<東京怪談ノベル(シングル)>


黒の帳に叫ぶは闇


 全部消えちまえ、と、それは云った。
 地獄の底を引き千切ったような、穢れた叫びだった。
 けれど、純粋な、祈りだった。


「アセシナート公国?」
 その名を聞くのは、オーマにとって、随分と久し振りのことであった。
『えぇ、恐らくは。』
 立体ヴィジョンの女性は、沈痛な面持ちで肯く。
『アセシナートの旗をかざしていましたから。』
  ターゲットにされた国から送られてきた立体ヴィジョンには、ひとりの女性が佇んでいた。
 心細げに身を縮こまらせた彼女は、そう華美で無い装いからして、恐らくアセシナートに狙われて戦地国となってしまった国のただの連絡係であろう。
『公国は少しの兵と、ひとつの兵器しか携えてはいませんでした。けれどそのたった一つの兵器が―――恐ろしい、ものだったのです。』
「……その、兵器ってのは?」
 女性は恐る恐るといった様子で、オーマを上目遣いで見る。立体ヴィジョンが少しだけぶれた。彼女の動揺を写し取っているのであろうか。
『……解りません。私達には理解し得ない力です。』
 その悲惨さを思い出すように、彼女は身を震わせる。
 彼女の眼に映る恐れと畏怖と戸惑いが、オーマの意識の底をざわめかせた。これまで幾度もオーマを掴んで揺さぶる、この感覚。風に震える梢のように、反響して、ざわめいて、止まらない。……得体の知れぬ力。ウォズ、だろうか。公国ならばウォズの力を使うことなど、何の躊躇いも無いのだから。
 ―――アセシナート。
 強大であることに妄執した、危険な国である。異なるものや、禁忌とされるものでさえも躊躇わず使用し、近隣に恐れられていた。いつからかゼノビアの持つヴァンサーやウォズの力を求めるようになり、その度幾度と無く戦いを繰り広げてきた国だ。
『あれはきっと魔の力なのです。人に在らざる力。大きな竜が民を食い、無数の火の玉が町を焼き、刺すような寒風が草木をすべて枯らしてしまいました。……―――ッ、私達では、どうすることもできない、』
 その力は具現だ。間違いない、オーマも持つ能力。しかし有機無機とサイコロの眼のように変わるその具現能力は、一体何なのであろうか。国一つを滅ぼさんとしている超越した能力―――そんなもの、おいそれと在って良い筈は無いのだが。公国は何をしようとしているのだろう。
 女性は唇を噛み、だからどうか、と続けた。
『どうか、私達を……私達の国を、お助け下さい。近くの国にも、アセシナートに攻撃された処が在ると聞きます。このままでは―――』
「あぁ、解った。―――任せて良いぞ。あんたの目の前にいる奴は、頼れる男さ。」
 にか、と笑顔を向けてやると、女性は涙の滲む目元を綻ばせた。藁にも縋る気持ちなのだろう。
 お願い致します―――と、深々と礼をし、ヴィジョンは消えた。
 途端、部屋に怜悧な静寂が満ちる。見ればもう、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「アセシナート……か、」
 胸騒ぎは止まない。まるで、どこかで警鐘が鳴り続けているようだった。けれど、原因の見当は、話を聞いて既に付いていた。意識の奥底を掴んで離さないこの波動は、十中八九ゼノビアの力が関わっている。公国はどのようにしてか、ゼノビアの力を利用する術を手に入れたのだ。
 ―――何にせよ、行ってみなくちゃなんねぇな。
 窓の外を眺めながらそう決意を固めたとき、ここからは見える筈の無いその国の戦火を、オーマは暗闇の中に見出した気がした。

