<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


■踊りと靴と■



 大層に包まれたそれらを乾いた肌の手が受け取る。
 代金を支払い、忙しなくけれどあまり手際は良くない動作で大きめの袋にしまいこむ老婆の小さな頭と首を、靴屋の女房は普段と同じように眺めていた。
「靴一つで上達するなら苦労はないわよね」
「まったくだ」
 ひひ、と咽喉を震わせる、というよりも引き攣らせるような笑い方は印象が悪い。
 だがこの老婆はいささか学者肌、というか時折妙な本だのを積み上げて調べ物をしている姿を窓近くで披露する他は、近所とも仲良く付き合う人間である。当人が気にしていないのであれば自分が笑い方程度に文句をつけることもないだろう、とこれも普段と同じく考えて老婆が掴み損ねた包みを一つ受け止めた。
「気をつけて」
「すまんね。しかしまあ何をしているにしろ、手っ取り早い方法を欲しがる奴ってのはいるんだろうさ」
「……ああ、靴の話」
 そうだよとまた笑う老婆。
 確かに自分も幼い頃であれば欲したかもしれない。今の暮らしに不満は無いけれど、幼い頃の夢――そう、いつか王の前で披露する程になろうと考えていた、そんな――を思い出せば靴に縋る人々の気持ちも少しは理解出来る。
 それに、老婆は靴を作る旦那からすれば良い客だ。自分にはそれで充分だろう。
「しかしお前さんの旦那は腕がいいね」
「ありがとう。伝えておくわ」
 去り際の老婆の言葉に返事を返して手を振り、小さな背中が袋を担ぐ様を見送りながら扉を閉めた。

「それにしてもよく捌けること」


 靴屋の女が呟いた言葉の通り、エルザードではその靴はよく売れる。
 日々の暮らしの中で使う類の靴だというのに『履いている間に踊りが上達する』のだと噂なのだ。
 おかげで少女から中年女まで、踊りの種類は様々だろうが靴売りを探す者達は絶えなかった。
「定期的に売っているわけじゃないのよ」
 だからね、と話すエスメラルダ。
 黒山羊亭の踊り子は滑らかな輪郭の唇を軽く歪めてグラスを睨んでいた。
「ふらふら現れては踊り子を中心に売りつけてくるの」
 だからどこの舞台も劇場も、近くにそういう上手くなりたいお嬢さん達がたくさん。
 肩を竦めて話し、グラスの中身を干しながら彼女が書きつけているのは依頼書の類だ。
 ペンがカウンタに紙越しに軽く引っ掛かってインクが滲む、その依頼。

 自分を含む、踊り子達が踊れなくなった事についての原因究明。

「じわじわ聞いてはいたんだけど、知り合いが誰も被害受けてなかったからあんまり気にしてなかったのよね……それが最近立て続けに。そして私、と」
 とんとペンで打つ。句点のようだ。
「急に踊れなく、違うわね。自分の踊りが解らなくなっちゃう。それで困っていると靴売りが来るっていう話」
 踊りだけで暮らす人間というのも確かに居る。
 そういった者達にとっては踊れなくなるのは死活問題だ。
「そこにそんなの来たら必死なんだから買うわよね。しかも捨て値というか普通の靴より安いくらいですって。だから実際買ったコも知ってて――」
 考えるように、手を止めて一度グラスを呷り咽喉を潤す。
 常に余裕を感じさせる表情のエスメラルダはしかし、このときひどく険しい表情をしていた。
「靴売りが現れるまでの期間がばらばらだから確実じゃないけど」
 でも私は間違いないと思ったの。
 前置いて、それから続ける。
「知り合いが買って踊れるようになった。それを見た……本人も気付いてたわ」

