<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


人形の館 ギミック

 ファイル02――オーマ・シュヴァルツ【夜想曲】

  《1》
 オーマ・シュヴァルツが、その自動人形(オート・マタ)を自宅の前で発見したのは、あたりに甘い花の香りの漂う、春の宵のことだった。
 友人に誘われて、花見酒としゃれ込んだ彼は、ほろ酔い加減で帰宅した。そして、玄関前に人のような黒い塊がうずくまっているのに、一瞬目をしばたたく。
 彼の自宅は、天使の広場にあり、総合病院である。なので、時おり玄関前に病人や怪我人が倒れていることも、珍しくない。それもあって最初は、子供か背丈の小さな老人が診察にやって来て、力尽きて座り込んでいるのかと思ったのだ。
 しかし、近づいてよく見れば、それは人間ではなかった。人形だったのである。
 大きさは、十歳前後の子供ほどもあっただろうか。空には十六夜の月が出ていたので、その灯りで顔立ちや服装もはっきりと見て取れた。顔はすっきりと整っていて、どこか大人びた、悲しげな表情を浮かべている。長い髪は黒い巻毛で、帽子やボンネットの類はかぶっていなかった。瞳は、琥珀をはめ込んだような金茶色だ。レースとサテンで作られた薄紫色のドレスをまとい、白いレースの靴下に、ドレスと同じ色の靴を履いている。肩からは、ドレスと同じ生地で作られた小さなポシェットを、斜めにかけていた。
 更によく見れば、人形の顔はどことなく薄汚れ、ビスクらしい体のあちこちには、細かいひびが走っている。髪も毛羽立ってぼさぼさしており、ドレスや靴下も薄汚れて、ほつれやほころびが目立った。どうやら、かなり古いものらしい。
「いらないからって、誰かが捨ててったのか? それとも、まさかこれを俺に修理しろって言うのか?」
 オーマは、それをしげしげと眺めながらぼやいた。どちらにしろ、病院の前にこんなものを置いて行かれても困る。何か、これがここに置かれた理由がわかるものはないだろうかと、彼は人形を改めて見やった。なんとなく気になるのは、人形が肩から斜めにかけているポシェットだ。
 その蓋を開けて中を覗き込んだ彼は、そこに四角い封筒が入っているのを発見した。もっともそれは、どう見ても自分やこの人形を見つけた人宛てのものとは思われない。というのも、その封筒もずいぶんと古いもののようだったからだ。
 オーマはとりあえず、封筒から中身を出して広げてみた。自分宛てでなくても、何かの手掛かりにぐらいはなるかもしれないと思ったのだ。が、文字はすっかり掠れてしまっており、どれだけ月灯りに透かしてみても、まともに判読できるものではなかった。かろうじて読み取れたのは、「ギミック」の文字だけだ。
(ギミック? なんかどっかで聞いたことあるよな、それ)
 記憶の底を引っ掻く単語に、首をかしげながら、彼は更に手掛かりを求めて、封筒を逆さにしてふった。そこからはらりと落ちて来たのは、薄い紙に挟まれた、紫色の何か。彼は、慌ててそれを地面に落ちる前に受け止め、再び月灯りに透かして見やる。
 それはどうやら、何かの花だった。紫の細かい花びらは、藤だろうか。それも、押し花らしい。だから、薄い紙に挟まれていたのだろう。
(でも、なんでこんなものが?)
