<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


■ゆびくっき■





「――あのぅ」
 昼を過ぎた空白の時間。
 白山羊亭のウエイトレスであるルディア・カナーズは、ようやく訪れた休息兼昼食の時間にくたりと息を吐いてテーブルに伏せていた。
 そこに聞こえて来た小さな声。
 オレンジを連想させる瞳をぱちりと開いてお下げのウエイトレスは身体を起こして左右を見る。それから下。
「あのぅ」
 足元から聞こえてきたのは間違いじゃなかった。
 ルディアの履き慣れて柔らかくなった靴の近くから黒猫が見上げている。いやいや黒猫の背に乗る形で小さな女の子が、だ。女の子の隣には猫が歩くにも少々邪魔なサイズの袋。とはいえ猫自身は気にする様子なくきろりとルディアを見詰めている。
「おねがいがあるんですが」
「……はい?」
 正体不明の小さなお客様。
 お下げを揺らして興味津々、ルディアは覗き込んでいたのだけれど。
「きゃ――っ!」
 うんしょと両腕で袋から引っ張り出されたものを見た瞬間、奥から誰かが転げる音も掻き消す勢いで絶叫した。
 女の子が出したのは指だ。人の指。肌色も鮮やかな指。
「クッキーなんですが」
「きゃー!きゃー!指!指が……え、くっきー?」
「くっきー」
 どうぞと差し出されたそれをおそるおそる摘んでみる。
 目の前に持ってきた指は確かに鼻を寄せれば食べ物の匂いだけれども――更に出された女の子には一抱えある小瓶と合わせるとなんとも言えない。だって瓶の中身ジャムだし。苺ジャム。ちょっと色が濃いから尚更に。
「付け根につけてどうぞ」
「うん気持ちだけ貰っておきます!」
「おいしいですよ?」
 言いながらジャムをつけた指の形したクッキーを抱えて齧る女の子。
 思わず出入口なんかに人が居ないか確認してしまうというものだ。
 幸いにも誤解されそうな光景の目撃者は居ない。よかったよかった。店員が奥から出てきてルディアの摘んだクッキーに仰天しているが後で説明するし今はとりあえず放っておくべし。
 と、いうことで。
「それでお願いってなんですか?」
 女の子がクッキーを食べ尽くすのを見守ってからルディアは問うた。
 遭遇から多分結構な時間が経っている。
 でもそれもどうでもいい。
 気にしていたら話が進まないというものだ。ルディアの休憩時間はなんといって有限かつ短縮気味であるのだから!時間は惜しい、今更ながら。
「クッキーがたくさん落ちちゃってるんです。拾うのお手伝いしてくださいな」
「たくさんって、どれくらい?」
「この色のがええと、たくさん。で」
 数は不明。たくさんねたくさん。
 己の休憩と昼食を惜しみつつ相手をしていたルディアはその変化のない数量表現に遠い目になる。が続いた言葉にテーブルに突っ伏し額を打った。
「それから死人色のクッキーがそれよりたくさん」
「死人色……」
 そこかしこに散乱している指と見紛うクッキーを想像してルディアはがくりと肩を落としつつ考えた。
 ああそりゃ確かに回収した方がいいよね!なんて。


 さて、いたいけなウエイトレスが貴重な昼休憩を失いつつあるその頃。
 裏街道のお兄さん方は諸々の面倒事を片付けている途中で困惑していた。
「……やっぱこれ、指も探すべきだよなぁ……」
「だよなぁ……ったく、どれだけ細切れにしたんだあの女」
「たいした執念だぜ」
「やってらんねぇ」
 はー、と仲良く溜息をつく前にはバラバラ殺人の被害者であるお兄さん方の知人。片方の手に指がない。たとえバラバラでも他は揃っている。でも三本ばかり指がない。
 めんどくせぇと渋々動くお兄さん方であった。