 別の誰かの踊りだと。

「でも誰のものか解らないの。思い出せない、というべきね。そのコは生活があるからそれでも踊ってるけど。そう、そうね。そのコが多少自分の踊りの癖を混ぜているかもしれない。でもやっぱり違うのよ」
 途中からは独り言のようだった。
 記憶を探るようなその言葉は段々と小さくなり、止まる。
「私や何人かは靴売りから買わなかった。そのコを見たもの。でも買った人間は多いわ。皆が皆、別の誰かの踊りを手に入れているなんて」
 そこでグラスの残りを一気に飲み干すと、いささか強くカウンタに置くエスメラルダ。
 黒山羊亭の、踊り方を見失わされた踊り子はそこで話を聞いていた店員に「ねえ」と呼びかけた。
「聞くけど、もし私が踊れないままでも構わないかしら」
「構わないだろう。あんたは看板だよ」
「それはそれで複雑だけど――ありがとう」
 間を置かずはっきりと返された言葉に嬉しそうに、けれど残念そうに、言葉通りの複雑な表情でエスメラルダは笑って依頼書を取り上げた。
 立ち上がって他の依頼と並べて貼り出す。
「まあ頼れる人達も多いし、誰かが請けてくれると信じてるわ」
 ね?とまたも呼びかけられた店員はこれもまた即座に頷いて、踊り子は今度は普段のままに美しい弧を唇に描かせたのである。


** *** *


 酒場の営業時間には遠い、いまだ日は頭上にある頃だったけれどエスメラルダから「依頼するつもりだ」とでも聞いていたのだろう。
 黒山羊亭の今は踊れぬ踊り子の知り合いだという娘――女性というにもまだ若いむしろ娘というべき人物だった――はちぐはぐな四人の訪問に最初こそ警戒したが、エスメラルダから、と聞いて力を抜いた。
 そうして改めて娘は四人を見る。見れば見るほどに繋がりが咄嗟に浮かばない一団だ。
 一人は豪奢な金髪が目を引く長身の女性。姿勢良く、軍装に相応しい仕草ながら威圧感を抱かせない彼女よりもさらに長身、というにもそれ以上の丈と厚みの巨漢の男。人好きのする笑顔がなく顰め面なりしていれば近付く者も少ないだろう彼の影に隠れるようにして儚げな少女。花を染め込んだような色味の髪が動くたびに毛先を揺らす下から同じ色の瞳動かして何事か話す先に黒衣の青年。騎士を思わせる装いだがどちらかといえば学者めいた静かな空気を漂わせている。
 そうして順に瞳を動かしながら、キング=オセロットさん、オーマ・シュヴァルツさん、リラ・サファトさん、榊遠夜さん、と娘が口中で確かめる声には四人がそれぞれ頷いたり微笑んだりして娘に返して。
 名前はそういえば聞いた事があるかも、と娘は思う。
 黒山羊亭のエスメラルダは彼女にとって頼れる姉分だ。彼女の働く酒場は依頼の斡旋も行うことから、そういったいわゆる冒険者についての話も聞くことがあった。ああこの人達がそうなんだ、と思い至れば微かに残っていた警戒も失せるというもの。
「出来れば一度、踊っちゃあくれねぇか?」
 だから、靴売りの特徴だとか、踊っているときの感覚だとか、そういったことをひとしきり説明した後にオーマにそういって請われて舞台に向かいながら娘は肩越しに四人を見る。
 預けた靴をあれこれと触れたり眺めたりしている姿。
 とにかく踊れるようにならなくてはと靴売りの言葉に飛びついたけれど、生活の糧程度の意識になってしまっていた自分の踊りが今は恋しい。
(お願いします)
 縋り付きたい程の気持ちで振り返っていた娘に、オーマがぐいと親指を立てて唇を引いた。褐色の肌の男らしい輪郭が笑みの形に歪む。
 任せろと言わんばかりのそれに励まされて娘は爪先で床板を叩く。前奏の代わりのリズムにくたびれた顔付きの店主が無言でテーブルを叩いて合わせてくれた。
 床を蹴る。

