<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


ピカレスク  −路地裏の紅−


******


■序章


薄く雲が張った空には、嵩を被った月がある。

それは、とても紅く、陰惨な光を放っていた。

そんな中、婦人は一人立つ。

両手には血に塗れた短剣を持ち

足元には数人の死体。

短剣は、ぬめった液体を被ったままに、鈍く月光を反射する。

婦人の影は薄く延び、それは何処までも、延々と続いているようにも見えた。





今宵の月は細く、猫の爪のようだ。あれで引っかかれれば、相当に痛いだろう。
…赤く長い裾をはためかせ、薄暗い路地に立っていた。立っていた、と言うよりは壁に寄りかかり休憩している風だった。顔は俯き暗く影になり表情は見えない。

「……また……会った、ね」

そこにもう一つ影が出来た。声は上から静かに落とされ、その声を追いかけるようにして落ちてきたのは、千獣……獣のようにしなやかに地上へと静かに降り立った。
千獣の赤い眼は暗い影でも良く映え、発光している風にさえ見えた。婦人は影が落ちたままの顔をあげ、千獣を見れば軽く口端を上げ笑みを作る。

「あら、奇遇ですわね。お久しぶり、お嬢さん?」

寄りかかっていた壁から離れ、婦人は千獣が依然会った時と同じように背筋を伸ばした。千獣は瞬きを少し、首を傾け婦人を見つめる。黒髪は暗闇にまぎれたが、細くも月の発する光で流れが見える、微かな風に毛先が揺れた。

「前、は……ちゃん、と、教えて、くれ、なかった、でしょう……今度は、教えて、くれる……?」

「…?何の事でしょう」

婦人は依然笑ったままに、訳が分からないとばかりに少し首を左右に振るった。千獣の紅い目が、瞬きしたのか点滅したように見える。一歩、婦人へと千獣が歩み寄った。

「どう、して……食べる、わけじゃ、ない、のに……人を、殺す、の……?」

依然問いかけた言葉をもう一度婦人へと投げた、婦人は今度はくすくすと声を漏らして笑い出す。千獣は何がおかしいのか分からずにもう一度首を傾いだ、そこで婦人は笑い声を上げるのを止め婦人もまた千獣へと一歩近寄った。

「依然お話したでしょう。わたくしにとって、殺人は、ただの、道楽でしかありません、と」

婦人は一言一言ゆっくりと言葉をつむいだ、子どもへと言い聞かせるように、それはもうゆっくりと。長い髪を揺らし、今度は千獣が首を振るった。

「わか、らない……生きる、ために、何か、食べる、ことは、仕方ない、こと……だけど…」

千獣は何度か瞬きをして、考える風に少し顔を俯けた後に、目線を婦人の目へと合わせた。

「あなたのは、そうじゃ、ない……殺す、ことに、意味が、ないって、言う、なら……どう、して……」

「どうして?」

婦人が千獣の言葉を紡ぐのを阻むようにして声を発した。強い風が吹く、何処かで落ちた葉だろう、紅くなった葉が婦人の足元へと駆けて来る。何処かで気がそよぐ音がした、それもまた千獣の言葉を阻むようにも聞こえたが、大した騒音にはなってはいない。

「どう、して……人を、殺す、ように、なったの……?」

二度目の質問に、風に揺れ婦人の眉が上がるのが髪の狭間に見えた。そうして今度は、先ほどと違い婦人は派手な笑い声を上げた。大きく開かれた口から紅い舌が見える。

「それを、あなたに教える必要があって?」

「…あなたは、いつから、そう、なった、の……?」

三度目の質問、婦人は口元は笑みを作ったままだが目を細めた。風は依然吹いたまま、千獣の包帯を揺らし婦人の裾を翻した。微かに千獣の視界に包帯で影を作られたが、それは邪魔にもならないのか気にはしていない。…何時の間にやら、月の細い肢体は屋根の真上に移動していた。

「言ったでしょう」

婦人が弓形に歪めた唇を動かした、再度風が吹く。風圧で再度千獣の包帯が揺れた、同時に千獣の目の前に煌く刃が見える。それを千獣はしっかりと目線に捕らえ、この距離…時間ならば、千獣に避けれない事はない。

「あなたにどうして、いう必要があるのかしら」

婦人の短剣は今一度鮮血に濡れた、滴り落ちるそれは石畳へ黒い染みを作り、じわりと黒い染みは勢力を増していった。千獣は首元を切られていたが、それほど深くは無いのか、滴り落ちる流れは其のままに表情一つ変えず婦人を見つめている。紅い目は表情を表さないが、月のような冷たさは感じられない。

「いろ、いろ…、聞かれて……うる、さい…な、ら……」

千獣の目に細い月が映った、少し瞬きをするが苦悶の表情ではない。風が千獣の髪を揺らし、服に染みて行く液体に髪がへばり付いている。

「まだ喋るのね」

短く婦人が言う、それは何処か苛立ちのある声だ。ヒステリーは起こさないまでも、少し語尾が甲高い。大きく一歩踏み出し、濡れた刃を光らせる。今度狙うは千獣の胸元へ、婦人の眉間に皺が刻まれているのを目の端に千獣は見た。その瞬間に胸元に熱いものを感じる、それが己の血だと判ろうと千獣の表情に変わりはない。