「猫のおともだちには見つけたら食べていいよっていってます。でもたくさん落としたからちみっこも見つけないと」
「…………」
 想像するのも辛い光景が街中で展開されることになりそうだ。
 指(の形をしたクッキー)を食べる猫。多分複数。
「……クッキーなんですよ、って探しながら説明しましょうか」
「じゃあお手伝いさんおねがいします」
「頑張って依頼します……はい」
 答えつつ眺めるのはテーブルに転がるクッキー。
 それがまたやたらに生々しいとルディアは思ったそうな。



■ゆびくっき■



 ぱたぱたと歩き回る猫が多い。
 商店主から一抱えの食材を受け取りながら、高遠聖はその日何度目かの感想を抱いた。
 彼の過ごす教会周辺でも猫は普段延々と丸まって眠っているような(作り物かと思う程に動かない)猫でさえ落ち着き無く、あちらこちらと動き回ってはなーおぅと別の猫と話している。余程の仔猫でない限りは殆どがそういった状態なのだ。
 何があるのだろうかとなかなかに興味を刺激されるものだ。
「ありがとうございます」
「毎度」
 買い足すものが多くて今回は少し荷物が大きく重い。
 がさりと持ち直して歩きながらまた遠くで鳴く猫の声を聞きながら聖は教会へと戻りかけ――ふと思い立った。そういえば白山羊亭でお茶をしてもいいかもしれない。寄り道というような場所でもないし。
 抱えた荷物が普段以上に腕に負担をかけている。
 今なら食事のお客さんで忙しくもないだろう頃合だしと考えればたまには良さそうだという気持ちが主張しだす。もう一度抱え直してなんとなし白山羊亭の方角へと視線を投げた。
 往路と帰路が同じである必要はないのであるし。
 天秤をお立ち寄りに傾けて聖は歩き出す。が、早々にまた足を止めた。
 建物の間の細い道に置かれた木箱にもたれるようにして、二人の男性が何事か話していたのである。片方がしきりに頭を抱えて項垂れるので具合でも悪いのかと見咎めたのだ。
 神父である聖であるからして――友人のたとえばリラ・サファトでも同様に動きそうだが――彼は控えめに近付くとその二人に声をかけた。
「何かお困りですか?具合でも」
 接近に気付いていた様子の二人が揃って「いいや」と首を振る。
 薄暗い場所だが顔色は確かに悪くもない。まじと互いが互いを見てしばし無言を挟んでから、そうですか、と聖は微笑んだ。ぎこちなく相手も笑う。本当にぎこちない。
 何か事情のある人達だな、と当然ながら聖は察した。
 ただそれをストレートに突っ込むような不躾さは持ち合わせていない彼である。
「大丈夫なのでしたら、良かったです。失礼しました」
 軽く頭を下げて荷物を引っくり返しかけたのを抱えて踵を返す。どうも、とそれだけ返るのに微笑みながら会釈して通りに戻り、そこで振り返れば二人はまだ変わらず薄暗い場所に居た。
 何か事情があるのでしょうね。
 そんな風に内心で思う聖の耳にまたも猫の声。
 何度目だろうか。どうも今日は教会近辺のみならず猫が活発なようだ。
 ぱちりと鮮やかな赤の瞳を瞬かせて聖は髪を揺らした。奇しくもリラがことりと首を傾けて猫の多さに疑問を落とした仕草と少し近かったり。
「――あれ」
 そしてそのリラが通りを横切るようにして歩く姿。
 遠目の小さなものだったけれどふわりと優しい色合いは確かに彼女のものだ。
 向かう方角が白山羊亭のある方向だと気付いて聖はほんのり幸福の色を面に刷いた。
 最近少し会いそびれていたのだけれど。
「買物に出て良かった、かな」
 天秤によらず意志でもって馴染んだその店へと向かう。

