<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


《あなたと生きたい》

 例えば、何気なく覗いたショウケースの中に、自分にしか判らない福音を見出した刹那――
 脳裏に閃く天啓にも似たインスピレーションの白い光に誰かの笑顔が浮かんでいたら、それはとても幸運なことだ。

 巡り合わせの妙とは非常に繊細、かつ、複雑に織り上げられた偶然の産物で。
 時と場所。どちらが欠けても、放たれる輝きは最上のモノとはなり得ない。――そして、このふたつが仲良く揃ってそれを必要とする求道者の許に舞い降りるなんて僥倖も、万にひとつの奇蹟よりも稀有なのだ。
 滅多に起こることではないからこそ。
 天の業なる奇蹟を前に、人は自ずと頭を垂れるのだろう。

 藤野羽月にとって、
 邂逅の奇蹟を語るとすれば、最愛の人として常に寄り添うリラ・サファトとの出会いを無くしては始まらない。
 生れ落ちた世界、時間軸さえ異なるふたりがソーンと呼ばれるこの世界で巡り合い、互いに惹かれ、想いを通わせた。故郷を離れることで失ったものも少なくはなかったが、それでも‥‥否、それ以上の福音を得たと断言できる。
 例えば、一生のうちに与えられる幸運に限りがあって、彼女との出会いにその全てを使い切ってしまったとしても−実際のところ、幸せは減るものではなくて、増えていくものだったのだけど−、立ち止まって迷うとは思わない。

 これまでも。
 そして、これからも――


■□



 一生のうちに出会う幸運には限りがあって、
 リラとの出会いに全てを使ってしまったのだとしたら……

 後悔はしないが、困ったなとは思うかもしれない。
 否、かもしれないではなくて。実のところ、羽月は少し途方に暮れていた。――焦っていたという方が、的を射ているかもしれない。
 それというのも、心に触れる出会いに恵まれないせいだ。

「羽月さん?」

 気遣いを乗せた優しい声に呼び戻されて無意識にめぐらせた青い眸に、羽月はリラの姿を映した。おっとりとどこか無垢な幼さを残した妻は、白昼の浅い夢から目覚めた夫にふうわりと微笑みかける。

「何かいい物がありましたか?」

 リラが紡いだ言葉には、聊かも疑念を含んではいなかったのだけれども。
 己が露店の店先に並べられた細工物を熱心に覗き込んでいたコトに気付いて……そして、その理由にも思い当たり、羽月は気恥ずかしさと予期せずかすめた秘密の翳に心を揺らした。
 疾しい秘め事ではないはずなのに。
 それでも。リラを相手に隠し事をするのは、羽月の性分には合わないらしい。――秘めるに足るモノ。それ以上にリラの笑顔と引き換えられる確信があればともかく。今、羽月の手に、切れるカードは1枚もなかった。
 眩しいほど屈託ない好意を手向けてくれるリラに笑みを返して、羽月は気付かれぬようごく小さな吐息を落とす。
 珍しく、焦っているのかもしれない。


■□


 9月の18日は、リラにとって特別な日だ。
 羽月にとってこの日が重要な意味を持つようになったのは、ごく最近――リラと出会ってからのことである。
 何の感慨もなく過ごした日が、今では何よりも大切な日になった。
 いつまでも記憶に残るよう大切に過ごしたいと思う幾つかの日の中で、迎えるに当たって最も気を遣い、そして、緊張する日……

 9月18日は、リラの誕生日。
 ――何モノにも変えがたい羽月の善き片翼がこの世に生を受けた日であった。――

 祝いたいと思うのは、当然で。
 喜ばせたい、喜んで欲しいと気負うのも自然なコトだ。――そして、羽月の手に因るものならば、リラはそれがどのような形であっても喜んでくれるであろうことも知っている。だからこそ、
 前回以上の笑顔が見たい。
 会心の手応えを得る贈り物を探すのは、回を重ねる度に難易度が高くなっていた。
 欲張りになっているのだと思う。リラではなくて、リラを想う羽月の心が。

(……全くないコトもないのだが…)