 それは望まない、自分のものではない誰かの踊り。


「――では私は靴の出所を辿ってみよう」
 靴をひとしきり確かめて、今は娘の踊りを見るオセロットの手には馴染みの紙巻煙草。無論店主と周囲の許可は得ている。
 素人目にも何か解る特徴は無いかと探したものの解ったことはそれが細かな部分まで丁寧に作られたのだろうという程度。職人経由で辿る手を考えたオセロットから、件の靴は遠夜の手に渡っていた。何事かを小さく舌の上で転がしたり懐から大きくはない紙――符というらしいそれを指で挟んでまた呪文なのか言葉を紡いでいる。
「……苦しそうですね……」
「ああ。私は人の感情を読み取れるわけではないが……そうだな、苦しいのだろう」
 我が事のように眉を寄せて踊りを見るリラの呟き。
 苦しいのか、辛いのか、もどかしいのか、そして靴を手に入れた自分を悔いているのか、娘の表情はかろうじて笑顔を作っていても感情に敏いリラにはその向こう側の想いが見える。オセロットもまたその観察眼で充分に見て取れて。
「まあアレだ。何が真に想いにあるかはその『踊り』のやっこさん張本人っつーか、ミステリーラブダンシングマスター★に訊いてみなきゃ分からねぇけどよ」
 娘の奥底の感情に引き摺られて表情を沈ませかけたリラに、オーマの太い声がかけられた。視線は踊りからそらさず声だけだ。
「エスメラルダにしろあの嬢ちゃんにしろ、あとは誰かにしろ何かにしろ『踊りてぇ』って想いだけは真実だと思うぜ?」
 ぱちりと瞬きしてからリラは瞳を緩ませる。
 オセロットはとうに視線を踊りに向けて紙巻を咥えた口元で微笑んでいた。
 そうですよね、と言ってリラも踊りを静かに見る。
 準備にも早い時間では音楽は得られなかったけれど、踊りはそれなりの出来だ。それなり、であるのはきっと娘自身の踊りではないからだろう。そう思える。
「キングさんが職人さんを辿るなら……私は靴を買った人達から靴屋さんを探してみます。その、疑うのは嫌ですけど……靴売りさんが原因に関わっていると考えちゃいますし」
「じゃあ僕と一緒に回ろうか。一人二人の話じゃないし、リラさんだけじゃ大変だから」
「遠夜さん」
 心配だし何かあったら申し訳が立たないし、と内心で付け加えて遠夜はリラに微笑みかける。それから靴を膝元に置いて彼も踊りへと視線を戻した。
「呪いみたいな悪意からの術は見えなかった。ただ術がかかっているのは確かかな」
「ふむ。どの段階でかかっているのかも気になるか」
 瞳は娘の踊りから逸らさずに言葉だけを投げあう。
 一つのテーブルを占拠する状態だったので潜めた声でも充分に聞き取れた。互いの声と娘の靴音、それから店主が動く音。それだけの空間からさらに娘の靴音がじきに消える。
「じゃあ俺は靴売りでも探してみるかね」
 娘の踊りは生活の糧であるにしてはぎこちなく、それが元の踊りを求めるようになってからなのかどうか、オーマが踊りを観察しても具体的な何某かは見つからず、その程度の推測しか出来なかった。ここから探るにも無理がある。
 だからオーマは己の担当を靴売り捜索に定めることにした。
「現れるのは踊れなくなった人間の周囲ではなかったか?」
「踊りを生業とする人の近くを警戒するにも一人では無理がありませんか?」
「なにか、作戦が?」
 口々に言う三人へとここで初めて顔を向けてオーマはにまりと笑ってみせた。
「ビバ★スランプダンシングアニキ作戦ってな!」
「……囮か」
「そうともいう!」
 むしろ囮という方が多い。
 ふと思ったが口にはせず一同はそうかと頷くに留めたのだった。


 そうして娘をそれぞれに励まして四人は一度店を出た。
 借り受けた靴をオセロット、リラと遠夜でそれぞれに片方ずつ預かって。 オーマはなにやら「衣装」だとか「限定」だとか呟きながら歩きながら。

