<PCクエストノベル(5人)>
花散る陽の下、桜咲く ―アクアーネ村―
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【冒険者一覧】
【1956 / イレイル・レスト / 風使い(風魔法使い)】
【1879 / リラ・サファト / 家事】
【1989 / 藤野 羽月 / 傀儡師】
【2875 / セヴリーヌ / セイジ】
【3060 / アリア / Top−secret(MIS)】
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イレイル・レストは、壁にかけてあったカレンダーをふと見やった。
暦は三月――
イレイル:「もう三月か……早いな。そう言えば桜のつぼみをどこかで見つけたような……」
彼の心の中に、満開の桜が描き出される。
イレイル:「サクラを見ながらお茶をするのも良いかもしれないな……」
だが、ひとりで行ったのではつまらない。イレイルは参加者を募った。
意外なことに、桜を見たことがない人物も集まった。
参加者はイレイルの他に四人。
藤野羽月[とうの・うづき]とリラ・サファト夫妻。
エルザード城のメイド、セヴリーヌ。
背中に半透明の翼を持つ美しき少年、アリア。
彼らはそれぞれに一品ずつものを持ち寄って、観光名所アクアーネ村へと桜の花見へ出かけたのだった。
アクアーネ村。水の都として有名なこの村では、たくさんの水路が流れ、ゴンドラがその上をゆったりと走っている。
アリア:「あれ、なに。何ですか」
ゴンドラを見るのが初らしい、アリアが一緒に来た人々に訊いた。
セヴリーヌ:「あれはゴンドラというのですわ。あれに乗って水路を渡って、この村を観光するのです」
アリア:「ん。あれ、乗るの?……お花見」
イレイル:「どうしましょうか……」
イレイルは悩んでいた。水路を挟むように桜並木が見られるから、ゴンドラに乗って花見をするのも悪くはない。
とは言え――
イレイル:「五人も乗ると危ないかもしれませんね」
羽月:「この子も少し危ないかな」
羽月が苦笑した。
彼は、茶虎縞の仔猫を肩に乗せていた。
リラ:「お水に落ちてしまっては……」
控えめに、羽月の妻リラが仔猫を撫でる。
イレイルは微笑した。
イレイル:「そうですね。では、やはりどこか桜の下のよさそうなスポットを探しましょう」
リラ:「あの……どれが桜というものなのでしょう?」
桜を見たことがないリラがおずおずと尋ねてくる。
イレイルは微笑して、
イレイル:「あれですよ。あの水路を挟むようにたくさん生えている白や薄ピンク色の……大きな木」
リラ:「あれですか……!? 素敵な花……!」
羽月:「ちょうど満開だな」
セヴリーヌ:「こうして桜並木の下を通るのもオツですわ」
五人でがやがや賑わいながら、桜並木の下を渡る。
イレイル:「ここがいいかな」
イレイルはまぶしい太陽の木漏れ日が見えるピンク色の桜の下で止まった。
誰も異論はなかった。
セヴリーヌがすかさず、エルザード城のメイドとしてつちかった動きで花見の準備を始めた。水路との距離をはかり、敷物を敷く。
五人がゆったり座れるサイズの敷物だ。
セヴリーヌ:「さあ、どうぞ。仔猫ちゃんに引っかかれても大丈夫なくらい丈夫な敷物を用意しましたわ」
セヴリーヌが微笑む。
ありがとうと羽月が笑った。
アリアがぼんやりと、突っ立っていた。
イレイル:「どうしたのですか? アリアさん」
アリア:「足……あったかいの」
そう言ってアリアは、裸足の足で土の上を二、三歩歩いた。
アリア:「不思議。どうして」
機械文明で生まれ育ったアリアには、自然と触れ合うすべてが目新しい。
裸足で触れる土の心地がとてもよいらしい。
イレイルは微笑んで、
イレイル:「それは、アリアさんの心が暖かいからですよ」
と言った。
アリアが不思議そうな顔をする。意味が分からなかったようだ。
