<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


ソーン買出し紀行〜花と小麦の香り〜

 ニュアーゼル領事館の一角を改装して開かれているショップは、クラウディア王国ニュアーゼル地方のお土産物や特産品を取り扱っている。ニュアーゼル地方は取り立ててこれという名物はない土地だったが、一つだけ自慢があった。
 花が多いのだ。クラウディア王国自体は寒い国なのだが、ニュアーゼル地方は比較的温暖で、冬の最中さえもなんらかの花が咲いている。だからこのショップにも季節を問わず、花の種が絶えず置かれていた。袋に詰められた種からは、どれも綺麗な花が咲く――

●花と雲の国の人
「ふむ」
 ヒースクリフ・ムーアは鏡の中の自分をよく確認して、うなずいた。長い白い髪は、今は黒く染められている。すぐ落とせるように簡易な染料を使った割には染め上がりにむらはなく、おかしなところはないように思われた。
 白と黒の印象は大きく違うので、遠目に見てはヒースクリフだとはわからないだろう。後は、親しい人物に近くで確認されなければ良い。いや、外に出てしまった後ならば見つかっても、捕まえられて引き戻されるということはほとんどあるまい。
 後の問題は。
 ヒースクリフは、さてどう人目を盗んで抜け出したものかと、布張りの椅子に腰を下ろして、目を閉じて考え込んだ……

 案外、それは簡単だったらしい。
 ヒースクリフが髪を染めてから、まだ一刻は経ってはいないだろうか。だが、ヒースクリフはもう街中を歩いていた。これならばこの先も、空いた時間に髪を染めて街に出るのは容易いだろうかと思いながら、街をそぞろ歩く。
 土地勘のあるようなないような、そんな街の一角。どこであれ街を見て回るというのはヒースクリフにとっては重要な仕事の一つのはずだったが、それはなかなか実行できないことでもあった。時間も環境も、それを許さないのだ。庭師としての仕事でも季節の花の種や苗を入手するのは重要なことなのだが、それすらも最近は怠りがちだった。もちろん、ヒースクリフは怠けてはいない。だが、兼業庭師のヒースクリフには、なかなか自由に時間が取れないのだ。
 今からだと、秋に咲く花の種があれば。花屋の軒先を覗きながらそう考え――
 ふと、気がついた。
 この近くには、領事館が。
 気がついて顔を上げれば、もう背の高いその建物の屋根は見えていた。独特の高層の建築様式で、見間違うことはない。
「土産物屋を開いたんだっけ」
 つぶやきながら、ヒースクリフは見えている建物のほうへと歩き出した。道はまっすぐではなくても、背の高い建物を見失うこともないだろうから、迷うこともないだろう。
 実際、ほどなくヒースクリフは領事館の前に着いた。
 領事館の門は門で別にあって、横手に土産物屋の入口が設えられていた。扉は開いていて、中から声が聞こえる。
「足りないね……どうする?」
「じゃ、俺が行ってくるかな。他にも、ついでに買ってこよう」
 片方は聞きなれた声だ。もう片方も誰だかわかる。
 ヒースクリフは声の主が出て来るのを待つことなく、土産物屋に入った。
 外がもう夏の明るい日差しのせいか、土産物屋の中は少し薄暗く感じる。明かりは綺麗な布笠のランプがそこかしこに吊られているが、昼間のせいか火の入っていないものもいくらかあるようだった。
 中に入ってすぐ、ヒースクリフは出入り口近くの棚に並べられた可愛い布袋に目を惹かれた。それは思った通り、草花の種だった。ニュアーゼル地方に秋から冬にかけて咲く花の種を、綺麗な布袋に詰めてリボンで口を縛って並べてあるらしい。その軽い綺麗な布も特産品の一つだから、それ自体は何も不思議はないのだが。しかしそのセンスがいかにも繊細で、それが誰の発案の仕事だろうかと思うと……ヒースクリフは笑みが漏れるのを感じた。
「いらっしゃい」
 黒髪の見覚えのある青年が、普通に客を迎えるように声をかけてくる。逆光で顔が良く見えないのだろうと思って、もう一歩奥に進んで。
「……あ」
 すると金髪の青年のほうが、ヒースクリフに気がついたようだった。
「やあ、買出しかい? 俺も付き合おうか」
 そう声をかけると、黒髪の……イリヤのほうも気づいたようだった。金髪のギリアンは、もう顔を顰めている。
「なんでここに!」
 何を言っても言い訳になるだろうから、ヒースクリフは笑って誤魔化した。

