<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


対女性恐怖を克服し隊!

 とある風の強い日、黒山羊亭へ入ってくる客たちが入り口でおかしな人物を目撃した。
 常連客曰く、女性ならほとんどの人が一度は振り返るような美形の男が、振り返って見られるたびにびくびくと身を縮めるようにしながら、黒山羊亭の入り口近くに立っているとか。
 いくら美形とは言っても入り口の近くに立たれたら営業の迷惑である。
 エスメラルダは客から話を聞くとその男にどいてもらおうと入り口へ向かった。
 果たして、美形の男は黒山羊亭の入り口近くにいた。
 エスメラルダが黒山羊亭から出てきたのが分かると明らかに身をこわばらせ、自分のことを見ていると分かると逃げ腰になった。
「ちょっと、人の顔を見て逃げようとするってどういうことなの?」
 思わず逃げようとした男の裾を掴み、眉根にしわを寄せて訊ねる。
 自分が美しいと豪語はしないが、一目見て逃げられるほどの悪人顔では断じてない。
 男は――美形と言われるのだから顔の造作はよく整っていた。年齢は25歳ほど、暗い青の髪はショートカットよりもなお短く、赤い目はわずかにつり上がり、薄い唇は血色がいい。身長は180前後と思われ、引き締まった筋肉の上に袖なしで体のラインがよく分かるシャツを着ている。首に巻いた赤いバンダナとカウボーイハットが印象的だ。
 男は掴まれた裾を恐る恐る引いている。……表情などから嫌がっているのだろうと思われたが、勢い任せで振り払わないはしない。
 だが軽く引いただけでエスメラルダが離してくれるはずもなく、男は全身に鳥肌を立て、喉まで迫っている絶叫をなんとか飲み込みつつ口を開いた。
「……大変申し訳ありませんが、お手を離しては頂けませんか?」
 外見から連想されたよりもずいぶんと丁寧に話した。
 はっとしてエスメラルダは手を離す。店の入り口に立たれると邪魔であるからこうして出向いたのであって、引き止めるためではなかったのを思い出したのだ。
 しかしエスメラルダが手を離しても男は立ち去る気配を見せない――エスメラルダから離れたいのか数歩後ずさったが。
 そして……二人の間に沈黙がおちる。
 そうして黙っている間にも強風が二人の服や髪を激しくかき乱しているので、エスメラルダはどうにも居心地が悪い。単刀直入に言った。
「……悪いけど、黒山羊亭のお客さんなら中に入ってくれないかしら? そうでなければ仕事の邪魔になるから入り口近くにいないでほしいんだけど」
「も、申し訳ありません。私は……依頼を受けていただこうと思って……」
「そうなら話を聞くから、中に入ってくれないかしら? こんな日に外で立ち話なんて趣味はないもの」
「そうして差し上げたいのは、やまやまなのですが……」
 男はまだおどおどと話している。
 子犬と対峙している獅子になったようだと、エスメラルダはぼんやりと思う。
 とうの子犬は意を決したようで、エスメラルダよりもずいぶんと背が高いというのに器用にも上目遣いで言った。
「私、とあるお屋敷に就職することが決まったのです。ですがそのお屋敷のご主人は女性でして……。ご覧の通り私は女性がとても苦手なのですが――決して嫌いではないのですが過去のトラウマのせいでなかなか近付けないんです――、どうにかして克服しようとここへ来ました」
「いっそのこと、男性しかいないお屋敷に就職したらどうなの?」
「そのお屋敷を紹介してくださった方には恩義がありまして、それはできないのです」
「……大変ねぇ」
 この男が黒山羊亭の入り口にいたのも、中にはエスメラルダを含め女性が多くいたので入るのに踏ん切りがつかなかったのだろう。
 自分という個人が嫌われているというわけではないと知り、エスメラルダの態度も自然とやわらかくなる。
「素敵な女性と沢山触れ合えば、トラウマも克服出るんじゃないかしら?」
「……そう願いたいものですが」
「さぁ、こんなところに立ってないでいいかげん入りなさいって」
「うぅ……」
 男……リルエールはエスメラルダの薦めにより、恐る恐る黒山羊亭へ足を踏み入れた。