 そこで待つのは少女とその旦那様とクッキーである。


 ** *** *


 さて、裏街道のお兄さん方二人は白山羊亭近くまでふらふらと来ていた。
 この一日で一体どれだけ歩き回ったことだろう。
 そして探しても探しても見つからない指三本。
「いっそ全部本物なら……」
「……そりゃ多過ぎだ」
 はぁ、と深い深い溜息。
 指の形した物体自体は見つかるのだ。大量に。拾い集めたらすぐに手の平から零れてしまうだろう程大量に山盛りにてんこ盛りに。
 しかしそれらはけして二人の探すものではない。
 二人が探すのは不幸な死体に戻してやるべき最後のパーツ三つである。
 なのに見つかるものは常に菓子。焼き菓子。クッキー。
「指の形なんて悪趣味な」
「いい迷惑だ」
 ぐったりと彼らが項垂れて、それでも疲れた足を気休め程度に解して立ち上がった頃。
 捜索再開の裏道二人組の知らないところでその『迷惑クッキー』捜索の為に三人の男女が白山羊亭を出発していた。


「でも本当に良く出来たクッキーでしたね」
「そうだな」
「そうですね」
 にこにことご機嫌なリラ・サファトの何気ない言葉に二人の青年が同時に返事を返す。
 そしてその瞬間に微妙な軋みが上がるのだがリラは全く気付かずに「猫さんも探しているんだっけ」と呟いてはきょろりと動く猫を頑張れとばかりに眺めていたり。
「荷物を先に片付けて来てはどうだ?」
「それも考えたんですが、ルディアさんがあまりに困っておられる様子でしたから」
 預かって下さるのならばお手伝いを済ませてからで問題ありません。
 藤野羽月が微妙に素っ気無く言うのに高遠聖は微笑みのまま答える。
 互いに信頼の置ける友人でであるが同時に互いに(特に羽月から)微妙な対抗心も持つ印象のこの二人。会話はしばしばこういったなにやら突き放したものにもなるのだ。
 それが主にリラに関してこの手の空気を漂わせる以上、気質と慣れとでリラが気にしなくてもおかしくはない――と思われる。
 ともあれそんな三人はのんびりと周囲を見回しつつ、クッキー探しをルディアから請け負って実行中であった。
 まずは猫のがよく居る辺りが可能性は高いのではなかろうか。
 そんな結論から猫が多い場所を優先する形で。
 話に出て来た猫乗小人が猫にも捜索依頼(ついでに食用許可)を出しているとなれば、この日の賑やかな猫達の様子も納得がいく。そして猫が情報交換もしていると考えてみると集まる辺りにはつまりクッキーも多い、かもしれない。
「猫の集会所探し……なんて」
「素敵ですね」
「ね。ウチのコ達が参加するの、楽しみです」
「ああ。そろそろ考えられる頃かもしれないな」
 交互にリラの言葉に相槌を打つ。
 彼女との遣り取りには親愛の類ばかりが詰まった言葉である。
 和やかに和やかに、時々男二人に緊張を軽く張りながら三人は情報を集めつつ猫情報の多い井戸近くに寄った。
「わぁ……!」
「これは、また」
 そこに居たのは猫猫猫猫。
 大小太細老若雄雌、黒白虎雉三毛ブチ諸々。
 とにかく推測するに普段の十割増し(つまり倍だ)だろうと思わせる程に猫が居た。
 ただし半分程は寛いだ様子であるので捜索に参加していない、お腹も一杯なお菓子に興味のない猫かもしれないが、それでも大層な数である。
 その大量の猫の内、人嫌いだとか馴染みがないだとかの理由だろう猫が警戒態勢から一気に走り去っていく。残った猫がそれぞれに三人を観察する中で「お邪魔しますね」と挨拶してリラがそろりと踏み込んだ。さらに数匹が警戒態勢を取り距離を置く。
「あるでしょうか」
「転がっているとすれば……やはり隅か、桶なりの中か」
 習い性だろうか。
 羽月がリラを咄嗟に守れる距離で続いて動く。
 その背中を見ながら続きかけた聖は井戸の縁に端座する猫と、その見詰める先に目を留めた。たしと尻尾でときおり石を打つ猫は縁の乗った小さな桶を覗くようにしてじぃと頭を動かさない。
「どうしました?」
