<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


美しき暴れ馬

 エルザードの町でここ最近、夜中になると馬の荒々しい蹄の音が響くようになった。
 白山羊亭の常連たちが言うには、仕事帰りに白山羊亭で酒を飲んだ帰り、街中の大通りだというのに疾走する大型のシャイアー種――がっしりとした体型で、足元に生えた豊かな毛が特徴の美しい馬――とすれ違うというのである。
 シャイアーという馬は本来気性が穏和である。それがまるで鬼気迫ったように、しかも人を乗せないで疾駆しているというのだから、穏やかではない。
 目撃証言によると馬は黒鹿毛で、背中までの高さが2メートルあるのではないかということなのである。
 そんな馬が夜中にけたたましく走り回っていたら安眠などできないし、何よりも人が轢かれたりする恐れがある。現に何人かが慌てて避けた拍子に壁に激突したり躓いて転んだりしているのだ。
「馬を檻に入れるとか……何かしら策を講じなければあぶないですねぇ」
 昼時の目の回るほどの忙しさから開放されたルディアが、椅子に腰を下ろしながら言う。
 彼女の向かい側では元気が有り余っていそうな青年が、山のようによそわれたピラフをがつがつとかき込んでいる。
 彼の名前はジェイ。とある護衛屋の次期店長であり、数ヶ月前に白山羊亭で世話になったばかりだ。犬猿の仲だった別の護衛屋と現在は合併し、順調に業績を伸ばしている。
 その彼が持ち込んできた、というよりはボヤいているのが、巷では『美しき暴れ馬』と命名されてしまったはた迷惑な馬の話である。
「そうなんだけどよ、ちょいとばかり気になることがってな。……その馬には立派な鞍や轡がつけられたまんまでよ、しかも体中魔法陣が画き込まれてるんだぜ。なんだかワケありっぽいじゃねぇのよ? 本来なら俺たち護衛屋が無料で請け負ってもいいんだが、今は本業の方が忙しくてなー、そっちまで手が回らねぇってわけよ。でも真相が気になるじゃん?」
 などと調子のいいことを言っているうちに、ピラフの山は忽然と消えている。
 まだ若いとはいえ、恐ろしい食欲である。
「俺も護衛屋が忙しいんだけどよ、明日の朝まではちょこっと時間が空いてんだよ。で、ここにくる冒険者と一緒にちゃちゃーっと解決しようと思ったってワケよ」
 俺は頭脳労働向きじゃねぇから馬を取り押さえる係な! と勝手に宣言しつつ、白山羊亭を見回した。


 + + +


 鬼灯はガルガンドの館で借りた呪紋関連の本を読んでいた。自動人形から人に戻る術を見つけようとしているのだ。
 そのようすをジェイが目ざとく発見する。
「お譲ちゃん。魔法の類に詳しいのか?」
「人並み以上には心得ております」
 謙虚な答えにジェイは頷きを返しつつ、断りを入れて鬼灯の横に座った。
「今日、これから暇かい?」
 ちょっと聞くと、まるでデートか何かの誘いのようだ。
 鬼灯はくすりと笑いながら頷く。
「噂になっている、馬のお話ですか?」
「そうだ。一緒に馬を捕まえる気はねぇか?」
 逡巡の後、再び頷く。
「ご一緒します。わたくしでお役に立つのであれば」
 ジェイは一応鬼灯に馬の話をし直し、早速作戦を練ることになった。
「その馬に描かれた呪紋に興味があります。もしかしたら、肉体変化系のものやもしれません。元は馬ではない“何か”で、変化により混乱して暴れているのではないかと思います」
「なるほど。……なんにしろ、まずは問題の馬を捕まえてじっくり観察してみなきゃ始まらねぇか」
「はい。……わたくしが馬の動きを鈍くさせるので、捕縛をよろしくお願いいたします」
「りょーかい」
 二人はそこまで話し合うと、夜に再び白山羊亭で落ち合う約束をして一度別れた。


