<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


おいでませ、苺園

 一面苺であった。
 小さな赤い実が、そこかしこで朝露の光を放っている。
 彼女はゆっくりと振り向いた。キラキラと朝露の輝く中、彼女の視線の先に二人の男が佇んでいる。
「ねぇ、見て」
 呟いた彼女の姿に、男の一人が驚いたような顔を見せる。筋骨隆々の彼が、一歩彼女に近づいた。その後ろで微動だにしないもう一人が、ただゆるりと目を細めた。眩しいものをみるような、そんな顔だった。
「お前……」
 彼女へ近づいた男は、ぐっと息を呑む。
 ああ、彼女は――彼女は、何故。こんなにも。
「つーかお前、鼻に苺がくっついてんじゃねぇか!!」
 赤々と腫れ上がり、粒々と斑点をもった鼻をしているのか。
 キラキラと輝く温室の中で、響いた男の――オーマの声に、ユンナがワッと顔を覆った。
「貴方だってそうじゃないのよ!? なに、その鼻! ばっかじゃないの! ばーかばーか!!」
「てめぇ! 馬鹿って言ったほうが馬鹿だってんだよ、ばーかばーか!」
「うるっさいわね! ふ、ふふん、私なんて、鼻が苺になっても美しいのよ、貴方には真似できないでしょう!」
「それを言うなら、俺だって鼻が苺だって腹黒筋肉ナイスオヤジは変わらねぇってんだよ、お前にゃ真似できないだろうがな!」
 喚きだした二人の姿を見て、後ろでひっそりと佇んでいたジュダが、溜息一つ呟いた。
「……まず鼻をどうにかしたらどうだ」
 温室に響いた言葉に、二人はキッと涙目でジュダを睨みつけた。
「ていうかだな! なんでお前の鼻は無事なんだよ!」
「そうよジュダ! どうして貴方だけ無事なのよ!?」
 キィ、と温室が壊れそうな勢いで怒鳴りつける二人に対して、ジュダの態度は変わらない。相変わらずどこか冷静な顔でぽつりと口にする。
「苺を食べて無いからじゃないのか」
 ――ごもっとも。

 ◇

 ソーン腹黒商店街による朝筋新聞のチラシに載っていた『苺狩り』を見つけたのはオーマとユンナの二人であった。
 古今東西の苺の他に人面苺、そして筋肉や美容に良いという苺。様々な苺が揃えられているという二人にとってはまさに夢のような知らせ。これにのらない二人ではない。なんせつい先ごろ、筋肉と美容のためにジュダを巻き込んで合宿を行ったくらいなのだ。
 日々、是精進。
 そんなわけで、二人では狩る量も減るだろうとまたもジュダを巻き込んでの苺狩り。
 気付くべきだったのだ。
 そう、送迎付きというその苺狩りのバスが来た時点で気がつくべきだったのだ。
 ――もしかしたらジュダは気がついていたかもしれないが、『用事がある』と逃げようとしたのをオーマとユンナに引っつかまれて無理やりバスに乗せられた時点で諦めの境地に立っていたから、もはや怪しいなどとは口にもしなかった。
 バスの側面に、なにかナマモノがくっついていた。
 あぁ、なんということだろう。オーマもユンナも魅惑の苺狩りにしか目がいかなかったなんて!
 そのナマモノバスに乗り込み向かった苺園はといえば、ナマモノが漂っているような場所であったけれど――その頃になるとジュダは脱力感一杯で一言だって喋る気にもならなかった。
 嬉々として苺狩りを始める二人を横目にいそいそと、とりあえず本日のノルマを達成しようというジュダ。
 聞こえる笑い声。
「ちょっとオーマ! これほんっと甘いわよ!? 食べてみた!?」
「うおっ!? マジで甘いな!」
 やれやれ楽しそうなことだ、とやはり一人もくもくと苺を狩っていた数分後――事態は、一変した。
 ユンナのどこか哀しげな声。
 驚きを隠せないオーマ。彼女とオーマの姿に思わず目を細めたジュダ。
 冒頭へ、戻る。

