<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


気高き竜の棲む地へと



【オープニング】



「エスメラルダ、冒険者を紹介してくれないか」


 ――――客の入りもまだまだと言える、或る日の早朝。
 苦悩の表情で入ってきた黒髪の魔術師レオ・グラントはそんな言葉を切り出してきた。



「その、この街から北へ大分行ったところにヴァラックと云う名の街があってな」
「ヴァラック?聞いたことはあるわね………確かその街って、」
「そう。その街の背後に聳える山地に竜が棲む、と噂されている場所だよ」
 中空に視線を彷徨わせるエスメラルダに軽く頷きながら、レオが肯定する。
「まさか。その山の竜を倒せ、なんて依頼じゃないでしょうね?」
「う…む。何と言うか、そういう依頼のような、そうでないような………」
「?」
 いやに歯切れの悪い口調に、彼女は首を傾げる。
「実は、な」

 レオの言うところによれば―――実戦に耐え得る実力を持つ魔術師には、そういう依頼が舞い込むこともあるらしい―――聖なる山に棲む竜をシンボルとして平穏な日々を送っていたヴァラックの街に、少し前から異変が起こったのだそうだ。
「竜に襲われた、との嘆願が数件出ていてな」
「何処で?街中か、それとも―――」
「不明だ。要領を得ない証言が多くてな………現地での調査も必要になるだろう」
 嘆息してレオが肩を落とす。
 往々にして、不明瞭な依頼とは意外と多いものである。
「伝説の通りの竜の姿だった、とか、全然違うイメェジだ、とな………」
「………その辺りは不明瞭でも、被害者は確実に出ている?」
「うむ。故に、結局のところ出向かなくてはならん。或いは山にも登るだろう………が、だ。私は人並みの体力しかないので、山を登った後に戦闘などになったら死ぬかもしれない」
「一応、一流の魔術師としてそれは自慢しちゃいけないと思うわ………なら、冒険者だけ雇って行かせれば?」
「そういう訳にもいかんだろう。私の請け負ったものだし、なにより―――」
 エスメラルダの妥当な案件にも、レオは首を振る。
 そして叫んだ。

「あそこの名物の肉料理は素晴らしい。作りたてを食わねば私は泣いてしまう」
「………貴方、そのうちロクでもない事故で死ぬわよ」
 いっそ清々しい彼の態度に、嘆息すら忘れてエスメラルダが呟く。
(それでも、仕事は仕事、ね)

 そうして。
 心の中でプロの矜持を思い浮かべつつ、彼女は冒険者の斡旋することを決めたのであった。






【1】


 ―――その日、聖都エルザードは温暖な晴天の空の下に在った。

 ………否。温暖ではなく、うだるような暑さだろうか。

 何にせよ、人々はその環境を受け入れ、笑い、日々の営みを送っていた。


 そんな空の下、ある酒場のカウンタ席で――――悩む魔術師が居た。
 名をレオ・グラント。絶唱を紡ぐレオの異名を持つ、それなりに強力な魔術師である。
 彼の悩み。それは北の地に在る街で起こっている、竜絡みの事件であったのだが……




「で―――レオ、全部で五人集まったわよ」
「ああ……これで、十分だろう」
 レオが黒山羊亭に依頼を持ち込んでから、数時間後。
 彼の座るカウンタ席の周りにそれなりの賑わいが出来たところで、エスメラルダがそう告げた。
「十分なの?」
「皆とは、一通り話した。これでも人を見る目は、人並み以上にあるつもりだよ」
「……貴方がそう言うなら、私に文句は無いけれどね」
 小首を傾げてみせるエスメラルダに即答しながら、レオがウインクを一回。
 肩を竦めてカウンタの奥へ引っ込む彼女を見送った。
「それで……いつ発つんですか、レオさん?」
 楽の表情でグラスを持つレオに質問するのは、カウンタ席の近くに腰をかける蒼柳・凪である。
 ……赤い瞳が印象的な少年が、魔術師を見る。
「ああ。出来るだけ早く出発したいからな……可能ならば、明日中に」
「成程。了解しました」
「名物の肉料理が楽しみだな。あっちに着いたら食べようぜ!な?」
「………凪、ストレート過ぎるぞ」
 凪と同じテーブルに座る虎王丸が、彼の頷きに同意するように声を上げた。
「む、駄目か?」
 相方による神速のツッコミを受けて、ゆっくりと虎王丸が首を傾げる。
「ふっふっふ、問題は無い。あそこの肉料理は、美味だがしつこくないと評判でな。胃に優しいぞ!」
「おお、凄いな名物!」
「うーん……そういう問題でもないと思うんだけど……」
 魔術師の茶々に、がっくりと凪が項垂れた。
 ――――瞳を輝かせる虎王丸だけならまだしも、一人増えては放置するのが得策である。

「とりあえず、現地で調査をしないことにはどうにもなりませんね……誰の仕業とも知れないのですから」
「そうだな。街での聞き込みと……やはり、竜の棲む山へ向かわねばならない、か?」
「ええ」
 隣の卓で礼儀正しく茶を味わうのは、和装の麗人、馨。
 その傍らに座るのは、馨の相棒。比翼の翼。連理の枝。
 夫婦の片割れたる、清芳である。
 話す中で理解をまとめ、次の段階へと思考を加速させる彼に相槌を打つ。
「うむ。なんにせよ、被害が出ていることは確からしいからな……竜という存在に便乗している人か、或いは化物か………厄介だな」
「本当に竜の仕業だったら、それはそれで厄介だしなぁ」
「………伝承と違う竜が存在する可能性だって、無いわけじゃない」
 馨と清芳の台詞に同意を示すレオに、虎王丸と凪が続く。
 そう。被害が出ている以上、自分達は妥協をすることは決して許されないし、するつもりもない……。
「竜が本当に現れたのか、或いは違うのか。それさえも現状では分からんのだからな…頭が痛いところだ」
「―――もしくは。竜こそが俺等に何かを求め導いてやがるのかもしれねぇな?」
「……そう。そうだな、確かに……オーマ」
「ああ。竜が加害者で無かったら、被害者である場合もあるんだしよ。SOSは……人間以外でも出すんだぜ?」
 カウンタ席に寄りかかって皆の議論を見詰めていた丸眼鏡の男が、楔を打つ。
 オーマ・シュヴァルツ。屈強な肉体を持つ彼が、鋭くレオを見た。
「今回は探偵らしく、足を使うことになりそうだな、レオよ?」
「うむ……なんというか、一番に私が倒れそうなのが不安で仕方ない」
 真面目に言って額に汗するレオに、思わず皆が苦笑した。
 レオが、皆を信頼に足ると判断したように。