 + + +


「エスメラルダ。そいつの依頼はあたしが受けるよ」
 そう言ってリルエールの前に立ちはだかったのは、健康的に引き締まった小麦色の肌とそこに入れられた刺青、そして何よりも上半身に何も身につけていないという特徴を持った少女だった。
 引き締まった体とは違い胸はふくよかで、女性同士であっても直視するのは気恥ずかしい。
「リルエールだっけ? あたしはオンサ・パンテール。どうぞよろし――って、うわ!?」
 倒れそうになったリルエールをオンサが慌てて抱きとめる。
 どうやら、リルエールはオンサから逃げる前に気絶してしまったらしい。
「だ、大丈夫かしら……?」
「とりあえず楽な姿勢にさせたほうがいいな」
 気を失ったリルエールをそのまま抱きかかえているわけにもいかず、店の端に椅子を五個ほど並べ、そこに横たえさせた。
「やっぱり、あなたのその格好は刺激的過ぎるようね……」
「そうか? 大したことじゃないんだから、気にしなければいいんだ」
 その言葉に苦笑するしかないエスメラルダであった。
 彼女たち獣牙族にとっては当たり前の風習であるので、大したことではないと感じるのは当然のことであろう。
 だが、獣牙族以外の人間にとっては奇異と映ることも多いのだ。
 ……人間の男性であれば大抵はオンサの格好を見て喜ぶのだが、リルエールのように違う反応をする者もいる。
 例えば、そのような格好ははしたないと分別臭く説教する男。内心どう思っているのかは知らないが、いかにも自分が一番正しいと言わんばかりにはた迷惑な理論を展開するのである。
 郷に入りては郷に従えという言葉もあるが、様々な種族が入り乱れて生活するこのエルザードでそのようなことを言うなど、いささか自己中心的に過ぎる。
 一方女性を恐怖するリルエール。彼は聖職者ではないのだから、女性の健康的な肉体を見て恐怖すると言うのももったいない性質だ、とエスメラルダは思う。
「おい、しっかりしな」
 リルエールの額に滲む脂汗をふき取りながら、オンサが面倒見よく声をかけている。
 と、リルエールが情けない叫び声をあげた。
 自分の上に被さるようにして介抱していたオンサを見て、心底恐怖したらしい。
 俊敏な動きでばっと飛び起きると、男の冒険者たちが囲む机の下にもぐり込む。
「本当に申し訳ないのですが……何か服を着ては頂けませんか……」
 オンサに背中を向けたまま、消え入りそうな声で言う。
「それは無理な話だ。服で刺青を隠すのは不吉なことなんだ」
「……うぅぅ」
 怯えて机の下から出てこないリルエールを小動物のようだと思いながら、オンサは物入れから布切れと薬草を取り出した。
「しょうがない、どうしても駄目ならこうしよう」
 そろりそろりとリルエールに近づき、ばっと飛びかかって素早く目隠しをした。
「さ、これでどうだ。まだ怖いかい?」
「少しは、大丈夫です……けれど……」
「……とりあえず、そこからどいた方がいいぞ。他人の迷惑になってる」
「そ、それは申し訳ない」
 手探りで机の下から這い出てくると、オンサの声を頼りに空いている椅子に座った。
 オンサはエスメラルダが持ってきてくれた熱湯入りのポットに鎮静作用がある薬草を落とし、それをリルエールのカップに注いでやった。
「この薬草には、心を落ち着かせる効果があるんだ」
「清々しい香りですね……頂きます」
 熱い茶を吹き冷まし、香りを堪能してから口に含む。しばらくそうしているうちに、リルエールは大分落ち着いてきたように見える。
「女性が怖いのには理由があるんだろ?」
「えぇ、まぁ……」
 歯切れの悪い返答。
 そのまま話し始めることはなく、落ち込んだ様子でちびちびと茶を飲んでいる。
「他人にその理由を話したことは?」
「女性にはありません」
「じゃあ、一回でも話してみたらどうだ。トラウマは口にするのも怖いかもしれないが、言った方がすっきりするということもある」
「……」
 オンサの言葉にしばらく考え込んでいたが、心を決めたように頷いた。
「そうですね。女性に話すというのに意味があるかもしれません」
 リルエールはカップをテーブルに置くと、手を組んで大きく息を吸った。
「私には十歳離れた姉がいます。彼女は少女の頃から……そう、オンサさんと同じくらいの年から、春を売って生きていたのです。私の家は中流階級よりはちょっと裕福でしたので、金銭的にそんなことをする必要はありませんでした。私が九歳のとき、なぜ娼婦を続けるのかと姉に聞いてみました。……読んだ本に、娼婦をやるなかで様々な困難があるということが書いてあったからです。姉に娼婦を続けなければならない理由があるのであれば私が取り除いてあげようと、幼心に思ったのです。ですが……姉の答えは……」


