<PCクエストノベル(5人)>
ミッドナイトコネクション 〜底無しのヴォー沼〜
──冒険者一覧──────────────────────────────
【1953/オーマ・シュヴァルツ/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2081/ゼン/ヴァンサーソサエティ所属ヴァンサー】
【2082/シキョウ/ヴァンサー候補生(正式に非ず)】
【2083/ユンナ/ヴァンサーソサエティマスター兼歌姫】
【2086/ジュダ/詳細不明】
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■
ユンナ:「んもぉー…‥・遠い、疲れたぁ、飽きたぁ、まだあぁ?」
ゼン:「ヤ……まだ馬車から降りて5分も歩いて無ェだろうがヨ……」
湿地帯独特の柔らかな土が、新調したてのミュールの踵を侵食するのでユンナが音をあげた。少し前のほうをちょろちょろと、指先に千切れた蜘蛛の糸を振り回しながらシキョウが走り回っている。
オーマ:「あんま遠くに行くなよ、かついで持ってかれんぞー!」
シキョウ:「だいじょーぶなのね〜! もう蜘蛛さんのでないとこまで来たんだも〜ん♪」
都から湿地帯の入り口までは、馬車。
そこより南へは、道が柔らか過ぎて車輪が取られてしまうからと馬車主に断られてしまった。
かと云って、ここより南方へ足を向ける旅人たちがいないわけでもない。
ゼン:「ッたく……ヒトのこと荷物持ちだとかに駆り出しといて、方や『疲れた』、かたや『蜘蛛さん怖い!』って……」
オーマ:「案ずるな……こうなることは旅立つ前から解り切っていたことだ」
ユンナ:「ちょっとぉ、肩貸して肩。乗るから」
ゼン:「──そもそもがお前らの着替えやら何やら担いで抜けちまいそうな両肩の、どこに女ひとり乗せる場所があるって……?」
事の始まりは、『疲れた』魔人と蜘蛛嫌いの、女ふたりの申し合わせだった。
きらびやかな都・ソーンよりずっと南に下った場所に、ヴォーと呼ばれる沼地がある。湿地帯のずっと奥に位置しており、沼地部分の大きさこそそれほど大きなものではなかったが、数十年前より『ヴォーは底なしだ』と云う噂がまことしやかに囁かれるようになった。
濁った水の底には、なるほど確かに、澱のように黒い汚泥が積もっている。
が、1ヶ所だけ、濁り切った水がすぅっと透明になり、汚泥が見透かせる場所があるのである。水の流れも風も、周辺に特別な地形の変化があるわけでもない。だのに、この水の透明度はどうしたことだろう──そう思い、透明を求めてその部分に近づくと。
まるで、水の底に見えぬ重力でも働いているかのように、足から汚泥の中に吸い込まれていってしまうのである。
ゼン:「おい、ヴォーに到着しても、沼には絶、っ対! 近づくなよ?」
シキョウ:「だいじょーぶなの〜、わかってるの〜!」
ゼン:「俺らの目的は、沼地なんかにゃこれっぽっちも無いンだかんな? 買い物だぞ、買い物。ぬかるんでるとこには近づくな、むしろ俺らから、離れるな」
シキョウ:「ぴっちりはっきりリョウカイなので〜す!」
が、底なしのヴォー沼の底には、金銀財宝が眠っている──噂が人々の口にのぼるときは、決まってそうも続けられる。一生遊んで暮らしても釣りがくるほどの財宝がヴォーの底には眠っていて、勇気ある者がそれを掌中におさめる日をまち続けているのだ、と。
しかし、そんな戯言は、日々汗水垂らして働くようになってから云え、とゼンは常々思う。一見、外見も内面も派手に見えるこの少年は、しかしそんな頑固な一面も持ち合わせていた。彼自身、決して勤勉なわけでも、裕福を知っているわけでもない。が、だからこそ、『遊んで暮らしてもあまる金』を、己が欲することは悪である、と云う気持ちが働くのだ。
ユンナ:「確かにね……お金も宝石も好きだけど、自分の手を泥で汚してまで欲しいとは思わないわ。なんだったら、私の代わりにヴォーに飛び込んだって良いのよ、ゼン?」
ゼン:「超絶ありえねー」
シキョウ:「ん〜、でもぉ、今日は絶対、桜染めなんだよ〜! ユンナの髪とどっちがきれいかなあぁ?」
そんな噂を頼りに、ヴォー沼に足を運ぶ者は決して少なくない。そして、足を運ぶ者を相手にした商売を始める者が現れ、その数は年々増していき──今では、ヴォー沼のほとりはちょっとしたキャラバンの趣も芽生え始めるようになっていた。
