<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


精霊の森を護れ〜前編〜

 『精霊の森』。そこは文字通り、精霊の棲む森の名前である。
 その森の守護者――クルス・クロスエアはその日、いつもどおり本を読んでいた。
 と、
 急に胸騒ぎがして、彼は小屋を出た。
 風が、吹く。風の精霊のラファルとフェーが、怯えたようにクルスの元へ飛んでくる。
 森がざわめいた。
 樹の精霊ファードの嘆くような声が、聞こえた気がした。

 突然の――

 突風が――

 クルスの体を吹き飛ばし――

 クルスは森の木々に何度も体を打ちつけながら、傷つけられながら森の外まで放り出された。

 バァアアアアアアアン

 破裂するような音とともに、光が満ちあふれ、

 森を円状に何かが包み込んだ。

 クルスは必死に体を起こした。目の前にあったはずの森が見えなくなっている。まるで濃霧のように円状の結界の内側が白く曇っている。
 立ち上がったクルスは結界に触れた。

 バチィッ!!!

 体が弾け飛びそうな衝撃が体中を駆け巡り、結界に触れた手にいくつもの傷が走る。
「この結界は……っ」
 クルスはうめいた。自分の魔力で魔術的に解除できないことは、一目で分かった。再度結界に踏み込もうとしたが、激しい痛みと体中に次々とできていく傷が増える一方で。
 森の中が見えない。
 ――精霊たちはどうした?
 クルスは森の外を回り、森の中に唯一通う川が流れ出る場所まで行った。
 ――完全に断ち切られている。水が、止まっている。
「誰だ!」
 彼は叫んだ。
 遠く、誰かの高笑いが、聞こえた気がした。

     **********

 やるべきことは分かっている。
「この結界は今の俺では解けない――」
 魔力の増幅が必要だ。
「ちょうど研究中だった……あれを使うしかない」
 それには必要なものがあった。
 人さえも捕食する食虫植物。その捕食袋の中にある蜜。
 それを加工して飲むしか――
「俺ひとりでは手に入らない……」
 彼は傷だらけのままエルザード聖都に走った。

