<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


とらぶる・とらいあんぐる!


 この界隈で多岐といえば、手芸のプロとして有名なウインダー。世の奥様方は『キルティングマスター』を自称する美少女にその技を教えてもらおうとこぞって手芸教室に参加する。多祇は手芸を教えてる時からその後のお茶会まですべてが大好き。この特技だけでも食っていけるだけあって、自称が伊達でないことは誰の目にも明らかであった。
 今日もまた手芸教室の日。多祇は非常に趣味のいい柄の入ったティーカップや銀色のスプーンを人数分揃え、鼻歌なぞ口ずさみながら準備を整えていた。シンプルなデザインながらも自らの美しさが映える服に身を包み、繊細な蒼銀の髪が軽くなびく姿を見れば異性だけでなく同性をも魅了する。そして夜空を思わせる紺碧の瞳がやさしげに光る時、多祇はその本性を現すのだ。

 「今日もええ天気やね〜。雨とか振った後やとめっちゃ足元悪いから、外出控える人多てかなわんし」

 趣味で集めているぬいぐるみたちが意志を持っていたら、全員揃ってうまいことコケていることだろう。それくらいビックリする多祇の喋り。いったいどこで覚えたのかわからない素敵なお言葉で自らのイメージをぶち壊しにしていることを……なんと本人はちゃんと知っている。それどころか初対面の人がこのギャップを知って落胆の表情をするのを観察するのが、多祇の密かな楽しみになっているのだ。今回もまた新たな参加者が来るとのことで、今から笑みがこぼれる。きっと今日も楽しい日になるだろう。いや、そうならなかった日は一度もないから大丈夫だ。そんなことを思いながら、いつものように手際よく準備を進める多祇であった。


 さて、こちらは新しい参加者さんが住んでいる家……正確には、とある新婚さんの家。ところが結婚してしばらく経ったのに、ふたりはまだ初々しいままのぎこちない夫婦のままなのだ。剣士として生きる夫の馨、そして黒き魔法を操る妻の清芳。ふたりとも身長が高く、スタイルもルックスもなかなかのものを持っている。ご近所では魅力的な夫婦として有名だが、家の中では夫婦だかドツキだかわからない漫才を毎日のように繰り広げる始末。
 ある日のこと、家事を終えて「ふうっ」と疲労を伴った溜め息をついた妻を見た馨は何気なく肩に手をやった。そして「今日もお疲れ様です」と言葉を出そうとするが、触れられた瞬間に頭が真っ白になった清芳が「か、勝手に触るな!」と怒ってしまう。そして彼女は慌ててその手を振り解こうとするが、さすがに身を揺らして……となると馨に悪いと思い、ご丁寧にも自分の手を使って引き離そうとする。すると当然のことながら、バッチリ手と手が触れ合ってしまう。遠慮の気持ちやら恥ずかしい気持ちやらでますます混乱する清芳は顔を真っ赤にしながら、ホントはそんなつもりもないのに馨に向かって当たり散らしてしまうのだ。よき理解者である夫は彼女の気心をよく知っているので、あっさりと「すみませんでした」と謝ってしまう。清芳もそう言われてしまうと、「わ、わかればいいんだ」と答えるしかない。こうして漫才はお開きとなるが、それではふたりの仲が進展するわけもなく……
 そんな微妙なすれ違いを幾度となく繰り返してはいるが、それでもお互いがお互いを大切な存在だと思っている。だが、なぜかその気持ちを素直に出せないのが今の清芳だ。なんとか思いを形にしようとしてがんばっちゃう馨さんに心の片隅では悪いと思いつつ、ああなぜか、ああなぜだかわからないけどいつも振りほどいてしまう。そして時間が経ってひとりになると、テーブルと苦渋の表情でにらめっこしながら「今日もやったか」と後悔するのだ。
 そして馨も毎日の鍛錬の最中、不意に「今日もダメだったか」と眉間にしわを寄せて悩む。精一杯の気持ちを込めた動作がいとも簡単に弾かれてしまうこの悲しさ。そう、彼はそのような行動をさりげなくできるほど器用な人間ではない。いつも精一杯、剣術の修行と同じくらいがんばってるのに……でもアプローチする時は、当然のごとくいつもいっぱいいっぱい。彼の気持ちがバッチリと伝わる時、それすなわち甘い物をお土産に買ってきた時くらいだ。幼い頃から修行三昧の清芳にとって、甘い物は何よりも大事なもの。これさえあればご飯もいらないとは彼女の弁である。もはや餌付け以外に振り向かせる方法はないのだろうか……たびたび馨の心中は揺れていた。ただ持て余した愛情を全部ペットの猫に向けてしまうのはどうかと思うが。