 彼等もまた、少なくともレオが悪人ではないと理解していた。
「では、また明日に。困っている人がいる以上、手を抜くことは許されないからな……馨さん」
「ええ。誰も彼もが傷付かないよう、尽力しなければなりません」
「さて、俺達も準備しなくちゃな?」
「ああ、そうだな………では、レオさん、また」
「うむ。皆、すまんが明日から宜しくお願いする」
 明日からの旅に備えるため、馨に清芳、凪と虎王丸が淀みなく席を立つ。
 口調こそやや尊大であるものの、礼儀を知らぬ下賎でもない。レオは折り目正しく礼をする。
「さってと……んじゃ、俺もぼちぼち準備に戻るかね」
「ああ。では、また明日にな、オーマ……」
「あいよ」
 最後に残ったオーマも、ひらひらと手を振って黒山羊亭を後にする。
 ……勿論レオも、明日に備えなければならない。体力面で、彼は明らかに他の面々に劣っているのだから。





「この事件が終わった後に―――竜の棲むその土地が、傷跡を残さなければ良いんだけどな」

 最後に呟いたオーマの台詞が、嫌に耳に残った。







【2】

 翌日。
 朝早くにヴァラックへと出発した一行は、順調なことにその二日後には目的地へ到着した。

「ああ、ようこそいらっしゃいました!私ども一同、心よりお待ち申し上げておりました……!!」
 街の重鎮達から手厚く歓迎され、その後に予め予約がなされていたという宿に案内される。
―――軽い手応えと共に開けた窓から望んだ景色は、予想以上に素晴らしいものだった。


「……成程、これは良い部屋を選んでくれたようだ」
 その景色を余裕ある挙動で見て、レオは頷く。人々の心意気が痛感出来るというものだ。
 ……同時に、この街が切羽詰っているという事実も、だが。
「あのぅ、レオ様……」
 と、そこで入り口から自分を呼ぶ声がした。
 誰だろう、と思いつつ振り向くと、そこには宿の主人――先程、面会したばかりだ――が立っている。
「どうされた、主?」
「いえ……その、皆さんを昼食で歓迎しようと、他の部屋へ使いをやったのですが……」
 何故だか、彼は申し訳なさそうに項垂れていた。
 ―――彼の話によれば、結局見つけられたのは自分、レオ・グラントのみであるらしい。
「そうか。それは……困ったことだな。歓迎する側としては肩透かしも良いところだろう?」
「いえ、滅相も御座いません!……しかし、皆様は何処へ?浴場にも居らっしゃらないのですが……」
「……ふむ」
 困りきった様子でこちらを見てくる宿の主に一瞥を呉れて、彼は一つ唸る。
(これは、確かに困った。……最初に一息入れるつもりであったのだが)
 ともあれ、こうなっては仕方あるまい。仲間の行動へ無念を感じつつ、彼もまた自身の予定を修正する。
 ―――レオは、小さく嘆息しながら愚痴を吐き、杖を持って部屋を出て行くのであった。
「……頼もしいこと、この上ないのだがな。少しばかり熱心に過ぎるぞ、まったく……」
「え?その、レオ様?どちらへ――」
「案ずるな、主。『私も』散歩だよ」
 相も変わらず困惑した声が聞こえてくるが、どうということもない。
 少しばかり、否、はっきりと疲弊している身体を捻りながら、主を見る。


「どうやら、私の連れは良い人間ばかりらしい……休憩できないのは残念だが、喜ばしいことではないかな?」
 茶目っ気を含めたウインクをして、宿を出て街へ歩き出したのであった。

 ――――他の面々が、既に数分前に通過していったエントランスを通って。








(教会)


 オーマの訪ねた教会は、地方都市のそれとしては破格のスケールを持ったものだった。


「……こいつは凄ぇ。辺境でも、宗教を必要とする人は多いってことか」
 感心して頷きつつ、彼は静かにそのドアを押す。
 ぎぎぃ、とやや歪な音が聞こえて、大げさと言っていいサイズのそれが開かれた。
「……」
 中は、外見からも想像できるようにかなりの広さを誇っていた。
 熱心に掃除をするシスターに、本を広げている神父。
 椅子に腰掛けてこちらを見ている老人に、これまた一心不乱に祈りを捧げる信者……
(ふむ)
 オーマは、身なりの整った神父を最初に質問することにした。



「最近街を騒がせている竜、ですか?」
「ああ。何か、あんた方で不審に感じたことはあったか、教えて欲しい」
 質問内容を告げて丁寧に頭を下げると、得心したように初老の司祭は頷いた。
「成程、事件の調査に……しかし、私も一般の方々と同じものしか……」
「そうか。というと?」
 落胆した様子もなく、オーマは続けて質問する。情報は必要だ。
 ……加えて、教会には様々な人々が集まっている。他のメンバと遜色無い情報は入手できるはずだった。

「竜、ですか?……私も、皆様や司祭様と同じ程度しか……」
「あの日のこと……ええ、竜は飛び立たず、フッと消えてしまわれましたが」
「複数が同時に竜を目撃しているか、か?ああ、勿論俺以外にも仲間が見ていたぜ?」
「竜?ううむ、最近物忘れが激しくてのぉ。待っておれ、今伝承を思い出してやるぞぃ…むむむむむ」

 かなりの時間をかけて全ての人々から話を聞いたが、核心に迫れそうな情報は無かった。
(ん……此処には、何か特別なモノが在ると思ったんだが)
 確信は無い。けれど、それに迫る己の直感であった。
 ともあれ、百発百中というのは物語の中にしか有り得ない。情報も十分に得られた。
「さて……んじゃ、伝承に詳しい図書館の場所なんか、分かるかな?」
「ええ、それでしたら北の外れに……申し訳ありません、大してお役に立てずに」
「いいさ」
 微笑して、ぱたぱたと手を振ってやる。
 これ以上此処に留まるわけにもいかない………一礼して、オーマが教会を出る。
 ――――と。
「そうそう、オーマさん。これは、その、情報というか、私の思い込みかも知れませんが…」
「?」
 やや躊躇いがちに、最初に話しかけた司祭がこちらを見てきた。
「……事件の始まった頃から、思念というか、声というか…そんなものを、時々感じるのです」
「思念?」
「ええ………その、男性か女性かも、判りかねる声で……『嘆かわしい』、と」




                             それは、誰の声なのだろう。


「……嘆かわしい、か。生活が侵されてる一般市民の感想としちゃ、随分と穿ってるな」
「忘れて下さい。どうも、私が考えすぎていたようです」


 ―――眉根を寄せるオーマに対して、初老の司祭が力なさげに微笑んだ。







(竜の伝承)


「当図書館は始めてのご利用ですか?でしたら、まず始めにこのカードに記帳を……」
「……馨さん、頼んだ」
「はい、了解しました……と、これで宜しいですね?」

 街随一の蔵書量を誇るという図書館は、街北部の外れにあった。
 人々から様々な証言を得た馨と清芳は、まだ余力はあると判断。その足でこの場所に到達した。
 想像していたよりも立派な佇まいを誇るその建造物は、遠目から見ても良いものに感じられる……