それでもイレイルは微笑を崩さずに、アリアの背中を押した。
イレイル:「さ、アリアさんも座りましょう」
五人がそれぞれに敷物に座った。
セヴリーヌだけが、一度自分の位置を決めてからすぐに立ち上がり、持ってきたお花見弁当を全員の前に置いた。
羽月が、いつもの和装を汚さないよう気をつけて座りながら、セヴリーヌに茶葉を差し出した。
羽月:「桜茶だ。煎れて頂いてもよろしいだろうか」
セヴリーヌ:「あら、もちろん」
セヴリーヌは嬉しそうに微笑んだ。
隣でイレイルが、にっこりと羽月に笑顔を見せる。
イレイル:「桜茶は『花開く』という意味合いがあって、おめでたい席や人をもてなすときよく振舞われるのですよ」
セヴリーヌが、五人分の湯のみの中に塩漬けの桜を入れる。
そして、お湯を注いでいった。
アリア:「ん。……それ、お茶」
セヴリーヌ:「普通のお茶とは少し違いますわね」
塩漬けの桜がやがてふわりとお湯に浮かび、湯飲みの中央で花を咲かせる。
リラ:「綺麗……」
夫に寄り添うようにしていたリラが、感動したようにほうとため息をつく。
桜の花の香りが、満開の頭上の桜に負けじと広がった。
アリア:「香り。いい香り。いい香りですね」
イレイル:「桜には香りの成分がたくさんつまっています。心をほぐして幸せにしてくれると言われていますよ。お風呂に浮かべるのもよいですね」
セヴリーヌ:「お城でもよく桜風呂を用意いたしますわ」
花開いた桜の茶を、全員は一口ずつ飲んだ。
一気に飲んでしまうのは、もったいなかったのだ。
ふわ、と風が吹き、ちらりちらりと桜の花びらが落ちてくる。
リラ:「あ……」
リラが夫を見て、頬を染めた。
リラ:「なんだか……あなたの服装にはよく似合うみたい……」
羽月の和装に桜の花びらが散る。
羽月は、それを取ろうとしていた手を止め、笑った。
羽月:「じゃあこのままでいるかな。……君の髪にも、よく似合うよ」
リラのふわふわライラック色の髪に、からまる桜の花びら。
きゃあとリラは頬を紅潮させて、慌てて花びらを髪から取ろうとした。
羽月:「取ってしまうのかい? もったいないな――」
笑いながら、羽月は手を伸ばしてそっとリラの髪についたピンクの花びらを取った。
リラ:「じゃ、じゃあ私も」
リラは焦った手つきで羽月の服についた花びらを取ろうとする。
しかし焦りすぎて、ずるっと敷物の上ですべり、
リラ:「きゃっ」
そのまま夫の腕の中に飛び込む形になった。
羽月:「大丈夫かい?」
リラ:「え、ええ……ごめんなさい……」
セヴリーヌ:「ラブラブですわね……さすがですわ」
セヴリーヌがそんなことを言って、くすくすと笑った。
イレイル:「アリアさん。あなたも大分花びらをかぶってしまいましたね――取ってさしあげましょうか?」
イレイルがちょこんと座っているアリアに言う。
アリアはふるふると首を振った。
アリア:「桜、綺麗。綺麗です。いい」
取らなくていいと言っているらしい。
たしかに、羽月やリラに負けないほど、銀髪の少年アリアの髪や瞳の色にはピンクの花びらが思いのほか似合っていた。
イレイル:「ではセヴリーヌさん――」
セヴリーヌ:「私は自分で取ってしまいましたわ。それよりもイレイルさんはどうですの?」
イレイル:「え? 俺にもついてますか?」
セヴリーヌ:「頭のてっぺんに、一枚ちょこんと乗ってますわ」
笑いが起きた。イレイルは苦笑して、セヴリーヌに頼んでその一枚を取ってもらった。
セヴリーヌ:「残念ですわ。お似合いでしたのに」
イレイル:「からかうのはよしてください」
アリア:「……似合ってたの」
イレイル:「アリアさんまで……」
にゃーと、茶虎縞の仔猫が鳴く。ぷっと他の面々がふきだす。
イレイルはがくっと肩を落とした。
イレイル:「と、とにかく。お花見を始めましょう」
セヴリーヌ:「今日のために、腕によりをかけてお花見弁当を用意してきましたわ」