 + + +


 宵の始めは暗かったが、時がたつにつれ明るい月が昇ってきたので、夜中行動するにはちょうどいい状態だった。
 ジェイはエルフなので夜目はよく効くが、月明かりが出ているならそれに越したことはない。
 鬼灯はジェイと分かれてから街で聞き込みをし、馬がどの辺りに現れる可能性が高いかを調べておいたようだ。
「ちゃっかりしてるねぇ」
 ジェイが感心したように言う。
「必要だと思いましたので。馬は、白山羊亭から一キロほど南東の区域を中心に暴れているようです。まずはそこへ向かってみましょう」
「だな」
 エルザードの中心部は休むことを忘れたように夜でも明かりと喧騒に満ちているが、中心部から少し離れれば夜の静寂に満ちた闇が濃くなってくる。
 二人が月明かりを頼りに目的地へ歩いていくと、見晴らしのいい坂の上を選んでしばらく待機することにした。
 春も深くなったとはいえ、夜中にもなると冷える日がまだ多い。
 ジェイは風が当たらないように建物の影に隠れながら、鬼灯にも声をかけた。
「寒くねぇか?」
「大丈夫です」
 それはただ単に寒さに強いからなのか、それとも彼女が自動人形であるためなのか、ジェイには判断がつかなかった。
 月夜であるとはいえ、遠くまではっきりと見渡せるほど明るいわけではない。
 鬼火は目を閉じると、身動きせず耳を澄ませた。
 坂の下にある酒場からは楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
 食器とフォークが触れる音。
 窓を開け空を仰ぎながら恋人同士が囁く愛の言葉。
 やわらかい明かりがついた家からは、母親が子供に物語を話す優しい声。
 やがて世界は静かになってゆき、風の音だけが残った。
 風の音……草木が風に揺れる音……そして、馬の蹄。
「きました」
「お? ……耳いいな」
 鬼灯の言葉に、ジェイも耳を済ませてみる。荒々しい蹄の音は、最初は風の音に負けるほど遠く、やがて地響きを伴うほど近くまで迫ってきた。
 音がさらに大きくなり、100メートルほど先の曲がり角から馬が姿を現した。
 巨大な体、白い立派な鞍、そして体中に画かれているのは月明かりを浴びて輝く魔法陣。
 噴水の手前で速度を落とすと鬼灯たちを見つけたのか向きを変え、坂を力強く上ってくる。
「いきます」
 左腕を轟器に変化させると、その先を向かってくる馬に定めて軽く溜める。
 馬が20メートルほどまでに迫ったとき、鬼灯は鬼砲を放った。
 空間を歪めて飛翔するそれは、馬の足を包み込むようにじわじわと広がる。
 やがて馬はよろめくように速度を落とし、鬼灯の目の前でやっと止まった。
「あ、危ねぇな! ギリギリじゃねぇか」
「計算していたので大丈夫です。それより、馬を束縛していただけますか?」
「おっと、そうだった」
 懐からターコイズブルーの液体が入った小瓶を取り出すと、蓋を開けてその口を馬の鼻面に持っていく。
 それは鎮静作用のある薬品だったようで、それまで走ろうともがいていた馬は、大人しくなってその場にうずくまった。
 ジェイは念のため轡に縄を結んで、逆の先端を道路端の植木につなぐ。
「さ、しばらくはこれで大丈夫だろ」
「ありがとうございます」
 先ほどとはうって変わって大人しくなった馬の首をなで、早速鬼灯は魔法陣を調べ始めた。
 魔法陣は円形を基本に、直線と文字で画かれている。画くのに使ってあるのは、星と月明かりを浴びると特に輝くことから、夜の力を吸収した植物の類だろう。
 魔法陣の形が何を表しているのかはよく分からなかったが、書いてある文字は読むことが出来た。現在のエルザードでは使われていない文字だが、鬼灯にはこう読むことが出来る。


