<PCクエストノベル(3人)>


波の綾ひらめく 〜海人の村フェデラ〜

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■冒険者
【整理番号 / 名前 / クラス】

【1711 / 高遠 聖(たかとお ひじり) / 神父】
【1879 / リラ・サファト / 家事?】
【1989 / 藤野 羽月(とうの うづき) / 傀儡師】
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 かたちとして残りはしないものだけれど。
 目を閉じれば浮かぶ、揺れる、決して消えはしない。
 憶えている。
 ともに揺蕩うこの想い。
 ずっと。

 ***

 海鳥が陽を遮るように翻って、そこに空を知らせた。
 一面の青は二人の視界いっぱいに、水平線を思わず誤りそうなほど空と海はその色を近づけている。聖都からそう離れているわけではないが、こうして海を訪れると、潮の香りは妙に気分を浮き立たせ、耳の拾う波音に誘われるまま汀へ足を急がせた。
 フェデラは正確には、浅海の底に存在する海人の村だ。ここはその村からまっすぐに陸を目指したところの浜辺、それを示すようにときおり行き来する者のなかには体の一部に鱗を持つ海人の姿があった。
 盛夏には遠い、けれど春よりは夏にずっと近い季候は、涼味を求めて海原を目指す人間を多くするらしい。開けた天空と果て見えぬ波の行方を追うように、リラ・サファトの隣で藤野羽月は眼差しを細めた。
 周囲に見えるおそらく同じ目的だろう観光客に混じって、二人もこの海へ涼みにきたのだ。だが羽月の面に湛えられた笑みはどこかぎこちない。

羽月:「二人で、来たはずだ。なのに……」

 妻と二人。
 腕のなかにいる猫はいい。これをカウントしても二人と一匹だ。けれど今、海風に煽られた紫の髪を押さえながら微笑んでいるリラの隣にいるのは、紛れもなく人間だった。二人と一匹にプラスして、三人と一匹の状況である。

羽月:「――聖、なぜ貴様がここにいる?」

 険を含んだ、どころか刺々しすぎる物言いで羽月はその人物へ声をかけた。
 高遠聖。リラと羽月とも仲の良い年若い神父は、しかし羽月の氷点下の視線にもまったく怯んだところがない。

聖:「嫌ですねえ、羽月さん。リラといえば僕、僕といえばリラじゃないですか」
羽月:「意味がわからん。とっとと失せろ」

 独自の解釈で捻りだされた台詞に返す言葉も短絡的。
 冷たい仏頂面とあたたかい笑顔が正面から対峙したところで、ようやく険呑な雰囲気に気づいたリラが慌てて二人の間に割って入った。

リラ:「あ、あの……っ、羽月さん、聖も一緒に遊んでもいいと思うんです!」

 最愛の妻に必死に言い募られては羽月も睨んだ面差しを引っこめざるをえない。リラの向こうでますますイイ笑顔になっている聖を、最後に渾身の力を籠めてひと睨みしてから、妻へ向けて頷いた。
 今回フェデラ近くまで足を伸ばしたのは、毎年のこの時期の恒例のようなものだった。とくべつなにかをするわけではない。ただ過ぎた時間を想い、今の時間を過ごす。日常の間に、その流れを確かめるように波打ち際を歩く。

羽月:「わかった」

 了承を言葉にすると、リラはほっと表情を綻ばせた。
 だがリラから聖へと移動した羽月の顔は、確実に色を変え、しっかりと条件をつけることを忘れなかった。抱いていた猫を聖の腕に潜りこませる。

羽月:「茶虎の目付け役ということで、よろしく頼む(だから私たちには構ってくれるな)」
聖:「わかりました。精一杯、面倒を見させて頂きますね(精一杯、二人の邪魔をさせて頂きますね)」
羽月:「……聖、おまえいつから副音声を使えるようになったんだ?」
聖:「……羽月さんこそ。同時通訳がお上手ですね」
リラ:「フクオンセイにドウジツウヤク?」