 冒険者の集まる酒場、黒山羊亭へ。

     **********

 傷だらけのクルスの姿を見て、まっさきに反応したのは千獣(せんじゅ)だった。
「クルス……! どう、したの……!」
「――精霊の森に、誰かが結界を張った。俺が入れないように」
 クルスはいつになく険悪な声音で応える。
 詳しく説明していると、傍らから大声で「だらしねぇなあ!」とクルスに肘鉄を入れた小人がいた。
「そんなんでクロスエアが務まるのかよ!」
 グランディッツ・ソート。通称グラン。――精霊の森にしばしばくる青年である。
 クルスはグランの言葉に、苦しそうに「ああ」と答えた。
「全部、俺の油断だ……すまない」
「で、森を取り返したいってわけだ。俺にとっても行けないと困るしな。よしっ協力するぜ!」
 後で覚悟しとけよ、とクルスをにらみながらも、グランは大きくうなずく。
 と、傍らから声が割り込んできた。
「あんたらしくねーなあ、火事場泥棒されるような隙作ってさ」
 いつも持っているビリヤードのキューを肩に乗せながら、呆れたような声を出したのは、ランディム=ロウファだった。
「ランディム……ライカ」
 クルスは銀髪のランディムの隣に立つ青年を見る。
「……また、会ったな……」
 赤い髪のライカ=シュミットが、真顔でクルスを見ていた。
「二人にも頼んでいいのか……?」
 クルスが蜜集めの話を持ち出すと、
「結界解きも俺の専売特許だけど、クルスが言うなら手ごわいもんだってのは想像つく」
 ランディムはキューをくるくる回しながら言った。「でも人喰い植物の蜜を材料として確保するために俺たちをこき使うなんざえらい度胸だな」
「……すまない……」
 心苦しそうにクルスが頭を下げると、ランディムはにやりと笑った。
「安心しな。久しぶりで血が騒ぐぜ!」
 ひゅっ――
 くるくると回していたキューで空を切り、一点を指して止め、
「で。どーせあんたもくるんだろ? おっさん」
 指した相手は、ずっと話を聞いていた大男だった。
「一家の大黒柱をてめぇの家から閉め出していいのは、カカア天下だけだってのになあ?」
 黒山羊亭の常連オーマ・シュヴァルツが腕を組む。
 その横では、クルスが来るまでずっと千獣と話をしていた銀髪の少女が眉をひそめていた。
「森が……?」
 アレスディア・ヴォルフリート。彼女も黒山羊亭の常連である。
「いったい誰が……という疑問は、今はおいておくか……まずは結界を破らねばならぬ」
「その通りだな」
 オーマと酒を飲み交わしていた、こちらも大柄な男トゥルース・トゥースがうなずいた。
「……俺はまだ、精霊ってぇのにはお目にかかってない。が、クルス、お前さんにとっては精霊は大事な存在なんだな?」
「もちろん」
 クルスは決然とした表情でうなずいた。
「わかった。俺も協力しよう」
 と、トゥルースがうなずいたところで――
 黒山羊亭に、二人の少年が入ってきた。
 そのうちの片割れが、クルスの姿を見るなり「げっ!」と声をあげた。
「クルス! てめ、何だよその傷だらけ!」
「虎王丸(こおうまる)……」
 以前精霊の森に来たことのある、首からじゃらじゃらと鎖をさげた、鎧装束の少年だった。
 その虎王丸の隣にいた少年が、
「大丈夫ですか? 早く治療しないと……」
 と心配そうな目でクルスを見た。
「クルス、治療……話、より、先、に……治療……」
 千獣がクルスの腕を取って訴えた。