「そんなの、綺麗な男が好きだからに決まってるでしょ。不細工な客も多いけど、私ぐらいの娼婦になるとこっちから客を選べるようになるのよ。……そうねぇ、リル、あなたもずいぶんと可愛くなったわね?」
 艶やかな赤い唇が笑みの形を作る。
 胸元が大きく開いた服からは透けるような白い肌と豊かな胸が見え、スカートに入った深いスリットからはすらりとした足が見える。
 彼女は手を伸ばすと、赤いマニキュアを塗った指を幼いリルエールの頬から首筋、肩へと滑らせていく。
「リル……最初の相手にお姉ちゃんを選んでみない?」
 眩暈のするような強烈な香水の匂い。
 自分を見つめる潤んだ赤い瞳。
 それらはあまりにも強烈に、リルエールの脳裏に焼きついた。


「……こう言っては何だけど、その姉と他の女性を同一視するのは失礼だ」
「頭では分かってはいるのですが……いざ間近に迫られると、幼き日の光景がよみがえってきて駄目なのです」
「そうか……大変なんだな」
 大変だからこうして依頼に来たのだろうが、それが率直な感想なのだから仕方がない。
「やっぱりエスメラルダも言うとおり、女性と接して恐怖を克服するのが一番だと思う。ということで、あたしと数日間一緒に行動しよう。もちろん寝食一緒だ」
「えっ。……数日間……?」
 リルエールの顔が一気に青くなる。それは見ていていっそ見事なほどだったが、本人にとっては冗談ではないのだ。
 彼は九歳から今まで、なるべく女性と接近することがないように生きてきた。
 そんな生活を突然一転させ、寝食を共にとなると……。
「あ、もちろん寝床は違うからな。あたしだって知り合ってすぐの男と一緒に寝るなんてご免だ」
 真面目に宣言するオンサ。
 その後ろでエスメラルダがくすりと笑ったのは、オンサの素直さを可愛いと思ったからだろうか。
「……数日間……」
「まだぶつぶつ言ってるのか? 短期間で女性恐怖を直したいと思うのなら、多少の荒療治も必要だろう」
「…………」
 返事はない。
 だがオンサは返事を期待してなどいないようで、目隠しを取るとリルエールに笑いかけた。
 リルエールは再び体を硬直させていたが、いつまでも女性を恐がって距離を置いていたのでは埒があかないと分かっていたのだろう。ゆるりと頷き、深々と頭を下げた。
「どうぞよろしくお願い致します」
「ああ。これで治るといいな」
 影のない笑顔で頷くオンサ。
 ――あぁ、この人であれば確かに恐怖意識を克服する事ができるかもしれないと、リルエールはぼんやりと考えたのだった。


