<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>
『山奥への誘い』
ソーンで最も有名な歓楽街ベルファ通りの酒場といえば、真っ先に思いつくのは黒山羊亭だろう。
この美しい踊り子の舞う酒場では、酒と食事の他、様々な依頼を受けることができる。
冷たい風が街を駆け巡る夕方。
琥珀色の髪をした少女が黒山羊亭に駆け込んできた。
年のころは10歳前後だろうか。
意志の強そうな朱色の瞳が印象的である。
「お願いです。母を助けてください! 薬の材料になる草がどうしても手に入らなくて困っているんです。それで、冒険者の方の力を借りられないかと……」
エスメラルダはとりあえず、少女を椅子に座らせてミルクを出す。
出されたミルクを一気に飲み干すと、少女は涙ながらに話し出したのだった。
少女は母親と山奥で二人で暮しているらしい。
たった一人の肉親である母親が、突如皮膚が削げ落ちてしまう奇病にかかってしまったとのことだ。
病気の進行を遅らせるため、ベジルドという薬草がどうしても必要なのだが、どの店にも売っておらず、困り果ててこの酒場を訪れたということだった。
「お金は持ってないんです。だから、報酬は働いて払います。私、なんでもします。だから、お母さんを助けてください。お薬もなくて、食べ物もなくて……」
少女の顔は真剣だった。
「薬の調合に必要な材料は持ってきています。ベジルドが生えている場所も調べてあります。でも、山の中だから私1人じゃ行けないんです」
満足に食事をとっていないのだろう。彼女の体はやせ衰えている。
しかし、その話にはどこかしら矛盾がある――ように思えるのだが、エスメラルダには良くわからなかった。
その会話は、臨時バイトの男の耳にも入っていた。
「ベジルド? あれは薬草というより、人間には毒草なんだがな。皮膚病に使えるわけがないんだが……」
男はエスメラルダを呼ぶが、エスメラルダは少女の対応をしながら、客を迎えているため、男の声は届かなかった。
「ま、私には関係ないか」
少女を値踏みした後、男は厨房に戻る。
少女は明らかに男の恋愛対象外。依頼を受けても、一銭の得にもならない。
ならば、バイトとしての職務をこなして、給料をもらうことに専念すべきと判断したのだ。
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「おやあ? そこにいるのは、どこぞの錬金術師じゃないか。廃業して酒場の店員に転職したのか〜?」
カウンター席に座り、臨時バイトの男に声をかけたのは、虎王丸という少年であった。
「廃業などしとらん。ちょっとした小遣い稼ぎだ」
「本業、そんなに儲かってないのか? それとも、別の目的があるのかねぇ」
「ふっ、知れたこと。お前がここに出入する理由と同じというわけだ」
「俺は食事に来たんだが?」
「食事とは大胆な! お前のような子供にエスメラルダさんは渡さん!」
「あのー」
女性の声に、二人は瞬時に振り返る。二人とも若い女性の声には敏感だ。
「これはこれは、チユさんではありませんか。私に会いに来て下さるとは、光栄です」
女性――チユ・オルセンの姿を確認すると、ファムルは厨房から飛び出して彼女の手を握った。
「いえ、ファムルさんに会いに来たわけではありません。むしろ、私あなたがここで働いているなんて知らなかったし」
「そうですか、でしたら、ここで会えたことは運命というわけですね」
「ええ、それはそうかも。私達同じ運命なのかも。この子を救うね!」
チユは泣いている少女の手を引いて、ファムルの前に立たせた。
「ファムルさんは『お母さん』とか『お姉さん』に興味あるようだし、この子の母親も助けてくれるよね?」
「う……うーん、まあ。しかし、奇病にかかっている母親となると……いや、病気を治すことで愛が芽生える可能性も……うーん」