 ちらり、と。
 先ほどまで覗き込んでいた露店商の店先に視線を落として、羽月は胸の裡に仮初めの未来を描く。
 優しい乳白色の輝きを湛えたムーンストーンは、リラのお気に入りのアクセサリーにもあしらわれていた。――ふたりの共通の友人(羽月には悪友だけど)がリラに贈ったもので、彼にしては珍しく気の効いたモノである。
 それと対になる指輪を誂えて贈るのも、良いかもしれない。なかなかの名案だと思う反面、どこか承服しかねている心もあって。
 まず、(悪友からの)プレゼント在りき。と、いうのは如何なものか。――これでは、まるで羽月の贈り物が付け足しのようだ。
 思わず憮然と泳いだ視線が、山野草の鉢植えを手に振り返ったリラの眸とぶつかる。
 羽月のソレとは少し色味の異なる青い瞳はいつもと同じ微笑を浮かべていたが、羽月の心がここにないコトをちゃんと知っていた。
 
「……すみません…」

 悄然と眼を伏せた羽月に、リラは微笑む。
 羽月が何か思い悩んでいる様子なのは知っていた。――羽月がリラを見ているように、リラも羽月を見ているのだから。
 知ってはいたが、気付かないフリをしている。
 羽月がリラに打ち明けてくれないことなら、それは、リラが知らなくても良いことだ。特に不満や不安を抱くことはなかったが、こうして気を遣ってくれる羽月を見るのは少し辛い。

「今日はあまり良いものは出てないみたいですね」

 努めて明るく微笑んで、リラは大仰な仕草で周囲を見回して話題を変える。
 掘り出し物を探して歩いて見たけれど。――残念でしたね、なんて。屈託ない笑顔を見せれば、羽月も小さな笑顔を返してくれる。

「折角ですから、ちょっと寄り道して帰りませんか?」
「寄り道、ですか?」
「はい。町の外れの道を通って帰るんです」

 整然と建物の並ぶ目抜き通りではなくて。一歩、道から踏み出せば、街を囲む自然の中に入り込んでしまう細い道は、ふたりのお気に入りの散歩道だった。
 花の盛りは過ぎてしまっているけれど。秋の草原に吹きぬける風の足跡を探すのも、ふたりでならきっと楽しい。
 リラの提案に、羽月も頷いて先日の記憶をたぐる。

「そういえば、この間。注文先のお宅から帰ってきた時……」

 帰りを急ぐ羽月の目に、偶然、飛び込んできた光景。
 開けた視界いっぱいに揺れる銀色の穂は、ゆっくりと沈みゆく空の茜をそのまま映して鮮やかに彩をなし――

(リラさんにも、見せてあげたい)

 あの日、あの時、
 羽月は確かにそう思ったのだった。


■□


「羽月さん」

 耳から、思考へ。
 ゆっくりと伝えられた呼び声に、羽月は針を動かす手を止めて顔を上げる。
 仕事場の入り口で、エプロン姿のリラが覗き込んでいた。

「ちょっと休憩されませんか?」

 気がつけば、お菓子の焼ける香ばしく甘い香りが羽月の工房にも満ちていた。途端、空腹を覚えるのだから、現金なものだと思う。
 すぐ行きます。などと応えつつ、羽月は製作中の浴衣をさりげなくリラの目から遠ざけた。――今仕立てているのは、新しく手掛けた傀儡に着せる衣装ではなく、リラの浴衣だ。
 根を詰めているのは、もちろんリラの誕生日に間に合わせるため。
 難産の末に思いついた計画は、口火を切った途端に次から次へと暇なく思いつくディテイールに膨れあがって、別の意味で羽月を追い詰める。