●市場の昼下がり
「まったくもう……」
「そんなに、いつまでも怒らないでくれよ」
 買い物に出かけるギリアンに半ば無理矢理くっついて、ヒースクリフは店を出てきた。ギリアンと肩を並べて歩きながら、怒っているギリアンを宥める。ギリアンは怒っているか困っていることの多い青年で、温和なヒースクリフはそのフォローをすることが多かった。
 何も変わっていないと言えば、何も変わっていない。二人の立場や位置や気持ちは揺らいでも、多分出会ったときからずっと、関係そのものは変わってないような……ヒースクリフはそんな気がした。
「たまにはいいじゃないか。すぐ戻るから」
 あんまりギリアンの機嫌が直らないので、押し負け気味にヒースクリフがそう言うと。
「……やっぱり息が詰まるのか?」
 一転心配そうに、ギリアンはヒースクリフの表情を窺ってきた。押されると突っ張るくせに引くと同じだけ引くギリアンは、コツさえ掴めば扱いやすい。
「そんなことはないよ」
 ヒースクリフの答に、ギリアンはほっとした表情を覗かせる。空気が和んだところで、すかさずヒースクリフは話を変えた。
「そういえば、何を買いに来たんだい?」
「ああ……お茶が切れてたんだ」
 売り物は皆ニュアーゼルのものだけれど、普段領事館で使うものや食べるものは、普通の店で買ったり、市の日に買い貯めておくのだと言う。
「今日は、こっちの通りで市が立ってるんだ」
 角に差し掛かったところで、ギリアンが指差す。その先には人の熱気が溢れていた。
「市場か」
 ヒースクリフの瞳も、その熱気を映すように輝いた。
「市はいいな。いい市の立つ街は発展する」
「ここの市はいいよ。小さいけど、治安も悪くないし」
 露店を覗きながら、市の奥へと入っていく。
「お茶を買うんだったな」
「あと、少なくなってたから、小麦粉と芋を買って行こうかと」
「小麦粉?」
 なんだか意外な品名が出て、ヒースクリフは繰り返すように聞き返した。
「市でまとめて買ったほうが安いんだ」
 何をヒースクリフが疑問に思ったのかは正しく伝わらなかったようだったが、ギリアンは買っていく理由を簡潔に答える。小麦粉と芋を買って帰るのはいいとして、誰が何を作るんだろうかというヒースクリフの疑問は残ったが……
「あ、待ってくれ、ギリアン」
 そこでヒースクリフは別のものに目を奪われて、足を止めた。
「なんだ?」
 先に行きかけたギリアンも戻ってきて、ヒースクリフが覗いている露店のテントを後ろから覗く。
「秋に咲く花の種はあるかな」
 花屋だ。切花が主だったが、球根が軒先に吊るされているので、種類も扱っているだろうということは察することができる。
「あるわよ、お兄さん」
 店番らしい少女が笑顔で答える。
「球根と種、どっちがいいかしら。球根は綺麗な大輪の花が咲くわ。色は白と朱と紫があるのよ」
 種からは可憐な八重の花が咲くという。色は様々だと言った。
「両方欲しいな。球根は白と朱を二十ずつ、種は三袋ほど」
「ありがとう! いっぱい買ってくれるから、おまけしておくわ」
 紐で繋いだ球根を二連と、種の入った三袋をまとめて縛り、少女はヒースクリフの手に渡した。
「すまない、勝手についてきたのに、足を止めてしまって」
「いや、望みのものが買えたなら、なによりさ」
 そして、再度二人並んで歩き出した。
「帰りの荷物持ちは手伝うから、勘弁してくれ。お茶から先かな」
「おまえに荷物持ちさせるなんて、とんでもないよ。お茶が先だな。小麦粉と芋は重いから」
「持たせてくれ、なんだか非力だと言われてるみたいじゃないか」
「そ、そんなつもりはなかったんだ……じゃあ、お茶を持ってもらうかな」
 困ったように、ギリアンが首をひねる。ギリアンが重いものをヒースクリフに持たせようとしない理由はヒースクリフ自身にもわかっていたが、そこで少し悪戯心も手伝って、囁いてみる。
「……やっぱり非力だと思ってるんじゃないか?」
「いや、そ、そんなことは」
 慌てている。ヒースクリフは笑いそうになった顔をどうにか引き締めて、提案した。
「芋を持とう。一番重そうだ」
「……ここはひとつ、小麦粉でまけてくれないか」
 ギリアンは、真剣にそう答えた。