   永遠の闇 泥の沼 開かない扉。
   束縛の線 馬の皮 走駆への渇望。
   理性 言葉 反逆の心。


「……。……で、どんな意味なんだ?」
 鬼灯が読み上げた言葉の羅列を聞いてしばらく考えていたものの、やはり理解できなかったようだ。
 降参の意を示すように両手を挙げ、手っ取り早く意味を尋ねた。
「一行目が呪いを魔法陣に定着させるための文句です。二行目が魔法陣の効果。三行目が魔法陣によって被術者が失ったもの……。これらの言葉から考えると、この馬は呪いによって化かされている人なのだと思います。確証はありませんが」
「ははぁ、よくもまぁ分かるもんだなァ」
 ひたすら感心しているようで、あごに手をやりながら頷くジェイ。
「で、どうしようか。呪いって言ったな? それは解くことができるのか?」
「一時的でしたらそう難しくはないと思います。完全に解くとなると……わたくしでは相当の時間がかかるかと」
「そうか……。ま、あんたは呪術師じゃねぇんだからしょうがねぇや」
 二人が話しているうちに、馬は眠りに落ちてしまったようだ。
 ゆっくりとした深い呼吸を聞いているとこちらまで眠くなりそうだった。
「この馬が人なんだとしたら、ひとまず呪いを解いて話を聞こうじゃねぇの。そうすればある程度背景が掴めるだろうしな?」
「そうですね。……では、わたくしは解呪の道具諸々を調達してまいります。ジェイ様はこの方を清潔な厩のある宿へお願いいたします」
「あ、あぁ……」
 言うなり、鬼灯は坂を下っていった。鬼灯の小さな背中は簡単に見えなくなってしまう。
 残されたジェイは昏々と眠る大きな馬を横目で見て、深くため息をついた。
「こんなデカイの、どうやって運ぶかな……」
 とりあえず、民家から大きい荷車を拝借することにした。


 + + +


 何やらどろりとした赤い液体に筆を浸し、馬の体に画かれた魔法陣に、新たに線や文字を書き足していく。
 端で見ているジェイには解呪の知識など全くないので、鬼灯が悩みながらも筆を走らせる様子をただ見守っているしか出来なかった。
 馬はよく乾いたわらの上に伏せ、安らかな寝息を立てている。
 その脇にはサイズを調節できる服。
 解呪して人型に戻った際、恥ずかしい思いをさせないで済むようにという鬼灯の配慮だ。
「終わりました」
「……あー。こりゃまた派手になったな」
 元から体中に魔法陣が画き込まれていた馬の体には、鬼灯によってさらに複雑な紋様が画き込まれている。
 ジェイには無秩序に線が踊っているように見えるが、実際は計算されて書かれているのだろうと思う。……いや、計算されていないと困ってしまうわけだが。
「呪いは、この方が目を覚ますと同時に解けます。先ほど言ったように一時的ではありますが。解呪の効果は半日ほどですので、早急に原因を究明しなければなりません」
「この馬の呪いが解けたとしても、他の人間がまた馬にされるかも知れねぇしな?」
「そういうことですね」
 鬼灯は厩の小さい窓から外を窺った。
 外はすでに夜の闇から抜け出し、日が昇る前の期待に満ちた明るさを呈していた。今日もまたよい日和になりそうで、とても嬉しかった。
 厩の小さい窓からまばゆい光が差し込む前に、鬼灯は厩から外に出る。
 朝日が厩の中を明るく照らす頃、馬が小さく身じろぎした。
 すると馬は蜃気楼のように歪み、黒鹿毛だった体は小麦色に、立派な鬣は消えうせつややかな黒髪になった。
 体は馬だった頃と同じく筋肉のつきがよく、普段は肉体労働をしているものと思われる。
 ジェイは馬が完全に人間の男へ変化するのを待ち、手元に置いてあった服を体にかけてやった。
「気分はどうだ?」
 馬から壮年の人間に変化した男は、身を起こすと手早く服を着た。
「悪くない」
「そりゃ良かった」
 話し声を聞いて、鬼灯は厩の中に戻ってくる。
「馬だったときの記憶はありますか?」
「あぁ。馬だったときは人間のときの記憶がなかったがな。……あんたたちのおかげで助かった。礼を言う」
 男は素早く立ち上がると、さっさと厩から出て行った。
 二人は慌ててそれを追いかける。
「おいおい、まだきちんと呪いが解けたわけじゃねぇんだ。何か分かるかもしれねぇ、原因を聞かせてくれよ」
「……そこまで迷惑をかけるわけにはいかない」
「困っている人がいれば助ける。それが人として自然な姿だと思います。なにかお力になれるやも知れません、どうぞお話しください」
 男は低く唸りながら、自分の腰ほどまでしかない鬼灯を見下ろした。
 こんな幼い者に話すことなのか、と悩んでいるように見える。
「言ってくれよ。じゃないと協力のしようがねぇんだって」
「協力してくれるのか」
「もちろんです。原因を取り除かなければ、あなた様のような方がどんどん増えるかもしれません」
「そう……だな」
 三人はかなりの速さで歩いていたので、先ほどまでいた厩は見えなくなっている。
 道には多くの露店が出ており、どんどん活気が満ちていく。
 男は人を避けるように裏道に入り、複雑に入り組んだ道を迷うことなく進んだ。
 そこでようやく歩く速度を落とし、何から話すべきか考えているようだった。
「俺の名はゴラール。小さい農場で農業を営んでいる」