 訳がわからず、オーマはもう一度まじまじとそれを見やった。
 しかし、いくらそうやって眺めていても、いったいこれらがなんなのか、どういう目的でここに置かれたものかは、わかりそうにない。
(……といって、ここに置いとくわけにもいかないしなあ。とりあえず、中へ持って入るか)
 彼はそう決めて、押し花と手紙を封筒に戻すと、少し迷った後、再び人形のポシェットへ元どおりに入れて、蓋をした。それから、人形を腕に抱き上げる。
 その途端。いきなり人形が、歌い出したのだ。
 人形の口が、パクパクと餌を求める魚のように動き、小さく首を左右に振りながら、えも言われぬ優しい悲しい声で、物悲しい歌をうたう。同時に、その琥珀のような目からは、涙としか思えない水滴があふれ出し、滴り落ち始めたのだ。
「え? おい……! ちょっと……!」
 オーマには、何がなんだかわからない。慌てて、自由な方の片手をふり回しながら、意味不明な声を上げる。が、その動きがふいに止まった。
「おい……まさか……」
 とんでもないことに、人形の歌には、具現の力があるようだった。まだそれは、力の片鱗を見せているだけで、何を具現化しようとしているのかまではわからない。だが、明らかにあたりにはその影響が出ていた。病院の玄関脇に立つブロンズの彫像が、腐蝕している。それを飾ったのは、ほんの一年前だというのに、まるで何千年もの間そこに立っていたかのように朽ち、今にも鼻や耳などの脆い部分が砕けて落ちそうだ。
「冗談じゃないぞ。このままじゃあ……!」
 オーマは、あたりを見回して、呆然と呟く。静かな春の宵の月灯りの中、人形の歌声は、朗々と広場を渡って行く。届く範囲全てに影響が出るのだとしたら、彼の封印能力でも、どうにもならないだろう。
「おい! 歌うのをやめろ!」
 彼は思わず元凶の人形を怒鳴りつけ、両手で持ち直して、激しく揺さぶった。しかし、歌声は止む気配もなく、その目からは変わらず、とめどなく涙が流れ続けている。
「くそーっ! どうすりゃいいんだ!」
 思わずわめいて人形を地面に投げつけようとして、彼ははたと手を止めた。ふいに「ギミック」がなんだったのか、思い当たったのだ。
 自宅に戻るまで一緒に飲んでいた友人が、話していたのだ。街はずれにあるという「人形の館 ギミック」のことを。なんでも、クォーツとかいう有名な人形師の店だという。人形と自動人形と呼ばれる機械仕掛けの人形の製作や修理、売買を行うらしい。
 手紙にあった「ギミック」が、その店のこととは限らなかった。しかし今は、手掛かりはそれしかないのだ。その友人の話では、街はずれにポツンと建っている二階建ての館だから、行けばすぐにわかるとのことだった。
(よし。ともかく、そこへ行ってみよう。手紙にあった『ギミック』がそこのことでなくても、人形師なら、この歌を止める方法が、わかるかもしれねぇしな)
 オーマはそう決めると、人形を小脇に抱え、とりあえず周囲に発生する具現の代償現象のみを封印しつつ、街はずれを目指して走り出したのだった。

  《2》
 友人の言葉どおり、街はずれまで来ると、「人形の館 ギミック」はすぐに見つかった。月灯りの中に、白い二階建てのそれは、どことなく寂しげに佇んでいる。
 しかしオーマはそれどころではない。玄関ポーチに慌しく駆け込み、二枚扉に手をかけた。どうやら、鍵はかかっていないようだ。ということは、まだ家人は就寝していないということでもある。オーマは幾分ホッとして、中へと足を踏み入れた。
 扉の向こうには、広々としたエントランスホールが広がっている。床は灰色がかった白の幾何学模様が描かれたタイルが貼られ、ホールの隅には色とりどりの花を生けた大きな花瓶や、ゆったりとしたソファ、テーブルなどが置かれていた。更に、ソファやテーブルの上には、さりげなく人形たちが置かれている。どの人形も、ぱっちりとした目と愛らしいふっくりとした頬を持ち、レースやベルベットのドレスに身を包んでいた。
 天井は吹き抜けになっており、はるか頭上からは、やわらかな光が落ちて来る。人工の照明ではなかった。頭上は光を取り入れるための丸窓になっており、そこから十六夜の月の光が射し込んでいるのだ。
 その月光に照らされたホールは、しんと静まり返っていた。
「おい! 誰かいないのか?」
 人の気配がないことに焦れて、オーマは声を上げた。
 と、軽い足音が響いて、右手奥の階段の下にある扉が開く。そこから、十五、六歳ぐらいの少女が現われた。濃紺のドレスに白いエプロンをまとった、ここの使用人と思しい少女である。長く伸ばした黒髪は後ろで束ねられており、頭の両側に薄紅色の花を飾っていると見えた。が、それはどうやら少女の耳らしい。
「あ……」
 少女は、オーマの姿に一瞬、軽く目を見張った。が、すぐに笑顔になって口を開く。
「いらっしゃいませ。ようこそ、『人形の館 ギミック』へ。私は、当館の案内係、ファ・スヨンと申します」
 スヨンと名乗った少女は一礼すると、彼に尋ねた。
「それでお客様。本日は、どのようなご用件でしょうか?」
