<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


合歓木



 ただそこにある物の、なんて心地よい事だろう。
 依頼された仕事の帰り道。
 馨がここに来るよりもずっと昔。
 生まれる前よりも遙かに以前から、目の前に広がる風景はここに在り続けているのだ。
 日が傾きかけた時刻の空は夕日の緋色と夜の青が混ざり合って出来た極上の紫色。
 出来るなら清芳と一緒に見たいほどの光景であったが、彼女は家で馨の帰りを待っていてくれる。
 今から呼びに行っていたのでは日は完全に落ちてしまうだろう。
 それは少し残念だったが、少しずつ紺に染まっていく空を見上げて深呼吸を一つ。
 ひんやりとした空気がとても小心地よい。
「また、見られますよね」
 空の色は変わっていても、この場所は変わらない。
 ずっとこの場所にあるのだ。
 飾りもせず。
 偽りもせず。
 只々そこに。
 ならば別の日であったとしても見られる。
 まったく同じという訳にはいかないだろうが、二人で見たのならきっともっと綺麗に見られるに違いない。
 だから今はとても綺麗な物を見たと土産話の一つにして、この光景を一緒に見ようと切りだす事にしよう。




 何時もの様に帰宅しておかえりを言おうとしたが、まだ清芳が帰っていない為にそれは出来ず仕舞いだった。
 どうしたのだろうと思いつつ、暫く待ってみる。
 今朝家を出る時に交わした会話では、普段と同じように修行中であるはずだ。
 だからこそ何時もと同じ様な時刻、つまりは夕方には帰るだろうと思っていたのだが……。
 帰り際に誰かに呼び止められたりして、遅くなる場合もある。
 今日は偶々その遅くなる日だったのだろう、予想通と違わず直ぐに清芳が戻ってきた。
「おかえりなさい、忙しかった様ですね」
「少し立て込んだが、そう大事じゃない」
 ヴェールを脱ぎ、ふうと息を付く。
 何か急な依頼でも舞い込んで、その対応にでもあたっていたのだろうか?
「お疲れ様です」
「ああ、ただいま」
 思っていたのとは逆のやりとりを交わしてから一緒に夕食の支度をしつつ、お互い今日会ったことを話し始める。
 どんな経緯で清芳の元へ急な依頼……と言うよりはなにかしら頼まれ事が舞い込んできた事や。
 今日の馨の仕事と帰りに見た綺麗な景色、そんな他愛のない会話。
「今ならちょうど良い季節です、日を改めて見に行きませんか?」
 何か軽い物でも持って、少し早めの夕涼みをするのも良いだろう。
「余程きれいだったんだな」
 ぶっきらぼうな口調だが、興味を示してくれているのだとちゃんと解る。
 料理をテーブルの上に並べ終え、テーブルについて食べ始めたところでほうと小さくため息を付く。
 それは些細な変化。
 ずっと見ていなければ気づきもしないだろう。
「疲れているようですね?」
「ん、いや」
 すぐに様子を確かめるが、帰ってくるのはどちらとも言えない返事。
 僅かに風邪の前兆なのではと言う考えが脳裏を過ぎる。
 本当に初期症状であるのなら、当人が自覚していなくともおかしくない。
「少し良いですか?」
「!」
 手を伸ばして清芳の額に触れて熱があるかを確かめる。
 僅かに熱いように感じるのと同時に、僅かにだがぎくりと動きを止めたのも解った。
「清芳さん?」
「なんでもない」
 大丈夫と首を左右に振るが、どちらも気になる。
 熱を出す前兆であるのならゆっくりと休んだ方が良いし、今のような反応もここ最近ではまれにだがあることなのだ。
 気付いてしまえばそれはもう期にしないで居られることではなくなる。
 それでも一度にではなく一つ一つ順を追って問いかけ始めた。
 まずは、体調のことから。
「今日出かけたのはいつ頃からですか?」
「昼頃だ、食事の後から」
「依頼は隠れんぼをしていた子を探す事でしたよね」
「日が暮れるまで隠れていたんだ」
 すごいだろうと付け足す清芳にふと気付く。
「ずっと探していたんですか?」
「ああ」
 やはり。
「途中で休んだりは?」
「いいや? 早く探さないと、と思っていたからな」
 思った通りだ。
 まじめな彼女のことだ、隠れんぼをしたまま出てこなくなった子供を母親に泣きつかれるままに町中を探して回ったのだろう。
 日の高い時刻から、見つかるまで探して回った姿は容易に想像できる。
「今日は日差しが特に強い日でしたから、なにか飲めば直ぐに良くなりますよ」
「心配性だな」
「人捜しも大説ですけれど、清芳さんも大切ですから」
 目の前に水を注いだコップを置くと、おいしそうにそれを飲み干した。
「すまない」
「今日は早めに休んだ方が良さそうですね」
 一息ついたところで次に気になっていたことに話を移す。
「清芳さん」
「……?」
 名を呼ばれて顔を上げた清芳に、優しげな表情で馨が微笑みかける。
「もう一度触れてみても構いませんか?」
「………」
 直ぐには返答は帰ってこない。
 まるで、思考が停止してしまったかの様に口を閉ざしている。
「……駄目ですか?」
「突然何を?」
 改めて尋ねた馨は逆に問い返される。
 唐突な切り出し方をしたのだから、予想していなかったわけではない。
「少し頬を撫でるだけですよ」
「……夕飯がさめる」
 考えてから出しただろうその言葉はどこか微笑ましくもある。
 このまま交わされたままにしてしまっても良いのだが、そう言うわけにも行かない。
 彼女の反応が、馨が自分で気づかない間に怒らせるような事をしてしまったのであれば尚更だ。
 予想としてはもう一つあるのだが……出来れば後者であって欲しい。
「駄目ですか?」
「………」
 ジッと目を見て尋ねる馨に、首を左右に振って否定する清芳。
「よかった」
 隣の椅子に腰掛け、ゆっくりと頬へと手を伸ばして撫でる。
 化粧をしていないままの肌は絹のような手触り、とても心地よい幸せなのだけれど……手のひらから伝わる清芳の体温にあまり無理はさせられないなとも思う。
「……もう、いいだろう?」
「はい」
 頬から撫でていた手を下しかけたのだが、はたと気付いて動きを止めた。
「頬、赤いですよ」
「………っ!」
 馨の指摘にぎくりと体を強張らせ、さらに顔を赤く染めるのを見ればそろそろ原因もはっきりと解ってくる。
 想像していた通り、照れているからの故の行動であるようだ。
 もう一度頬を撫でてから反対の頬へと口付ける。
「―――っ!?」
 予想外の行動にがたりと音を立てて席を立つが、理由が解ってしまえば簡単な事だった。
 不安になる必要なんて何処にもない、それはとても愛おしいと感じる行動。
「ずいぶんと驚かせてしまったようですね」
「なっ、な、なにを?」
 動揺を明らかにする清芳に、今はここまでにしておこう。
「続きは、食事の後で」
 元の席に戻りにっこりと微笑みかけた。