 + + +


 黒山羊亭から出たオンサとリルエールの二人は、とりあえずエルザードの街を散歩する事にした。
 エルザードの街は大きく、昼夜問わず様々な人種と道ですれ違う。人だけではなく、店先には古今東西の品物が陳列され、道を行く人々を誘惑する。
「面白そうだな?」
 店先に並べられた品物を興味深そうに見つめるリルエールに声を掛けた。
 彼は少し身を強張らせ、オンサに背中を見せたまま頷いた。
「えぇ。実は私、エルザードに来て間もないのです」
「そうなのか。じゃあ、街を散歩するっていうのはちょうどよかったな。……どこから来たんだ?」
「ここから随分と西にある砂漠ばかりの国です。あるのは砂と太陽、そして疲れた人々ばかりでした」
 リルエールは遠い目で語る。
「どこまでも果てしなく続くのではないかと思われるほど広大な砂漠。その中にぽつりぽつりと幻のように点在するオアシスに私たちが住む町はありました。先にお話したとおり私の家はお金に困る事はありませんでしたが、オアシスが枯れて家財が砂に埋もれる恐怖は身分に関係なく襲い掛かってくるのです。人々の心は廃れていて、犯罪が横行している場所でした……」
 それに比べて、このエルザードの街はなんと平和で豊かな場所なのだろう。
 ……彼は最初、仕事を紹介してくれた人物には恩義があるので女主人がいる屋敷に就職すると言っていた。だが、その荒廃した砂漠の町よりは女性主人がいる屋敷のほうがマシだと、心のどこかで思ってこちらへ来たのかもしれない。
 そう考えると、女性恐怖を克服するのもそう困難ではないかもしれない。
「ここはいい街だ。そりゃあちょっとは犯罪だって起きるし、場所によってはとても物騒だけど。まぁ、日々の刺激にはちょうどいいって感じかな」
「いい王様が統治されているのですね」
「世界一の賢王だと思うな」
 明るいオンサの言葉にリルエールは恐る恐る振り返る。
 その顔には、はにかむような笑みが浮かんでいた。
 それを見て、オンサが驚いたように目をぱちぱちさせている。
「あんた、何だか……」
「な、何でしょう?」
 リルエールはオンサの上半身裸という刺激的な格好を直視できずにすぐ背を向けてしまう。
 だが、オンサの心にはリルエールの笑みが焼きついていた。
(何だ、そういう顔も出来るんじゃないか……)
 口には出さなかったが、その事実を知ってオンサは嬉しくなった。
 娼婦の姉による偏った恐怖をどうにかして取り除けば、女性とはすぐにでも仲良くなれそうだ。
 ……むしろ、その笑みで何人とは言わず何十人もの女性を虜に出来るのではあるまいか。
「うーん、無意識っていうのは恐いね」
 リルエールは日が暮れるまで飽きもせず街を巡った。そして、オンサが適当に決めた宿に泊まることになった。


 + + +


 夕食時。
 暖かい色のランプがいくつも灯された宿の食堂は、酒場かくやという喧騒に包まれていた。
 最初オンサは二人で机に座り、向かい合って夕食をとろうとした。だがリルエールが必死に懇願したので――まだオンサを直視できる状態ではなかったのだ――カウンター席に座る事にした。
 オンサはリルエールと席を一つ分空けて座ろうとも思ったが、この混雑した場所でそんなことをしたらいい迷惑である。
 リルエールも、オンサがすぐ隣に座った事に対して何も言わなかった。
 ……間近で見るとリルエールの腕は鳥肌が立っており、しかも例の如く体を硬直させている事がよく分かったが、これも訓練だと思って我慢してもらう事にした。
「へぇ」
 自分も夕食をとりつつリルエールの様子を観察していたオンサが、感心したような声を上げた。
「な、何ですか?」
 視線を手元に落としたまま問うリルエール。
「いや、思っていたより随分と量を食べるんだなと思って」
「……おかしいでしょうか?」
 心配そうに言うリルエールの手元には、ミートソースのスパゲッティ、マッシュルームとナスのピザ、アスパラが添えられたハムエッグ、エビドリア、マカロニにフレッシュサラダと、実に沢山の料理が並んでいるのだ。
 身長は高いが横幅はそこまでない体のどこにこれほど多くの料理が入っていくのだろうと、思わず首をひねってしまう。
「そのまま食べてれば立派な戦士になれそうだ」
「それは……暗に食べ過ぎという事でしょうか?」
「いや、量を食べるのはとてもいい事だと思うよ。……あんた、武術を何かやってるのか?」
「はい。故郷では用心棒のような仕事をしていましたから、人並み以上に動ける自信はあります」
「いつか手合わせ願ってみたいな」
「えっ!?」
 リルエールは心底驚いたようで、オンサが上半身裸であるということも忘れたのか、じっと彼女の顔を見つめている。
「女は相手に出来ないとでも言うのかい? そうであるなら酷い侮辱だ。あたしは獣牙族の戦士なんだよ」
「も、申し訳ありません……。でも、こんなにもよくして下さる方に戯れでも刃を向けるのは、ちょっと……」
「大袈裟だよ」
 少しずつ打ち溶け合ってきた二人が色々と話しているうちに、食堂の客は減り、残っているのは泥酔した客と店員ぐらいになってきた。
 二人もそろそろ眠り、翌朝早く起きてまた街を巡ろうということになった。
 席を立って部屋へ行こうとしたとき、リルエールは気になる視線を感じた。
 二階へ通じる階段のすぐそばに陣取った旅人風の男が、オンサの体を見てにやにやと笑っているのである。
 見られているオンサ自身はその様な事は日常茶飯事なので全く気にしていないようだが、部屋に帰ってからもリルエールは彼の存在が妙に心に引っかかっていた。


