<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


『魅惑の名水』

 ソーン中心通りにある、白山羊亭。
 料理が美味しいことで知られる評判の酒場である。
「あれ? 今日はカキ氷ないの?」
「あ、ごめんなさい。今日は作れないんです……」
 この時期、白山羊亭では期間限定メニューとして、カキ氷を提供している。
 好みのシロップやトッピングを選べ、客達にも好評である。
 しかしこのカキ氷、シロップをあまりかけずとも、とても美味しい。
 秘密は水にある。
 アルマ通りを抜け山道へと進み、獣道ほどの小道を通り、更に進んだ先に美しい池がある。
 その池へと流れ込む湧き水は、一口飲めば、心身全てが癒されるような心地よさを感じる名水である。
 湧き水が流れ込む池には、時折美しい天女が水浴びにやってきて、人々を感嘆させるという噂もある。
 そこの名水が、白山羊亭特製カキ氷の材料となっているのだが……。
「お水を汲みに行った方が戻らないのです」
 ウェイトレスのルディア・カナーズがすまなそうに客に説明をしている。
 白山羊亭からその池までは、半日近くかかる。
 深夜に出発して、早朝に到着。夕方までには店に届くはずなのだが、今日はまだ届いていない。
 本日バイトとしてその役目を担っているのは、ファムル・ディートという男性だった。
「そういえば、ミラヌ山からクマが下りてきたらしいぜ」
 別の客の会話がルディアの耳に入る。
 ミラヌ山といえば、ファムルが向った山である。
 クマはさほど珍くない。怪物が出ることもありうる。そういう対策もしてファムルは出かけたはずである。
「でも、ファムルさん……あまり健康そうな方ではないですし。少し心配です。どなたか、ちょっと見てきてはくれませんか? あ、お水が無事に届いた際には、カキ氷サービスします」
 事態によっては、食事や酒もサービスするとルディアと白山羊亭の店主は約束をするのだった。

「大変! カキ氷……バイトさんも」
 話を聞いてすぐ立ち上がったのは、チユ・オルセンという女性だった。
「いや、水にこだわる必要があるのかよ、かき氷ぐらい普通の水で作れよ」
 そんなことよりメシメシ! と、食事を急かすのは虎王丸という少年だった。
 彼はカキ氷に興味がない。どうせ腹で水に変わってしまうものの心配より、目先の肉だ。
「水も大事だがよ、明日の聖筋界下僕主夫増殖未来★の為にゃぁ、やっぱ人命が最優先だぜ?」
 オーマ・シュヴァルツはマスターに地図を借り、場所の確認を始める。オーマはファムルと面識がある。そう、ファムル・ディートは下僕主夫の才能溢れる貴重な独身男性なのだ!
「ファムルってあのおっさんか? 体力増幅剤でも飲もうとして、間違って睡眠薬でも飲んだんじゃねーの。ほっといてもそのうち戻ってくるって」
 虎王丸もファムルと面識があるのだが、そんなことより目先の肉の方がやっぱり大事だ!
 そんなわけで、虎王丸は運ばれてきた食事に没頭することにする。
「ファムルさんって、どんな方なの?」
「ええっと、髪は短めの黒で、目の色は赤で……」
 ファムルの容姿を尋ねるチユに、ルディアが説明して聞かせた。
「で、その池には、美しい天女が出るって噂があるんです。もしかしたら、ファムルさんが水汲みの依頼を受けたのは、天女が目的だったのかも……」
 ぽん。
 そこまで話した時、突如ルディアの肩に手が置かれる。
「しょうがねえなあ……。あのおっさん非力そうだし、へばってんのかもな。よっしゃ、俺も行ってやるぜ」
 食事を平らげた虎王丸が急にころっと態度を変えて、協力を申し出てきた。
「では、よろしくお願いいたします」
 ぺこりとルディアは頭を下げて、3人を送り出したのだった。

***********

 ミラヌ山の麓に着いた頃には、すっかり日は落ちており、周囲は闇に包まれていた。
 最短ルートを歩いてきた3人だが、途中ファムルとすれ違うことはなかった。
 聞き込みをしながら、麓の集落で夜明けを待つことにする。
「では、ここは最近まで森だったと?」
 オーマは集落の小さな酒場で、熊についてや、山での事故や遭難について詳しく訊ねる。
「ああ、そうだ。ここは山の一部みたいなもんでな、熊も仲間のようなもんだ」
 大ジョッキを片手に熊のような容姿の大男が豪快に笑う。仲間というかまるで親戚のようだ。
 一般人が山奥に入るようになったのも最近のことであり、特にこの集落で登山者の管理をしているわけではなく、よくは分からないらしい。
 水を汲みに来る人物もたまにいるそうだが、立ち寄れば普通に客として迎えるし、寄らなければ気にも留めないということである。
 それを聞いたオーマは、腹黒商会の案内書を手に、酒場のマスターと交渉を始めるのであった。

