＜聖獣界ソーン・ＰＣゲームノベル＞
鴉市 ―The black market―
●黒き月光
陽は今日という日に別れを告げて、眠りの帳がウィユベールを包む頃。
庭先の白いアルストロメリアが、夜気に含まれる蒼い靄をたっぷりと受けてこうべを垂れる頃。
月光すら導くことのない街外れへ続く道を、２名の男女が朧の灯りを頼りに進んでいた。
（「本当に、こんな薄寂れた所で市場なんぞが繰り広げられているのかね……」）
オーマ・シュヴァルツがアリュセの用意したカンテラで先を照らす。不安要素は、けれどもあえて口にせず。先程より彼のヴァレルの裾を掴んでいる小さなご令嬢を怯えさせるのは、あまりにも気が引けるからだ。
本当は、始めに手を差し出したのである。だが、アリュセはオーマの手を握ろうとはしなかった。年相応の気恥ずかしさと、初対面の男性であること。２つの偶然は彼女の心のストッパーをより強力にしたに過ぎなかったのである。
とはいうものの、そんな乙女心が理解出来ない程にオーマは鈍感ではなかったし（むしろ敏感であると自負している）、だからこそ軽く息を吐きながらそっと微笑を送るに留まったのだ。
生暖かい風がねっとりと頬に張り付き、髪を掴んでは乱す。まだ夜に外出するには上着を余計に羽織らなければ肌寒い時期であるはずなのに、今夜だけは違っていた。
息苦しい。
目に見えぬ黒い膜が街全体をすっぽりと覆っているかのようである。
「…………っ！」
ただでさえ本人の意思に関わらず余計なものまで見えてしまうアリュセにとって、この重圧は苦痛そのもの。額に玉の汗を浮かべる彼女の緊張感がヴァレルから伝わってくる度、オーマの心もまた痛むのであった。
互いの想いが交錯する中、確実に目的地へ近づいて行く。
●闇市
件の墓場は、果たして噂通り市場が存在していた。
もっとも、闇市とはそもそも不法によって流れ着いた品々が非合理で売買される場である。篝火が轟々と焚かれているはずもなく、代わりに季節外れの蛍のような青白い炎が揺らめいては消え、また不意に突飛な場所から現れる。蛍と明らかに違うのは、その光から微塵も優美さが感じられないということである。ウィル・オー・ザ・ウィスプ（西洋鬼火）というやつだろうか。
冥界への入り口がこの世のどこかにあるとすれば、その内の１つはここなのではないか。
そんな錯覚すら覚えてしまう負の気が凝っていた。
「大胸筋踊りマッスルな親父レアアイテムとかもありやがるんかね？」
今にも舌なめずりしそうな勢いのオーマは、早速露店の物色に取り掛かる。
家族思いのこの御仁、普段ならば妻子の手土産でも探すところなのだが、場所が場所であるだけに今回は己へのちょっとしたご褒美感覚で、あれこれと手に取っては眺めていた。
数多の時に身を置き、酸いも甘いも知り尽くしている彼にとっては、これらおどろおどろしい光景を目の当たりにしたところで別段、気後れするようなものではない。むしろ、彼の今までの経験から比べれば、闇市そのものが仕掛けの見えているちゃちな手品染みていて、滑稽に感じられてしまう。
――と、あの微かに引かれるヴァレルの裾の重みがないことに気付く。ぴたりと寄り添っていたはずのアリュセがいない。
呆然とするよりもまず、彼の身体は闇夜を駆け抜けていた。
泣いているだろうか。何か面倒事に巻き込まれていなければ良いのだが。
表面上は平静を装っていても、実際胸の内では気が気ではなかった。冷や汗が一筋伝う。
だからこそ、突然前方に湧いた（オーマにはそのように見えた）人物をかわすことが出来なかったのである。いつもの彼ならば、まず陥ることのないミステイクではある。
「おっとっと」
オーマの巨体に弾き飛ばされた人物は派手にしりもちをつくかと思いきや、余裕綽々におどけた調子で一回転してみせると、軽々と地面に着地した。
「大丈夫かい？」
適当に衣服を直しながらこちらへ歩み寄り、ゆったりと口を開く。本来ならば、オーマの台詞である。
２０歳前後のマントを纏った男。青みを帯びた銀色の短髪に布をたっぷりと巻きつけた、いかにも旅人風のいでたちであった。
第一印象は『しなやかな猫』。そんな表現がぴたりと合う。
否、とにかく今はアリュセを探すのが先だ。
「この辺で、女の子を見なかったか？ ふわふわっとした長い金髪と青い大きな瞳で――……」