 + + +


 翌朝、エルザードの街は濃い朝靄に包まれていた。
 砂漠生まれのリルエールはこのような光景を見たのは初めてだったので、いたく驚いているようだった。
「煙ではないのですか?」
「全部水分だよ。エルザードでも珍しい光景だけどね」
「この中を歩いたら窒息しそうですね」
「そんなことはないから安心しなよ。風呂場の湯気と一緒だ」
 せっかくの美しいな朝だからと宿の近所で軽食を購入して、見晴らしのいい丘の上で朝食をとることにした。
 ちょうどいい切り株を見つけたのでそこに座り、普段とは違う幻想的なエルザードを見ながら、リルエールはぽつりと漏らした。
「私が就職する予定のお屋敷も、小高い丘の上に立っているそうです。こことは違ってもっと建物も人も少ない場所だそうですが、今朝のように美しい景色が見れるでしょうか」
「もっと綺麗な場所かもね」
「そうだと嬉しいのですが」
 水筒に入った水を飲みながら言う。
 宿の近くにあった噴水で汲んだ水だが、彼はそれを実に旨そうに飲んでいる。
 普通は茶や酒を好みそうなものだが、砂漠から来た彼にとって清潔で冷たい水ほど旨いものはない、ということらしい。
 彼の隣で焼きたてのパンをかじるオンサも、同じく水を飲んでいた。
 彼女にとっても水は何よりも体を満たすと感じるのだ。
 案外いいコンビになれるかもなと、オンサは楽しそうに微笑んだ。
 その日も前日と同じく街を回り、ちょうどエルザードを訪れていたサーカス団を見ることも出来た。
 短刀投げの的を頭に乗せる役としてリルエールが選ばれ、投手がレオタードを着た女性であると分かった時は、恐怖で倒れそうになった彼に短刀が刺さるのではないかと心配したオンサだった。だが、実際始まってみると女性と向かい合うリルエールも案外楽しそうだったので、思わず拍子抜けした。
「大丈夫そうだね」
 日が随分と傾き、昨晩泊まった宿へ向かっている途中。
「これもオンサさんのお陰です。さばさばしたオンサさんであるからこそ、その様に刺激的な格好であってもこうして話すことが出来るのです」
(こうして喋っていてもこっちを見てないけどね)
 だがそれは口にしない。せっかく自信がついてきたのだから、わざわざそれをぶち壊す必要はないだろう。
 夕食は既に外で済ませてきたので、二人はさっさと部屋に入る事にした。
「明日には、もうあたしが必要ないかもね」
「そんなことは……。私一人で女性がたくさんいる道を歩くのは、まだ無理そうです」
「あたしは女じゃないのかな?」
 笑いながらオンサにそう言われ、リルエールは慌てて頭を振った。
「そ、そういうわけではありません! 何だか……オンサさんが一緒にいてくださると、不思議と気分が落ち着くのです」
「それは嬉しい言葉だな。……じゃあ、明日はもっと女性が多い場所へ行ってみよう」
「……頑張ってみます」
 リルエールは強張った笑顔を浮かべ、オンサが自分の部屋に入る音を聞いた。
 廊下の小さな窓から空を見上げ、煌々と輝く満月をしばらく見つめていた。


