<東京怪談ノベル(シングル)>
「春色の花。春色の笑顔」
『春は嫌いじゃないわ♪』
彼女はそう言っていた。
彼も今は嫌いではない。
彼女が生まれた季節だから。
思い出す。例え、いつ、どこでだろうと。
花よりも美しい、彼女の笑顔を‥‥。
周囲に散らばるネジ、バネ、歯車。
くるくると手で弾けば円を描く小さな小さな部品たち。
不思議な円と弧と螺旋の中に、彼はいた。
椅子に背中を預け、倒れるぎりぎりのところで、揺らし戻す。
頭で考える思考のように、右に、左にそれは揺れた。
「もうすぐ‥‥だな」
スラッシュは小さく呟き、目を開けた。
人工の建物に囲まれたここスラムの片隅にも暖かい空気が流れてくる。
地は新緑。風は青。
どこから見ても文句のつけようのない春。だ。
春は、大事な季節。
あいつの誕生日がもう目の前に迫っていた。
春は自分が生まれた季節。大好きだ。と言っていたっけ。
「今年は何を贈ろうか‥‥」
先ほどからスラッシュがずっと考えていたのはその事だった。
長い、長い時間考える。答えはなかなか出てこない。
「ペンダントは贈った。指輪は婚約指輪がある。後は、何がいいだろうか‥‥」
ブレスレットは? と思って頭を振った。
腕にちゃらちゃらと鎖や、飾りを付けたら戦いの最中、絶対に邪魔になる。
ブローチは? 考えて止めた。
胸に着けた針が外れたらとても危険だ。
こうして考えると装飾品というのはやっかいなものかもしれない。
「普通に生活するなら問題ないが、そうもいかないからな。自分も、あいつも‥‥」
今まで、普通に身に付けられるものを、そう思って装身具を贈ってきたが考えてみればあいつは冒険中や戦闘中にはそれを殆ど身につけてはいない。
無くす心配もあるし、危ないからごめんね。と彼女は言っていた。
それを止める気は無いし、仕方ないことだと思う。
ならば、何がいいだろうか。
「俺の気持ちを伝えられるものは、一体‥‥‥‥!」
ふと、スラッシュは瞬きした。そして、こめかみを押さえたまま俯く。下を向く。
自分の何気ない言葉にゾッとしたのだ。
頭の中に冷水を浴びせかけられたようなそんな感覚が胸の中を過ぎっていく。
「俺は‥‥物を贈らなければ自分の気持ちを伝えられないのか?」
口に出してみて、また自分の言葉に心が冷えた。
思えば今まで、自分はいつも物に思いを託していたような気がする。
形あるものの力を借りて、愛する彼女に自分の気持ちを伝えていたのだ。
だが、考えてみれば彼女は高貴な身分に位置する女性。
望めば自分が贈った品物の何倍も高価な品物を手にすることができるはずだ。
それなのに、彼女はいつも笑顔で品物を受取ってくれた。
そして、微笑んでくれたのだ。
あの笑顔に自分はずっと助けられていた。あの笑顔と彼女の言葉は確かに自分に力をくれていた。
いつも、素直な思いで接してくれ、心を伝えてくれた彼女に比べ‥‥。
下を向いたままの心と体はまだ浮かび上がってはきていなかった。
「いつもただ、隣にいるだけ。‥‥果たしてどれだけ自分の想いを彼女に伝えられるだろうか。たくさんの思いでなくてもいい。たった一言、好きだと、愛していると伝えただろうか‥‥」
はっきり、伝えたという自信は無い。
「俺の気持ちは、ちゃんと伝わっているのだろうか‥‥」
答えは返らない。
もどかしい思いが、小さな一点から広がる染みのように黒く、強く広がっていくのをスラッシュは止めることができなかった。
ふと、スラッシュは我に返った。
開け放した窓の外から吹き込んできた風が、髪を梳いていく。
暖かい風。金色の輝きと華やかな暖かさを併せ持つ春の風。
(「もう! 何してるの? しっかりなさいな!」)
「えっ?」
そんな彼女の声が聞こえたような気がして、慌てて椅子から立ち上がり、窓辺に駆け寄る。
無論、それは幻聴。周囲に自分以外の誰もいないと解っている。
だが、スラッシュは下に目を落とした。
石畳の隙間に小さな花が咲いている。黄色、いや金色に近い輝きを持つそれはふわふわとした柔らかい笑顔で静かにそこにあった。
プチン。
スラッシュが手と身体を伸ばすと簡単に手折れた。
身を起こした手の中にあるそれを、ゆっくりと見つめる。
花は、何も言わない。ただ、静かにその身をもたげ咲くのみ。
笑うようなそれを見つめているうちに‥‥
「ふっ‥‥」
スラッシュは胸の中の染みが消えていくのを感じていた。
「そうだな‥‥。気持ちはちゃんと伝わっている。あいつは、ちゃんと咲いているんだから‥‥」
花に教えてもらった気がする、スラッシュは小さく苦笑した。
いつの間にか自分にとってどんなものよりも、あいつが大切になっていたようだ。
自分の気持ちはちゃんと伝わっているのだろうか? あいつはどう思っているのだろうか。そして、あいつは自分を愛してくれているのだろうか?
不安な思いは全て、相手を大事に思うからこそ。同じ思いを返して欲しいと思うからこそなのだ。
だが、スラッシュは思う。今なら思える。
不安になる必要は無い。無理に返してもらうことにこだわる必要も無いのだと。
この花は春風と、大地に抱きしめられ石畳の隙間という場所でも咲いた。
それと同じように愛に抱きしめられたものは必ず、美しく咲く。
彼女があれほどまでに美しいのは愛に抱きしめられているからだろう。
彼女の笑顔が目の裏に浮かぶ。彼女は美しい花。
ならば自分はただ、それを咲かせるために全力を尽くせばいい。
思いを伝えるのに、方法など気にする必要は無い。
思いを込めるに物が適しているならそれを贈り、込め切れない思いは言葉で伝えればいい。
自分は手先はともかく、言葉や心は器用なほうでは無い。だが、きっと伝わるはず。
プレゼントを贈る時、思うのはそれを貰った時の相手の笑顔。
そう、ただ、相手が笑顔で咲ける様にすればいいのだ。
スラッシュは立ち上がり、花を小瓶に差す。
そして、そのまま部屋を出た。
視線の先には彼女がいる。
花のように笑っている。
今、自分の手の中にあるのは、春の花で編んだ花冠。
彼女は笑うだろうか? それとも、喜んでくれるだろうか‥‥。
彼女の笑顔は美しく、誰よりも眩しく春色に咲く。
彼は思う。
‥‥これからも、彼女と過ごす時、何よりも自らの思いを贈ろう。
それは、時に言葉であり、物であるかもしれない。
でもけして変わらないものがある。
それは、彼女を愛していると言うこと。
青空の下。
誰にも言わない決意と思いを、スラッシュは彼女への誕生日の贈り物として捧げたのだった。
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