 ◇

「ちょっとどうするのよ、オーマ!」
「俺が聞きてぇわ! ……くっそ、こんな鼻じゃいくら筋肉鍛えてもカッコつかねぇじゃねぇか……!」
「あああ、言わないで! わ、私だって、いくら肌がキラツヤ完璧ボディでも、鼻がこれじゃ美しさが……!」
 苺狩りは、突如地獄絵図と化した。――主に二人にとって。
 あぁあと泣き崩れるユンナ、そして隣で悔しがるオーマ。もくもくと苺を狩るジュダ。
 一種異様な光景に、苺園の人間さえもすっかり逃げてしまっている。……そもそも送迎バスに乗っていたのが本当に人間だったかどうかも定かではなかったが、今はそれどころではない。
「……ユンナ。泣いていても始まらない」
 二人の姿にジュダが溜息混じりに近づいた。バスケットにはモリモリと苺を摘んである。とりあえず本日のノルマを達成することは忘れていない。
「でもジュダ……私、どうしたら」
 キラ、とユンナの瞳から涙が零れた。
 苺の鼻先からぽたりと落ちる雫は、まるで朝露のようだ。嬉しくないかもしれないが。
「何か打開策があるはずだ」
「……いいえ、ジュダ。私……私は美しさを失ったとき、すでに生きてはいかれなくなっているの。
 私の美しさは、そういうもの……ジュダ、ごめんなさい。私もう、だめ……」
「ユンナ……」
 ふらりと倒れかけたユンナをジュダが支える。バスケットから苺がいくつかごろっと落ちる。
「ジュダ……」
 まるでこの苺園には、愛し合う二人しか居ないよう――。
「つか何してんだよ。昼メロはいいから。あれ。あれ見ろって。アレ」
 世界をあっさり邪魔したオーマの声に、ユンナがしっかりと立ち上がった。
「邪魔しないでいただけないかしら? せっかくの昼メロが……え」
「……何事だ?」
 ジュダも立ち上がり、オーマの示したほうへと視線を向けた。
 苺園の一角から、どす黒い煙のようなものが吹き上がっている。丁度そこは、先ほどオーマとユンナが苺の試食をしたところだ。
「……これはあれか。調べなきゃ先に進まねぇっていうあれか?」
 ぽつりと呟くように口にしたオーマにユンナとジュダが頷き答える。
「そうみたいね。オーマ、出番よ」
「なんで俺だ」
「……そういうことには、一番向いているだろう?」
 二人にじっと見られれば、う、と声を詰まらせるしかない。
「ったく、しょうがねぇな!」
 がし、と頭をかきながら、オーマがその一歩を踏み出した。



 煙に近づいてみると、周りをナマモノ達がふよふよとひっきりなしに飛んでいた。
「……どうなってんだこりゃ。
 くそ、苺鼻で甘い臭いしかしないせいか、感覚も鈍ってる気がするぜ」
 ち、と舌打ちをした音が、やけに響く気がする。
「どう? オーマ」
「遠くから言ってんじゃねぇっての!」
「……近くに行かねばならぬということか」
 オーマの言葉にジュダが動いた。ユンナがその後ろに隠れるようについてくる。
「あ、でもジュダは来ねぇほうがいいかもな。ナマモノが大量に――」
「……なに?」
 そういうことは、はやく言え。
 思わず零れそうになったジュダの言葉は、眼前の光景にすっかり攫われてしまった。
 大量のナマモノがそこに、いる。
「すごい量ね……しかも種類も豊富だわ」
「だろ? ……おい、ジュダ? 生きてるか?」
 まるでユンナを護るように立ちはだかっていたジュダに、オーマが声を掛けた。
 彼は無言だった。
「……ジュダ? どうしたの?」
 ユンナもさすがに不思議に思って彼の前に出る。余り感情を出さないからといって、ここまで無反応なのも少々おかしいような気がする。
 ふと思いついて、彼女はひらりとジュダの前で手を振った。
 無反応であった。
「……立ったまま意識が飛んでるわ」
「マジか」
 がくり、とオーマが項垂れる。
 どうする。どうなる?
 苺鼻が二人、こんなところに取り残されて――唯一被害の無い男は、たった今、彼にとって最大級のダメージを受けてしまった。
 人生において、かつてこんなにピンチなことがあっただろうか……!
 ――丁度、その時だった。
「おーい、あんたたち、何してる?」
 背後から、ゆったりとした声が聞こえてきたのは。



