<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


見通す者、閉ざす者


■Several days ago

 ──目が合った。
 ヒトとも、ケモノともつかないその奇妙な『物体』を視線の中央に据えたとき、少女──サモン・シュヴァルツは、とっさにそう感じて取った。
 露呈した粘膜とよく似た、液体金属の質感である。表層をぬらぬらと揺らしながら石畳の上を這い、道脇の垣へと姿を隠そうとしている。
 物憂げに、そしてひどく怠惰に。
 ウォズだ。そうサモンが思ったときに、その『物体』はプルンと波打ち、その動きを留めたのだった。
 彼女が──便宜的にサモンは『物体』をそう名付けることにした──纏っているのは、ゼノビアで広く打たれる類の金属の欠片で、それが彼女のウォズたる存在の理由を明らかにしている。
 ウォズは、『異端』と呼ばれる者たちがまったくもってそうであるように、必ずしもヒトの形だけを取っているわけではない。だからサモンは、彼女との出会いを別段奇妙なものだとは感じなかった──たとえその姿がひどく醜悪で、あまりの不愉快さにその双眸を眇めてしまうようなものであったとしても、だ。
 大きく、ゆっくりと、瞬きをした。己の心の水面を穏やかにさせるときのサモンの癖だ。幾度かの深呼吸で呼気を整えながら、彼女──ウォズに、『封印』の永遠を授けるべく、それに相応しい己の潜在を、心の表層まで力強く、押し上げていく。
 その時だった。
 彼女が、それまでの気怠い愚鈍さとはうらはらに、雷(らい)のようなスピードで石畳の上を滑り、サモンの前でぴたりと動きを止めた。
 避けるいとま──避けようと、脳が思考するいとまもそこにはなかった。
 彼女は真っ白な閃光を放ち、サモンの前で大きく膨張したかと思うと──
 次の瞬間には、跡形も無く、サモンの視界から消えうせてしまっていた。

「そりゃお前、やっぱりウォズだろ。『あっち』と『こっち』じゃ時空にちょっとしたひずみがあるからよ、見てくれが違ってもおかしか無ェ。ソーンで進化した、ソーンウォズだな」
 ネス湖で発見されたからネッシー、それと同じくらいの安易さでオーマは曰い、からからと剛毅に笑った。「カサカサ、っつって、ビカー! なんてな。ずいぶんなビックリ箱だ」
 忽然と消えてしまったウォズを少しの間その場で捜索したあとで、サモンは自宅に舞い戻り、父母であるオーマ・シュヴァルツと、シェラ・シュヴァルツに自分の見た『物体』を事細やかに説明した。
 甲冑のつもりであったものか、ゼノビア産の金属片を纏い、のろのろと、まるでヒトが足を引きずって歩いているかのような速度で移動していた彼のことを。
「でも、封印食らわしてやる前に消えちまったってのはアレだね。あんまり気にするんじゃないよ、サモン。知能も能力もそんなに高そうじゃなかったみたいだし、近いうちにまた封印の機会が来るさ」
 母親に、シェラにそう諭されると、確かにそうであるような気もしてくる。
 だとすればやはり──
「……消えた、と思ったのは、やっぱり僕の考え違い……なのかな」
 ウォズのみに留まらず、この世に生きる生物すべてにあてはまることではあるが、戦闘能力の低い生物はえてして、それと引き換えに逃走能力に長けている場合が多い。足の遅いものであれば、敵の存在をいち早く感知する能力に長けていたり、胎内に毒を持っていたり(これは己の身を引き換えに、自分たちの種族の危険さを他の種族に知らしめるための能力である)、自然環境に視覚的に馴染みやすい風体を持っていたりするのだ。
「幻視能力、ってことはあるだろうね。うすのろなウォズがあんたに幻を見せて、きっとその間に垣の下に逃げおおせたんだ。……もしも、ってこともあるから、これからはひとり歩きに気をつけるんだよ?」
「おう。何か危ねぇヤツが追っかけて来たら、恥も外聞も無ェ。大声挙げて、周りの大人に助けを呼ぶんだぞ!?」
「……誘拐犯とウォズを一緒にしないで」
 この際、アホ親父の忠告にだけは耳を塞いでおくことにする。
 だが、それにしても──それならば、なおさら──
「……あの、ね……」
 母親譲りの、鮮やかな緋色の前髪の下で、金赤の瞳が逡巡した。
 そして、意を決したように、サモンはその前髪を指先で掻き上げ──左目を両親の前にそっと晒す。
「ウォズが光って、消える瞬間……何か、目に入ったような気がしたの」
「ええ!? どうしてそっちの方を早く云わないんだい!」
 シェラが立ち上がり、細長く形の良い両手の指先でぐっと娘の頭を側頭で挟み込んだ。そして右手の親指でゆっくりと、サモンの左目の瞼を上に押し上げる。
 なるほど、右目の金赤と比べて、わずかに濁りのような銀色が混じっているような気がした。シェラは心配そうに眉間に皴を寄せ、角度を変えながらその瞳をまじまじと見つめている。
「何か、毒でも入ったのかね……痛みは?」
「ううん」
「見えなくなったりは?」
「ん……大丈夫、だと思う。ほんの少しだけ、ぼんやりするんだけど……」
「なんてこった……ねえ、オーマも見てやっておくれよ。そういうのは、あたしよりもあんたの方が詳しいだろう?」
「あ? ……あ、ああ。──待ってろ、ちょっと目薬、探して来ッからよ」
 言葉の矛先が己に向いたことを受け、オーマははっとしたようにふたりの方を振り返った。逞しい両腕をがっしりと胸元で組み、何やら考え事をしていたようだった。
 こういうとき、彼は、隠し事をするのがへたくそだ、とサモンは思う。自分の左目を心配するがあまり、シェラはまだ、オーマの様子に気がついていない。
「今よりちょっとでもひどくなったら、すぐに云うんだよ。──きっと、オーマに任せておけば大丈夫だから」
 言葉尻は、部屋から出ていったオーマ自身の耳には届かぬように、シェラが小さくサモンに云った。夫を立てる妻。平素のふたりを見ていれば意外とも取れる言葉だったが、互いの愛情や信頼関係がそうやって強く結ばれていることを、今のサモンは良く知っている。
 そうだ。任せておけば良い。
 少なくとも、オーマはきっと、何かを知っているのだろうから。