「やっぱり、現状街を騒がせている竜と、伝承にある竜のギャップは知っておきてぇしな?」
「ええ、同意見です」
 教会にて調べ物をしていたオーマも同じ考えであったらしく、先に机を占領して読書に耽っていた。
 その傍らには、膨大な量の書物がうず高く積み上げられている。
「これで、竜に関連する資料は全部か?」
「いんや、まだ残ってるぜ……奥の通路、突き当りを左だ」
「では、私と清芳さんはそちらを当たりましょう。出来る限りのことをしなければ……」
「ああ。了解した」


 互いに頷き合い、三人はいつ終わるとも知れぬ調査を始めた。
 ……とはいえ、各々の速読力は頼もしく。存外早くそれなりの情報が集められた。

「うーん……どうも、差異は確認出来ねぇな。そっちはどうだ?」
「ええ。こちらも……金色の外見に、青の瞳、でしょう?間違っていませんね」
「身の丈についても、凡そ合っている。山へ向かっていく姿が多数目撃されているから……」
 最後まで言葉を紡がず、三人が思案しつつ視線を絡ませた。
(既に入手した情報と…殆ど合致している)
 ならば――――幻覚魔術の線は、今や少しずつ薄れつつある、というのか。
「勿論、まだまだ可能性は残っている訳だが……馨さん?」
「そうですね。ただ、飛び立って山へ去らずに、わざわざその場で消えたというのがどうも……引っかかっています。瞬間移動の魔術は、たとえ竜であっても容易ではない。ならば風の助力を魔術で得て、素直に飛び立った方が楽は楽な筈……」
「移動時間を極端に惜しむ性質なのかも知れねぇがな……ふむ、この本も同じ、か」
 とまれ、一定の収穫は得られた。

 けれど、オーマが懸念していた、理不尽に人の命を奪うような信仰・風習の例もなく。

 馨と清芳が思っていた、竜の怒りを買うような事件も記録には無い。

 竜の姿を忠実に模した幻影か。
 もしくは、本当に、何の前触れもなく、聖なる竜が発狂したのか?
 或いは他の悪意であろうか――――そんな風に、思い思いに与えられた情報を整理していると、
「もし……あんた達、最近の事件の解決に来てくれたお人かの?」
「ん?おお、どうした爺さん……って、もしかしてさっき教会に居た爺さんか?」
「おお、そうじゃそうじゃ。オーマ、とか言ったのう」
 三人の背後から、静かな老人の声がかかった。
 振り向いてみると、まさしく痩身の男が立っている……どうやら、オーマと既に面識があるらしい。
(お知り合いですか?)
(おう。俺ぁ調べ物でかなり教会に居たから、他の皆みたいに情報の数は稼げなかったんだがな……)
 馨とオーマが、小さく呟いて状況確認。
「それで、ご老体。どうされたんだ?」
 その合間に、タイムロス無く清芳が老人に疑問を投げかけた。
「おう、そうそう。そこの男が、竜の伝承について色々聞いていたからのぅ……ワシも少し、そちらには詳しいでの。しかし最近は記憶違いが激しいので、自宅に帰って情報を確認しておったのじゃ。司祭殿に聞いたら、こちらだと言っておったのでな」
「そうかい……わざわざすまないな、爺さん」
 カカと笑う老人に、感謝の意を示してオーマが頭を下げた。
「それで……どうだい?」
「うむ。山の聖竜様は、俗世に関心の無いお方じゃ。故にここ百年間、姿を見たものは居らん」
「百年も、ですか」
「そうじゃ。……大方お前さんがたも、金の竜のイメェジを持っとるのじゃろ?」
 驚いて聞き返す馨に、含みのある笑いで老人が返す。
 ……三人は静かに頷いた。この老人は、何を知っているというのだろう。


「それは間違いじゃ。伝承の元々、つまり聖竜様の御姿は―――漆黒の外見なのじゃよ」


「なんだって。おい、そいつは本当か、爺さん……!?」
 一息置いて語られた真実に、オーマが息を呑む。
 それも当然だ。今までのところ、自分達が得た情報とは全くの別物ではないか?
「黒では、神聖なイメェジが弱いでな。いつしか、書物すら嘘を吐きよるようになった……嘆かわしいの」
「しかし……そうなると、話が確定してきますね。街を騒がせている竜は……」
「ああ。つまり、『犯人は一応の伝承は調べていた』という解答になる―――この時点で、既に犯人は……伝承の竜では有り得ない。百歩譲って、別の竜だ」
 顎に手を当てて新たな情報を推理に組み込む横で、それに清芳が同意する。
 同時に彼女は、凄まじい速度で本のペェジをめくっていた。
 ―――やがて、ぴたりとその手が止まる。
「……どうやら、その老人の言う事は間違っていないようだ。それと、蔵書量の多い此処に来た私達も」
 その声を支えるのは、一重に確信。
 ……オーマの調査が呼び込んだ話と、彼女の引き当てた情報が、真実をついに紡ぎ出す。
「……清芳さん、これは」
「ああ。この中でも一際古い、本当に古い歴史書だ」
 そ、と。彼女は開いた本を、机に置く。
「確かに、こいつで決まりかな。……宿に戻ろうぜ。俺たちの身の振り方も、決める時だ」
 それを見て……口笛を吹きつつ、同じく確信を持ってオーマが呟いた。


「伝説の、正体の一端を見たり、だ」

 そのペェジには、黒い竜の絵がはっきりと、美しく描かれていた――――






(レオ)


 ……皆が調査に勤しんでいる頃、レオは一人で街の外れに佇んでいた。
「はっはっは……つい木陰でうとうとしていたと知られては、具合が悪いからな。少しは調査もしなければ」
 皆に面目が立たんな、などと言いながら魔術師は進む。
 そこは、一見すれば「何」が起こったのかわかりかねる場所だった。
 ただ、ひたすらに破壊の跡が痛々しい。
(とはいえ、誰かが此処にも調査に赴きそうだが……)
 ―――それを言ったら、多分自分は必要ない。
 もう少し無能で怠惰な面々を雇うべきだったか、と贅沢な後悔をして、彼はその場に座り込む。
 見るのは、破壊の跡。無数に残された中の一である。
「ふむ?」
 明言するまでも無いが、彼はとぼけた性格である。

 ……同時に、魔術全般に対する造詣はそこらの魔術師を圧倒する力量であった。

「……成程、成程」
(思い出せ。竜の思考・行動パタン。奴等は総じて―――)
「総じて………うむ」
 立ち上がり、彼は一人で満足げに頷く。
「完璧だ。この情報だけではちと寂しいが……タイミングを推し量って発言すれば、非難も或いは免れる、か」
 気楽に、とんでもなく後ろ向きな発言をして再び歩き出した。
(幸い、今回は他人任せでも問題ないようなメンバが揃ったからな)


 冗談半分でそんなことも考えつつ、彼は悠然と宿へ足を運ぶのであった。






【3】


「成程、成程……ということは、どうやら人為的な作為で決まりかな?」

 すっかり日も暮れ、夕食を人々が済ませた頃―――――
 あてがわれた部屋の一つで、情報収集に奔走したメンバを前にしてレオはしきりに頷いていた。
 ……目の前には、膨大な量の情報が確固として存在している。