「……私を、殺して、静かに、したら、いい、よ」

「ええ!そうさせて頂くつもりですわ、面白みの無い!もう少し声をあげて下さらない?」

もう一撃と婦人の短剣が千獣の胸を貫いた、胸元の服の布はとっくに裂け、下へと垂れ下がっている。見える肌に白味は無い、赤いのか黒いのかは良く分からないが、鮮血が滴っているのだろう。…濡れていると言うのは良く分かった、脈打つ心臓は見えないまでも、それを覆う肉は空気に曝け出されてしまっている。
そのような姿になろうと尚も息がある、婦人は焦りと苛立ちからか、先ほどからしきりに頭を振るっている。婦人の白い頬には玉の汗が浮かび流れ一粒床へと落ちた。それは千獣が流した血と同じように、石畳に黒い染みを作る。

「……殺せ、ない、でしょう……」

「うるさいっ!お黙りなさい!!」

婦人は大きく口を開いて千獣へ一喝した。その声は甲高く、空の星でも散ってしまいそうな声だった。…大きな傷を負っているのは千獣と言うのに、婦人の方が苦悶に満ちた表情をしている。髪は乱れ、依然千獣が出会った婦人とは似ても似つかない雰囲気だ。焦り、動揺し、余裕など持ち合わせていない。
千獣の身体は前に傾き、少々身体に負担でも掛かったか膝を突く。…それにしては、苦しくも痛くも無さそうな、無表情のままで婦人を見上げていた。婦人は其れが更に気に入らなかったらしい、ぐっと眉間に皺が寄り、強く千獣を睨み据えるも攻撃はしては来ない。

「……何故…」

小さな呟きを婦人は漏らした、其の言葉に千獣は数回瞬きを繰り返す。…彼女の猟奇行動は、恐らくの所、人間と言う存在に反発していたのではないか?
千獣の頭にそんな言葉が浮かぶ、だとすれば、この婦人はどうすれば己を認める事ができるだろうか。

「ただの、人間に、私は、殺せ、ない……」

突いた膝から染み出た血が石畳を濡らして行く、婦人の表情は千獣の言葉に怒りよりも別の感情が、覗いている。それはちらりと、だが段々に、表面へと出てきているようだった。無表情の千獣と違い、なんと人間らしい顔をしている事か。
婦人は其れを判ってか判っていないのか、ぶんぶんと激しく頭を振って、千獣の言葉、若しくは己の事か、否定しているように見える。千獣はそれでも確りと婦人を見据え、瞬きをした。

「そう……あなたは、まだ、人間…」

ぽつりと千獣は婦人へ言葉を渡す。

「わかって、いる…でしょう……」

千獣の言葉を婦人は受け取ったのだろうか、頭を振るのは止めたのだが、どうにも顔から生気が抜けたようにも見える。…顔からは血の気が引き、黒の双眸にも光は見えない。
何も喋らなくなった婦人へと、千獣は手を伸ばした。気の毒な婦人を助けるには、未だ人でいる内に人の自覚を持たせるしか、ないと。

「……だから、人の、法を、受けなきゃ、いけない」

「……」

婦人は黙ったままだったが、伸ばされた手を静かに目線で追った。千獣の無表情は変わらない、しかし伸ばされた手は暖かそうだった。

「……一緒に、行こうか」

石畳にいくつか雫が落ち、黒い染みを作った。何処から零れたのかは知れない、婦人は頷く事無く千獣の手を取り、千獣の傍へと膝を突いた。そしてそのまま座り込み、茫然自失とまでは行かないが、俯き何事か考えているようだった。
数十分の後に、千獣の傷は全て癒えかすり傷一つとない頃に戻った。それについては、婦人は驚いた顔はしなかったが、やはり何も喋りはしなかった。


既に朝を迎える時刻となっていただろう、白い月光ではなく、橙眩しい太陽の光が建物の合間合間より二人に差し込んだ。婦人は少し、眩しそうな顔をしたまま歩いている。千獣はいつもどおりの無表情で、破けた服を適当に手で止め、目立つ箇所はマントで隠し、ぺたぺたと足音を立てながら歩いた。
目の前には、人が人を裁く建物が聳えている。凶悪殺人犯が出頭して来たとあって、五月蝿いばかりの人数が寄ってたかって婦人を取り巻き、建物の中へと連れて行く。千獣は婦人の手を離し、見送るために婦人へと手を振った。…それに、婦人は手を振り返す事は無かったが、少し振り返り千獣へ微かな笑みを見せた。

「また、会いましょう」

婦人が一言そう返す、周りの兵士はお前の罪では一生外に出れるわけがないだろう、と婦人を罵った。
…それでも、婦人は笑みを見せている。


空は青い、明け方特有の白んだ空の色は既になくなっていた。
マントは秋の風に晒され、何度か捲れ上がったが、千獣は気にせず建物の前に立っていた。

…婦人はきちんと人間に戻れるだろうか。

其の問いに応えを与えるように、一陣の風が強く吹いたが、木の葉とマントを舞い上がらせるだけに終わった。
茶の葉が舞う、空には薄い雲が張り、風が運ぶ匂いは微かに冬を含んでいる。



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

【 整理番号3087/ PC名 千獣/ 女性/ 17歳(実年齢999歳)/ 異界職】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


■千獣 様
この度はシナリオを発注いただき真に有難う御座います!ライターのひだりのです。
そして、遅くなりまして申し訳御座いません…!
今回のピカレスクはどうだったでしょうか。戦闘より説得を重視してみました。
そしてやはり、雰囲気重視で…千獣さんの切れ切れの言葉遣いはとても好きです。


これからも精進して行きますので、何卒機会がありましたら宜しくお願いいたします!

ひだりの