 首を傾げるリラの前、しっかりと手を握り合い仲の良さをアピールする二人だが、その手がやけに力んでいるのは気のせいではきっとなかった。





リラ:「泳ぎ、忘れていたり、しないかな」
羽月:「大丈夫だろう。一度泳げるようになると、水に入れば自然に手足が動くと聞く」

 簡単な準備運動をしながら、リラはそわそわと海を窺う。
 以前この海を訪れたときに、羽月の特訓の甲斐あり随分と泳ぎが上達した。それからしばらく泳ぐ機会がなかったが、羽月の言葉どおりなら、今日は初めから自由に波間に身を遊ばせることができる。

リラ:「聖は泳がないの?」
聖:「僕はこの子を見ていませんと。それにリラの姿を見失わないよう、しっかり見守っています」
羽月:「……必要ない」
聖:「なにか仰いましたか?」
羽月:「心強い、といったんだ」

 やり取りをくすくすと観察しながら、リラはそっと波に足を浸した。砂を攫う感触が足裏にくすぐったい。水は思ったよりずっと温かかった。
 そのまま海へと歩みを進める。紫の花色によく似合う、薄桃色の水着が青と出逢う。腰あたりの水位まで来たところで砂浜を振り返ると、つよく寄せた波がその身を大きく揺らした。

リラ:「あっ――と」

 よろめいて思わず前に出した手は、そのまま水に潜ることなくしっかりと受け止められる。ほっと息をつきながら、リラはいつの間にかすぐ隣で自分を支える羽月と微笑みを交わした。
 波の向かう先では、聖も立ち上がってこちらを見ている。大丈夫、とひらひらと手を振ると、腕に抱いた茶虎の脚とともに振り返された。

羽月:「泳いでみるか?」
リラ:「はい」

 両手を羽月に預けて、リラは地から足を離した。波の揺れに任せ身体を浮かせる。絶え間なく届く波が顔の辺りでかぷかぷと煩わしい。それから逃れるようにぎゅっと目を瞑ったリラの手を、羽月の腕が揺すった。

羽月:「リラさん、一度頭まで潜って、水に慣れるんだ」

 以前に泳ぎを教わったときにもいわれたことだった。まずは水の感覚を身体に馴染ませること。水を怖れぬこと。わかっているのだが、その身を海中に沈めるときの心細さには後込みする。
 もう一度、腕が揺すられる。
 夫の手を強く握り返して、息を吸いこむと、リラは思いきって顔を海の水へと潜らせた。





聖:「泳ぎ、上手くなりましたね」
羽月:「ああ」

 二人のやわらいだ眼は、海に舞うリラの姿を捉えている。フォームはまだぎこちないが、半身を水に沈ませることなく悠々と波を渡っていた。海でこの調子なら、波のない湖やプールでならきっともっと思うとおりに泳ぐことができるだろう。
 羽月と聖がいるのは浅瀬だった。膝丈までの海水がたまに太腿まで迫りあがり水着を濡らす。

羽月:「おまえは泳がないのか?」
聖:「そうですねえ……」

 さきほどのリラの台詞を繰り返した羽月へ、フード付きのパーカーを羽織ったままの聖はわざと含みを持たせて笑顔をつくった。

聖:「海のなかではこちらの思うように二人の邪魔はできませんが、やっぱり僕も」
羽月:「いやべつに無理して泳げとはいっていない」

 遮って早口でまくしたててから、羽月は呆れたように肩を竦めた。

羽月:「――背中なんて、誰も見とらん」

 ごく自然にかけられた言葉に、聖は首を傾けて眼を細める。
 その背に、痛ましい火傷の痕があることは羽月も知っている。傷がいかなる状況でつくられ、なぜ極端に人前に晒すことを厭うのか、そこまで詳しくは聞いていなかったが、今この場で自分たちにまで隠す必要はないだろうと思っての発言だった。
 聖は表情を大きく違えることもなく、ただ凪いだ眼差しのままひとつ頷いてみせると、浜辺に置かれた荷物を示した。

