<東京怪談ノベル(シングル)>


迷宮遊戯

 久しぶりである、ワグネルが白山羊亭へやってきた。一週間、二週間振りだろうか。しばらく見ないうちにその浅黒い顔にはすり傷が三つも増えていた。いや、顔だけでなく肘のところにも指先にもかさぶたが、軽度の満身創痍といった感じだった。
 白山羊亭の看板娘は、ワグネルがいつも頼むワインをトレイに載せて様子を窺いに出る。
「どうしたですか、ワグネルさん。なにかあったのですか」
「言いたくない」
いきなりの会話拒否は、不機嫌の証。それでもルディア・カナーズはめげない。
「また任務失敗ですか。お客さんを怒らせたですか」
「・・・怒らせているのは、お前のほうだろう」
またとはなんだ、またとは。ワグネルはルディアを睨む目に力を込めた。ただでさえ無愛想なのが、さらに凄みを増した。思わずルディアはうさぎのように二歩後ろへ跳ねて、
「ご、ごめんなさいです。おわびに面白いところ、連れて行ってあげるですよ」
「いらん」
「じゃあお話聞かせてください」
「どういう理屈だ」
かまってくれないとワグネルさんがいたいけな看板娘をいじめたってお客さんみんなに言いふらすですよ、と泣きそうな顔でルディア。冗談でなく、彼女ならばやりかねない。ルディアといると、いつも折れるのはワグネルのほうだった。
「わかった。そこに座れ」
許しが出た途端に泣いたウサギが笑う。まあいいか、とワグネルもため息を吐いた。この間の奇妙な探索を、誰かに打ち明けたくもあったのだ。
 十日ほど前のこと、ワグネルが森を歩いていると大きな遺跡に出くわした。その前に街で聞いていた噂話を思い出した。
「そこには素晴らしい宝が眠っているそうだ」
これのことか、とワグネルは入り口を見上げた。宝が眠っていると聞いては、冒険者ならば挑戦せずにはいられない。

入り口には右の扉と左の扉があったのだが左の扉はどうやっても開かず、右からしか入れなかった。扉を押して中へ進むといきなり分かれ道があり、右の扉から入ったついでに右へ曲がってみた。頭上を渡る橋をくぐり、道なりに石造りの細い通路を進んでいく。
遺跡全体を覆うように生い茂る大木の枝葉が深い影をつくり、足元は薄暗い。ワグネルは注意しながら進んでいたつもりだったが、あるところでいきなり硬いものがふくらはぎへぶつかってきた。無理矢理にワグネルはよろめかされて、目の前の壁に額をぶつける。
「いってえ」
痛いのは足か、額か。下を見ると、丸い棒が風車のように機械仕掛けでぐるぐると回っていた。ゆっくりとしたスピードなのだが、いきなり後ろから来られると意表を疲れてしまう。
「しかも行き止まりかよ」
否応なくワグネルは、元来た道へ戻らされる。そして改めて左の道を選んだのだがその次の分かれ道で再び間違いの方向を選んでしまい、今度は池に突き落とされた。
 三度目の正直。次の道は外壁に沿って延々歩かされた後に階段から橋へ登った。最初の扉を入ってすぐのときに、頭上を走っていた長い橋だ。
「こりゃいいや。上からなら、迷宮の中がよく見える」
宝は一体どこにあるのだろうかと左右を見回しながら橋を渡っていくワグネル、と、突然その橋が真ん中から二つに割れて、ワグネルは地上へ落ちた。幸い落下地点には大きなマットレスが敷いてあり、怪我はしなかったのだが思い切り背中を打った拍子に覚えた地形のすべてを忘れてしまった。
「あーっ、畜生!」
腹が立ってワグネルは、突き当りの壁を思い切り蹴りつけた。折しも的の如く、四角に車輪の紋章が彫り込まれた石版がはめ込まれていたから、それをめがけたのである。
 石版を蹴ったら、どこかで歯車の回る音が聞こえた。
「?」
不安を感じたワグネルがその場に留まっていると、閉じられていた左側の石壁がゆっくりとスライドして通り抜けられるようになった。
なるほど、こういう仕掛けもあるのかと頷きながらワグネルは新しい道へ入っていく。その感心した油断をついて、上から吊るされた振り子が左からワグネルを襲った。顔をかばったワグネルの、左腕に丸い痣が浮かびあがった。
 すべてがこういった調子であった。遺跡は巨大な迷宮となっており、大抵の道には罠が仕掛けられている。どれも、命を奪うほどではないのだが蚊に刺されるようで苛々した。
おまけに今までうすうす感じていたことなのだが、ワグネルは徹底的にくじ運が悪かった。右か左か、二択でさえも違うほうを選んでしまう。裏をかいたつもりでわざと自分の意思に反するほうを選んでも、それがまた違っているという見放されかたであった。