「まず、馨の言うように―――普通は竜も、魔術で風の助力を得て飛ぶ方が適切だな。あの質量が瞬間的に移動するとなると、竜でさえも『ちょっと疲れたかな』、という程度の魔力を消費する……わざわざそんなことをするのは、変だから……もっとも、その大魔力をその程度の疲労感で済むあたりは、流石に上級竜といったところだが」
 一つ一つ整理するように、レオが言葉を紡いでいく。
 その言葉に、近くの椅子に座ってじっとレオを見る馨が頷いた。
「ええ……調査を進めるにつれて、私達が最初におかしいと思ったのは、そこでした」
「……山に近づくな、という証言も疑ったが、記録でも街の人々の間でも、山の聖域を侵した事例は無い。少なくとも、ここ数年の間にはな……これで、更に聖竜犯人説が薄れた。そして、『この事件が起きて暫く経ってから』―――山に近付く者が、何者かに攻撃され始める」
 続いて馨の横に座る清芳が発言。
 皆が、それを肯定して頷く。
「人々の情報は殆どが一致していましたし……これほど同じとなると、むしろ人為的な匂いは付きまといます」
「……俺たちが集めた情報も、殆どそんな感じですね。被害者の関連こそ、浮かんできませんでしたが…」
 二人の言を受け継ぐように、更にその対面に座る凪が言う。
「馨さんの言う通り、手口が嫌に一貫しているので……人間の術師の仕業、という印象を受けました」
「山に近付くなと警告し、山の方向へ「消える」、だな?」
「ええ」
 否定の声を上げる者は、居ない。

「つまるところ、犯人―――そういう前提で、な―――は、何故か山に入って欲しくないようだな。そして、山に入る者が攻撃されるということは……犯人に類する者が、少なくとも山にいる、と言うことだ」
 残念ながら山登りは決定だな、とレオが肩を竦める。
 そして――――視線を、オーマへと移動させた。
「諸君の推理は見事だ。そして……決定的な情報が、幾つか出てきたのだったな?」
「ああ」
「説明を頼む」
 指名されて、オーマがにやりと笑いつつ説明を始める。
「これは図書館で爺さんに聞いた話だが……この街での伝承の竜は、『現在は』金色の外見、蒼の瞳となっているみてぇだな。故に、今回出た竜がホンモノであるという可能性も捨て切れなかった………だが、更に昔に遡ると、この話が変わってくる」
 ゆっくりと、理解に易いように。
 丁寧に言いながら、オーマがちら、と馨、清芳の方へ視線を投げかけた。
「どうやら昔の伝承を見るに、山の竜は『漆黒』の竜であったそうだ……これは、その話を聞いた後で、清芳が資料を探し当てて見事に証明してくれたぜ」
「そういうことだ。これで、街に現れる竜と山の竜はイクォールではないと証明された」
「……勿論その伝承が間違っている可能性もありますが、あの後調査して、更に数個の証拠を見つけました」
 オーマの台詞に、二人が肯定の視線を返して説明を継ぐ。

 ここに、ある意味で決定的な情報が共有された。


「そして、更にそれを裏付けるのが凪の情報だ」
 しん、と沈黙の訪れた部屋に、レオが再び石を投げる。
「……はい。俺は事故の現場を回ったんですが……皆さんの情報によると、竜は『火を吐かず、魔法も使わなかった』と証言が集まりましたよね?」
 再び、凪の発言。
 情報の齟齬が無いかどうかを確認するその口調に、皆が肯定を返す。
「けれど――――見る者が見れば分かる。現場の破壊跡は、『魔術的な作為』によるものでした」
「その通り、凪。私も同意見だ……まぁ、人が竜の暴れた跡を真似ようとしたら、仕方ないことだな」
「俺も、二人と同じように―――最初の現場と最近の現場を調べてみた。霊視も施してみたんだが……なんのことはねぇ、人間の魔術師が使う一般魔術の跡しか感じ取れなかったぜ」
 

 此処に、二つ目の決定的な矛盾。
 もしかしたら伝承の全てが間違っているかも知れない―――そんな逃げ道も、完膚なきまでに潰された。


 ……更に、確認の会議は続いていく。
 やがて、レオが締めくくりの一言を口にした。
「さて、いまいち敵の目的は不明だが……これで決まったな。明日、こちらから打って出る」
 これまた、否定の意見は無い。
 「強力な竜が敵か?」という、戦闘をする上で見極めなくてはならない難問はクリアした。問題は無い。
「では、明日―――」
「あ、レオ。ちょっと良いか?」
 そこで彼の台詞を遮ったのは、今まで黙って話を聞いていた虎王丸だった。
 彼は街で貰ったという観光用のマップを見ながら、手を挙げている。
「どうした、虎王丸?」
「いや、正解かも分からないし、正解だったとしてもすぐに誰かが気付くと思うんだけどよ……この街の名物は、肉料理だよな?少し詳しく言うと、エルト鹿っていう鹿の」
「うむ、あれは美味かった」
「俺もそう思う――――じゃなくて、ココ。この地点を見てくれ」
 虎王丸が、無造作に街と、街周辺を現す地図の一点を指差した。
 そこは、竜が棲むといわれる山、その中腹付近である。


 そこには――――エルト鹿の主な生息地、と書かれていた。


「どうかな、これ?」
「む、有り得るな……私が急かして、直接的な被害者ばかりに目が行っていたから気付かなかったが…」
「確かに……そう、肉料理に使う鹿の半数はこの辺りで獲っているのでしたね?」
「ああ、確かに聞いたな。それで、じわじわと魚料理の店が追いついてきているとか、俺も小耳に挟んだぜ」
「お、へへ……流石に皆、気付いてるか」
「……でも、少しだけど魚料理店もちゃんとした被害を受けてるぞ?」
「……だから、可能性の一つだって!俺が折角見事に決めたのに、水を差すなよ!?」
 凪の強烈な、それでいて極限にまで研ぎ澄まされたツッコミが場を押さえた。
 確かに、虎王丸自身の言う通り可能性の一つだが―――目下の処、しっくりくるのも事実だ。

「ふむ。なんにせよ捨て置けんな……では、明日は早く出るから皆遅れないように!」


 ―――かくして、一番寝坊しそうな男の台詞で、その夜の会議は締め括られた。






【4】


 そして、翌朝である。

「では、出発しようか?今日中に解決の目処を立てるぞ、諸君!」
 誰もが十分な休息を取り、事件の解決に望まんと気力に満ちて登山に臨む。
 レオもまた寝坊する事無く起床し、
 そう、事件の解決は存外簡単に処理される――――