 ――クルスの応急処置をしている間に、虎王丸とその腐れ縁蒼柳凪(そうりゅう・なぎ)は精霊の森の現状を聞いた。
「おい!」
 話を聞くなり、虎王丸はクルスに詰め寄った。
「森の様子は分からねえのかよ! グラッガは無事か!?」
 グラッガ。それは精霊の森の暖炉の精の名。
 胸倉をつかまれ、しかしクルスは苦しげな声しか返せなかった。
「すまない虎王丸。結界の中は濃霧がかかったように白く染まってて、見えないんだ……」
「馬鹿野郎!」
 虎王丸は投げ出すようにクルスの胸元を放す。「てめーな、それでも守護者かよ!」
「落ち着け虎王ま――」
「全く、全く」
 虎王丸をなだめようとした凪の後ろから、新たに黒山羊亭に入ってきた存在が、あざけるように笑った。
「守護できぬ守護者とは、滑稽」
 全員が振り向いた。そこにいたのは角を持つ赤い悪魔――
 クダバエル・フゥ。その名を、何人かの人間は知っていた。
「その様子では、たとえ森の結界が破れたとしても精霊を護り続けることはできぬだろうな」
 笑いながらクダバエルは言う。
「………っ」
「せいぜいあがいて森を護ろうとするがよい。私も手伝ってもよいが?」
「く、クルス、を、責めない、で……!」
 千獣がクダバエルに敵意を示す。
「クルス、いつも、一生、懸命、精霊、を、護って、た……! クルス、の、せい、じゃ、ない!」
「千獣殿、落ち着かれたほうがいい。無駄な体力を使っては今後に差し支える」
 アレスディアが千獣の肩を抱く。
「言ってることは正論なんだが……なーんか、気にくわねえなあ、あんた」
 ランディムが横目でクダバエルを見る。
 クダバエルは薄く笑った。
「森が無事ならば……守護者ははたして必要か? ふむ、そこを問うも面白い」
「いい加減にしとけや」
 オーマが嫌気がさしたようにクダバエルをにらみつけた。「今言ってるのはそういうことじゃねえんだ。クルスは森が大事でその森を救うために俺たちに協力を求めてきた。俺たちの何人かにとっても森は大事だ。だから協力する。それだけだ」
「あのう……」
 オーマの後ろから、ひょこっと顔を出した青年がいた。
「さっきから聞いていたんですが……精霊の森が危険って本当ですか? クルスさん」
「デュナン?」
 クルスが驚いたように青年の名を呼ぶ。
 デュナン・グラーシーザはそっくりなひとりの女性を伴ってそこにいた。
「俺も風の精霊のフェーさんのことが心配ですし、よかったら一緒に行かせてください」
「……ってでゅーが言うからね。私も協力させてもらう」
 私は山桜ラエル(やまざくら・―)――と女性は自己紹介をした。どうやらデュナンの双子の姉らしい。
「クルスさん」
 その場をいったん区切るように、凪が口を開く。
「その結界はどのようなものだったのですか? その蜜を回収に行くこと――敵に知られる可能性は?」
「なるほどなあ、接触してくる可能性があるな」
 トゥルースが葉巻をくわえながら、凪の言葉にうんうんとうなずく。
 クルスは少し考えて、
「蜜を回収に行くこと――俺の小屋の研究ノートを読まれていたら……」
「バレるかもしれないんですね」
 凪は真顔でひとつうなずいた。「それは危険ですね――気をつけて行かなければ」
「幸い、今回は手助けしてくれる人間が多いみたいだぞ」
 オーマがにやりと笑った。
 そう、クダバエルを含むなら十二人もの存在が、クルスの依頼を受けたのだ――