 ……事の発端は、俺の親父が農場を拡大すると言い始めたことだった。
 畑を新たに開墾するにも多くの人手と金が必要だ。
 うちにはあまり貯金もなかったから、自然金を借りるしかない。知り合いに借りられるような額ではなかったから、貴族の金貸しから借りることになったのだ。
 だが、その金貸しが曲者だった。
 親父が契約をよく確かめずに借金をしてきたのが運の尽き、毎週恐ろしい量の負債が増え、とうてい返せない金額にまで膨れ上がった。
 ……親父がその金貸しと交わした契約書には、こう書いてあった。『借金が最初の十倍まで増えたときは、契約者とその家族を好きに使役することが出来る』とな。
 ……俺たち家族は金貸しに捕らえられ、男は魔法で馬や牛に変えて使役され、女は遠方の屋敷へ飛ばされた。
 借金分働いたら開放すると言っていたが、それも今となっては定かではない。
 ……俺は、どうやっても家族を助けたいんだ。親父の不注意が原因だとしても、こんな契約はどう考えてもおかしい。
 俺は、馬となって人間だった頃の記憶を失いつつも、なぜか『この屋敷にいてはいけない』という強い意識を持っていた。
 だから毎夜監視の隙をついて脱走し、助けを求めて街を走り回っていた。
 朝方には疲れて弱っているところを屋敷の者に捕まってしまっていたが……。


 話し終えた頃には、ゴラールは拳をきつく握って怒りに堪えていた。
「その金貸しは明らかに法に触れる行為をしています。ご家族を助ける際に、遠慮など必要ありません」
「へぇ、話し合いは必ねぇって?」
「はい」
 鬼灯のはっきりとした答えに、ジェイは面白そうににやりと笑った。
「いいね、そういうの好きだぜ。単純明快、説明なしでいいやな」
「ゴラール様。皆様の契約書はいずこにあるか分かりますか」
「屋敷に切り込むというのか? 貴族だけあって、屋敷は厳重な警備で守られているんだぞ」
 ゴラールが驚きに目を見張る。
 この二人から見れば、ゴラールが負った借金は紛れもなく他人事であるはずだ。事件を解決することで報酬をもらえるわけでもない。
 それなのに己の危険を厭わないこの姿勢は、ゴラールにとって不思議なものに見えた。
 冒険者や傭兵などは、金や利益がなければ動かないと思っていたからなおさらだ。
「ヒットアンドアウェイ、やることやったら素早く退きゃあいいんだろ? 素早さなら俺に任せとけ!」
「ありがとう……恩に着る」
 三人は東にある、尖塔の立つ大きな屋敷へ急いだ。