+  +  +  +

 白煙が、ひとの上げる悲鳴が、その土地には渦を巻いていた。
 オーマは小高い丘に立ち、街を見下ろしていた。市街から少し離れたその場所にまで、死臭が漂っているのが解る。
 そこに、救いなどは微塵も無かった。足元には血溜り。目の前には剣閃。街に広がるのは、命が命に蹂躙され潰えてゆくその様、であった。
 思わず眼を伏せる。その光景は、否が応にも、はるか昔の『あの戦争』を思い起こさせるものだったからだ。
 ……たすけて、たすけて。
 聞こえてくる声も、漂う硝煙と血の匂いも、総てが同じであった。ともすればふらりと揺らぎそうになる心を、オーマは奮い立たせる。今は悼む時でも、愁う時でも無い。今は―――救う時だ。
 オーマはひとつ呼吸をすると顔をあげ、首を巡らす。オーマの立つ位置から真っ直ぐ正面、街の中心に、城ほどもあるおおきな塊が鎮座していた。固まった溶岩のように、ごつごつとしている深い灰色の何か。
 一目見て、オーマにはそれが何であるか理解できた。あれは―――異形だ。
 オーマも何度か眼にしたことのある、ウォズと聖獣の子。膚で感じる波動はいままでの彼らと同じものであるのに、しかし目の前の異形は、とても醜い姿をしている。使者は如何にでも姿を変えると言っていたから、あれが本来の姿では無いのかも知れないけれど。
 異形は街の中をのろのろと進み、触れた人間を取り込んでいた。泣き叫んで逃げる人間など見えていないように、時折体を震わせて光を放つ。それは高熱線のように建物を溶かし、ぼう、と街を焼く紅い炎を増やしていった。
「酷ぇもんだ……みんなみんな殺して、何が残るっつーんだよ」
 オーマは足に力を込め、跳躍した。
 眼を凝らし、アセシナートの旗を捜す。焼け落ちた建物に、勝利を示すように旗が幾本も突き刺さっていた。衰えを見せぬ戦の煉獄に、オーマは降り立つ。累々と屍が重なる路地裏を走ると、大きな通りに出た。
「―――ッハ、見つけたぞ、羊ィ!」
 途端、アセシナートの紋章を胸当てに彫った兵士が、剣を振り被って襲い掛かって来る。オーマは眉ひとつ動かさず、瞬時に具現化した細身の棍で斬撃を受け止めた。ぎちぎちと、武器同士が競り合う音がする。
 近づいた兵士から、濃い血の匂いが鼻をつく。見れば彼は鎧一面に血を浴びており、所々乾き始めた血液が、動くたびにぱりぱりと剥がれ落ちていた。
「あン?お前、その棒何処に仕舞ってやがった?往生際悪ィぜ、これからすぐ死ぬっつーのによぉ―――!」
 兵士が競っていた剣を離し、再び振り被るその動作を見て、オーマも棍を構え直す。碌な訓練してねぇな、お前さん―――そう云おうとしたその瞬間、目の前の兵士を、巨大な衝撃波がなぎ払った。
「―――!?」
 オーマは驚き、衝撃波の飛んできた先を見た。倒壊した建物の先には、異形が暴れている。見れば、他のアセシナート兵たちも衝撃波の餌食になっていた。くず鉄になった戦車も転がっている。すわ仲間割れかと見渡したが、相変わらず街の住人たちも攻撃を受けているようだった。
「見境無く攻撃してやがる……どういうこった、」
 オーマは唇を噛み、異形へ向かって駆け出す。いつの間にか街の上空には雲が集まり、あたりは沢山の死を悼むように、ほの昏い闇へ沈んできているようだった。

+ + + +

「―――……何だ、こりゃあ」
 異形に近づくにつれ、オーマの意識へなだれ込んで来るものが有った。……異常なまでの、哀しみの念である。言葉にならないままの原始的な感情が、大きすぎる音で鳴り響いている。酷い耳鳴りがした。哀しい、哀しい、哀しい、哀しい、哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい哀しい―――ただ純粋な哀切の情だけが、異形の意識を満たしている。
 オーマは立ち止まって眼を瞑り、精神感応の能力をいっぱいに開いた。異形の意識の底へダイヴする。暴れる彼を静める方法が、或いはそこに有るかも知れない。……人間の感覚とは違う、ヴィヴィットな情景が波のように断続的に寄せる。
 細い蜘蛛の糸を辿るようにして、オーマは哀しみの根源を探る。
 何処だ。
 錆び付いた意識の扉の向こう、に―――両親であろうウォズと聖獣が、見えた。美しい者達だ。その二匹の間をちょこまかと走り抜ける子犬のようなものは、恐らく、この異形なのだろう。今の姿とは似ても似つかぬ、愛らしい風貌をしていた。
 次のヴィジョンは、両親が二匹とも培養液に浸かり、虚ろに開いた眼で何処かを見詰めている姿だった。培養ドームの隅に、さっき見たアセシナートの紋章が刻まれている。オーマの背筋がざわりと騒ぐ。こいつの両親はアセシナート実験に使われて、殺されたのだ―――。
 オーマはさらに記憶を探る。感応しているため、オーマ自身の胸もずきずきと、耐えられぬような哀しみに満ちてきていた。
 両親を失った哀しみにうちひしがれ、アセシナートを憎んだ。具現の力そのものである彼は、ゆるゆると姿を変えていった。愛らしい子犬ではなく、全身が黒くひび割れた醜い岩のような怪物へと。あの姿は、哀しみと憎しみが彼を溶岩の如くぐちゃぐちゃに溶かしたせいであったのだ。
 長い年月がたっても、その感情は一向に癒えない。むしろ強く強く彼を縛り付けて、離すことは無かった。