 丁寧に問いつつ近寄れば、猫は聖を見上げてにゃあと一声鳴いたきりまた桶の中を見る。
 つられるように覗いたそこは浅く水があるだけだ。
 しばし無言のままでいたがはたと気付いた。
「咽喉が渇いたんですね」
 にゃあ。
 なかなかに意思疎通の出来る猫である。
 聖の誤解という可能性もないでもなかったが汲んでも損はないだろう。
 きぃきぃと滑車の回る音を繰り返す間に水に触れる音がして、それからぐいと腕に負担がかかった。どうやら枯れている訳ではない様子だと腕を動かしつつ思う。程無くして現れた水は他の場所と変わらず濁りのないものだった。
「……これは」
 しかし濁りはなくとも異物はある。
 ぷかりぷかりと間抜けな揺れ方の小さな物体をまじと見詰めて聖はそれから考えた。記憶を少し探ってみる。
 白山羊亭でルディアから見せられたのは確かこんな形のクッキーだった。
『わぁ、何だか猟奇的なクッキーですね☆』
『そう、だな』
 対照的なテンションでコメントしたリラと羽月が興味深かったものだ。
『どうして指の形なのでしょう??』
『いや……あちらでも、こう言ったブラックジョーク系の品は見かけた。イベントごとに出るものだったし、今はハロウィンが近いから、な。つまりはそういうことだろう』
 純粋に好奇心で瞳を輝かせるリラに答える羽月の複雑な表情。
 怯えなどはなくとも歓迎もしておらず、奥さんにどの程度合わせるべきかと珍しく困惑していた彼を思い出す。そのとき聖はただ形状について少し考えてみた。
 そう、確か『トマト型クッキーよりはマシでしょう』と。製作者は言うまでもない。
 しかし指とトマトとどちらが世間的にはマシなのか。やはりトマトか。聖としては逆なのだが。
「聖?」
「何かあったのか」
 記憶を辿りつつ(そして多少逸れつつ)汲み上げた水の中の小さな物体を見ていた聖は、かけられた声にはたと顔を上げた。猫も相変わらず少量の水ばかりがある桶を見ている。
「……どうしたの?」
 気遣わしげに歩み寄るリラに笑ってから、そっとその水の中に浮かぶ物を取り出した。
「どうしましょう」
 それはルディアに見せられたクッキーと同じ形をしている。
 同じような形でしかし決定的に違うことは根元から見える部分に他の色があること。
 つまり、聖の汲み上げた水の中に――
「わぁ……凄いです」
「え」
「リラさん」
 感動の声を上げた少女を、笑みを消した聖も眦を鋭くした羽月も、膝から力が抜けそうになりながら驚いて見た。リラはきらきらと大きな瞳を瞬かせつつ聖の見せたそれへ向けている。
「作った方もがっかりされたでしょうね。こんな本物そっくりな……リアルを追求する方なんですね、きっと」
「……リアル……」
「リアル、というか……」
「苦労されたのに落とされるなんて」
 気付いてない。
 明らかに気付いてない。
 どうしようかと男二人は視線で意見を確かめる。どうしようか。話すか話さないか。
 これ本物ですよ、なんて言ってしまっていいものか。
「聖、見せて貰ってもいいかな――あれ」
「いえこれはふやけてしまっていますから、そうですね特別製のようですから後で作った方を探すのはどうでしょうか」
「そうだな。これも平行して探してみるのもいいかもしれない。今はとりあえず別に取り分けておこう」
 手を伸ばしたリラが普通のクッキーとは違う印象に(本物だから当たり前なのだが)表情を変えた瞬間、二人は見事に手を組んだ。手を組んで彼女に気付かれないようにと一気にたたみかけた。
 いや、必要ならば事情も状況も説明する。無駄に隠したりはしない。
 しかし今現在は別に関わる事柄もないのだから、猟奇的な代物をあえて優しい少女に突きつける必要もないはずだ。気付いていないなら気付いていないでいいではないか!
「……そっか。井戸の中だったんじゃ、崩れてるものね」
「ええ。同じものがどこかにあるでしょうし、そちらを探しましょう」
 うん、と笑み交わす聖とリラ。
 しかしその傍らで羽月はひとつの記憶を引っ張り出していた。