 娘が通りにまで出て四人を見送っていた。


** *** *


(悪意はなかった……が)
 考え事をしながら歩くリラの傍らで遠夜もまた考える。
 誰かの踊り、というのであれば靴から何か見えてくるかと思ったが何も解らなかった。いや何もというのは正しくない。
(混ざり合っているような、リラさんの話したように)
『まるで踊り手さんたちの踊りを靴が吸い取って、その靴がばらばらに人の手に渡ってるみたい』
 依頼について四人で話しながら歩く間にリラがそう言ったのを思い出す。確かに見えずとも感じ知覚したものからは複数の思念に似た印象を受けはしたのだ。
 遠夜は更にそこから術と感情とを探したのだけれど。
(確かに悪意や害意ではない)
 反芻するかけられた魔法を探った感覚。
 術自体は極端な効果はない筈だ。感情なり欲求なりに働きかけるのがせいぜいだろうか。むしろ遠夜が繰り返し確かめた中で印象強く残るのは、悪意ではない何か純粋な意思だった。
(あれは)
「お金が欲しいだけならもっと高値で売ってもおかしくなさそうだけど……」
 と、考える合間にリラの呟きが鼓膜を抜ける。
 聞き返した遠夜に足を止めて、華奢な妹分は髪を揺らして見上げてきた。
「ええと……靴売りさんは、普通の靴よりも安く売っているんですよね」
「そうだね」
「ということは、靴屋さんも安く売っているということですよね」
「うん。そうなるかな」
 言いたいことを頭の中でまとめてから言葉にしているのだろうリラの声はとてもゆるやかだ。相槌だけを挟んで遠夜は彼女の言葉を待つ。なんとはなし落ち着かせる調子に耳を傾けていると何故だか、いや、何か優しいことを考えたのだろう彼女は一瞬幸せそうに笑ってから言葉を続けた。
「それだけ考えれば、犯人さんは踊り手……何か原因があって踊れなくなった方だとか、思うんですけど……でもそれなら踊れない悲しみは分かる筈ですよね。だったらどうしてかしらと思って」
 直前に浮かべた笑みは消えている。
 自分自身が苦しんでいると言わんばかりの表情を代わりに刷いたリラ。きっとエスメラルダや先程の踊り子を思っているのだと解ってしまう。
「あんな風に辛い思いをさせるようなこと、しないと思うんです……」
 そう零して顔を僅かに伏せてしまったリラの、柔らかに揺れる髪が覆う頭部。その頂点。
(興味、好奇心、探究心、そういった類だろうか)
 力を入れずに髪を梳く気持ちで何度も手を往復させながら遠夜は一度止めた思考を呼び戻した。
 年齢からは想像出来ないほどに遠夜は人の感情に触れている。陰陽師なぞしていれば本来の世界の頃から人生経験は年齢以上に豊富な方にもなるというもの。自然と感情の種類程度は判別も出来るようになった。
 そしてその遠夜が読み取った中で一際大量に拾い上げた感情の種類がそれだったのだけれど。
「大丈夫だリラさん。こうして聞き込んでいる間にも少しずつ、解ることはあるんだから」
 けれどそれは当事者と対峙すれば事情説明なりの中で解るだろうことだ。撫でる頭が少し持ち上がったのを察して遠夜は語りかけた。
 この妹分は足を止めてもそのまま座り込んだりしない。
 だから自分達周囲の人間は少しだけ待てばいいのだ。
「……そうですね。ちゃんと前進してますよね」
 うん、と微笑んで頷けばリラも微笑み返してくる。
 大事そうに抱えられたままの片方だけの靴に一瞬視線を走らせてから遠夜は手を下ろした。


「次は広場から西の――」
「あ、途中に踊りの先生が住んでらっしゃいます」
「じゃあそっちも伺ってみよう」

 街中をリラと二人、あちらこちらへと歩いて回る。
 事の根元に行き当たるのはそう遠くはないだろう。


** *** *


「来ると思ったよ」
 ひ、ひ、と咽喉を震わせる姿は一見すれば悪辣な印象しか抱きえない。けれど老婆の胸に飾ったルベリアの花が細い花瓶に挿されているのを見つけたオーマが目配せして頷いてみせる。
 遠夜とリラが連れて来た踊り子の娘だけが咄嗟に声を上げて詰め寄りかけて止められていた。押し留めた遠夜をねめつける娘の二の腕にそっと手を添えて宥めるのはリラだ。
「互いに前置きはいいだろう」
 殊更に大きなわけではないのによく通る声はオセロット。
 豪奢な金髪の女性は感情の伺えぬ眼差しを老婆に向けて注ぎ、そのまま唇を動かした。
「靴に宿った踊りを、それぞれの持ち主に返してもらえないかな」
 喧嘩腰ではなく、けれど厳しさを見せる語調に老婆は愉しそうに目を眇めてにまりと笑う。やはり悪者だと思わせる笑い方は、事前に靴屋の女房と話していなければ印象がひたすら負に傾く一方だったろう。