     **********

「人をも食べる植物というが……」
 アレスディアがあごに手をやった。「どのような形状をしているのだろう。例えば食虫植物でいうところのウツボカズラなら袋状の形をしていて、その中に落ちた得物を食べる。ハエトリ草ならば、顎のごとき左右の歯で挟み込み捕らえてしまう。はたまた、まったく別の形か……」
「捕食袋はウツボカズラ状だ」
 とクルスは答えた。「蜜の香りで敵を寄せる。……蜜の誘惑に負けなければ普通は捕らわれることはない」
「あれか? 蜜の中で溺れさせるタイプか」
 と、オーマ。
「そう。溺れさせて、蔓で袋の底まで沈める。……袋の底で食する」
「おい、ちょっと待てそれって」
 ランディムが引きつった。「トロドロウツボじゃねえのか?」
「そうだ」
「おいおいおい! トロドロウツボは緑ぃのと黄色いのと二種類あるぞ! どっちの蜜だよ!」
「……両方だ」
「はー!」
 ランディムが片手で顔を覆う。
「人も食する捕食植物か……ちょうどいい。この能天気店長の脳でも食べてもらおう」
 ライカが真顔でぼそぼそと言う。
「ちょっとまて能天気店長って誰だ!」
「うちの喫茶店の店長はひとりしかいない……」
「俺の脳食われろってか!? 俺の脳に食われろってか!?」
 ランディムがぎゃーぎゃーと暴れる。
 そんなことは無視して、
「何でもいい! とにかく蜜採ってくりゃいいんだな!」
 虎王丸が今にも飛び出しそうな様子で怒鳴った。
「すぐ、採って、くる」
 千獣がクルスの包帯巻きの腕に手を乗せて、「クルス、は……できれば、ここで……待ってて」
「そうだな。お前さんは採ってきた蜜で魔力増幅する準備をしとけ」
 トゥルースが葉巻を揺らしながらしゃべる。
「怪我もしてることだしな……準備がてら休んどけ」
 オーマがエスメラルダを呼んで、クルスの付き添いを頼んだ。
「けっ。せっかく俺が鍛えなおしてやろうと思ったのによ」
 クルスを連れて行くつもりだったらしい、グランがつまらなそうに舌打ちした。
「ふ。それこそ守護できぬ守護者だな。滑稽、滑稽」
 クダバエルが嘲笑する。千獣がそれをにらみつける。
 クダバエルの言葉に思うところがあったのか、クルスは片手で顔を覆ったが、
「適材適所ってのがあるんだよ」
 ランディムがクルスの肩をキューで叩いた。
「あんたのやるべきことは、この後結界を破ることだってことだ。今は休んどきゃいいさ。それとも――」
 俺たちのことが信頼できないか?
 ランディムの瞳が鋭く光る。
 クルスは顔をあげてランディムを見て――そして微笑した。
「いや。……最高に信用できるメンバーだよ」
「当然だ、俺たちゃお前のため――森のために集まった最高の助っ人だぜ」
 オーマがクルスの首をしめてじゃれながら笑う。
「人を食べる植物……放置すれば誰かが食べられるかもしれぬ……が、彼らも生きている。難しいものだ」
 アレスディアがふうと息をついた。
「今はそれより大事なことがあんだよ、嬢ちゃん」
 トゥルースがぽんぽんとアレスディアの肩を叩く。
「それじゃあ、行きましょう!」
 凪が立ち上がった。
 それを皮切りに、次々とメンバーが立ち上がった。
「行くぜ――森を護るために!」