「俺は、オーマ・シュヴァルツってんだ。実は、この人形の歌を止めてほしいんだがよ」
 言ってオーマは、小脇に抱えていた人形を、スヨンに見せる。もちろん人形は、ここへ来る間も、ホールに入ってからも、ずっと涙を流しながら歌い続けていた。そしてオーマも、具現化の代償である周囲の腐蝕を、必死に封印して食い止め続けている。なので実際には、こうしてただ話しているだけでも、彼の上には、かなりの負担がかかっていた。とはいえ、事情を説明しなければ、どうにもならないのもまた道理である。
 彼は、人形を見つけた経緯とポシェットの中にあった手紙と押し花のこと、人形が突然、歌いながら泣き出したこと、そしてそこに具現の力が内在していることを、手短にスヨンに語る。そして、尋ねた。
「クォーツとかっていう人形師は、いねぇのか? そいつなら、この人形の歌を止める方法もわかるだろ?」
「それが……申し訳ありません。今、ご主人様は、お出かけになっていまして……」
 スヨンが、困ったように口を開く。
「なんだと? いつ戻るんだ?」
「それは、私にもわかりません」
「くそっ!」
 オーマは、思わず低い悪態をついた。が、すぐに気を取り直して、矢継ぎ早に尋ねる。
「そいつ、どこへ行ってるんだ? この近くか? まさか、都の外じゃねぇよな?」
「都の中です。たしか、天使の広場の近くに住む、友人の所へ行くと言っておいででした」
 スヨンは、幾分それに気圧されながら答えた。
「天使の広場の近くだあ?」
 聞くなり彼は、思わず開いた方の手で頭を掻き毟る。自分はたった今、そこから来たところだ。スヨンに場所を聞いて、今からそのクォーツの友人宅を訪ねるにしても、途中ですれ違ってしまわないとも限らない。なにしろ彼は、クォーツの顔を知らないのだ。それに、封印しているとはいえ、一度腐蝕が起こった場所に、再びこの歌を撒き散らすのは、あまり賢明なこととは思えなかった。
 彼はしばらく頭を掻き毟っていたが、やがて心を決めた。
「わかった。とりあえず、俺はここでそいつが戻るまで待つことにする。だがスヨン、おまえもここの案内係だって言うからにゃ、多少は人形の知識とか、あるんだろ? なんでもいいから、とにかくこの人形の歌を止める方法を探してくれないか」
 言われて、スヨンは小さく目をしばたたいた。が、うなずく。
「わかりました」
 そして、人形を隅の椅子の一つに下ろすよう言った。それでようやくオーマも、吐息をついて、彼女が示した椅子に人形を座らせる。
「ずいぶんと、古い人形なんですね」
 言いながら、スヨンはそれへ歩み寄ると、仔細に人形の体を調べ始めた。
「どうだ? 何かわかりそうか?」
 しばらくそれを眺めていたオーマは、彼女が人形から離れたのを見やって、尋ねる。
「はい。これは、自動人形ですね。造られてから、少なくとも百年以上は経っていると思われます。それと、足の裏に、ギミックの刻印が入っていますので、この館にある古い記録を調べれば、この人形について、何かわかるかもしれません」
「ギミックの刻印?」
 うなずいて言うスヨンに、オーマは眉をしかめて問い返す。純粋に、言葉の意味が理解できなかったのだ。
「はい。ギミックは、この館の名前の由来になっている人物で、ご主人様のお師匠様です。ご主人様は、その方の財産を全て受け継いだので、ここにはギミック作の人形や自動人形、その製作に関する資料などもあります」
「そりゃあいい。だったら、すぐに調べてくれ」
 スヨンの説明に、オーマは性急に促す。人形は彼女が調べている間にも、更なる異変を生じており、彼は、気が気ではなかったのだ。
 人形の歌は、今ではどこか激しい波のうねりにも似たものになり、それと共にあたりの空間が揺らぎ、たわんでいるようにオーマには感じられた。それは、歌に内在する力がいよいよ発揮され、あたりのものを代償にして、具現化される前兆のようにも思える。
「はい」
 スヨンがうなずいて、身を翻そうとした時だ。
「スヨン、今帰ったぞ」
 声と共に、玄関の扉が開いて、長身の男がホールに入って来た。
「ご主人様」
 スヨンが足を止め、声を上げてそちらへ駆け寄る。しかし男の視線は、椅子に座らせられた人形に向けられていた。
「あれは……!」
 愕然とした表情と共に、低い叫びが、その口から漏れる。
 その時だ。人形の歌がまるで、高波のごとき激しさで、彼らの上に襲いかかって来たのだ。オーマには、空間がたわみ、大きく揺らぐ音が、たしかに聞こえたと思った。
 そしてその瞬間、彼らは三人ともその歌の高波にさらわれ、たわんだ空間へと投げ出されていた。

  《3》
 いったい何がどうなったのか、オーマはすぐには理解できなかった。
 一瞬の体中をもみくちゃにされるような感覚の後、激しい吐き気が襲って来て、必死にそれを我慢しているうちに、気づくとそれは潮の引くように消えて、彼は見たこともない場所に佇んでいたのだ。
 もっとも、そこにいたのは、彼一人ではなかった。
 スヨンと、彼女が主と呼んだ男も一緒だ。
(で、いったいここは、どこなんだ?)
