<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>
死神の食事処
王都エルザードのベルファ通りに、今までは目にとめた事のなかった一軒の小奇麗な店があるのを見つけ、シルフェははたりと足を止めた。
それは三角屋根を抱いたレンガ造りのなされた店で、大きな出窓と、数段ほどの階段の先に可愛らしいドアのつけられた、女性のハートを射抜いてしまうような構築がなされてあった。
シルフェは、すらりと伸びる白い腕で一抱えもあるほどの、大きなトマトを抱えている。
それは、王都を外れた丘の上に一軒家を構えている老女からの報酬であり、太陽の恵みを思う様に受けてすくすくと熟した瑞々しい艶を誇るものだった。
シルフェは水の色を呈した双眸をぱちりと瞬きさせた後に、階段に提げられている看板に書かれた文字に視線を寄せた。
どなたさまもお気軽にお立ち寄りください。
お好みの食材で、お客様のお腹を幸せにしてさしあげます。
短い、しかし、じつに要点をついた一文だった。
ようするに、この店は、どうやら食事処であるのだろう。
わずかばかり開いてある窓の隙間から、涼やかな風と共に、大通りを行く者達の賑やかな声が入り込む。
燦々と降り注ぐ陽光のもと、癖のある赤い長髪に黒いバロック風のスーツをまとった壮年の男があくびをしている。
彼は、窓の向こうに広がってあるエルザードの街並みを、ひどく退屈そうな眼差しでのんびりと見つめていた。
と、そのあくびを諌めるように、少女がひとり、男の前で仁王立ちになる。
「おまえ、ちょっとはお店の存続とかに気を回したりとかしているの?」
白髪に近い銀髪が、肩の上で揺れている。気の強そうな黒い眼差しが真っ直ぐに赤毛の男をとらえ、睨み据えていた。
と、途端に、赤毛の男の様子が一変する。
「オティーリエたん! 今日も可愛いでちゅね〜!」
屈強な体躯に見合わない猫なで声で、男は蛇のようにうねうねと動き、少女の傍へと歩み寄る。
「キモいのよ! あたしに触れないで!」
しかし、対する少女はといえば、男に対し、ひどく冷たい素振りを見せている。
そして、このとき。
来客を知らせる鈴の音がチリリリと部屋の中を巡り渡った。
「あの、こちら、お邪魔してもよろしいのでしょうか?」
ひょっこりと顔を覗かせたシルフェの目に、まだあどけなさを残す少女と、その少女に、今まさに襲いかかろうとしている中年男が飛び込んだ。
「……まあ」
驚き、目を見張る。両手はトマトで塞がれているために、口元を押さえるといった所作が取れないのだ。
シルフェが驚いたのは、何も、男が少女を襲おうとしている現場を目撃したからではない。
少女が、男の両頬を、ひどく見事に、スパパパパン! と平手打ちにしているという現場を目撃したためだった。
数分の後、シルフェは、店の中に置かれたテーブルのひとつに落ち着いていた。
先ほどの少女が、トレイでグラスと水差しとを運んでくる。
「……こんな店に来るなんて、おまえも結構な物好きね。……まあ、歓迎するわ。ゆっくりしていきなさいよ」
グラスと水差しとをテーブルに置くと、少女はぼそりとそう告げて、ぷいっと顔を横に背けた。
よく磨かれたグラスの中で、わずかに発泡する水が、ゆらゆらと静かに波打っている。その上に、スライスされたレモンが一枚。
「いただきますわね」
少女の言葉に笑みを浮かべ、シルフェはグラスを口に運んだ。
「いや、失礼をいたしました。僕はこの店のオーナー、ディートリヒと申します。この子はオティーリエ。――ようこそ、ブリーラー・レッスルへ」
少女の後ろから現れた赤毛の男が、大仰な動きをつけて、深々と腰を折り曲げる。
まるで役者か何かのようだと思いつつ、シルフェは、ふと、グラスの向こうで揺れている黒い影に目を留めた。
黒い影の主は、なぜか柱の影から体の半分ばかりだけを覗かせて、しかし、どうやら意味ありげにもぞもぞとシルフェを見つめている、やはり壮年の男だった。
「あの、あちらの方は?」
グラスをテーブルに戻し、シルフェはするりと首をかしげる。瑞々しい青をたたえた長い髪が、さらりと静かに波打った。
「え? ……ああ、」
シルフェに問いに、ディートリヒはゆるゆると顔を持ち上げ、黒い影へと視線を向ける。
「あれはヨアヒム。主にデザートを任せています、当店のパティシエです」
「ヨアヒム様」
うなずきを返しつつ、シルフェはヨアヒムに微笑みかけた。