(あの落し物)

 ――そう。
 白山羊亭に向かう前に羽月が見かけた草陰のあの指先。
 あれはもしやこの指先と同一人物のものでは、と。


 ** *** *


 猫がかつかつと身体を丸めて食べているものを見て羽月はいっとき思考を止めた。
 道々クッキーを集めながら草に隠れた指先を確かめにも向かったところ、その広場に猫が数匹現れていたのである。そしてそのうち一匹が今まさにクッキーを食べている。
「……いや、これはフィンガービスケット……クッキーか?ともかく指ではない。指ではないのだ」
 そういえばチョコレートでも同様の物があったなと半ば逃避気味に羽月は記憶を辿りつつ、猫が食べ終わるまでをつい眺めてしまった。ぶつぶつと難しげな顔で己になにやら言い聞かせつつだ。
 美味いかと問えばにゃあと鳴くので多少なりとも癒されるが、しかし広場に入って早々にとんでもない場面だった。
 はっきり言えばかなり衝撃的な光景だ。誤解されるにも程がある。
 ふうと息を吐きながら羽月はゆるくかぶりを振ると猫から離れて他の二人同様にクッキーを探し出した。同時進行で聖と羽月は本物も探している……のだが。
「この辺りだったはずだが」
 きょろりと見回すも緑以外で見えるのは花色の髪と銀の髪。あとは猫の体程度である。
 肝心の指はどこにいったのかと見るも猫が踏んで折れた草だけが変化だ。
 まさかとは思うが。
「猫が食べてしまった、などということは――まさかな」
 苦く笑って否定しながらも捜索の手は少し加速する。
 どこにあるのだ。指、指先。リラさんが見つける前に。せめて聖が見つけてくれれば。
 そんな風に急いた心。折良く、というべきかそこでリラの声。
「はうっ猫さんっ待って下さい!」
(――よもや)
 離れたところで同様に慌てて顔を上げる聖を捉えながら羽月はリラの小さな後姿を見た。僅かに腰を浮かせる。
「三秒ルールってご存知ですか?」
 は?
「落ちて三秒以内に拾って食べれば大丈夫ですけれど」
 何か非常に懐かしさを感じるルールですが。
 中腰になった男二人が困惑を刷いて互いを見る。
 背後のその状況に気付くでもなくリラはのどかに猫が見上げる前から見つけたクッキーを摘み上げた。真面目な顔で更に言う。
「三秒以上経ったら危険です!お腹壊すかもです!」
 大丈夫。クッキーだ。
 そう判断して腰を下ろした男達。
 リラは相変わらず猫と真面目に見詰め合ったままだったけれど、ふと己が摘み上げたクッキーに目を向けた。そして提げた袋にもそれなりの量の二種類が。
「……」
 がさりと少し開けてみる。まだふんわりと香るのに猫と一緒にまばたきした。
 それから指で挟んだクッキー。これもナッツだかのスライスが爪の位置になっていてそれの香りがまたふんわりと。
「……でも、美味しそうなのです」
 人間誘惑に負けることだってあるのだ。
 動いて小腹が空けば尚食欲をそそられるのだ。
 という理屈でもって、ぱくりとリラは遠慮がちながら躊躇なく唇を開くと指先を含み齧り取った。無言でもぐもぐと咀嚼する。
「美味しい……」
 頬が緩みかけしかし頬張っている為に緩められず、微妙な形で頬を動かしてリラは幸せそうに呟いた。お味もこれは上等だ。
 しばしその後味までも堪能してから彼女はそろりと残った部分を猫の食べやすい大きさに割ってやり、見上げる相手の前に置いた。にっこりと笑う。
「三秒以内ですよね」
 内緒なのです、と付け加えて人差し指をそっと口元に寄せれば猫もにぃと鳴いた。
 コミュニケーションはばっちりだ。
「おやおや拾い食いは駄目ですよ?」
 そんな聖の言葉に同時にちょっとばかり驚いて跳ねるところなんてもうシンクロしている。
 見つかっちゃったと慌てつつ振り返ったリラと猫。
 しかし聖が見つけた拾い食いは仲良しな一人と一匹ではなかった。
「とは言え主も食べ物を粗末にする事なかれと言うでしょうが……」
 これまた別の猫の前から指先を摘み上げつつ呟いていた聖は、即座に食いついていなかった猫の状態に納得した。彼が取り上げたものは確かに指の形だがクッキーではない。
「……」
 ころころと転がしては見詰めていたばかりの猫。
 これはクッキーの代わりというよりも、ご褒美として後でミルクをやるべきだろうか。
「本物ですね――羽月さん」
 声を抑えて呼べば察して羽月が近付いてくる。
 彼は聖が井戸の時と同様に指を摘んでいるのを見て取るとふむと頷いた。
「弔って欲しくて聖の傍に来ているのではないか?」
「ああ……そうですね。どのような方であれ切り刻まれる事など望みませんでしょうし、せめて聖水なりと」
「待て、それは弔いというか悪魔祓いではないのか」
「そうかもしれません」
「かも、ではなくそうだ!」
「嫌ですねぇ清めですよ」
 思い浮かんだだけの事を真面目に受け止めた挙句、外した方向でとぼけられても困る。
 承知の上で羽月の反応を楽しむ聖の言葉は語尾にハートマークでも見えそうだった。
「仲良し……いいなぁ」
 そしてそんな二人の姿をこっそりクッキー齧りつつ見詰めるリラ。
 彼女の目にはとぼける聖と軽く興奮状態に陥っていそうな羽月の対比なぞ、仲良しこよしな印象である。二人の間にある微妙な対抗心は見えやしないのだ。
 猫と並んでしゃがみ込みつつまた袋からクッキーを取り出す。
 遠目にはきっと本物そのままなクッキーを眺めてから口に運ぼうとして「はい?」とふと顔を上げた。遠くから聞こえたと思った声は見る間に近くなり、羽月と聖もぽかんとその声の主達を眺め遣る。