セヴリーヌは四人の前に置いていた弁当箱の蓋を開けた。
リラ:「ああ――」
リラが嬉しそうに手を握り合わせる。
リラ:「何ておいしそうなんでしょう」
中に入っていたのは桜とグリンピースのおにぎりに、三色団子風のじゃがいものフライ、ほたて貝の二色焼きに、そら豆のあえもの――
イレイル:「このおにぎり。すごいですね――」
イレイルは桜を握りこんだおにぎりを示して言った。
アリア:「ん。おにぎり」
アリアが小首をかしげる。どうやらおにぎりを知らないらしい。
セヴリーヌ:「こうやってご飯を握ったのですわ」
セヴリーヌは手の形を作りながら、アリアに教えた。
アリア:「変。面白いの」
アリアの正直な感想に、また場が笑いに包まれる。
アリア:「この緑、なに」
セヴリーヌ:「グリンピースですわ」
アリア:「ぐりんぴーす……」
セヴリーヌ:「うふふ。豆ですわよ。食べてごらんなさいな」
言われて、アリアは真っ先に桜とグリンピースのおにぎりに手を伸ばした。
はむっと食いつく。もくもくと噛む。
ごくんと飲み込んで、アリアは言った。
アリア:「おいし。おいしいです」
セヴリーヌ:「まあ、それはよかったですわ。――さあ、皆さんもどうぞ」
羽月:「では失礼して」
リラ:「頂きますね」
イレイル:「頂きます」
順々におにぎりに手を伸ばしては、その美味しさに舌鼓を打つ。
他にも三色団子風のじゃがいも、ほたて貝の二色焼きなど、お花見弁当は華やかでおいしかった。
リラ:「あの……私もお茶に合うお菓子をと……」
リラが控えめに和菓子を出してくる。
ようかんだった。桜色と白が半分ずつに分かれた、これもお花見に絶好の色をしている。
イレイル:「皆さんお花見のために、こんなに用意してくださってありがとうございます」
アリア:「ん。用意したの」
アリアが厚手の毛布を持ち出した。
イレイルが微笑んだ。
イレイル:「そうでしたね。まだ少し寒い――ありがとうございます、アリアさん」
全員は膝に、アリアが用意してくれた毛布をかけて、しばらくは食事の時間となった。
イレイル:「私の持ち寄ったものは……お話です。桜には――たくさんの伝説があるんですよ」
イレイルはピンク色の花びらを見上げながら口を開いた。
木漏れ日が美しい。絶好のポイントだったようだ。
イレイル:「大半は……呪いのお話なんですけれどね」
アリア:「呪い」
リラ:「まあ……」
羽月:「それは、どういうことだろう?」
イレイルは微笑する。
イレイル:「桜の木の下には桜鬼という魔性の女が棲んでいて、その鬼が人の心を狂わせる……なんていうのは序の口です。でもこの場には相応しくないので話しませんが」
アリア:「魔性の」
アリアが小首をかしげる。
アリア:「倒してしまえばいいの」
アリアのしごく当然の反応に、皆が笑った。
リラが夫にさりげなく三色団子風じゃがいもをとりわけながら、
リラ:「でも、こんな美しい花……そんな怖いお話だけじゃないと思うのですけれど……」
イレイル:「そうですね。昔の人々は素直に桜を美しいと感じたようですよ」
そうしてイレイルは澄んだ声で一句詠んだ。
高砂の 尾の上の桜 咲きにけり
外山の霞 立たずもあらなん
アリア:「分からないの」
アリアが首をかしげる。
イレイルは微笑した。
イレイル:「『遠くの山の峰の桜が咲いたよ。人里近い山の霞よ、どうか立たないでおくれよ。桜が見えなくなってしまうから』――昔の人が詠んだ短歌です」
リラ:「まあ……」
リラが夫とともにようかんを切り分けながら微笑んだ。
リラ:「やっぱり、桜を見たがる方々は少なくないのですね」
にゃあ、と仔猫が鳴く。必死で足で頭をかいている。
仔猫の頭に、降ってきた花びらがついて、取れなくなってしまったようだ。
羽月:「はは。お前も花びらの帽子をかぶっていなさい」
にゃあ、と仔猫は主人の言葉に文句を言うように鳴いた。
