<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>
どうか健やかなる出生を。
平和だった。もうすぐ初の子供が生まれ、これから先ももっともっと幸せに暮らせるはずだった。
セシリアの夫ジャグは、日々大きくなっていく妻のお腹を見て、期待に胸を躍らせていた。
セシリアも早く子供がほしいと、その優しい顔に毎日笑顔を咲かせて。
幸せだった。
――こんなものが届くまでは。
『予告状
今宵 あなたの子供が生まれし時に
あなたの子供を頂きにゆこう。
怪盗吸血鬼 ロンド』
「怪盗……吸血鬼……」
それは巷でうわさになりつつある、赤子誘拐事件の犯人の名だ。
「俺たちの子供が……狙われてる……」
ジャグは即座に決心した。これは冒険者の酒場に集まる冒険者たちに助けてもらうしかない――
**********
「赤ん坊を?」
白山羊亭の看板娘、ルディアに聞き返されて、ジャグは大きくうなずいた。
「頼む。予定では今日生まれることになっているんだ。どうか護ってくれ、俺の子供と妻を……!」
「怪盗ロンド……これは大変だわ。誰か、手のあいている方いませんか!」
ルディアは早速協力してくれそうな冒険者をさがしだす。
「おう。何だあ嬢ちゃん」
まっさきに反応したのは、カウンター席にいたトゥルース・トゥースだった。
ルディアはまず彼に事情を話した。
トゥルースは眉をしかめて葉巻をもみけす。
「予告状たぁ、ずいぶん気障なことをしやがる」
ジャグの真っ青な顔を見ながら、
「……赤ん坊を狙うのはいただけねぇな。なあ、そう思わねえか、嬢ちゃんたち」
トゥルースが声をかけた先、
ひとつのテーブルに腰かけた銀髪の少女と黒髪の少女がいた。
「……誰ならばよい、というわけではないが、生まれたばかりの赤ん坊を狙うとは」
銀髪の少女アレスディア・ヴォルフリートは難しい顔で、「弱者を狙う所業、許すわけにはいかぬ」
「……吸血、鬼……?」
黒髪の少女、千獣〔せんじゅ〕が、ぽつりとつぶやいた。
「吸血、鬼……食べた、こと、ないなあ……」
ずざざっと同じテーブルにいたアレスディアが引く。
「せせせ千獣殿っ。そういうことは考えなくていい!」
「……?……うん……」
千獣はちょこんとうなずいてから、
「……赤ん、坊……狙われ、てる……?……分かった……護る、の、私も……手伝う」
「よー。何の話だ?」
千獣の後ろからひょこっと銀髪の青年の顔が現れる。
ランディム=ロウファ。彼はいつも手にしているビリヤードのキューで肩をぽんぽん叩きながら、ルディアの話を聞いた。
そして、
「赤ん坊を専門に狙うドロボーってどんなやっちゃ。相手が吸血鬼とご丁寧に名乗ってる限りでは、赤子の誘拐は表向きの目的であって、実際はその血を糧にしてるだけじゃねーの?」
ひい、とジャグが悲鳴をあげる。
首筋をかきながら、ランディムは顔をしかめた。
「そいつがもし本当なら気持ちの悪いヤツだな……いや、これは悪趣味というべきかね」
「あなたも手伝ってくれますかぁ?」
ルディアが訊いてくる。
いいよ、とランディムはキューを器用に操りながらうなずいた。
「そっちのお三方も参加すんの? 手勢はこれだけで足りるかねぃ」
「もうちっと欲しいところだな」
トゥルースが新しい葉巻に火をつける。
と、そこに二人の少年が口論しながらやってきた。
「だから、遼介の行くところ俺あり! なんだってば」
「いらねえ!」
「つれないなあマスター。俺ってば泣いちゃうよ?」
「泣けるなら泣け!」
「ひどいっ」
よよよとしなを作るのは、まだ十歳とちょっとほどに見える薄水色の髪をした少年だった。
その隣で憤然としながらカウンターまで歩いてきて、「何か飲み物!」と注文を取ろうとしたのは青い髪の少年。十代半ばほどだろうか。