     **********

 トロドロウツボの生息地域はランディムが知っていた。
 全員は香り対策にマスクを持った。
 グランのみグライダーで、千獣は背に翼を生やし、他の人間は走って目的地に向かう。
 トロドロウツボは森の端に生息する。かろうじてグライダーでも見える位置に。
 遠くからも濃密な甘い香りがただよってきて、全員は口元をマスクで覆った。
 やがて全員がたどりつき、
 そして――目を見張った。
「何だ……こりゃ!」
 トロドロウツボは人を捕食するだけに大きくて目立つのだが――
 バシン!
 長く太い蔓が、まっさきにたどりついた千獣を叩き落とした。
「千獣殿!」
 アレスディアが叫ぶ。千獣がさっと立ち上がる。
 皆、千獣の心配をしている場合ではなかった。
 バシン バシン バシン!!
 右から左から、前から後ろから、あちこちから強力な蔓が襲いかかってくる。
「おいランディム! トロドロウツボってぇのはこんなに大量にあるもんなのか!?」
「そんなはずねえんだよ! トロドロは稀少植物で――どわっ!」
 バシン!
 ランディムの頬を蔓がかすめていく。
 そう――
 今、彼らの目の前には大量のトロドロウツボがうねうねと蔓をうねらせて迫っていた。緑、黄色、どちらも軽く十はある。2mを超す巨体のオーマさえ簡単に飲み込みそうなサイズの捕食袋を持った植物が。
「……人を、食べる……植物……だっけ」
 千獣がつぶやいた。「この、植物、自体、は……別、に、悪く、ない、よね……蜜、が……いる、だけ、で……」
「千獣殿?」
 動きやすいようにルーンアームを黒装に変えたアレスディアが、千獣の名を呼ぶ。
「……別に……悪く、ないん、だよね……生きる……ため、だもん……でも……ごめん……私の、大事な、人たち、の、ために……蜜が、いる……」
 千獣は両腕を、獣の腕へと変貌させた。
「ちょっと……力、ずく、だけど……もらう、よ」
「千獣待て、下手に傷つけるのは危険――!」
 オーマの呼び声も耳に入らず、千獣は群生するトロドロウツボに飛び込んでいく。
 凪が舞を舞った。――『八重羽衣』。
「これで、しばらくの間はダメージを受けません……!」
 全員に八重羽衣の効果を与えた凪は、ふと虎王丸を見た。
「この! くそ! こなくそ!」
 虎王丸は蔓が上から叩き下ろされてくるたびに下から刀を斬り上げている。
 すると――
「な……!?」
 虎王丸が刀で触れたトロドロウツボはその場で消滅した。
 そして、数秒後に再び復活した。
 ラエルが手にしていた薙刀を振り回す。いくつかの蔓を裂いて行く。しかしウツボは消滅するだけ。数秒後には再び復活している。
「これは……幻覚の類だな!」
 ラエルは舞うように薙刀を扱いながら何度も何度も植物を消滅させていく。
「こりゃ、さっきの予想が当たりだな」
 トゥルースが葉巻を叩き落され嘆きながらもそう言った。
「誰かがここを先回りしやがったんだ。クルスの研究ノートを覗き見やがったと見ていいな」
「どれが本物だ……?」
「まさか、本物全部先に取られちゃってるってことないですよね」
 デュナンがひょいひょい蔓を避けながら言う。
「さあて、そうではないことを願うが……」
 オーマが愛用の大銃で蔓を受け止めながら、注意深く植物を観察していく。
 と、
「スライジングエア!」
 空から見えない刃が飛び交い、いくつものウツボを一気に消滅させた。
 一瞬、残ったのは黄色と緑合わせて四つ。
「空からなら、影がねえの丸分かりなんだよ!」
 グライダーで中空を旋回していたグランが、幻覚のトロドロウツボが復活するなり聖獣装具のスライジングエアを操って消滅させていく。
 端とは言え森だ。トロドロウツボの根元には、雑草が大量に生えている。雑草の影がウツボの影をごまかしてしまっている。加えて、下にいる皆は蔓をよけるのに精一杯で影を確かめていられない。
 ウツボの影を見分けるには、空からが一番だった。
「よっしゃ、本物が残っていやがるな!」
 オーマが叫び――
「しかしどうやら、一番蔓を激しく振っているのは本物のようだ……!」
 アレスディアが蔓を避けて空中でくるりと回転しながら声をあげる。
 千獣が、蔓に巻きつかれて激しい声をあげていた。
 獣にも似た声。彼女は激しく暴れ、獣の爪で蔓を引き裂いた。
 消滅しない。それは本物のトロドロウツボだ。
「千獣……!」
 オーマは森や本物のトロドロウツボを傷つけぬよう、幻に近く無害な具現火炎放射威嚇を繰り返しながら、千獣の動きを止めようとした。
「千獣、よせ! 必要以上に攻撃するな……!」
 しかし蔓は千獣に攻撃されてますます千獣に向かい、千獣はそれを引き裂く。悪循環だ。
「千獣、完全に頭に血が昇ってるな……っ」
 そのオーマの横に――
 ぼとり、と何かが落ちてきた。
 オーマははっとそれを見下ろした。
 それは巨大な種――に見えた。
「何だ……!?」
 その種から芽が出る。そして急速に茎が伸び、葉が出て、蔓が出て、そして巨大化する。
 軽くオーマの倍のサイズはある巨大植物に――
「形は、トロドロウツボ――でも」
 凪が武神演舞を舞い、自身に武芸に長けた神霊を憑依させる。
 少年の銃型神機がフルオートになった。凪はそれで、新たに出現した巨大植物を狙撃した。