イレイル:「桜の語源としては、色々言われています。現在最も有名な説は、サはサガミ[田神]のサで穀物の意、クラは神の憑りつく所の意のクラ[座]の意で、すなわちサクラは穀霊の憑りつく神座であるとする説でしょうか」
リラ:「穀物……?」
イレイル:「稲の実りの予兆となる呪農の花でもあったんです。満開の桜を見ることで春の息吹に触れ、豊かな秋の訪れを祝福することが花見の起源――」
はらり
花びらが舞って、お弁当の上に降る。
お弁当の、ちょうどおにぎりの上に。
イレイルは笑った。
イレイル:「おにぎりといえば稲からできている。……この桜は、人の言葉が分かるのかもしれませんね」
見上げた桜。木漏れ日に照らされた美しい花。
薫る香り。まだ少し寒いこの時期、心を暖めてくれるような――
イレイル:「もうひとつの説では――」
イレイルは再び口を開いた。
イレイル:「伝説の木花開耶姫命[このはなさくやひめのみこと]が桜の種を撒いたとしており、姫の名前の『さくや姫』からサクラになったとも言われています――」
アリア:「このはなさく???」
アリアはきょとんとして、
アリア:「この花、咲いてる」
と言った。
ぷっとイレイルはふきだした。
イレイル:「このはなさくやひめのみこと……です。人の名前ですよ、アリアさん」
アリア:「よく分かんないの」
むうっとアリアは難しい顔をする。
イレイルは微笑して、「いいんですよ」と言った。
イレイル:「大切なのは、この花が綺麗だということです。そうでしょう?」
セヴリーヌ:「その通りですわ」
セヴリーヌがうなずいた。
セヴリーヌ:「花を美しく思えない心は寂しいのですわ」
リラ:「ええ、そう思います」
切り分けたようかんを全員にふるまいながら、リラがそっと口出しした。
桜茶の中では、いまだに桜が咲いている。
頭上の桜に負けず美しい。
アリア:「このお湯の桜、綺麗なの」
アリアの言葉に、そうですねとイレイルがうなずいた。
イレイル:「何も満開の花だけじゃない――こういう小さいところで『美しさ』を見つけられるのも、素晴らしいことだと思いますよ」
アリア:「………」
アリアは無造作に服から何かを取り出した。
煙草――
羽月:「アリアさん、失礼だが煙草はよしたほうがよいと思う」
羽月がすばやくたしなめた。
アリア:「???」
羽月:「火が桜に燃え移ったら大変だ。煙草はいけない」
アリア:「……ん。分かったの」
アリアは素直に煙草をしまった。
この少年がそんなものを取り出すとは思ってもいなかった面々は、ほっと息をついた。
リラ:「……羽月さん……冷静に対処できてすごい……」
羽月:「はは。内心は驚いているよ」
リラ:「でも……頼もしい……」
羽月:「ありがとう」
夫婦はお互いの服装を整えながら言葉を交わす。
イレイルが微笑して、
イレイル:「桜にまつわる恋人同士の話もありますよ。あるところの貴族が、左遷されて都から離れ、その先の桜町という場所で歌姫と恋に落ちました。桜の咲く季節に――。それから幾月か経って、貴族の左遷が解け、貴族は都に帰ることになりました。そのとき貴族は――」
来年の桜が咲く頃には迎えに来るから待っていてほしい――
イレイル:「そう言って都に戻っていきました」
セヴリーヌ:「その話なら知っていますわ。やがて春が来ても、夏になっても秋になっても貴族は戻ってこず――」
イレイル:「そう、迎えも何もなく、歌姫は一日も早く迎えが来るよう社に祈願を重ねました」
セヴリーヌ:「歌姫は咲き匂う桜花に口すさびました」
南面の 桜の花は 咲きにけり 都の麻呂に かくとい告げばや
イレイル:「都の貴族の元に届いた歌の便りに、貴族は深く詫び、ほどなく迎えにきたそうです」
セヴリーヌ:「南面の桜というのは、大木で有名な桜ですわ。貴族は歌姫に会うまで、左遷された先でその桜を見て寂しさを紛らわせていたそうですの」
リラ:「よかったわ……二人の関係が元に戻って……」
リラがほうと息をつく。
羽月が妻の肩を抱いた。