「……ん? 皆さんお集まりで何やってんの?」
注文を取ろうとした少年が、ルディアの周りに人が群がっているのを見て不思議そうにする。
「湖泉くん……実はね」
ルディアは湖泉遼介〔こいずみ・りょうすけ〕に事の次第を説明する。
「うっわ、ひでえ悪党」
遼介が嫌そうに予告状を見る。
それをひょこっとのぞきこんだ薄水色の髪の少年。
唐突に目つきを険しくした。
「子供を盗むなんてとんでもないな」
「クラウディス?」
「俺も手伝うぜ」
遼介は仰天した。まさかこのこうるさい自動人形〔ドール〕が自ら「誰かを護る」と言い出すとは思わなかったのだ。
実際には、クラウディスは「人を護る」ようにプログラムされている。けれど普段は、大人のことはどうでもいいと思っているため大概いい加減である。
しかしそれが赤ん坊ともなると……違うらしい。
「なら、俺もついていくよ」
「さすが俺のマスター!」
「うわ抱きつくな気持ち悪い!」
遼介とクラウディスがもめていたそのとき、
「おい、注文の品はまだか」
遠くのテーブルから声がかかった。
「あっ」とルディアが慌ててカウンターに用意されていたカクテルをトレイに乗せそのテーブルに向かう。
待っていたのは、長い金髪の戦士と黒髪の女性だった。
「さっきから何を話しているんだ?」
金髪の女性――ジュドー・リュヴァインが訊いてくる。
ルディアは事の次第を説明し、予告状を見せた。
ジュドーの反対側に座っていた黒髪の女性が、冷たい目でそのメッセージカードを見る。
「予告状、ね……ずいぶんと気障なこと……」
彼女、エヴァーリーンは予告状をひらひらさせながら、「その割りに、狙うのが赤ん坊ってのが、気に入らない……」
「エヴァ?」
ジュドーが相棒の名を呼ぶ。
「……報酬は期待できそうにないけど……いいわ、手伝ってあげる」
「エヴァ」
ジュドーが驚いたように再度相棒の名を呼んだ。そしてため息をついて、
「……エヴァの変なところにスイッチが入った、な。まぁ、いい……戦う相手としては物足りない気もするが、赤子を狙う所業は見逃せん。私も協力しよう」
「大変ですね。俺も手伝いますよ」
突然ルディアの背後から声があがって、ルディアがきゃっと飛び上がった。
そこには黒髪の、クラウディスと似たりよったりの年齢に見える少年が立っていた。
「あ……ゾロくん」
ゾロ・アーはにこりと笑った。
「さっきから全部話を聞いていました。――これだけ手勢がいれば、充分なのじゃないですか?」
九人。ゾロを入れて九人もの冒険者が集まった。
「ジャグさん! これなら大丈夫ですよう」
ルディアは顔を明るくしてジャグに報告した。
ジャグは泣きそうな顔で、「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。
「常習って言ってたっけか」
トゥルースが葉巻をふかしながら口火を切った。
「ここ最近起こった事件の手口を調べてぇ。たとえ共通する手口がなくても、やっこさんの手の一端ぐらいはわかる」
アレスディアがうなずいた。
「同感だ。急がねばならぬが、過去の事件の情報がほしい。どのようにさらっていったのか。その手口は吸血鬼……人を超えた力を持つがゆえに為せる業のものか。それとも人が何らかのトリックを使って為せるものか」
エヴァーリーンが、予告状の端をつまんでひらひらさせたまま、片腕で頬杖をつきながら独り言のように言葉を紡ぐ。
「過去の事例を知りたい……どういう警備を敷いて、それをどうかいくぐったのか。どう逃げおおせたのか。結果として取り逃してきたわけだけど、過去の際に何か有効だと思われる手はなかったか。また、過去の被害者たちに共通して関係した人物がいたかどうか。単独犯なのか複数犯なのか……」
