<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


死神の食事処 二訪目


 チリリリ
 来客を報せる鈴の音が店の中に小さく響く。
 今日は、少しばかり雲の多い、少しばかり不安定な空模様だった。薄い灰色が空を埋め尽くし、その向こうにあるはずの青々とした色彩は、エルザードの大地からは窺えそうにない。
「ごきげんよう。――お邪魔いたしますわね」
 しかし、鈴を鳴らした客人――シルフェの見目は、重く広がる灰色の雲にも侵される事のない、涼やかなる蒼穹を、あるいは果てなく広がる水面の色を映している。
 シルフェの声に応じ、ほどなくして顔を覗かせたのは、気の強そうな眼差しを放つ少女オティーリエだった。
「あら、また来たのね」
 オティーリエはシルフェの姿を確かめると、そそとメニューを抱え持ち、窓際のテーブルへとシルフェを誘う。
「ごきげんよう、オティーリエ様」
 シルフェはぺこりと頭を下げて、それから示された席へと腰を据えた。
「今日は雨が降ってきそうな天気ですわね」
「そうね。雨が降ると、ただでさえ少ない客の足が、いよいよ遠くなっていくのよね」
「まあ」
 肩をすくめるオティーリエに、シルフェは首をかしげて微笑みを浮べる。
 しかし。見れば、確かに。店の中にある客は、シルフェより他にはないようだ。
「おや? シルフェ殿!」
 と、大仰な声を張り上げて、ディートリヒが厨房の中から姿を見せた。
「お邪魔しておりますわ、ディートリヒ様」
「いやいやいや、歓迎いたしますよ、シルフェ殿! 先日の料理はお気に召されましたか?」
「ええ、とても。わたくし、とても幸せでしたわ」
 シルフェがそう応えて微笑むと、ディートリヒは満面にたたえた笑みを一層濃いものへと変えて、恭しく腰を折り曲げた。
「我々料理人にとり、最良の褒め言葉です」
「それで? 今日も食事していけるんでしょ?」
 恭しく腰を折り曲げるディートリヒの横で、オティーリエが腰に両手をあてがった姿勢でシルフェを見上げる。
 シルフェは、オティーリエが注いだ水に手を伸べながら「ええ」と小さく頷いた。
「今日は、随分と珍しいものを見つけてしまいましたので、これを」
 にっこりと微笑みながら差し伸べたそれは、テーブルの上の真ん中を陣取っている大きな編み籠だった。
 木の皮をなめしたもので編みこんだ大きな籠の中には、山と盛られた香草が揺れている。
 ――そう、風もないのに、青々とした香草は、ゆらゆらと勝手に揺れているのだ。
「ちょ、これ、勝手に動いてるわ……!」
 籠の中から香草を一本抜き取って手にしたオティーリエが、目を丸くして驚いている。
 シルフェは頬に片手をあてて首を傾げ、薄い笑みを浮かべて頷いた。
「そうなんです。わたくし、つい先ほどまで、とある方の依頼を受けて出かけていたのですけれども、帰り道でその香草が群生してる場所を見つけてしまいまして。ちょうどお腹も空いてまいりましたし、ではこちらでまた食事をと思って、はりきって摘んでみたんです」
 そうしたら、まあ、わたくしもびっくりしてしまって。
 そう続けて小さな息を吐くシルフェは、しかし、微塵も”びっくり”したような表情は浮かべてはいない。
「これは珍しい香草なんですよ。日によって自生する場所を移動させるので、滅多に目にする事は出来ないとされているものです」
 籠を抱え持ち、ディートリヒがゆるゆると笑う。
「しかし、その分、とても美味しいメニューをお出しする事が出来るものでもあります。――それでは、しばしお待ちくださいませ」
 そう続けて恭しく腰を折り曲げるディートリヒを見上げ、シルフェは「そういえば」と声をかけた。
「今日は、ヨアヒム様はいらっしゃいませんの?」
 そう声をかけて、店の中を注意深く見渡してみる。
 柱の影にも、カウンターの向こうにも、それらしい影は見当たらない。
「ああ、ヨアヒムなら、もうそろそろ戻るかと思いますが。調味料が切れてしまいまして、使いにやったところなんです」
「まあ、そうでしたの」
 頷きを返し、厨房へと入っていくディートリヒ達の背中を見送る。
「パシりってやつですのね」
 店の中に一人残されたシルフェは、納得したように、目をしばたかせて手を打った。