羽月:「私はリラさんと離れることがあっても、決して再会の約束を忘れたりはしない」
リラ:「羽月さん……」
セヴリーヌ:「そうですわ。お二人ならできます」
にゃーと仔猫が鳴いた。
リラが、いとおしそうに仔猫の背を撫でた。
アリア:「ん。猫、かわいいの」
アリアが仔猫に向かって手を伸ばす。
とたんに仔猫がぱっと逃げて、羽月の肩に乗った。
アリア:「あ」
羽月:「こら!」
羽月が慌ててぽんと仔猫の頭を叩き、つかまえてアリアの前に差し出した。
アリアはもう一度手を伸ばした。今度は仔猫もおとなしく撫でられた。
アリア:「不思議な感触。かわいい。かわいいです」
羽月:「よかった」
リラ:「かわいいでしょう?」
アリア:「ん」
アリアはこくんとうなずいた。
無表情ながら、喜びは隠せていないようだ。
それからアリアはふと、桜から視線をはずして、
アリア:「この村、水が多いの」
と言った。
セヴリーヌ:「ええ。この村は水の都として有名ですわ」
セヴリーヌがお弁当の中身を整えながら説明する。
セヴリーヌ:「水が美しいから、桜も美しく咲くのでしょうね」
イレイル:「お花見の場所としてここを選んでよかった」
リラ:「本当に……」
リラはひそかに、仔猫の相手をしていたせいでしわがよっていた夫の膝かけを整えた。
セヴリーヌ:「この都は水の女神を信仰していますわ。――ここからでは、水の女神像は見えないようですけれど」
セヴリーヌが額に手をかざして遠くを見る。
セヴリーヌ:「たしかあちらのほうに女神像があったはず……」
リラ:「ええ……たしかあちらのほうに」
以前夫とともにアクアーネ村に来たことのあるリラがセヴリーヌと同じ方角を見た。
アリア:「女神。女神。なに」
アリアは首をかしげる。女神とは何かと訊いているらしい。
さすがにこの質問には、簡単に答えられる者はいなかった。
イレイル:「ええとですね……とにかく……この村の人々が信仰している対象です」
アリア:「信仰」
イレイル:「そうです。信じて敬っているんですね」
アリア:「変。変なの。この桜の木のほうが」
――この桜の木のほうが、信じて敬うに値する――
それを聞いた四人が一瞬呆然とする。
やがて、
羽月:「……そうかもしれないな」
桜の木漏れ日に目を細めながら、羽月は桜を見上げた。
ちらり ちらり
桜の花びらが散る。
ひさかたの 光りのどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ
イレイルが澄んだ声で一句詠む。
リラ:「それの意味は……?」
イレイル:「昔の方が呼んだ句です。『日の光がのどかにさしている春の日に、落ち着いた心がないので、桜の花が散っているのであろう』……絢爛の春の中でも、散り急ぐ桜の花のあわれを詠ったものです」
セヴリーヌ:「桜に心があると詠んでいるのですわね。落ち着いた心がない……と」
アリア:「心」
アリアが桜を見上げて、ぽつりとつぶやいた。
アリア:「心。ある。あるの」
羽月:「たしかにそうだな」
リラ:「だってこんなに美しく咲くには……心が必要……ですもの……ね」
リラが頬をピンク色に染めて微笑んだ。
アリア:「ボクにも心。ある。あるの」
イレイル:「ええ、アリアさんにもありますよ。心が……この桜と同じようにね」
無表情だったアリアの頬が、少し動いた。
笑顔を作るには、慣れなさすぎているのかもしれない。
イレイル:「桜の花言葉は『優れた美人』だったかと思いますが――」
イレイルは、アリアを見つめて微笑した。
イレイル:「アリアさんのことかもしれませんね。それは」
アリア:「はなことば?」
セヴリーヌ:「花それぞれにつけられた意味ですわ」
羽月:「たしかにアリアさんにぴったりの花言葉だな」
リラ:「アリアさんは……ひょっとしたら桜の精なのかもしれません……」
リラがそんなことを言って、照れたように微笑んだ。