ヨアヒムは漆黒色の髪を肩の近くほどまで伸ばし、目は深い青で、やはり屈強な体躯をもっていた。
「さて、シルフェさん。本日、シルフェさんがお持ちくださいました食材は、」
「治療の報酬にといただいた、あちらのトマトですわ」
ディートリヒの言葉を遮って、シルフェはカウンターに置かれた巨大トマトに視線を移す。
オティーリエがしげしげと見つめているそれは、しかし、何度確かめてみても、どこから見ても、トマトであった。
「では、あのトマトで、シルフェさんのお腹とお心を癒してさしあげましょう。――嫌いな食材などは?」
「いいえ、特には」
「承知いたしました」
ディートリヒは、最後にもう一度深々とした礼をみせ、そしてカウンターの奥――おそらくは向こうに厨房があるのだろう――へと消えていった。
店の中に、再び静けさが広がっていく。
オティーリエも厨房へと行ったのだろうか。
気付けば、店内には、シルフェただひとりばかりが……否、まだ柱の影に潜んでいるヨアヒムとシルフェのふたりばかりが残されていた。
「初めまして、ヨアヒム様。ヨアヒム様はパティシエでいらっしゃるのですね。……うふふ、素敵ですわ」
首をかしげ、真っ直ぐにヨアヒムを見つめる。
ヨアヒムはといえば、シルフェの微笑みに、わずかに身じろぎを見せた。
「ヨアヒム様は厨房にいらっしゃらなくてもよろしいのですか?」
続けて問うと、ようやく、ヨアヒムは柱の影から姿を現した。
「……いいや、……俺は」
ごもごもと、くぐもったような声音。しかし、それはひどく低い声音でもある。
シルフェはテーブルの上に頬杖をつき、満面の笑みを浮かべてヨアヒムを見つめる。
「では、少しお相手してくださいませ。食事が出されるまでの間、ほんの少しで結構ですから」
「お、お相手って」
ごもごも。
なぜか、ヨアヒムの顔が、耳まで赤くなっている。
シルフェは肩を竦めて眼差しを細め、グラスを口に運んで一息に干した。
「申し訳ないのですけれど、お水、注いでいただけません? わたくし、ずっとあのトマトを抱えてきましたでしょう。もう、腕が疲れてしまって」
そう告げて、申し訳ありませんと再び口にする。
ヨアヒムはわずかな逡巡を見せた後、おずおずとテーブルに近寄って、水差しの中の水をグラスの中へと注ぎいれた。
「ヨアヒム様って無口でいらっしゃるのかしら。それとも話し下手?」
うふふと小さく微笑んで、上目にヨアヒムを見上げる。
ヨアヒムはぐうと喉を鳴らし、気の弱そうな視線を所在なさげに宙に舞わせた。
やはり、顔は耳まで赤くなっている。――それどころか、首も、手までもが赤く染まっているのだ。
シルフェは静かに確信した。
ヨアヒムというこの男は、屈強な体躯とその強面な面持ちとは裏腹に、ひどく気の弱い人間なのだ。あるいは、極度の恥ずかしがりやなのかもしれない、と。
しかし、問題はそこではない。
シルフェはおどおどと視線を泳がせ続けているヨアヒムを見るにつけ、己の腹の底で、とある心が確実に頭をもたげていくのを感じてもいた。
この男、じつにいじりがいのある性格をしている。
「そうですわ!」
シルフェに問いかけに、ヨアヒムは一向に返答を返そうとはしなかった。が、シルフェはお構いなしに手を打った。
「ヨアヒム様? よろしければ、わたくし、人付き合いの練習台になりますわ。わたくし、ヨアヒム様とたくさんお話させていただきますから、ヨアヒム様も、口下手なところを少しづつ改善されていけばよろしいのですわ」
名案を思いついたとばかり、シルフェは満面の笑みを浮かべ、双眸をきらきらと輝かせて、ヨアヒムの顔を仰ぎ見た。
ヨアヒムはといえば、やはり顔は耳まで赤く染まったままでいたが、泳がせていた視線はようやく動きをとめていた。
ヨアヒムの視線が、おそるおそるといった具合に、シルフェの顔へと向けられる。
シルフェはにこりと微笑みを浮かべ、ヨアヒムの視線にうなずきを見せた。
それからほどなくして、厨房からディートリヒとオティーリエのふたりが現れて、なにやらカートをがたことと押しやりながら、シルフェのテーブル横で止まった。
「お待たせいたしました」
役者のそれを連想させる、大仰なお辞儀。
その後にテーブルに出されたのは、
「こちらがトマトとモッツァレラのサラダ。熟成させずに作ったフレッシュチーズ、モッツァレラを使いました。アップルビネガーにオレガノを加えたドレッシングをかけてあります」