「ま――!ま、まま」
「待った!」

「あれ」
 ぜいぜいと駆けて来た二人の男を見て聖がぱちりと瞼を鳴らした。
 白山羊亭に向かう前に見かけた疲れた二人組である。
「知り合いか?」
「いえ、少し声をおかけしただけですけど」
 そうかと言ったきり羽月は二人組に視線を向けて動かない。
 あまり危険な相手にも見えないが真っ当な人種にも見えない、そんな二人を見定めているのだろうと判断して聖はリラに注意を向けた。なんとなく口元に何かがついているような、いないような。
(気のせいでしょう)
 そんな拾い食いだなんて時々彼女は予想を裏切るけれどそんな。
 疑惑の乙女、リラは幸いというべきなのか手に持っただけで一口も齧っていないクッキーをそのままにどこまでも純粋に、不思議そうに突然現れた見知らぬ二人を見上げていた。
「あの……深呼吸してから、どうぞ?」
 何かを話そうとしては咽ている二人の少々間抜けな姿を気遣わしげに伺って、リラはただそれだけを優しく告げた。生憎と手元にお茶も水も酒もない。
「ありが、と、さん」
 げっほげほ。
 なんだかどうしようもない姿に羽月も一度溜息をつくと一人の背中をさすってやる。
 聖も同様にしていて何が何やらもうさっぱりであった。