 そんな調子のまま迎えたある日。その日こそ、多祇が開いている手芸教室に清芳も参加する前日だった。これは本人が特に行きたがったわけではなく、たまたま近所の奥様たちに「ご一緒しません?」と誘われただけである。すると、彼女は大きな声で「行く!」と力強く答えたのだ。清芳の一声でその場は大いに盛り上がったが、家の中では馨が大いに盛り下がった。いくら彼女が武器や包丁の扱いには慣れているとはいえ、短い針をたくさん使う手芸では怪我をする可能性がある。彼はハラハラしながらも、その感情を必死に隠して「気をつけて」と心からの応援を口にした。しかし、相手は漫才の相方同然の存在。結婚前から変わらない『真剣に打てば異様に響く』というお約束から逸脱しないベタなお返事を頂戴するハメに相成った。

 「心配されるほどのことでもない。家事の延長だからな。命の危険などあるはずもない」
 「それはそうですが……もしかしたら小さな怪我をするかもしれない。針を使いますから」
 「幼い頃から武器の扱いには慣れている。大丈夫だ。そ、そんな顔で私を見るな。行きづらくなるだろう?」

 言葉の節々からどこか勘違いしている感は否めないが、どうやら清芳は本気で行くつもりらしい。彼女のやる気を削ぐのもどうかと思った馨は「わかったよ」と納得し、いつものように柔らかな笑みを浮かべながら寝床へ向かった。清芳は胸のあたりで両手を握り締め、ひとりで「よし!」と気合いを入れる。夫は不幸にも彼女のその姿を見ていなかった。そのせいで馨はとんでもない生き地獄を味わうことになる。


 そして翌日。手芸教室は太陽が頂点から照らす頃に終了し、恒例のお茶会へと突入していた。清芳は『キルティングマスター』である多祇の技術を目の当たりにして驚いた。しかも先生の正体は自分よりも若いくらいの美少女。さすがに周辺の奥様方を呼び込むほどのことはある。喋りながらでもいとも簡単に針に糸を通す多祇とは違い、清芳も今回ばかりは人並みに苦戦した。今回は簡単なキルティングコースター作りの初歩を学ぶという内容である。簡単な服の修繕なら普段からしているのだが、さすがにそれとこれとは勝手が違う。彼女は何度も失敗しそうになったが、女好きの教師はまったく違う理由で指導し、清芳の作品を成功へと導いた。

 「いや〜、清芳さんは筋がええよ〜。今度、パッチワーク教えたろか?」
 「実は今、作りたいものがあるんだ。それに刺繍ができたらいいと思っ」
 「そうなんや! せやったら、今からでも家まで教えに行こか? 善は急げで昼からでもええよ!」

