<東京怪談ノベル(シングル)>


あなたを助けたいから

「植物園へ行かない?」
 レピア・浮桜に、エルファリアはそう言った。

     **********

 踊り子レピアは苦悩していた。とても後悔していた。
 先日――
 自分を保護してくれている大切な大切なエルファリア王女の元を、術をかけられていたとは言え、数ヶ月もの間離れてしまったのだ。
 おまけに、自分はエルファリアを特別なアイテムで真珠に変えようとまでしてしまった――
「何てことをしてしまったのかしら」
 レピアはエルファリアに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 元に戻ってからというもの、エルファリアが王女としての公務から帰ってくれば、労いのために踊り、踊り子として養ってきたマッサージの腕を使って彼女をマッサージしてリラックスさせた。
 しかしエルファリアには分かっていた。レピアがどうしてこんなに自分に奉仕してくれるのかを。
(こんなに根をつめて……そのうち疲れ果ててしまうわ)
 自分はレピアが戻ってきてくれただけで嬉しいのに、レピアに罪悪感だけを抱かせるのは嫌。
 彼女に気分転換をさせたいと思ったエルファリアは――
 ある日、
「植物園へ行かない?」
 マッサージをしている最中に、レピアに話を持ちかけたのだ。
「ガンガルドの館の中に、屋内植物園があるの。古今東西の植物があって素敵よ。一緒に行きましょう」
 レピアは喜んでOKした。
 二人は「植物園デートね」と、美しい顔を寄せ合って笑った。

 後日、エルファリアの公務の合間を縫って、二人はガンガルドの館へやってきた。
 植物園内には、なんでも危険な植物もあるらしい。そんなわけで、レピアは入り口でビキニアーマーと剣を借りた。
 植物園の中は――
 広く、そして素晴らしく鮮やかだった。
「まあ! 見てエルファリア、エルファリアのように凛とした白百合よ」
「あら、あっちにはレピアのように艶やかな紫薔薇があるわ」
 屋内だから季節も関係ない。天井から壁から、あちこちからあらゆる植物が顔を出している。見たこともないような植物もある。
「素敵……このダリア、レピアの踊りのように華やかね」
 レピアに腕をからめて歩いていたエルファリアが、黄色のダリアの元へいき、その大きな茎を抱くようにしながらそっとキスをする。
「もう、エルファリアったら」
 レピアは笑った。「私がダリアにやきもちやいちゃうじゃないの」
「あら、やいてくれる?」
「お返しに……私はエルファリアのように気高く儚げな撫子に」
 近くにあった淡い白撫子に、エルファリアはキスをする。
「やっぱりやきもちやいちゃうわね」
 エルファリアが笑った。
「やいてくれる? なら……」
 レピアは色っぽい流し目をエルファリアに送りながら、白撫子の花びらをその唇にくわえる。
「まあ……」
 エルファリアがぽっと頬を染めた。
 レピアはぺろっと撫子の花びらを舐めて、立ち上がった。
「今のが、私のエルファリアへの気持ち……よ」
「レピアったら」
 エルファリアが耳まで赤くなった。

 二人で薔薇園の中を散策した。
 レピアは薔薇をつまんだ。
 とげが刺さる。――「痛い」と小さくつぶやく。
「何をしているの? 危ないわ、レピア」
「血が出てしまったの……」
「え?」
 レピアは人差し指をエルファリアに見せた。
 薔薇のとげが刺さり、血がにじんでいた。
「エルファリア……」
 レピアは甘えるような声を出す。
 慌ててハンカチーフを取り出そうとしていたエルファリアは、ふと察して血の玉の浮いた指に唇を寄せた。
 ちゅっ……
「……薔薇の香りがするわ、レピア」
 薔薇の味の血ね――そう言って、エルファリアは微笑む。
「でも、あまりいたずらしちゃだめよ?」
 子供を叱るような親のような顔で言いながらも、エルファリアの頬が紅潮しているのを見て、レピアはいとおしくなった。
「だって、せっかくのエルファリアとのデートなんだもの」
 言いながらお礼代わりにエルファリアの手を取って、その手の甲にキスをして。
 それから、エルファリアの腰を抱き寄せる。
 王女の首筋に顔をうずめてそこに口づけをしながら、
「エルファリアも薔薇の香りがする……」
 レピアは耳元で囁いた。