 食事が終わり、片付けを済ませた後。
 幾度かこちらの様子を気にしているのを感じ取り少しやりすぎたかと反省する。
 照れている様子は普段見ないからこそかわいらしいのだが、今以上に気になって触らせてくれなくなるのも宜しくない結果だ。
 ひとまず驚かせたことから謝ろうと思い声をかける。
「さっきは……」
「さっきは、驚いてすまなかった」
 言いかけていた言葉を思いがけずに中断してしまう。
 ジッと目を見られた事、逆に謝られた事、そして……食事の間、ずっと気にしていたのだろうと言う事に対しての驚きだ。
「私の方こそ驚かせてすみませんでした」
「いや」
 首を振ろうとする清芳にすっと手を差し出しこちらへと誘う。
「………」
 無言のままその手を取り、馨の隣に座る。
「抱きしめても構いませんか」
「……構わない」
 頷くのを確認してからそっと背中に手を回して抱きしめる。
 心地よい暖かさを感じながら髪を撫でると心臓の鼓動が早くなっているのがはっきりと感じ取れた。
「かえって疲れさせてしまっているかも知れませんね」
「そんな事はない」
「今は、平気ですか?」
「大丈夫」
 ホッとしたように息を付き、重心を馨の方へと預けてくる。
 このままずっとこうしていたいと思えるような居心地の良さを感じたのは、どうやら馨一人だけではなかったようだ。
「夕日、キレイだったんだろう」
「とてもきれいでしたよ、清芳さんの好きなデザートも作りますから」
「楽しみにしている」
 照れ隠しなのだろうが、ぽつぽつと繰り返す会話はとても楽しい。
 明日のことや、少し先の話。
 迷子になっていた子がどうやって隠れたかの話。
 脈絡ない断片的な会話を幾度となく繰り返していたが、そのやりとりがぷつりと途切れる。
「……?」
「………」
 ぽふと肩の辺りへ頭を預けてくる清芳にどうしたのだろうと思ったのだが、その理由が睡魔の方が勝ってしまったのだと解り小さく笑みを零す。
「おやすみなさい」
 疲れているのならこのままゆっくりと休んだ方が良い。
 今は眠りが浅いから動けないが、もう少ししたら起こさないように気をつけながらベッドへと運ぶことにしよう。
 だから今はこのままで、寄り添うように共にあろう。
約束の夕日を見るのはまた今度。