<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


無音の歌声


今日も今日とて、黒山羊亭は繁盛していた。客達は歌い、踊り、飲み食べ、各々に楽しく過ごしている。
其の時だ、ばたんと大きな音がした。しかし、それは客達の喧騒の方が大きく紛れ聞こえた者も少ないだろう。
辛うじて聞こえた1人、エスメラルダが音のした入り口付近へと向かう。

「あら…」

そこには金髪の人物が倒れこんでしまっていた。…息はしているようで、軽く額にかかった髪が漏れた息でだろう、揺れている。
客達は酔っているお陰で人が倒れていようとも余り気にはしていない。
慌ててエスメラルダは倒れている人物の脇へとしゃがみこみ、人物の肩を軽く叩いた。

「あなた、どうなさったの…しっかり、ほら」

人物は少し顔をあげ、エスメラルダへと目線を向けた。そこで驚いたのはエスメラルダのほうで。
口に手を当てて目を見開いた。

「す、みません…エスメラルダさん…」

「フローレンス!あなた、最近見ないと思っていたら…」

倒れこんだ人物とは、よく黒山羊亭でバイオリンを演奏しているソリストだった。
金髪に碧眼と華やかな外見で、ご婦人方を沸かせたものだったが、倒れこんだ男の顔はなんともみっともない。
目の下に隈はでき、頬はこけてまるで病人のように顔色も悪い。

「何があったの、言って御覧なさい?」

「はい…そ、の為に来たので…。ああ、すみません、その前に…少し眠らせてください」

フローレンスはそのままばったりと、床に突っ伏したまま目を閉じてしまったのだった。


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「どう、したの……?」

千獣は紅い目を瞬かせて軽く首を傾いだ、何やら長椅子へと寝かせている。手伝いに呼ばれた男たちはまた各々の席へと霧散して行く。
残った長椅子の上に寝かされたものを見れば金髪の男、エスメラルダは一つ息を吐いて千獣に困ったような笑みを向けた。

「さあ…、起きてから聞いてみましょう」

エスメラルダは少し肩をすくめて、金髪の男フローレンスへと視線を向けた。人の多い所で眠りこけるなど、前のフローレンスでは考えられなかったとエスメラルダは零した。




「…ああ、ええと、お恥ずかしい話ですが…」

ようやく目を覚ましたフローレンスは、未だに眠そうな目を擦りながらもゆっくりと事情を説明し始めた。時々あくびを挟みながらも、なるべく詳しく説明していく。
要約すれば、どうやら毎夜毎夜、女の幽霊らしきものがバイオリンを弾けとせがむのだそうだ。最初は拒んでいたが、眠らせてくれないので弾くと、それをずっと弾き続けろと要求し、気付けば窓の外が白み夜通しバイオリンを弾かされていたそうだ。
昼間に寝ようとしたのだが、耳に女の声が張り付き寝るに寝れず、ようやっとうとうとして来たかと思えば、また女の霊が来るという悪循環が繰り返しつづいて、今の有様となった、との事。

「几帳面な男ねぇ…」

「仕方がないじゃないですか…なんか、あの声、歌みたいでずっと頭から離れなくて…」

困り顔でエスメラルダと話しているフローレンスの肩をついついと、千獣が突いた。血色の悪い顔でも弱弱しく笑みを作ったフローレンスは首を傾げる。

「……その、女の、人に……覚えは、ある…?」

千獣も少し首を傾いで問いを投げ掛けた、フローレンスは目を瞬きさせ、覚えがあるのだろうか、言い難そうに視線を外して曖昧に笑う。其処を千獣が再度フローレンスの肩を突いた。

「ある、んだ…ね…?」

「…ええ、……数日ほど前ですが」

フローレンスは小さな声で話を始めた、曖昧に笑ったままで少し視線を床へと落とす。一人の女性から告白を受けたのだが断ったのだと言う。エスメラルダは納得行く風に頷いていたが、千獣は中々表情が出難いために更にフローレンスの笑顔は曖昧なものとなった。

「ま、まあ、簡単に言えば、そういう事で…」

説明は終わったとばかりにフローレンスは手を振り、話を断ち切らせた。千獣は少し首を傾いで、瞬きをした。

「その、人に…会って…くる、どこの、誰か…分からない…?」

千獣の言葉にフローレンスも首を傾いで、困ったように眉を下げてどこと無く考え込むようなしぐさを見せる。
何度か瞬きをした後に、戸惑いがちながらも唇を動かした。

「それが…名前は聞いたのですが、キャロルと言う方です。どこの…かは、よく…」

「………じゃあ、どの、方向……から…、女の人…は、出て…くるの?」

千獣は言葉を変えて、もう一度質問をした。その言葉にはフローレンスも自分の部屋の配置を考え、方向を答えた。

「確か、時計台が見える…窓の方だから、東南…でしょうか」

顎に指を添え、フローレンスの美しい碧眼は酒場を見渡し己の部屋の方向を見ている。

「…そう、じゃあ…調べて……くる、ね……」



その翌日の事。新月ゆえに街を照らす明かりは少ない、星々の明かりとて小さなもので頼りの無いものだった。
時計台の針は静かに時を刻む、星が出ていると言えども時期は秋。時刻は午後6時と浅いもの。
千獣は無数の星影の元、屋根の上でじっと座り込んでいた。紅い目はちらちらと辺りの様子をゆるりと見回している。
千獣の陣取っている建物はフローレンスの斜向かい、はたはたとマントが風に翻るのを軽く右手でマントを引き寄せ防いだ。

