<東京怪談ノベル(シングル)>


Rose Letter

 届かない手紙を送りつづける。
 届いたとしても開封されないかもしれない。
 読まれることなど、来ないのかもしれない。
 けれど、送り続ける。

 何の為に、と問われれば、きっと、その人にしか、答えられない事なのだろうけれど。





 梅雨があけ、暑さと同時に涼しさも時に訪れる、夏がやってきた。
 葉の色は深く、花々は淡色から原色へと、鮮やかな色合いにと染める季節。
 夏の陽は何処までも高く、空は青々として、シノンを照らす。
 お日様の存在にシノンは瞳を細めながらも、大きく背を伸ばした。

「んーー……」

 伸ばした掌の中には、本日の買い物の代金が握られている。
 今日の夕飯、明日の朝食や、皆で作り上げる、おやつ。
 今日は何処で買って、どれくらいまで値切ってこれるだろう。
 シノンはワクワクとこみ上げてくる楽しさを感じながらも、アルマ通りへと足を運ばせる。
 歩く道々で賑やかな呼び声に応える元気な声と同時に。
 柔らかな緑の髪が、風に揺れた。





 届かない手紙があるんです。
 けど、届いてしまえば解ってしまうでしょう?

 近況が。
 どうやって、過ごして来たか……とか、言えない言葉も何もかも。

 だからこそ、
 届かない方が良いんだと思う。
 けれど、
 届いて、
 読んで欲しいと思うのもまた、本当。

 ――手紙を、届けて欲しいんです、貴方に。




(今日は沢山値切れたなあ♪)

 紙袋一杯に、暖かな湯気を立てた出来立てのパンや取れたてだろうと思う新鮮な野菜や果物が入れられており、ちょこんと、ハムやベーコンも顔を覗かせている。
 馴染みが深い面々の店に買い物に行ったのが良かったのか、うっとおしい梅雨が過ぎ、皆、気が大きくなってるのか――多分、後者だろうなあ、と思い、シノンは慣れ親しんでいる石畳の道を進んでいる。

 ――つもり、だった。

 つもり、だったのに。
 いいや、道筋を間違える何てことは滅多に無い。
 第一、アルマ通りからスラム街への道は間違えようが無いのだ。
 とても解りやすく、故に迷い難い。
 なのに、此処は。

(何処なんだろう……)

 見覚えが無い。
 スラム街にある特有の風景ではない、何処かゆったりとした時の流れを感じる、光景。
 急いでなければ、きっと此処に留まりたいとシノンは思った事だろう。
 けれど、
(早く荷物を置かないと……、折角の戦利品だしっ!)
 そう思いながら、くるりと、来た道へ向き直る。
 確かに、慣れ親しんだ道が目の前に在る。
 振り返れば見た覚えのない場所があるだけだ。
(何で……?)
 感覚が迷いの方向へと天秤を傾けていく。見覚えがあると思った、それは、思い込みだったのかと言う。
 だが。
(間違える筈なんて、ないよ)
 仕方がない、見覚えの在る場所まで行って、其処からまた気持ちを切り替えて歩けばいい。

 歩を進める。
 スラム街はシノンにとって庭のようなものであり、ここに住む面々はシノンにとって家族と同義だ。
 慣れ親しんだ面々と交わす言葉と交わす笑顔。
 慣れ親しんだ、街。
 全てがシノンにとって居心地良く、此処が求めていた場所なのだっただと、いつも思う。

 なのに。
 今日はどれほど不思議な事が自分の身に訪れる日なのだろう。
 梅雨が明けたことで世界も遊んでるんじゃないだろうか、そんな、考えもふと浮かぶが。

(新しく此処に来た人かも……?)

 目の前に立つ、人物。
 シノンを見つけ、柔らかな笑みを浮かべ、手招きを繰り返す。

「……?」
「道に迷ったの?」
「あ……、そ、そう! ねえ、孤児院まで戻る道、解る?」
「ちょっと道を逸れてしまったのね、小さな通りを抜けてきたでしょう?」
「え……? そ…そう、かな……?」
 思い返し考えてみるが、小さな通り、が何処を指すのかシノンには想像がつかない。
 いつもと同じ道を辿った筈なのだから。
 けれど、目の前の人物は笑みを深めて、笑うばかり。
「解り難いのよ、道を逸れたって……。もう少し歩くと、孤児院にいける道に出るわ」
「そっか……ありがとっ! 迷ったって初めてのことだから、悩んだけど楽しかったよ♪」
 これで、新鮮なまま荷物を持って帰れるし。
 教えたお礼に、お願いがあるのよ。