 ――誤解されがちなんだけど、ほらよくいるでしょう。研究熱心な偏屈先生。そういうものだと思ってあげて下さいな。

 対面してこちらは関係ないと一同が結論づけた後の会話。
 そこでそう話された老婆がまさしくオーマの会った老婆であり、つまりは靴売りだ。



「何人もの踊りと、踊りへの情熱と、そういったもんを混ぜ合わせてる感じだな」
 と、それが女装姿に皆を驚かせながらも入手した新たな靴を履いていたオーマがそのまま踊ってみた後の感想だ。
 踊るときにも履いていて大丈夫なんですね、とリラが感心なのか声を洩らすのに微笑んだ遠夜は、オーマのその感想に同意する。
「リラさんが言っていた、踊りを靴が吸い取って、ということかなと思います。踊りだけじゃなくて、それに対する愛情みたいな気持ちも一緒に、かな」
「靴売りの現れそうな場所に集まっていた人々からも集めたのかもしれないな」
「そうしてまた踊りを吸った靴が誰かの手に……?」
 遠夜に続いてオセロット、リラと続けた言葉にオーマが「いや」とかぶりを振る。彼が老婆から受け取ったときに小さな動きがあった。それと呟きとが魔法で、それ以降の――買った人物が履いている間に周囲から集めるのかもしれない。そう話す。
「ただ、あんまり悪い事してるってぇ感じに思えないのがなぁ」
「行いは充分に問題だと思うが」
「そうですよね。踊り手さんたち、悲しんでます……」
 リラと遠夜が聞き込んだ先では特に目立った情報はなかった。
 代わりに集まったのは己の踊りを求める声、声、声。靴を買い踊りを手に入れた者達も殆どが本来の自分の踊りを求めていたのだ。それを思い出してしまえばリラの指先は少しだけ力を増す。
「ともかくその老婆だな」
「同感だ。念の為に靴屋にも回っておくか」
 意見を確かめ合うオーマとオセロットの影からリラは気遣わしげに娘を見た。
 話を聞きながら踊り子は、唇の両端をきゅうと引き結んでまばたきも少ない。
 ちらちらと頭を傾けて視線を踊り子に固定しがちなリラの傍らでは遠夜が今まさに手元に鳥を一羽、止まらせているところ。
 ばさりと一際大きな羽ばたきに視線が集まる。
 その先で鳥は見る間に形を変えて一枚の、紙に。
「あちらは特に、危険な行動は見られないよ」
「靴売りのお婆さんですか?」
「うん」
 どうする?と問うのに「無論」とオーマが歩き出しオセロットも同様に通りへ向かう。続いてリラ。最後に遠夜が一度歩きかけて振り返る。差し出した手は娘へと。
「一緒に行こうか」
「え」
「自分の「踊り」自分の「呼吸」――「自分」を取り戻す為に」
 大丈夫だから、と手で招く。
 娘はしばし逡巡したが小走りに店主の元へ向かってから戻ってくる。はい、と小さな声だけれどしっかりと頷いたので頷き返して今度こそ遠夜も皆の後を追った。