「……!」

フローレンスの部屋の明かりが小さくなる、恐らく寝る為に常夜灯へと変えたのだろう。千獣も動く、東南の建物の屋根へと軽やかに飛び移っていく、たんたんたんと、猫が屋根と屋根を飛び移っているような足音だ。
東南の建物の屋根へとたどり着けば、くるりと地上辺りを見回した。人影は無いか?生霊と言えども、毎晩出てくるには恐らく故意だろう。近くにいるはず、紅い目が暗い世界に一つ闇でない影を捉えた。
千獣は影の動きを見ながら、獣さながらにくるりと回転し地面へと着地した。影が少し動いたが、千獣の足音は獣と勘違いしている様子で気づきはしない。

「……ねえ」

千獣が声をあげた、それに驚いたのか影はびくりとすくむような動きを見せる。千獣の足は動き影の目の前へと進み行った、そこに見えたのは細身の女性。千獣が現れたのに驚いてか、目を見開いて何処か震えているようにも見える。

「……ふろー、れんす……って、知ってる……?」

女性は見開いた目を少し細めて千獣を良く見ようとしているようだった、フローレンスの名前を出された事には動揺していない。

「その、人が……今、困ってる……。毎晩……ばいお、りん、を、引けって……言われ、て…」

「…それが?」

少し首を傾いで女性が言った、どこかしら不機嫌そうな声色だ。千獣は相手の意思の変わり様に気づいてか、数度瞬きを繰り返す。

「……何か……心、当たり……ある……?」

その質問に女性は少し鼻で笑うような仕草を見せた、微かに差し込む月光の光に目が光るが異様に暗い。毎度に渡る幽体離脱で衰弱しているのだろうか。

「あなた…、あの人の何なの」

静かに女性は声を紡ぐが、千獣には意味が分からず首を傾げて見せた途端の事。しゅんと何かが飛んできた、あまりに鋭いそれに千獣の黒髪が一糸切られた。…千獣が避けなければ、髪では済まなかったろうが。
千獣は体のバランスは崩さず、避け切ったが…何で切られたのかは分からない。見るからに相手は武器を持っていない…聖獣装具だろうか、しかし千獣にとっては敵になるものではないと分かっていた。聖獣装具となればそれなりの効果があるはず、見切らねば厄介そうだ。

「何なのと聞いているのよ」

もう一度風が飛んできた、どの聖獣だろうか…。身を翻し、軽々と攻撃を避ける千獣に女性は幾分苛立ち始めたようだった。癇癪を起こさないまでも、顔が青ざめている。
…何度も繰り返し放たれる風、こう何度も繰り返されると面倒だ。千獣は風を掻い潜り、女性に近づいていく。それには女性も危機感を覚え、後ずさりをした…千獣の目はそれを逃がさなかった。
これを期とばかりに、千獣は大きく足を踏み出した。左手が膨張するような違和感を覚える、どんどんと腕は筋肉質なものへと代わり次第に獣の前足となった。女性の目は千獣の腕に釘付けとなる、見た事も無い現象に戸惑っている風にも見えた。

「……ごめ、んね」

相手に聞こえただろうか、微量な声で千獣は断りを入れた。それは女性への質問の答えではない、辺りに鈍い音が響く。女性の腹へ千獣の腕が刺さっているようにも見えたが、引き抜かれた千獣の手を見る限り大丈夫そうだ。
どさりと苦悶の表情を浮かべて倒れこんだ女性は、少し抵抗しようとしてか腕を伸ばすけれども、気を失ったのだろう…伸ばした腕は千獣に届く事は無くぱたりと尽きた。


…どれほどの時間が経ったろう、女性はようやっと薄目を開けるに至った。傍に座っていた千獣は静かに女性へと目線を放った。女性は幾分怯えた表情をしているのがつぶさに感じられる。しかし、先ほどの千獣の攻撃が腹に沁みたか、少し体を折り曲げ腹を擦った。