特に、長くつらい冬の雪解けが始まるころから、今にかけて、冬越えのために蓄えを失った者たちがヴォーの財宝を求めてやってくる、この時期。
各地域の気ままな名産品がヴォーに集う、桜祭りがひらかれることとなったのである。
その桜祭りに、今年は東方秘伝のあでやかな桜染めが集められると云う。
うつくしい素地で仕立てられる美しい衣服は、女の心をがっちりと惹きつけ、離さない。
ユンナ:「これって思う染めものが見つかったら、私にきちんと報告するのよ、シキョウ? 独り占めなんて考えてはダメよ、絶対に」
シキョウ:「そ、そんなことしないよぉ! ユンナといっしょ、ユンナとおそろいのを買うんだもん!」
オーマ:「ああ、もう、やかましいッ。お前ら黙ってかつがれてろ」
ゼン:「オッサン、それかなり人知超えてるよ」
ユンナが茶々を入れれば、シキョウが本気になって反論する。
己の周りをちょこまかと──オーマから見れば、うっかりすれば踏みつぶしてしまうのではないかと思われるほどの小型犬サイズである──はしゃぎまわるふたりを、山のように荷物を抱えたオーマがさらに両腕でがっしりと抱え込み、事も無げにそのまま歩を進め続ける。
オーマ:「お、見えてきた。盛大だな……なんで底なし沼のほとりで祭りなんかしてんのか、わけわからんけど」
ほんのりと、南の方では嗅ぎ慣れない、甘酸っぱい桜の香りが鼻をかすめる。
その香りに誘われるように、一同の──厳密に云えば、己の足で大地を踏みしめ歩くのは男2人のみであったが──足取りが、ほんの少しだけ早くなる。
おぼろげに霞んで見えるだけだった露店の軒が次第に近くなっていき、ユンナとシキョウが揃って感嘆の声をあげた。
ユンナ:「……わ……!」
シキョウ:「すごい! ねえね、すごいね〜! こんなにいっぱいのピンクいろ、すっごいねえ〜!」
ユンナ:「見て、左手の奥。あそこの露店の前が、人だかりになっているわ」
オーマ:「ハイハイ……暴れんなよ、他の客に靴の踵が刺さるぞ」
ゼン:「ッたく五月蝿ェ荷物だなぁ」
そうなれば男性陣ふたりは、我を忘れた女性陣ふたりの乗り物と荷物持ちでしかない。多少は毒突き抵抗を見せるものの、逆らうことはせずに、ユンナがぴしっと指さした露店の方へと歩み進めていく。
露天商:「桜染めは、安物を選んじゃいけませんゼお嬢さん。良いものを選んで、その分だけ長く使うのが通ってやつだ」
ユンナ:「その考え方、嫌いじゃないわ。そこの絹織りと、麻織り。あとはそうね……これ、と──」
シキョウ:「ユンナ、これ! この肌がけ、おそろいがいいよ〜!」
露天商:「ふたり揃って目利きだねェ?」
ユンナ:「そうね、シキョウ。それ、私が買ってあげるわ」
シキョウ:「わぁ〜い★」
ぴ、ぴ、と手早く品物を選別しながら、なおかつシキョウが手に取る素地の品定めもしてやるユンナの後ろ姿は、さながらワゴンセールに夢中になる婦女子そのものの様子で、そこに平素の女王然とした彼女の言動とのギャップがあり面白い。
ゼン:「──俺らの入り込めない世界だ……」
オーマ:「買い物に夢中になってる女には絶対逆らっちゃいかん。お前も学んだな」
ゼン:「オッサンが云うとやけに説得力あるよな……ア。受け取ってやろうぜ、あいつらまだ選ぶ気だ」
辺りを見回せば、確かに、シキョウとユンナが夢中になっている露店に、1番の人だかりができている。東方秘伝の桜染めと云うやつは、それほどまでに女心をつかむものなのだろうか。
人の波に押されながら、それでもなんとかユンナとシキョウの側へと辿り着き、買い物の包みを受け取ってやる。
露天商の眼差しが、ユンナの腹あたりに注がれていることは、だから誰も、気付くことはなかった。
■
祭りのシーズンに照準をあて、いくつか展開されている小さな宿のひとつに泊まった。
観光地のような栄え方をしているとはいえ、周囲に観光すべき名所などがあるわけでもない。唯一、ヴォーの沼だけは、眺めてみれば話のタネにはなりそうではあったが、こちらは仔犬のようにそこらを駆け回る子供連れである。沼地の見学など、危なっかしくて仕方がない。
ユンナ:「ねえ、朝ご飯が済んだら、もう1度露店を眺めに行くわ」