「別に悪さをしようとしたんじゃないさ。ただちょっと、試してみたくなっただけでね」
「……試す?」
 オセロットが問いながら娘を目線で宥めたのは、やはり仕方のないことだ。被害者、と言ってもいい立場の者からすれば老婆の態度はふてぶてしく感じられるだろうし、何事も癇に障ったところで不思議はない。
 娘の様子が目に入らないでもなかろうに、老婆は態度を変えることなくまた笑う。ひひ、と咽喉を震わせて。
「そう。靴屋の娘っ子は会ったかね?さっき会っただろう」
 娘っ子、といわれて女房を思い出すのに一拍あいた。
「昔は大きな舞台で踊りたいと思ってたってあんまり話すからさ、思いついたんだよ」
「手っ取り早く踊れるようになる靴かい?」
「いいや。まあ魔法をね、小さいヤツをかけたのさ」
「魔法」
「そう。魔法――踊りたいと願えば叶える魔法。だが勝手に踊る力を与えるわけじゃなくてねぇ」
 ひっひ、と手元の紙に何事かを書きながら笑う姿は物語に出てくる悪い小人辺りを思い出しそうだ。
 静かにそれを見ていたオセロットが息を吐く。多少の呆れもあっただろうか。
「誰かから取り上げて手に入れる、というわけか」
 独特の笑い方が答えだった。
 やれやれとオーマも首を振る。踊りながらルベリアを通じて感じ取った様々な想いと、老婆の心境。本当に興味だけで行ったことだったのだと思えば投げる言葉にも困る。
「奪う相手は限られているかと思えば、随分と色々な人間が奪ったり奪われたりしていてね」
「戻して!」
 小さな身体を揺らして老婆が笑い、本の重みで撓んでいるテーブルの上のルベリア――どうやら調べてみていたらしい――に手を伸ばしたところで遠夜の宥める手を振り払って娘が叫んだ。
 誰もがその若い踊り子を見る。
「戻してよ!そりゃ、そりゃあ、商売道具だけど、だからって誰のものでもって、だからって」
 爆発は一瞬で、すぐに嗚咽混じりになった言葉は途切れてしまった。そっと娘の肩に手を伸ばしたのは遠夜ではなくリラだ。遠夜は娘が動いたはずみで落とした分厚い本を拾い上げている。
「靴売りさん……お婆さん」
 小さく細い身体を懸命に娘に添わせて慰めるリラが凛と響く声で老婆を呼んだ。
 ルベリアに伸ばした手を戻して老婆が見る。それに返すライラックの瞳。
「私、歌が好きです。プロじゃないけど、歌う事が好きなんです。だから……もしも歌えなくなったら苦しい。人の歌い方を貰って歌っても駄目なんです。自分の気持ちで歌えなきゃ……」
 最後の一冊を拾い上げて元の辺りに遠夜が置く。
 観察者めいた瞳で老婆はリラを見ていて、その手前でオーマとオセロットもリラを見ているけれどこちらは優しく見守るような気配が。
「素人の私だってそうなのに、ましてそれが自分の一部である方にとっては……踊りだってそうです。興味があっても、こんな風に苦しい思いをさせるのは駄目だと思うんです」
 小さな爪のついたリラの手が娘を慰めるように何度も往復する。
 手伝いのように遠夜の手もそっと娘に伸ばされた。
 嗚咽が小さく響く屋内に、そうだな、と呟いたのはオセロット。
「願う者と、叶える者。ただそれだけなのだろうが、な」
 彼女が低く話す間にオーマはルベリアを老婆に渡したものの隣に追加する。それは踊りながら想いを映したものだ。
「悪い色じゃねぇが、幸せでもねぇ色だよな」
「珍しい作りだね」
「俺の言いたい事は、解ってんだろ?」
 他の奴等も同じだがよと言えば老婆は多少不貞腐れた様子でオーマを見、それからオセロットを見、リラ、遠夜と巡らせて最後に娘を見た。泣きじゃくり顔を伏せてしまったままの姿をしばらく見てから深く大きく溜息をひとつ。
「仕方ないね」
 そう言ってテーブルを回って娘の前まで歩いてくると、小さな身体に不釣合いな杖をどこからともなく取り出した。
「まったく、折角いい具合に広がって何を調べるにもこれからだったっていうのに……ほら泣くんじゃないよ」
 最後の言葉を言うやいなや、その杖をゴトンと強く床に叩き付けて何事か不明瞭な言葉を綴る。再び落ちた本を四人がそれぞれに拾う間に老婆はむにゃむにゃと一通り呪文らしきものを呟いていた。
「流石にやり過ぎだったってこったな」
「確かにな」
「で?今のは踊れるようにする魔法か?」
 オーマが問う声を聞いてリラが娘を覗き込むようにして伺う。
 そろそろと手を下ろした踊り子はしかしややあって「変わらない」と涙声のままで応じた。思わず一同は老婆を見る。
 だが無理もない反応にも老婆はうんざりといわんばかりに肩を竦めて背を向ける。歩いて元の位置に戻ってから、娘に杖を向けた。
「心配しなくても、戻って曲の一つも弾いて貰えば思い出すよ」
 まったく、こんな面倒ごめんだよ。もう誰がこんなことするもんかい。ああいやだいやだ。
 ぶちぶちと零す言葉。
 聞いて、それから娘の顔が喜びに染まる。
「ほんとうに?」
「本当さ。だからもう帰っておくれ」
「思い出せるのね?ちゃんと」
「ああ、ああ、思い出すし踊れるよ。思いつきで試すもんじゃないね。本当になんだってこんな……手間かけてこれからって所で終わりかい」
「人に迷惑をかけない方法なりを考えるのだな」
「まったくだ」
 笑って許せるとはいえない老婆の行いであるはずが、勝手な愚痴を耳に入れる間にオセロットはもう苦笑するばかりだった。忠告にも短く返してどっかと老婆は椅子にもたれる。
「よーし!じゃあ早速戻ってダンシング★といくか!」
「――ってきゃー!」
 その間にオーマが娘を連れて家を飛び出して行く。
 みるみる遠ざかる声を残った者達は静かに見送ってから、次いでリラと遠夜が頭を少し下げて立ち去った。ありがとう、と礼を言うのがなにやら「らしい」というべきか。
「で、あんたは何か言いたい事でもあるのかね」
 最後に残ったオセロットが二人の背中を眺めるのに老婆が声をかける。本当に子供がふてくされたような声だ。
 いや、と振り返りながら言いかけてつと視線を宙に泳がせる。
「そうだな」
 次いで戻した視線を老婆に向けてオセロットは静かに唇を微かな笑みの形に引いた。
「私は、願いの叶え方にしろ、他者の踊りで満足するのか否かにしろ、判断を下すつもりはない。その善し悪しを問う気もない」
「世話を焼いておいてかい?」
「ある踊り子の踊りを楽しみながら一服、というのが私は気に入っている。今回はそれが叶わなくなってしまったからな」
 そうかいと納得した様子の老婆がルベリアに再度手を伸ばす姿を見ながら「だが」とオセロットは付け加える。
「そもそもがあまり誉められた行動ではないだろうな」
 声にむすりと表情を動かす老婆にやはり苦笑ばかりを誘われるというものだ。まあ頷いたようだしいいだろう、と彼女も立ち去りかけたところで老婆が最後にと呼びかけた。
「あのふわふわ細っこい子にも言ってやるといい。一緒に踊りでもしてみたら早くに思い出すだろうよ、とね」
「……伝えよう」
 最初にエスメラルダと踊ってみたリラを思い出しながら応じて扉を閉める。それで老婆との対面は終わりだった。