ぴたり、と予告状を振る指先を止めて、
「まず敵を知ること……やみくもに固めればいいってものでもないわ」
「そういうことに関してはエヴァに一任する」
ジュドーが足を組んだ。
エヴァーリーンが軽く相棒をにらみやる。
「少しは働きなさいな……」
「働くさ。現場に行ったらな。……私は現場の地理を把握しておく。一足先にジャグの家に行こう」
「俺も行くわ」
ランディムが軽く手をあげた。
「なら、俺も行きましょう」
ゾロに引き続き、
「俺は護るの専門。早く現場に行きたい」
クラウディスが言い、
「じゃあ俺はクラウディスについていく」
と遼介がうなずく。
「予告、状……だっけ……? 私、にも、見せて……?」
千獣がエヴァーリーンに顔を向ける。
「どうぞ……」
エヴァーリーンが予告状を千獣に渡すと、千獣はそれをひっくり返したり回してみたり、色々し始めた。
「何をしてんだ、嬢ちゃん」
トゥルースが尋ねる。
千獣は、小さな声で囁いた。
「複、数……複、数、の、匂い、がする……」
「何だって?」
「ひとつは……あの、ジャグって、人の……ひとつは……エヴァー、リーンの……ひとつは……ルディア、の……それから……まだある……」
「ジャグの奥方も触ってんじゃねえか?」
ランディムが千獣の後ろから予告状をのぞきこむ。
「それ、を……入れて、も……まだ、いくつか、匂い……残ってる……」
「それはまさか犯人の――」
「可能性が高いですね」
ゾロがトゥルースの言葉に重ねた。
「何人か分からないのでしょうか?」
ゾロに尋ねられ、千獣は少し眉を寄せて、
「よく、似たのが……二つか、三つか……とても、よく、似てて、分から、ない……ごめん、なさい」
「いや、充分だ」
トゥルースがはまきをふかした。「おそらく複数犯だな」
「そうね……よく似てるからには、同じような吸血鬼が二、三体ってところかしら……」
エヴァーリーンが軽くうなずく。
ルディアがたたたっと走ってきて、
「あの、怪盗ロンドの情報集めてきましたっ」
と言った。
全員の視線がルディアに集中する。
ルディアは困ったように笑って、
「……情報とは、言えないかもしれません」
「あんだ?」
ランディムが眉をひそめた。「どういう意味だ?」
「ロンドに入られた家は――警備員を含めてもちろん旦那さん奥さんも全員、事件の前後の記憶をなくしてるんです」
「……なるほど……?」
エヴァの前で、グラスの氷がカラン……と音を立てる。
「それじゃ情報は得られねえなあ……」
トゥルースがふーと煙を吐き出す。
「いいえ、大きな情報ですよ」
ゾロがうなずいた。「敵は記憶を失わせる方法を知っている。……大変危険です」
「どんな警備体制を敷いたのかは分からないのか? 警備員は全員家の外にいたとか、奥さんにへばりついていたとか」
遼介が口をはさむ。
「両方、やったみたいですよ。でも……両方とも失敗してるみたいです」
ルディアがしゅんとなる。
「お前さんが元気をなくすことじゃねえ」
トゥルースが苦笑した。そして、まなざしを鋭くした。
「……その過去の事例を俺たちがくつがえす。絶対にな」
ジャグの家へ全員で戻ると、助産婦が「遅いですよ、旦那さん!」とジャグを怒鳴りつけた。
「もう陣痛始まっていますよ! もう、早くいらしてください!」
「は、はい!」
ジャグは真っ青な顔でこくこくうなずく。そんなジャグの肩を叩き、
「まあお前さんは子供が生まれるのを心待ちにしてな。俺たちが絶対に護る」
「お願いします!」
ジャグは深く礼をして、そのまま助産婦に連れられてひとつの部屋に入っていった。
「念のため――」