 顔を上げると、異形は変わらず街と公国軍とを見境無く攻撃し、どちらにも壊滅的な被害をもたらしていた。おぉぉ、と一際大きく叫ぶ。その声は、みんなみんな消えちまえ―――と、そう云っているようだった。異形はぐねぐねとうねり、体の中から青白い光球を吐き出した。
 すると、光球からオーマの周囲に至るまで、空気の温度がふわりと上昇する。
 まずい、あれは恐らく、街を最後まで灼き尽くす為の―――。
 そう思った瞬間、その光球が磁石に引き寄せられるように、上空へと浮かびあがり始めた。雲の切れ目へ向かうそれは、今しも天に召されようとしている魂のようで、オーマは場違いな感慨を抱いてしまう。けれど―――雲の波間から現れたのは、けして天使などでは無かった。
「―――あれは!」
 オーマは息を呑む。

 光さすうつくしい雲間を裂いて現れたのは、ゼノビアの空中浮遊大陸ゼノスフィアが一つ―――ウォズゲイズ、であった。

 ウォズゲイズは異形の生み出した高熱球を大陸全体でするりと受け止め、欠片も残さず吸い取ってしまった。幾何学的な巨体が、満腹になった醜い獣のように僅かに震えた。異形は動きを止めて、ウォズゲイズに見入っている。逃げ惑っていた民たちも皆、あっけにとられたように大陸を見上げていた。
 ごうんごうん、と鈍い音を立てながら、ウォズゲイズが形を変えてゆく。みるみるうちにそれは巨大な要塞へと変わっていった。茫っと見詰めるだけの民をせせら笑うように、中央に鎮座する砲台が軽い動きでこちらを―――向いた。
 ウォズゲイズ。
 異端を何よりも憎み、厭い、自然の摂理に反したもの、と悪にする、反異端連合国家の中枢。異形と、序でに公国やこの街を亡き者にし、異形の持つ強大なエネルギーを我が物とするためにやってきたのだろう。
 こちらを向いたままの砲台の先へ、大気中のエネルギーが集まってゆく。きぃぃん、と、耳障りな音が響く中で、異形は再び大きな咆哮をあげる。黒い体を震わせると、異形は巨大な竜に変化した。骨ばった翼を広げ、真っ直ぐにウォズゲイズへ突進する。哀しい、哀しい、消えちまえ、消えちまえ―――哀しみと憎しみを意識の中枢へ抱え込んだまま、異形はその嘴を開け、もう一度火の玉を吐き出そうとする。
 哀しい、哀しい、哀しい、消えちまえ。みんなみんな、この世界なんて。精神感応をしているオーマの中に流れ込んでくる、切なる祈りに似た感情。異形は自らをも、憎しみの対象としていた。両親を救えなかった自分を憎んでいた。
「莫迦野郎、ッ」
 知らず、オーマは叫んでいた。
 憎しみが産むのは、新たな憎しみと破壊だけだ。永くを生きてきたオーマには、確固たる真理としてそれを心に刻んでいた。憎んで憎んで、自分の命すら投げ出しても、荒野に残るものは呪詛と怨嗟だけなのだから。
 オーマの瞳が紅の色味を増し、漆黒の髪の毛は怜悧な銀へ、そしてその顔が、まだあどけなさを残す青年の容貌へと変じていったが、オーマの意識には異形の幼い頃の姿、失われてしまった両親と戯れている至上の表情だけが浮かんでいた。

 ―――オーマは迷うこと無く、力を解放する。
 
+ + + +

 ウォズゲイズが放った閃光と、異形が放った灼熱は、ほぼ同時であった。
 まるで無慈悲な神がいたずらに落とした花火のように、そのひかりは街を埋め尽くした。建物も、アセシナート軍も、民も、動物も。そのひかりと熱が、そこに居る総てのものを焼き尽くさんとしたとき―――うつくしい水青のひかりの洪水が、その国を覆った。
 その水青はシャボンのように総てを覆い、そして隔てた。みなが戸惑い、驚いている街の中へ、いつの間にか翼をもった大きな銀色の獅子が佇んでいた。
 獅子は首を巡らし、時の止まったように動かない街をぐるり見渡すと、暗くなり始めた空に向かって、ひとこえ吼える。
 途端、ウォズゲイズを取り巻いていたバリアの膜が、水中で踊る気泡のように、ゆるゆると動き始めた。膜はゆっくりと、透き通る水青から昏く重い鈍色へと変じて、次第に透明度を無くしてゆく。夕暮れの空よりもっと昏い、闇色となったウォズゲイズは、空に溶けるようにすうっと消えていった。
 銀色の獅子―――オーマは、ウォズゲイズをゼノビアへ押し返したのであった。ウォズゲイズが通れるほどの道を作り、その大陸をこちら側から送り出す―――以前にも行った、ゼノスフィアの被害を最小限に抑えるための手段である。激しい思想の元に動いているウォズゲイズは、ヴァンサーであるオーマの言を聞き入れることなどしない。あちらから見れば、オーマは単なる餌なのだ。異形を殺させず、民を守り、ウォズゲイズも傷付くことの無い最善の道は、オーマの考え付く限りではこれであった。
 そして、オーマは異形へ歩み寄る。バリアに覆われた異形は尚も暴れ、バリアも自身も関係無く力を放出し、幾つもの傷を作りつづけていた。異形から発せられる哀しみと憎しみは一向に収まる気配など無く、みんな消えろ、消滅してしまえば良い―――と、祈りにも似た狂念と化してしまっていた。

