<東京怪談ノベル(シングル)>
キラメキ☆黄金モストマスキュラー像の降臨
親父の朝は早い。
が、これは決して加齢に伴う睡眠障害ではなく、むしろ夜はぐっすり朝まで熟睡な結果、日の出と共に身体が動き出すのを止められないマックスハートな現象なのだった。
今日も朝日を拝みつつ、ソーンのミラクルマッチョ・スプラッシュスター☆オーマ・シュヴァルツは筋トレに勤しんでいた。
――うーん、今日もいい大胸筋日和だぜ。
おっと、つい楽しくて500セット余計にこなしてしまった。
やりすぎは筋肉に良くないとわかっていても、春のサワヤカうららかな空気の中で身体を動かすのは楽しい。
プロテイン片手に見上げた桜は、風に時折花びらを散らしながら咲き誇っている。
その色は温かさを感じさせる柔らかな薄紅色で、ありふれた色だけにオーマを安心させた。
――やっぱり桜はこの色だよな。
先日桜が蒼色に染まる事件が起こってしまったのだ。
もちろん今はそれも解決し、桜の木は総合病院のお年寄り憩いスポットとして賑わっている。
人集う所に親父愛あり。
心にしっかり刻みつつ、オーマは日々診療に当たっていた。
そんなある日。
「ハイ次の人〜」
しわしわからぷりぷりまで、親切丁寧的確に患者さんを診察していたオーマは、中庭に人だかりができているのに気付いた。
しかも患者の老人たちが集っているのは例の桜の木だ。
――オイオイ! よりによってその木かよ!!
またワル筋事象勃発か!?
イヤ〜な予感に頭の血液を足まで急降下させながら、オーマはお年寄りたちの元に駆け寄った。
「ありがたやマッチョ地蔵様〜」
「ありがたや〜」
桜の木をぐるりと取り囲んだお年寄りサークルが、口々にそう唱えて手を合わせている。
「……マッチョ地蔵?」
オーマの疑問に妙に肌ツヤが良くなったお年寄りたちが答えた。
「この頃夢で、この木の下にマッチョなお地蔵様が現われるんじゃよ」
口をもぐもぐ動かしながら次々と証言が続く。
「金色に光ってるきれいな筋肉像様でねぇ。拝んだ途端入れ歯が外れちっまたよぉ」
「あんた夢でも入れ歯しとるんかね」
年は取っても心は乙女。
限りなく直角に曲がった腰を伸ばして老婆が言う。
「やだよ乙女のたしなみは忘れんようせにゃ」
ほがらかに笑いあうお年寄りたちとは裏腹に、オーマの表情は沈んでいく。
――ヤベェ……またこんな訳わからん事件で患者減ったら……・。
オーマの脳内に最悪のパターンが映し出される。
経営難で総合病院閉鎖、すさんだ気持ちに魔が差して博打に手を出した俺、しかし借金はトイチで膨れ上がり督促の脅しが入る日々、ついに愛する妻子は『疲れました』の置手紙を残して出て行く――。
想像の中、天井から垂らしたロープに手をかけた所でオーマは我に返った。
「首吊りは良くねェ!! って、ばーちゃんたち具合悪くなったりしてないのか?」
「やだよ〜先生!」
ぼすっとオーマのみぞおちに老婆のスマッシュブローが入る。
「ぐ、ゲホッ!!」
――な、何だこの重い拳!
枯れ枝みたいな腕から繰り出されたものとは思えない威力にオーマは咳き込む。
鋼の腹黒親父腹筋にダメージを食らわす辺り本物だ。
「あの夢見てからは調子良くてねぇ」
「そうそう」
「ありがたや〜」
再びお年寄りサークルが桜に手を合わせて拝みだした。
――実害無いなら問題無いか。けど、気を付けるに越した事ないよな。
お年寄りの感謝の声が輪唱でこだまする光景を見ながらオーマは思った。
更に日々は過ぎて桜も半分ほど散ったが、相変わらず例の桜の周りには黄金マッチョ地蔵をありがたがるお年寄りのサークルが形成されている。
暑苦しいものの平穏な光景だが、サークルに混じったお年寄りたちには変化が起こっていた。
マッチョ地蔵を見たお年寄りはもれなく劇的に回復し、リハビリにも進んで身体を動かすようになったのだ。
そして今、シルバーな筋肉をきりりと引き締めたお年寄りで病院内の老健は溢れ、中庭の至る所で自慢のボディをポージングする姿が見える。
「マッチョの神様ありがとう……!!」
オーマはキラリと白い歯もまぶしいマッスル親父神に感謝した。
憧れの筋肉あふるる約束の地がここに。
――神様はいつも俺を見てたんだな!
