<東京怪談ノベル(シングル)>
恐るるべきは……
「つまり、です」
と、その男は言った。
「人間というものは、言葉で情報を伝達していくものなのですよ」
「……ふむ」
ゾロ・アーは自ら作り出したネズミが伝えてきたその言葉に、思わず声をもらした。
ゾロは物作りの神だ。彼の作る物には色んな力がある。
今回作ったネズミには、情報収集の能力を付属させたのだが……
ネズミは、耳で聞いてきた言葉をそのまま人間の言葉へと変換する。
つまり、です。
――人間というものは、言葉で情報を伝達していくものなのですよ。
その言葉を口にした人物が、どこか嘲笑するような表情をしていただろうということは想像にかたくない。
「そうして……どうする?」
はたして、その男は。
エッケハルト・ベルリヒルゲン。
ゾロが普段生活するエルザード国とは敵対する立場にある、アセシナート公国の摂政である。
背が低く童顔、しかし銀縁眼鏡の冷酷そうな顔立ち。
アセシナート公国の幼い公王と、その側近アーデス=グアルディアに代わり、アセシナート公国を影で支えている策謀家と目されている。
「グアルディアの頭がよくないとはよく聞きますが……」
ゾロは小さくつぶやいた。
グアルディアはその行動が派手だ。ただしその行動に、深い考えがないこともすぐに分かるほど幼稚だ。
彼は彼で公国には必要な人材なのだろうが……
「今回は……ベルリヒルゲンのことを」
ゾロは緑の瞳をきらりと光らせた。
自分の持てる力すべてをもって、ベルリヒルゲンの能力と人となりを調べるつもりだ。
――人間というものは、言葉で情報を伝達していくものなのだ――
どうやらゾロのネズミは、それ以上の言葉を聞いて来なかったらしい。そこで話が途切れている。それともベルリヒルゲンがそこで会話をやめたのだろうか。
部下のひとりに対して話していたらしいが……うかつな言葉は口にするまい。影で公国を支えていると言われているような男だ。
ゾロは小さな蚊のような虫を数匹生み出す。そしてそれらにベルリヒルゲンの後を追うよう命じた。
数匹に増やしたネズミのほうには、城の中を駆け巡るよう命じる。ベルリヒルゲンの噂は聞きもらさぬよう。
(エルザード相手にそろそろ何かをしかけてもおかしくありませんからね――)
ゾロは己が兵士に見つからぬよう慎重に歩きながら、考えをめぐらせていた。
アーデス=グアルディアが相手なら、エルザードも楽に勝てるだろう。
だが、ベルリヒルゲンが本腰を入れたなら?
(一気に危機におちいることも……ありえるかもしれません)
ネズミたちがちょろちょろとゾロの元に帰ってきては、一言ずつ聞き知ってきたことを言葉にしていく。
ベルリヒルゲン様はグアルディア様を押さえるので手がいっぱいだ――
二人の幼い公王のわがままに振り回されていらっしゃる――
(本当に?)
真実だとしても、それだけではきっとない。
そもそも――
ベルリヒルゲンはなぜ摂政のままでいるのか。
幼い公王からその地位を奪うのは、簡単すぎることに違いないのだ。
(摂政のままでいることのほうが、得なこともありますからね)
自分はトップに立たないこと。そうしようとしない人間こそが危ない。
束縛はいつだって、トップの者にくるもの。
最終的に仕事はすべてベルリヒルゲンに回ってきているとしても、お飾りの王は何かと役に立つだろう。
(責はすべて王に押しつけてしまえばいい――)
だからこそ、ベルリヒルゲンは幼い王を生かしておく。いざというときの盾として。
(――まあ、そんなところでしょうか)
すべては推測だ。ゾロは小さく息をついた。
けれど、このていどのことを考えていないほどの小人物だとはとても思えない――
耳に、ベルリヒルゲンを追うように命じた蚊たちの聞く音が聞こえてきた。聴覚を共有するようにしたのだ。
――ひとりです、ひとりだけでいい――
(ひとり? 何を――)
――そう、平民にしか見えない人間ひとりです――
(何をするつもりだ?)
――その者をザハルトに送りこみなさい――
ザハルト。それはアセシナート公国寄りのエルザード領地内の町の名だ。
大きくもなく小さくもない、観光名所でもない。
アセシナートに一番近い町というわけでもない。
(いったいなぜザハルトなどに――)
く、とベルリヒルゲンが笑ったのが聞こえた。
知っていますか?
かつて、故郷を出て出稼ぎに行こうとしていた青年たちが数名いました。
(―――!)