オーマに皆まで言わせることなく、男が割って入る。
「あー、あれだ。あの白い日傘を持った可愛らしいお嬢さんだろう？ こんなところに若い娘さんがいるなんて珍しいと思ったんだ。数人で連れ立って行くのを見たが……ありゃ、お前さんの連れかい？」
アリュセが複数人でいるのだとしたら、オーマの予感は的中したも同じ。やはり、危ない目に遭っているのではないか。
脱兎の勢いで再び駆け出すオーマの背に向けて、尚も男の声が放たれる。
「ちょいと待ちな。無闇に走ったって追い付けやしないんだから」
振り向けば男は煙管に火を付け、のんびりと紫煙を燻らせていた。マイペースというか、決して生き急ごうとしない彼の態度も、今は気に障るだけである。
「どういうことだ？」
いらつきがちに眉根を寄せて訝しがるオーマから視線を外し、皮肉めいた笑みを唇の端に貼り付ける。
「この墓場は少しばかり特殊なからくりが仕掛けてあるんだよ。目に見えない結界で作られた迷路みたいなもんさ。俺はサジェ。着いておいで。案内してやるよ」
聞けば男もまた、商い人であるとのこと。
「つまんない行商人さ」
男は笑う。無理な作り笑いである。
どのみち闇市をうろついている辺り、初対面であることを抜きにしても、オーマはサジェを真から信用してはいなかった。ただ彼の後に従う他、現地点では手段がない。それだけのことだ。
「そういえば、そもそもこの市場の発祥たるや、何なんだ？」
アリュセへの道すがら、焦る気持ちを隠すには好都合の唐突な質問。
無論、気になる事柄をぶつけながらも、知られたくなければ無理やり探るつもりはなかった。言葉にするだけが全てではなく、互いに尊重すべき領域もあるのだから。
しかし、彼の意に反して、サジェはこちらが面食らう程によく喋った。どちらかといえば、それを望んでいたようにも見受けられる。
「普通の市場や商店街は組合が存在するだろう。けれど、俺達には縦横の関係がないんだよ。新月に集うってのは身を潜めるには丁度良いとか、根っからの闇信者――要は負の空気を欲する者であるとか……とにかくぱっとしないが個々の単純な理由からなんだろうな。俺も面倒な人付き合いは苦手だし、その上珍品、逸品が手に入る。そういう意味ではよく利用させてもらっているよ」
意味深な含み笑いを残したまま、煙管を咥える。
「それにつけても代価が記憶だなんて、ちと特殊だわな。全ては元締めの思惑なのかい？」
「なかなか鋭い質問だが……記憶の売買については、お客さん以外にゃ教えられんね。悪いな。そういう決まりなんだよ。元締めの名前かい？ お前さんはそれを知るべきではないだろうな。知らないのが幸せってこともある。だが、そうだな。もし……」
そこまで言いかけて、一旦言葉を飲み込む。行商人の若者は瞬時に唇から笑みを消し、悪乗りし過ぎたとばかりに首を横に振った。
「いや、もしまた俺たちの道が交わることがあったなら、気が向いた時にでも教えてあげるよ。さあ、そろそろお姫様の元へ到着だ」
「親父愛大胸筋ホールド！！」
荒々しい音と共に、アリュセを取り巻いていた者達が次々と倒れていく。
あの懐かしくも暖かな声は間違えようもない。オーマである。
続いて、混沌とした空気を切り裂くが如く、よく通る声が響いた。
「おいおい、お前さん方。いくら商売に貪欲だからって、人様のお客人を掠め取るような真似は感心出来んね」
侮蔑の色を微塵も隠すことのない物言いをするのは、アリュセの知らない男であった。
年の頃は２０歳前後といったところか。仕草や声音、表情の１つ１つが柔らかく、いかにも飄逸な風貌の男ではある。
察するに、彼もまた闇の商人なのだろうか。とはいえ、自分のことを「お客人」呼ばわりする辺り、不明な言動も多い。
胸の内で首を傾げながら、とにもかくにも話は後。呻くフード集団を尻目に、その場を足早に去る一行であった。
●誰がために銀猫は鳴く
こっそりと携えていた腹黒同盟パンフをどさくさ紛れにサジェへびしりと押し付けるオーマ。
サジェもまた、こういうものは嫌いではないらしく、まんざらでもない様子だ。先程よりぱらぱらとページをはぐってはしきりに頷いていた。
「まあね、名簿に名前を連ねるくらいはオッケーだよ。でもなあ、俺が入っちゃったら洒落じゃ済まなくなるんじゃないかな」