「んじゃ、お前も手伝えよ。薬草の知識が多少は役に立つかもしれねぇしな」
「いや、だがな……わたっ、ちょっとまて!」
虎王丸はファムル腕をぐわしっとつかんで、引きずるように外にひっぱりだす。
「いえ、薬草の知識なら大丈夫です。私、わかりますから。山道は危険ですし、私一人でも迷惑かけてしまいそうなのに……ええっと、その方、体力なさそうですし……」
控えめな少女の言葉は、的を得ていた。
ファムルはやる気を出せば、そこそこ役に立つ人材なのだろうが、何分体力がない。途中でへばられたら足手まといだ。
「そうね……。それじゃ、ファムルさん、お弁当でも作ってくれませんか?」
チユの言葉に、ファムルの困惑の表情が一転した。
「了解した! それはいい。チユさんの為に愛情を込めてつくりましょう〜。さっそく仕込みだ!」
何を思いついたのか、上機嫌でファムルは黒山羊亭の厨房に戻っていったのだった。
その日は黒山羊亭近くの宿屋で休み、翌朝3人は出発した。
ベジルドという薬草は、少女が暮らす山の頂付近に生えているらしい。
山頂付近はとても険しく、少女の足ではたどり着けないのだという。
途中、少女の家の近くを通るのであれば、母親を見舞いたいとチユと虎王丸は申し出たのだが、少女は二人の申し出に首を横に振った。
「あんな姿じゃ、お母さん誰にも会いたくないと思うんです。でも、薬を手に入れてからなら……」
ちらりと少女は虎王丸を見た。
虎王丸の協力の条件は、"少女の母親と会わせてくれ"というものであった。そのため少女は二人が見舞うことを了承はしていた。
「削げ落ちた皮膚は元通りになるのか?」
虎王丸の言葉に、少女は首を横に振る。
「薬では、元には戻りません。病気の進行を遅らせるだけで……」
「こんな時に、親父は何をやってるんだ? 他の材料もあんたが集めたんだろ?」
こくり。と少女が首を縦に振る。
「お父さんは、私が生まれる前に逃げてしまったそうです。だから、お母さんは命がけで私を産んでくれて……。体はもうぼろぼろなんです」
少女の目から涙が零れ落ちる。
虎王丸は少女の頭をそっとなでてあげた。
「偉い偉い、頑張ってるな! 材料全部一人でそろえたなんて、凄いじゃねぇか。きっと、報われる日が来るって」
少女は、小さな声で「はい」と言って、小さな手で、虎王丸の指をつかんだのだった。
少女の思いに嘘は感じられなかった。
しかし、チユは少し疑問を感じていた。
ベジルドという薬草……修行時代に学んだ覚えがある。
不確かな記憶だがベジルドは確か毒草のはずだ。
そして少女の言葉にもいくつかの疑問がある。
実りの秋に、山中で暮らしているのに、食料がないという。
ベジルドを買いに店を回ったというのに、お金は持っていないという。
山で暮らしていても、食料を得られるとは限らないし、お金がなくとも、恵んでもらうつもりで店を回ったとも考えられなくもない。
だけれど……。
目の前を歩く少女が、虎王丸に庇われながら、徐々に険しくなる山道を登っていく。
時折涙を拭う姿には、やはり嘘はない。
その姿を見て、チユは小さく吐息をついた。
(騙されることになっても……ま、しょうがないかな)
そう思いながら「大丈夫だよ、頑張ろうね!」とチユは声をかけるのであった。
少女の案内通りに進み、一向は山頂付近で目的の草を手に入れた。
「せっかくだから、山頂で弁当にしようぜ!」
少女の手を引いて、最後の岩を登る虎王丸。
続いて、チユの手を引いて、山頂へと引き上げる。
少しだけ開けた空間に、3人はたどり着いた。
降り注ぐ太陽の光が、3人を祝福し、疲れを癒してくれるようであった。
チユは3人分の弁当を広げる。
チユのものだと渡された弁当が一番豪華であった。
くすりと笑いながら、チユは自分の弁当を少女にあげたのだった。