 ** *** *


 つまり彼らはまるで見つからない指先パーツと、代わりに見つかりまくる指型クッキーに嘆きに嘆いて情報収集からやり直したのだそうな。
 そしてクッキーの方を回収する依頼(という程大層でもない)を請けた三人組を探したということだった。リラと羽月と聖である。

「たった三個、小さいのが三個無いだけなのに」
「だけどほっといて後で出て来て騒ぎも困るからよぉ」
 泣く泣く上の人に叱られるのを覚悟で羽月達に目撃情報をストレートに尋ねる事にしたのだそうだ。
 話を聞くに裏社会とでもいうべき方向で生きている人物だろうに、その情けないばかりの憔悴っぷりに三人は顔を見合わせるばかり。
 ええと、とリラが戸惑いがちに持ったままのクッキーを差し出した。
「お一ついかがですか?これ実はクッキーなんですよ。よく出来ていますよねぇ」
 がばりと起きた男の片方が「一本目!?」と吠えつつ素早く少女の華奢な手首を掴む――前に羽月の手に握られた別のクッキーが口に突っ込まれてその勢いで転倒した。聖が「すいません。彼も時々制御が効かないんですよ」とか説明しつつにこやかに助け起こす。制御って何かしらと首を傾げるリラ。力加減なのか別の何かなのか。
 切羽詰り具合を見事に表現した相方がひっくり返るのを見ながらもう一人は無言。
 一度くたびれて木箱に腰掛けていた際、銀髪の神父は声をかけてくれたのだがあの親切善良の象徴のような笑顔と今の笑顔は少し違う気がする。
 思いながらも二人組は何を返すでもなくスイマセンとばかりに距離を取った。
「それで、えー、そういうブツを見かけなかったかな、と」
「具体的に言うならまあ人の指なんですが」
 気付けば力一杯丁寧な口調になりつつある二人組を前に、羽月と聖が互いに顔を見合わせた。あれか。あれですね。
 まあ聞かれた以上は答えてやらねばなるまい。
 お手伝いするまでもなくお渡し出来てよかったじゃないですか。
 そんな会話を目と目で行う。対抗心があろうとも、愛情と友情でもってリラを挟んで時に緊張を漲らせても、それでも彼らは常に良き友である。その証拠だった。
「指ですか……クッキーならあるんですけど」
 リラは二人がアイコンタクトを繰り返す間に手元の袋を探ってもう一つクッキーを取り出して、改めて二人組に差し出して笑う。
「はい、どうぞ。あ、その前に三秒ルール信じていらっしゃいます?」
 信じていらっしゃらないなら、お腹壊すかもしれません。
 ふわふわとどこまでも日溜りめいた微笑みの少女が差し出すフィンガークッキー。
 二人組は沈黙の後にそろりとそれを受け取った。白く細く繊細、そんな少女の手から一見本物な指型クッキーを。
「これが本物なら」
 ぽつりと零れる切ない気持ち。
 というかもうほんといい加減一本くらい見つけたい。
「アンタ達も見かけたら連絡くれますかね」
 しょんぼり縮こまった大の男が二人。
 慰めるリラには後程事実を説明するとして、やはり渡してやらねばなるまい。
 結論付けると羽月は「その、だな」とか言いつつおもむろに包みを出した。井戸から出て来たちょっとふやけてしまった一本である。続いて聖は剥き出しで、発見したての一本を。
「ここにある。二つ」
「あと一本は気に留めておきますから」