 ……などと思われていたのは、山の中腹にある森林地帯に差し掛かるまでのことだった。





「……そろそろ、中腹かな?」
「みてぇだな。よし、ここらで一度休憩を挟もう」
 小規模な戦闘を繰り返しながら、しかしピンチを迎えることも無く数時間が過ぎ去った。
 ……下に広がる景観を眺めながら小首を傾げる凪に、オーマが頷く。
 ついに休憩だが……此処までの数時間を、朝から歩き詰めで来られた面々の気力をこそ褒めるべきであろう。
「よし、それじゃ飯だ!そして飯!次いで飯!加えて飯!」
「全部食事じゃないか……」
 がっくりと肩を落とす凪の挙動すらも、疲労から来るものではない。
 その原因たる虎王丸に至っては……言うまでも無く、心配には遠く及ばなかった。
「まぁ、宿の方が持たせて下さった食事は豪勢ですからね。気持ちは分かりますよ」
「……ほぅ、肉がメインか」
「ああ、肉料理の弁当を頼んだ甲斐があったぜ!」
「ふふふふふ、それは喜ばしいな………うん、ちゃんと私の分は大盛りだ」
「清芳さん、それは一人分の大盛りというより、数人分の分量に思えますが……」
「……はぁ。虎王丸、ちゃんと噛んで食べないと駄目だぞ……」
 清芳と虎王丸が、何故だか(否、理由は明白だ)ご機嫌で体力を回復させていた。

 そして、二人と対照的なのが――――
「……おい、レオ。顔色が悪いぜ?」
「い、いや、オーマ。そんなことは無い。君の気のせいだ」
「……無理するなよ?」
「妙ですね、レオさんの体力には気を遣って進んできたつもりなのですが……」
「……無論、馨。君の気遣いには感謝しているよ」
 やや離れたところで食事を取る彼に気付いたのは、オーマと馨。
 嗚呼、なんと素晴らしき心遣いであろうか?
「……いや、本当に気のせいだ。気にしないでくれ」
 ――――それだけに、その真心が痛かった。
「あれ?そういや凪………暗い森に弱いって言ってたよな?レオって」
「ん……そういえば、確かに」
 その三人の会話に、ぐさりとトドメを刺したのは―――既にお茶を飲み始めていた虎王丸である。
 はっとして、傍らの凪がこれからの行軍先を見れば、そこには見事な森林地帯が広がっている。
 ……永い時を経て育まれてきたのであろうその森は、昼であろうとも僅かな光しか射すまい。
「ぎくり」
 皆の視線が、一斉に彼へと集約した。


「おいおい、本当に凄腕の魔術師なのかよ……ランタンで足りるか?足りなきゃ、俺の『白焔』も使うが」
「う……」
 呆れたように、それでもこちらを気遣う虎王丸。
「俺も、神機を利用してライトは付けられるけど……レオさん、パニックにだけはならないで下さいね」
「……ぜ、善処する」
 同じく、こちらの身を案ずる凪。
「……同じ暗い環境でも、昼なら違うだろう?進むのは昼だけにしよう……私は、徹夜には強いからな」
「良い考えですね、清芳さん。私も付き合いますよ」
 そして、清芳と馨である。
 皆の心遣いが身に染みる。

 ――――この良い仲間を前にして、自分はまだ否を唱えるのか?
 ぎぎぃ、とレオは森へ首を向ける。
(……行ける。精神を律することは、魔術師の初歩の初歩だ)
 行ける、おそらく行ける。多分行ける。確かに中は暗そうだが、気絶するほどではない。
 加えて、一人ではないのだ。戦闘能力は――非常に残念ながら低下するが、進める。
「よし……!」
「レオ」
 そして、顔を上げた自分の肩をぽん、と叩く者が居た……オーマだ。
 彼は、優しげな笑みで懐から怪しげな眼鏡を取り出し、彼に渡した。
「夜は、コレを付けろ。戦闘か、最悪逃亡するくらいの行動は取れるようになる」
「オーマ……すまん、借りる!」
 荒々しく、それを借り受ける―――そして、皆の方を向いて、とてもとても力強く頷いた。
「心配をかけてすまない、皆……行こう!!!!」
「「おお!!」」

 ―――このように無駄な盛り上がりを見せつつ、遂に彼等は敵の牙城へ足を踏み入れる。





「なぁ、今回は竜絡みの依頼だったけど、レオはどういう術で対抗するつもりだったんだ?」
「うん?ああ、竜は魔術抵抗が非常に高いからな。普通の魔術では、確かに傷付かん」
「それじゃ、必殺技でもあるのか?」
「必殺など、私には過ぎたる秘奥だよ虎王丸……実際問題、必殺に近い魔術か、こちらの攻撃者の根本的な攻撃力の底上げを私の魔術でサポートし続ける――――その辺りが順当だろうな。無論、後者は君たちがいて始めて実現する作戦だが」
「はは、確かにレオは殴り合いに適した体付きじゃねぇな!」
「……ふ、そうだな」
 


 暗さが目立つ森で、雑談の声が響いている。
 進むのは、レオの一団。ランタンその他で明るさを強化した布陣で、存外早く進めていた。
「……敵が、出なくなったな」
「ああ。こりゃそろそろ……馨!」
「……ええ」
 …先を進むオーマと清芳、更に先頭と先行する馨が、いち早く状況の変化を察知。
 オーマの声、その言外に込められた意味を何となく察知しつつ、馨が振り向いて足を止める。
「そろそろ、ここで夜を明かした方が良い。此処から先、どうやら相当に入り組んでるぜ」
「加えて、これからの時間では……地理に詳しい相手方が断然有利、ということですか」
「―――確かに、もう陽も落ちますね」
 辺りを油断無く見回しつつ、話す。
 確かに彼等の話す通り、この先はこれまでと比べても相当に複雑に木々の生い茂る地域になりつつある。
 ―――先行する二人の言葉に凪が振り仰いだ空は、既に明るいものではなかった。
「と、いうことだ。レオ、此処で今夜は夜を明かすぞ!」
「う、了解した……その、私の戦闘能力は、」
「心配するな、アテにしねぇからよ!」
「……素直で宜しい。馨さん、依頼主の許可が取れたぞ」
「そうですか、それは良かった」
 依頼主を慣れた要領で扱いつつ、一向はそこを拠点に一夜の基地を作り始めた……




「オーマさん、これを」
「……ああ。こっちも見つけたぜ」
 木材を拾ってくる、と即席のキャンプを離れた二人が差異を確信したのは、すぐだった。
 こちらは、依頼主の不調もあり圧倒的に不利な状況である……状況変化に気を遣うのは当然だった。
「竜の異常、とは違うみてぇだが……警戒する意味はあったな」
「そうですね……折れた枝、踏み荒らされた草。通常の野山と比べても、この辺りは多過ぎる…」
 ―――つまり、余程獰猛な何か、或いはそれに類する者の激しい行為、ということだろうか。
「……ここらは、魔物より鹿が多いと聞いてたんだがな?」
「用心する必要は、ありそうですね」
 ……こうして、皆が警戒心を解かない仮初めの休息の時間が、過ぎていった。