 マスターが根負けし、登山者の支援を行なうという約束を取り付けた頃、眩しい朝日が集落に降り注いだ。
 仮眠をとっていたチユが目を覚まし、遅くまで飲食いを楽しみ、今は熟睡している虎王丸を起す。
 集落から問題の池までは数時間山道を登ることになる。オーマと虎王丸は問題なさそうだが、チユには少しキツイかもしれない。
 山道の入り口で、チユと虎王丸はオーマと別れる。
 手分けして探すことにしたのだが、女性のチユを一人にするのは危険ということで、チユは虎王丸と一緒に行動することになった。
 獣道だとは聞いていたが、確かに道は細い。
 人の通った形跡はあるのだが、地面は草に覆われており、足跡さえ見えない。
「待って、虎王丸さーん!」
 気付けば、チユの姿がない。虎の霊獣人である虎王丸にはなんてことのない道だが、人間の女性であるチユには険しい道のりであった。
「しゃーねーな」
 頭をぽりぽりかきながら、虎王丸はチユを待つことにする。
 茶色の髪を振り乱しながら、一生懸命虎王丸に付いてこようとするチユの姿が……とても美しく見えた。
 彼女はとても自然な雰囲気を感じさせる女性だ。共に歩いていると、いつの間にか自分の中に溶け込んでくる。虎王丸が彼女おいて一人で進んでしまったのも、そのせいである。
「なんなら、おおおぶってやろっか」
「ううん、大丈夫。……でも、足で纏いになってはなんだから、コレ、使うね!」
 息を切らしながら、チユが取り出したのはスペルカードであった。超常魔導師により、魔法やアイテムを封じこめることが出来るカードだ。
「何が入ってんだ? 足が早くなる魔法か〜?」
「……んー、さあ。なんだっけ」
「なんだっけって……」
「忘れたッ まいっか!」
 元気な笑みを浮かべながら、チユはカードを開放した。

“超常魔導師チユ・オルセンは、スペルカードを使った!
 突如、空が動いた。
 辺りが闇に包まれる。昼と夜が逆転した!”

「……ああ、開発中の呪文が入ってたみたい。えへっ」
「…………ヲーイ」
 暗闇に包まれており、声の相手の姿さえ見えない。
「ええっと、ええっと、もう1枚同じ呪文入れてたはず。これかな。それともこれ!?」
 数分間……いや、数時間だったかもしれない。それから虎王丸は生まれてこのかた体験したこともない、劇的な時間を存分に味わうのであった。

 一方、オーマの方は空路で池を目指していた。
 予め手配してあった、回転翼機で山の探索に乗り出す。
 その姿はミニ獅子だ。操縦が難しいがそのあたりは気合と根性でどうにかなるものである。うん。
 道中周囲だけ突然空が真っ暗になったり、突然雷雲もないのに、雷に打たれそうになったり、突然!カマイタチが起きてコントロールが利かなくなったり、不可思議なトラブルに何度も見舞われたりしたが、こんなこともあろうかと登山の準備はバッチリしてきたので無問題だった。……?
 兎に角、なんとか目的の池の上空にたどり着いたオーマである。
 ファムルの姿は見当たらない。
 予めチユと虎王丸に渡しておいた無線の役割をするカードを取り出して、二人をナビゲートする。
 二人もファムルを見つけてはいないようだ。
 天女がこの池に水浴びに来るという噂は、集落ではあまり聞かれない噂らしい。
 この山自体、とある資産家の所有地であるということで、集落の民は滅多に入ることはないということだ。なるほど、人道と思われる道は、柵で塞がれている。
 ふと、オーマの目に、女性の姿が目に入る。チユではない。
 金色の髪の女性は白地の薄い服を纏いながら、池の中に入っていく。噂の天女だろうか。
 もう一人、オーマの目に人物が入る。岩陰から池をそっと覗く少年の姿。
 健全な青少年の姿に、ミニ獅子オーマはうんうんと頷くのであった。