聖:「では羽月さん、僕のパーカーをあちらへ置いてきてください。それからせっかく持ってきたんです、イルカさんも連れてきてくださいね」
羽月:「なぜ私が」
聖:「リラ! 背泳ぎも教えましょう」

 猫を肩によじ登らせながら、パーカーを素早く脱いで羽月に渡すと、聖はさっさとリラの許へ泳いでいく。
 満面の笑顔で迎えたリラを見て、つい受け取ってしまった黄色の衣服を握り締め、羽月は仕方なく浜へ取って返した。





 すぐに戻ってきた羽月を加えて、三人は少しだけ沖を目指した。リラの胸元あたりで水が戯れる。
 半透明のイルカの浮き輪が傍らに浮く。背びれの周りでときどき滑りながら慣れない揺れを感じている茶虎を、聖の手が何度も押し上げる。恐怖よりは物珍しさが勝っているようで、落ちないようにと身を抱えると、逆に抗議の鳴き声が返った。なんともたくましい猫である。

リラ:「綺麗……」

 ほう、と何度も水を掬い取っては零す作業を繰り返すリラとともに、羽月と聖も足許を眺めた。
 水はひどく透きとおっている。
 光が水中をいくつも行き交い、無色の虹をつくりだす。
 そこをたまに魚たちが横ぎって、どこか現実離れした美しさに、生命の根源たるちからを思い出させる。

羽月:「水本来の色は、薄い青がかかるという」
聖:「海がこれほど遠くまで青く見えるのは、空の色を映しているから、とも聞きますね」

 ただの透明ではない海の水色は、翡翠を融かしこんだような碧を海底に留めている。
 それぞれに海の青の由来を聞いたリラは、納得したように何度も頷くと、不意に空を仰いだ。

リラ:「じゃあ空が青いのは、海を映しているから、かな」

 ただ自然とそう思う。
 誰に語るでもなく落とされた呟きは、それがほんとうに純粋な思考だったからだ。
 視線を戻したリラは、そこにまったく同じ表情で自分を見つめる二人を見て、首を傾げた。聖も、羽月でさえも、惚けたように瞳と口を開いている。

リラ:「私、なにかおかしなこといいました?」
羽月:「いや」
聖:「いいえ」

 また揃った態度に、リラは何度も瞬く。
 海の青は、空の青。
 空の青は、海の青。
 互いの色をその身に纏い、向き合い、彼方で交じり合う。
 羽月は妻に、聖は親友に、また新たな感慨をもらってしまった、と眼の前の存在へ愛しく微笑みかけた。





 水からあがってから、疲れは一気に押し寄せる。
 ただ遊んでいるからではない、水中での運動は通常の何倍もの疲れを伴うものなのだ。水にいるときには気づかなかったが、陸へ戻り水を離れるにつれ、身体のあちこちが重くなり倦怠を感じる。
 ようやく荷物の場所まで辿り着くと、シートの上にそれぞれ身を投げ出した。
 茶虎などはすっかり濡れそぼった毛もそのままに眠たそうだ。その背を撫でてやりながら、羽月はすぐにシートを離れた妻の姿を追った。どこに行こうというのか、汀をふらふらと辿っている。

聖:「なにか、探しているのでしょうか?」
羽月:「なにを――ああ、そうか」

 疑問を返す前にその正体に思い当たり、羽月は自分も立ち上がってその傍へ行く。黙って聖もついてきた。

羽月:「見つかったか? というより、わかったか、という方が正しいか」

 かけられた声に、リラはふるふると首を振った。

リラ:「……なにか目印、考えておけばよかったですね」
羽月:「そうだな。だがこの海のどこかであることは確かだ。すべての砂がきっと通じている」
聖:「砂、ですか?」