羽月:「リラさんは、花そのものの精だ」
リラ:「まあ。羽月さんたら……」
夫婦が顔を寄せ合って笑う。にゃーと仔猫が鳴いた。
セヴリーヌ:「仔猫ちゃんがやきもちをやいてますわ。これは伝説の桜にお願いしませんと」
羽月:「伝説の桜?」
セヴリーヌ:「その桜の枝を折ると……おなかが痛くなるのですわ」
場が笑いに包まれた。
羽月が笑いながら、「すまなかったな」と仔猫の頭を撫でた。
仔猫は凛々しく背筋を伸ばしてつんとした。
羽月:「おやおや、嫌われてしまったようだ」
リラ:「どうしましょう……」
セヴリーヌ:「こんなときには……」
セヴリーヌは突然その手に扇子を取り出した。
イレイルが驚いて、
イレイル:「どこに持っていらしたんですか?」
セヴリーヌ:「今作ったんですの。作り方は企業秘密ですわ」
そう言ってセヴリーヌは、立ち上がりつと足を滑らせた。
さらり。扇子が開く。そしてセヴリーヌは扇子を独特の動きで体の動きに合わせるようにひらひらと。
舞踏――
扇子をうまく操り、落ちてくる桜の花びらを拾い、また散らすようにして舞う。
ふわ……
扇子を軽く扇げば、花びらが宙に舞い、座って舞を見物する四人それぞれのところまで飛んでいった。
ふわり ふわり
扇いでは桜の花びらが美しく舞う。
セヴリーヌは花びらを浴びながら、その花びらさえも舞のひとつに巻きこんだ。
イレイル:「美しい……」
イレイルが拍手をする。
ようやく我に返ったように、羽月やリラ、アリアも拍手をした。
セヴリーヌの舞は、最後にぱちんと扇子を閉じて終わりを告げた。
溢れんばかりの拍手の中、セヴリーヌは丁寧にスカートをつまんでお辞儀をした。
セヴリーヌ:「つたない芸で申し訳ありませんわ」
イレイル:「とんでもない! 素晴らしかったですよ――」
羽月:「ああ、本当に」
リラ:「わ、私も踊れたらよいのですけれど……」
アリア:「ん。綺麗。綺麗でした」
最後に仔猫がみゃーと鳴いた。
セヴリーヌは笑って、仔猫の背を撫でた。
とたんに仔猫が逃げた。ぱっと桜の木の幹に隠れて、尻尾だけがひらひらと見える。
アリア:「しっぽ……」
セヴリーヌ:「頭隠して尻隠さず、ですわね」
セヴリーヌは声を立てて笑った。
――身の代と 遺す桜は 薄住よ 千代に其の名を 栄盛[さか]へ止むる――
イレイルが一句詠んだ。
羽月:「それは?」
イレイル:「昔、土地を離れなくてはならなくなった王が、自分の代わりと桜を植えてその場で詠んだ句です。自分の身代として残す桜は永遠に其の名を栄えて留めるだろう――」
リラ:「切ないお話ですね……」
リラが夫の手を握って寂しそうにする。
羽月はその手を握り返しながら、
羽月:「それでも……桜なら永遠に咲き誇っただろう」
と言った。
イレイルが微笑した。
アリアが桜を見上げて、「永遠」とつぶやいた。
アリア:「桜、枯れるところ想像できない。永遠。永遠です」
セヴリーヌ:「そうですわね――」
イレイル:「ええ、そうですね――」
五人は桜を見上げた。
木漏れ日が、桜の花色を何とも言えないグラデーションで飾る。
今日は快晴――
イレイル:「よい日を選びました……今日は」
イレイルのつぶやきに、異論は出なかった。
桜散る しかし桜は咲き誇る
それは不思議な現象で、彼らの心を彩った。
まるで彼らの心の中でまで満開に咲き誇ったかのように――
―Fin―
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■ライター通信■
初めまして、笠城夢斗と申します。
今回はこのような大役を務めさせてくださり、ありがとうございました。
桜を美しく描写するのはなかなか難しかったです。皆さんに楽しんでいただければよいのですが……
よろしければ、またどこかでお会いできますよう……
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