 オーマは、それを確認した後、あたりを見回す。そこは、明るい日射しに包まれた庭園だった。周囲には何本もの藤の木が並び、そこからいくつもの花が垂れて、風に揺れている。花は同じ紫でも、青みの強い濃いものや、淡い色彩のもの、赤味の強いものなどさまざまで、中には白いものまであった。
「スヨン、何があった?」
 それらを見やっているオーマの耳に、男がスヨンに聞いている声が聞こえた。彼がふり返ると、スヨンがそれへ、経緯を説明しているのが見える。
 男は一見して三十代半ばぐらいだろうか。背にかかる直ぐな黒髪と白い肌をして、茶色の目は光の加減で琥珀色にも見える。黒いシャツとズボン、それに外から帰って来たところだったからだろう、黒い春物のコートに身を包んでいた。オーマに較べると背は低いが、一般的には長身の部類に入るだろう。
 オーマは、改めて男を見やりながら、そちらへ歩み寄った。
「おまえが、あの人形を持ち込んだ男か?」
「そうだ」
 うなずいて、オーマは名乗る。
「私は、人形師のクォーツだ」
 男も名乗って、あたりを見回した。
「なんとも、おかしなことになったものだな。……ここがどこだか、わかるか?」
 問われてオーマは、少しだけ考え込んだ。あの歌の波に巻き込まれる前、そこに内在する力によって、たしかに具現化は果たされようとしていた。おそらくあの波は、強大な具現が展開された証のようなものだったのだろう。とすれば。
「まさか、この場所自体が、具現の結果なのか?」
 半ば信じられない気持ちになりながら、オーマは声を上げた。
「おそらくな。そしてここは……」
 クォーツがうなずいて何か言いかけた時だ。周りの木々の間を縫うようにして、細い女の歌声が聞こえて来た。その歌は、あの人形がうたっていたのと同じものだ。ただ、違っているのは歌は口ずさんでいるだけのようで、たまに途切れて笑い声が混じる。しかも、笑い声はうたっている女のものだけでなく、子供と男のものも聞こえた。
 三人は、思わず顔を見合わせる。そして、誰からともなく、その声のする方へと歩き出した。
 やがて彼らは、薄紫の藤の花が一面に垂れ下がった藤棚のある一画へと出た。藤棚の下には木のベンチが据えられ、少し離れた所では、噴水が涼やかな音を立てながら、水を吹き上げている。ベンチの下には、親子連れだろう男女と子供の姿があった。歌と笑い声の主は、彼らだ。
 クォーツはその姿に足を止め、顔をしかめて唇を噛みしめた。
 それに気づいて、オーマは軽く眉をひそめる。そして、改めてその親子連れを見やった。
 母親らしい女は、二十代半ばぐらいだろうか。黒い巻毛を背に垂らし、薄紫色のドレスをまとっていた。子供は、四つか五つぐらいで、直ぐな黒髪を肩のあたりまで伸ばしており、ゆったりした白い長袖の服と、足にぴったりしたズボンを履いていたが、男か女か、判然としない。父親らしい男は、黒っぽい服に身を包んでおり、これも黒髪だったが、藤棚の陰になって、顔は見えなかった。
 オーマが眺めていると、女がふと顔を上げた。
「え?」
 途端に彼は、目を丸くして低く叫ぶ。女の顔は、あの人形にそっくりだったのだ。
 驚いている彼を尻目に、女はベンチから立ち上がると、歌を口ずさみながら、子供の手を引いて噴水の方へと歩き出した。オーマと目が合ったはずなのに、女はまるで、彼の姿が見えていないかのように、そのまま彼を無視して立ち去って行く。
「いったい……どうなってるんだ?」
 訳がわからずオーマは、目をしばたたかせながら呟いた。
「彼らには、私たちが見えていないんだろう」
 それへぼそりと言ったのは、クォーツだ。
「ここは、あの人形の精神世界だ。私たちは、そこに閉じ込められてしまったんだ」
「嘘だろ? なんでそんな……。人形の精神世界ってことは、あの人形には心があったってことか?」
 オーマはそちらをふり返り、驚愕しながら尋ねた。歌も涙も、そこに内在する具現の力も、何か理由があるのだろうとは思った。スヨンがそれが自動人形だと言った時には、具現化現象を起こすようなからくりが、仕掛けられていたのかとも思った。だがまさか、「人形に心がある」などとは、考えたこともなかった。
「……人形には、魂が宿ることがある」
「魂? 人形に?」
 クォーツの言葉に、彼は思わず眉をしかめる。そう言われても、今一つピンと来なかった。クォーツは肩をすくめると、隣にいるスヨンを示す。
「これもそうだ。自動人形に、人間の魂が宿っている」