言いつつ、白磁の皿に盛り付けられた涼やかなサラダをテーブルに運ぶ。
「続きまして、こちら。トマトの冷製パスタです。こちらはグリーンオリーブとにんにく、それにグレープフルーツをあわせ、仕立ててみました」
「まあ、グレープフルーツ」
続けて出されたパスタの皿に、シルフェは小さなまばたきをひとつ。
バジルの葉がそえられたパスタは、見目にも涼やかで、天を飾っている夏の陽射しなど一瞬で吹き飛んでいきそうなものだった。
「そして、こちら。こちらはほうれん草と鶏肉を使いましたトマトスープ。シンプルながらなかなかに奥深い一品ですよ」
こうして、計三皿がテーブルの上に並んだ。
と、オティーリエがトレイの上に乗せてきた大きめのグラスをテーブルに置く。
「果物を豊富に使ったトマトジュースよ。美容にもいいみたいだし、飲んでいけば?」
やはり、ツンとすました顔でそっぽを向く。
シルフェはふふと微笑んで、
「いただきますわね」
小さな会釈を返した。
出された料理は、いずれも絶品だった。サラダとパスタで冷えた体を、スープの優しい温かみがじんわりと包み込む。
ジュースはほどよい酸味と甘みとが共存していて、そこに、初めに出された水が箸休めの役割を果たすのだ。
「いかがでしょうか」
ディートリヒが、シルフェの顔を覗きこむ。
シルフェは満足げにうなずいて、パスタの中のトマトを口へと放りやった。
「ところで、ヨアヒム様? デザートはヨアヒム様が担当してくださるのですわよね?」
不意に、シルフェの視線がヨアヒムへと移る。
ヨアヒムは少しばかり慌てて、かくかくと首を縦に振る。
「ああ、申し訳ありません。ヨアヒムはあの通りに挙動不審ではありますが、決してシルフェさんに不愉快を与えようとしているわけではないのです」
ディートリヒが首をすくめてそう告げた。
ヨアヒムはオティーリエに押されるようにして厨房へと消えていき、やがて、店の中にはシルフェとディートリヒのふたりばかりが残された。
シルフェは肩をすくめて頬を緩め、
「ええ。わかっておりますわ」
そう返し、フォークを置いた。
「それにしても、ヨアヒム様って、なんだか大型犬みたいな方ですのね」
「大型犬?」
「ええ。なんとなく、寂しがりやの大型犬を構っているような心地でしたわ」
間もなく、ヨアヒムが手がけたという数種類のスイーツが運ばれてくるところとなった。
トマトとフロマージュを使ったムース、トマトとりんごのジュレ、トマトのシャーベット。そのいずれもが、また絶品なものばかりだったのだが。
「あの、ヨアヒム様……?」
テーブルに並んだいくつものデザート皿を前に、シルフェはゆったりとヨアヒムを呼ぶ。
「お気持ちは嬉しいのですけれども、……あの、わたくし、これ、全部は食べ切れそうにありませんわ」
オティーリエが、どこから持ち出してきたのか、スリッパをもってヨアヒムをはたいている。
スパコーン! という小気味いい音に、しかし、ヨアヒムは耳までを真っ赤に染めた顔で、もじもじとシルフェを見つめているばかりだった。
テーブルには、ところ狭しと置かれた様々なスイーツが、太陽の恵みを満面にたたえてシルフェを見上げていたのだった。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2994 / シルフェ / 女性 / 17歳(実年齢17歳) / 水操師】
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ライター通信
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お世話様です。
再びお会いできましたこと、光栄です。
さて、今回のこのシナリオは、ゆるーい感じでたちあげてみました個室「ブリーラー・レッスル」におけるノベルとなっております。
今回はヨアヒムを構ってくださり、ありがとうございました。
ヨアヒムはこのように大変にシャイでありますので、よろしければ気長に構っていただければと思います。
多分、気長に構ってくださっていれば、その内、大変になつき、ストーカーまがいに一変……いえ、もごもごもご
それでは、今回はありがとうございました。
少しでもお楽しみいただけていればと思います。
また、いつかまたご縁をいただけますようにと祈りつつ。
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