<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


いたずらの牙



 白山羊亭の入口にはジャック・オー・ランタン。
 カウンターにもジャック・オー・ランタン。
 そして期間限定メニューはパンプキンづくし。
 ソーンにもハロウィンが訪れようとしている。

 心なしか空気には、カボチャの独特の甘味と香りが溶けているようだった。何を食べても飲んでも、カボチャの味がついてしまっているようでもある。藤野羽月とリラ・サファトのふたりは、そんなカボチャの中で昼食をとっていた。
「……もう、1年経ったんですね」
 カウンターのランタンを見つめながら、リラは笑みと一緒に大人びた言葉をこぼした。いや、彼女の場合、その台詞は年相応と言うべきなのか。彼女は、あくまで見た目が若いのだ。
 むしろその台詞は自分がこぼすにふさわしい、と羽月は苦笑いした。
「今年もいい夜にしよう」
「はい。今年もいっぱいクッキー焼かなくっちゃ」
「あ、お客様。ハロウィンのご相談ですか?」
 山ほどジョッキを抱えたルディアが、ふたりのテーブルのそばで足を止めた。耳ざとい彼女は首を突き出し、どこか嬉しそうに言ってきた。
「今年はうちでハロウィンパーティーを開くんですよ! 有名な楽団さんとコックさんをお呼びしたんですー」
「わあ、にぎやかになりそうですね。誰でも参加できるんですか?」
「はい、もちろん。ただ、参加資格があるんです」
「資格? ……何だろう、それは」
 きょとんとする羽月と、わくわくするリラに、ルディアは目一杯の笑顔で答えた。
「仮装してない方のご参加おことわり! です!」


 つまり仮装さえしていれば、誰でも自由に参加できるということだ。しかしルディアの話によれば、衣装を持っていない者には店から貸し出すサービスを行うらしく、実際には本当に『誰でも』参加できることになってしまうようだ。
 酒も、ワイン一杯までなら無料らしい。さらにパンプキンパイも無料で1ピースがふるまわれるようだ。ここまで来ると太っ腹を通り越している、と、羽月は白山羊亭の懐を心配した。そして、リラは帰路についている間、ずっとべつのことを心配していた。彼女はすでに羽月や三匹の猫たちとパーティーに参加する気でいたが、衣装が問題だったからだ。パーティーのことを知るのが遅すぎた。彼女たちには、新たに衣装を用意する時間がない。
「……、いや、私たちの分なら、作らなくてもいいはずだ」
「えっ?」
「服は1年では腐らない」
 羽月は微笑み、物置の奥から黒い衣装を引っ張り出した。
「あ、これは……」
「リラさんがきちんとしまっておいてくれたから、しわもない。これを着ればいいだろう」
 それは去年のハロウィンで、ふたりが着た衣装だ。ふたりは魔女と吸血鬼になり、お菓子を求めてきた子供たちを迎え、それからふたりっきりの静かな夜を過ごした。この衣装の出番はそれきりだったが、リラは捨てずに大切にしまっておいた。思い出は脳と魂の中に、衣装は物置の奥に。
「……使い回しは、問題かな。私はあまり、気にならないが」
「いいえ。羽月さんがいいなら、私は全然。来年は早めに用意しましょう?」
 ふたりはくすりと微笑んで、猫たちがなぁおと声を上げた。ふたりはその声を受けて、はっとしながら足元を見る。三匹の猫は、黒い衣装をつついたり、首を傾げて見つめたりしていた。
「パーティーの参加資格は……」
「仮装してること」
 人間の衣装は貸してくれるという話だが、猫のものはさすがに用意がないだろう。リラは束の間考えた。ほんの、束の間。
「でも、小さな衣装だから――急げば作れるわ。私たちとお揃いっぽくしちゃっていいでしょうか?」
「急がなくても大丈夫だ、私も手伝う。お揃いならかわいいだろうし、簡単だろう。一石二鳥、かな」
 ふたりはまた、顔を見合わせて笑う。そして、その次の瞬間から、ハロウィンパーティーの準備を始めていた。


 それはそれはにぎやかな夜が、やってきた。
 羽月とリラのふたりは、その夜を迎え撃つかのように、橙色の光へ向かっていく。ふたりの姿はいつもと違う。羽月は黒い礼服にマントとシルクハット、リラは浅緋色のワンピースにマントと黒いとんがり帽子。ふたりは去年と同じままのお互いの姿に笑う。笑う羽月の口元からはつくりものの牙がのぞいていた。
 橙色のランタンが、カボチャ色の喧騒を照らし出す。ランタンに導かれるふたりの後ろを、三匹の猫がついていく。猫たちはお揃いの黒い三角帽子をかぶり、コウモリの羽根がついたマントを着ていた。
「きれい!」
 アルマ通りに入ってから程なくして、リラがとんがり帽子のつばを押さえながら歓声を上げた。
 白山羊亭は大小さまざまな、そして相当数の、ジャック・オー・ランタンで飾りつけられている。何らかの魔術によって呼び集められたのか、コウモリがぱたぱたと白山羊亭の周りを飛び回っていた。白山羊亭の中にも外にも仮装した人々があふれ、パーティーがすでに始まっているのか、まだ準備をしている段階なのかの判別がつかない。
 遅れたのだろうか、と羽月は少しだけ焦った。しかし、彼の懸念は次の瞬間吹き飛ばされる。