 + + +


 満月も夜も頂点に達した頃。
 オンサとリルエールが泊まる宿の周りを、幾つかの人影が動き回っていた。
 二つは隠密活動には到底向きそうにない大柄でたくましい男。もう一つは他の二つの影と対をなすかのような、小柄で細身の男。
 彼らは宿屋の裏に回ると、二階の窓から垂れている綱をよじ登り、一つの部屋に侵入した。
 その部屋にはもう一人のごつい男が待機していた。
「この部屋の二つ右の部屋だぜ。この部屋と女の部屋の間には女の連れが泊まってるが、何も気にするこたぁねぇ。女を恐がるようなタマなし野郎だ」
 男たちが小さく下卑た笑いを漏らす。
 四人の男はリルエールが眠っている部屋の前を素通りすると、オンサが眠っている部屋の扉の前で一度頷きあった。
 音を立てないように扉をそっと開く。
「ははぁ、こりゃ本当に上玉だ」
 男たちは薄いタオルをかけて健やかな寝息を立てるオンサを覗き込み、そっとその肌に触れた。
 と、オンサはかっと目を見開き、男たちから離れようと扉とは逆の方向へ飛び退った。
「お前らは……!?」
「おっと。勘のいいお嬢ちゃんだ」
 オンサはとっさに荷物をつかみ、逃げるべきか反撃するべきか逡巡した。
 ここでは得意の弓の力を発揮できないし、素手で男四人を相手するのはさすがにきつそうだと考える。
 オンサは結局、そのまま窓から逃げようとした。
 が、体が金縛りにあったように動かない。
 舌打ちをしたい気分で男たちを注視すると、大柄の男三人に隠れるように立つ小柄な男が、こちらに先端が光る杖のようなものを向けていた。
 恐らく魔法の類を使ってオンサの動きを制しているのだろう。
「怒った顔もまた可愛らしいな」
「な、俺の言ったとおりだろ。媚を売る娼婦にはそろそろ飽きたところだし、こういう反抗的な美少女もいいよなぁ?」
 そこでオンサは思い出した。
 大柄な男の一人は、昨日の夕食後に階段下にいた男に間違いない。
 怒りの余り目の前が暗くなる。
 その視界の中で男の一人がオンサに手を伸ばそうとした瞬間、小柄な男が床に叩きつけられた。
「!? てめぇっ!!」
 残った三人の男は突然の闖入者をすぐにも叩き潰そうとそれぞれ獲物を構えた。
 一人は短剣。
 一人は狭い大きな曲刀。
 一人は投げ用のナイフ。
 対する闖入者は素手であるように見える。
 部屋は狭いので男たちは一気に襲い掛かることが出来ず、まずは短剣の男が闖入者に襲い掛かった。
 相手は素手だと油断しきっているのか力任せに逆袈裟斬りにする。闖入者は少し後ろに下がって切先を避けると、がら空きになっている男の首筋に手刀を打ち込んだ。
「大丈夫ですか、オンサさん!」
 闖入者……リルエールは男を一人床に沈めると、オンサの安否を気にして声を張り上げた。
 その頃になってオンサはようやく体の自由を取り戻し、彼女に背を向けていた曲刀の男に鋭い踵落としをお見舞する。
「……リルエール! よく異変に気がついたな!」
