<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


スハルジク探索


「死んだ恋人を生き返らせたいのだと」
 全身にまとう黒衣は、その顔面の半分近くまでをも覆い隠している。その下から赤い双眸を覗かせて、ギルド・ファラクの主であるアイザックは小さな笑みをこぼした。
 その笑みに、どこか自嘲めいた色があるのを確かめつつも、対する惣之助はさほど大きな反応を見せようとはしない。
「して、此度の依頼の内容は如何様なものなのでござろうか」
 依頼人が持ってきたものであるらしい焼き菓子を物珍しげに確かめた後、惣之助はそれを口に運びながらアイザックの顔を見やる。
 アイザックは惣之助の呑気な表情を一瞥してから首を鳴らし、机に寄りかかるような体勢をとりながら部屋の中を移動する。
「スハルジクという名の薬草を探してきてほしいのだと」
「すはるじく」
 アイザックの言葉を反復する惣之助の双眸が、興味深げな色を浮かべて光を帯びた。
「冥界に降った女神を蘇らせるために用いられたとされる、生命の水だ」
「水? 依頼内容は薬草の採取なのでござろう?」
「そう。依頼人が言うには、それと同名の薬草があるとの噂を耳にしたから、可能性があるならそれに賭けてみたいのだということなんだが」
「ふぅむ、成る程」
 アイザックの言葉に深々としたうなずきを返し、惣之助は「なれば」と言葉を継げた。
「なれば、拙者共もその可能性とやらに賭けてみることにいたそう。そうと決まれば善は急げ。いつものごとく、外に張り紙を立てて参る」
 穏やかな面持ちに一杯の笑みをたたえ、惣之助はいそいそと張り紙の準備に取り掛かる。
 それを横目に見やりながら、アイザックはふるふるとかぶりを振るのだった。
「おまえの字は、この世界じゃ通用しねえって。何度同じことを言わせるんだ、このボケ侍が」



「おう、アイザック。まぁた張り紙してやがったな」
 オーマ・シュヴァルツがファラクの扉を開けたのは、惣之助が張り紙をしてから間も無くの事だった。
 ノックする事もなく、慣れた調子で足を踏み入れてきたオーマを見やって、アイザックは小さな息を一つ吐く。
「おう、おまえか。張り紙を見て来たか? 暇なのか?」
「ああん? んーまあ、それもあるけどもな。……あーっと、どこに仕舞いこんじまったかなあ」
 アイザックの言葉に笑みを浮かべながら、オーマはおもむろに衣服のポケット内などに手をつっこみ始めた。
「ああ、あったあった。ほらよ、おまえ用の薬だ。そろそろ切らす頃だったろ?」
 と、オーマはズボンの内側から小さな白い布袋が抜き出して、それを「そらよ」という掛け声と共にアイザックに向けて放り投げたのだった。
 布袋はほんのりと温もっていて、それを手にしたアイザックは眉根をしかめてかぶりを振る。
「いつも言ってんだろう。んなところにしまっておくなよ」
 ため息まじりにそう告げるアイザックだが、しかしオーマの方はといえばまるで気に留める様子も見せずに、アイザックの肩に腕を回して「がはは」と笑うのだった。
「俺とおまえの仲じゃねえか。かたい事言うなって。――お? どうやら俺の他にもお客が来たみたいだな」
 オーマの赤い眼差しがすいと細められ、ギルドの戸口へと向けられる。そのタイミングに合わせたかのように、戸口を開き、少年が顔を覗かせた。
「表の張り紙を見て来たのだが……こちらへは初めて寄らせていただくが、ギルド、なのだろうか?」
 理知的な青い双眸が、中にいたアイザックとオーマとを順に見比べていく。と、少年の後ろから、今度は歳若い少女の見目をした女がひょっこりと顔を覗かせる。
「あ、オーマさん」
 少女はオーマを見やって手をひらひらと揺らし、首を傾げて微笑んだ。
「おう、リラ。なんだ、おまえも来たのか」
 満面の笑みをで手を振り返すオーマの横で、アイザックがかすかにうなずいた。
「オーマの知己か。ならば話は早いな。ここは、まあ、見ての通りのギルドだ」
「見ての通り、あんまり流行っちゃいないがな」
 横槍を入れるオーマを軽く睨みすえ、アイザックは手を動かして未だ戸口の傍にいる二人を呼び寄せ、転がっている椅子を適当に勧めた後に首を鳴らした。
「俺はこのギルドの、まあ、言うならばマスターってところか。アイザックという」
 頭からすっぽりと被った黒いフードの下、アイザックは小さな笑みを浮かべて二人を見やる。
「私は藤野羽月」
 黒髪の少年が、ひどく丁寧な所作で腰を折り曲げた。
「表に日本語で書かれた張り紙を見つけ、懐かしい心持ちを覚え、寄らせていただいた。……こちらには日本の出自の方がおられるのか?」
 そう述べて、羽月はきょろきょろとギルドの中を見回している。
「日本語? ああ、惣之助のヤロウだな。外にいなかったか?」
「いや、張り紙の他には何も」
 かぶりを振る羽月の隣で、ライラックの精霊かと見紛う見目をもった少女がちょこんと頭を下げ、そしてアイザックを見上げる。
「リラ・サファトです。よろしくお願いいたします」
 鈴の鳴るような声音でそう告げて、リラと名乗った少女はゆったりと首を傾げて微笑んだ。
「こちらの通りへは、初めて寄らせていただきました。……見慣れた景色から、見慣れない景色の中に入り込むと、なんだか少し不思議な心地がします」
「ベルファ通りはいい物件が見つからなくてな。しかし、こんな裏路地、よく見つけられたものだ」
「あ、……それは」
 アイザックの言葉に、リラは小さなとまどいを見せる。と、その横で、羽月がリラの肩に片手を置いて小さな笑みを浮かべた。
「ベルファ通りで迷い猫を見つけ、その親猫を捜して歩いていたのです」
「ああ、なるほど。それで偶然にもここを見つけた、と」
 椅子をギィギィと軋ませながら、オーマがぽんと手を打った。
「さて、と。ところで、アイザック。張り紙に書いてあった件、詳しく聞こうか」
「受けてくれるのか」
 アイザックの視線がオーマの視線を受けて重なる。
 オーマは満面の笑みを湛えてうなずき、その横で、羽月とリラもまたうなずいていた。