「「「Trick or Treat!」」」

 男も女も、声を揃えてそう叫んだ。それが合図だったようだ――ヴァイオリンが軽快な音楽を奏で、ギターの音がついてきた。パーカッションの音もする。白山羊亭が呼んだ楽団だ。
 そこかしこでジョッキとグラスがぶつかり合い、がちんかちんと大きな音を立てる。重なれば普段は騒々しいだけのその音も、今夜は音楽の一部であるようだ。
「ワインとパイ、どうぞ!」
「わっ!」
 羽月とリラの前に、突然派手な妖精が現れた。……と思ったら、それは背に付け羽をくっつけたルディアであった。トレイの上には血のように赤いワインと、特製のパンプキンパイが載っている。
「驚いたよ。……ありがとう」
「楽しんでってくださいねー。あ、グラスはその辺に置いといてもらってかまいませんので!」
 妖精はまた、ふわふわと飛ぶような勢いでふたりの前から消えた。彼女の動きに合わせて、つくりものの羽がぱたぱた揺れている。妖精ルディアは、踊るモンスターたちをたくみにかわしていた。その動きもまた、立派なダンスだ。
「パイ、すっごくおいしいですよ!」
「ワインも、安物ではないようだ。これをただで配るなんて……」
「羽月さん、見て見て!」
 相変わらず白山羊亭の心配をする羽月のマントを引っ張り、リラが楽団の前を指差して歓声を上げた。オオカミの付け耳と付けシッポの男の子と、悪魔の付け羽と付けシッポの女の子が、手を繋いで踊っているのだ。ダンスを習っているのだろうか、子供にしては音の取り方も足の運びもずいぶん達者だ。
 それを見ているリラは目を輝かせていた。周りの大人たちも子供のダンスを見て思わず破顔一笑し、やがてつられて踊りだす。リラもグラスをジョッキだらけのテーブルに置いて、羽月に手を差し伸べた。
「私たちも、羽月さん」
「……あ、いや……私はあまり、こういうにぎやかな音楽の踊りは――」
 しかし、音楽は変わった。まるで羽月の戸惑いが聞こえていたかのようなタイミングだった。軽快な音楽が終わっても、男女は抱き合ったままだ。例の子供たちも離れない。そのまま、踊る人々はたゆたうワルツに身を任せていく。
「この曲では? 羽月さん」
「……これなら、きっと大丈夫、かな」
 差し伸べられた細く白い手を、羽月は取った。凍えたように冷たい手だった。だがその冷たさも、白山羊亭の熱気とリラの輝く笑顔であてられて、羽月はすぐに忘れてしまった。リラの手に、温もりさえ感じた。
 カボチャの匂いがする。それは、酌み交わされている酒の匂いよりもずっと強いらしい。口の中には、ほのかな甘味がいつまでも残っている。
 吸血鬼と魔女は、踊っていた。外や白山羊亭の隅、カウンターの周りは酒の勢いもあって騒がしい。だが、ふたりの周りには、子供のかわいらしいダンスと、大人たちの大河のようにゆるやかなダンス、ワルツしかなかった。足の運びなどは大きな問題ではない。ただこうして抱き合いながら音楽に身を任せるだけで、それはダンスになるのだから。
「そう言えば……」
 リラは、羽月のその言葉で目を開けた。彼女はいつの間にか、ライラックの目を閉ざしながら踊っていたのだった。
「リラさんは、お菓子と悪戯、どちらがいい?」
 聞き覚えのある問いだ。驚いたリラの中に、1年前の言葉がよみがえる。それは他ならぬ彼女が、羽月に投げかけた問いだった。

『羽月さん。お菓子と悪戯、どちらが良いですか?』
『……、どちらも、というのは欲張りかな?』

「羽月さん。私は、どちらでも。羽月さんなら、どちらでも――」
 驚きは消えた。だが、新たな驚きが彼女のもとに押し寄せる。踊りながら、羽月はにいと大きく笑って、
「……では」
 つくりものの牙をむいた。
 彼は、リラの首にその牙を近づける。
 ああ、吸われる!
 牙が首の皮膚に穴を開けるだろう。そして流れた白い血を、羽月はすする気だ!
 今の彼は、吸血鬼!
 しかし、羽月の顔はすうっと動いた。リラの首ではなく、頬へ。そして牙ではなく、彼は唇をそこに突き立てた。
「はッ……、」
 羽月さん。
 リラは目を大きく見開き、ステップも忘れて羽月を見上げる。羽月はやさしく微笑し、静かにリラを見下ろしているだけだ。
 リラは、つくりものの皮膚に、いつまでも羽月の唇の感触が残っているような、美しい錯覚を覚えた。驚きは消えない。羽月が人前で、しかもこんな大勢の前で、キスをしてくるとは思わなかった。
 これはお菓子、そして悪戯。
「……!」
 言葉もなく、リラは跳ねて、羽月の胸の中に飛び込んだ。突然のことで、羽月はほんの一歩だけよろめく。しかし彼は、リラを受け止めた。リラの足は床からわずかに浮いたまま。
 ――なんてすてきな夜! 去年も、とってもすてきだったのに。ああ、来年は、どうなっちゃうのかな……?
 ふたりの中で、音楽が止まった。ふたりはしばらく何も言わずに、踊る人々の中で抱き合っていた。誰もが踊っているし、キスを交わしていて、酒を飲んでいる。子供たちはクッキーとジュースとダンスに夢中だ。
 ただ、三匹の仮装した猫だけが抱き合う羽月とリラを見ていた。にゃう、とかれらはかれらの言葉をかわし、飼い主たちをそっとしておくことにした――三匹のマントつきの猫は、火をくわえていない小さなジャック・オー・ランタンを転がして、遊び始めたのだった。
 甘い香り、甘い味。
 夜の間、白山羊亭にはそんな悪魔が居座った。
 誰もがその悪魔に魅入られて、幸せな気分になっていた。




〈了〉