「これだけが取り柄ですから」
 自嘲気味に笑いながら、残る投げナイフの男に肉薄する。
 男の前にはリルエール、後ろにはオンサがいたので、体を低くして横に飛び、部屋に一つだけある窓へ向かって転げるように突進する。
 だが、その行動はオンサも予想済みだった。
 牽制として投げてきた狙いの甘いナイフを枕で受け止めつつ、滑るように移動して顔面に肘鉄を食らわせた。
 侵入者を全員片付けると、オンサは大きくため息をついて持っていた枕を投げ捨てた。
「こんな夜中に部屋まで襲ってくるとは、好かれたもんだね」
「このようなことが、これまでにもあったのですか?」
「さて、どうだったかな。ここまで気合が入ったのは始めてかな。嬉しくないけど」
「当たり前です!」
 呆れたように話すオンサとは違い、リルエールのほうが明確に怒りを表していた。
 ここまで大掛かりなのは始めてであるが、オンサにとって男性から言い寄られる、または襲われることは全く始めてなどではないのだ。そのせいか『いまさら騒ぐこともない』というような気分になっているようだった。
「今日はいい月が出てる。夜道を歩くのにランプも必要ないし、いい日だったんだろうな」
 気絶している投げナイフの男を跨ぎ、銀色に輝く月を見上げる。夜這いの直後だというのに、実にのんびりしている。
「さっさと縛って、突き出すべきところに連れて行きましょう」
 リルエールは部屋に常備してある荷を縛るための縄を使い、男たちをぐるぐる巻きにしていく。
 三人の大柄な男を縛り終え、残りの一人を縛ろうと振り向く。
「えっ?」
 体が窓の外に突き飛ばされるを感じ、オンサが思わず声を上げた。落ちないように身構えなかったのは殺気を感じなかったからだろう。
 反射的に振り返ると、自分に体当たりをするリルエールと、その向こうには上体を起こして杖を構える男の姿が見えた。
 杖の先端が、蜃気楼のようにぐにゃりと歪んでいる。
 地面に落下する途中、オンサがいた部屋から青い炎が噴出すのが見えた。
 オンサは猫のように着地し、その横でリルエールも器用に地面に降り立った。
「突然すみません……声をかける余裕がありませんでした」
「いや、謝ることはないよ。むしろあたしが礼をいわなきゃね」
 心底申し訳なさそうに言うリルエールを観察しながら、オンサが言う。
 ……リルエールはちゃっかりと荷物を持ち、ただ申し訳なさそうにしているのだった。
「なんだ……もう全く大丈夫なんだ」
「え?」
 きょとんとするリルエール。
「あたしに体当たりしたってのに、緊張もしてないし鳥肌も立っちゃいなし」
「あ」
 そう指摘され、リルエールは心底驚いているようだった。
 オンサを正面から直視することはまだ出来ないようだったが、それは恐怖からではないようだ。
 オンサはまだ何か言おうとしたが、激しい物音を聞いて人が駆けつけてきたので、その夜はそこまでになってしまった。