「大、丈夫……?」

女性の身を按じて、千獣が手を伸ばせば甲高く短い悲鳴を上げて女性は後ろへと下がった。その行為には千獣自身、慣れているのか、己の手をしばし見た後でその手を下ろした。

「……人を、好きに、なるって……難しい、よね…」

一息吐いた後に、千獣はポツリと話し始めた。女性は全く聞く耳を持っていないように横たわったままだ、それでもかまわず千獣の唇は、ゆっくりと動いている。

「……必、ず……自分を、好きに、なって、くれる、とは…」

「限らないことくらい、分かってるわ」

女性は少しほど掠れた声で千獣へと返した、千獣は少し目を細めて頷くように顔を俯けはなしを続ける。

「う、ん…そうだ、ね……誰か、違う、人を……好き、に……なる……かも、しれない、し」

女性は横たわったままに何も言わない、千獣は未だゆっくりと話を続ける。風が千獣と女性の髪を撫ぜた、黒と金糸の髪が舞い上がる。

「とても……苦しい、よね……でも」

千獣は一つ声を止め女性の顔を見た、彼女は体を強く丸めてあまり表情が見えない。恐らくは腹の痛みとは違うものが襲っているのだろう。

「苦、しく、ても……無理、やり……好きに、なって、もらって、も……仕方、ない、と、思う…」

少し千獣は手を伸ばして丸まっている女性の体を撫でてやった、彼女は小さく震えている。

「あなた、も……本当、は……わかって、るん、だ、よね……?」

その千獣の言葉が女性の堰でも壊したのか、女性は嗚咽を漏らしながら泣き始めた。彼女が泣き終わるまで、千獣は女性の頭を優しく撫でてやっていた。
…話を聞くには、どうしてもフローレンスに振り向いて欲しかったのだとか、気を惹くにはどうすればいいか、そう悩んでいた時に生霊の話を聞いたのだと言う。
まさか出来るとは思っていなかったが、出来てしまうと彼はいつも自分の事を考えていてくれている様で、嬉しかったらしい。

「…でも、……苦しいのは、わかる……けど、好きな…人、を…辛い目…には、遭わせたく、ない」

千獣の言葉に、女性は俯き『そうね』と一言だけ返した。彼女の頬には未だ、乾かない涙の跡が残ったままだ。
暫くして、再度女性は泣き納めと言わんばかりに盛大に泣いた後に、千獣に礼を言い泣き腫らした目で笑ってごめんなさいと伝えてと去って行った。


「ああ、今日は久方ぶりに良く眠れました…有難う御座います、千獣さん」

所は黒山羊亭へと戻る。一晩寝れたのか、杖を突きながらとは言えども、歩けるほどに回復したフローレンスが礼に来ていた。
未だフローレンスの隈は残ったままだが、多少薄れている所を見れば、少しは体調も元に戻ったのだろう。千獣が最初に見た笑顔よりどことなく朗らかだ。

「ごめん…なさい、って……言ってた、よ…」

千獣はフローレンスに女性の言葉を告げた、フローレンスは少し残念そうに笑えば千獣の頭を少し撫でてやる。千獣はくしゃくしゃと撫でられた後、包帯がずれたのを軽く指先に引っ掛けて直した。

「有難う御座います、千獣さん。でも、出来れば直接言って貰いたかったかも、知れませんね」

それには千獣も一つ頷いた、止める間がなく彼女は去って行ってしまったものだから。それを思えば千獣は少し俯いてしまう、あまり強引に彼女を此方へ連れて来るのも気が引けていた。

「では、今日は久しぶりに、一曲弾いていきましょうか」

千獣の様子を見てか、フローレンスは昼間故に人影も疎らな黒山羊亭でバイオリンを取り出した。大切なものだからと、いつも持ち歩いているらしい。
フローレンスのバイオリンの腕は大した物で、黒山羊亭の外にはバイオリンの音色に足を止めるものが多くなってきた。店へと入って来る者さえ出てきた。
少し目を細めてそのバイオリンの音色に千獣は耳を傾けていた。

…千獣の目の端に、窓の外へと白い影が見えた。
あれは白昼夢だったのだろうか、紅い目が捉えた後に白い陰は塵と消えた。千獣は静かに窓の外へと移動し、窓を開けた。バイオリンの音色は外へと漏れるようだったが、これならばより聞こえやすくなるだろう。

昼間の月は太陽に負けず、蜉蝣のような薄い影を空に残したままだ。今日の天気はいいだろう、黒山羊亭も昼間と言うのに賑わいを見せ、エスメラルダは昼食を取る暇が無かったと言う。
結局、フローレンスの演奏は一曲では終わる事無く、路地が茜色に染まるまでバイオリンの音色が響いていたそうだ。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 整理番号3087/ PC名 千獣/ 女性/ 17歳(実年齢999歳)/ 異界職】

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■         ライター通信          ■
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■千獣 様
お久しぶりです、ライターのひだりのです。この度はシナリオを発注いただき真に有難う御座います!
少しほど遅くなってしまい申し訳御座いません…!戦闘よりも説得方面に力を入れてしまいましたが、どうでしょうか!
お気に召していただけると幸いです!恋愛面での心情も千獣さんはきちんと理解してくれていそうだと、書いてみました。
しかし、見た目少女の千獣さんにフローレンスは女性をフったと言い難かったと思います(笑)
細かなプレイングはいつも助かっております、有難う御座います!

まだまだ精進していく心積もりですので、機会がありましたらばまた何卒宜しくお願いいたします!

ひだりの