「踊って思い出して、他のダンサーズにも教えてやらなきゃな!」
「は、はやい!はやいってばオーマ、さん!」

 大きな声が響き渡る。
 振り返ったところにオセロットの金髪が見えて、光を弾いて眩いそれに目を細めてから遠夜は前を向いた。
 リラの安堵した表情を上方から窺って。
「でも遠夜さん」
「なにかな」
「赤い靴みたいにならなくて良かったです……違うお話だって解ってはいたんですけど」
 心配でした、と笑う姿に遠夜もまた笑って頷く。
 遠夜も『赤い靴』という、こちらは歌だったけれど思い出していたのだ。どこかしら暗い印象になる言葉を思い浮かべれば心配にもなるというものだったけれど。
「そうだね。それに誰かを責めて罰を与えて、なんていう終わりでなくてよかった」
「はい」
 にっこりと、オーマの朗らかなそれとは違うけれど心安らぐ笑みを向け合って二人。
「もしかしたらエスメラルダさんも今頃思い出しているかも」
「まだだったら一緒に踊ってみるのもいいね。今度こそだ」

 遠くで大きな身体に相応しい大きな手を振ってオーマが呼ぶ。
 後ろのオセロットが近付いてくる。
 リラと遠夜は並んで。


 数日もすれば、靴はただの靴になって踊りはそれぞれの元に戻るだろう。
 老婆はきっとルベリアをあれこれ調べ、靴屋は普段通りの仕事振りに。

 踊りと靴と、その出来事はじきに噂にもならなくなる。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0277/榊 遠夜/男性/18歳(実年齢18歳)/陰陽師】
【1879/リラ・サファト/女性/16歳(実年齢19歳)/家事?】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2872/キング=オセロット/女性/23歳(実年齢23歳)/コマンドー】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、はじめまして。ライター珠洲です。
 犯人についてはくどくど書くのも、ということで(充分くどい気もしたりする長さですし)偏屈学者肌婆ちゃんくらいの認識にしておいてやって下さい。ただし魔女、と。
 いつもプレイングが素敵なので、全部使いたいなぁ使えないかなぁと考えます。そのままだったりいじられていたり、とどうなっているかはご確認下さいませ。
 参加下さりありがとうございました。

* 榊 遠夜 様
 リラ様との関係からなにやらずっと一緒状態になりましたが、並んで柔らかく微笑んでおられそうだなぁと頭の中で絵を作ってみたりしておりました。
 口調や行動は、どこかイメージ通りの部分があればいいなと思います。