 シノンが言う言葉と同時に、そんな言葉を聞いた。
 不思議な人だと思った。
 目の前に居ない人みたい。
 勝手に会話が進んでるような……、違和感。
 だが、お願いと言われて、聞かないわけにも行かない。
 何せ道を教えてくれた人だ。
「いいよ、何かな?」
「手紙を届けて欲しいのよ」
「手紙……?」
「そう、お願いね?」
 シノンが持つ紙袋の中へと差し込まれた其れは、まるで長い年月が経ってしまったかのように変色し、表面のインクも心なしか褪せた代物で。
 何度もシノンはその住所を目でなぞる。いけない距離でも、いけない場所でもない。
「この住所に行けばいいの?」
「ええ」
「了解っ、届けるね!」
「――有り難う」

 礼の声が聞こえた、その瞬間、何処へ行ったものか、目の前の人物は消えていた。






 探している。
 届かない手紙を。土の中に、埋めた言葉を。

 色褪せた手紙の中に書かれた文字になんて意味がない。

 送ってくれた事が重要。
 それ以上もそれ以下もない。

 其処に居るのだと、教えてくれれば何もかもが不要な――、それこそが、手紙。




「あれ……??」
 孤児院、シノンの一室。シノンは今、シスター達から借りてきた本に目を通し、住所を確認している。
が、調べていくうちに、静かに、静かに、シノンの眉間へと皺が刻み込まれていき。
本を持つ手にも自然と、力がこもってゆく。
(どうして……?)
 行けない場所ではない、と思ったのに何故か、該当する番地がない。
 綴りのミスだろうか。
 けれど、ミスできるような文字は手紙の何処にもない。

(この本が古いのかな……?)

 幾度も首を傾げながら、どうしたものかと考えを巡らせる。
 番地はなくとも、その区域はあるのだ。

(うーん……)

 区域があるのなら、其処へ。
 解らないと言う前に当たって見ればいい。
 もしかしたら、自分では解らない事が解るかもしれないし、届けてくれる人が出る可能性も無くはない。

「よしっ!」

 全ては明日。
 そうときまれば、今日は早く寝るに限る。
 早く寝て――、この区域へと足を運ぶのだ。
 色褪せたインクの、優しい文字で書かれた手紙を持ち主の元へ、届けよう。




 走る度に空気は涼しく、頬をなぞる。
 けれど、走る事をやめるたびに、暑さはじんわりと、シノンの身体に纏わりついてゆく。
 暑いのが好きでなければ、この陽気は耐えられないのかもしれない。
 じりじり照りつける日差しと、虫たちの大合唱。
 鳴き声が聞こえるたびに急がないとと思うのに、何故か、この区域に住む人たちは、けんもほろろに、「知らない」の一言で済ませてしまうのだ。
 何故、こうも非協力的なのか、シノンには解らない。

 歩んでも歩んでも場所はなく、聞くことさえ出来ない、区域。
 まるで黙する事が義務のようで、物悲しささえ覚えるほどの。
 最早、この場所でシノン一人だけが、異端だった。

 だから、でもないだろうが。
 何故か、ふと思い立ち、シノンは墓地へと足を向けた。死した人々が眠る場所、精霊にもなりえるだろう魂の安息場所に。

 無い住所、無い、番地。

 皆が知らないという宛先の人物。

 入ってから、書かれた番地の番号分だけ、墓標を眺める。

 そうして。

「…………」

 宛先に書かれた名前をシノンは見た。

「――手紙を」

 届けようと、した、のに。

 掌が無意識に手紙を握りしめる。いけない、と思う間さえない、力強く握りしめられ手紙に皺が寄り丸まっていきそうなほどに。

 届かない、手紙。

 何故、届かない手紙を送るのだろう。
 シノンには解らない。
 手紙と言うのは送って読まれて、初めて手紙と成りえる。
 父親が自分に送ってくれた手紙と同様に、それらは送ってくれた人たちの気持ちであり、励まし、力強く背を押してくれるはずのものなのに。

(それでも――……?)

 この場所に自分が来た事に意味があるのだと、振り切るように。

 丸まってしまった手紙を、懸命に伸ばし、シノンは墓標の前に手紙を置いた。
 贈られた文字の分、祝福の花が、天上へと降り注ぐように、


 ――祈りながら。




―End―