 灰色の雲の上から霧のように細やかな雨が降り出した。
 テーブルのすぐ横にあるガラス窓にも雫がはたはたとかかり、風に吹かれ、短い筋を描いて流れていく。
 シルフェはグラスを片手に、しばし、雨の下の街並みを見つめていた。
 ――――が、
「……あら」
 呟きを落とし、窓の外を確かめる。
 通りの向こうから小走り気味に歩いて来るのは、この店のもう一人の従業員、ヨアヒムだった。
 なまじ図体が大きいせいもあるのだろうか。あるいは、その挙動が不審なせいだろうか。――どちらにしろ、ヨアヒムの姿は大通りの中にあっても一際目立つものであるようだ。
 そうして、程なく、チリリリという鈴の音が、店の中で響き渡った。
「おかえりなさい、ヨアヒム様」
 グラスをテーブルに戻し、シルフェは満面の笑みをもってヨアヒムの帰りを迎えた。
 が、対するヨアヒムはといえば、ガタガタガタとテーブルや椅子を転がして大きく飛びのき、後ろの壁にべったりと張り付いて、驚きを全面に表した顔でシルフェの顔を見遣っている。
「雨が降ってまいりましたのね。――濡れたりなどいたしませんでしたか?」
 シルフェはそう訊ねながら、壁に張り付いたまま、じわりとも動かないヨアヒムに歩み寄る。
 ヨアヒムは、やはり、顔から腕までを真っ赤に染めて、やがてがくがくと大きくかぶりを振った。
「そう。良かった」
 にこりと微笑み、ヨアヒムの前で足を止める。
「わたくし、珍しい香草など見つけてまいりましたの。つい先ほど、ディートリヒ様とオティーリエ様が厨房に戻られたところですわ」
「そ、そそそそそうですか」
 ヨアヒムはそう返してがくがくと頷き、壁に張り付いたままの姿勢でじりじりと横移動を始めた。それに従い、シルフェもまたじりじりと横移動する。
「ヨアヒム様?」
「は、ははははい!?」
「さ、お話の練習を致しましょう?」
 にっこりと微笑み、随分と身丈の違うヨアヒムの顔を仰ぎ見る。
「わたくし、ヨアヒム様が何の気負いもなく皆様とお話出来るようになるまで、徹底的にお付き合いさせていただきますわ」
 シルフェがそう続けて目を細めれば、それを受けたヨアヒムは腰が抜けてしまったように、間近にあった椅子にぺたりと座り込んでしまった。

「そういえばヨアヒム様ってお幾つですの? わたくしよりは、もちろん年上でいらっしゃるのでしょうけれど」
 
 初めに案内されたテーブルに戻り、グラスを手に持ちながら、シルフェはやんわりとした口調でそう問い掛けた。
 ヨアヒムはテーブルの向かい側に座り、もぞもぞと落ち着かない様子で視線を泳がせている。

「……37」
 ぼそりと返された声は、どうにかすれば聞き漏らしてしまいそうなほどの小声。が、シルフェは決して聞き漏らさずに、
「まあ、わたくしよりも20も年上でしたのね」
 小さく頷きながらグラスを口にした。
「それで、ヨアヒム様、パティシエの修行などはどちらでされていらしたんです?」
「ほ、本を見て」
「まあ、どなたかに師事されたのではなく、御自分の力で学ばれたんですの?」
「……つ、通信学習とか」
「まあ!」
 大きく頷き、にこりと微笑む。
「素晴らしい事ですわ、ヨアヒム様。差し障りなければ、今度テキストなど見せてくださいませね」
 シルフェがそう続けると、ヨアヒムは上目にシルフェの顔を見つめ、がくがくがくと頷いた。

