 と、それをユンナに手渡す。
 とりあえず受け取ったものの・・・釣りの仕方さえ知らないユン
ナは、オーマが全身筋肉を今までのマッスル筋とは何やら違う風に
繊細に使っている様を見つめる。海の一本釣りではないのだ。ただ
力だけでは釣れるものも釣れまい。そういうことなのだが。
 オーマは神経を集中し、掛かりを待った。釣りとは忍耐。辛抱で
ある。その巨体が湖畔にじっと佇む様は、湖を飾るオブジェのよう
にも見えるが、それほどにオーマは静かだった。
「・・・あんたは釣らないの?」
 尋ねられてラ=ギィは首を振る。
「いえ、釣るつもりです。おまかせしてばかりでは申し訳ありませ
んし」
「そう」
 本当はそんな返答を望んでいたわけではないのだが。
 ユンナは、静かに揺れる水面を見つめた。だが、ラ=ギィが行く
ならば自分もそこへ行かなければならないだろう。ここまで来てし
まったのだから・・・。
 湖は穏やかだが、ユンナの内面は荒れ狂っていた。湖。そんな所
の水深が、浅いはずがない。目の前に迫り来る、水、水、水・・・。
「・・・ユンナさん・・・?」
 傍に立ったラ=ギィが、不安げにユンナを見上げた。
「な・・何でもないわ」
 ユンナは金槌である。しかし、そんなことは誰にも教えていない。
否、知られてはならないのだ。もし知られたら、自らの沽券に関わ
る。
 しかし、唇を噛み、竿を両手に握って糸を垂らすも・・・全くそ
の先の水面など見ていなかった。
「・・・あれ。霧だ」
 その時、ラ=ギィが辺りの異変に気付いた。
「霧・・・。霧が出ると確か、幻の魚が出る、って・・・」
「そ、そうなの・・・?」
「オーマさん〜。霧ですよ〜」
 少し離れたところにいるオーマに声を掛けたその時。
 水が微かに撥ねる音がした。目を凝らすオーマ。水音に緊張する
ユンナ。彼らの周りを、どこから現れたのか乳白色の霧が包んで行
く。
 しばし、無音が広がった。霧が広がると同時に、辺りの景色どこ
ろか隣に立つ人すらおぼろげになり、自然感覚が鋭くなる。
 その時。
「きたぁぁあああっ!!」
 オーマの竿に確かな手ごたえが伝わり、力負けせぬよう、しかし
竿が折れぬよう注意を払ってそれを引く。ずしりと来た重みに、自
然笑みが零れるが。
「きゃああぁっ」
 離れたところから、突如声が上がった。
「ユンナさんっ!竿っ、竿引いてくださいっ」
「だめっ、だめ、絶対おちるっ」
「落ちませんからっ。早く、早く引かないとっ」
 ぐいぐいと引っ張られ、ずるりずるりとユンナの足が水面へと引
きずられて行く。それを止めようとラ=ギィが腕を掴むが全く助け
にならない。
「ユンナさぁんっ!竿、ひいてくださぁいい〜〜っ」
「いやぁぁあああっ」

 ぽいっ
 
「わぁっ」
 どさっと後ろに倒れたラ=ギィは、ワケが分からず辺りを見回す。
助けにやってきたオーマも、呆れたように二人と水面を見つめてい
た。
「一体・・・?」
「竿、捨てたよなぁ?ユンナ」
 座り込んでいたユンナは素早く立ち上がり、つんとオーマから顔
を反らした。
「落ちて濡れるのが嫌だったのよ」
「だから引け、ってラ=ギィが言ってただろぉ」
「箸より重いものなんて持てるわけないでしょう?!それよりオー
マも、叫んでたじゃない。釣れたんでしょうね?」
「んん?お前さんがすっげぇ声で叫んでたから、そこに仕方なく置
いてだな」
 と振り返り。
 ゆっくりと霧が薄く空気に溶けて行く中、3人はずるずると竿が
水中に引っ張られて行く様を見た。
「あぁあああっ!」
 ラ=ギィの叫びが途切れると同時に、竿は湖中にその姿を消した。
「・・・・・」
 黙りこむ一同。
「し・・仕方ないわよね。だって、同じ時に2匹もつれそうだった
んだもの。霧がひどくて全然見えなかったし」
「竿が2本・・・竿が・・・」
「今度はちゃんと釣ってやっからよ。竿も持ってくるし。勘弁な?」
「本当ですね?絶対ですよ?!」
 竿を2本失ったショックが大きかったのか。ラ=ギィはオーマに
詰め寄った。
 うっかり口約束をしてしまったオーマは、後日その約束を果たさ
なければならなくなったが、元凶のユンナは、再度湖に行くことは
ちゃっかり免れていた。
 その後、天気予報が『霧』と出るたびに、湖に通うオーマの姿が
あったと言う・・・。

 
 結局、幻の魚は。

「煮ても焼いても生でも不味いけれど、乾燥させたらある種の珍味
になるかも」
 
 と、後日、調理した人物が感想を述べた模様だ。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(腹黒副業有り)】

【2083/ユンナ/女性/18歳/ヴァンサーソサエティマスター 兼 歌姫】


【NPC0446/ラ=ギィ/男性/19歳/調理師見習い】

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。酉屋寅吉です。
大変永らくお待たせ致しました。素敵なお二人様を書かせて
戴き、ありがとうございます。
又、機会が御座いましたら、どうぞ宜しくお願い致します。
今回は、ありがとうございました。