ここを始まりの地として、更にこの国に筋肉桃源郷を築けというお告げだろ、これは!!
オーマの腹黒脳内筋はそう解釈した。
が。
「んん? 何か身体の厚み、薄くなってるような……」
――オヤオヤ? ……筋肉減ってマッスル?
オーマはポージングを余す事無く映し出す大きな鏡の前で、ぺたぺたと胸に手をやりながら首を傾げる。
――ま さ か !!?
そーっと足を載せた体重計が無情にも正確な体重を示す。
「……ぎゃああ! 減ってやがる!!」
減った体重は嬉しいもの、というのは思春期の若人のみ。
日頃丹精込めて慈しんだ筋肉が失われてしまうのは、筋肉至上主義マッスル親父にとって娘の嫁入り位ツライ出来事なのだ(まだ経験無いけど)
「何でだ……筋トレメニューも特に変えてねーし……」
思い当たるおかしな変化といえば、あの桜と黄金マッチョ像。
――前言全筋撤回! やっぱりワル筋事象かあぁぁ!
オーマは今すぐ木の根元を掘り返したい衝動に駆られたが、昼間はマッスル化したお年寄りたちが群がっていて下手に動けない。
――また夜中に行ってみるか……。
はー、とオーマはため息をつきかけて口元を押さえた。
――ため息つくと筋肉が減るっていうしな。
筋肉な迷信だけはとことん信じてしまうオーマだった。
さてその夜、丑の刻。
半分フテ寝で昼間からきっちり睡眠を取ったオーマは、深夜にも関わらずサワヤカな目覚めを迎え、シャベル片手に中庭に出た。
と、桜の木の向こうがぼんやり明るい。
――今回は何埋まってんだよ?
何となく先の展開を予想しつつ桜の向こうにまわると、そこにはすでに黄金のマッスル像がモストマスキュラーを決めながら悩ましく待ち受けていた。
「……っ!?」
迫力の大胸筋からつながる、峻嶺な山脈を思わせる上腕二頭筋。
オイルによる反射光など足元にも及ばない黄金の煌めき。
最も美しい形で動きを止めたポージング姿にオーマは魅了された。
――ああ、一言でいいから『切れてまーす!』ってこの像に声かけてやりてェ……!
けれどその願いも空しく、オーマの意識は黄金像に吸い取られるように霞んでいった。
――眩しい……。
「……っえ!?」
気付くとオーマは自分のベッドの上に倒れていた。
すでに太陽は高く、窓から差し込んだ光が顔に当たって、オーマに眩しさを与えていたようだ。
おそろしくだるい感覚がオーマを支配している。
――二日酔いでもここまで酷くねぇな……。
のろのろと着替えて意識がはっきりしてくると、外の騒がしさが気になった。
と、中庭に出ようと横切ったオーマの姿を鏡が捉える。
それは現在のオーマとは異なる銀髪と赤い瞳を持つ、細身の青年姿だった。
「だぁぁああ!! 若返ってやがる!?」
鏡にかぶりつきで自分の身体をつま先から眺めるが、そこに映るのは紛れもなくハタチのオーマだ。
年若いオーマも筋肉質なマッスルぶりだが、現在よりもハツラツとしたオーラと魅力を振りまいている。
が、親父フレグランスをほのかかつさり気なくまとった、三十九歳魅惑のボディには遠く及ばない。
「とにかく元にもどらねーと……」
上ずる声を必死で抑えつつオーマは元の親父姿を思い描くが、一向にその姿は変化しない。
「……そんな……」
――俺が何をしたって言うんだよマッスルの神様!
すっかり筋肉レベルがダウンし薄くなってしまった身体を抱えて、オーマは泣きたくなってきた。
楽しくも厳しい筋トレで得たしなやかな筋肉が、今はこの身体から失われてしまったのだ。
「ありがたや〜」
真っ白になったオーマの意識に、外からお年寄りたちの声が流れてくる。
「マッチョ地蔵さん、本物が出てきたと思ったら先生じゃったんだねぇ」
「そっくりじゃねぇ」
「キレのいいポーズじゃねぇ」
――俺だって!?