 やがて、厨房の中からカートを押しながら戻ってきたディートリヒが、シルフェの座るテーブルの上にスープ皿を置いた。
「こちら、じゃがいもで作ったスープにベーコンと玉葱、それに先ほどの香草をいれたものです」
「まあ、美味しそう」
 にこりと頬を緩めてスプーンを手にした時、向かい側に座っていたヨアヒムが静かに席を立った。
 シルフェは慌ててヨアヒムを呼び止め、手にしたスプーンを再びテーブルの上へと戻す。
「ヨアヒム様?」
「……デザート皿を用意します」
 ぼそりと応えたその声に、シルフェはふわりと笑って頷きを返す。
「楽しみにしておりますわ。――でも、わたくし、それほどたくさんはいただけませんから、ほどほどでお願いいたしますね?」
 シルフェの言葉に、ヨアヒムはこくりと小さく頷いた。――気のせいか、反応が先ほどまでよりも幾分かすっきりとしてきたような感触を覚える。
「シルフェ殿。料理を続けても?」
 と、ディートリヒが皿を手にしつつシルフェを確かめた。
「ええ」
 シルフェはそう返して微笑み、それから再びヨアヒムへと視線を寄せる。
「ヨアヒム様、少ぅし笑ってみていただけます? ほら、笑顔も大切なものでしょう? ね? ほら、こんな風に」
 続けてそう口にしつつ、シルフェはにっこりと満面の笑みを浮かべてみせた。
 次の皿には白身魚のカルパッチョを香草で風味付けしたものが盛り付けられていたが、それをテーブルに置いたディートリヒの表情は、見事なまでに強張っていた。
「いいえ、シルフェ殿。ヨアヒムの笑顔だけは」
「まあ、なんでです? 誰だって笑顔は素敵なものですもの。――さ、ヨアヒム様」
 ディートリヒの制止をやんわりと振り切って、ヨアヒムに笑顔を催促する。
 と、その時。
 ヨアヒムの頬の筋肉がわずかな変化を見せた。それは、あるいは笑顔と言うにはいささか疑念を抱かざるを得ないような――そう、どこか邪悪な空気が染み付いたようなものであったのだが、しかし。
「ほら、素敵な笑顔ですよ! これからもわたくしに笑顔を見せてくださいませね、ヨアヒム様」
 シルフェの、心からの言葉を受けて、ヨアヒムはニタリニタリと笑いながら厨房の中へと消えていく。
 ディートリヒとオティーリエは、戦慄の表情と共にヨアヒムの背中を見送り、それからおずおずとシルフェの方に向き直った。
「……あの、」
 ディートリヒがシルフェの顔を覗きこむ。 
 シルフェは満面の笑みと共にスープを口に運び、やはり心からの幸福を述べた。

 続けて出されたラムチョップの香草焼きも、香草を用いて作ったのだというノンアルコールのカクテルも、シルフェの心を満足させるに相応しいものだった。
 が、食事を終え、デザートがテーブルに並ぶまでの間、未だ降っている雨を眺めながらシルフェはひっそりと思う。
 ガラス窓に映るヨアヒムは、どこかうきうきとした面持ちで数枚の皿を運び持ってきている。――その様は、黒い大型犬か何かがようやく自分に懐き始めた姿を思わせた。
 シルフェは静かに振り向いてヨアヒムを見上げ、満面の笑みを浮かべて首を傾げた。
「今日はどんなデザートをいただけるのかしら。――ふふ、楽しみですわ」







□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【 2994 / シルフェ / 女性性 / 17歳(実年齢17歳) / 水操師 】



□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
          ライター通信          
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

二度目のご来店、まことにありがとうございました。
今回は食事場面よりもヨアヒムとの会話場面に重点を置いて書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか?
なにやら怪しいばかりの大男ではありますが、よろしければ今後とも構っていただければと思います。

その、「勝手に揺れている香草」を妄想しておりましたときに、なんだかふとニョ○ニョ○(byムー○ン)を思い浮かべてしまったりしました(笑)
いえ、あれは香草とかではないのですけれども(笑)。

それでは、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。