<東京怪談ノベル(シングル)>


氷の神の置き土産

 聖都エルザード。そのはずれに魔石練師カーディことカーディナル・スプランディドの住処はある。
「よし、できた」
 緋色に輝く魔石を手に、カーディは満足げに頷いた。そして、文字通り「猫の額」をぐいとぬぐう。練成は順調に終わったため、実はさして汗をかいていないのだが、まあそこは気分というやつだろう。
 とはいえ、決してこの魔石の練度が低いわけではない。最上級の鉱石をむらなく溶かすために、ととある職人に依頼されたもので、普通に火を燃やしたのでは得られない高熱を発することができるのだ。それでいて、炉を傷めないようにと効果の範囲はできる限り絞っている。急ぎの仕事ではあるが、火属性が得意だというカーディをわざわざ指名してきた依頼人に応えられる出来のはずだ。
 胸はすっかり充実感に満たされて、カーディはすとんと床に腰を落とした。向かいの壁にかけてある鏡に、見慣れた自分の姿が映る。
「でも、こういう仕事に巡り会えたのも、あの時のことがあったからだなぁ」
 鏡の中で一際輝く、首元の魔石【神輝炎(しんきえん)】に目をやって、カーディはしみじみと呟いた。

 それはまだ、カーディが聖都から遠く離れた辺境の地で、師匠と共に修行をしていた時のこと。魔石練師として半人前と認められたカーディに、フェニックスの聖獣装具【紅焔衣】が貸与された。
 聖獣が宿るという艶やかな深紅の衣を手に、カーディはキラキラと目を輝かせたが、師匠はというと対照的に渋い顔をしていた。というのも、装具と同時にカーディには新たな役目が与えられることになったからだ。
 周囲を山に囲まれ、さらに冬には背丈をはるかに超える雪に閉ざされるこの地には、地下深くに氷を司る神龍が封じられている。その神龍の「遊び相手」をカーディが勤めることになったのだ。
「神龍の遊び相手なんぞするものではない。ロクなものではないよ」
 苦りきった顔で師匠はそう言ってはくれたが、なにせこの閉ざされた地の小さな村のこと。村人のほとんどが神龍に仕える巫職であり、「遊び相手」をする者も何人かいる。何もカーディに特別白羽の矢が立ったというわけでもない。ごくごく自然な成り行きとしてお鉢が回ってきたにすぎないのだ。
 結局、師匠の反対が功を奏することもなく、カーディは翌日から神龍の元へと通うことになった。
 厳重にまつられている祠の社の入り口をくぐれば、地の底までも続いているかのような階段が延々と伸びる。
「ひゃあ……」
 身体の芯まで染み入ってくるかのような冷気に、カーディは小さく声を上げた。尻尾の先の毛がぴんと逆立つ。さすがは神龍さまのいるところだ、と腕をさすりつつも、好奇心が先に立ち、カーディは足取り軽く階段を降りて行った。
「……この階段、どこまで続くのぉ……」
 どれだけの時間がすぎただろうか。地上はとっくに遥か頭上へ遠のいている。カーディは思わず声を漏らした。
 最初は物珍しさとこれから逢う神龍という存在にわくわくしていたカーディだったが、それでもこの階段はあまりに長過ぎた。周りはといえば何の変化もない氷に覆われた土の壁ばかり。
 なるほど、こんなところにいては神龍さまも退屈だろうなぁ、などと妙な感心さえしてしまう。
 そうこうしているうちに、ふとカーディは体中が総毛立つような気配を感じて立ち止まった。
 まるで毛の一本一本までが凍り付くような、そして心臓に直接冷気を打ち込まれるような、何とも言えない圧倒的な気配。ああ、これが神龍さまだと力づくで納得させられたような気分で、カーディは目だけをゆっくりと動かした。
 突如ぽっかりと口を開けた、氷に覆われた広間の中央、いくつもの祭具が施された巨大な氷柱の中に、確かにそれはいた。
「……新しい子?」
 幼子を思わせるような無遠慮さで、それは言った。言ったといっても言葉が発せられたかと言われれば心もとない。どちらかといえば「意味」が突然脳裏にひらめいたという感覚だったかもしれない。けれど、それが神龍の意志であることには間違いなかった。
「はい、カーディナル・スプランディドって言います。みんなカーディって呼んでます。魔石練師として修行中です」
「そう……。【紅焔衣】を着てるね。火属性を使えるのかな。これはおもしろいや」
 なんとも無邪気に、そして楽しげに神龍は言う。
「退屈してたんだ、遊ぼう、さっそく遊ぼう」
「はぁ……」
 カーディは返事に困って首を傾げた。これは火属性の魔石を披露して神龍を楽しませろということなのだろうか。まさか炎を神龍にぶつけろということではあるまい。
「早く、早く、そっちからこないならこっちから行くよ」
 なんだか物騒な流れになってきた気がする……が、気のせいだろう、とカーディは気を取り直し、精神を集中させた。この寒い中で火属性を、そして初めて来た場所で魔石を練成するのはそう容易いことではない。けれどよもや失敗するわけにはいかない。
 カーディは懸命に精神を集中させ、比較的単純な火の魔石を練成した。成功したことに安堵を覚えつつ、さっそくそれを解放させる。目の前に赤く煌めく炎が姿を現した……と思いきや、それは突然降ってきた氷の矢に引き裂かれた。
「きゃあああ」
 矢こそ身体に突き刺さらなかったものの、にわかに勢いを増した冷気がカーディを押しつぶす。その凄まじいことと言ったら、寒いといった感覚を遥かに超え、凍って固まった毛皮が皮膚からむりやりはがされるような痛みが全身を駆け巡る。
「うーん、今度はもうちょっと強いのを持ってきてよ」
 こともなげに言う神龍に、カーディはようやく師匠の言葉の意味を悟った。向こうは「遊び」でもこちらは本気で、それこそ殺す気でいかないといけない。
 ――でなくちゃ、猫の氷漬けができちゃう……。
 すっかり白く凍り付いたひげの先っぽを視界の端にとらえつつ、ぶるぶると身を震わしたカーディだった。