■Present Day

 日に日に、その輪郭が、明確になっていくのだった。
 左目に違和感を感じるようになってから数日が過ぎた。日常生活──食事をしている時、人とあっている時、床についた時、ふと空を見上げた時。
 何をしていても、何を考えていても、ふとした違和感に何度か瞬きをすると、『それ』が見える。
「──これ、は……一体……」
 最初は、ただ、おぼろげに。
 だが日を追うごとに、彼女の左目は、常世のものとは違う──今まさに自分の眼前にあるものとは別の『何か』を、映し出すようになっていったのだった。
 鏡を覗き込むと自分の左目は、燻されたようなメタリックレッドに変色しているのがわかった。相変わらず痛みはない。『それ』が見える直前は、立ちくらみのように視界がぼやけることもあるが、それ以外には視力が衰えることも、色が違って見えることもない。
 むしろ、視覚から得るその何かが、眼窩のすぐ奥にある脳に影響を与えているものか、集中力が高まったようにすら感じられるのだ。
 左目の景色は、まるで誰か他の人間が目の当たりにした光景を、そのまま映し出しているかのようにも感じられた。
 具体的に云うならば──ヴァンサー。
 ゼノビアに生きるヴァンサーが、その目に映した光景を、サモン自身が追体験しているような感覚があった。
『彼女』は──その視界を自分に与えたのが、あの日邂逅したあの『物体』であったことを、サモンは確信するようになっていた──、恋をしているようだった。彼女の瞳が映した対象の、顔立ちや、景色はぼんやりとしか見て取れずにいる。が、どうやら、ある特定の誰かを目の当たりにしたとき、その視界はおろおろと自分の足許を彷徨い、焦点がいつにも増して定まらなくなってしまうのだ。
 ゼノビアに生きた、女性のヴァンサーがいて、その人生を自分が追体験している。
 そのことは理解できても、どうしても納得のいかないことがあった。
 ──どうしてその『記憶』を、ソーンで進化したと云うウォズが『持っていた』のだろうか。

 おそらく自分は、触れてはいけないものに触れてしまうのだろう。
 そんな思いが、サモンの中で強く、深くなりつつある。

■In several days

 慌ただしく、扉を叩く者の拳がある。その音で、いつしか手放していた意識が常世に急浮上した。
 調べものに費やした三日三晩の果てに、ぼさぼさになった頭をデスクの上がらむっくりと起こし上げ、オーマは獣が唸るような声でそのノックに返答を投げる。
「・‥…──ドアをぶっ壊す前に、とっとと開けて……入って来い……」
 サモンの左目がVRSの欠片と具現同化現象を起こし始めてから、どれくらいの日が経っただろうか。あの日、自分は平静を装い、サモンにビタミン剤の目薬を出してやるのが精一杯だった。VRSとの同化に出せる薬など持ってやしない。むしろ、薬などと云うものが存在するのかどうかすら、怪しい。
 彼女──サモンが見て、そしてその瞳に欠片を受けたモノは、いつか自分が遭遇した『アレ』と同じモノだ。オーマは娘の懐述を耳にしてすぐにそう悟った。VRS。かつては『異端』や『ウォズ』と呼ばれたこともあった『何か』である。本能としての敵愾心を以て行動し、『過去の記憶』が挙動を戒めないと云うルールの他には、あまりにもデータが不足しているため、詳細がわからないままでいる。
 それが、サモンの左目から彼女に進入し、具現同化現象を起こしている──そう知った時の、己の狼狽振りと云ったら無かった。その思いは、今も彼の中に根強く衝撃を残している。
 扉が開かれる音に、そちらの方へと視線を投げた。
 両目に涙を溜め──左目の同化がどれほど進んでしまっているのかは、その涙のせいでオーマからは見えなかった──、サモンが哀しげな表情で佇んでいる。