 夜は、まだ明けない。






【5:決着】

 ―――敵は定石を外さなかった。
「敵襲だ!!」
 見張りに当たっていた清芳が、近付く僅かな気配に気付いて大きく叫ぶ。
 同時に、ほぼ全ての者がその声に反応して瞬時に起き上がった。
「チィ―――!」
 舌打ちと共に、近付いてくる気配。
「人……」
「それだけじゃねぇ、四足の獣も居るぞ!」
 人間の襲撃者に加えて、暗闇で疾走する獣の脅威を知らぬ者も居ない。
 各々が得物を構え、即座にレオを護る者と迎撃に向かう者に分かれた!
「く……明かりを―――――“Glowfly, das glänzt”」
 確実に敵が近付く中、闇による気絶を防ぐために、レオが顕現領域最大で照明魔術を放つ。
 敵が一瞬面食らったように、しかし進撃を止めずに迫り来る―――まだ、こちらのペェスだ。

 だが。
「遅ぇっ!」
「或いは、こちらの気付くのがもっと遅れたら……有効だったかも知れねぇがな?」
 既に主導権は失われていると、気付くことはできなかったか。
 自分達が襲い掛かる前に、神速の踏み込みで先制攻撃を仕掛けたのは虎王丸とオーマの二人である。
「右は任せるぜ。なるべく多くの敵を止める」
「ああ―――了解だ!」
 一言交わし、二人は瞬時に目標を絞り込んだ。
「ちぃぃぃ!!そこを退け、ガキがっ!」
「っ……」
 まずは、真っ先に状況に適応し剣を振り回してくる男が一人。
 …………馬鹿正直に振り下ろされるその剣を、刀でつ、と些少だけずらす。
「!?」
「ガキがどうした。それでも、あんたよりは強い」
 抜き放つ鞘走りは疾く、確実に、
「まずは一人――――悪ぃな、こっちは暗闇に慣れない魔術師がいるんでね!」
「ひ」
「寝てろよ、おっさん!!」
 ――――吸い込まれるように、相手の鎧に直撃する。
 けれど、その隙を突いて背後から飛び掛ってくる獣――狼に似ている―――への反応が遅れた。
 必殺の一撃に、虎王丸は振り向けない。
「虎王丸!」
「ああ、分かってるぜ、凪……」
 嫌に落ち着いた彼の声。同時に、空中に身を躍らせる狼が白い焔に包まれた!
「ギャ!?」
「へっ……怯んだな、獣」

 威力より、その間隙こそが致命的である。

「っ――――はああああああ!!!!」
 剣に【白焔】を乗せ、煌々と輝くその一撃で虎王丸は更に敵を屠る……。
 何故だろう。
 その聖なる焔に照らされた虎王丸の貌は、気高き獣のようにも見えた。



「さあ、かかってきやがれ獣共!それと人間も!まとめて俺が相手してやるぜ!」
「小癪な!」
 一方、その左側。
 同じく前衛に当たったオーマの方にも、多くの敵が迫ってくる。
 どっしりと構えるオーマは、成程、てこずることはあるだろうが……数は相手に出来まい。

「そこの馬鹿は任せる!俺たちは奥の奴等を殺す―――」
「へ、遠慮するな……お前ェさんも遊んでいけよ」
 だが。
 仲間にオーマの処理を任せ、一目散に駆けようとした男が、がしりと肩を掴まれる。
(しまった!?)
 ぞくりと、背中が粟立つ。
 良く分からないが、自分は、その、何と言うか―――――もう駄目だ。
「おおおおおお、そこのテメェも今視線を逸らしたテメェも!麗しのマッスル親父の妙を味わえぇぇッ!」
「「ぎゃああああああああああああああああああああああああ!?」」
 形容するなら、それは単純な関節技である。
 しかし断じて、仕掛けられたものが涅槃へ旅立つ至高の戦闘美である。
「はっはぁ―――次はどいつだ!?おらおら、急に進路変更して虎王丸の方へ行くんじゃねぇ!」
「た、助けてくれー!?」
「き、筋肉……筋肉が……ナウで…ラヴ・ボディ……ぐふっ」
「く、化物め……喰らえええええええ!」
「へっ、そんな攻撃じゃ俺の筋肉は傷一つつかねえな!」
「馬鹿なッ……うお!?」
 攻撃は通らない。
 しかしあちらの攻撃は――――これを必殺、と呼称することに支障はあるまい―――確実に。


「一人として殺しはしねぇ……だが、その腐った心根と身体は余さず俺が鍛えなおしてやるぜっ!!!」


 ヴァラックの街にまで聞こえたと後日語られる、阿鼻叫喚の戦闘が幕を開けていた。



「前衛を抜けてきますね……行きます」
「分かった!」
「了解しました……!」
 視点は切り替わり、レオの周りに居る中衛〜後衛である。
 身のこなしの俊敏な獣を中心として、やはり相当数の敵がこちらへと駆けてくる。
「出鼻を挫こう。馨さん?」
「ええ――――」
 得物を油断無く構える凪と清芳に視線を投げかけ、彼は目を閉じる。

 感じるのは大地の躍動だ。

 それは偉大であり、断じて敵ではなく、聞く耳を持つ穏やかな友。

 道理の適わぬ敵を束縛することを、彼等は間違いだとは言わない。

 それを戦闘の放棄と受け取り、怒涛の勢いで敵が駆けるが―――
「オオオオオ!!!」
「何をしていやがる、実戦を舐めるんじゃねぇっ!」
「―――――争いは好みません。しかし、貴方達の犯そうとする試みは看過できない」
 静かに、馨が呟き。その目を開く。

「止まって下さい」

 その一言にどのような力が込められていたのか、推し量れる敵は居なかった。
 彼は地術師。自然と心を通わせ、時にその存在を繰る存在である。
 瞬間、一体の草木が伸び、鋭く空を奔って敵の四肢を絡め取った!!
「なっ……!?」
「今です。血が流れるのは、好みませんが……」
「分かっているさ!」
 その隙を突き、躍り出るのは彼の妻、清芳。
「……ブラックホーリー!!」
 敵を死に至らしめない程度の威力で放つ彼女の魔法が、次々と拘束された敵を無力化していく!
 同時に、敵はその拘束された味方に邪魔されて容易に近付けない……何より、馨と清芳には隙が無い。
「チィ……邪魔なんだよ、このっ!!」
「!?」
 ならば、短気な者がそれらを切り倒そうとしたのは必定かもしれない。
 獣も人も、敵味方の区別すらも無く、凶刃が振り下ろされ―――

「……貴方は、自分が何をしているか分かっているのですか?」
「まあ、悪人の思考回路とは概ねそのようなものだろう…嘆かわしいが」
 即座に抜刀した馨と。
 決して長い得物とは言い得ない金剛杵を手に持った清芳が、攻撃を受け止めていた。
「手前等……!」
「感心できませんね。行きます、清芳さん……!」
「ああ!」
 穏やかで、それでいて深遠を思わせる馨の瞳と、凛とした清芳の瞳が敵を射る。
 二人は、そのまま敵の討伐に乗り出した。