 次の日から、カーディは火属性魔石の威力を上げることにとかく専念した。師匠の指示をあおぎながら何度も火の魔石の練成を繰り返し、けれど、神龍の前でそれを解放しては、ひげを凍らせて帰ってくるという毎日が続く。
 そしてそんな日々の果てに生まれたのが大魔石【神輝炎】だった。ずっしりと重い深紅の魔石は、ひとたびその力が解放されれば巨大な火柱を巻き上げ、周囲をことごとく焼き尽くす。
「できたぁ! これなら神龍さまもぎゃふんと……じゃなかった、満足してくれるはず!」
 神龍の元へ通う日々のおかげですっかりしもやけになってしまった自分の手の肉球を見つめつつ、カーディはじぃーんと感慨に耽った。
 そして翌日、カーディは意気揚々と【神輝炎】を手に神龍の元へ向かった。
「こんにちは、神龍さま」
 と、挨拶もそこそこに。
「いいですか、行きますよぉ!」
 さっそく【神輝炎】を解放させる。凄まじい量の炎が吹き上がり、神龍の間の空間を満たして行く。それはカーディをも呑み込んだが、聖獣装具【紅焔衣】をまとったカーディにとっては、心地よいそよ風のように感じられた。
 が。
「きゃあああ」
 次の瞬間、赤という赤は消え失せ、いつものように、否、いつも以上の冷気がカーディの全身に襲いかかった。
「あれ? もうおしまいなの?」
「……」
 これもまたいつものように悪意を感じさせない神龍の言葉に、カーディは何とも言えず押し黙ったのだった。