「ふぅむ、スハルジクか」
 ギルドの外では、銀髪の壮年が二枚の張り紙を見比べつつ、顎ヒゲを撫でつけていた。
 深い水底を彷彿とさせる青い双眸が、何事かを思案しているかのように細められる。と、その双眸は不意に自分の背後へと向けられ、その視線はその場に立っていた一人の青年の姿を映しとった。
「もしや、この張り紙に関心がおありか?」
 青年は壮年の眼差しを真っ直ぐに見つめ返しながら微笑み、目にした事のない――おそらくは言語であろうかと思われるもので書かれた張り紙に指を伸ばした。
「この国の文字ではござらん。拙者の出自である江戸の文字でござる」
「エド?」
 青年の言葉に、壮年の表情に深い関心が浮かぶ。
「ふぅむ、なるほど。ではおまえさんはソーンの者ではないのじゃな」
「三月程前にこの世界に踏み入った。江戸とはまるで異なる文化でござるが、こちらはこちらでまた面白い。絵図ですら目にした事のない魑魅魍魎が跋扈してござる」
「なるほど、なるほど。――して、ここはギルドなのじゃな」
「ぎるどふぁらくでござる」
「この張り紙――ワシにはエドの文字の方は読む事が出来んようじゃが、こっちの張り紙に記してある、このスハルジクという名の薬草じゃが、ワシにはいささか覚えがある」
 壮年の口許がゆったりとした笑みを浮かべ、それを見た青年の顔は見る間に綻び、うなずいた。
「よろしければ手助けを乞いたい。拙者はこのぎるどで間借りさせていただいている者。藤堂惣之助と申す」
 きびきびとした所作でお辞儀をする青年――惣之助に、壮年はゆるゆると顔を綻ばせてうなずきを見せたのだった。
「ワシはレノック・ハリウスじゃ。……ほう、どうやら、あちらのお嬢さんも、この張り紙に関心があると見える」
 名乗り、レノックは惣之助の後方に視線を向ける。
 つられて振り向いた惣之助の目に、赤い髪をもった少女が映った。