「……虎王丸さま、お願いが、あります」
食事を終えた頃、少女は崖下を指しながら言った。
「あそこに生えている、薬草もほしいんです。あの草には、薬の効果を高める効果があるはず」
急な崖の途中。岩の隙間に生えた草であった。さすがの虎王丸でも、足を滑らせれば危険な場所である。
「お願いです」
しかし、哀願する少女を無下にはできなかった。
もう10歳年取ってればなーなどと思いながら、虎王丸は崖に近づく。
その時、だった。
近づいてきた少女の小さな手が、虎王丸の背をドンと押した。
小さな体に似合わない強い力で。
「虎王丸さん!」
チユの悲鳴のような声が響く。
よろめいた虎王丸が、宙に投げ出される。が、瞬時に体を回転させ、岩を手でつかむ。足を動かし、足場も確保した。
見上げれば、自分を見下ろす少女の姿がある。
「お願い、あなたのパワーをちょうだい!」
突如、少女が懐から刃物を取り出し、身を躍らせた。岩を蹴り、虎王丸に向けて急降下する。
「ダメっ!」
チユの声と同時に、魔法が発動される。崖に放たれた小さな火の弾が弾け、わずかな爆風で少女の体が逸れる。
刃物が虎王丸の肩を掠め、少女は落ちてゆく。
「くっ!」
虎王丸は右足を振り上げて、少女のナイフを受け止めた。止まった少女の体を右手でつかみあげる。
……少女は、泣いていた。
「馬鹿やろう……」
絞り出すような声で虎王丸が言うと、少女は更に激しく泣いた。
チユの魔法で二人は崖上へと引き上げられた。
虎王丸は、肩と足に怪我を負っていた。肩の傷はかすり傷だが、足には深々と刃物が刀身を埋めている。
今にも身投げしそうな少女を魔法で拘束すると、チユは虎王丸を岩に寄りかからせ、治療を始める。
「大したことはない……っ」
強がってみせるが、激痛が虎王丸を襲っていた。
チユはスペルカードから、救急セットを取り出して、魔法とセットで応急処置を施した。
「虎王丸さんは、ここでしばらく休んでいて。私がこの子を送るから」
「いや、大丈夫だ。休むんなら、その子の家で。母親が病気だってのは、本当なんだろ?」
魔法のロープで縛られた少女は、こくりとうなずいた。
「事情は、家で聞いてやるよ」
虎王丸は足を引きずりながらも、少女を抱えあげた。
「無理はしないで! 私が連れて行くわ」
「平気だって。なんなら、チユのことも運んでやろうか」
虎王丸の手が、チユの肩にかかる。
「私のことも運べるくらい元気なら、心配はいらないわね」
ふふっと笑ってそう言いながら、チユはかけられた虎王丸の腕を強くつかんで、彼の体を支えたのだった。
登りよりも時間をかけて、少女の家へとたどり着く。
許して許して……と泣く少女を連れて、二人は彼女の家のドアを叩いた。
返事はない。
「入るぞ」
警戒をしながら、虎王丸がドアを開く。
小さな山小屋だ。しかし、作りは頑丈なようだ。
質素なベッドに、老婆が一人横たわっている。
「……あれがお前の……」
「母です」
少女を下ろすと、彼女は母親の元に駆け寄った。
チユは少女の拘束を解く。
開放された手で、母親の腕を握り締めて彼女は泣いた。
「話せよ、あんたの母親は何の病気なんだ? なぜ俺を狙った?」
母親の手を握り締めながら、嗚咽交じりに少女は語りだした。
「お父さんが、責務を果たさず逃げてしまったから。だから、お父さんの代わりが欲しかったの。私は、あなた達がモンスターと呼ぶ種族と人間のハーフなんです」
近づいてみれば、彼女の母親の姿は人ではなかった。獣に近い。
「でも、モンスターと人の境界線って何? お母さんはどうして助けてもらえないの?」
語りながら、少女は薬を調合していく。
べジルドの草は、人間には有害だが、彼女の母親には本当に薬になるらしい。
元々彼女の母は生命力が強い種族だという。
しかし、出産時にほとんどの生命エネルギーを使い果たしてしまい、今は動くこともままならないらしい。皮膚が削げ落ちているのは、老化現象のようなものだ。