薄いトーストを、ぬるいミルクで流し込みながら、ユンナは3人に向け、おごそかにそう曰った。
ゼン:「昨日あんだけ目の色変えて買い物してただろうが」
ユンナ:「でもね、私、気付いてしまったの。『1番良い』と云われてる品物だけを持って帰ったんじゃ、比べるものがなさすぎて、『1番』であることの感動が薄れてしまうんじゃないかって」
ゼン:「…………」
シキョウ:「ユンナにさんせい〜★ きょうはぁ、ことしの桜祭りで、『2番目に良い』っていわれてる露店のぉ、桜染めをみるのぉ!」
ゼン:「わーったよ……2番目でも3番目でも好きにしろ……」
オーマ:「お前らが買い物に飽きるのと、俺らの腕が抜けるのと。どっちが先か賭けるか……」
揃って、軽装で外に出た。
買い物モード、物欲モードに切り替わった女たちの後ろを、しおしおと荷物持ちペットたちが付いて歩く。
ユンナ:「実はね、昨日のうちに、『2番目に良い』桜染めを出してる露店をチェックしておいたのよ」
ゼン:「げぇ。今日の買い物も確信犯かよ」
シキョウ:「ユンナ、あったまいい〜!」
ユンナ:「ふふっ。こっちよ、昨日の露店のまたどなりに、──」
軽やかに3人の前を歩いていたユンナの足がぴたりととまった。途切れた言葉の先を続けないまま、ユンナがきょとんとした目をまたたかせている。
ユンナ:「──ねえ。昨日、私たちがお買い物した露店って、確か……ここにあったわよね……?」
露店は、忽然と姿を消していた。今はもう、昨日見た品物のうちの、あでやかな桜色の欠片もそこには残っていない。
あれだけ濃密であった上品な桜の香りも、風に吹かれてあとかたもなかった。
ゼン:「ああ。昨日は確かに、ここにあったと思うけどよォ」
ゼンは同意を求めるようにオーマを見た。その視線に気付いたオーマが、首を縦に動かす。あちこち引っ張り回され、荷物持ちとしてしか扱われなかった代わり、店の場所などを覚えておく余裕はあった。
シキョウ:「もしかしたらぁ、ぜんぶうりきれちゃって、かえっちゃったのかなぁ〜?」
オーマ:「それならありえねぇ話じゃねぇが……」
ユンナ:「あまりに人気すぎて商売がしづらくなったから、場所を変えたのかもしれないわね」
しかし、念のため通りがかった観光客に聞いてみると、返ってきた答えは予想外のものだった。昨日からそこに露店は出ていなかった、と云うのだ。その後も何人かの観光客をつかまえて聞いてみたが、答えは全て同じだった。
納得しきれぬ不可解さを心に残したまま、一向はユンナの見つけていた『2番目に良い桜染めの店』の方へと向かうことにした。
だがその途中、昨日の着物露店の賑わいに勝るとも劣らない人だかりが、沼のほとりにできていた。
シキョウ:「あぁ〜! ねぇ、あそこにうつったんじゃないかなぁ〜?」
いち早く人だかりを見つけたシキョウは、ぱっと顔を輝かせてそちらを指差す。今にも駆け出していきそうな雰囲気だ。
だが他の3人は、その人だかりが陽気な賑わいが生んだものではないと、感覚的に察知していた。
ゼン:「おい、オッサン。ちッと行ってみようぜ」
オーマ:「そうだな。ユンナ、お前はシキョウと一緒に、そこらをぶらついて──」
ユンナ:「いいわ、一緒に私たちも行くわよ。乙女ふたりを放っていくのは無粋だと思わない?」
近づいていけば、その人だかりは物々しい空気に包まれていた。この沼の付近の住人はもとより、野次馬気分の観光客も大勢混じっているようで、普通の大人より頭ふたつぶんは背の高いオーマでも、なにが起こっているのか見ることができない。
それに苛ついたユンナが、そばにいた観光客に事情を聞こうとした、その時だった。
村人:「おい、こいつらだ! このでけぇのと、隣にいる髪の赤ぇねぇちゃん! おンなじ模様がついてんぞ!」
その声に人だかりはざわめきを増し、視線が一気にオーマとユンナへ集中した。反射的にふたりは警戒を強めたが、なにがなんだか状況がよく理解できない。
と、人だかりが少しずつ割れて、奥から初老の男が姿を現した。男はオーマとユンナを見つけると、頑固そうな顔をしかめながら、ふたりの前まで歩いてきた。
初老の男:「お前さんがた……その体の紋様は、どこで付けたものなのかね?」
ユンナ:「紋様って……もしかして、これのこと?」
質問の意図が分からず、少し沈黙してしまったふたりだったが、先にユンナが気付いて自分の腹部を細い指で示す。