「のわっ! サモン!」
 ギルドを出てきた四人は、張り紙の前でたむろしていた三人と顔を合わせ、その瞬間、オーマが吃驚した。
 必然的に、その場にいた全ての者の視線が赤い髪の少女へと寄せられる。
「サモン? ……ああ、おまえの子供か」
 少女――サモン・シュヴァルツに向けて視線を移したアイザックに、サモンは、父・オーマのそれと同じ光彩を放つ赤い双眸を数度ばかりしばたかせた。
「……オーマが同行するのなら……僕も一緒に行くよ……」
 視線を外しつつ呟くサモンの言葉を聞き、オーマの顔からはそれまで浮かんでいた笑みがざらりと消えうせた。
「ま、まさか、サモン。俺の後をつけてきたとかいう」
 動揺を隠す事なくうろたえるオーマに、サモンはちろりと一瞥を向けただけで、答えを返そうとはしなかった。
 どこか緊迫したような空気が漂い始めた中、ついと足を進め、サモンの顔を覗きこんだのはリラだった。
「こんにちは、サモンさん。……私、リラ・サファトです。依頼、私もお受けするんです。道中ご一緒させてくださいね」
 わずかに膝を屈めてサモンの目を覗きこみ、そうして穏やかに微笑んでいるリラの視線を受けて、サモンの頬が少しばかり紅く染まる。
「う……うん。……よ、よろし、」
 よろしく、と告げようとしたのだろうか。しかし、サモンの口は言葉を最後まで成す事のないままに、再び固く閉ざされてしまったのだった。

「さて、その、スハルジクとやらを捜しに行く前に、まずは今回の依頼内容を改めて聞き、まとめるのが先かと思うが」
 腕組みの姿勢で、羽月が切り出した。
「生憎、私はそのスハルジクなる薬草に関する知識は皆無だ。効能も形状も知らず、ただ名前だけを聞かされてみたところで、茫洋としたイメージのままでは探索の仕様もない」
「私も、残念ながら、その薬草の事は知りません。……どなたか、薬草に詳しい方はいらっしゃらないのでしょうか?」
 羽月の隣でリラが首を傾げる。
「オーマ、おまえ、医者だろ。薬草の知識は持ってるんじゃねえのか?」
 石壁にもたれながら、オーマを見やりつつアイザックがそう訊ねると、
「いいやぁ? 俺ぁ聞いた事のねえ薬草だ」
 オーマはアイザックの視線を受け、神妙な面持ちでかぶりを振った。
 アイザックはオーマの面持ちを見やり、わずかに眉根をしかめたものの、
「そうか」
 一言だけそう返してため息を一つ吐く。
 ふたりのやりとりを眺めていたレノックが、一瞬途切れた会話を繋げるようにして口を挟む。
「ワシは商いをやっとるんじゃがな。薬草も、むろん取り扱っておってな」
「では、スハルジクという薬草に関する情報をお持ちなのですか」
 レノックの顔を見やりつつそう訊ねる羽月の後ろから、サモンがひっそりと顔を覗かせた。
 しかし、レノックは羽月の問いかけに対してかぶりを振った。
「いいや、悪いんじゃがのう。スハルジクという名の薬草に関する噂を耳にした事がある程度でな。実際には目の当たりにした事はないんじゃよ」
 小さな息を吐き出しつつ、レノックがそう告げる。と、羽月とサモンが同じタイミングで小さなため息を吐いた。
「……では、この場にいる全員が、スハルジクそのものを目にした事はないということか」
 サモンが思案気味に呟く。
「それじゃあ話になんねえな」
 オーマが小さな唸り声をあげた。
