<東京怪談ノベル(シングル)>
『切手のいらないおくりもの』
「『前略‥‥司祭様。お元気ですか? 私は、元気です‥‥‥‥ああ! ダメダメ!』」
くしゃくしゃくしゃ!
純白の便箋が、丸められて空に飛んだ。
「あっ!」
ナイスシュート、とは行かずゴミ箱にぶつかって転がる紙玉に小さな声を上げてシノン・ルースティーンはため息をついた。
「また、やっちゃった‥‥しょうがないなあ」
自分自身にシノンにしては珍しいため息をついて、立ち上がり
「よいしょっと」
紙玉を拾った。見ればゴミ箱の中は既に同じような紙玉でいっぱいだ。
「あ〜、随分溜まったなあ。これ、ただ捨てるのも勿体無いかも。裏をみんなのお絵描きにでも使ってもらおうかな‥‥あっ!」
ゴミ箱を手に持ったまま、シノンはあちゃ〜と、手で頭を抱える仕草をした。
ゴミが溜まるのも当然。机の上に置かれた便箋は、既に一綴りが終わっている。
「どうしよう。結局まだ一枚もかけてないよ〜」
髪の毛を掻き毟りながら、ふと窓を見る。窓の外を見る。
「あ、雨止んでる。よし! 少し空気入れ替えよう! 気分も入れ替えなくっちゃ!」
ゴミ箱は窓際に。シノンは両手で窓を大きく開いた。
目の前に広がるのは初夏の青空、そして雨上がりの涼風。
「う〜ん、気持ちいい!」
書き物に凝らした肩を、心と一緒に伸ばす。考えてみれば、机に向かいすぎて思いも縮こまっていたかもしれない。
キャハハハ! ハハハハハ!
窓の外では雨上がりを待っていた子供達が、もう外に出て駆け回っている。
最初に遊ぶのはかくれんぼと決めたらしい。
じゃんけんで顔を顰めた子供の一人が目を閉じて、残りの子供達はめいめいに散っていく。
「ハハ、楽しそうだねえ〜」
そんな様子を眩しそうに見つめながら、シノンは呟く。
そっと、静かに‥‥。
「司祭様‥‥」
返事の返らない呼びかけは、蒼い空に静かに溶けて消えていった。
なぜ手紙を書こう、などと思ったのだろうか?
「七月の風があんまり爽やかだから、なんて言ったらきっと誰かさんはらしくない、とでも笑うんだろうなあ」
自己分析してみる。思わず苦笑が浮かんだ。
教会を出て、ユニコーン地方にやってきてもう随分になった。
エルザードに来て、この孤児院に落ち着いてからでさえ、丸二年。今年で三度目の夏を迎えようとしている。
『身体を厭いなさい。何かあったら直ぐに、いえ、時々は近況を知らせるのですよ』
そう言って司祭様は見送ってくれたのに、気がつけばほとんど手紙を出していない。
知らせることが何も無かった、訳ではない。
いや、むしろあり過ぎた。
日々が忙しく、毎日が流れるように過ぎていく。
眩しいほどに輝いた充実した日々を過ごしている。
だからこそ、連絡を忘れ、だからこそ伝えたいと思ったのだ。
「司祭様は、お忙しいからきっとお返事くださったりはしないと思うけど‥‥」
返事を求めてのことではないからそれはそれでいい。
ただ、伝えたいのだ。自分が今‥‥。
「さあて、書き直し、書き直し。今度は失敗しないようにがんばろう!」
思いっきり大きく伸びをして、シノンはまた机に向かった。新品の便箋が彼女を待っている。
筆が走り始めれば書くべきこと、書きたいことはたくさんあった。
思い返してみれば本当に、いろいろなことがあった。
いろいろな出会いがあった。
「えっと、『司祭様。私はこの街でたくさんの人に出会いました。一生の親友と呼べる人もいます。兄や姉とも思える尊敬してやまない人もいます‥』まる」
本人たちが聞いたら、照れて顔を赤くするかもしれない。とシノンは思う。この地で出会った人はみんな本当に、そんな人達だ。
人一倍優しくて、でもそれをひけらかすことの無い、温かい‥‥人。
彼らと、いろんなコトに出会った。その一つ一つをすべて書いていたら便箋など何綴りあっても足りないほどに。
「‥‥『一緒に旅行をしたり、事件を解決したりもしました。その一つ一つが私にとって、大事な思い出になっています』‥‥そして‥」
シノンのペンが一瞬止まり、また動き出した。
これは、絶対に報告しなければならないことだ。
「『そして、司祭様。私は今、スラムの片隅で孤児院の管理人をしています。たくさんの子供達と一緒に毎日を過ごしています』」