そこにはヴァンサーの証とも云うべき、ソサエティのシンボルエンブレムが刻み込まれている。オーマも、エンブレムが刻み込まれている自分の胸元へ、手を当てていた。
オーマ:「こいつがどうしたってんだ? そこらの店に売ってるような代物じゃねぇんだが、これは」
初老の男:「ならば尚更、こちらに来てもらおうか」
状況が飲み込めぬまま、オーマとユンナは男に続いていく。ゼンとシキョウも顔を見合わせたのち、ふたりの後ろに付いていった。
次に目にした光景は、凄惨なものだった。沼のほとりに艶やかな桜の花びらが散っている。しかし、その花びらは着物に描かれている桜のものであり、その着物を身に付けているのは、まぎれもなく人間だった。いくつもの女性の死体が、沼のほとりに寝ているのだ。
死体は『川』の字のように整然と寝かされ、着物が肌蹴られているものも多い。それが単なる破廉恥な行為でないことは、陶磁器のように白くなった彼女らの肌に刻まれた、見覚えのある紋様が語っていた。
ゼン:「……おい、なンだよ。どうして『そいつら』に『それ』があるんだ!?」
最初に反応したのは、後ろから顔を出したゼンだった。その紋様は間違えようもない──ソサエティのシンボルエンブレムだったのだ。
ヴァンサー以外の者が身に付けられるはずのない、因果と責務の証。
違和感に気付いたオーマは、制止を無視して死体のひとつに近づき、その着物に触れてみた。
オーマ:「こいつは──ただの着物じゃねぇ、ヴァレルになってやがる……」
ユンナ:「なんですって?」
ゼン:「おい、マジか!?」
オーマの言葉に、ユンナとゼンが同時に反応する。
ヴァレルとは、ヴァンサーがウォズと対峙する際に見に纏う、戦装束のようなものだ。だが、ソーンにとって『場違いな存在』である彼らは、自分の身を守るため日常的にヴァレル姿でいることが多い。
逆に考えれば、ヴァンサー以外の者がヴァレルを身に付ける必然性は、皆無とも云える。
初老の男:「どうやら無関係ということはなさそうだ。話を聞かせてもらえるかね」
ユンナ:「話、って……まさか、『これ』を私たちがしたと思ってるんじゃないでしょうね?」
シキョウ:「シキョウたち、きのうから、おかいものしてただけだよぅ〜……」
オーマは死体となった彼女らの体に刻まれたエンブレムと、実はヴァレルと化していた桜染めの着物を見つめながら、思考に耽っていた。彼女らがヴァンサーであった可能性は考えづらい。だが、ヴァンサー以外の者がヴァレルを身に付けなければいけない状況というのも、また考えづらいことは確かだった。
しかもこの桜染めの着物は、今日になって忽然と姿を消していた、あの露店で売っていたものと酷似している。
こんな状況では、自分とユンナが疑われてもおかしくない。ゼンは背中にエンブレムがあるおかげで、普段は人の目につきづらいが、ふたりはそれを隠すことなく堂々と晒している。なにか関係があると考えるのが普通だろう。
オーマ:「仕方ねぇ、ユンナ。やってねぇもんはやってねぇんだから、話聞きゃ分かってもらえるだろ」
ゼン:「あァン!? ちょっと待てよオーマ、てめぇ濡れ衣着せられてンの分かってんだろ?」
ユンナ:「──しょうがないわね。シキョウはゼンと宿に帰ってて? 私たちもすぐ戻るわ」
シキョウ:「ウン……わかったぁ……」
ゼン:「ちょッ、……こっちはまだ納得してねェンだぞ! おいコラ、勝手に──」
初老の男が合図をすると、オーマとユンナはすぐに大勢の男たちに取り囲まれ、ゼンとシキョウは輪の外へと追い出されてしまった。悪態のつき足りないゼンだったが、こうなってしまってはどうしようもない。
心配そうに見つめるシキョウから顔をそむけ、舌打ちをひとつしてから、気を取り直して宿の方へと歩き出す。
シキョウ:「ねぇ〜……、ユンナたち、なにもわるいことしてないよねぇ〜……?」
ゼン:「昨日からずっと一緒にいたンだ、できるはずねェだろ。ッたくよォ、人が善すぎんだ」
毒づきながら宿まで帰ってきたはいいが、オーマとユンナが戻ってくるまでは、出歩くわけにもいかない。
これからなにをして暇を潰そうかと、ユンナとシキョウが泊まっている部屋の扉に寄りかかりながら、ゼンはぼうっと考えていた。人だかりに揉まれたいせいで、汗をかいて気持ちが悪いとかで、シキョウは部屋のなかで着替えをしている。なにに怯えているのか、ゼンに部屋の前にいてくれとお願いしてきたのだ。