トゥルースは声をひそめた。「あの助産婦の身元も確認しておきたい。内密にな。疑われるのは気持ちいいもんじゃねえだろ」
「私が調べてくるわ……」
エヴァーリーンが音もなく姿を消す。
「逃げたときのための逃走経路も調べておくからな」
ジュドーがそう言って家を出て行く。
「狙われた被害者に何か共通点はなかったか……?」
アレスディアがひとりでつぶやいた。
「王族ならばともかく、市民の出産日を逐一告知するはずはない。出産日を狙える者は多くないと思う――」
「どうかね。敵さんが複数なら、市民の情報を調べるのも多少はたやすくなる」
トゥルースが、葉巻を消し、ゴミ箱に捨てながら応える。
「そもそも手を出せなきゃ話にもなんないだろ?」
クラウディスが言い出した。「だったら俺が一晩中、家に防御結界張っといてやるよ。俺以外の人間の出入りができなくなるから、先に中で待機するやつと外で警戒するやつ決めとけ」
「……私、は……外、で、見張って、おく……」
千獣がぼんやりとジャグが入っていった部屋を見つめながら言った。
「何か……匂い、や……変な、気配、したら……戦って、いい……?」
「大丈夫か?」
トゥルースが千獣の顔を見る。
千獣はちょこんとうなずいた。
「相手の、確認、が、でき、ない……けど、怪しい、気配、匂い、したら……人の声、じゃ、なくて……獣の、声、で、一声、吼える……から……注意、して……」
そう言って、少女は家の外へ出て行く。
遼介が、近くの教会から買って来た聖油をぺたぺたと分娩室となった寝室のドアノブに塗った。
それから、こんこんとドアをノックする。
「入ってもいいよ」
助産婦の声がする。「まだ数時間かかるからね」
「し、失礼しまーす」
遼介はおっかなびっくりと部屋の中へ入った。
出産体勢になって、うううと苦しそうにうめいている女性が、ベッドの上にいた。
遼介はどきどきする心臓を必死になだめた。――出産現場に近づくのは初めてなのだ。
ジャグが遼介の姿を見て、
「どうしたんですか?」
と訊いてきた。
「い、いや、聖油買ってきたから、窓に塗っておこうかと……」
「それは。ありがとうございます」
ジャグは、少しは落ち着きを取り戻したらしい。微笑んでうなずいた。
「お、俺たちがちゃんと護るから大丈夫だって!」
遼介は緊張を振り払うように声を大きくして言った。
遼介が分娩室を出ると、エヴァーリーンが帰ってきていた。
「あの助産婦の身元はたしかよ……このあたりでは有名な助産婦ね……」
「そうか」
俺は母親と赤ん坊の警備をする――とトゥルースは言った。
「へばりついてたらいいってもんでもねぇが」
「私も、そうしよう」
アレスディアがコマンドを唱えて、持っていたルーンアームを黒装に変える。
「お、俺も家ん中にいるかな」
遼介はちらちらと分娩室を見ながら言った。
ゾロが何かをごそごそとやっている。
「お前さん、何やってんだ?」
トゥルースが尋ねると、
「ええ、賢い頭を持つネズミを数体作っているところです。家の周りの警備に当てます」
ゾロはそう言ってネズミを数匹床に放った。
ネズミは一目散に家の外に出て行く。
「私は外で警備する……」
エヴァーリーンが言った。
彼女の場合の警備とは、ジャグの家の近くにひそんで様子を見ておくという意味だ。
「侵入される前に防ぐのがベストだけどね……犯人の逃走に備える」
言って、エヴァーリーンは家の外に出て行った。そこでジュドーと千獣と合流するだろう。
「よっし、結界張るぞ」
クラウディスがそう言って、分娩室に入っていった。そこにある窓の前で待機するつもりなのだ。
「さて、俺はどうしますかね」
ゾロがうん、と伸びをした。
ひとり黙って見ていたランディムが、ふとゾロを見た。
「なあ、お前さ――」
夜も更けてくる。