●小麦粉と芋の行方
 買い物から帰った二人に、時間だからお茶でもと勧めたイリヤには悪気はなかっただろう。ギリアンは苦い顔をしていたが、ありがとうと答えたヒースクリフを咎めることはなく、荷物を持って領事館の奥に姿を消した。
「あまり気になさらないで……どうぞ、中庭のほうにテーブルがありますから」
 イリヤに案内されて、店の奥から中庭に抜ける。ニュアーゼルの領事館らしく花壇には少し季節の花の咲いているようだったが、少しばかり殺風景な庭にテーブルと椅子が並べられていた。
 ほどなく、イリヤがお茶を持ってくる。
「ギリアンは……」
「じきに来るでしょうから、お先に一杯どうぞ」
 イリヤは慣れた手つきで茶を注いで、ヒースクリフの前に置いた。
「やっぱり、まだ怒ってるのかな?」
 それに口をつけながら、ヒースクリフは黒髪の青年に問いかけてみる。
「そりゃまあ……」
 半ば笑いながら、イリヤは答えた。
「仕方がないでしょう、心配するのがギルの仕事みたいなものですからね。怒られるのがお嫌なら、早くお仕事に戻られると良い」
 そんな答えに、少しだけヒースクリフは眉根を寄せて。
「わかってるつもりなんだが……色々言いたいこともあるだろうけど……好きなんだよ。街の人たちの暮らしぶりを、この目で見るのがね」
 自分の主張も訴えてみる。
「わかってる」
 そして答えは、背後からあった。
 振り返ると、焼きたての小麦の良い匂いが鼻腔をくすぐる。
「わかってるけど、だから良いとは言わないからな? 食べたら戻れよ。花が枯れるぞ」
 皿がテーブルに置かれると、その上には焼きたてのパンケーキと果物のジャムが乗っていた。
「これは」
「今買ってきた小麦と芋で作ったんだ」
「ギリアンが?」
「おかしいか?」
「いや……でも、こんなことができるとは知らなかった」
「難しい料理はできないさ。でも少しはできないと、いざってとき困るじゃないか」
「確かにそうだ」
 ヒースクリフはパンケーキを一口切って口に入れる。
「美味い」
「それは良かった……でも」
 褒めたというのに、ギリアンの表情は暗い。
 何か言おうとしているのを察すると、ヒースクリフは先回りして口を開いた。
「勘違いしないでくれ。今の仕事には遣り甲斐を感じている。十分に満足しているよ」
 そして自分を見ているギリアンに、笑って見せる。
「食べたら、帰るよ」
 空飛ぶ島の花咲く庭に。瞼に浮かぶそれは、ヒースクリフの第二の故郷だ。
「……たまには、なら」
 そこで、ギリアンはぼそりと呟く。厳しいようで徹底しきれないところが、彼の特性だ。半分はお互い様で、ギリアンに対しては同じことがヒースクリフにも言える部分はあるが。
「たまにはなら? そうか、じゃあ、たまにはパンケーキを食べに来るかな――」
 たまには、この庭で――

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■□□□登場人物(この物語に登場した人物の一覧)□□■
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【3345 / ヒースクリフ・ムーア / 男性 / 26歳 / ルーンアームナイト兼庭師】

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■□□□□□□□□□ライター通信□□□□□□□□□□■
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 お久しぶりです、ヒースクリフ君ともPLさんとも……ですね。
 懐かしく楽しく書かせていただきました〜。本当に楽しかったです♪
 また機会があったらよろしくお願いしますね!