シキョウ:「うぅ〜、ひとりできがえるのってたいへんなんだよぅ〜……」
扉の向こうから悪戦苦闘する声が聞こえてくる。
ゼン:「なンだ、そんな苦労するような服持って来ンじゃねェよ」
シキョウ:「違うよぉ、着物って、ひとりで着るのは大変なんだよぉ〜、…………」
ゼン:「着物……? ここで買うのに、わざわざ替えの着物まで持ってきてンのかてめぇは──ッて、ちょっと待てッ!」
悲鳴を覚悟でゼンは扉を蹴り開けた。鍵はかかっておらず、幸いにして扉を壊さずには済んだが、既にシキョウは着替えを終えて、元着ていたものを片付けているところだった。勢いよく部屋へ入ってきたゼンに、驚きの表情を向けている。
ゼン:「だから、その着物は止めとけッつって……」
そういえば、注意し忘れていた、とゼンは思い出した。あの光景を見たあとで、同じ着物を身に付けることは、普通ならばかなり抵抗がありそうなものだが……シキョウは外見よりもはるかに幼いのだ。
シキョウ:「いけなかったのぅ? ──ぁ……あれ……あれれれ? なんか……からだがかってに、うごく……よ……?」
衣服を片付けていた手がぴたりと止まり、シキョウは突然歩き出した。不自然さは全く感じられない動作だが、意思に反した動きだということは、戸惑っている表情を見れば分かる。
ゼンはすぐにシキョウの体を取り押さえようとしたが、いつもなら片手で制止できるシキョウの動きが、鈍るような様子すらみせない。それどころか、気を緩めれば自分が引き摺られてしまいそうなほど、一方的な力だった。決してシキョウの筋力を増幅させているのではない……『逆らうことを許さない』、超物理的な力だ。
ゼン:「おい、シキョウっ、今すぐその着物を脱げ!」
シキョウ:「えぇ〜! やだ、はずかしいはずかしい!」
ゼン:「そんな呑気な事云ってる場合じゃ無ェだろがッ!」
シキョウ:「だって、だって、それにぃ、手が動かないのぉ〜……!」
ゼン:「──ああクソっ! 後で恨んだりすんじゃねェぞ!」
意を決したゼンが、シキョウの着物に手をかける。だが、それも無駄だった。
着物はまるで体に張り付いてしまったかのように、脱げるどころか形を変えようともしない。
ゼン:「こりゃァ、マジでヴァレルに変化してやがンな……ッて、う、うを……」
ただでさえ、信じられないような事態が目の前で起こっているにも関わらず、である。
着物の合わせにかけたゼンの両手が、ぎゅっと布地に皴を作ったまま、ぴくりとも動かせなくなってしまった。
ゼン:「ッぅあ、お、お……おい、どうなってんッだ!」
シキョウ:「わかんないっ……ゼン、ゼンんっ……やだああ、沼だよお〜〜!」
長身の少年に胸ぐらをしっかりと捉まれたまま、その少年を引きずりながら平然と歩を進める少女。
はた目からはひどく滑稽な図であるが本人たちはいたって本気、である。
わあわあ、きゃあきゃあ、と喚きたてながら、ふたりはとうとう底なし沼のほとりに辿り着いてしまった。
シキョウ:「こわい……こわいよぉ……ゼン、こわい……!」
ゼン:「──ッ心配すんな! 俺が守ってやッから……!」
ぬめった土が靴の裏で、足の踏ん張りをきかなくさせた。
お互いの気持ちを無視したままでずんずんと踏み出されるシキョウの両足の、それはなんと力強い足並みだったろうか。
ひざ。太股。腰、みぞおち、そして、肩。
ゼン:「シキョウ、せーの、で息を止めろ。良いって云うまで、吸ったり吐いたりするんじゃ無ェぞ……!」
シキョウ:「う、うん……!」
ゼン:「せーの、──」
そして、汚泥が頬を滑る感触。
生ぬるい沼底の中へ、意を決したふたりはごぼごぼと音を立て、その身を沈ませていった──。
ユンナ:「・‥…──、ア………」
鼻息も荒く、人の壁を作りめぐらしている村人たちの間で、ユンナが小さく息を飲んだ。
風が吹いた。自分の腹部、ちょうどタトゥのあるあたりだ。
さわっ、と肌を滑っていった暖かなそれが、彼女の心の琴線に触れる。
ユンナ:「オーマ……シキョウは? シキョウはどこ?」
オーマ:「あ? ゼンと一緒に、部屋に帰ったんじゃねェのか?」