「え?」
 言われてオーマは、まじまじとスヨンを見詰めた。その不思議な耳以外は、どこからどう見ても、人間の少女にしか見えない。やはり、彼にはピンと来なかった。
 彼らがそんな話をしている間にも、あたりの風景はゆるやかに移り変わって行く。
 といっても、藤は一向に散ることも、枯れることもなく、常に上品で美しい花を咲かせ続けていた。その中で日射しだけがゆっくりと傾いては夜が訪れ、また日が昇り、それが再び陰って……という時の巡りが繰り返されているのだ。
 女と子供と男の親子連れは、その風景の中で、いつも幸せそうに笑い合っていた。女はあの歌を口ずさみ、子供は日々の巡りと共に、ゆるやかに成長して行く。おかげで、子供が男の子だったことが、オーマたちにもわかった。
 しかし、日が陰るように、親子連れの幸せにも静かに陰が射し始める。
 いつしか母子と男が共にいることが少なくなり、とうとう子供が十を過ぎるころには、その姿は庭園から消えた。女の歌声は細くはかなく、寂しげなものとなり、同時に息子をかたときも離すまいとするようになる。
 女は、少しでも息子の姿が見えないと、必死の形相であたりを探し回った。そして息子を見つけると、固く抱きしめ、涙を流す。
 そのあまりに狂的な姿に、オーマは何か、嫌なものを感じた。
 だが、女の狂気は日に日に強くなって行く。
 何度目の夜が巡った時だろうか。
「母さん、もうやめて!」
 十五、六と思しい姿にまで成長した息子は、息を切らして藤棚の下に逃げ込むと、後を追って来る女に向かって、叫んだ。
「どうして? どうして逃げるの?」
 半狂乱で泣く女は、素足の上に寝間着姿で、しかもそれはしどけなく前がはだけられ、まるで情事の最中に駆け出して来た、とでもいうようだった。
「ぼくは、父さんじゃない! 父さんのかわりでもなければ、母さんの恋人でもない。ぼくは、ぼくだ! あなたの息子なんだ!」
 息子はその女を恐怖するかのように、目を固く閉じて、激しくかぶりをふりながら叫ぶ。
 庭園の中を、突風が吹きぬけた。
 まるでそれにさらわれたかのように、息子の姿は掻き消える。そして藤棚の下には、女が一人で立っていた。最初と同じ、薄紫のドレスをまとった女の目はうつろで、ただ乾いた唇が、細く低くあの歌を紡ぎ出しているばかり。
 女は乾いた目でどこか遠くを見詰めていたが、ゆっくりと目を閉じると、手にした銀色のナイフを、自分の喉元にあてがい、一気に掻き切った。
「おい! やめろ!」
 オーマは、思わず叫んでそちらへ駆け寄る。だが、その手も声も届かず、女は鮮やかな赤い花に埋もれるかのように、自分の喉からしぶいた血に白い体を染めて、ゆるやかにその場に倒れて行った。

  《4》
 再び、風が吹きぬけた。
「あ……!」
 オーマは、伸ばした手をそのままに、思わず顔を伏せる。次に目を開けた時、あたりは一変していた。そこが同じ藤の庭園だということはわかる。しかし、どこにも花はなく、木々は枯れ果て、木のベンチは朽ちて、噴水は錆びつき、水を受けていた人工の泉は干上がっていた。
「愚かな女だ……。こんな生き方しかできんとは」
 背後で、誰かの呟く声が聞こえる。オーマは、ハッとしてふり返った。そこには、黒いインバネスに身を包んだ長身の男が立っていた。風に巻き上げられた髪のせいで、顔は見えない。
 男の傍には木のテーブルがあって、その上には白磁の壷と粘土が置かれていた。男が壷の蓋を取り、中身を粘土の上に開ける。壷に入っていたのは、灰だった。男はそれを粘土に混ぜ込むと、唇をきつく引き結び、こね始める。
 それはやがて、人形の頭や胴体、手足などの各部位となり、焼かれてつなげられ、体に精巧なからくりの部品を詰め込まれ――あの自動人形となった。
「こりゃあ……いったい……」
 呆然とそれを見やって呟くオーマに答えるかのように、男は薄紫色のサテンとレースのドレスと白いレースの靴下、薄紫色の靴で飾られ、ポシェットをかけた、できたばかりの自動人形を抱き上げた。
「――」
 人形の耳元で、誰かの名前らしきものを囁いて、男はふと顔を上げる。
「なっ……!」
 その顔に、オーマは思わず息を飲み、声を上げた。こちらを見据える男の顔は、人形師クォーツそっくりだったのだ。
(そんな、バカな……)
 かなり混乱しつつも彼は、自分をおちつかせるかのように、深呼吸を一つして、あたりに視線を巡らせる。少し離れて藤棚の側――彼自身を挟んで男の反対側に、クォーツは立っていた。傍にはスヨンもいる。むろん、彼らの目にも、できたばかりの自動人形と男の姿は映っているようだ。