 巨大ウツボの捕食袋に穴が開いた。
 どろりと、赤い蜜のようなものがたれた。地面に落ち、しゅうしゅうと煙をあげる。
「やべえ! あれに触れると溶けるぞ……!」
 オーマが怒鳴った。巨大トロドロウツボの傍に来ていた虎王丸が、げっと一歩後ろにさがった。
「なんと厄介な……」
 アレスディアが巨大植物と対峙しながらつぶやく。「袋に怪我をさせずに蔓だけを処分してゆくのか? どうすればよいのだろうか」
 相変わらず周囲には幻覚の通常サイズトロドロウツボが発生し続けるが、それの処理は上空のグランに任せることにした。信じることだ、今はそれしかない。
「こいつは刺客ってやつかね?」
 オーマが冷や汗を一筋たらしながらにやりと笑う。
 通常のトロドロウツボよりも遥かに太く長く硬そうな蔓が襲いかかってきた。
 アレスディアがくるりと回転して避ける。ウツボは何本もの蔓を駆使してその場にいる全員を襲おうとする。
「おい兄ちゃんよ!」
 トゥルースが蔓の一本をがっしと受け止めながらランディムに言った。
「お前さんの相棒はどうしたよ?」
「知らねーよ。森でかくれんぼでもしてんだろ」
 ――ライカ=シュミットの姿がない。しかしランディムは平気な顔で、近場の蔓に魔術を放っていた。
「こいつは……殺していい植物なのか……」
 オーマが苦悩する。その横から――
 炎が走った。
「邪魔な蔓など、焼き払えばよい」
 クダバエルだった。彼は情け容赦なく巨大トロドロツボの蔓を燃やそうとする。
 ラエルも容赦はない。聖獣装具フレイムスローワーを火炎放射モードに切り替え、蔓を燃やしていく。
 さらには虎王丸が、だんだん減ってきた蔓の合間をぬい、巨大トロドロウツボ本体の近くに白焔を放つ。白焔は特殊な炎で、魔物等にはよく効くが代わりに通常の炎としての能力が欠けている。だからウツボの本体近くに潜りこみ、細くて燃やせそうな場所を探しては白焔を放った。
(霊獣人化するか……!? でもアレやっと解けたときに動けなくなるからな……っ)
 虎王丸はあくまで首の鎖をはずさず、人間の姿で戦うことを決めていた。攻撃を大振りにして、動作は遅くても攻撃力は高いように心がけた。おかげで、丈夫な蔓も一撃のもとに斬り落とすことが可能だった。
 デュナンは格闘技に長けているらしい。蔓をぱしぱしとうまく受け流している。
 トゥルースはやれやれと首の後ろをかき、
「しょうがねえ、相手してやるぜ、かわいこちゃん」
 一抱えもある蔓をぐいっと持ち上げ、ばきいと中央を折り取った。
 しかしそれでも蔓は減らない。次から次へと復活しているようだ。
「そいつにも影ねえぜ!」
 グランが上から報告してくる。
「幻影の……実体化!?」
 凪が射撃で蔓を弾き飛ばしながら声をあげた。
「魔術にそんなのがあるぜ!」
 ランディムがキューから法力の玉を打ち出して蔓の根元を集中射撃し、蔓を折り取る。
「魔術で実体化か……くそっ」
 絶対不殺主義のオーマはいまだ苦悩していた。
 と、視界に千獣が蔓につかまり地面に叩きつけられようとしているのを見て、「千獣!」と大声をあげた。
 アレスディアが跳躍する。ルーンアームを黒装に変貌させたために槍の代わりに剣となった得物を振り上げ、千獣を掴んでいた蔓を切り裂いた。
 蔓にからんだまま、千獣の体が落ちてくる。オーマがそれを受け止める。
 千獣の体にからんだ蔓を取り払いながら、オーマは千獣を見下ろした。
「どうした、お前さんらしくないなあんなのに捕まるなんて――」
「………」
 千獣はうつろな目をしていた。そのうつろな目で、己の獣化した両腕を見下ろして。
「ね……おっきい、人……」
 千獣はオーマを見上げる。
「なんだ? 大丈夫か? きちんとしゃべられるか?」
「ん……」
 千獣は立ち上がり、うつむいた。
「私、ね……クルス、に……来ないで、って……言った、でしょ……?」
「んあ? ああ」
「本当は、ね……」
 少女は獣化した手を持ち上げ、
「――これ、を、見られ、たく、なかった……だけ……」
 ――獣人化した自分を、見られたくなかっただけ。
 千獣は、ほんの少し笑った。
「森が、大変、だって……言う、のに……自分、の、こと、しか……考えて、なくて……」
 だから――
 少女の赤い瞳が、きらりと光った。
「蜜、持って、帰る……必ず……」
 背中からばさりと翼。
 そして彼女は地を蹴り、巨大トロドロウツボへと攻撃をしかける。
 オーマはその背を見送った。
 男の瞳が、細められた。
「そう、だったな……森が、やべえんだ」
「何言ってやがんだよおっさん! 最初っから分かってるこったろ!」
 ランディムがキューでオーマの横腹をつつき、それからキューの先端の向きを変えて法力の玉を打ち出す。
 ばしっ! とアレスディアに背後から迫っていた蔓が弾かれた。
「かたじけない!」
 アレスディアが一歩さがって礼を言い、それから向かってきた蔓を切り裂く。
「そうだぜオーマよ」
 トゥルースがのきなみ蔓を折り取りながら、「迷ってる場合じゃねえ。あれは魔術の――幻覚だ」
 そうしてトゥルースは指にはめた聖獣装具ロードハウルをかかげた。
 獅子の影が見えた。
 雄たけびが、あがった。