慌てて表に出ると、自分の目で見てもそのままな1/1スケール黄金オーマ・シュヴァルツ親父像が桜の木の下、燦然と輝きながら鎮座していた。
「アレ、先生若返っちまって」
アッサリ物事をそのまま受け入れてしまうあたりが老人の強みだ。
世間の流れに逆らわないのがご長寿の秘訣。
「これ、今朝から?」
「朝の散歩に出たらここにあったんじゃよ」
――となると、昨夜見た像が変化したのか?
オーマ像の頭の方には土が付いている。
タケノコが地上を目指して伸びてゆくように、自分から土を掻き分けてきたのだろうか。
腕組みで悩んでみたものの事態は一向に変化しないし、夜風にさらすのもどうかと思い、オーマは黄金のオーマ像を一旦部屋へと運んだ。
が、その存在感・圧迫感はオーマにとって辛いものだった。
特に夜は怖い。
じっとり見られている気がする。
――フフ、さすがだぜ俺……像になってもいい親父パワー出しやがる。
オーマの姿は青年のまま、思いっきり日常生活に支障をきたしながらも数日が過ぎた夜。
――眩しい……。
俺、また寝過ごしたのか……?
薄目を開けて身体を起こすと、壁側に移動させて後ろを向かせていたはずの黄金像がベッドのすぐ近くに立っている。
「ぎゃあああ!!」
「意外に心臓ナイーヴだな、オーマ」
シーツを押さえてベッドの端まで後ずさったオーマに、黄金オーマ像が話しかけてきた。
――夢オチ?
「いや現実」
ポージングを解いた黄金オーマ像が言った。
ついつい輝く白い歯の覗く口元を見てしまう。
「そろそろお別れなんで、一応挨拶してこうと思ってさ」
気さくな笑顔をオーマに向けて言う。
「お別れ?」
落ち着きを取り戻したオーマが尋ねる。
「……って、そもそもお前何者なんだ?」
まだ夢オチを疑っているオーマに、黄金像は再びポーズを決め始める。
「俺は」
ダブルバイセップスが逆三角形のシルエットを作る。
「通りすがりの」
サイドチェストが腕と胸、脚の太さを強調する。
そしてモストマスキュラーでフィニッシュ。
「筋肉愛好家だ!」
「おかしいって! 通りすがりの筋肉愛好家が、何で俺の姿になるってんだ!?
返せよその身体!!」
「いやー、ついいい筋肉を見ると借りる癖があってな。
悪いね!」
真夜中の部屋に黄金像のサワヤカな笑い声が響く。
「ちょっとは申し訳なさそうにしろよ……」
シーツに突っ伏したオーマが震えた。
怒りよりも呆れた気持ちが大きい。
話を聞いてみると、彼(?)は異界から異界へと精神のみで旅をしており、今回はオーマのマッスルボディに惹かれてこの場所に降臨してしまったという訳だ。
肉体は現地調達したものに手を加えて動かすのだが、オーマに美筋ぶりについ筋肉ごと借りてしまったようだ。
「うちの老健のじーさんばーさんがマッスル化したのも、お前がやったのか?」
「ちょっとした迷惑料のつもりだったんだけど、まあ半分以上は自分の力だ。
あれ位の年齢になると、身体を動かせるのだけでも嬉しい事だしな。
リハビリも楽しそうにやってたろ?」
オーマは自分の見ている老健のお年寄りたちが、朝進んでリハビリに向かう様子を思い出した。
――そうだな。身体動かすのって楽しいよな。
当り前の恩恵に、人は気が付きにくい。
それが眩しいものであればある程。
「じゃ、そろそろ行くわ。またどっかで会ったら宜しくな」
「ああ」
精神だけの存在とはいえ、オーマには相手を見分ける自信があった。
――いい筋肉つけてりゃコイツだってわかるだろ。
オーマの部屋には、片腕程の大きさの像が残された。
金のメッキもほとんど剥げていて、木の地肌が剥き出しになっている。
それは痩せこけた老人の姿をしていたが、口元から覗く歯の白さと笑顔が眩しかった。
最近はすっかり桜も散ってしまい、新葉が影を落とし始めている。
黄金オーマ像が無くなってからはありがたい夢を誰も見なくなり、木の周りにサークルを作るお年寄りの姿も消えて行った。
しかし元の親父姿を取り戻したオーマの視線の先に、今でも木陰で楽しそうに身体を動かすお年寄りの姿が映っている。
(終)
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