 屋内だと言うのに、虫が飛んでいた。蝶がひらひらと。
「レピアの踊りのように……ひらりと舞う……」
 エルファリアが歌うようにつぶやく。
 レピアはその視線をさえぎるように立った。
「虫……蝶は危ないわ」
「え?」
「だって、甘い蜜を吸うのよ?」
「そう……ね」
「エルファリアも吸われてしまうわよ?」
「まあ」
 エルファリアはくすくすと笑った。
「本当よ。だってエルファリアからは甘い香りがする。エルファリアは甘いわ」
 レピアはそう言ってウインクし――薔薇園のときのように、エルファリアの首筋にキスをした。

「食虫植物もあるそうよ」
「あら、私だったらエルファリアを食べてしまうけれど」
「もう、レピアったら」
 くすくすとエルファリアは笑ってから、
「中には人間にも害がある食虫花があるそうだから、気をつけなくてはね――」
 と、言ったそのとき。
 はっと、レピアは振り向いた。

 ラフレシア――巨大な食虫花。

 びちゃっ
 粘着性のある樹液が飛ぶ。
 何事かとレピアの後に振り向いたエルファリアの顔へ。そして体へ。
 不意をつかれ驚いた表情のまま、エルファリアはみるみる石化していく。
 びちゃっ
「っ!」
 レピアは剣を薙いで樹液を払った。
 そして、返す剣でラフレシアを両断した。
「何て危険な花なの……!」
 慌ててエルファリアの様子を確かめるが、ラフレシアを倒しても石化が解ける様子はない。
 何か手がかりはないかとエルファリアの体のあちこちに触ってみても、何も起きなかった。
「魔法ではないし……どうしたら解けるの?」
 途方にくれたレピアは、植物園の案内人に助けを求めた。
 案内人は申し訳なさそうな顔で説明する。
「体についた樹液を洗い流してから……体に回った樹液を抜けばいいのね? 分かったわ」
 レピアは急いでエルファリアの石像をエルファリアの別荘へと持ち帰った。
 別荘の屋上にあるエルファリア専用の露天風呂へ行き、石像を洗う。丁寧に丁寧に。
 そして――石像の唇に唇を重ねた。
 不思議なことに、唇だけは柔らかいようだった。
 そして口の中も――
 レピアは口づけで吸い上げる。エルファリアの体に回った樹液を。
 一瞬考えがよぎった。
 ――樹液を自分が吸ってしまったら、自分が石化してしまうのではないか?
 けれど、それがどうしたとそんな考えを切り捨てる。
 エルファリアを助けるために、そんなことを恐れるわけがない。
 こんなことでエルファリアを救えるのなら――
 少し吸い取っては近くに吐き出し、そしてもう一度口づける。
 それを何度も何度も繰り返すうちに――
 エルファリアの体がだんだんと柔らかくなってくるのが分かった。
 やがて、
「……レピア……」
「エルファリア!」
 口づけていたその唇から、自分を呼ぶ声が聞こえて、レピアは泣きそうな声でその名を呼んだ。
「レピア……」
 エルファリアが体を起こそうとする。
「あ、無理しちゃだめよ」
 レピアはエルファリアの体を支える。
「私……ラフレシアの毒にやられてしまったのね……」
「ラフレシアなら倒したわ。大丈夫?」
「ラフレシアの毒……まさかレピア……口移しで吸い取ったの……?」
 何て危険なことを、とエルファリアが不安そうな顔をするのを、レピアは笑って彼女の額にキスをした。

「だって、あなたを助けたかったから」

 ――そう、いつだって。
 私はあなたを助けたいから。
 それは罪悪感なんかじゃなく。心から、友として――大切な人として。

 ねえ、エルファリア?
 またあなたに危険があったときは私が護るから。
 必ず護るから。必ず助けるからね。
 だって、あなたを助けたいから。ねえ、エルファリア――


 ―Fin―