 + + +


 夜這い騒ぎの数日後。
 黒山羊亭にはオンサとリルエールの姿があった。
「いらっしゃい。喉渇いてない?」
「では紅茶を」
 エスメラルダの問いににこかやに返すリルエール。
「あら、本当に丈夫になったわね」
 エスメラルダが鼻歌を歌いながら厨房へ引っ込むと、オンサがリルエールに話しかけた。
「エスメラルダの言うとおりだ。全く、本当に丈夫になったよ。女性に見られるだけでびくびくしてたのが嘘みたいだ」
「でも……オンサさん以外の女性に触れられるのは勘弁願いたいものです」
「何だ何だ、そりゃおかしな風に聞こえるよ」
「もちろん他意はありませんよ」
 二人で声を上げて笑う。
「で、就職先はどこなんだ?」
「ちょっと田舎にある……通称『丘陵の屋敷』という場所です。現在は64歳の女主人と26歳の執事のみが住んでいて、お屋敷を管理するだけでもとても大変のようです」
「へぇ。行けばまた会えるかな?」
「もちろん。……私がお屋敷に慣れたら、オンサさんに午後のお茶への招待状を送らせてください」
「楽しみにしてるよ」
 二人で紅茶をすすり、簡単な軽食を食べた。
 数日間二人で一緒に行動した結果、ここまで女性に対する恐怖が取り除かれた。
 これまで異様に女性を恐れていたので努めて顔を合わさないようにしていたのが悪かったのだろうし、訓練相手がオンサだったということも大きいのだろう。
 いまや二人はいいコンビとなり、他愛ない話で笑い合うまでになったのだ。
 黒山羊亭の扉が開き、通りの喧騒が聞こえてきた。
「あら、ノトールじゃない」
「や、エスメラルダ。リルエールって男はいるかな?」
「いるわよ。あなたの右にいる、カウボーイハットの美男子さんよ」
「お前さんがうちの屋敷への就職者か!」
 入ってきた銀髪の青年ノトールは、オンサにちらりと視線を向けたあと、リルエールの肩に手を置いた。
 何やら感じたようにうんうんと頷きながら。
「あんな辺境にある不便な屋敷に就職しようとは、いまどき根性があるヤツだな」
「は、はぁ……」
 拍子抜けしたように相槌を打つリルエール。
 このノトールという男は執事らしい服を着ているのに、軽いと言うかなんと言おうか、想像していた人物とは大分違っていたようだ。
「彼女に別れの挨拶をするなり何なりして、さっさと出発しよう。もたもたしてると屋敷に着く頃には夜になるぞ。しかも屋敷ではアスティアさんが一人寂しく待ってるんだから早くしなきゃな」
 壁にかかっている時計を気にしながら早口でまくし立てた。
「彼女だってさ」
「す、すみません……」
「いや、だから、謝ることじゃないけど」
 リルエールはエスメラルダに飲食代を払うと、ノトールに引っ張られるようにして黒山羊亭から出て行った。
 黒山羊亭の前の通りには、小さいが頑丈そうな馬車が一台止まっていた。御者台に人はなく、おそらくノトールが屋敷から乗ってきたものなのだろうと思われた。
 ノトールは荷物が満載された荷台のわずかな空きにリルエールを乗せ、自分もさっさと御者台につく。
 食料や備品の山に囲まれながら、リルエールはこの数日間での心境の変化を実感していた。
 数日前の自分は、こうして通りの只中にいるだけでも女性に対する恐怖で体がこわばり、まともに道を歩くことさえ怪しかったのだ。
 それが今では、辺りの景色を観察する余裕までうまれているのだ。
 ボール遊びをする子供。
 泣き出した赤ん坊をあやす若い母親。
 軒先のベンチに座ってのんびりと喋る老人。
 威勢のいい掛け声で新鮮な食べ物を売る店主。
 エルザードの街は活気に溢れ、生気に満ちていた。
 そんなことをいまさらのように実感するのだった。
「これを持って行け」
 その声に横を見ると、馬車の横にオンサが立っていた。
 手には獣の骨や綺麗な石などで作られた腕輪のような物。
「部族特製のお守りだ。リルエールにこの先大いなる幸せが訪れますように」
「ありがとうございます……オンサさん」
 受け取ると早速腕に通す。
 それは見た目よりも軽く、振ると軽くいい音が聞こえた。
「じゃ、出発するぞ」
「はい。……さようなら」
「さようなら。また会おう」
 馬の軽いいななきと共に馬車は進みだし、どんどん速度を上げて石畳の上を走っていく。
 馬車の上で手を振るリルエールの姿はどんどん小さくなり、やがて曲がり角の向こうに消えた。
 オンサは振っていた手を下ろすと、昼間の気持ちいい外気を胸いっぱいに吸い込んでから黒山羊亭の中へ戻っていく。
 手紙がくるのを楽しみに待つのも悪くないと、オンサは思った。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【0963/オンサ・パンテール/男性/16歳/獣牙族の女戦士】


NPC
【リルエール】
【ノトール】
【エスメラルダ】


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、糀谷みそです。
この度は『対女性恐怖を克服し隊!』にご参加いただき、ありがとうございました。
そして納品が大変遅くなり、誠に申し訳ありませんでした。
これ以後このようなことがないよう、心を改めて挑みたいと思います。

話が予想外に長くなってしまいましたが、楽しんでいただけたでしょうか。
男に夜這いをかけられるなどすごい展開になっていますが…… (^_^;)
欲を言えば弓を使っている場面を書きたかったなと。
やはりオンサさんの本領発揮は肉弾戦ではなく弓だと思うので〜。
リルエールは聖獣界冒険紀行の『丘陵の屋敷』という場所に就職したので、機会があったら顔を見せてやってくださいませ〜。

ご意見、ご感想がありましたら、ぜひともお寄せください。
これ以後の参考、糧にさせていただきます。
少しでもお楽しみいただけることを願って。