時折うめき声を上げる母親に、薬塗った後、少女は跪いて謝罪をする。
「薬草の採取、手伝ってくれてありがとうございます。そして、突然すみませんでした」
顔を上げた少女は、まっすぐに虎王丸を見つめていた。
「誰でもよかったわけじゃなくて、私……あなたを好きになってしまったから。だからお父さんの代わりにって思ったの」
「うーん、父親を恨んでんのか?」
虎王丸の言葉に、彼女は首を軽く傾げて悲しそうに笑った。
自分と母を捨てた父を恨み、しかし、愛しており。愛と憎しみの感情で虎王丸を襲った……そんな風に虎王丸は解釈した。
「まあ、今回のことは水に流すとは言えねぇが、代償はあんたがもう少し大人になったら貰うとする」
「はい、必ず……」
少女は、虎王丸の手を自分の両手で包み込んだ。
「私、あなたの子供が欲しいです」
「い、いや、そういう台詞は10年後にな!」
大人の女性のような甘い瞳で見上げられ、虎王丸は少し怯んだ。相手が年相応の女性なら、願ったりなのだが。
一方、チユは少女の母親の病状を診ていた。
確かに、彼女の言うように衰弱している。多分、肉食なのだろう。体が弱ってしまい、狩にも出られず少女が採取した木の実ばかり食べて命を繋いでいるようだ。
チユはスペルカードから、非常食を取り出した。
干し肉でも、植物よりは力になるだろう――。
翌日、虎王丸とチユは帰路についた。
足の痛みも忘れ、虎王丸は意気揚々としていた。
「あの子、5年もすれば、素敵な女性に成長しそうよね。でも、ホントにいいの?」
「何が?」
石段を先に飛び降りて、虎王丸はチユに手を差し伸べる。
「あの子の母親の種族って、産卵後、メスがオスを食べるっていうじゃない。彼女はハーフだからどうだか知らないけれど、彼女の父親はそれを知って逃げ出したのね。で、出産後十分な栄養がとれなかった彼女の母親は、病に伏したってわけかぁ」
絶句する虎王丸には気づかず、チユは考え深げに視線を落とした。
「モンスターと人の境界線って、肉食動物と人の境界線みたいなものなのかしらね」
石段を降りると、チユは虎王丸に顔を近づけて、にこっと笑った。
「頑張ってね。そういう恋愛もアリだと思うし!」
「れ、恋愛って俺は別に、あんなガキには興味ねぇよ!」
少女の潤んだ瞳が虎王丸の脳裏を掠める。
(……まあ、5年後に考えればいいか……。いやまて、モンスターと人間のハーフだから、成長早いのか?)
街が見える。
行き交う人の姿が、二人の目に入った。
人の世界は今日も平和だった。
……ところで、黒山羊亭には2人の帰りをわくわく待つ人物がいた。
「特製弁当に入れたほれ薬。効果は数日とはいえ、君は俺の虜だ〜」
わけのわからないことをつぶやきながら、仕事に勤しむ男が一人。
しかし、ほれ薬といえば、目の前の異性に惚れるのが定則。
相変わらずこの男。頭がいいんだか悪いんだか。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】
【3317/チユ・オルセン/女性/23歳/超常魔導師】
【1070/虎王丸/男性/16歳/火炎剣士】
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■ ライター通信 ■
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ライターの川岸です。
ファムルに食べ物を頼むなんて! 命知らずですよ! とはいえ、チユさんなら彼ごときの罠にはかからず、知ってか知らずか、まるで意識せずとも回避しちゃいそうですよね(笑)。
ご参加ありがとうございました!
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