スラムの片隅に、管理人も無く、孤児院とは名ばかりの存在になりかけていたあの建物があった。そしてその下に暮らす子供達を見たとき、迷うことなく一緒に暮らすことを決めていたのだ。
‥‥正直、神官としての努めなどという思いが無かった、とは言えない。
だが、どうしてもあの冷たい目をした、大人をいや、人というものを信じられなくなっていた子供達を放っておくことなど、とうていできなかったのだ。
「『子供達と暮らす中でも、いろいろなことがありました。親の無い子供達。彼らがスラムという場所で生き抜いていくことは、やはり簡単なことではなかったからです』」
司祭様なら、多分これで意味を解ってくれる筈だ。
子供が、子供だけで生きていくということは、どんな言葉で飾ってもやはり綺麗ごとだけではすまないのだから。
彼らに悪いことをさせてはいけない。
その為、自分が、子供たちを教え、守り、導いてあげなくては、などと気負った時期も実はあった。
子供達と本気でぶつかり、また言い争った事もあった。
そして、その中で、確かに生まれたモノ。芽生えたモノ。育ってきたモノがある。
『シノン姉! こっちこっち!』
『ほら、見てみて。シロツメクサがこんなにたくさん! 私達が見つけたの! まだ誰もしらないのよ!』
『シノン姉だけに見せてやる。俺達の大事な‥‥姉ちゃんだからな!』
『あの葉っぱ、お姉ちゃんの、髪の色とおんなじね♪ お花はお姉ちゃんの笑った顔とそっくり♪』
広がった花園と、繋いだ手の暖かさを忘れない。
いろいろな苦労はあった。
何の不自由も無かった屋敷での生活や、制限はあっても大いなる力で守られていた神殿では決して味わうことの無かった苦しさや、涙も確かにあった。
でも、今、それを超えるものを手に入れたと間違いなく言える。
自分の、いや自分達の手で‥‥。
「『それでも、今、私達は幸せです。みんなで力を合わせてこれからも頑張って生きていけると思います』」
シノンはそう便箋に綴った。心からの確信を持って。
「うわあ〜。なんだかスッゴイ分厚くなっちゃったあ。だって、書いても書いても終わらないんだもん。封筒に入るかな? これ」
「シノン姉! さっきから何してんだよ。そろそろ一緒に遊んでよ!」
紙を力を入れて折りたたみ、なんとか封筒に入れて封をしたシノンに計ったように窓から手招きの声がした。
「解った! 今行くよ。この手紙、出しにいったらみんなで遊びにいこう。兄貴達も誘ってね!」
「わ〜い、今、呼んでくる!」
駆け出していった子供を、くすと笑って見送りながら、シノンは気がついた。
ひょっとしたら子供達は解っていたのかもしれない。自分が邪魔されたくない何かをしていることに。
だから、待っていたのだろう。その『用事』が終わるのを。
「あの子達も成長したもんだねえ‥‥ん?」
ふと思い出す。封筒の表のあて先。その優しい笑顔と言葉を。
「そういえば、司祭様、言ってたっけ。『人は、自分の目で見たものと、自分の耳で聞いたこと、そして、自分の体験したことで自分の世界を創っていく』って」
『そして、それは決して一人ではできないのです。自由は、責任を要するもの。だから、広い世界を見て、いろいろな人と出会って、自分を育てなさい‥‥』
「司祭様、あの言葉の意味がやっと解るようになりました‥‥。みんなのおかげで‥‥。自分も‥‥未来も、幸せもみんなで‥‥」
手紙に向けて、軽く一礼する。
文字にすることなく、その言葉は伝わる筈も無く消えるだけのもの。
だが、きっと司祭様には伝わるとそんな確信を持って、シノンはにっこりと微笑んだ。
シノンから届いた封筒は中に入った紙の厚さでそのまま立たせることができそうなほどだったと、司祭は後にルースティン家の当主に語った。
綴られた言葉は悩んだ割にシンプルで、その分丁寧に日々の出来事や、大切な人を語っていた。
「あの子らしい、いい手紙ですね」
無言で頷く当主に、彼は心から嬉しそうに、いとしそうに微笑んで見せた。
そして手紙の最後に書かれた言葉を、心からの祈りと願いをこめて空に送る。
遠くても同じ空の下。きっと思いは届くと信じて。
「『ウルギ様の風が、貴方に幸福を運んでくれますように‥‥』」
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