<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


時計仕掛けの子守唄



 今夜はカレーライスなんてどうだろう、いや、オムライスなんかも捨てがたい――そんな風に夕飯の献立を呑気に考えていたシノンを、子どもの一人が呼びにきた。早く早くと促されるままに子ども達の元へ向かうと、そこにはいつの間にやら即席の舞台が出来上がっていた。
「また何か散らかしてるんじゃないかと思ってたら」
「えへへ、シノンに、どうしても聞いてもらいたいお歌があって。シノンはそこに座って」
 言われるがままに、シノンは彼女のために用意された椅子に座った。小さな舞台に、観客は一人。それでもシノンはまるで豪華な舞踏会か何かに招待されたような幸せな気分になっていた。
 せーの、という掛け声と共に、子ども達は一斉に歌い出す。早速歌詞を忘れてしまった子もいれば明らかに音がずれている子もいたが、全員の気持ちがちゃんと揃っているということを、シノンは知っていた。この歌を他でもないシノンに聴いてもらいたいのだという、気持ちだ。
 子ども達はそれぞれに鈴やタンバリン、カスタネットなどの打楽器を持ち――中にはそれっぽくという理由からだろうか、いつの間にかシノンの机から持ち出したらしい『こづかいノート』を広げている子どももいたが――きちんと整列しているその姿は、まるで教会の聖歌隊のようにも見えた。
 こういう時の子ども達の団結力は、シノンにとってはちょっとした自慢だ。そして、シノンは一人、そんなささやかな喜びを噛み締めながら、子ども達の歌を手拍子を交えて聴いていた。

 おじいさんと、おじいさんの古時計の歌。
 異界から来たと言う吟遊詩人が、教えてくれたのだそうだ。
 おじいさんが生まれた時に、おじいさんのおじいさんの手によって作られて、おじいさんと一緒にずっと動き続けていた時計。
 おじいさんが亡くなった時に、動かなくなってしまった時計。

 穏やかで、優しくて、けれどどこか──寂しい、歌の言葉。子ども達の元気な声でも拭い去れないような、小さな、寂しさ。
 歌が終われば、自然と手拍子が小刻みな拍手に変わる。子ども達の拍手も混ざり、場は明るい雰囲気が満ちていった。
 しかし、シノンの中に小さな疑問の種が、その瞬間、そっと芽を吹いたのだ。

 ──動かなくなってしまった時計は、その後、どうなってしまったのだろう。

 それはある意味どうでもいいような、けれど、今のシノンにとってはとても重大な発見──もとい、疑問だった。
 あえて考える必要はないのかもしれない。歌そのものはそこで終わっているのだから。
 それでも、誰かがその続きを知っているのなら、ぜひとも知りたいとシノンは思った。
「ねえ、みんなは……動かなくなってしまった時計は、その後、どうなったんだと思う? 吟遊詩人さんは、何か言ってなかったかな」
 唐突に投げかけられた言葉に、子ども達は一斉に目を丸くして顔を見合わせる。
「そんなこと、考えもしなかった。やっぱシノンはオトナだなー!」
「そうね、おじいさんの子ども達に受け継がれたんじゃないかしら?」
「いや、もしかしたらバラされて捨てられちまったのかもしれねーぞ」
「こら、そんなひどいこと、おじいさんの子ども達がするわけないでしょう!」
 子ども達の豊かな発想力でも、残念ながら、その答えが導き出されることはなかった。

 歌は時計が動かなくなってしまったところで終わるけれど、物語に続きはないのだろうか。
 動かなくなった時計は、やはりおじいさんと一緒に柩に入れられて眠りについたのだろうか。