「って、ちょっと待ちなさいよ!
 私達が食べたのは、もしかして、その研究段階の危険な毒苺だったってわけ!?
 あの煙も研究中の苺のものだったってこと!?」
 ユンナの声が大きく響いた。
 広告に書いてあった苺園は、この隣の温室。
 ここは苺の研究に使われている、関係者以外立ち入り禁止の場所であったと知った直後のそれであった。
 どうやらそういう看板も立っていたらしい、が――。
「ナマモノがどっかにやっちまったかね? やっぱり美味い苺にはナマモノも寄ってくるからねぇ。
 ほら、客が多けりゃ売れてる証拠だろ? つい、ナマモノもそのままにしちまってて……ちょっと愛着もわいちゃったんだよねぇ」
 こんなことを言われて、何故おおらかでいられよう。
「オイコラ! そんな理由で客をこんな危険に晒していいと思ってんのか……!
 この鼻を見ろ、この鼻を! 見事なまでのこの鼻を!!」
「あぁ、大丈夫大丈夫。三週間で元に戻るよ」
「三週間も待ってられっか!
 出せ、鼻を戻す薬を寄越せ! 中和剤作れ!!」
「そうよ、早く薬を出しなさい!」
「といわれても、保存がきかないから今から作らないといけないし」
「だったら作れ……ッ!!」
 オーマとユンナ。
 この二人に迫られてウンといわない一般人が一体どれだけいるのだろう。
 おじさんが首を縦に振るのも、時間の問題だった。

 ◇

 気がつくと、ジュダはベッドの上に居た。
 テーブルの上に山のような苺が飾ってあった。ゆるりと起き上がって辺りを見回すと、ユンナとオーマがそこにいる。
「ジュダ、お目覚め? ……良かったわ」
「おお、気がついたか! なっさけねぇなぁ、アレくらいで倒れてんじゃねぇよ。連れ帰ってくるの大変だったんだぜ?」
 そんなことを言われても、以前の合宿のデジャブが。
 言ってやりたい言葉は喉奥にしまって、ジュダはただ頷き一つ返した。
「……顔を洗ってくる」
「そ、そうね。さっぱりするわよ」
「じゃ、俺達帰るわ。またな」
 ひらりと手をふる二人に、ジュダは「あぁ」とだけ返した。



「……良かったのかしら。黙って出てきて」
 ジュダの部屋を後にした直後、ユンナは思わず口にした。オーマがゆるりと首を振る。
「よかったも何も、言えるか? 帰り際、ナマモノ'sに身包みはがされて襲われそうになってたところを、助けるために即席でつくった苺爆弾を投げつけてやったら、うっかり、そこからこぼれた研究中毒苺が気絶中のジュダの口に入っちまった、なんて」
「……しかも私たちはオジサンを降伏させて二人分の中和剤をもらってきた後だったし……ね……」
 そうしてジュダの発症は、中途半端に毒苺を爆弾に具現化させていたせいか、他の二人よりも遅く――彼を連れ帰った後、中和剤も使いきってしまった瞬間に起こったのだ。



「……苺鼻になっている」
 オーマとユンナがこそこそと逃げ帰った頃、ジュダは鏡の前でぽつりと呟いていた。
 一体どうしてこんなことになっているのか彼には意味が分からなかったが、とりあえず鏡に映る水に濡れた鼻は、異様に瑞々しい苺鼻になっていた。
 ふと、気がつく。そういえばユンナ達は、すっかり普通の鼻に戻っていたと。
 ジュダはタオルで顔を拭きながら部屋へと戻った。中和剤が、きっと、この山盛りの苺と共にあるはずだとそう思ったからであったが――
 
 彼は、知らなかった。

 ――中和剤が今すぐには手に入らないことを、彼はまだ、知らなかった。


- 了 -