<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


■□■□■子喰らい龍■□■□■


「大人しい龍だったんだよ、本当に」

 はぁあッと巨大な溜息を吐く老人の差し向かいに座り、エスメラルダはうんざりとした溜息を吐いた。
 歓楽街に慣れている気配の全く無い、初老の男である。皺の深い顔に陰鬱そうな影を落とし、ちびちびとグラスを傾けている様子は、辛気臭いとしか言いようがない。ぐちぐち、ぶちぶちと紡がれる言葉も、先ほどから同じ事の繰り返しばかりである。

 曰く、村の近くに住んでいた龍の様子がおかしい、とのこと。

「年を取っていたからねぇ、大人しくて、子供達が乗っかったりしても黙って遊ばれていたもんだよ。たまに食糧を持って行ってやると、ちょこんと頭を下げてねぇ。こっちの言葉が判るみたいにしていたもんさ。龍の子供達だって、ペットや友達のようにわしらに懐いていたんだけれどねぇ」
「はぁ……」
「どうしたわけか、先月から。生まれた自分の子供を食っちまうようになって……」
「…………」
「どうしたってのかねぇ……ずっとずっと馴染んでただけに、村中ほとほと困り果ててしまってねぇ。子龍達も哀れだし、そんなことをする理由も判らなくて不安だし。いつわしらを襲ってくるかも判らんのでは、遊びに行ったり食糧を持って行ったりするのも躊躇われて……」

 老人はグラスを傾ける。
 氷が解けてすっかり薄くなったブランデーが、口元から小さく垂れた。
 それを拭って、彼はまた深く息を吐く。

「……その龍って、どのくらいの大きさなのかしら?」
「そうさな、この店二つ分ぐらいの、結構な体格かのう」
「なるほど、確かに暴れたらを考えると憂鬱な話ね――さて、誰か、引き受けてくれないかしら?」

■□■□■

「絶対絶対病気かなんかだと思うんだけどね」

 むう。
 村の入り口で開かれた朝市、人いきれに疲れて息を吐いたレナ・スウォンプの言葉に、買い込んだ大量の食料の番をしていたシルフェはのんびりと視線を向けた。
 龍の話を聞いて王都から少し離れたこの村に着いたのは、昨夜遅くのことだった。黒山羊亭で呑んだくれていた老人――もとい村長の家で休み、開かれるという朝市につれられたのが一時間前。まだ弱い日の光が早朝を示しているのに、眠気がまた口元から零れ出て来る。のんびりと欠伸を噛み、レナは言葉を続けた。

「だって龍っておっきいじゃない? それに比例して脳みそも大きいはずだもん。動物だとか聖獣だとかモンスターだとか、そっち側にはあんま詳しくないけどさー……おっきい脳みそなら、それに見合うだけ頭が良くなきゃ困るもの」
「それはそうですけれど、火蜥蜴などは体格や頭部の大きさと知能が比例していない、と聞きますわ。どちらにしても今までと行動の様子が変わってしまったのでしたら、身体のご病気か、何か思いつめてしまわれたのでしょうねぇ……突然人が変わってしまうなんて。あら、龍が変わってしまったのかしら」
「あはは、人格じゃなくて龍格? なんのこっちゃ、って感じだわね」

 笑ってみせるレナにくすくすと頷いて、シルフェは人ごみを眺める。競りのような大声の響く中、また大量の食料を抱えたケヴィン・フォレストが、ゆったりとした足取りでこちらに向かってくるのが見えた。眠いのか常なのか判らないぼんやりとした無表情なのに、抱えている紙袋からペロペロキャンディーが見えているのがなんだか可愛らしい。
 ゆらりと二人の前に立って、彼は無言のまま二人にサンドイッチを渡す。出来立てらしいそれは朝らしく肉よりは野菜が多めで、しかしベーコンからは湯気が立っていた。どうやら、龍への差し入れついでにこちらの朝食も買ってきてくれたらしい。見れば本人の口元にはすでにマヨネーズらしいものが付いていた――もしかしたら、単純に自分が食べたかったのかもしれない。こっそり一人で済ませないところが、彼らしい。

「ありがと、気が利くのねっ。しっかし一食抜くだけでも結構堪えるんだから」
「そうですわね、村の人達が食料の調達を見合わせて一ヶ月近くらしいですし……きっとお腹が減っていらっしゃるでしょうね。早く届けて差し上げませんと、またもぐもぐ子供を」
「そんなグロテスクな場面にはお目に掛かりたくないかも。いや、それよりシルフェ、あんたさっきからレタスがぽろぽろしてるわよ」
「あらあらあら、うふふふ」
「もしかしてまだ寝ぼけてる? っとケヴィン、あんたもナチュラルに目を閉じないの!」