「おおーし、メシにしようぜ!」
 ようやく池が見えた途端、虎王丸はオーマから渡されていた非常食セットをチユに手渡した。
 池には鹿の姿がある。どうやら動物達の水飲み場になっているようだ。
「ファムルのおっさん見当たらねぇし、とりあえずメシ食ってから探索しようぜ! 俺水汲んでくるから、チユは食事の準備しててくれよな!」
 妙に嬉しそうに虎王丸はチユを残して一人池の方へ走る。
 そして、岩陰から、そっと池を覗いた。
 ちょうど、綺麗な女性が池に足を入れたところだった。
「すげぇ、マジ、本当にいたんだ……」
 チユより早く、虎王丸はその人物を見つけていたのだ。
 美しい女性であった。
 長い金色の髪に、雪のように白い肌。
 手を伸ばしたくなる。しかし、汚してはいけないような、そんな神々しい美しさを秘めている。
「お嬢さーん!」
 そんな美しい空間をいとも容易くぶち壊した人物がいた。
 ……ファムル・ディートだ。
「ようやくお会いできましたな。ファムル・ディートと申します」
 バッと差し出したのは、その辺で摘んだと思われる花束だ。
 突然のことに、後退りをする女性に、ファムルは更に近付き、手を握った。
 途端、飛び出す影があった。
「おい、おっさん! 探しに来たぜ! 怪我してんのか? 迷ってくたくたなんだろ? こっちにメシがあるぜ」
「お前は……。いや、私は大丈夫だ。そのうち戻る、気にせんでくれ。ささ、お嬢さん。あちらで少しお話でも」
 虫でも追いやるかのように、ファムルは現れた虎王丸を手で追いやる。
「いやいや、おっさんは仕事中だからな。俺が彼女を家まで送るぜ」
 一気に近付くと、ぐいっとファムルを引き離して、女性の前に出る虎王丸。
「え、えええっと、俺虎王丸。あんたは?」
「わ、わわた……」
「離れろー、お前は俺を探しに来たんじゃないのか!?」
 引き離された際、勢いあまって転倒したファムルが虎王丸の足にしがみついてきた。
「おっさんこそ、俺から離れろ。仕事があるだろ。水はどうしたッ!」
 にらみ合う二人。
 二人とも、正直“カキ氷なんてどうでいい”んだ。
 目当ては同じ。
 第一目的は天女!! 続いて食べ物!
「そんなもん、口実にすぎん!」
 ファムルが吠える。
 弁当と報酬給料が出て、美しい女性に出会える。貧乏彼女ナシのファムルにとって、この仕事は夢のような仕事なのだ!
「それでいいのかぁぁぁぁぁ!!!」
 太い絶叫が木霊した。大きな音と風が起きる。
 虎王丸は女性と共に、池から離れる。
 ザバーン!
 空から下降した回転翼機が池に不時着をした。跳ね上がった水が、3人を濡らす。
「水も滴るいい女〜」
 ガバッと立ち上がったファムルが突如女性に飛びいた。
「あれま、いやんだ! なにすんだが!!」
 女性が思い切りファムルを突き飛す。
「うわっ」
 貧弱なファムルは呆気なく池に落ちていった。
 池に沈んだファムルはどうでもいいが。
 美しい女性の酷く訛った声に、一瞬固まる虎王丸……。
 池にまばゆい光が降り注ぐ。太陽が高く上がっている。
 正午のようだ。
「はで、もう時間がねぇべ……!」
 突如、日の光を浴びた女性が身を翻す。
「あっ、まって! せめて連絡先を……」
 虎王丸は手を伸ばして女性の服を掴む。
 するりと抜けた何かが虎王丸の手の中に残るが、女性はそのまま走り去ってしまった。

 池は思いのほか深く、ファムルの骨と皮だけの体はぶくぶく沈んでいった。
 その体をがしっと掴む巨体が在った。
「結婚せず死ねるのかああぁぁ!!」
 それは水中の叫びであった。声になっていないその声は直接ファムルの心に響いた。
「し、死ねるかぁぁぁぁぁ!」
 巨体の主、オーマはファムルの魂の返答を確かに心で受け止めた。

「ねえねえねえねえ! 今ね、今ね、今ね」
 息を切らせながら、チユが虎王丸のところに駆けて来た。
「痴女に会ったの! 薄い服のね。うちの山から出て行けーとか叫びながらっ、ま、前が全開でっ」
 息を切らせながら、チユは言い、ふと虎王丸の手の中の物に目を留める。
「それって……。ま……さ、か、あなたが脱が……」
「ち、ちち違げぇよ! 事故だ事故」
 慌ててそういいながら、虎王丸は手の中の帯を大切そうに懐にしまうのだった。

 池から助けられて一番、チユを目にすると、よれよれの花を彼女に差し出し、ファムルはプロポーズした。
 しかし、チユは既婚者だ。
 その後は精根尽きたらしく、倒れてしまった。
 仕方なく、オーマが背負うことにする。汲んだ水は虎王丸が持った。
「でさ、どう説明する? 場合によっちゃあ、メシや酒も奢ってくれるって言ってたしな」
 オーマに背負われているファムルの頭を小突きながら、虎王丸が言った。
 ルディアは確かにそう言っていたが、理由が単純すぎて、このままではカキ氷しかいただけそうにない。
「そのまま伝えればいいだろ。山に入った途端、天変地異に襲われたと。食事くらいはサービスしてくれるだろ」
 オーマの言葉に、虎王丸とチユは顔を合わせる。
「……そ、そうね」
「だ、だよな。んじゃ、おっさんも天変地異にやられたってことで! 今後は水汲みは俺がやってやるぜ!」
 懐のモノに軽く触れた後、虎王丸は勢いよく駆け出す。 
 枝の隙間から差し込む光が眩しい。
 目を細めながら、三人は微笑んでいた。
「よーし、早く帰ってメシメシ〜!」

<今件の報告>
“山の天気は非常に異常に変わりやすい!”

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【3317/チユ・オルセン/女性/23歳/超常魔導師】
【1070/虎王丸/男性/16歳/火炎剣士】
【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】

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■         ライター通信          ■
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初めまして、ライターの川岸です!
魅惑の名水にご参加ありがとうございます。
道中の真相はチユさんと虎王丸さんだけの秘密です。
今後のチユさんがどのような物語を紡いでいかれるのか、楽しみにしております。