 オーマは、思わず叫ぶ。
「こりゃ、どういうことなんだ? この男は、おまえにそっくりじゃないか」
「そうだ。腹立たしいことにな」
 クォーツは苦い顔で呟くように言って、返した。
「ここは、人形の精神世界だと言っただろう? 今まで私たちが見せられたのは、人形――というよりも、そこに宿った魂の生前の記憶だ。女は、私の母親だ。そしてそこにいる男は、私の父にして師、稀代の人形師にして《時を操る男》と呼ばれたギミックだ」
「時を、操る男……?」
 オーマは思わず問い返し、そしてふと、あの自動人形を調べたスヨンが言ったことを思い出した。人形は、少なくとも百年前のものだと、彼女は言ったのだ。同時にギミックなる人物が造ったものでもあると。
 ますます混乱する彼に、クォーツは言った。
「そう。ギミックは、特殊なからくりを使って、任意の物体を時間の流れから切り離すすべを持っていた。たとえば、そのからくりを仕掛けたドールハウスに、果物を入れたとしよう。それはいつまでも朽ちることを知らず、瑞々しいままあり続ける。一年でも二年でも、いや、百年でもそこに入れておけば、いつでももぎたての味を楽しめる。……ギミックはしかし、次第にドールハウスでは我慢できなくなった。本物の家で、果物ではなく人間を入れて、試してみたくなったのさ」
「ってことは、まさか……」
「ああ」
 瞠目するオーマの呟きに、クォーツはうなずく。そして語った。幼い自分と母が、その実験に使われたことを。
 ギミックは、その特殊なからくりを仕掛けた館を建てると、そこに彼らを住まわせた。しかし、ドールハウスと違って館は、完全には時間の流れから切り離されず、ただ外よりもいくらかそれが遅くなっただけだった。だからクォーツはその中で、通常の何倍もの時間をかけて成長した。しかしそれは、ギミックの目には実験の失敗と映ったようだった。彼は改良のための研究に没頭し、その足は次第に館から遠のいて行った。
「――彼は、私たちの存在を忘れて行ったんだ。そんな中で母は、じわじわと狂って行った」
「あ……」
 告げられた言葉に、オーマはどきりとして思わず息を飲んだ。素足のまま、あられもなく胸元をはだけた寝間着姿で、息子を追いかけていた女の姿を思い出したのだ。
 彼の顔を見やって、クォーツは小さく口元をゆがめる。が、そのまま話を続けた。
「母の死のきっかけは、ギミックが私を母から引き離したことだった。私たちの存在を頭から追い出して研究を続けた彼は、からくりの改良に成功した。そしてようやく、私たちのことを思い出したわけだが、その時には彼の母への愛情は、完全に冷めていた。彼は、改良したからくりを仕掛けた新しい館に、私だけを引き取り……生きるよすがを奪われた母は、自ら命を絶った」
「あ……!」
 オーマの脳裏に、先程の自ら喉を掻き切った女の姿が、まざまざと浮んだ。
 その彼にクォーツは、死後、母親を焼いた灰が、その遺言で土に練り込まれて、ギミックの手で自動人形とされたことを語り、続ける。
「母が最後に残したものは、ギミック宛ての遺言を書いた手紙と、藤の花の押し花だったらしい。押し花は、私宛てだったようだが……私はどちらも見ていない」
「もしかしたら、それがあの人形のポシェットに入っていた封筒の中身か?」
 ふと思い当たって、オーマは呟いた。
「かもしれん」
 そっけなくうなずくクォーツに、オーマはしばしの間、今聞いた話を整理するかのように、眉間にしわを寄せて天を仰ぎ、考え込んでいた。が、小さくうなって尋ねる。
「たしか、俺の拾った自動人形は、百年以上前のものだって話だったよな。ってことは、おまえもその両親も、それぐらい昔の人間だってことなのか?」
「この世界の、通常の時間の流れから言えばな。……だが、私の意識の中では、母の死は二十一年前の出来事だ」
 言って、クォーツは小さく肩をすくめた。
「二十一年ねぇ……。参考までに、おまえの年を訊いていいか?」
「三十六だ」
 答える彼に、オーマは小さく口笛を吹く。たしかに外見的にはそんなものだろうが、今の話を聞いた後では、冗談のようにも聞こえる。とはいえ、オーマ自身も似たようなものだ。一応三十九歳だが、それは今の姿になってから過ごして来た年月であって、三十九年前に生まれ落ちたという意味ではない。