分娩室から聞こえてくる、ジャグの妻セシリアの泣き声が大きくなる。
遼介あたりはハラハラしてあちこち歩き回り、落ち着きがない。
ランディムとゾロはどこかへ行ってしまった。
「赤ん坊の前で葉巻はよくねえな」
トゥルースは葉巻を我慢していた。
それからもう数時間――
ぉぎゃ……
おぎゃーっ
「お、生まれたか!」
トゥルースは分娩室をノックする。
「どうぞ」
と返事があり、遼介とともに転がり込むような勢いで部屋に入った。
そこには、生まれたての赤ん坊を抱いた助産婦と、
疲れきった顔の妻の手を握るジャグの笑顔があった。
クラウディスはまだ窓の前にいる。月明かりの当たる場所にいる。光を動力源としているクラウディスはそこから動けないのだ。
「さあかわいい男の子ですよ。お母さん、よかったですね」
助産婦がおくるみにくるんだ生まれたばかりの赤ん坊を、セシリアの横に寝かせる。
おぎゃー おぎゃー
「元気のいい子だ……」
ジャグが涙ぐんだ。
その肩を、トゥルースが強く抱く。
遼介は赤ん坊の顔をのぞきこみ、そっとつついてみたりしては、赤ん坊が動くたびどきっと手を引っ込めていた。
「おめでとう」
クラウディスが珍しい言葉を口にした。彼にしては満足そうな笑顔だった。
そのとき――
家の外で、獣が一声鳴いた。
**********
「千獣!?」
ジュドーが驚いて千獣を見る。
驚いたのはジュドーだけではなかった。……今彼らの目の前にいる、二人の老夫婦も。
「な、なんですかこの子は!」
老女が獣の鳴き声を発した千獣を怯えた目で見た。
「匂い……」
千獣は威嚇の表情をしながらつぶやいた。
「どうしたんだ千獣? この方たちはたしかに今隣の家から出てきたジャグの祖父母殿たちだぞ?」
「匂い、が、二重に、する」
千獣は犬歯を光らせた。「二重、に、匂い、が、する。お前、たち、偽者……」
「……なるほどね……」
家の陰から様子をうかがっていたエヴァーリーンが出てきた。
「吸血鬼のくせに小賢しい。人に乗り移れるなんてね……」
「なに……!」
ジュドーがはっと刀の柄に手をやる。
「何のことかしら」
老女は笑顔で微笑んだ。「もうそろそろ孫が生まれるころだろうと思って出向いただけよ。何もないわ」
「……では、このドアノブに触れてみればいいわ……」
エヴァーリーンの言葉に、老夫婦はぎくりと体を硬直させる。
「……たしかこのノブにも、あの遼介って子が聖油を塗ったそうね……あなた方がただの人間なら、平気で触れるはずよ……」
「く……っ」
老人がうめき声をあげる。老女が口惜しそうに唇をかんだ。
「本当は窓から入りたかったのに……窓に聖油が塗ってあったから入れなかった……というところかしら……」
エヴァーリーンはつぶやく。
しかし老夫婦は余裕の笑みを浮かべ、
「だから何だと言う。この体は本物の人間だ――お前たちに攻撃できるか?」
千獣がひるんだ。
だが、ジュドーは平気な顔をしていた。
「それこそ何の意味も成さん。みね打ちですませばいいだけのこと」
ちゃき、と刀を逆さにして。
その言葉に、千獣も気を取り直したようだった。
「……獣も、ね……お腹、すけば……得物、選ば、ない……赤ん坊、でも……だけど……赤ん坊、には、お母さんが、いる……護る……人間、の、お母さん……牙も、爪も、ない……だから……私が、代わりに牙に、爪に、なる……なって……護る……!」
千獣は吼えた。老夫婦がひるんだ。
ジュドーが一歩、強く踏み込む。
「ご老体にこのようなことはしたくないが……っ」
抜き放った剣の柄で、強く老人の腹を打った。
その瞬間、老人の背中から黒い何かが抜け出そうになった。
すかさずエヴァーリーンが鋼糸でそれをからめとる。
吸血鬼が、鋼糸によって引きずりだされてくる。