「こうなったら、こうなったら、こうなったら!」
 また紫色の部分が増えた肉球をこすりながら、カーディは師匠にもらった紙切れを睨みつけた。【神輝炎】以上の魔石を作るのは難しい。となると、【神輝炎】の威力を増幅するしかない。メインとなる魔石以外に、補助石、起動石、要石といった複数の魔石を配置し、積層型魔法陣を構成することで、魔石の威力は数倍にも増幅させることができる。師匠が書いてくれたのは、その魔法陣の展開法だった。
「ふむふむ……。当たり前だけど、魔石の数は多いほどいいよね……。火属性だから【紅焔衣】の力を借りるともっと強くなれるはず……」
 もはやほんのわずかの手加減もためらいもあってはいけない。
 金色の目を半ばすわらせて、カーディは精神力の続く限り、魔石を練成した。その数、補助石1029個、起動石256個、要石13個。
「ふぅ……。疲れた」
 その晩、カーディは早々にベッドに潜り込むと泥のように眠り込んだ。

「ええと……、ちょっと待って下さいね、神龍さま」
 翌日、大量の魔石を抱えてやってきたカーディを見て、神龍は興味津々といったまなざしを寄越した。それにかまうことなく、カーディは大掛かりな魔法陣を展開させる。なにせ使う魔石の数が半端ではない。
「さて、できました」
 ようやく陣を完成させ、カーディは小さく息を吐いた。けれど、ここで息をついている場合でもない。
「待ちかねたよ……」
「行きますよっ」
 神龍の言葉にかぶせるように宣言し、さっそくカーディは魔石の力を解放した。魔法陣のあちこちからうなりを上げて火柱が吹き出し、それが次の魔石に伝わっては巨大化していく。そして互いに渦巻き、絡み合い、さらに膨れ上がる。
 ――今だ。
 カーディは自分の身体を覆う【紅焔衣】に軽く手を当てた。そこに宿るフェニックスと心を同調させていく。やがて心地よい浮遊感と共にカーディの身体がフェニックスの化身へと変わって行く。
 カーディは今まさに弾けようとする火炎の塊に力を注ぎ込んだ。次の瞬間、轟音と共に、炎が一気に膨らみ、神龍の間を埋め尽くし、地上への階段を駆け上った。それに飽き足らず、炎はさらに呑み込むものを求めてその手足を伸ばした。
 地響きが轟き、洞窟が激しく揺れる。周囲の氷に一気にひびが入り、砕け散るその音までもが炎の轟音に呑み込まれた。それでもなお衰えない炎に、岩盤がみしみしと軋み、大小の岩が崩れてぼろぼろと落ちてくる。
「あわわわわ」
 このままじゃ、この洞窟自体、否、村ごと崩れてしまうかもしれない。さすがにやりすぎたかとカーディの顔から血の気が引いた。
 が。
「あはははは」
 鈴を転がすような清冽な笑い声が響く。
 と、見る間に洞窟は元通り凍り付いた。もっとも、さすがに岩盤の欠けた部分までは戻らなかったが。
「面白かった、今のは楽しかったよ、またやってよ」
 神龍は実に愉しげに、そして満足げに笑ったのだった。
「はぁ……」
 大掛かりな術を展開した疲労とは全く違う脱力感を覚えて、カーディはがくりとうなだれたのだった。

「まあ……、今となっては懐かしい……かな」
 あやうく地上までも火事にするところだったあの後、当然のように村の長老たちにこっぴどく叱られたことを思い出し、カーディは軽く肩をすくめた。
 それでもまあ面白くはあったし、良い経験であったことも間違いはない。何せ、あれだけ大掛かりな魔石を作る機会なんてめったにないのだから。知らず知らず火属性の魔石練成の修行を積んでいたあの日々のおかげで、今のカーディがあるのだ。今もカーディの首もとで【神輝炎】が輝いているように。
「っといけない、時間だ、魔石の納品に行かなきゃ」
 ちょっとしんみりしかけて、けれどはっと気づいてカーディは弾かれるように立ち上がった。
「じゃ、行ってきまーす」
 留守を守る者がいるわけではないけれど、大切な我が家に元気に声をかけ、カーディは玄関を出た。今日の夕ご飯は何にしようかな、そんなことを思いながら。