 その瞬間の、やたらと眩しく尊いものを見るような二人組の顔。

 余程の状況だったのだ、とか。
 上司が怖かったのかもしれない、とか。
 本当に嬉しかったのだろう、とか。

 色々と考えてみても結局目の当たりにした三人、というか羽月と聖であるが、一緒に喜ぶリラの左右から不覚にも後退りする程には仰天したそうな。
 どんな顔だったんだろうと後日ルディアは首を捻ったらしい。


 ** *** *


 そんなこんなで一段落した白山羊亭。
 テーブル一つ占拠して広がるというか転がるフィンガークッキーの山に、羽月とルディアは何とも言えない微妙な顔。やはり見ていて気持ちの良い外観ではないのだ。しかも妙に生々しい。
 しかし穏和な印象を受ける二人は違っていた。
「ジャムも素敵ですねぇ……良い香りです」
 食紅の類で色を調節した別モノのフィンガークッキーに苺ジャムをつけてうっとりとリラ。
 にこにことそれを見守る聖であるが、はっきり言おう。
 傍目には明らかに死体の指を眺めて悦に入る二人である。
 なんとなく今日はリラさんが遠いと感じる羽月。いや新たな一面とでも考えるべきだろうか。
「これ、どうせリアルを求めるのであれば齧った先からジャムとか…流れ出ませんか、やっぱり」
 ぎゅっと押してみるも形が潰れるだけで付け根部分からは何も出ない。
 うーん惜しい、とひしゃげた本物紛いの指型クッキーを見る聖。
「中にジャムを詰めるなんてどうでしょう」
「苺ジャムなら色もぴったりですね」
 くらりと目眩も覚えそうな気持ちで羽月はひたすらに、愛すべき妻となんだかんだ言っても信頼の深い悪友とが繰り広げる会話を聞き流していたのだがそこでふと閃いた。
 にんまりと少しばかり悪童じみた風味を混ぜて笑って挟んだ一言。
「トマトジャムという代物もあるのではなかったか?」
「あ!そうです、ありますよ」
「いえやはり苺ジャムが王道でしょう」
「遠慮せずともリラさんなら上手く作ってくれるぞ聖」
「そうだよ聖。大丈夫!」
「僕は苺ジャムが良いですリラ」
 それで一転して場は仲の良い友人達が笑いさざめく健全な空間へと変わり――テーブルの上は相変わらず指(クッキー)が散乱してはいたけれど――ルディアもまた猟奇な空間から逃れてほっと息を吐いた。
 タイミングを計ったように戸口を黒猫に乗って抜けてくる小さな影。
「リラさんレシピ要るって仰ってませんでしたー?」
「あ、はい。欲しいです」
 これでてんこ盛りの猟奇菓子も回収して貰える。
 安堵しつつルディアは同年代の少女ながら立派な人妻に声をかけた。
 その隣ではちくちくと楽しそうに言葉の応酬を繰り返す彼女の夫と親友の姿があったり。

 ともあれこうして探し物は片付いた次第である。



 ――というには一つ足りない。
 そう。本物の指が一本行方知れずだ。
 これがどうなったかというと――

「……届けるべきでしょうか」
「伝言、とか」
「本気で弔って欲しいのではあるまいな」
「…………」

 聖の荷物を分担して持ち帰り、一緒に入りかけた教会の階段脇。
 そこで仔猫がたしたしとちょっかいをかけては観察していた。
 羽月のコメントもいい加減真実味を帯びてきそうな、そんな。



 ――ハロウィンなる行事の頃のある日の話。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1711/高遠 聖/男性/17歳(実年齢17歳)/神父】
【1879/リラ・サファト/女性/16歳(実年齢19歳)/家事?】
【1989/藤野 羽月/男性/16歳(実年齢16歳)/傀儡師 】

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■         ライター通信          ■
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 お待たせ致しました。あまりバタバタしないノベルをお届けいたします。
 PC様の組ごとにある程度は違うようにしてありますが、如何なものでしょうか。
 ご参加ありがとうございました。