 異形の眼は、深い深い、昏い昏い、闇色をしている。

 オーマは今まで何度も、こんな眼を持つ者と会う事があった。彼らは一様に、自身の命より重い哀しみにうちひしがれ続けていた。その痛みを、悼みを、傷みを、消し去ることなど出来はしない。こころに根ざした痛みは、けして消えることは無いのだ。
 だからオーマは―――その傷を、見えぬようにしてやるしか出来ない。
 オーマは異形の目の前で足を止めると、その醜い体に向かって大きな翼を羽ばたかせ、ふわりと仰ぐようにした。造られた風が、彼のバリアを、花びらのように細かく散らしてゆく。

 ―――水青の奔流が街を覆い、民たちの視界を奪い、その国は一瞬だけうつくしい星のように光った。

 奔流が途切れ、民たちが眼を開けると、そこには有翼の獅子も黒い異形の姿もアセシナート兵の姿も無く、ただ夢のように、瓦礫の山が佇んでいるだけであった。

+ + + +

 シュヴァルツ病院の中庭に、子供たちのはしゃぐ声がこだましている。
「おーませんせ!おーませんせ!いま、すっごい楽しいから、お薬のじかんはあとにしてね!」
「おいおい、あんまりはしゃぎすぎんなよ。そんなに楽しそうにしてっと、オーマ先生がミラクルマッチョに参戦しちゃうぞ★おーりゃ!」
「きゃあ!やだ、やだやだ!おーませんせ、くすぐったいの!」
 やんちゃっ子少女へくすぐりを敢行しているオーマの胸に、一緒に遊んでとでも言うように、白い子犬が飛び込んできた。わん、と愛らしい声で吼えるその犬を、少女が笑い涙を拭きながら抱き上げる。
「せんせ、この子、ちょっと前から居るねー……。名前、なんてゆうの?」
「ん?名前か。名前ね……どうすっか、今度、センスの良いのをみんなに考えてもらうか。」
 オーマは少女の頭をぐりぐりと撫で、子犬を見詰めた。うつくしい漆黒の瞳が、オーマを見返す。

 すこし前から、病院の中庭に、子犬が一匹放された。
 毛糸玉のように柔らかい白い子犬は、いつも中庭の緑の上で転げ周り、子供たちと楽しそうにじゃれ合い、いつも笑っているような顔をしている。けれど子犬の持つ瞳だけは昏く深い漆黒で、子供たちは時々、その瞳の重さにはっとする。
 そして彼らは、子犬が寂しくないよう、ぎゅっ、と抱き締めてあげるのだ。
 すると子犬は、きゅうん、と、嬉しそうな鳴き声を上げる。しあわせそうに、身をあずける。
 ―――その表情はもう、傷みも悲しみも憎しみも忘れてしまっているようだった。
 子犬は楽しそうに、いつも芝生を転げまわり続けている。

 オーマは子犬の頭も、すこし乱暴に撫でくりまわしてやった。
 子犬が少し、笑った気がした。




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ライタァより:

いつも発注有難う御座います、青水リョウです。こんにちは。
今回も少々納品が遅れてしまいましたこと、お詫び申し上げます;
申し訳御座いませんー!

さて、今回は本編寄りシリアスということで、気合を入れてミリタリーさせて頂きました。
いつもとはすこし毛色の違うものが出来上がったと思います。
発注文を頂くたびにオーマ氏の色んな側面を見るのですが、書いている内に伝わってくるのはいつも同じく、ハートウォーミングならぬマッチョウォーミング(笑)なオーマ氏のココロなのですよね。
そういう風に私が感じている事を、すこしでも文章に表せていたら素敵だと思うのです。

いつも素敵な枠をご用意くださって、本当に喜んでいます。
今回も、ご発注、誠に有難う御座いました。
では、又の御縁を、うつくしい銀色のたてがみに願って。

   青水リョウ