 巨大トロドロウツボの動きが、一瞬止まる。

 その隙に凪が、ランディムが、アレスディアが、虎王丸が、デュナンが、ラエルが、クダバエルが、オーマが、邪魔な蔓をすべて撃ち折り、焼き払い、切り払った。
 そして千獣が、巨大化させた獣の爪で――
 巨大トロドロウツボを縦に、引き裂いた。
 一番下の種、まで――

 バキィン

 種が、砕け散った。

 巨大トロドロウツボが消え去った。

     **********

「あとは本物から蜜を取るだけだな……」
 いまだに無限に発生する幻覚トロドロウツボは、余裕ができたのでグランだけではなくアレスディアやトゥルース、千獣や虎王丸も幻覚退治に回った。
 凪は連続射撃が可能だったため、一番暴れている本物のトロドロウツボの蔓を弾く役目を担った。
「袋ごと切り取っちまうのが一番だと思うんだが……」
「あ、それ俺も思いました」
 オーマの言葉にデュナンが同意する。「俺のウインドスラッシュで袋ごと切れないかなーって――あれ?」
 そのとき、デュナンの肩ががっしとつかまれ、
「……でゅー。あまり遅いようなら助けてやる」
「える???」
 デュナンはきょとんと自分の肩を問答無用で掴んでいる姉のラエルを見つめる。
 ラエルは――
「行ってこい!」
 ぽーんと、デュナンをトロドロウツボの緑の一体へと投げつけるように押し出した。
 すかさずトロドロウツボがデュナンの体に巻きつき、ずるずると捕食袋へ引っ張っていく。
「っっ!? えるの馬鹿〜!!」
 という叫びを最後に――
 ぱっくり
 と、デュナンは捕食袋に呑み込まれた……
 捕食袋の蓋が閉じる。
 蔓の動きが、止まった。
「おいおいおいおい!」
 オーマがあたふたと、うごうごうごめくデュナンを呑みこんだ捕食袋を見る。
 しかし、

 シュバッ!

 内側から風を切り裂くような音がして、捕食袋がぱっくりと裂けた。
 中から蜜まみれになったデュナンがのっそり出てきて、
「も〜! えるってばひどいんだからー!」
 どろどろになった長い髪をしぼりながらのんきにそんなことを言っていると、頭上から蔓が振り下ろされてきた。
 それをラエルが薙刀で切り裂くと、
「蜜は採ってきただろうな?」
「もちろん! ばっちりだよ」
 デュナンは腰にさげていた皮袋の中身を見せた。
 ……皮袋から蜜がにじみだしている。オーマが慌てた。
「うわわわ! おい、別の入れ物に入れ替えろ!」
 ――幸い、凪がエスメラルダから採取用の道具を受け取ってきていたので、それに入れ替えた。
「今中に入ってみて分かったんですけどね」
 デュナンはオーマに言った。「この捕食袋は、付け根がすごく丈夫ですよ。俺のウインドスラッシュでも裂けそうになかった」
「てぇことは、やっぱ誰かが中に入って採取してくるってのが一番だな」
 ずっと聞いていたらしい、キューを肩にかついだランディムが言う。「捕食袋に入っている間は、蔓の動きもとまってたしよ」
「ランディム?」
「俺がおとりになるぜ」
 ランディムは黄色のトロドロウツボに進み出た。
「おい、危ないぞ、よせ!」
 オーマが呼び止める。しかし振り向いたランディムはにっと唇の端をあげ、
「俺は囮役にしては生態学の知識は備わっていても、対処法や秘策なんてもんはない。けどなあ、俺には心の奥底から信頼しているヤツがいるんだよ」
 そして襲ってきた蔓をキューで弾き飛ばし、
 ランディムは自ら、捕食袋の中へと身を沈めた。
 ――蓋が閉まり、蔓の動きが止まる――

 チッ

 何かが、トロドロウツボの蔓をかすめた。そして、

 ガ ガガガガガガ ガッ

 ――銃の連射。
 次々とランディムが中にいるトロドロウツボの捕食袋をかすめて、うまい具合に穴を空け、蜜だけを溢れさせる。おそらく、中にいるランディムは怪我もしていないことだろう。
 ――誰が狙撃している――
 考えるまでもなかった。それは、ランディムの“相棒”だ。
 オーマがランディムの捕食袋に駆け寄り、あちこちから染み出している蜜を採取した。