 最初に思いついたのは、浴衣。
 リラの雰囲気を損うことなく、尚且つ、場所と時刻に相応しい。そして、胸に思い描いたイメージに合うような柄の反物を探すのに、1日かけて王都中の店を探し回った。濃紺の地に白く臈纈で秋の草花が染め抜かれている。
 誕生日といえば、バースデー・ケーキだが。
 イマイチ趣向にそぐわない気がしたので、ホールケーキは止めにした。――何しろ手間と暇が掛かる上に難易度も高い。
 と、はいうモノの。月見団子とお萩だけではさすがに寂しい気もしたので、比較的、簡単に作れるカップケーキを作るコトにする。これだって、リラの手を借りずに羽月が自分で作るのだから侮れない。
 イ草を編んだ茣蓙を手に入れるのが意外に難しく、考えた末に草色の布を細く裂いたものを職人通りの織物工に頼みこんで敷物に編んでもらった。
 その他、諸々。
 これだけのプランを全部ひとり‥‥リラに知られずにやりとげるのは、さすがに無謀というもので。

 どちらかというと、のんびりと。
 ふたりで寄り添うように暮らしてきたのだ。――羽月ひとりが突然、馬車馬並みにきりり働き出して、リラが気づかないはずがない。
 羽月の真摯な勢いに、口を出せずにいるだけで。

「あまり根を詰めないでくださいね」

 ティータイムと増えた飼い猫たちの世話を口実に、息抜きを勧めてはみるのだけれど。聞こえているのか、いないのか。焼きたてのビスケット3枚をハーブティーで流しこみ、そそくさと工房に戻っていく長身の後姿を見送って、リラは小さな吐息をひとつ。
 
 
■□
 
 
 月に照らされた夜の下、
 地平の果てから駆け足で吹き寄せる秋の風に穂をつけたススキが揺れる。
 さらさらと重なり合った葉ずれの旋律が漣のように広がって、ススキ野原は月光色に輝く海原へと姿を変えた。

「……うわぁ…」

 感嘆の声を上げたリラが纏うのは、夜と同じ濃紺の浴衣。
 地に染め抜かれた秋の草花が膨らんだ月に皓くほのかな光を湛えたススキ野原に淡く溶け、一巾の絵に迷い込んだかのような幻想を生む。
 想い描いたとおりの……否、それ以上に違和感なくススキ野原の一部となったリラの笑顔を眺めて、羽月もまた破顔した。
 揺れるススキに戯れる仔猫を抱き上げて笑うリラを見ているだけで、ここへ至るまの道程までが幸せな極上の思い出となる。疲れてはいたけれど、それ以上の達成感と喜びが身体の隅々へと満ちていくのを感じた。

 広げた茣蓙の上に仲良く腰を下ろして、バスケットの中身を空ける。
 世界を満たす月の光に呑まれてしまったかのように駆け回る猫たちも、もう少しすれば落ち着きを取り戻すだろう。
 ふと、思い出し。羽月は浴衣の袂へと手をいれた。掌で包み込むようにして、小さな包みを取り出す。

「リラさん」

 危なっかしい子供もたちを見守るように、ススキの中で戯れる仔猫たちに優しい視線を向けていたリラは、低く穏やかなその声に顔をあげた。

「誕生日、おめでとう」

 ゆっくりとまた新しい花が綻ぶ。
 決して、忘れていたわけではなくて。ひとりで頑張る羽月の姿に、もしかして…という予感もあった。
 それでも、羽月が紡いだ言葉はリラが想い描いていたどの言葉よりも深く心に落ち着き、暖かな血を通わせる。月の光が不意に明るさを増し、目に映る全てが輝きはじめたようにさえ想われて。

「……あ、ありがとう…」

 リラの身体を流れる白い血は、高揚し心躍らせているその時でさえ、リラを染めることはない。俯き加減に視線を落としたリラの頬は、先刻と変ることなく冷たく白いままだ。
 その冷たい左手を引き寄せて、羽月はそっと両の手で包む。赤い血の通う羽月の手は、しみるように温かかった。

「今年も祝えてよかった」
「……うん…」

 静かにお互いの熱を分け合った後、羽月は神妙な手付きでリラの薬指に銀色に輝くリングをはめる。――とめどなく溢れ落ちる月光にムーンストーンが乳白色の光を湛え、リラの指に小さな月を宿した。

 どこか暖かな光を宿した貴石を見つめて、ふたりで誓う。

 来年も、
 再来年も、
 その次も、また……永遠に……
 
 ――ふたりが同じ刻を生きられるように――
 
 
=おわり=