先ほどから村人たちに、同じことばかりを──曰く、沼の死体を作ったのはお前たちだろう──繰り返し訊ねられ続け、尋問にももう少しやりかたの幅を見いだせないものだろうかとふたり、辟易していたところである。
ばりばりと髪を掻きながら、面倒くさそうにユンナの言葉に応えたオーマだったが、ふと見下ろした彼女の様子の異変に気がつくと、身をかがめてその顔を覗き込む。
ユンナ:「……シキョウが……」
オーマ:「ユンナ、おいユンナ」
ユンナ:「──シキョウが危ない……っ」
オーマ:「あ……?」
どんっ。
両手を前に伸ばし、然方にいた村人のひとりを勢い良く押し飛ばすと、ユンナは全速力で駆け出した。
村人:「ッ、お、おいっ、女が逃げるぞ!」
村人:「おい、追え!」
口々にそう叫び、村言たちがユンナの後を追う。
そのさらに後に続く形となって、オーマがユンナの後を追った。
オーマ:「なんだってんだ、まったく……! 女の勘か? 危ないってどう云うことだ……ユンナ、おいユンナァ!」
鮮やかな桃色の髪は遠く、すでに走るだけでは追いつけぬほどずっと前を走っている。
それでも、彼女の逃避の目的地はわかっていた。
底なしのヴォー沼──幾人もの女の死体が浮かぶ、そこである。
■
頬が冷たい。
自分の四肢とまぶたがとても重たくて、それは自分があまり深くない眠りから醒め始めているせいなのだろうと、シキョウはおぼろげながら理解している。
起きたくない。もう少し、眠っていたい。
が、頬に感じる、硬質の冷たさとはうらはらに、自分の背中がほんのりと温かいのはどうしてだろうと、考える。
考えるが、どうしても理由がわからない。
シキョウ:「……ん〜……」
眉と眉の間に細い皴を作り、むずかる子供のような表情でそっと目を開いた。
無機質なタイル状の床がまず見えて──それが頬を冷やしていた──、それから血色の良い大きな手指が視界に留まる。
良く見知った人物──それはゼンが、自分の肩に覆い被せていた右手、だった。
シキョウ:「──!? ……、ゼン、ゼン……おきてよぉ……おもたいってば……」
ゼン:「ン──……」
彼の体重が上半身を押しているせいで、身動きがとれない。
だからその代わりに、ゼンの額に自分の額を打ち付けて、それを覚醒の糸口としてやった。
ゼン:「ッいって……!」
シキョウ:「起きてったら、ゼン……!」
ようやく自由となった上半身をゆっくりと起こし、シキョウはあたりを見回してみる。
つややかなねずみ色をした、金属製の壁が四方にあった。その壁面を覆い尽くすかのように、壁と似た色をした大型の機械がびっしりと設置されており、それらのモニターがせわしなく数字やら記号やらを打ち出し続けていた。
室内は蛍光灯の淡い白に照らされていて、眩しいのか、薄暗いのか、判断に苦しむ。
ゼン:「……おい……これ、って……」
シキョウ:「……うん……」
ゼン:「どっかで見たことあると思ったらよ……」
シキョウ:「! ゼン、あのイス、だれかすわってるよ〜……!?」
明滅するモニターのうち、最も大きなモニターの前のプレジデントチェア、その背凭れに上半身を埋めた姿勢のまま、シキョウの声に応えるかのように、その『だれか』が振り返った。
昨日、シキョウたちに桜染めを売った露店の、商人だった。
露天商:「あれ……僕、外れの方を引いちゃったみたいだなぁ」
ゼン:「な……ぉ、おい、外れとはどういう了見だッ」
露天商:「はっきり云って、きみたちには用事はなかったです。扱いづらそうだし、うるさそうだし」
シキョウ:「──じ、じゃあ……だれに、ごようじがあったの……?」
露天商:「きみたちのお連れサン。シンボル刺してたひといたでしょう、僕は向こうが欲しかった」
シンボル──ソサエティのタトゥのことを云っているのだろうか。確かに、オーマとユンナには、それぞれ胸と腹部にタトゥがある。その部分の肌を晒していたのがあのふたりだけだったために、彼らは村人たちにあらぬ嫌疑をかけられたまま、自分たちと行動を別にすることになってしまったのだ。
露天商:「でも、その様子からすると……」
ゼン:「ざけんじゃ無ェぞ! どうして、俺ら……ヴォー沼に落ちたはずなのに、こ、こっ……」
露天商:「んー。やっぱりね……じゃあ、『ようこそ』と云うよりも、『おかえりなさい』って云う方が、正しいってわけですね」
ゼン:「ここは……もしかしたら──」
露天商:「ビンゴ。おかえりなさい、ゼノビアへ」