 オーマは、更に尋ねた。
「もう一つ、そのギミックって野郎は、今どうしてるんだ? スヨンはまるで死んだみたいなこと言ってたが」
「そのとおりだ。ギミックは死んだ」
 そっけなく、クォーツは答える。
「母がどんな最期を迎えたかを知って、私は彼を憎み、いつか復讐してやろうと考えていた。その復讐の方法として、私が選んだのは、館を外の時間から切り離しているからくりを壊すことだった」
 クォーツは、ギミックに引き取られた後、人形師としての技術を学びながら、同時に館をくまなく調べ、とうとうそのからくりを発見した。彼はそれを破壊し、館は通常の時間の流れを取り戻した。そしてその一年後に、ギミックは死んだという。彼は、病気だったのだ。メタモルフォと呼ばれる、内臓が徐々に炭化して行くもので、ずいぶんと昔からある不治の病だ。いまだに治療方法は発見されておらず、患者にひどい苦痛を与えるため、安楽死が推奨されていることでも有名だった。多少の個人差もあるが、通常はメタモルフォと診断されて二年持てばいい方だと言われている。
 おそらくギミックの場合、時間の流れから切り離された場所で生活している間は、病の進行も抑えられていたのだろう。それとも、それを抑えるためにこそ、彼はそんなからくりの研究に没頭したのだろうか。
 オーマがそれについて尋ねると、クォーツは肩をすくめた。
「かもしれん。だが、ギミックは何も言わないまま死んだ。その後私は、彼の遺言により、その館と彼の造った人形全てと、その記録や蔵書――つまりは、彼の財産だな。その全てを受け取ったというわけだ。……ただ、母の灰で造られた自動人形だけがなかった」
 言って、クォーツは唇を噛みしめる。
「ギミックにとって、私の母は価値のない人間だったんだろう。遺言どおりに自動人形を造ったものの、それを即座に誰かに売り払ったらしい。遺産を受け継いだ後、記録をさんざん調べたが、どこの誰に売ったのか、どこにも書かれていなかった。……人形の製作や修理だけでなく、売買を始めたのも、もしかしたら誰かが母の人形を売りに来ることがあるかもしれないと思ったからだ」
 その言葉に、オーマは思わず目を見張った。それが本当ならば、自宅前にあの自動人形が置かれてあったのは、いったいどういうことだろうか。古くなった人形を、持ち主が捨てて行ったのだろうか。だがそれでは、あの歌は。涙にはどんな意味があったのだろう。なにより、歌には具現の力が内在していた。あんな力を、ただの自動人形が持ち得るものだろうか。
 と。どこかで、きりきりとゼンマイのきしむような音が聞こえた。
「な、なんだ?」
 ぎょっとしてオーマは、あたりを見回す。クォーツの話を聞いている間に、周囲はいつの間にか薄紫色の奇妙な空間へと変わっていた。その一部が、音と共にひび割れた。古くなった漆喰のように、空間が次々と剥がれ落ちる。
「お、おい?」
 同時にあたりが鳴動し始め、一瞬、下から突き上げられるような感覚に、ふっと体が浮いた。そしてそのままオーマは、急速に落ちて行く感覚に、意識が遠くなって行った。

  《5》
 気がつくと、オーマは「人形の館 ギミック」のエントランスホールの床に倒れていた。小さくうめいて、起き上がる。まるで誰かと取っ組み合いでもした後のように、激しく体がきしんで痛んだ。が、それをこらえて立ち上がり、あたりを見回す。
 さほど時間は経っていないのか、頭上の天窓からは、相変わらず十六夜の月の光が射し込んでおり、同じように床に倒れていたクォーツとスヨンが、小さなうめき声を上げながら、起き上がるところだった。
 それを見やって、オーマはふとあの自動人形を座らせていた椅子をふり返る。そして、思わず目を剥いた。椅子の上には、粉々になったビスクと鋼の歯車やゼンマイ、サテンやレースの切れ端などが積もっているだけだったのだ。ただ、人形が体にかけていたポシェットだけが、そのまま無事だった。
 オーマはそちらへ歩み寄り、椅子の上からそれを取り上げる。蓋を開けて、中から封筒を取り出した。彼はそれを、同じく椅子の上の異変に気づいて歩み寄って来たクォーツに差し出す。
「こいつは、無事だったようだぜ」
「ああ」
 うなずいてそれを受け取り、クォーツは封筒の中から手紙と押し花を引き出した。オーマが見た時と同じように、手紙はかすれてほとんど判読できず、ただ「ギミック」という文字がわかる程度だ。彼はすぐに判読をあきらめ、押し花を感慨深い目で見詰める。