 + + +


 ジェイは三メートルほどある壁を、木に登って乗り越えた。巡回の警備兵が去ったのを確認して、鬼灯とゴラールを呼び寄せる。
 鬼灯は木登りするには体が小さかったので、ゴラールが担いで上った。
「あそこに大きないちじくの木がある。その前に立っているひげ面の男がいるな、あれが警備主任だ。彼なら契約書を保管してある場所を知っているだろう」
「じゃ、ちょっと拉致ってみるか」
「彼自身はよい男だが……悪い雇い主についたのが運のツキと、諦めてもらおう」
「わたくしが他の警備兵の目を引きつけておきます」
「頼んだぜ」
 鬼灯は静かに邸内に下り立ち、隠れているジェイとゴラールから離れていった。
 十分に距離が開いたところで、先ほどは呪力を重力に変換して打ち出した鬼砲を、重力に変換せずに打ち出した。
 それは門を警備していた二人に当たる。
「うっ……!?」
「な、何だ……?」
 二人の警備兵は頭や口を押さえてその場にうずくまった。重力に変換しない鬼砲は様々な効果を発揮するが、今回は人体に悪影響を及ぼす類のものだ。
 異変を感じた他の警備兵が門に集まってくる。
 物陰に隠れていたジェイとゴラールは、目が門の方へ集まったのを確認していちじくの木へ走り出した。
 警備主任は気配を感じてかジェイの方を振り返ろうとしたが、そのときにはすでにジェイにナイフを突きつけられていた。
 そのまま人気のない物陰に連れ込む。
「誰――」
「おおっと、大人しくしろ。借金の契約書の場所を吐くんだ。時間がねぇんだから早くしろ」
「契約書……破棄するのか?」
「そうだ。警備主任のお前であれば知っているだろう?」
 それまで警備主任は抵抗していたが、契約書と言う言葉を聞くと途端に大人しくなった。
「実は、俺も契約書に縛られている。この屋敷に就職する際に交わした契約書だ。働き始めて一年ほどしてから主人の悪行を知ったが、やめようとしても酷い契約書のせいでやめることも叶わない」
 首に突きつけられたナイフを恐れることなく振り返った警備主任は、ジェイの目をまっすぐ見て言う。
「俺がこの手で焼いたのであれば明らかな反逆だが、賊の手で焼かれてしまったのであれば仕方がない。そうは思わないか?」
「ま、そうかもな」
 金貸しは、あらゆるところで悪事を働いているようだ。
 そのせいで部下からの信頼はかけらもなく、『契約書』という武器がなければいつ後ろから刺されてもおかしくないというところ。
「全ての契約書は、主人の書斎にある金庫に納められている。書斎は二階の南端だ。それと、今日はちょうど主人は屋敷にいない……」
「分かった。すっぱり全部焼き捨ててくると約束しよう」
 ゴラールは力強く頷き、ジェイは主任の首からナイフを離した。その時ちょうど鬼灯が二人の下へ戻ってきた。
 三人は主任に教えられた窓から屋敷内に侵入すると、素早く部屋を見回した。
 その部屋は厨房の隣室で、上階へと素早く料理を運ぶためのリフトがついていた。
 サイズは小さいが、一人ずつであれば簡単に上階に上がる事が出来る。
 まずは様子見もかねてジェイが、次にゴラール、最後に鬼灯がリフトで二階に上がる。
 手近な扉を開けると、そこは廊下になっていた。
 突き当りまで進むと、いかにも主人の書斎といった立派な風体の扉があった。
「さて、俺は退路を確保しとくぜ。あんたと鬼灯で、契約書を焼き捨ててこいよ」
「分かった」
 ジェイからマッチを受け取ったゴラールは、鬼灯と共に部屋の中へ入っていった。
 部屋の中は思ったよりも簡素で、仕事用の机と大きな窓、そして巨大な金庫しかなかった。
 金庫は番号と鍵が必要なタイプだったが、それも鬼灯には関係ない。
 重力変換した鬼砲を、今度は一切の手加減なしで打ち出す。
 鬼砲をくらった金庫はたまらずぐにゃりと歪み、大きく口を開けた。
「やつめ、こんなにも多くの人間を苦しめているのか……」
 金庫から出てきた何千枚もの契約書を手に取り、ぐしゃりと握りつぶす。
 だが、それだけでは契約書はなくならない。
 再び契約書を金庫に戻すと、マッチを擦って金庫の中に落とした。
 紙でできた契約書はよく燃える。
「こんなにも簡単に消えてしまうものに縛られていたなんて……なんと悲しいことでしょう」
 赤々と燃えるそれを見ながら、鬼灯がつぶやいた。
 彼女が見ている前で、紙はついに燃え尽きた。


