<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
+ 踊り子スランプ +
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「どうしよう……困ったわ」
黒山羊亭の麗しの踊り子、エスメラルダがカウンターに腰掛けながら深いため息を吐く。
傍に置いてあったガラスコップに口を付け、くっと煽る。ちなみに中身は水だ。
目を伏せ、再度溜息を吐く。黒山羊亭の目玉でもある踊り子の憂鬱は辺りにも影響が出ているらしく、冒険者達の間でも少々よどんだ空気が流れている。其れを見かねた一人が彼女に声を掛けた。
「ううん。大したことじゃないのだけれど……実は此処のところどうも自分の踊りに自信が持てなくて……。これって一種のスランプよね」
困ったように微笑みかけるエスメラルダ。どうやら本気で困っているらしい。
そんな彼女の悩みは皆の悩み。冒険者達はこそこそと相談しあう。
そして。
「エスメラルダ。貴方の憂鬱、此処にいる皆で何とかして差し上げます!」
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一番手、オーマ・シュヴァルツの場合。
「ソーン腹黒商店街カルチャーセンターのダンス幼児部門講師が本日欠勤らしーんだよ」
「あら、それじゃあ今日はレッスン出来ないわね」
「なあ、エスメラルダ。代わりに教えてやってくれないか?」
「え、でも私……今は……」
「というか、もう来てるからよ」
オーマ・シュヴァルツが扉の方を指差す。
其処には数人の子供達が中を覗こうと必死に窓から顔を覗かせる。中には身長が足りていないため、ぴょんぴょんと飛び跳ねている子供も居た。エスメラルダが困ったように眉を寄せる。オーマはそんな彼女の手を取って、子供達の近くへと寄せた。
「お姉さん、先生してくれるの?」
「してくれるのー?」
「ダンス教えてくれるー?」
「くれるー?」
子供達がエスメラルダを囲む。
そしてその手を取り、お強請りをした。助けを求めるように冒険者達を見渡すが、彼らもまた「気晴らしにどうだ」と言う。やがてエスメラルダは一度息を吐き、子供達に微笑み返した。流石に店内ではダンスの指導は出来ない。仕方がないので店の運営の邪魔にはならない程度に道路で指導を試みることにした。
エスメラルダは最初、どう教えて良いのか戸惑った表情を浮かべていた。
だが、懸命に踊る少年少女達を見て徐々に表情が朗らかになってきた。子供達は分からない処を彼女に聞き、彼女は子供達に何が分からないのかを聞く。当然だが生徒達の踊りは彼女の踊りよりも拙い。
だが、上手になろうと必死に練習する彼らにエスメラルダは何かを思い出していく。
「さーって此処で俺様が処方したドリンクを皆で飲もうじゃないかー!!」
「其れは何?」
「聞いて驚け、見てつばを飲み込め、飲んで味わえ! 此れはな『ワル筋鬱美筋リフレクトドリンク』だ!」
「……そ、そう?」
「まあ、一種の安定剤ジュースだから別に毒じゃない。その点は安心しろ」
「ん」
「一足早ぇがもうすぐ自律神経乱れマッチョ乱舞暴発し易い季節だしなぁ。いっちょ皆で美筋らぶらぶりふれっしゅ★とでもいくかね」
「リフレッシュ……」
ガラスコップを手渡されたエスメラルダはごくっと唾を飲む。
色は悪くない。匂いも悪くない。じゃあ、味は……?
恐る恐る唇を近付け、そのままこくっと飲み干す。口に含んだ瞬間はぎゅぅっと力強く瞑っていた瞼がふわりと開かれる。彼女は指先を唇にそっと乗せた。
「美味しい……とてもさっぱりしてるわ」
「だろう? ほれ、皆も飲めー!!」
「「「飲むー!!」」」
オーマが子供達、そして店の中に居た他の冒険者達にもジュースを配る。
彼らもまた「美味しい」と口を揃えた。エスメラルダは両手でコップを持ちながらほんの少し、気分が軽くなったのを感じた。
「ま、本当はただの美容ジュースなんだがな。でもまあ、此れで元気が出たなら親父無敵感激〜★」
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二番手、柚皓 鈴蘭(ユキシロ スズラン)の場合。
「うーん、私の場合は踊り、というより舞が主流だからなあ」
柚皓は貰ったジュースを手に呟く。
目の前では同じ様にガラスコップを手にした子供達が居た。彼女はんーっと伸びのある声を出しながら上の方を見遣る。空は青かった。
「舞も綺麗よね。以前見たことあるわ」
「でも私が舞うのは神楽舞だからね。あれは見世物じゃなくて儀式や神事の為の舞だから、助言になるかどうかは怪しいし。それに踊りといっても動作の中に表現が色々と詰まってるようなものだからねー。優雅なものだと水や月や風が表現されたり、情熱的だったら炎や陽光……という具合に。で、一体どういうスランプなの?」
「その質問はちょっと困るわね。自分でも何に悩んでいるのか分からないもの。ただ……踊れないの」
「じゃあ、いっその事踊りの表現方法を増やしてみるのはどうかな? ちょっと舞ってみるから見てて」