 ──それとも。





「兄貴、いるー?」
 考えても考えても出てこない答えを探すように、その夜、シノンは久しぶりに孤児院の斜め向かい──『兄貴分』の青年が営む工房の扉を叩いた。
「……見ればわかるだろう、いるぞ?」
 返される言葉にシノンは笑いながら肩を竦める。扉の向こうで待っていたのは、懐かしさを覚える匂いと音と、見覚えのある青年がこちらへと向けてくる楽しげな眼差しだった。
「相変わらず散らかってるねー」
 足の踏み場もないと、形容するに相応しい状況。所狭しと並ぶ歯車の仕掛け、散らばっている螺子や時計の針。片付けようとか、そんな気持ちが湧いてこないのは、散らかっていても尚それらが一定の調和を保ってさえいるように感じられるからだ。
 どこに何があるのかシノンにはさっぱりだが、スラッシュにしてみれば全くそういうことはないらしい。シノンが適当な椅子を見つけて埃を払い、それをスラッシュが座る作業台の側に引き摺ってくるまでの間にも、青年の手は迷いなく、淀みなく、あちらこちらへと伸ばされて工具やら何やらを拾い上げていた。
「あっ……」
 椅子に腰を落ち着けて息をつき、シノンはようやくスラッシュが修理していたものが何であるかに気がついた。
「どうした、シノン」
「……時計……」
「ああ……時計だな。かなり、年季の入った時計だ」
 スラッシュが先程から弄っていたのは、木製の時計だった。ちょうど子ども達が聴かせてくれた歌に出てくるような、大きな古時計。
「えっとね、実は……」
 シノンは子ども達が昼間聴かせてくれた歌のことを、スラッシュに話して聞かせた。おじいさんのこと、おじいさんの古時計のこと、その時計がおじいさんが亡くなるまで動き続けて、おじいさんが亡くなった時に、動くのをやめてしまったこと──その後、時計はどうなってしまったのだろうという、シノンのごくごく個人的な疑問まで。スラッシュの作業の手を邪魔しないようにと思ってはいたが、話し始めるとついつい熱が篭もってしまうことを思い出したのは、スラッシュがその手を止めてシノンを見やったからだった。
「……つまり……時計がその後、解体されて捨てられたという話を……聞きたいわけでは、ないのだろう?」
「そっ、そりゃあ、そうだけど」
「俺が知っている古時計の歌は……」
 スラッシュの口から、聴いた事のない歌声が溢れ出た。子ども達の歌とはまた違う、穏やかで優しいメロディー。
 その歌のリズムに合わせるかのように、スラッシュの手が再び動き始める。まるで歌が時計に命を吹き込もうとしているようにも見えた。
 あるいは、その逆。時計が、歌に命を託しているかのようにも、思えた。
 シノンは一人時間に置き去りにされたかのように、ぼんやりとスラッシュの紡ぐ旋律に聞き入っていた。

 おじいさんが亡くなった、その後。
 古時計は子ども達に受け継がれ、修理をされて、また時を刻み始めた。
 おじいさんの想い、子ども達の想い、子ども達の子ども達の想い──たくさんの、たくさんの想いを宿しながら、今も時を紡ぎ続けているのだという。
「この時計もそう……何百年も、親から子へ、子から孫へと受け継がれてきて……壊れてしまっても、こうして……新しい命を、吹き込まれて……動き出す」

 かちり、と、歯車の噛み合うような音を聞いた。
 その時計に新たな命が吹き込まれた瞬間を、シノンは確かに見た。

 工房の中を巡る時の流れの中に、新しい音が紛れ込む。
 自分はまだ大丈夫なのだ、時を綴ることが出来るのだと、その時計が胸を張っているような気さえ、した。

「ねえ、兄貴」
「……ん?」
「あたし達にも、受け継がせて行ける想い、とか……残せるもの、とか……そういうの、あるかな」
 もしも自分が死んでしまっても、誰かがその想いを受け継いでくれるというのなら──それは何と言う奇跡だろうか。
 時を越えてもなお、残る思いがあるというのなら、それはとても嬉しいことに違いない。
「……俺は、あると思っている。実際に残せるかどうかまでは、わからないが……心掛け次第、だろうな。例えば……シノンの手料理で天国に続く階段を見た、という人は……いるのではないかな……?」
「──ちょっ、兄貴! ない! それはない!」
 思わず叫んで立ち上がってしまったけれど、それ以上に楽しい気持ちが花を咲かせたのだから、怒る気分になれるはずもない。
 笑い声を交えながら、静かに更けていくベルファ通りの夜。いつもと変わらない風に、一つ、新しい時計の音が混ざり込んだ。



Fin.