「……見たの」
 ポツリ。そう呟いて、サモンはオーマの方へと静かに歩を進め始める。一歩を踏み出したところで、ふと思い出したように後ろ手で扉を閉める。細やかな心遣いをする理性だけは残っていた。オーマが『その話』を、シェラに聞かせたくないと思っていることを、サモンは悟っていた。
「──何を」
「彼女は…………あのウォズは、いったい……何……?」
 あのウォズ。
 その前に、サモンはそれを『彼女』と称した。
「見えた……彼女、ヴァンサーだったの。ゼノビアにいた……僕のこと……知ってた」
「………………」
 嗚呼。
 己の視界が漆黒に塗り固められるような感覚を覚えた。が、ただ黙りこくって、サモンの面持ちをじっと凝視しつづける。その瞳は、彼女にどんな思いを抱かせるだろうか。
 猜疑心だろうか。
 それとも。
「だから……とても、びっくりしたみたいで……僕が……僕が、──自分のことを殺したんだってことに……すぐには気付かなかったんだ」
「──おいサモン」
「僕は彼女のことを知らなかった、必要なこと以外は何も」
「サモン」
「でも彼女は僕のことを知っていた。いつも見ていた──僕が気付いてしまわないように、僕が……彼女のことを、」
「……サモン──!!」
 溜まらず、怒号が室内を轟いた。
 大きな両手の平で彼女の肩を強く握りしめ、滂沱する涙の向こうで赤く輝く双眸をじっと睨め付ける。
「…………」
「サモン、良く聴け。それはもう、『過ぎたこと』だ」
「…………」
「確かに、いつか遠い昔、『それ』は実際にあった何かなのかもしれねェよ。──そりゃ、何十年も、何百年も生きてりゃ、何だ……ちッとは忘れちまう事だってあるだろうし……振り返りたく無ェ過去だってある」
「…………」
「・‥…──なァ、だからよ……もうちッとだけ、待ってくれ」
「…………」
 サモンはただ、オーマの──懇願するような、それでいて、何か強い色を宿した鋭い瞳を見つめている。やはり、彼は、何かを知っているのだ。
 知った上で、自分や、シェラにもそれを告げられず、そしてまた今も、自分に告げないことを決心している。
 家族を思う気持ちだけがそこにあるのではなかった。
 この男も、胸に迷いを抱く時が、あったのだ。
「もうちッとだけ……おまえだけじゃ無ェんだ。──俺にもよ……」
 そんな語尾が擦れて、あとは何を紡いだのか判らなかった。深い溜め息がそれに次がれて、オーマの眼差しがほんの少しだけ、柔らかなものになる。
「……なぁ。知ってんだろ。俺ァ、お前と、シェラと──お前らふたりと俺とで作った、この家族のことが……一番大切なんだ」
「…………」
「だからよ、約束する。いつか絶対──話すから。俺たちに嘗て、何が起こったのか。──そして、これから、何が起こるのか」
 ──過去と、未来。
 自分の父親、オーマはそれらを知り、またいつか、自分にそれを打ち明けると云う。
「……わかった」
 いつしか、涙は止まり、サモンの頬の上で乾き始めていた。
「わかった……待ってるよ」
「……おう」
「待たないけど、待ってる」
「おう」
「信用してないけど──信用してるよ」
「──おう」
 自分の範疇にない未来と過去が、自分のことを待ち受けていると云う。
 この男が、今口にすることを躊躇うほどの、おそらくは──苛酷な未来と、過去が。
 だが、えてして、ひとの人生と云うものは、そういうものではないだろうかと。
「……左目、もとに戻ったのか」
「──うん。……何を、心配したのか知らないけど。特に悪いことはなかった、ちょっと不思議なものが見えたから──びっくりした、それだけ」
「そうか」
 ならば自分は、いつか知る未来と過去のために。
「……、もうこんな時間じゃ無ェか。おい、朝飯作るから手伝ってくれや」
 今よりももっと、強くならなければいけないのだと、サモンは思う。
「いいけど……僕、自分の食べる量は自分で決めるから。いつもオーマの作る量は多過ぎる」
「あれくらい食いきれよ。シェラみたいにデカくなれねえぞ」
「……それ、そのままそっくり、本人に伝えておくから」
「げ」

『彼女』は、どこに行ってしまったのだろうかと、ふと思う。
 魂だけは安らかにあれと、ひとり、願う。

(了)


──登場人物(この物語に登場した人物の一覧)──
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2079/サモン・シュヴァルツ/女性/13歳(実年齢39歳)/ヴァンサーソサエティ所属ヴァンサー】
【2080/シェラ・シュヴァルツ/女性/29歳(実年齢439歳)/特務捜査官&地獄の番犬(オーマ談)】