そう言って彼女は自身の荷物を探る。
最初に取り出してきたのは扇子。ふむっと満足そうに取り出した其れを見遣ったあと、再び手をいれた。
「まあ雅楽の類が無いのが寂しいけど、其処は扇子とこの神楽鈴で……っ!」
「鈴?」
「……あ」
彼女が手にしているのは鈴の類ではなく、小刀に似た金物。
其れがどう見ても彼女の言う『神楽鈴』ではないことは誰の目にも明らかだった。それでも柚皓は自身のドジを隠そうと慌てて荷物を漁り、再び何かを取り出す。今度は棒対して円を書くように鈴が幾つも付けられたものが出てきた。
「あー、こほん。じゃ、舞うから見ててね」
「お願いするわね」
片手に扇子、片手に神楽鈴。
柚皓は精神を集中させるため、一度すぃ……っと瞼を下ろし、周りの物音が全く聞こえなくなるほど己の神経を舞に移した。広げられた扇子が緩やかに動く。
左右に、時に上下に。
その動きは静でありながら動。
動でありながらも……静。
しゃん……。
しゃんしゃん……。
鈴の音が辺りに響き渡る。
エスメラルダは彼女の舞にごくんっと息を飲みながら胸に手を当てる。彼女の中では軽く心臓が締め付けられるような高揚感が沸き起こっていた。
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三番手、レピア・浮桜(れぴあ・ふおう)の場合。
「え、スランプなの?」
「そうなの。皆があたしを立ち直らせようと色々してくれてるんだけど……」
「あは、あたしなんてもう踊り子として五百年近く生きてるからスランプなんて山のように経験してるわよー?」
気持ちよくステージで踊っていたルピアはエスメラルダの腕を取る。
豊満な胸を押し付けながらあははっと笑う。そんな彼女の明るさにエスメラルダは思わず微笑を浮かべる。ふとルピアは何か思いついたらしく、エスメラルダの腕を引いた。
「ね、踊ろう!」
「え?! で、でもっあたしは……」
「良いから良いから! えーっと簡単なので良いわよね」
「ちょ、ちょっとルピア」
ルピアは若干強引さを含みつつもエスメラルダをステージに上げた。
あまり乗り気でない彼女をリードするように身体を密着させ、音楽にあわせてステップを踏む。楽しそうにステージの上で跳ねる相手を見て、エスメラルダも同じ様にリズムを刻み始める。
爪先を立て、くるっと回って相手に向き合う。
すると同じ動作を相手も行なった。
まるで二人は鏡のように。
けれど、その内に宿っているものは別々。
その場に居た冒険者達の間から歓声が沸き起こる。
次第にエスメラルダの踊りにも熱が入り始め、足はより高く上がり、腕もまたぴんっと伸ばされるようになってきた。そんな彼女を見ながらルピアもまた踊りに力を入れる。
簡単な踊りのはずだった。
だが、今の二人の動作は決して『簡単』なものではない。其処に居るのは『踊り子』二人。ルピアは、手を差し出し、エスメラルダはその手を取る。優雅と情熱。互いの踊りが重なり合えば、それはまた別の魅力を放ち始めた。
今、ステージの上は彼女達だけのもの。
今宵はエスメラルダの初心の舞台。
すぅっと踊り終えれば、何処からともなく拍手が沸き起こった。
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「エスメラルダ踊れるようになったのね」
「ええ、貴方達のお陰よ」
「ねえちょっと表現方法変わった?」
「あ、気付いてくれた? 柚皓さんの舞を見てちょっとアレンジを加えてみたの」
ステージの上から降りてきたエスメラルダは笑顔で返事をする。
その清々しい笑顔を見て柚皓はほっと息を吐く。それから彼女にタオルを手渡した。
「スランプは良くある事だからね。私も昔経験したわ」
「そうよね。皆一度は体験しているものよね……本当、一体何を悩んでいたのかしら」
「でも、振り切れたなら良いんじゃない? じゃあ、私はもう帰るね」
「あ、有難う」
手を振りながら柚皓は黒山羊亭を出る。
空を見上げれば、満天の星。
「あー、私も練習しなきゃ」
ぐっと手を持ち上げて背中の筋を伸ばす。
黒山羊亭からは楽しげなエスメラルダの声が聞こえてきた。
……Fin
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3155/柚皓 鈴蘭 (ユキシロ スズラン)/17歳(実年齢17歳)/異界職】
【1926/レピア・浮桜 (れぴあ・ふおう)/女性/23歳/傾国の踊り子】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(腹黒副業有り)】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは、発注有難う御座いましたv
うっかり金票を出してしまう辺りが可愛いですね(笑)また何か機会が御座いましたらご参加下さいませ★
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