「今は昼前だ。――どうだ、ここは一度解散して、それぞれで情報収集ってえのは」
「その方が適切でしょうね」
 羽月がうなずいた。
「じゃあ、一時間後にここで集まることにするか」
 オーマが述べた提案は、場にいた四人全員によって了承された。
「ワシは仕事仲間達をあたってみるよ。ひょっとしたら誰かひとりぐらい、実際に目にした事のある奴がいるかもしれん」
 そう言い残してきびすを返したレノックに、リラと羽月が同行を申し出た。
「せめて、形状や特徴だけでも分かれば、そこから、自生している土地の検討がつくかと思けられるのではないかと思います」
 ベルファ通りを目指して歩くレノックを見上げながら、リラがやわらかな声でそう申し出ると、レノックは横目にリラの笑みを見やって頬を緩めた。
「そうじゃな。――ワシが聞いたのは、スハルジクと呼ばれるその薬草は、ある程度の熱を有した土地でないと自生する事が出来ないという噂なのじゃが」
 ベルファ通りは、夜に見せるそれとは異なる喧騒で包まれている。
 レノックはリラと羽月と共にその雑踏の中へと歩みを進め、冒険商人達が集まる場所――大通りの市場へと向かって行った。
 一方、ファラクの前に残されたオーマは、自分に注がれている視線を受けて、所在なさげに視線をうろつかせていた。
 オーマから少しばかりの距離を保った位置には、オーマの顔をじっと見上げているサモンの姿がある。
「……オーマはどうする?」
 なんの前ふりもなく、サモンがオーマに問い掛けた。
「そうだな。――まあ、とりあえずはガルガンドにでも行ってみるかな」
「……神話を調べてみるのか」
「うん? おお、その通り。神話に出てくる名前を冠した薬草なら、ひょっとしたらなんか手がかりみてえなもんとかも、あるかもしれねえだろうしな」
 うなずきを返し、サモンの髪をさわりと撫でる。
 サモンは伸びてきたオーマの腕に、ほんの少しだけ身じろぎをしたが、
「……僕も……一緒に行く。……神話を由来としてるなら……多分、闇ルートを回るよりは、……ガルガンドの方がいいだろうし」
 赤い双眸をゆらりと細め、オーマの手がわしわしと頭を掻き混ぜてくるのを受けたのだ。が、これに気をよくしたオーマが、サモンの頬に熱いくちづけを贈ろうとした矢先――しかし、これはサモンの拳によって制されるところとなったのだった。
「――で、ところで、当の依頼人ってのはどこにいるんだ?」
 サモンの拳によって制された右頬をさすりながら、オーマはふと視線をアイザックへと移す。
 アイザックは黒衣の下でわずかに目を細め、
「依頼人は恋人を亡くした衝撃で、滅多なことでは人前に現れる事の出来ん状態だ」
 アイザックの眼光に、かすかに昏い光が宿る。オーマは真っ直ぐにアイザックの眼差しを見据えたままで「そうか」とうなずいた。
「惣之助も会ってねえのか?」
 アイザックを見据えたままで、張り紙を剥がす作業をしていた惣之助に問い掛ける。
「然り。拙者も依頼主との面識は得ておらぬ」
 涼やかな声音が返事を述べた。
 オーマは、アイザックを見据える眼差しをしばしそのままにしていたが、やがてふいと踵を返して、後ろ手にひらひらと手を振った。
「まあ、ちょっくらガルガンドに行ってくらあ。すぐに戻るからよ」
 歩き出したオーマに、サモンが小走り気味でついていく。