「みんな……!」

 駆けてくる足音がする。
 千獣が、驚いて獣人化を解く。
 ランディムが、魔法で捕食袋の蓋を焼き尽くし捕食袋から出てくる。
「クールースー!」
 上空を旋回していたグランが、駆けて来た人物の姿を見て大声で怒鳴った。
「このやろ、思ったより重労働だぞ! 追加料金払いやがれー!」
「グラン……」
 上空を見て、グランの元気そうな姿にクルス・クロスエアがほっと息をつく。
「――ん? 何だってけが人がこんなとこまで来てやがんだ?」
 トゥルースが幻覚を消しざまクルスに言った。
「何だか――魔術で鏡にメッセージを残されて……今頃仲間たちが危険だとかなんとか……」
「それでのこのこ出てきたというか」
 クダバエルが嘲笑するように言った。「それが罠だとしたらどうする」
「ほんっとうかつだよなーあんた」
 べたつく髪を払いながら、捕食袋から出てきたばかりのランディムが呆れたように言った。
「俺たちのことがそんなに信用できねえのかよ!」
 虎王丸がクルスの横っ腹を蹴っ飛ばす。
「いや……しかし……」
「お前さん前に言ってなかったか? 大切なもんと大切じゃないもんの区切りがはっきりしてるってよ」
 オーマがため息をつく。
 クルスは苦笑した。
「……街に出てから、大切なものが増えたらしい」
「クル、ス……!」
 千獣がオーマの陰に隠れる。
「千獣? どうした、怪我をしてないか?」
 クルスがオーマの陰に隠れている千獣の腕を取ろうとする。それをオーマが止めた。
「よせよせ。今は触ってやるな。怪我の治療なら俺たちがやっとくからよ」
「え……」
「それよりクルスさん。えらい目に遭いましたよ〜」
 にこにことデュナンが採取した蜜を差し出しながら、ことの次第を説明した。
「あ、危ないことを……」
 ぞっとしたようにクルスはラエルを見た。
 ラエルは涼しい顔で、
「どうせそいつはウインドスラッシュで出てくる。気にすることじゃない」
「分かってるからってひどいよえる!」
「使える能力は有効に使え」
 ラエルはすまし顔でそうのたまった。
「それで、ランディムも捕食袋に入ったのか……」
「まーな」
 ランディムはひょいと肩をすくめる。
 木陰から、今までどこにいたのやら、ライカが姿を現した。
「言っておくが……ディム」
「何だよ」
「勝手に信頼されるのは迷惑だ」
「ああそうかい」
 ランディムは拳を作った。
 とん、とそれにライカの拳が打ちあわせられる。
 そしてライカは、
「……俺にまで蜜がついてしまったじゃないか」
「うるせえ俺なんか全身蜜だらけだ!」
 ぎゃーすかとわめきだすランディムをよそに、ライカはふとクルスを見た。
「ライカがランディムを助けたのか……」
 と安堵したようにつぶやくクルスに、
「……俺は無能店長の気まぐれに付き合った訳ではなく、お前のためにこの依頼を引き受けた訳でもない」
「ライカ?」
「お前の恋人のために……引鉄を引いたまでだ」
 ちらと見るのは、オーマの陰に見える人影。
「人間の感情に興味はないが、女に要らぬ心配はさせるんじゃない」
「―――」
 クルスは言葉を失った。
 ライカはそれきり、興味を失ったようにクルスに背を向けて、
「無能店長。それで、無能な部分はちゃんと食われてきたか」
 などとランディムをますますわめかせる言動に出た。
「これで蜜は二種類とも手に入りました。……魔力の増幅をはかれそうですか?」
 凪が二つの蜜を手にクルスに言う。
 クルスはそれを見下ろし、ゆっくりと微笑んだ。
「ああ。――これで結界を解くことはできる」

 結界を、解くこと――は。
 そう、問題は結界を解くことではない。

 誰だった?
 クルスを森から弾き出し、結界を張ったのは誰だった?
 クルスの研究ノートを盗み見て、トロドロウツボに仕掛けを作ったのは誰だった?
 クルスに鏡面魔術でメッセージを送ったのは誰だった――?

 事件はまだまだ闇の中。
 ただ、一歩を踏み出したに過ぎない――


 ―Fin―


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0142/デュナン・グラーシーザ/男/26歳(実年齢36歳)/元軍人・現在何でも屋】
【1070/虎王丸/男/16歳/火炎剣士】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【2303/蒼柳・凪/男/15歳/舞術師】
【2767/ランディム=ロウファ/男/20歳/法術士】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【2977/ライカ=シュミット/男/22歳/レイアーサージェンター】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3094/クダバエル・フゥ/男/42歳(実年齢777歳)/焔法師】
【3108/グランディッツ・ソート/男/14歳(実年齢20歳)/鎧騎士】
【3177/山桜・ラエル/女/28歳(実年齢36歳)/刑事】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳/伝道師兼闇狩人】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
ライカ=シュミット様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
今回は見せ場のために、中盤まるっきりでないという変則的な出番でしたが、決めるところはちゃんと決めることができていたでしょうか;;クルスへの最後の言葉、ありがとうございました。
よろしければ、またお会いできますよう……