 ぺちんッとレナに叩かれるケヴィンに、シルフェはのんびりと笑みを零す。

「食べたら早く向かいましょうか、龍さんも寝ぼけていらっしゃるかもしれませんし――逃げるときは、その方が有利ですから」

■□■□■

 市には近隣の村々から人々がやってくる。それでも、王都に集中している異界の人間――その証明である聖獣装具を持っているのは、ケヴィン一人だったらしい。荷物持ちをすっかり任されながら森の道を歩き、彼は思う。
 お陰でこちらから説明をしなくても、村人達は色々な話をしてくれた。村長が呼んだ王都の人間、龍の調査に来てくれたのならと、半ば囲まれるようにされながら。

 人々の話によれば一ヶ月前、いつものように村の代表として食料を届けに行った村長の長男が龍の巣のある森の奥に入ると、空ろな目をした親龍が子供を頭から飲み込んでいたらしい。
 龍が子供を生むのは十年に一度程度のことだが、今までに同様のことがあった記録は皆無だという。涙ながらに訴えてきた長老の老婆は、穏やかだった龍の変貌にいたく動揺している様子だった。彼女も子供の頃は背を滑って遊びながら育ったのだという。村にはそれほど馴染んだ存在、だったと。

「確かに、ずっと気心知れてると思っていた方の意外な一面を知ってしまったら、みなさん動揺してしまうのでしょうねぇ……」
「だからってずーっと放置はないでしょ。一ヶ月あったら大陸中に広告出して、龍専用の医者とか、そういうの探せるはずだもん。それで病気でなかったら何かに操られてる、とか考えにいたるってもんなのに」

 ケヴィンの後ろを行きながら二人は言葉を交わす。

「一応人間用より強力に作った解毒薬と、精神安定剤になるような薬は調合してきたけど――毒薬で錯乱してるとかだったら、まず成分を知らなきゃなのよね。素直にサンプル取らせてくれない時は、つよーい男の子にすべてを任せるから、頼むわよ」
「…………」
「そうですわね。私も戦闘向きではありませんもの……うふふ、でも、お話の通じる方であることを願いますわ。あまり荒事になると、村にも被害が出てしまいますし」

 くすくすと口元に手を当てながら、シルフェは頷く。
 しかし、一ヶ月の間があったにも関わらずこれと言って近隣に被害の出る動きが見えないのだから、十中八九は本人の問題なのだろう。
 人間にもたまにいるものだ、意固地になっていたり周囲の協力を求めるのが不得手だったり、そんな理由で思い詰めてしまう性格は。村の長老よりも長く生きているらしいし、龍の寿命などは判らないが、もしかしたら老齢で悲観的になっているのかもしれない。食料と言う好意に対して、応えられていないとか――。
 しかし、村人は誰一人として龍に敵意を持っていない様子だった。ただ困惑している。実質的な被害が自分達に及んでいない所為かもしれないが、そこにはやはり、信頼関係があったのだろう。子供達と遊んだり、守り神然としている。そういう形の無いことで、親交し合っていたのだろうに。
 はた、と彼女は気付く。

「そう言えば龍様、言葉は通じるのでしょうか……なんだか静かに見守っているとのお話ばかりで、皆様そこには触れませんでしたわね」
「ああ、そっか。流石に動物の声帯じゃ発音はちょっと無理なんじゃないかな、そうするとわりと調査って難しいのかしら。目に見える異変なら良いんだけど、それ以外だとちょっと」
「ボディランゲージなら通じるかもしれませんけれど、長く生きてきた龍様らしいですし。でも、ボディランゲージってどこの言葉なんでしょう。地方によって訛りや齟齬があったら大変ですわ、うっかり『ハゲですね』なんて意味に取られたりしたら」
「いや龍にハゲ攻撃は効かないでしょ!」

 びしぃ!っとレナが突っ込むのと同時に、前を歩いていたケヴィンの足が止まる。あら、とシルフェもそれにならい、レナは止まりきれずにケヴィンの背中に鼻をぶつけた。

「いった、なに勝手に止まってんのっ!」
「あらあらあら。レナ様、あれを」

 すい、とシルフェの白く細い指が上げられる。
 前方に小高い山が見えた。
 木ではなく、鱗のびっしり生えた――龍の山だった。

■□■□■

 背の高い木に隠されるように蹲って、それはいた。
 大きさは確かに黒山羊亭が二つ分程度――だが、それは首を計算に入れての事ではなかったらしい。長い首がうねって小山になり、巨大な頭部が地面に横たえられている。傍らには巨大な卵の殻が、変色して落ちていた。人間程度なら入ってしまいそうなそれから生まれた子供を食ってしまったのだとしたら、こちらなどひとたまりも無い。
 目は薄っすらと開いているようだったが、それは空ろだった。眠っているようにも見える。レナはそーっと長く伸びた髭を撫でるが、やはり反応は無かった。