 + + +


 数日後。
 悪行を重ねていた貴族の金貸しが捕まったという噂が広まった。
 噂によれば、金貸しに束縛されていた人々は全員、晴れて自由の身になったらしい。
「これも、鬼灯さんやジェイさんのおかげですよね」
 サービスでアイスティーを出し、微笑みながらルディアが言う。
 その前には鬼灯が座っていた。本来飲食物を必要としない彼女だが、ルディアの気持ちをありがたく受け取り、少しずつアイスティーを飲んでいた。
「わたくしやジェイ様の力より、ゴラール様の力が一番大きいと思います。苦境から抜け出したいという強い意志が、今回の結果に繋がったのだと」
「うーん。まぁ、皆さん頑張ったんですよね!」
 二人が話していると、白山羊亭の扉が荒々しく開けられた。
「暑いぜクソッ! ルディア〜! 何か冷たいものくれ!」
 入ってきたのは、胸元を大きく開けたジェイだった。今日はとてもいい天気で、気温も初夏並みに上がっている。肉体労働をしているジェイにとって、この暑さはなかなか苦しいのだろう。
 ジェイは断りなしに鬼灯の隣に座ると、ぐんなりとテーブルに寄りかかった。
「お久し振りです、ジェイ様」
「久し振りってほどじゃねぇけど……。あ、金貸しが捕まったって話、聞いたか?」
「はい。これでゴラール様や他の金貸しに苦しめられていた方々が少しは救われたと思うと、とても嬉しいです」
「これでこそ、俺たちが尽力した甲斐があるってもんだ。まぁ、それにしても役所が動くの遅すぎだけどな。もっと早く動いてくれりゃあ、苦しむ人間がもっと減ってただろうに」
「そうですね……。でも、わたくしの力が少しでもどなたかのお役に立てたのであれば、これほど嬉しいことはありません」
 ……欲を言えば、この体が人間に戻れば何も文句はないが……今まで調べた内容から考えても、一筋縄にはいかない作業のようだ。
 人間に戻れるまでどれほどの時間がかかるか分からないし、そもそも戻れると言う保証はどこにもない。
 鬼灯はこれからも、遠く暗い道を一人歩くのだ。
 いや……正確には一人ではない。陰陽師である主人と共に、歩いていくのだ。
 そうこう鬼灯が考えていると、再び白山羊亭の扉が開いた。
 視線を感じて面を上げると、そこにはゴラールと、彼の妻や子供が一緒に立っていた。
 ゴラールは疲れてはいるが、とても幸せそうな顔をしていた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【1091/鬼灯/女性/6歳(実年齢6歳)/護鬼】


NPC
【ゴラール】
【ジェイ】
【ルディア】


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■         ライター通信          ■
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こんにちは、糀谷みそです。
この度は『美しき暴れ馬』にご参加いただき、ありがとうございました。
そして納品が遅くなり、誠に申し訳ありませんでした。

鬼灯さんの精神年齢は一体いくつなのだろうと思いながら書きました。
これでは高すぎるのでしょうか……む、難しいです(゜v゜;)
ゴラールに抱えられた鬼灯さんというのを、もっと細かく描写しても楽しかったかもしれないと思いつつ。

ご意見、ご感想がありましたら、ぜひともお寄せください。
これ以後の参考、糧にさせていただきます。
少しでもお楽しみいただけることを願って。