 惣之助は剥がし終えた紙をくるくると丸めながら、時折こちらを振り向いているサモンに向けて満面の笑みを送っている。
 アイザックは言葉を放つわけでもなく、ただ、オーマの背中を見やっているのだった。


 時はわずかに進み。

 昼を過ぎ、惣之助を交えた六人は、エルザードを離れ、ハルフ村方面へと進んでいた。

「いや、しかし、温泉とはのう。出来れば仕事を抜きにして行きたいものじゃ」
 背に伸びた一対の翼を大きく動かしながら、レノックはひとり、一行の上空を飛んでいる。
 エルザードからハルフ村までの大地には見渡す限りの平野が続き、その光景は至って平和そのものといった風情をかもしだしている。
「そうですよねえ。いつかご縁があれば、また改めて皆様と向かいたいものです」
 レノックの両翼が大きな羽ばたきを見せているのを見上げながら、リラが眩しそうに目を細ませた。
「おお、いいな、それ! おしっ、じゃあ後で予定組むとしようか。ふぅむ、混浴が望ましいなあ。この俺の上腕三頭筋、見せてやりてえしなあ。ああ、俺ぁ最近腓腹筋を鍛えるのにも凝っててなあ。いや、元々完璧なんだがな? 現状に甘んじてちゃあなんだろうしなあ」
 リラの提案は、脳内までをもマッチョ化させて目を輝かせているオーマによって肯定された。が、すかさず羽月が歩みを進め、リラとオーマとの間に体を割り込ませる。
「……しかし……」
 悪乗りしてポージングまで披露し始めたオーマを諌めながら、サモンが小さく呟いた。
「……本当に輪廻を変えられるなら……それは禁忌なのか奇跡なのか……どっちなんだろうね……」
 アゴに手をあてて思案にふけるサモンに、上空のレノックが言葉を返す。
「いずれにせよ、死んだ者を生き返らせるという行為は摂理に反したものじゃ。理に反するは、相応の代償を払わねばならぬという事。……依頼主は相応の覚悟を持っておるという事なのじゃろう」
 そう述べるレノックは、よく晴れた蒼穹のそれとは異なり、ひどく曇った表情を浮かべていた。
「その依頼を受けるとあらば、こちらも腹をくくらねばならんという事じゃ」
「……しかし、愛する者との時間を永遠のものとしたいという願い、同意出来るものでもある」
 羽月が、リラの隣をゆっくりとした歩幅で進みながら告げた。
「私も。……私も、依頼主さんのお気持ちは、……なんとなくですけれど、解るのです。私の実の父は、母を亡くした時に、依頼主さんと同じことを思ったそうです。……それに、私には夫がいますし」
 羽月に守られながら、リラの頬が薄い紅色に染まった。
 涼やかで心地のよい風が吹き渡り、一面の緑をゆったりと揺らして過ぎていく。
 惣之助はエルザードを後にしてから、しきりに、目についたもの珍しげな草花を紙にしたため続けている。
 穏やかで優しい空気が辺り一面を満たした。
 上空で周囲を見回していたレノックが、ふいと片腕を動かして前方を指差した。
「ほれ、見えてきよったぞ。温泉じゃ」

 レノックの仕事仲間達がもたらした情報では、スハルジクという植物は、草というよりも苔といった方が良いのではないかという見目をしたものであるらしい。
 ある程度の熱を有した土地にしか自生出来ないために、その目撃例は極めて低いのだという。
 一方、ガルガンドに足を運んだオーマとサモンは、古い神話の中に、スハルジクという名前を見出す事が出来たのだ。

「スハルジクってのは、正しくは、命の水を収めていた袋を指してやがんだ。昔、とある女神さんが冥界に降って病に突っ伏しちまった時、それを再び蘇らせるために使われたのが、スハルジクの水だ」
 果てなく続いていた平野は、一行の眼前で大きく開け、小さな村の入り口が姿を現した。
「……苔、か」
「自生している場所も、その特徴も知れたのですから、後は採取して帰るだけですね」
 サモンの隣で、リラが穏やかな笑みをこぼす。
 が、羽月とオーマの表情はわずかな緊張感を浮かべている。
「スハルジクを採取した者はおらぬのじゃと、ワシの仲間を言っていたであろう」
 上空を飛んでいたレノックが、不意に地上へと降り立った。
「スハルジクを採取しようと試みた者は、ことごとくに全身を焼かれて死んでおるのじゃと」
「冥界にあった薬だっつうしな。――もしかしたら、それを無断で持ち帰ろうとした奴ぁ、皆冥界の番人に殺されてんのかもな」
 オーマがぼりぼりと頭を掻いた。
「兎にも角にも、まずは行ってみなくては始まりますまい。ささ、ご一同、さっくりと参ろうではないか」
 絵筆を両手に携えた惣之助が、満面の笑顔で一行を確かめる。 
 それに緊張感をもがれたか、五人はそれぞれに顔を見合わせ、村の入り口をくぐり入ったのだった。