■
露天商:「おかえりなさい、ゼノビアへ」
あまりにもあっさりと、その名で呼び迎えられたせいで。
ゼンもシキョウも、二の句が告げられないまま、呆然と露天商を見上げていた。
露天商:「ここね、繋がってるんです。繋げた、ってほうが正しいのかも……知ってました? ソーンとゼノビア、あの沼で繋げたんです僕」
昨日、露店で見掛けた時とは、口調や表情が違う。あちらが表の顔とするならば、今ふたりに見せているこの顔は、裏の顔、とでも云うべきか。
露天商:「ヴァンサーがね……もっともっと欲しくって、僕。個人的に。別に、正規である必要はないんです。ヴァンサーと同等か、それ以上の『能力』を、示してくれるひとであればなんでも……だからね、ソーンで、素質のありそうな子、探してるんですよ」
素質のありそうな子。
露天商の売る桜染めを身に付け、それを『ヴァレル』と認識できる潜在能力を持った者──。
露天商:「距離と、時間ってね。実は同じベクトルで進んでるだけじゃないんですよ。今この瞬間、『あちら側』のソーンと、『こちら側』のゼノビアは、同じ速度、同じベクトルの距離と時間で関連付けされてますけど。見ました? 見たんでしょ? 沼に女の子、たくさん浮かんでたでしょ」
シキョウ:「っ……あれ、もしかして……」
露天商:「そ。彼女たち、案外上手にやってくれたんです。こっちに来て、ヴァンサーと同種の訓練を受けて、あとは同種の最終能力を手にするだけでした」
ゼン:「じゃあ、あれは全部……」
露天商:「どれくらいでしたっけ。あれは、昨日の今日? こっちじゃ3年ばかり頑張ってくれてましたよ、彼女たち。まあ……死んじゃったら、元も子もないんですけどね」
ゼン:「──なんてこった……!」
ゼンの中に、沸々と、どす黒い澱のような怒りが湧き上がってくる。ヴァンサーを私有化したい──そう望む権力者の存在があることは、かつてゼン自身も聞き及んだことがあった。が、それを実際に実行に移せるほどの、執念と実力を持った者が、現実に存在したとは。
激情が1度、大きく彼の背を震わせた。その次の瞬間、ぐっと握りしめたゼンの右手に、その激情をそのまま具現化させたような大振りの細剣が握られ──る、はず、だった。
露天商:「あ、無理です。冷静になってくださいよ、『それ』ができるような場所で、僕がこんな呑気にきみたちに種明かしすると思いますか?」
シキョウ:「ゼン、どうしたの……?」
ゼン:「くっ……! ッ使えねェ──」
シキョウ:「え……?」
ゼン:「『力』が……使えねえッ……!」
オーマ:「……余計に腹が減るだけだぞ、ゼン、ユンナ。ここで無駄に力を消耗しようとすんじゃねェ」
ユンナ:「みたいね……こんな不届きな輩に、みすみす研究材料を与えてやるのも莫迦らしいわ」
気がつけば、シキョウと、ゼンの背後。
剣呑に双眸を光らせたオーマと、仁王がごとく両足を広げて佇んでいるユンナの姿があった。
ゼン:「オッサン、ユンナ……! いつからそこに……!」
シキョウ:「ふたりとも、ぶじだったんだねえ……!」
オーマ:「ユンナがな、いきなり……」
ユンナ:「その話はあとよ。……ねえ、商人だか詐欺師だか知らないけれど……あなた、何の罪もないソーンのひとたちを使って、ここでヴァンサーごっこしていたと云うのは、本当なの……?」
露天商:「『ごっこ』と呼ばれるのは、少し心外ですね。これだけの大掛かりな研究と、それに見合うだけの結果が出ていますから。スポンサーはけっこういるんですよ、だかられっきとした商売です」
オーマ:「……ますます許せねェな……」
露天商:「はは。何を許してくれるって云うんですか。むしろきみたちが僕に許しを乞うべきだと思いませんか? 僕は現ヴァンサーであるところの、そこのふたりしかいらない。そして、そこのふたりには──僕らが望む、僕らのヴァンサーとして──生まれ変わって、いただかなくては」
ジュダ:「──ほう。面白いことを曰う輩もいた者だ」
虚空から穏やかな──それぞれの聞き及んだことある男の、声がした。
それぞれがそれぞれ、己の持つ本来の能力を使えないこの部屋の中で、じっと露天商を睨め付けていた。そんな中の言葉である。
当の露天商は、飛んで火に入った5匹目の虫とばかりの眼差しで、新しい闖入者を物珍しげに眺めていた。