ジュドーは続いて老女の腹も打った。
同じく弾き出されてきたものを、エヴァーリーンがからめとる。
「吸血鬼には……鋼糸じゃ決定打を与えられないわね……」
エヴァーリーンが二体の吸血鬼を完全に引きずりだしながらつぶやいた。
地面に倒れこんだ老夫婦を、すかさず千獣が両腕に抱え、離れた場所へと避難させる。
しゅるしゅると鋼糸が二体の吸血鬼に巻きついていく。
「……ジュドー、一撃くれてやりなさい……」
「言われなくても!」
ジュドーはだんと地を蹴った。
闘気を乗せた一撃を上段から斜め斬りに放つ。
鋼糸のおかげで動けず、真正面からまともに受けて、吸血鬼の一体は気絶した。
千獣が右腕の呪符包帯をはずし、獣の手へと変貌させた。そしてそれを、吸血鬼に向けた。
「待て千獣! まだ殺すな」
ジュドーが声をあげる。
「今までさらった子供たちの居場所を聞かねばならん!」
「……そう、なの……?」
じゃあ――と千獣は上半身ほどもある大きさに右手を変貌させ、それを拳に固めた。
そして――獣の翼で上空へ飛び、
がつん!
もう一体の吸血鬼の頭に、痛恨の一撃を浴びせた。
たまらず吸血鬼が気絶する。
ジュドーがあっけにとられて地面に戻ってくる千獣を見つめる。
「……これで、いい……?」
千獣はちょこんと小首をかしげるだけ。
「……ええと」
「……充分よ……」
エヴァーリーンがくすくすと笑っていた。
**********
ゾロのネズミがチューチューと鳴く。
「何だ? 何が言いたいんだ?」
トゥルースがしゃがみこんで、ネズミをつついた。
ネズミの一匹がたたたっと部屋にあった机の上によじ登り、後ろ足二本で立ち上がって両手にペンを持った。
そして、さらさらと近場の紙に文字を書き出す。
「うおっ!?」
「すっげ!」
「す、すごい……」
トゥルースと遼介、アレスディアが呆然とそれを見つめる。
そして少々汚いネズミ字を見て――眉をしかめた。
「外に二体吸血鬼が来て……外のやつらがのしたって? そりゃ本当か」
○。とネズミは紙に書く。
「本当ですか!」
ジャグが飛び上がらんほどに喜んだ。
「そっか。じゃあもう結界張ってなくていいな」
気を張り詰めさせていたクラウディスが、ほうと息をつく。
ジャグははしゃぎだした。
「もう安心ですよね! 隣の家に祖父母が住んでいるんです、見せにいかなきゃ……!」
「失礼だが……祖父母殿に来ていただくほうがよいのでは?」
アレスディアが言った。
ジャグは笑った。
「祖父母は足が悪いんですよ。それでは、早速……」
慣れない手つきで赤ん坊を両手に抱く。行ってくるよと妻に言い、そして部屋を出ようとして――
「……あのう」
気まずそうに振り向いた。
「すみません。赤ちゃん抱いてるせいでノブが回せないんです……誰かドアをあけていただけますか」
「なんですか、情けない。早く片手で抱けるようになりなさいな」
助産婦がつかつかと歩み寄り、ドアを開けてやる。
「ありがとうございます」
とジャグがほっとしたようにお礼を言った。
そのまま、ジャグは赤ん坊を抱いて廊下を急ぎ足で歩いていく。
やがて家の玄関まで来て――
「……ああ、困ったな」
自分の腕の中の赤ん坊とノブを見比べてため息をついた。
とそのとき――
ドアが外側から開き、千獣が老夫婦を両腕に抱きかかえて現れた。
「あっ!?」
ジャグは声をあげる。「おじいさん、おばあさん……!」
「……あ、赤ん坊……」
「ど、どうしてこんなことに!? 気絶してるじゃないですか! は、早く病院に連れていかなきゃ、いや隣の隣に住んでる医者のフレッドに来てもらおう、ついでに赤ちゃんも看てもらおう。すみません祖父母をよろしくお願いします!」
ものすごい勢いでまくしたて、ジャグは外へ飛び出した。