「何を言う！ 腹黒同盟は洒落でもなければ上辺だけのおべんちゃら集団でもない。この聖筋界において大真面目の腹黒イロモノ親父愛るんたったな桃色団体であーる！」
鼻息を荒げて拳を天空へと指し示す同盟総帥殿。選挙の演説者にも酷似するかと思しき凛々しいお姿である。
「はは、面白い人だな」
などと和みムードの彼らとは裏腹に、オーマと離れていた間に一体何があったのか既に一部始終を聞き終えていたアリュセは軽く息を吐き出した。
「どうも有り難う。お陰で助かったわ」
サジェがいなければオーマは自分の元へ辿り着けなかっただろうし、何よりあのフード達から救ってくれたのは、オーマである。２人へ向けて素直に礼を述べるアリュセ。
「でも、腑に落ちないのはいつから私があなたのお客になったのかということよ」
「うん……まぁ、あれだ。嘘も方便ってやつ？ けど、ここで知り合ったのも何かの縁なわけだし。俺の商品、見るだけでも見てってよ。押し売りするつもりはないからさ」
小首を傾げる彼女へ、へらりと笑いながら罰が悪そうに頬を掻くサジェ青年。これではどちらが商売に貪欲なのか、分かったものではない。
オーマとアリュセは顔を見合わせ、それでも「見るだけならタダだから」というサジェの思惑にまんまと引き込まれてしまったのであった。
「で、どうなの？ お２人さん」
にやにやしながらぷかりと煙管の煙を吹くサジェを前に、アリュセ達は、またしても顔を見合わせる羽目になっていた。
サジェが懐から取り出したのは、アンティーク調のタイピンとカフスのセットに、懐中時計。
「どうして……？」
自分の欲する品が分かったのか。まだ、誰にも――オーマにすら言っていなかったのに。そして、オーマの胸中もまた、アリュセと同様のものであったのだ。
「世話になった礼だ。１つ、譲ってもらおうじゃねえか」
伊達に激動の時代を生き抜いていない気風の良いオーマは、手の上でタイピンを弄びながら不敵に微笑む。彼の様子を横目でちらりと確認後、アリュセもまたこくりと頷いた。
「毎度ありぃ！」
雁首から灰を落として煙管筒に仕舞い込むと、
「そんじゃ、お待ちかねの売買交渉とまいりましょうかね」
揉み手せんばかりの嬉々とした勢いで、銀猫は鳴くのであった。
●縁（えにし）
オーマとアリュセを並んで立たせると、サジェは指を打った。パチンと軽快な音が響いたと思った時にはもう、墓場の雑踏は消し飛んでいた。
無音である。
外界から遮断された場であるのは、想像するに容易いこと。これもまた、この不可思議な行商人の技の１つなのだろう。どちらにしろ、常人的なものではない。
そして――またしてもアリュセの姿が消えていた。
確かに隣にいたはずなのに。
ぐるりとこうべを廻らせるオーマに、
「心配しなさんな。姿は見えずとも彼女は傍にいる」
至って落ち着いた素振りのサジェ。
「さて、お前さんが鴉市へ赴いて来たからには、商品の購入方法について説明する必要はないものと考えて、話を進めさせてもらう」
不穏の光を湛えた青紫の瞳が、自分だけを捕らえている。本当に同じ空間にアリュセがいるのだろうか。
オーマの不安を取り払うように、ふわりと纏った彼のマントが揺れた。
「記憶っていうのはね、その人を彩り飾る根本的なものさ。『魂』と言い換えても良いだろう。それを失うということは、失う前の自分には決して戻れない。魂が欠ければ、今までのお前さんではなくなる。覚悟は、あるかい？」
間違いなくそれは真実なのだろう。茶化しているような空気ではない。
「男に二言はねぇぜ」
「結構。では、オーマ・シュヴァルツ。お前さんの記憶の一部を覗かせてもらうよ」
事務的な口調のままのサジェが、オーマの白い額に左人差し指と中指を押し当てる。ひやりとした感触が肌に触れる中、そっと瞳を閉じた。
オーマは、サジェと出会った記憶をそっくり差し出すつもりであった。
今、このひと時を失おうとも、物には記憶が刻まれているはずと信じている。ならば商人から譲り受けた品が手中にある限り、いつか思い出せるかもしれないと万が一の可能性に賭けているのだ。
が、しかし。
「……何、このおピンク１００パーセント全開なメモリー？」
