<東京怪談ノベル(シングル)>


蒼き道化の狂詩曲
 無様に転がる衛兵たちの間を、一人の道化が優雅に歩いてゆく。
 彼の両手はぶらぶらと両側に垂れ提げられたまま──何事かの魔法を為す事も、勿論衛兵を薙ぎ倒す事もない。
 けれど衛兵たちは無様に転がり、彼は誰にも咎められる事なく王宮の長い廊下を渡っていた。
 その優美な蒼い影が通り過ぎるまで、無様な衛兵たちは、きっと起き上がる事は出来ない。
 通り過ぎる蒼い影の口許が、鋭利に笑みの形を為した。



 昼には及ばぬ朝の時間、白に溢れるのは謁見の間。
 重臣たちが何事か書き記した書類を恭しく王に捧げ、若しくは何かしらの使者が王へのご機嫌伺いを述べるだろう。
 尊大な威厳に満ち溢れ抱かれる、それは王者にのみ許された王座の上。
 聖都エルザードの全てを庇護し統治する王、聖獣の君。曰く、聖獣王。
 髪が白銀となりゆくも、彼の持つ力強さと聡明さは衰えの頭角すら見せない。
 それはこの朝に限って言っても同じ事で──だから重臣も使者も、警備の為に詰めている兵でさえも、この朝に何事かが起こる事なぞ考えもしなかった。
 事実“それ”は、全くの予測なしに訪れたのだ。

「──やあ、良い朝だネ」
 謁見の間へと続く重厚な扉が開く音と、その凛と通る声が響き渡ったのは、ほぼ同時の事だった。
 弾かれたように王の横に居並ぶ重臣たちが顔を上げ、王の前にて跪いていた何処ぞの使者も驚き振り返る。
 ただ動じなかったのは、聖獣王と呼ばれる男──ただ一人のみ。
 その様子を満足気に見遣り、闖入者は緩慢に頷いた。口許は鋭利に笑み、蒼を纏う男。
「あー……、と。衛兵さんタチを責めないでおくれヨ。あの子たちは何も出来なかったんじゃあ、ナイ」
 かつり、かつりと穏やかに蒼い男の靴音が響く。
 一瞬にして静まり返った謁見の間に響くのは、その靴音と、それから囀る鳥程度だ。
「───……ただ、転んだだけサ」
 鋭利に笑んだ口許が言葉を刻めば、その足取りを阻もうと、飛び出してきた近衛兵が彼を取り囲む。
 けれど臆した様子もなく──蒼い男は、ゆるりと足を止める。己を押し包む兵を見遣り、やれやれと小さく肩を竦めた。
 それはまるで、粗相をしでかした己の子供に対するような。
 視線をついと上方へと滑らせれば──ぶつかるのは、聖獣王の威厳満ちたその双眸。
「────その方」
 重々しく聖獣王が唇を動かせば、慌てたように重臣たちが頭を下げる。満足そうに蒼い影が目許を細めた。
 予定のないその不躾な“謁見もどき”は、明かな侵入。
 けれど聖獣王はそれを気にする素振りもなく、ただ蒼い男を見詰めていた。
 流れるような蒼い髪、ゆったりと纏う蒼い服、意志強く此方を見据えてくる蒼い瞳。
 覚えが一つ、王の心の中には沈んでいた。悠然と王は問い掛ける。
「出身は、アセシナート公国では?」
 問いを受けた蒼の男は、ゆるりとその双眸を伏せ──そして、哂った。
「……流石は王」
 その声は弾み楽しげで、下座に居るにも関わらず、彼は王と対峙し睨み上げるように王を見遣る。
 不躾としか言えぬ視線、声音、哂い。それでも大きく構える聖獣王の姿勢は変わらない。
 それが王の王たる所以なのだから。
「先ずは無礼な謁見に謝罪ヲ──…どうぞお許しを、偉大なル聖獣王!」
 まるで道化がするかのような、大仰で慇懃な礼を一つ。
 己を取り巻く近衛兵なぞ居るとも思わぬその態度に、なんたる無礼、と重臣たちがいきり立った。
 けれど蒼い男は気に留める事すらしない。
 彼の二つの青玉に宿るのは──玉座に君臨し続ける、聖獣王その人のみなのだから。
「いつの間に?──……ソレは今」
 歌うように蒼い男は言う。
 誰にも問われぬ、否問う事が出来ぬその質問を、自らに科して自らが応える。
「何処から?──……ソレハ貴方もあンた方も知る件の場所より……近くテ遠い所サ」
 道化じみた仕草の男は、それだけ語れば再び黙した。
 多くは語らない、そのどこまでも道化を引き被るような言動に──王は、緩く閉口した。
 にんまりと笑む表情は矢張り貼り付けたまま、蒼い男は緩やかに歩き出す。
 敷かれた柔らかな絨毯の上、全てを通り越して王の元へと。
「な──何をしておる!ひっ捕えよ!」
 王の元へと明確な足取りを刻み始めた男を見遣り、はっとした表情で重臣の一人がヒステリックに叫んだ。
 半ばぼんやりとその言動を眺めていた近衛兵たちは、その声に自我を取り戻して得物を構え直す。
 押し包むもそのままに、蒼い男を捕えようと動いた近衛兵は────けれどしかし、無様に、転んだ。
「は、……?」
 転んだ彼はどうして己が無様に腰を投げ出したのかが解らない。不可解だと言わんばかりの声音が漏れる。
 ならば俺だともう一人の近衛兵が飛び出してくるも、彼もまた同じく、転んだ。
 誰が捕えようとしても同じで──蒼い男に手を、指先一本でも掛けようとするものは、皆が綺麗に転び落ちた。
「トッドローリーは悪戯好き、トッドローリーは転ばせ上手」
 まるで謳うような口調で蒼い男が口ずさむ。謳う口調に併せるかのように、彼の肩口がちらちらと輝いた。
 そして仄かに漂うのは──紛れも無く、血の匂いだ。
 訳も解らず転び続けるその現象に、謁見の間は騒然となる。
 その間を縫って此方へと近付いてくる蒼い男、その輝き血を流す肩口を見遣って、聖獣王は僅かに目を見張った。
 そして確信した────“歪曲”である、と。
 己が身体に聖痕を刻み、血を流しながら奇跡を発現する聖女。“歪曲”の聖人。
「御機嫌よう、聖獣王」
 王の眼前まで進み出て、血を流すままに蒼い男──ルーン・ルンは緩く両腕を広げ、小さく一礼した。
 穏やかに笑む双眸と、そして鋭利に歪む口許。
 “対照的”な印象を持ち合わせる、今は亡き筈の聖人。
「問いに答えヨウ、王よ」
 まるで王の如き喋り方。聖獣王はただ沈黙する。

「タダの道化の男ですヨ──聖獣王」

 喜劇の如き謁見は、その言葉を以って終了する。
 優雅な身振りと哂う顔を引き連れて、ルーンは元来た道を辿りゆく。
 意味するものが何であったのか──それはきっと誰にも解らない。



- END -