と――
「はーい、そこまでー」
とん
とジャグの首筋がつつかれる。
ジャグがはっと立ち止まった。
首先にあてがわれているのは、ビリヤードのキューの先だった。
「俺とて長いことこんな稼業で生きてる人間だからさあ、ご丁寧なヤツって信用できないの」
例えば予告状とかね――と皮肉気な声でランディムは言った。
「外で、ねーさんたちと吸血鬼の戦い見てたんだけどさあ、つまりお前らって人と人の間を乗り移りながら移動するのな。なるほど予告状出して警戒させて、人を多くしたほうがいいわけだ」
ぐっとキューの先に力がこもる。
「な、何のことですか……」
ジャグは引きつった顔で言ってくる。
ランディムはせせら笑った。
「医者に行くついでに生まれたての赤ん坊を連れてく? 笑っちまうね」
家の中からバタバタと足音がする。
トゥルースと遼介がこちらに向かって走ってくるところだった。
「ゾロのネズミが知らせたか」
ランディムはつぶやく。
トゥルースが、たどりつくなりジャグをにらみつけた。
「どうりでドアノブに触れねえわけだな」
「アレスディアは?」
ランディムが足りないもうひとりの居場所を尋ねると、
「母親を狙ってきたときのために、寝室で待機してら。……にしてもランディム、どこに行っているのかと思えば……」
「別に何てことはないさ。俺の行動が計算ずくってだけ」
母親と子供にべったりくっついてるより気になることがあったもんでね――とランディムは肩をすくめた。
誘拐犯ならお目当ての人間さらえば済む話なのに、何でご丁寧に怪盗というフレーズを予告状に添えてまで出したのか、いや待て、あえて俺たちに赤子の護衛に当たらせないと事が成せない何かがあるのか……
「く……っ!」
ジャグは懐から鉄の短剣を取り出した。
「俺に何かしてみろ! この赤ん坊の首をかききるぞ……!」
トゥルースと千獣がひるむ。ジュドーと遼介が顔を真っ赤にする。エヴァーリーンが冷たい目でそちらを見る。
ランディムは豪快に笑った。
「何がおかしい!」
「――俺はそっちがそう出るのを待ってたのさ」
よく見てみるといい、とランディムは心底おかしそうにジャグの抱く赤ん坊を示す。
「まったく、お笑いぐさだぜ」
言葉につられてジャグが腕の中を見ると、
ぼんっ
と赤ん坊が消えた。
そして代わりに目の前に現れたのは、ゾロ・アー……
「赤ん坊と入れ替わっておきますか、と言ったのは俺ですがね」
ゾロは腕を組んだ。「まさかこうも単純に行動してくれるとは思わなかった。いやーあなたすごいですよ。すごい馬鹿です」
「どこのぼうやか知らねえが、ちょいとおいたが過ぎるんじゃあねえか?」
トゥルースが――
「たいがいにしねぇと、喰っちまうぞ!」
聖獣装具『ロードハウル』で一喝をくれた。
獅子の猛る咆哮。
ジャグの動きが完全に止まる。それに合わせて遼介が地を蹴り拳でジャグのみぞおちに一撃を放った。
ジャグの背中から吸血鬼が弾かれるように飛び出す。エヴァーリーンがそれをからめとった。
ジュドーの闘気の一撃と――
千獣の大きな拳での一撃が――
同時に、ジャグに乗り移っていた吸血鬼を痛打した。
「……あーあー」
ランディムが肩をすくめた。「死ななきゃいいけどな」
「まったくだわ……」
エヴァーリーンがつぶやいた。
**********
「最初は助産婦ね……」
エヴァーリーンが、鋼糸で吸血鬼三体をぐるぐる巻きにする。
「それから家の中でジャグに移り変わったってところかしら……残りの二体は結界と聖油で入れなかったんだわ……」
「まったく、赤子を“盗む”などと、赤子は物ではないぞ」
ジュドーが憤然としながら刀をちゃきりと鳴らし、
「さて、あとは他の赤子をどうしたのか教えてもらおうか」
「なあ、俺本物の赤ん坊見に行っていいか!?」