 温泉の噴出で賑わいを得たハルフ村には、急ごしらえで造られたのかと見受けられる宿屋や土産物屋といった軒先が並び、行き交う客がそれを端々から冷やかしていた。
 これを過ぎて源泉のある場所へと踏み入った六人は、その岩場にはり付くようにして生えている緑の姿を、ひどくあっさりと見出した。
「これがスハルジクですか」
 立ち昇る熱気――そして温泉地に特有の匂いとに眉根をしかめ、羽月が岩場へと進む。
 間近に見れば、それは、確かに苔と称するにふさわしいものだった。しかし、その色味は、とても鮮やかな緑色を湛えている。
「……思うに」
 スハルジクに手を伸ばした羽月を制するかのように、サモンが口を開いた。
「……それは、真に求める者のみが、手にする事の出来るもの……ではないのかな」
 熱気を伴った湯気が辺り一面を白く染める。
「つまり、私達ではなく、依頼主さん本人でないと、っていう事?」
 首を傾げ、リラが問う。サモンはリラの顔を見やってこくりとうなずいた。
「……冥界に降った者を、再びこの地へと戻すのは……果たして正しい事なのか、……否か」
「言ったじゃろう。――こちらも腹をくくらねばならん、と」
 サモンの迷いを一蹴し、レノックとオーマが歩みを進める。
「依頼主の恋人ってのが、どういった死に方をしたのかは知らねえがな。死者を蘇らせるってえのは、余程の例外でもない限り、理を捻じ曲げた罪咎なんだよ」
 サモンの言葉によって動きを止めていた羽月の隣で、レノックとオーマが足を止める。
 岩場は崖のような状態となっていて、見下ろす限り、緑色は噴き上がる湯の中にまで続いていた。
「それを、てめえの勝手で蘇らせようってんのは、てめえにも相手にも取り返しのつかねえ傷を残しちまうって事だ。それをてめえが愛する者に負わせる覚悟があるってんだから、今回こうして俺らに依頼してきたんだろう」
 オーマは薄い笑みを浮かべつつ、躊躇すら見せずにスハルジクへと手を伸べた。
「このジイさんの言う通りだ。――その覚悟は、依頼を受けた俺らだって背負わなくちゃなんねえもんなのさ」
 指が、緑をむしりとった。

 羽月は素早く姿勢を正し、腰に提げていた鞘から一振りの刃を抜き取った。そのずっと後方では、リラが、茨の盾を構えて立っている。
 レノックは青白く光るサンダーブリットを持ち構え、眼前に噴き上がった熱を睨めつける。
 サモンはレノックの隣で、どこか無機質な印象さえも感じられる眼差しを、真っ直ぐ前方へと向けていた。
 腰に提げていた刀を抜刀した惣之助が、合図とも言える叫びをあげた。
「魍魎にござる!」

 それは巨大な魚影のようにも見えた。巨大な魚の群れが、百度に近い水温を持った源泉の中から飛び跳ねてきたのだ。
 がばりと口を開けた魚が、スハルジクを採取しようとした者達に挑みかかる。
 ごうあ、と、地鳴りのような音が響いた。



 瓶詰めにされた苔を、アイザックがしげしげと見つめる。
「苔か」
「苔ですね」
 羽月がうなずいた。
 アイザックは羽月の顔を見やった後に、小さな息を吐き、思うように動かない体を引きずって、椅子の上へと腰を落とす。
 その動きを手伝い、手を貸していたリラが、羽月の言葉を続けるようにして口を開けた。
「依頼主さんは、やっぱりいらっしゃらないんですか?」
 訊ねたリラに、アイザックがゆるゆるとうなずく。
「――後で、俺が届けに行ってくる」
「なんなら俺が届けてきてやろうか? 俺ぁ医者だし、依頼主の具合も診れるしな」
「俺が届ける。――そういう依頼内容だ」
 申し出たオーマを一瞥し、アイザックはそう返してかぶりを振った。
 惣之助は道中でしたためてきた草花の絵に加え、源泉から現れたあの魔物の絵姿をもしたためている。――どうやら図鑑めいたものを作成しようとしているらしい。
 ややの間沈黙が訪れた部屋の中の空気を散らしたのはレノックだった。
「いや、それは一向に構わんよ。――ワシは報酬さえいただけたなら、それで何の文句もない」
 アゴヒゲを軽く撫でつけながら、レノックは青い双眸をゆるゆると細めた。
「報酬は、むろんの事、支払う。皆、怪我もなく無事な姿のままに依頼をこなしてくれた事、感謝する」
 深々と頭を下げるアイザックを、その隣でアイザックの体を気遣っていたリラが制した。
「そんな、お礼なんて。――でも、出来る事なら、私、依頼主さんとお話してみたかったです」
 ライラック色の目を細め、リラは静かに微笑んで、羽月の顔を見つめる。
「私が、もしも依頼主さんの恋人であったならって考えてみたんです。――私なら、大切なひとを遺していくのは……確かに辛いけど……でも、恋人の幸せを願いたいと思うんです」
 リラの視線を受けた羽月は、リラの言葉に、ほんのわずかではあるが、驚いたような表情を浮かべた。しかし、そのすぐ後には、羽月の表情にも穏やかな笑みが湛えられた。
「……スハルジクの効能は……実のところ、未だに未知のものであるようだ……」
 サモンが、赤い双眸をアイザックに向ける。
 アイザックはサモンの視線を受けて小さなうなずきを見せた。
「それは、そうだろう。これまでただのひとりでさえも、これを採取してきた者がいないんだからな」
「ってことは、つまり、その苔が持つ”効能”に関する噂は、もしかしたらあくまでも噂に過ぎねえって事かもしれないな」
 壁にもたれかかっていたオーマが、サモンと同様にアイザックを見据える。
「それはこれから調べていけば知れる事じゃろう。――ワシも、研究のため、少しばかり貰っていくことにするよ」
 レノックが口を挟む。その手には、アイザックに渡したものよりは一回りほど小さめな瓶が握られていた。
「俺も。医者としても興味はあるが、俺の肉体を飾るにふさわしい養分が含んでいるかもしれねえしな」
 口許を緩め、オーマが笑う。その手には、レノックと同様に、小さな瓶が握られていた。
 アイザックはしばし黙したまま、レノックとアイザックとを見比べていたが、やがて小さな息を吐き出し、うなずいた。
「――好きにしろ。……報酬は、この袋の中に、それぞれ収めてある。――悪いが、俺は少し休む。後は好きにやっててくれ」
 そう言い残し、アイザックは部屋の奥の扉の向こうへと消えていった。
 ――――スハルジクを収めた瓶を持ったままで。
   