 それを横から覗き込み、オーマは彼の肩を叩いた。
「おまえのお袋は、人形になってでも、おまえやギミックの傍にいたかったんじゃないかな。けど、ギミックはそれを許さなかった。……もしかしたら、人形になってまで、時間の流れから切り離されるのを、不憫に思ったのかもしれないぜ。だから、万が一おまえが買い戻したりしないように、記録を残さなかったのかもな」
「ずいぶんと善意に満ちた、都合のいい解釈だな」
 クォーツは皮肉げに口元をゆがめると、手紙と押し花をもとどおり、封筒に戻す。
「ギミックは、それほど人情味のある男じゃない」
「おまえはそう言うけどな。人間は、相手によっていろんな顔を見せる。息子から見たギミックはそうでも、男としての別の顔だって、あったかもしれないじゃないか?」
 オーマは、幾分おどけた調子で言って、自分の中に浮んで来た考えを、そのまま口に昇らせた。
「それに、ギミックのことはどうあれ、これだけは事実だ。おまえのお袋さんは、今度こそその最期を、おまえの傍で迎えたかったんだよ。だから、おまえに気づいてほしくて、必死にあの歌をうたい、涙を流し続けていたんじゃねぇか? その強すぎる想いが、具現の力を内在させたんだ。俺たちが見たのは、『死に際にこれまでの人生が走馬灯のように過ぎる』ってやつだったって気がするぜ。……ま、なんで自動人形が俺の所へ来たのかは謎だが……」
 言いさして、彼は指先で顎を掻く。
「案外、俺の具現化能力に呼応したとかなんとか、そんな理由かもな。俺が触った途端に、人形は歌って泣き出したんだし」
 天井を上目遣いに見上げつつ、彼はそんなふうに呟いた。必死になった人間は藁をもつかむと言うし、おそらくそれは、そう真相からはずれた考えでもないだろう。一人胸にうなずき、彼は改めて椅子の上のものを見やる。そして少し考え、クォーツをふり返ると言った。
「なあ。あの粉々の破片で、俺に人形を造ってくれないか」
「人形を?」
 クォーツが、驚いて問い返す。
「ああ。あれで造れる大きさのでいい。……無理かな」
「いや。……わかった」
 クォーツは、一瞬まじまじとオーマを見やった後、うなずく。
「どんな人形にするか、他の部品を決めてくれ。――スヨン」
「はい」
 ずっと黙って大人しく控えていたスヨンが、呼ばれて元気よく答えると、オーマに歩み寄った。
「それではオーマ様、こちらへどうぞ。人形の髪や目など、部品の展示室へご案内いたします」
「え? 別にいいぜ。そんなの、そっちがいいように決めて造ってくれれば」
 少しだけ慌てて、オーマは返す。
「そういうわけには参りません。オーダーメイドの人形は、全てお客様のご注文どおりの部品を使って、お客様の想像以上の作品を仕上げる。それが、当館と人形師クォーツのモットーです」
 言ってスヨンは、強引に彼の腕を取ると、外見からは想像できない強い力で、ぐいぐいと引っ張る。
「あ、おい……ちょっと……」
 じたばたと抵抗してみるものの、離してもらえそうもなく、彼はそのまま玄関の正面奥に位置する扉へと引きずって行かれた。しかたなくその扉をくぐりながら、まあいいかと彼は考える。
(せっかく、新しいのを造ってもらうんだし、ばっちり俺好みの美人に仕上げてもらうってのも、悪くはないよな)
 そんなことを思って笑み崩れる彼の脳裏に、一瞬あの崩れた人形の、藤の花のように清楚な面差しが浮んで、消えて行った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953 /オーマ・シュヴァルツ /男性 /39歳 /医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】

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■         ライター通信          ■
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●オーマ・シュヴァルツ様
三度目のご注文、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
素敵なプレイングで、悩みつつも、このような形にまとめてみましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会があれば、よろしくお願いいたします。