遼介がはしゃぐ。
トゥルースがその頭をくしゃくしゃと撫でやり、
「おお、行ってこい行ってこい。……一番苦しい尋問は大人がやっておくからよ」
目を覚ましたジャグや老夫婦は、事件の記憶を完全になくしていた。
「術にかかっちまったんだな。まあいいんじゃねえの? おたくのお子さんは無事だし」
ランディムが気楽に言う。
しかしジャグは鎮痛な面持ちでいた。
「今までさらわれたお子さんたちは……皆死んでしまったのですね……」
「ジャグ殿」
「どうしよう。俺たちだけ幸せになんてなれない……」
「ジャグ殿!」
アレスディアが一喝した。「弱気になられるのではない……!」
そしてセシリアと、本物の赤ん坊を見て、
「セシリア殿があんなに苦しんで頑張って生んだ赤子だ。幸せに思って当然だ。でなければこの子が不幸だ」
「ほ、ほんとだよな」
遼介が指先で赤ん坊と戯れながら笑顔になった。
「この子、生きてる。生きてるんだから」
「皆さん……」
ジャグとセシリアが目に涙をたくさんためる。
やがて二人は泣き出した。その声に、つられたのか赤ん坊も泣き出した。
「ほら、お二人が泣いてはこの子も笑えないではないか」
アレスディアが赤ん坊を抱いた。
揺らしてあやしながら、ベッドに寝ているセシリアに抱かせる。
母親の胸に来て安心したのか、赤ん坊は泣き止んだ。
それを見て、ジャグとセシリアの目にようやく笑みが戻ってくる。
「そうだ、笑っていればいい……」
どうか、
「笑顔で、迎えてやってほしい……」
健やかに、
「この世界に生まれてきた、新しい命を……」
トゥルースが癖で葉巻を取り出しかけて、慌ててやめた。千獣が人間の赤ん坊を不思議そうに見ている。ランディムは退屈そうにあくびをしていて、クラウディスは満足そうだ。遼介は赤ん坊が笑うのが嬉しくて笑い、エヴァーリーンもひっそりと笑みを浮かべていた。ジュドーも悪い気はしていなかった。ゾロはネズミを野に放しながら、(たいしたことのない怪盗だったな)などと考えていた。
皆が皆、それぞれに。
赤ん坊を囲んで。
小さな命を囲んで――
―Fin―
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1149/ジュドー・リュヴァイン/女/19歳/武士(もののふ)】
【1559/クラウディス/男/12歳(実年齢999歳)/旅人】
【1856/湖泉・遼介/男/15歳/ヴィジョン使い・武道家】
【2087/エヴァーリーン/女/19歳/鏖(ジェノサイド)】
【2598/ゾロ・アー/男/12歳(実年齢784歳/生き物つくりの神】
【2767/ランディム=ロウファ/男/20歳/法術士】
【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
【3255/トゥルース・トゥース/男/38歳(実年齢999歳/伝道師兼闇狩人】
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■ ライター通信 ■
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ランディム=ロウファ様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
このたびは依頼にご参加くださりありがとうございました。
いつもながらかっこいいプレイングで、どう活かそうかとても悩みました。結果的にはいかがでしたでしょうか。
よろしければ、またお会いできますよう……
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