 まさかこんなに心強い味方がついてくれるとは。しかも自分の言葉を最後まで聞かずにすべてを察してくれるなんて。清芳は感動しつつも「さすがは先生だ」と喜んでその申し出を受け入れた。そして先生の言葉に甘え、昼過ぎに自宅へと案内する約束を取りつける。一方の多祇は「してやったり」と心の中で笑っていたが、それを一度も表に出すことなくお茶会を最後まで済ませた。お茶会の後もお楽しみがいっぱいだと思うと、ついつい話も弾んでしまう。周りの奥様方もその姿を見て気分よく帰っていった。
 清芳は『ある理由』から、家に馨がいない時間帯を狙ってちゃちゃっとお願い事を済ますつもりだった。いつもは鍛錬で外に出ている昼を狙って家に戻ったのだが、そうは問屋が卸さない。今日に限って彼はいつもの鍛錬が一段落すると、家へ休憩をしに帰ってきたのだ。まさかの行動に驚いた清芳はぎこちない表情と口調で彼を迎える。

 「お、お帰り。きょ、今日は、早かったんだな」
 「そうですか? よく鍛錬の合間に戻ってますよ……おや、お客様ですか。清芳さんと同じくお美しい方ですね」
 「……ああ、そうですか。はい、そうですか。お美しいですね、確かに……」

 いつも自分が座っている椅子に座りながら、ペットの猫を膝に乗せて温和な表情を見せる馨。しかし最後の一言は余計としか言いようがない。清芳の眉は釣り上がり、一発で不機嫌になった。おそらく彼女のキャラにない漆黒の闇を思わせるどんよりジメジメしたオーラを全身から発せられるほどのスゴさである。このオーラを感じ取った多祇もさすがに乾いた笑いを浮かべるばかり。馨はいつもの何気なさで言ってしまったのと、自分が失言を発したことに気づかずにいた。

 「……先生がキレイと言われるのは、そりゃ仕方がないとは思うが。そうか、私と同じなのか……」
 「わっ、私、タキ言います。よろしゅうに。あらあら清芳さん、そこはこうやった方がようなるね」
 「ずいぶんと印象的な語り口ですね。私は夫の馨と申します。今日は清芳さんがお世話になりました」
 「あ、ああ。ああ、気にせんでいいんよ。今日は彼女のご希望で特別授業やってんねんから。あっと、そこは……」

 手と手を取りながら刺繍のレッスンを受けている妻の姿を見て、静かに猫の毛並みを撫でる馨の手が止まった。何かがおかしい。自分は清芳さんが先生と慕う多祇さんが戸惑うような失礼なことを口にしただろうか。ただ普通に自己紹介をしただけなのに。妻への失言には気づかないくせに、なぜかこれには敏感だった。彼が考え事をしている最中も多祇はやたらと清芳の手を握ったり、肩に手を置いたりして非常に密着した指導スタイルでお楽しみの最中である。
 端から見ていてあまりにおかしな動きをする先生を見ているうちに、突然として馨の直感が心のど真ん中に警鐘を鳴らした。その内容を自分が信じ切るのに時間はかかったが、最終的にそれは確信へと変わる。そう「多祇はあんな姿をしてはいるが、実は男じゃないか」と。さっき返事に戸惑ったのは、自分と彼女が夫婦だと知らなかったからだ。
 それを境に、馨のふたりを見る目が劇的に変化した。もう、いてもたってもいられない。とにかく相手はベタベタと大切な清芳の手やら肩やらを触りながらの手ほどき。一方の妻はまったくの無警戒……というより、警戒の「け」の字も見当たらないほど真剣になっている。

 『多祇とやら、また手を握って……! わっ、私が清芳さんの手を取ったらすぐ怒られるのにっ! な、なぜなんだ?!』

 馨は妻の対応が自分の時とずいぶん違うことにイライラしていた。自分の方がずっとずっと近しい存在なのに。いつもさりげなく愛情を形にしてるつもりなのに……そんなことを考えているうちに、ふたりが夫婦と知っても変わらぬアプローチを続ける多祇に対して腹が立ってきた。相手はそれをわかっていながら、いつまで経ってもナンパな態度を改めようとしない。彼は多祇を怨敵と認識し、なんとかして妻を助けようと動き出した。今さら説明の必要もないだろうが、すでに馨はいつもの平常心を失っている。