 なんのことだかわからず問う聖へ、リラはしゃがみこむと、両手でさらりとした砂を掬い取った。

リラ:「前にここへ来たときにね、砂のお城をつくったの」

 憧れの海にそのかたちを刻むのを、夢としていた。羽月と二人、初めて見た海の感動に顫えるまま、夢中になって砂を積み上げた。すぐに波に攫われていったそれに感じた寂しさも思い出されて、リラは手にした砂にじっと視線を注ぐ。
 一粒は見逃してしまうほどに小さい。
 今この手のなかにはいったいいくつが集合しているのだろう。

羽月:「――また、つくるか?」
リラ:「え?」

 ぱっと上向けた顔に、穏やかに促す表情がある。

羽月:「今年は聖もいる。きっと前より立派なものがつくれるはずだ」
聖:「ええ、応援は任せてください」
羽月:「……おまえも働くんだ」
聖:「はいはい、わかってます」

 憮然とした羽月と、飄々とした聖を見上げながら、リラは嬉しくなって、返事のかわりにその場にさっそく砂をかき集めた。

羽月:「リラさん、そんなに波打ち際につくったら、またすぐに波に取られる」
リラ:「いいんです」

 リラはにこりと笑みを向けると、水を汲むのに適した器を取りに荷物の方へ戻りかける。

リラ:「波と追いかけっこ、しましょう」





 水を含ませた砂を、ぺたぺたと合わせては一箇所に積んでいく。
 土台は前につくったものの倍はあろうかというほどに広く厚かった。その上へまた同じように、ゆるやかな曲線を外壁とする建物部分をつくってゆく。土台を囲む窪みは深めに掘ってあった。
 羽月が基礎をつくり、リラはそれをさらに固めたり、形に手を加えたりしながら、聖の汲んできた海水を使ってまた土作りに励む。起きてきた茶虎がうろうろしては、土台に飛び乗ろうとするのを素早く羽月に捕まえられた。

リラ:「あと一段、いきたい……」

 左右のバランスを確認して、階段状にした城の中心を凝視する。

羽月:「それなら、下の部分をきちんと固めてからだな」
聖:「羽月さんの前、そこ、傾いてますよ」
羽月:「む」

 聖に指摘されたのが悔しかったのか、眉を寄せて必要以上に慎重に手直しする羽月の横顔を見つめて、リラも笑みを深くする。
 やがて大方出来上がった城を目指して、羽月がいったようにすぐに波がやってきた。
 塔の部分に最後の仕上げをして、三人は城から離れ、海とは反対側の砂浜に並んで腰掛ける。そのまま黙って城を見つめた。倍まではいかなかったが、前につくったものよりずっと大きくて、高さもある。指でつけた窓代わりの丸い穴が城のあちこちを飾っていた。
 さっと砂を染めあげる薄い波が段々とひろがり、とうとうその手が砂の城へと届いた。だがすぐに土台が削られたわけではない。そのぐるりに巡らせた窪みに水が落ちこんで、その様は狙いどおり、見事な堀となった。
 何度かの波が撫でたあと、その堀も溢れ、土台をゆっくりと溶かしてゆく。
 不思議と、かなしい気持ちにはならなかった。
 逆に、なんだか満たされてゆくような心地さえして、リラは両隣の温もりをいつもより身近に思った。

リラ:「ずっとこうして、楽しく過ごそうね……」

 少しずつ、流れてゆく時間。
 ただこうして、ゆるやかに感じる刻。
 それはまるで波のように。
 波間に揺蕩う数多のように。
 様々な想いを織りこんで、三人の視界に等しく輝く。
 リラの呟きに、羽月と聖は同時に頷いた。それに気づいて思わず眼を逸らした夫の気配に、リラは小さく笑う。
 寄せる波は絶え間なく、これからも変わらず、つよく、荒々しく――そして、優しい。


 <了>