「敵が……来ますね。前の四人で防ぎきれないとは、大分数がいるみたいです」
「くっ……駄目だ、ガッツが足りない!照明で正気こそ保っていられるが……!」
 そして、レオを守る最後の砦、凪である。
 彼は的確に、手に持つ銃型神機で前衛の敵を駆逐し続けている。
「しかし、君の戦闘方法は珍しいな……それは舞か?」
「ええ――――」
 そして、そう。
 舞術と呼称される術を使いこなし、彼は華麗に舞う。
 無論、それは興なれば、の一言で舞うそれではない―――味方を鼓舞し、実際に体力を回復させる舞である。
(―――『天恩霊陣』)

 しかし、確実に敵は迫りつつあるのが現状である。
「そうだ、レオさん!さっきオーマさんから貰ったアレ、試したらどうですか!?」
「おお、それだ凪!」
 ふと思い出したアイテムの存在に手を叩き、すかさずレオが眼鏡を装着する。
 そしてぴきり、とレオが固まった。
「れ、レオさん!?」
「―――“Axt der Zerstörung”」
 案ずる凪をよそに、紡がれる厳かな言霊。
 その言葉と練りこまれた魔力が破壊的な光の帯を形成し、凪に迫る敵を駆逐する!
 凪とレオに迫りつつあった接近戦の刺客が、またその距離を開いた……
「凄いじゃないですか、これで――――」
「ふ、ふふふふ……」
 
 だが、戦闘にイレギュラーは付き物である。



「ふ、ふふふふふ。待てよぉ、ピーター……スコットも、こっちに来いよぉ……」
 オーマの渡した――――――眼鏡。
 夜の森、その光景が輝く、薔薇アニキ詰め筋世界革命眼鏡。
「捕まえたぞぉ……今夜は七面鳥でパーティーだ……!」
「レオさん!?」

 レオは、傍目から見る凪にもしっかりと認識できるくらいにトリップしていた。


 慌てて凪が、眼鏡を外す。
「む?ここは……うう、暗い森ではないか!」
「……恐ろしい眼鏡だ。って、こんなことしてる場合じゃない!?」
 ほぅ、と胸を撫で下ろす凪が状況を再確認すれば、再びこちらに敵が向かってきている。
(……このまま銃を撃っていても…)
 決断し、彼はレオに言った。
「レオさん、数秒で良いです……敵の侵入を防いでくれませんか」
「防ぐだけで良いのか?防御魔術なら、普通の攻撃魔術よりは簡単だから何とか……今の私でも可能だ」
「お願いします―――」
 レオを信じ、その返答を待つ前に彼は目を閉じ、瞑想を始める。一刻の猶予も無い。
 彼はそのまま、彼の過去の研鑽に従って身体を舞わせ始める……
(舞術―――『武神演舞』)

「限界だぞ、凪!」
 舞が終わったのは、そんなレオの絶叫と同時だった。
「ええ。敵は俺が迎撃します、レオさんは下がって」
 一言で呟き、

「最初に狩り出すのは、機動力に富むお前達だ。哀れだが、俺に向かった不幸を呪え」

 自分の前で戦う四人と比べても見劣りしない駿足で、

 獣の呼吸が聞こえる懐へ、一気に飛んだ。
「グ」
「オオ――――」
 彼を支援するのは、不可視の、しかし確固として存在する武神。
 接近戦に向かぬはずの銃が、いかなる矛盾か。超近距離で、鮮やかに敵へそのエネルギィを叩き込む!
「さて……どのようにして自由を奪われたい。俺の舞で眠って貰うのが順当か?」



 今や、五人の防御を振り切ってレオに近付ける者は居なかった。
「む、敵が撤退していくぞ―――!」
「手負いの獣は手強いが、ここで逃げられては見つけ出すのも至難だ……追うぞ!」
「同感だ!」
 レオが全体の退いていく気配を察し、場の全体を見据えて魔法を使っていた清芳がすかさず叫ぶ。
 ……彼女の意見に異を唱える者は居ない。
「こっちだ――――!」
 奇襲に失敗した敵の集団を、こんどはこちらが追い詰める場面に切り替わる。
「あ、それとな、レオ……」
「どうした、虎王丸?」
「連中な―――――件の魚料理店の人々が雇い主だって、すぐに吐いたぜ」
「本当か!?」
「ああ、間違いない」

 真相は、此処に暴かれつつある。







 一目散に逃げる敵を追う内に、中腹の森を越えて山の岩肌が露出する高部に差し掛かった。
 ―――感じるものは寒さであり、空を見ればそろそろ日も昇ろうかと準備を始めている。
「……此処で決着をつけようと言うのか」
 見れば、先程までは一心不乱に逃げていた敵が、揃ってこちらを見ている。
「諸君等が魚料理店の売り上げを伸ばすために雇われた者だと言うことは分かっている!降伏しろ!」
「私達は無闇な戦闘は、望んでいません」
 よく通る声で清芳が勧告し、馨を始めとする他の面々もそれに同意する。
「へっ……何を言ってやがる、そこまで知ってる手前等は生かしちゃおけねえだろうが!」
「……まさに悪役だな。このレオ、少しばかり感心した」
「してる場合じゃないと思うけど……」
 しかし、悪人とは過ちに気付きながら修正しない点で悪質である。
 開き直り、彼等は腕を振り上げた。
「手前等も運が無かったな!旅の途中でこの山に迷い込まなけりゃ、死なずに済んだのによぉ!」
「……む?」
「だがもう手心は無しだ!――――此処で死にやがれっ!!!」
「おい、それは―――」
 レオの疑問符を込めた声も、興奮した敵には通じないようだった。
 大きく腕を振り回し―――それを合図に、巨石の背後から巨大な竜が姿を現す!
 その姿は高貴な金色と、蒼の瞳である。


「おお、これが噂の」
「……中々見事なもんだなぁ。町興しに使えば良かったんじゃねぇか?」
「うむ、それは平和的だな、オーマ」
「うははっははははははは!!!!どうだ、恐ろしさで声も出まい」
「……なあ凪、もしかして……あいつら、俺たちがたまたま山に迷い込んだ冒険者だと思ってる?」
「みたいだな……まあ、俺たちが街に居たのは実質一日だし、その行動速度にあちらの情報網が機能しなかったんだろ?大方、魚料理屋の件も、さっきの戦闘で捕獲した敵から知ったとか思ってるんだ…」
「……平和な奴等だなー……」
「どうしたどうしたぁ!何を小声で話してやがる!恐怖でまともな声が出せねぇか!?」