オーマ:「……ッたく……どこにでもホイホイ首を突っ込んで来るヤツだ」
ジュダ:「遅くなってすまなかったな」
ゼン:「超呼んで無ェよ」
軽口を叩きながらも、5人の視線は露天商を捉えたまま。
カツ、と。
5人目の闖入者──ジュダが、固い床に己の靴裏を鳴り響かせた。
ジュダ:「……皆に訊こうか。この男を、どうするべきだと考える?」
ユンナ:「どうするって、……どういうこと?」
ジュダ:「この男の言動の中に、罪咎を見いだしたか? 皆はそれを裁きたいと願うか?」
ゼン:「ヲイ、まどろっこしい云い方するんじゃ無ェよ! 要するに、コイツをしばきたいかどうかってこッたろ!?」
シキョウ:「んう……しばくってなに〜……?」
ジュダ:「知らなくても良い、下賎な言葉だから」
ゼン:「・‥…──!!」
どうやら、全員が全員、顔見知りである様子である。露天商は訝しむ様子で彼らのやりとりをながめていたが──ア、と、口を大きく開いたまま。
数瞬の後、微動だにせず、ジュダの面持ちを見つめ、目を見開いた。
ちらと横に流した双眸で、ジュダはその様子を見遣る。ふ、と鼻を鳴らし、束の間のみ緩く、目を閉じた。
ジュダ:「・‥…彼は、いささか俺を怒らせすぎた様だ」
露天商:「あ……あ、……ッあんた……」
ジュダ:「──…‥・、いけるか?」
最後の言葉は、4人へ向けて。
握りしめた右手に、馴染んだ感触の刃が収まったことを知り──ゼンはニヤリと、口の端を引き上げた。
■
全ての次第を終えたあとで、気付けば5人、ヴォーのほとりで佇んでいた。
ゼノビアとソーンを繋いでいたヴォーの底、亜空間を具現化していた力の根源は絶ち切った。
本来は、そこに存在してはならぬ空間であった。
桜染めの露天商──そんな肩書きを着せて、私有ヴァンサーを育成しようなどと目論んでいた悪しき男は今、空間と空間の狭間で、永遠に止まった時空の中を彷徨っているだろう。これからも、ずっと、である。
ジュダ:「ごく稀に、ああ云った輩が現れる。──ヴァンサーの私有化? ライセンスを持たないヴァンサー? 笑止。『ルール』を守らない者は淘汰される運命にある。例えそれが後に、善となろうが……悪と、なろうとも」
シキョウ:「ねぇ、しんじゃったひとたちは、……どうなったの〜……?」
ジュダ:「時空をねじ曲げた者が、時空の狭間に消えた。本来あったものが、本来あったままに戻ったことだろう」
ユンナ:「沼に浮かんでた女の子たちはもう死んでないし……あの桜染めも、『存在しなかった』ことになっている、と云うことね?」
ゼン:「ちっくしょ、ヤヤコシイんだよ……」
オーマ:「要は、『何も起こってない』ってこったさ──だろ?」
夕暮れの中、オーマが通りがかった村の男に手を振った。男は笑顔で振り返してくる。数刻前──それは、オーマ達の体感時空で云うところの──、血相を変えてオーマに突っかかってきた初老の男だった。
ジュダ:「ところで……おまえの所。うまくやっているのか」
オーマ:「あァん? 俺ンとこってのは、家? ファミリー? 家族のことか?」
ジュダ:「そんなに同義語を並べなくていい。おまえはうまくやっているのかと訊いている」
オーマ:「応、勿論。相変わらず妻は美人だし、娘は可愛い。……それがどうかしたか?」
ジュダ:「いや」
何と云うべきか、と。わずかに言い淀むような仕草を見せたものの、逡巡や戸惑いとは無縁に見える男のことである。つるりと己の顎を撫でさすったあとで、ジュダは悪びれる様子も見せず、言葉を続ける。
ジュダ:「……ゼノビアと繋がる亜空間が消えたな」
オーマ:「応」
ジュダ:「好き勝手に、『ここ』とゼノビアを行き来することが困難になったな」
オーマ:「応。……何が云いたい」
ジュダ:「……ソーンには、ソサエティ本部が無いからと、誰かがいつだか嘆いていたのを、耳にした記憶が」
オーマ:「──!!!!!」
あんぐりとオーマが口を開く。
ジュダが両肩を竦め、視線だけでオーマをなじった。
オーマ:「家計!!」
ジュダ:「無給皆勤は、何年目になる?」
暮れ始めたヴォーのほとりで、大胸筋が絶望の声を挙げた。
沼面はただ風に揺れて、ひと足早い初夏の気配に波打つだけだった。
(了)
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