ややして渋い顔のサジェ。記憶を差し出すという前代未聞の行為に気張り過ぎたオーマが、なぜだが不意に超モテ青年時代を強く念じたがためのアクシデントであった。
「こりゃ失敬失敬。テヘッ☆」
これ程までに小動物よろしく小首を傾げて「テヘッ☆」が似合う筋肉親父もそうそういない。
春の陽だまりに漂うかの如く、意識だけがふわりふわりと彷徨っている。
いつまでもここにいたいと思う反面、身体そのものは縄できつく縛られてでもいるのか、自由が利かない。瞼すら持ち上げることが出来ないのである。
深い眠りに落ちていく。
深海魚が、誰に知られるともなく暗き海の底へ消えていくのと同じように。
穏やかに。安らかに。
精神が薄らぐ間際、彼方から男の声が聞こえた。
「これは俺の手の内で保管しておこう。記憶を取り戻したくなったら、いつでもおいで」
●東雲来たりて
空が白み始めている。
習慣とでも呼ぶべきか。毎朝決まってオーマはこの時刻になると自然、目が覚める。
とはいえ、彼とてベッドの温もりが恋しくないと感じる程、人間離れした生物ではない。そのつもりであったのだが……結局、本日ばかりは毛布を蹴り上げてしまう結果となる。
「おいおい、マジかよ！」
勿論、そこは海の底などでもなければ、自分は深海魚でもない。
何の変哲もない身体と、紛うことなき自室。オーマは今の今までベッドの上で眠っていたのである。
確かに昨晩はあの街外れの墓場まで出掛けたはず。
それなのにいつ、どんな手段で帰宅したのだろう。記憶にないだけなのか。
ぼんやりとした頭をフルに使って、ようやっと答えを導き出す。
ああ、そうだ。確か、目当ての品物が見つかって商人と交渉して――いや、待てよ。商人って誰だ？
それにあの少女、アリュセはどうしただろう。
随分と曖昧な記憶を地道に辿ろうとも、掴もうとすればする程、するりと手の内から逃げてしまうもどかしさ。肝心の部分はとうとう蘇ってはくれなかった。
まあ、必要とあらばいつかは思い出すさ。
気にしても仕方ないものは気楽に構えるべきと己へ言い聞かせてから、何の気なしに寝巻きのポケットの中を弄る。すると、小さなタイピンとカフスのセットがころりと出てきた。
彼の故郷においてヴァレルはスーツのような役割を果たす。故に、帰還の際にはこちらで過ごした証のようなものを身に着けておけたらと常々考えていたのだが、正しくこの品はオーマのイメージにぴたりと嵌った。
掌で裏返したり転がしたりと暫く見入った後、
「おっと、いけねぇ。朝食の準備準備っと」
１日の始まりは、家族との団欒からと信じて疑わないオーマは、身支度を整えると愛しき妻子のために今日も台所へ駆けて行くのであった。
―End―
【登場人物（この物語に登場した人物の一覧）】
◆オーマ・シュヴァルツ
整理番号：1953／性別：男性／年齢：39歳／職業：医者兼ヴァンサー（ガンナー）／腹黒副業有り
◆アリュセ
整理番号：3280／性別：女性／年齢：15歳／職業：具象心霊
◇サジェ
NPC／性別：男性／年齢：20歳前後／職業：行商人
【ライター通信】
こんにちは。日凪ユウトです。
この度は、ＰＣゲームノベル『鴉市 ―The black market―』にご参加いただきまして、誠に有り難うございます。そして、お疲れ様でした。
今回、シナリオそのものは難易度が低めですが、商品購入代として記憶を差し出す行為は、ＰＣ様において随分と難解であったのではないでしょうか。どちら様もこのポイント部分をよく練られておられるなぁという印象を受けました。
蛇足ながら、実は攻略次第では代価を支払わずして購入することも可能でした。皆まで申しませんが、ヒントは「記憶を差し出した後に残る矛盾」。ご興味がありましたら色々と推測してみるのも面白いかもしれません。
なお、作中にて入手された品物は以降、当方の別シナリオにてお使いいただくことが可能となります。商品詳細は下記の通りです。
●タイピン・カフス：シルバー製のタイピンとカフスのセット。レッドメノウが嵌め込まれています。装備すると稀に性別関係なく魅了してしまいます（外すと効果はなくなります）。
それでは、またご縁がありましたら、どうぞよろしくお願い申し上げます。
日凪ユウト
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