<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


母の告白、娘の決意

 小さい頃、ジュディ・マクドガルは物を壊すというより、よく失くしていた。ままごとに使うと言ってはティーセットを運び出し、冒険するのだと父のリュックを勝手に背負って、宝探しの時には銀細工のブローチを握りしめて出かけ、帰ってくるときには必ず手ぶらだった。
 その中の、ティーセットくらいは壊していたかもしれないが、とにかくジュディは毎日いろんなものを失くしてきて、母のクレア・マクドガルにお尻をぶたれていた。
 マクドガル家では悪さが見つかれば即罰を与えるのが原則であったが、例外もあった。それは十時と三時のお茶の時間、これだけは先祖代々何者にも邪魔することを許されない神聖な儀式であった。
 キュロットと下着を引っ張り下ろされ、マシュマロのようなお尻を露わにし、そこへ真っ赤な手形が打ち下ろされようとする瞬間聞こえてくるレコードの柔らかな音色。あれを耳にしたジュディの顔といったら、それこそしおれかけたつぼみが花開くようであった。罰を受けるのは今も後も変わらないのに、はしゃいで母の膝から飛び降りると、予備に来た女中の横を跳ねるようにすり抜けていったものである。
 お茶の時間を報せるのには、昔から同じ音楽が使われていた。遠い西の国で作られた名曲と言われている。今は蓄音機とレコードが使われているのだが、昔には広間の一角に小楽団を配置して毎日本物の絃四重奏を奏でさせていたらしい、優雅な話だ。
 弦と弓の紡ぎ出す音の波は、聞きなれない者には眠気に誘われるものだが、ジュディは滑らかで優雅なこの旋律を聞いているとお菓子の匂いを感じるらしい。生まれたときからずっと、おやつを食べるときにはこの曲と決まっていたから、ジュディの耳と音の隙間に甘い匂いが染み込んでいるのだ。
 一方、母のクレアがその曲から感じ取るのは弾むような、踊るような娘の声だ。曲自体は非常に滑らかでダンスには不向きなテンポだが、聞きながら目を閉じると今日はあれをしたこれをしたとお菓子をかじりながら喋るジュディの顔が浮かんでくる。
「あの子ならきっと、この上でだって踊る」
三時少し前に広間へ入ったクレアは、蓄音機にそっと針を落とした。クレアドル家の人間を招き寄せる合図の音楽が、ゆっくりと歌い始める。

 今日のお茶請けはベリーのたっぷり入ったスコーンだった。焼きたてのところにたっぷりバターをのせて食べるとたまらない。まだ酒の飲めないジュディだったが、スコーンを食べているときは酔っ払ったように幸せな気持ちになる。
「お行儀が悪いわよ、ジュディ」
三度、クレアがたしなめてもジュディは止まらなかった。スコーンを片手に広間の中を歩き回りながら手振り身振りを交えて喋りまくる。気持ちが昂ぶってくるとただ歩くのでは足りず飛び跳ねたり、くるくると回ったりしてはしゃぐのだ。
「ジュディ」
クレアの四度目が飛んだ。けれども、遅かった。紅茶に手を伸ばそうとよそ見をしたジュディの足が蓄音機を蹴飛ばし、針が大きくずれて音が飛んだ。聞きなれていたはずの美しいメロディが突然乱され、クレアは胸に針を刺されたような心地がした。それほど痛くはないのだが、気持ちが悪い。
「あ、ごめんなさい」
蹴飛ばした本人はさほど悪びれた様子も見せず、針を持ち上げて元の位置に戻そうとした。けれどジュディは蓄音機というものを使い慣れておらず、何気ない態度でやったつもりでも心のどこかに変な力が入っていたらしい。釘で引っかくようなギギ、という不快音。
「・・・・・・」
「ジュディ」
母の呼び声に、娘は俯いたままだった。視界には大きな傷の入ったレコードがいっぱいに広がっていた。
「お尻を出しなさい」
母の声は命令に変わっていた。
 テーブルの皿にスコーンを置いたジュディは、しおらしく自らお尻を出した。数ヶ月前の反抗振りに比べれば、大した進歩である。椅子に座ったクレアが膝の上を叩くと、そこにお尻を乗せる。だがそれでも、羞恥心はあるらしく唇をぐっと噛みしめている。
 ジュディの赤くなった頬を目にしたクレアは、少しだけ加減をしてやろうかと迷った。が、それではいけないと心を鬼にして容赦なく平手打ちを五十与えた。続けざまに打たれた手と尻とは、どちらが痛いのかわからなくなるほどだった。
「反省しましたか」
腫れた手を隠すように握って、クレアはジュディの返事を待った。けれど、ジュディは口を結んだままで意固地になっていた。もしくは、なにか声を出せば途端に涙が溢れそうなのかもしれなかった。
 ともかくなにも言わない娘に、クレアは罰を重ねた。お茶の時間の今から夕食ができるまでの約三時間、お尻を出したままずっと壁に向かって立っているように命じたのだった。
「・・・ただし、人が来れば終わりにして構いません」
それでも、どうしても最後のところで心弱い母なのであった。