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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【1879 / リラ・サファト / 女性 / 16歳(実年齢20歳) / 家事?】
【1953 / オーマ・シュヴァルツ / 男性 / 39歳(実年齢999歳) / 医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【1989 / 藤野 羽月 / 男性 / 17歳(実年齢17歳) / 傀儡師】
【2079 / サモン・シュヴァルツ / 男性 / 13歳(実年齢39歳) / ヴァンサーソサエティ所属ヴァンサー】
【3131 / レノック・ハリウス / 男性 / 52歳(実年齢57歳) / 冒険商人】



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          ライター通信          
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このたびは「スハルジク探索」へのご参加、まことにありがとうございました。

ソーンに個室を掘っ建ててから、これが第1回目の依頼となったわけですが、少しでもお楽しみいただけましたでしょうか。
ええと、はい。限りなく灰色な感じの結末ですね(笑)。
もしかしたらスッキリとしないノベルになってしまったかもしれませんので、もしかしたらお好みに合わなかったかもしれません。
もしもお好みに合われていましたら、今後またよろしくお願いいたします。


>リラ・サファト様
はじめまして。
このノベルを書いている間、ちょうど折りよくライラックが咲いておりました。
あの花の姿や色の優しさ、香りの優しさ。とても穏やかで、心地良い空気を覚えます。
そういった印象を、少しでも反映する事が出来ていたらと思います。

>オーマ・シュヴァルツ様
依頼でははじめましてですね。
今回のノベル中ではしきり役を担っていただくこととなりました。お疲れ様でございました。
また、ありがたいことに、アイザックに絡んでいただけたことで、わたしの思惑(笑)をも織り交ぜることが出来ました。
マッチョ親父な場面と、シリアスな場面と。書き分け出来ていましたら幸いです。

>藤野 羽月様
はじめまして。
今回はご夫婦での参加ということで、おふたりが見せる、ちょっとしたやり取りなんかを意識してみました。
少しでもお気に召していただけていたら良いのですけれど。
藤野様は日本の出自という事で、ご縁があれば、また惣之助を構いにいらしていただければと思います。

>サモン・シュヴァルツ様
はじめまして。
今回は親子でのご参加という事でしたが、仲睦まじい親子像といったものよりは、もう少しぎこちないような感じで描写してみようと意識しました。
設定上、問題などはございませんでしたでしょうか?
サモン様がぽつりと落とす言葉は、しかし、とても深みのあるものだと思います。

>レノック・ハリウス様
依頼でははじめまして。
ええと、レノック様は、オーマ様と同様に、アイザックの思惑について、お気づきなのだろうと思われます。
しかし、そういった面を色濃く描写するのではなく、そこはあえてさらりと流しておく、みたいな。そんな感じにしてみました。
ほら、商人ですし(?)。


皆様、ありがとうございました。
ご縁がありましたら、またお会いできればと、切に願いつつ。