ゾロはぶるっと鳥肌を立てた。
まさか、自分に話しかけている――!?
彼らはどこへ出稼ぎに行くか相談しあいました。
エルザード聖都は遠すぎる、もっと近いところへ。アクアーネ? ハルフ?
――アクアーネ村はだめだ――
とひとりが言った。
(何だ? 何が言いたい……!?)
青年がそう言ったのは、ただ自分がアクアーネでは当たり前のゴンドラ嫌いだったためというごく単純な理由のためだった。そう、ごくごく単純な、馬鹿らしいとも言える理由です。
しかし青年たちの話し合いを、たまたま聞いていた、関係のない人物がひとりいた――
ズガァン!
ベルリヒルゲンのモーゼル銃が火を噴いたのが分かった。
「―――!」
ゾロは耳に痛烈な痛みを感じた。彼の作った生物が死んだ場合、痛みはゾロにくる――
あんなに小さく作った蚊を、一発で撃ちぬかれたのだ。
蚊は数匹。ベルリヒルゲンの話は続く。
関係のない人物は、ゴンドラ嫌いのためにアクアーネ村がだめだなどという理由を知るよしもなかったのです。その人物はそのまま自分の知人に噂話として伝えました。“アクアーネ村もそろそろだめらしいぞ”――
ぞく、ぞく、と理由の分からない不快感がゾロの背筋を這い登ってくる。
ウ・ワ・サ・バ・ナ・シ
その単語が、異様に耳に響いた。
噂は噂を呼び、アクアーネ村は観光名所としてもうだめになったと、たしかめもせずにみなが言うようになった。そしてアクアーネ村に観光に行くものはなくなった。そう、噂が真実へと変わってしまった瞬間――……
話はそこで途切れた。
ベルリヒルゲンのモーゼル銃が猛烈な速さで数匹の蚊をすべて撃ちぬいた。
ゾロは声にならない悲鳴をあげた。
ネズミが足元に戻ってきて言った。
――城内に曲者がいるぞ――
(しまった――見つかった!)
ゾロは舌打ちした。確保しておいた逃走経路を素早く駆ける。
兵士たちがバタバタと城内を駆け巡る音がする。
その場で大きなヒグマを作り出し、壁代わりに通路に立たせておいて、ゾロは逃げた。
足音なく走る通路――その緊張感の中で、ゾロの頭ではベルリヒルゲンの言葉がめぐっていた。
――人間は言葉で情報を伝達するもの――
もしも。
ザハルトにアセシナートから送りこまれた人物が、「ザハルトにアセシナートが侵攻するらしい」と噂話めかして四方八方に話したとしたら。
ザハルトはアセシナート寄りの町だ。信憑性はそれなりに高い。
送り込まれた人物は、言うだけ言って――それこそたったひとりだけにでも――アセシナートに帰ればいい。
そして、どうなる?
ザハルトの人々は怯えるだろう。ついにここにもと恐怖するだろう。
人々はザハルトから逃げ出すかもしれない。そうなればザハルトは何の苦もなくアセシナートのものとなるかもしれない。
あるいは人々は、エルザード王都に助けを求めるかもしれない。
王都は兵を出すだろう。なまじアセシナートに近い町だから、動かす兵もそれなりに精鋭になる。
そうすれば、今度は王都の護りが薄くなる。あるいはすでにアセシナートと小競り合いをしている場所の層が薄くなる。
どちらにしても危険だ――
そう思った瞬間、体に激痛が走った。
――先ほどのヒグマが殺られた――
そしてそのショックで、ようやくゾロは思い至った。
「その、たったひとりが」
――ザハルトに噂話を持ち込む、最初のたったひとりが。
「俺、かもしれなかったんですね……」
ベルリヒルゲンの高笑いが、聞こえるような気がした。
自分はもてあそばれた。その自覚があった。
まるで盤上の駒のように――
「悔しいですが、今日のところはこれで引き下がりますよ」
城の外にまで出て、ゾロは振り返った。
「せいぜい遊んでいるがいい、エッケハルト・ベルリヒルゲン」
己の都合のよいように駒を並べたチェスは、面白くなどないということをあの男は知っているだろうか。
そしてどれだけ己の都合のよいように並べたつもりでも、イレギュラーは必ず起こることを、知っているだろうか。
なぜなら――
「ここは盤上ではなく世界、動くのは駒ではなく人々ですからね」
暗い暗いアセシナートの空が見える。
この暗い世界を動かす男の暗い目の光を、見たような気がした。
―Fin―
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