 「あとはそれの繰り返しやね。ホンマ、お上手やわぁ」
 「そうですか、あとは繰り返しですか。ならば清芳さんの集中を崩すわけにはいきませんね。そういえばお客人がいらっしゃったというのに、まだ茶も出しておりませんでした。とんだ粗相を……どうぞ遠慮なく清芳さんから遠いそちらの座敷でお待ち下さい」
 「私にそないなお心遣いええですよ〜。せやけど、お気持ちはしっかり頂戴します。湯飲みはどっかその辺に置いといて下されば……」
 「何を遠慮されますか。ずっと立っていてお疲れでしょう。あちらで少し休まれては……」
 「馨さん、先生の言う通りにしてくれ。いくら先生からお墨付きをもらっても、私にはまだ不安なんだ」

 いくら縫っている最中だからとはいえ、声だけで指示を出す清芳。これには馨もガックリと肩を落とした。多祇にしてみれば『してやったり』である。夫はひとり寂しく湯を沸かし、意味もなく茶を入れることになった。飼い猫はご主人の落胆を察したのか、何とか気を引こうと足元にぶつかったりする。しかし、馨の視線は自然とふたりに向いてしまう。ひとりと一匹はだんだん寂しい気持ちになっていった。
 多祇は特に教えるところもなくなり、ただ清芳の手並みを見届けるだけ。だが、さっきから気になることがあった。いくら素人でもこんな大きな布にこんな小さな刺繍をするわけがない。多祇は清芳にこれが練習なのかどうかの確認をしていなかったが、彼女が持ってきた生地がこれだったのだ。今、縫っているのは花である。馨の申し出を蹴ったのはもちろん清芳が目当てだったからだが、実はこの点も少しは気にしていた。この辺が『キルティングマスター』と呼ばれる由縁だろうか。
 そうこうしているうちに、馨がお盆で湯飲みを持ってきた。やたらと湯気が立っているのが印象的である。どうやらこれがささやかな抵抗らしい。

 「どうぞ、多祇さん……粗茶です」
 「あら、見かけによらず旦那さんもええセンスしとるんやね。私、ビックリしましたわ〜」
 「本当に粗茶なんだから黙ってれば持ってくればいいのに……まったく」

 このまま三者三様の怪しい動きが続くかと思われたが、清芳の一言で急展開を迎える。それは男どもにとっても意外な内容だった。

 「できた! 桔梗の刺繍ができた!」
 「キレイにできたやん〜! お上手、清芳さん!」

 真っ白な布に一輪の桔梗。鮮やかな青が印象的なその花は清芳の手によって布の左肩に刻まれた。手を取って喜ぼうとした多祇だったが、彼女に片方の布の端を持つようにお願いされる。

 「大きいんやね〜、この布。いったいこれ、なんなの?」
 「か、馨さんの……ベッドカバー」
 「わっ、私の?!」

 あまりの驚きに声が裏返ってしまった馨の戸惑いに、清芳は少し横を向きながら頷く。彼女は徐々に顔を赤らめながら、出来上がったものを持って夫の元へと歩み寄った。

 「私が抱いてる馨さんのイメージがこれだ。目の届くところに花でも咲いてれば、寝苦しい夜も眠れると思って。今日からはこれを使ってほしい」
 「清芳さん……ありがとう。大切にするよ」
 「安眠は私が保証するで〜。なんたって、この多祇直伝の刺繍なんやから。またなんかあったら呼んでや♪」

 いつもは紆余曲折だらけだが、大事なところではこんな感じでビシッと決まる。どうやら馨と清芳の初々しい新婚生活はまだまだ続くようだ。もちろん多祇もこんなことでは挫けない。この先もこの3人がいろいろな場面で何かを巻き起こしそうな予感がしないでもない。