 否、これはそこはかとない同情というものだ。

「……とは言え、人々の営みを脅かす敵だ。さっさと倒すべきだろう」
「正論だな、清芳……では」
 頷きつつ、レオが一歩踏み出し、皆の前に出た。
 既に此処は森林地帯ではない。先程の狼狽振りが嘘のように、彼は一瞬で魔術を練り上げる。
「さあ、竜の力を―――」
「そんな虚構に興味は無い――――――“Ich suche Wahrheit”」
 ごごご、と鈍重な動きで竜が動くのを制し、レオの虚言を暴く術が発動する。
 すると、あっけなく金色の竜が空気に溶けた。
「は……?」
 後に残るのは、竜の攻撃を「再現」するはずだった数人の魔術師である。
「ば、馬鹿な……!?」
「慌てるな、他の術で―――」
「ブラックホーリー!」
 慌てる一団を、見事なタイミングで放たれた清芳の術が突き崩す。
「あ………」
「降伏……そろそろ、してくれるかな?」

 そして、顔を上げた先に笑顔の凪と、二つの銃口を見つけた。
「いや、これでようやく山を下れますね。良かった良かった」
「よーし、それじゃエルザードに帰る前に肉を食おうぜ、肉!当然だよな!?」
「良いねぇ、今日は宴会と行こうじゃねぇか」
 仲間を見れば、いつ移動したのかも知れない男三人が、得物を必殺の間合いで構えている。
「………馬鹿な」

 まさしく、詰み、という言葉が適当な終幕であった―――――。




「それで、これから下山な訳だが――――」
 ぐ、と。
 最後に残った男に猿轡を噛ませて手足を縛り、爽やかにレオが言葉を始める。
 周りには同様に自由を奪われた男達で一杯である。
「まあ、少しは反省して貰いましょう。ここらは、元々魔物も出ない土地ですからね」
「こいつらが連れてきた獣は粗方倒したしな……あとは、街へ報告するだけか」
「ええ」
 そう、街へ帰って報告すれば、全ては表へ晒される。
 実行者を失った今、件の悪事を企んだ料理店は逃げ場を失ったに等しいだろう。
「ま、色々と疲れたが楽しいハイキングだったな!」
「虎王丸、これ、ハイキングじゃない」
「違うのか!?だって、弁当持って山に登ったじゃねぇか!?」
「ん?……うーん、確かにその言葉だけを読み取れば、そうかも知れないけど…」
「ま、無事で済んで何よりってことだろ?」
 凪と虎王丸の掛け合いに笑いながら、オーマが言った。
「うむ、その通りだ!」
 彼は熱心に、レオの身体をロープでぐるぐる巻きにしつつ目隠しを施している。
「……何やってるんですか?」
「いや、どうせ森を通るなら、この位してオーマに担いでいってもらおうと思ってな!」
「……迷案ですね」
「うむ、名案だ!」
 微妙にかみ合わない会話をしつつ、六人は下山の準備を始めた。
 ……急げば、今日中には街へ戻れるはずである。
 と――――――
「では、急ごう―――」
 何も見えない状態のレオが、そう出発を宣言した瞬間。
 空を、巨大な何かが覆った。
「……」
「どうした皆?何故進まないのだ?」
 その姿を見られないレオだけが、元気よく発言しているが―――
 他の皆は、大なり小なりの驚きと共に空を見ている。

『お前達の苦労を労っておこう、小さき者達よ』

 それは、漆黒の竜だった。
 巨大な威容は、絶対的な矜持と尊厳に守られて高貴な存在感を際立たせている。
 ――――金色でなければ威厳がないと言った街の人間は、一体どれほど無知であったのだろうか。

「お前さんが……ひょっとして、嘆かわしいと言い続けていた存在かい」
 それを見て、オーマが独り言のように呟いた。
 彼が訪れた教会に居た初老の司祭は………思い違いなどして居なかったのだ。
『うむ……』
「……そうかい」
 気高き竜、その肯定の気配を感じつつ、オーマが目を細めた。
 ――――この場において、彼と竜しか感じ得ない、奇妙な共感である。


『然り。俗世に興味は微塵も無いが、そろそろ邪魔だと感じてはいた―――』
「まあ、まがりなりにも信仰されている街で評判を落とされて、」
「……自分の住居で、好き放題されちゃ、ね」
『然り』
 虎王丸と凪の台詞に、竜は静かに頷く。


「これで、また静かに暮らせますか?」
『無論……煩わしき存在は消えたのだ』
「まったく、では、私達は体よく掃除に狩り出された気もするな……」
『故に、お前達に感謝を捧げるのだ………では、さらばだ。その心の在り様、変えずに生きて行け』
 澱み無く答える声が、遠ざかる。
 微笑みと共に向けられた馨の声も、半ば呆れたような清芳も受け入れて―――竜は、再び飛び立って行った。
「おお、本当に飛んでる。やっぱり竜のイメェジはこうでなくっちゃな」
「おい、竜!?本当に竜が居るのか!?」
「いや、もう飛んで行った」
「早いな、もう見えないですよ……」
「くっそおおおおおお、何故私だけ見られないのだ!?私も見たかったぞ!!」
「「自業自得、というやつだ(です)」」
 声が、重なる。

「ぬううううううう、認めないぞ!私だけ最後の最後で酷い扱いを受けているじゃないか―――!!」

 竜の飛ぶ空を(見えていないが)見て、叫ぶ男の声に皆で笑いながら。
 今度こそ一向は下山を始める。




 ――――気高き竜の棲まう土地にて起きた此度の事件は、こうして解決を見たのである。
                                     <END>
                                
                      





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1953/オーマ・シュヴァルツ/男性/39歳/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
【1070/虎王丸/男性/16歳/火炎剣士】
【2303/蒼柳・凪/男性/15歳/舞術師】
【3009/馨/男性/25歳(実年齢27歳)/地術師】
【3010/清芳/女性/20歳(実年齢21歳)/異界職】





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■         ライター通信          ■
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 オーマ様、こんにちは。
 ライターの緋翊です。この度は「気高き竜の棲む地へと」へのご参加、どうもありがとうございました!

 今回は戦闘だけではなく調査も大きなウェイトを占めており、どのようなプレイングが送られてくるか楽しみにしておりましたが……オーマさんのプレイングは様々な状況を想定して細かに書かれていて、今回も感心させられる出来でした。

 加えて、レオに渡す怪しげな眼鏡のアイデアは大変面白く、「これは出さなければ……!」と笑いながら登場させるシーンを考えていました(笑)また、飄々とした態度を忘れない中でも冷静に、一貫して不殺を貫く姿勢は賞賛に値するものだと感じ入りました……今回は、全体としては落ち着いた、かなりクレバーな役として立ち回って頂きましたが如何でしたでしょうか?


 ……今回はかなり長めの仕上がりとなってしまいました。
 一重に、短く良い描写が出来ない私の力量不足によるものです。長文が嫌いだという方は申し訳御座いません。御意見・御批判などございましたら、遠慮なく私までお手紙をお願い致します。


 さて、楽しんで読んで頂けたなら、これほど嬉しいことはありません。
 それでは、また縁があり、お会い出来ることを祈りつつ………
 改めて、今回はノヴェルへのご参加、どうもありがとうございました。


 緋翊