「まだ眠っていらっしゃるのでしょうか……」

 シルフェの言葉に、無言のままケヴィンは背負っていた大量の荷物を下ろす。リュックを開ければ零れださんばかりの食料が顔を出した。指を舐めて風上を確かめ、彼は上着を脱ぐ。
 ぱたぱたぱたぱた。

「…………」

 ニオイで釣っているようだ。

「眠ってるなら調べるのは今のうちよね、シルフェもケヴィンも手伝って! 口開けさせて、唾液から薬物の反応見てみたいからさ」
「あらあら、そこからお子様達が食べられましたのに」
「怖いこと言って脅かさないで、早く早く! 起きたらあたし達だってあんぐりぱっくんされちゃうかもなんだからさ」

 よいしょっと試験管を出して、レナは閉じられた龍の口をぐいぐい引っ張る。むしろその刺激で起こしてしまいそうな気がしないでもないが、二人は言われるままに手伝ってやった。巨大な顔だから、上顎を持ち上げるだけでも大分力がいる。たるんだ皮が伸びて鋭い牙を覆う歯茎が覗いた瞬間、あら、とシルフェは手を離した。
 皮が戻って、二人がしりもちを付いた。

「ふわわ! ちょ、何すんのもうっ! まだ寝ぼけてるんだったら口の中にそこのリンゴ詰めちゃうわよ!」
「あらあらすみません、でも、少し気になるところがございましたので……お二人でもう一度、上げてみてくださいませんでしょうか」

 シルフェの言葉に立ち上がり、ケヴィンは腰を落としてグッと上顎を持ち上げる。むううっとしたレナも一瞬後で肩を竦め、それに加わった。ぎゅぅっと持ち上げられた皮、晒された歯茎に、シルフェは触れる。

「乾いていますわね。水の気配、血や体液の流れが感じられません――停滞、と言うよりは、完全に停止しています」
「おもッ、つ、つまりそれってどういうッ!?」
「つまり」

 ぽつりとケヴィンは、虚ろに濁った龍の目を見上げて呟く。

「もう死んでる、ってことか」

 その言葉を待っていたかのようにかぱりと龍の口が開いて、レナは再びしりもちをついた。
 開けられた口の中には成人男性ほどもある、しかし幼体の龍が何匹か詰まっている。いっせいに飛び出したそれらは、我慢できなくなったのか、ケヴィンが置いていた食料にがっつくように群がった。どうやらよっぽど腹をすかしているらしく、こちらのことなど見えない様子でいる。ぱたぱたと尻尾を揺らせるそれらに呆れ、ふああっとレナは龍を見上げた。

「死んで、子供たちの巣になってたのね――」
「口の中に戻っていく子龍たちを見て、食べられてると誤解されてしまったのでしょうね。卵の様子からして、もしかしたら孵るのを待たずに亡くなってしまったのかも知れませんわ」
「それでも面倒見てたのか、なんって言うか」

 シルフェは苦笑して、龍の髭を撫でる。

「そうとう意固地な方、だったのでしょうね。寿命も知らせないぐらい」
「でも一人じゃない」

 ケヴィンは呟く。

「子供に看取られたなら、本望だろう」

■□■□■

「あたしはちょっとここに残って、龍の死因調べてみるわ。病気じゃなかったとも限らないし、だったら、子供達のためにもワクチンは作ってあげとかなきゃだしね。二人はどうする?」

 子龍たちの体調と無事を確認して、レナは二人を見る。シルフェは口元に小さく手を当てて、そうですわね、と声を漏らした。

「私は村へ戻って説明と……子龍達の世話をしてくださる方を、手配させて頂きますわ。監督して下さる方ぐらいいないと、まだ子供ですから事故も心配ですし。そうしたら、この子達は自然に村に頼って生きていくことが、出来るでしょうから」
「意固地なお母さんとは違って、ね。あはは、ケヴィンは?」

 きゅるるるる。
 鳴ったのは腹の虫。

「……子龍達のがっつきっぷりに触発でもされた?」
「…………(こっくんと頷いてみる)」
「うふふふ、まだお昼前ですのにね。レナさんにも後で、昼食の差し入れをさせて頂きますわ。この子たちにも、もちろんですけれど」

 シルフェに頭を撫でられた子龍は、嬉しそうに小さく鳴き声を上げた。



■□■□■ 参加PC一覧 ■□■□■

2994 / シルフェ        /  十七歳 / 女性 / 水操師
3428 / レナ・スウォンプ   /  二十歳 / 女性 / 異界職
3425 / ケヴィン・フォレスト / 二十三歳 / 男性 / 賞金稼ぎ

<受付順>


■□■□■ ライター戯言 ■□■□■

 はじめましてこんにちは、ライターの哉色と申します。このたびはご依頼くださりありがとうございました、早速納品させて頂きます。
 比較的まったりとした話で、ともすれば淡々としてしまった感もあるのですが、如何でしたでしょうか。少しでもお楽しみ頂けていれば幸いです。それでは、失礼をば。