 母に叩かれたお尻は、お風呂の時間になってもまだ熱と痛みが残っていた。まともに湯船へ浸かれないジュディはお風呂の縁へ顎と手をのせて、ばた足で湯をかきながらお尻を水面からぽっかりと浮かべていた。時折、天井からぽたりと落ちる水滴がお尻に命中して、それだけでも痛くて水しぶきを上げてしまう。
 風呂場は全てが大理石で造られており、浴槽も床も、柱から天井まで全て乳白色に雲がかかったような模様で、柱の根元にある模様は昨日森で見かけた狐の子に似ていた。
それは見上げていた空に浮かぶ雲がふと甘いパンに見えた瞬間のようなもので、自然には思わぬ連想が隠れているものである。ジュディは自分の左手の辺りを見た。そこにあるのは大好きな、しかし少し憎らしい人の顔。
「お母さま」
大理石の模様の母は、眉間に皺を寄せてしかめ面をしている。ジュディは濡れた指先を使って、微笑んだ唇を描いてみた。なんだか妙な顔になってしまって、母が別人のように見えた。本物の顔が想像できなかった。
 もう一度ジュディがお母さま、と呟こうとしたとき。
「なにをしているの?」
湯煙の中から母の声と、そして白い裸体が現われた。思わぬ出現にジュディは口をぽかんと開けて、瞬きを繰り返した。
 屋敷の広いマクドガル家では当然ながら湯殿も広い。浴槽は数人で浸かっても足が伸ばせるほどで、一人なら泳げるくらいだ。けれど誰かと一緒に入るという習慣はなかったので、今クレアが目の前にいることが、ジュディには信じられないのだった。
「どうしたの、お母さま」
「どうもしませんよ」
微笑んだ、本物のクレアの顔は普段に増して美しかった。白い冷たそうな頬が、ほんのり赤く染まっているせいだろうか。
 慣れない場所で二人きり、という状態にどうしていいのかわからずジュディはゆるやかなばた足を続けていた。母は肩まで湯に浸かっていたが、熱いのが苦手なようで時々冷たくしぼったタオルで首や胸の辺りを抑えるように冷やしていた。
「お母さま」
ようやく、ジュディが声を出した。なあに、とクレアはジュディを見た。大きな目で、ジュディは一言だけ訊ねた。
「あたしくらいのとき、どんな子供だったの?」
質問にまず、クレアは唇に弓を描いて答えた。
「あなたによく似ていましたよ」
嘘だ、とジュディは思った。母は自分に少しも似ていない。自分よりもずっと上品で、冷静で、とても綺麗だ。母が失敗をしてお尻を叩かれているところなど、想像もできなかった。
 クレアはそれ以上なにも言わず、のぼせてしまうと早々に湯船から立ち上がった。ジュディよりよっぽど熱さに弱い、これも母子ながら違っている。どうしてこんなにも似ていないんだろう、と母の後姿を横目で見送っていたジュディだったが、はっと息を飲んだ。
「・・・・・・」
訊ねたかったが、声には出せなかった。

 母の豊かな尻に点々と、傷跡が残っていた。それは、恐らく、罰だった。かさぶたが何度も重なっては剥がれ爛れたお灸の跡。母がなにをしたのかはわからなかったが、その罰はジュディの受けた何倍もの苦しみだったに違いない。
「だってお母さま、あんなに熱いのが苦手」
湯船にだって、ちっとも長く浸かっていられないのだ。
「あたし、なにを甘えてたんだろう」
母は声には出さなかったが、体で語っていた。与える罰はもっと辛いものがいくらだってあるのに、自身の体でその苦しみを知っているのに、それをジュディに課そうとはしなかった。それこそが母の優しさ。
 翌朝、目を覚ましたクレアは普段通りにモーニングティーを一杯味わうため、部屋に女中を呼んだ。
「・・・どうしたの?」
そして入ってきた女中を一目見るなり、問わずにはいられなかった。ジュディではないが、カップでも割ったのだろうか。目を逸らす女中に少しきつい口調で言いなさいと詰め寄ると恐る恐るといった感じで口を開いた。
「その、ジュディさまが広間で・・・」
ジュディという言葉を聞いただけで母親特有の胸騒ぎを覚え、最後まで聞かずに部屋を飛び出し急ぎ足で広間に向かった。こういうときでも決して走らないのがクレアだった。
 三階の自室から一階の広間まで階段を下り、庭の見える大きな窓のついた廊下を通り、二つ目の角を左に曲がってすぐの扉を開けようとする。しかし、急ぎ足のまま扉を押すことはできなかった。扉の前に、朝食をそれぞれに運んできた女中たちが集まっており、立ち止まらざるを得なかったのだ。
「どきなさい」
クレアが一声かけると、波を割るように女中たちが左右へ分かれる。真ん中をつっきってクレアは広間へ入った。するとそこには昨日と同じ格好で、つまり赤いお尻を出して、ジュディが壁のほうを向いて立っていた。
「なにをしているのです」
驚きしか出なかった。クレアの目はそれこそ、今までジュディが見たこともないくらいに丸く見開かれていたことだろう。
 母がやめさせようとするのを聞き流し、ジュディは一人で喋った。
「お母さま、あたしね、きっと、これからも失敗をするわ」
失敗しないと約束できないのが辛かった。だから今はこれしか言えない。
「あたし、悪いことをするの。だから今から謝りつづけるわ」
反省はするのだ。心から悪いと思うのだ。それを、今母にわかってもらいたかった。失敗をしていない今だからこそ、嘘じゃないんだと訴えたかったのだ。
 クレアは娘の幼い横顔に凛とした決意を見た。無意識に自分のお尻を抑え、もう片方の手で娘の肩を抱いた。ジュディの細いうなじに母の涙が落ちた。
これからきっとクレアは、朝の陽射しを浴びるたびにジュディの決意を思うのだろう。