「それでもなんとか最後の扉を見つけたんだ」
「どうなったですか?宝は見つかったですか?」
「・・・・・・」
扉を開けたワグネルは、どこかで見たことのある景色だと思った。大木の特徴ある瘤が、橋を落ちたときに失っていた記憶を蘇らせた。ワグネルは左を見た。思ったとおり、紋章の刻まれた扉が立っていた。
「要するに俺は、長い時間かけて迷宮の中をぐるぐる歩かされただけなんだよ」
一体どこに宝があったのかとワグネルはワイングラスを握りつぶす勢いで唸る。運の悪さで迷宮の中はほとんど歩き回ったはずなのに、なにも見つからなかった。
「結局見つけたのはこれだけだ」
ワグネルはルディアの目の前に一枚のカードをつきつける。迷宮の中でさんざん目にした、四角に車輪の紋章が赤く印刷されていた。
「・・・・・・」
おしゃべりなルディアが、カードを見てなぜか沈黙した。
「どうした?」
いつもと違う反応がひっかかり、視線を眇めた。ルディアの大きな目が右に、左に泳ぎ、口元がくすぐったそうにむずむずと震える。困ったように眉間へ皺が寄ったかと思うと、とうとう我慢できなくなったと告白が始まった。
「あの・・・ワグネルさん。さっき、ルディア、ワグネルさんを誘ったですよね。面白いところがあるのですって」
「そういや、言ったな」
「・・・先週、近くの森の遺跡が大迷路として一般公開されたのです」
「大迷路?」
申し訳なさそうに、ルディアの手が机の下でもぞもぞと動く。この時点で話の展開がうっすら見えてきていたのだが、ワグネルにはただ嫌な感じしかなかった。とことんまで、勘の悪い男なのである。
「大迷路・・・遺跡を発見した学者の先生がおっしゃったんだそうです」
こんな迷宮があるなんて、なんと素晴らしい宝が眠っていたのか。
「宝が眠る・・・」
学者の言葉が人づてに広がってゆくにつれ間違って伝わり、ワグネルの耳に聞こえた言葉へと変化してしまったのだろう。
「遺跡の中は、今では魔物も宝も一掃されて仕掛けだけが残っているのです」
迷宮の出口まで到達できた人にはこれがもらえるのですよ、とルディアがエプロンのポケットから取り出したのは、さっきワグネルが見せたのと同じカード。
「ワグネルさん、一般公開の直前に迷い込んだのですね」
「・・・・・・」
途中から、目の前のテーブルを叩き壊しひっくり返してやりたいくらいの衝動にかられていた。しかしいたいけなルディアが真正面に座っていたからなんとか、縁を握りつぶすだけに留まっていた。
 最初から大迷路とわかっていて入ったならば、まだ許せた。考えてみればどれも子供だましの罠ではなかっただろうか、多分危険なものは取り外されていたのだ。
「死ぬような仕掛けじゃなかったんだ」
耐えられないのは、そんな子供だましの仕掛けに本気で反応していた自分自身にである。その後ワグネルは、街中で大迷路の噂を聞くたびに無表情の顔を耳だけ赤くしたらしい。