<東京怪談ノベル(シングル)>


残された宝

「……で、どこまで付いてくれば気が済むんだ?」
 首都を出てどのくらいの時が経っただろうか。歩き出して以来黙ったままの男の唇から漏れたのはそんな言葉だった。
 ただしその口調には詰問の様子は無い。その背に負う得物にはそぐわない程のんびりとしていて、相手からの返事を確かめる前に振り向いた顔には僅かなからかいの表情さえ浮かんでいた。
「ち、ばれてたのね」
 それに対する女性もまた、悪びれた様子は無く、舌打ちしてみせた姿もどこかそらぞらしく感じられる。
 向かう先は遺跡――もう全て探検し尽くされたと思われている小さな、ほとんどの人々からは見捨てられている過去の遺物に、実は隠された宝がまだ残っているという噂を聞きつけた青年、ワグネルが図書館の文献を調べたり、遺跡に向かう前に雑貨屋などに立ち寄ったお陰で振り向いた先に立っている女性に目をつけられたものらしい。
「依頼を受けたなんて聞いてないし、その様子じゃお宝探しなんでしょ? 連れて行きなさいよ、あたし役に立つよ?」
 きらきらと輝いたその黒い瞳には何が映っているのだろうか。きっと何かとてつもない宝を想像しているんだろうな、と苦笑しつつ、ワグネルはその女性、キャビィを連れて行く事に決めた。
 もっともこの様子では、断ったところで遺跡の中まで付いて来たのだろうが。
「ふふっ、よろしくね」
 おそらくわざと見付かるように気配を絶つ事無くワグネルを追って来たキャビィがにんまりと笑みを浮かべ、足取りも軽くワグネルの隣に並んで歩き出した。
「……やれやれ」
 ひょいと肩を竦める仕草をするワグネル。
 ま、一緒なら退屈もしないか。
 気心の知れた仲であるキャビィの楽しげな横顔をちらと見て、そんな事を思う。
 それが正解だと分かったのは、遺跡探索を開始してから暫く後の事。

*****

「何にもないね……ほんとにここで合ってるの?」
 他の人たちが数度は探索したらしい、それだけで全て見付かってしまいそうな小さな遺跡。
 隠し扉らしき場所は開け放たれ、錆びついて役に立たなくなっている罠を除けながらキャビィが壁を探っているワグネルに声をかけた。
「ああ。元々発掘済みの遺跡だからな」
 元はそれなりの建物だったと思われるその遺跡は、今は土の中に埋もれて入り口だけがかろうじて見える状態になっていた。
 奥に通じる道もあったらしいが、それは遥か過去に地崩れでも起きたのか完全に埋まっており、移動出来る数部屋も持ち出されるものは全て持ち出した、というくらい何も残っていない。
 それらをひとつひとつ確認していくうちに、キャビィの口が少しずつ歪んで来たのも無理は無いだろう。完全に外れを掴まされたと文句のひとつも言いたいところだが、ワグネルに付いて来てくれと頼まれたわけでも無く、自分が勝手に大量の財宝を想像していたのだから。
 そしてそのはけ口は、風化しつつある石壁へと向けられていた。
 入り口から入り込んだ砂や土をつま先で蹴り出し、元は滑らかだったのだろうが今や歪んでしまっているはめ込まれた石の壁にもついでとばかりに腹立ち紛れの足跡を付けて行く。
「おい、乱暴に扱うなよ。この遺跡が今どういう状況か分からない訳じゃないだろ」
「だってー」
 口を尖らせつつも壁を蹴る事だけはやめたキャビィがふっと足元を見て、首を傾げ、その場にしゃがみ込む。
「……どうした」
「風が」
 見て、と先ほどとは打って変わった真剣な表情を浮かべ、手に僅かな砂を握って足元にさらさらと落としていく――と。
 石壁の真下、本来なら土に埋もれているはずの壁の向こうへと、砂が吸い込まれていくのが見えた。
「向こうに何かあるよ」
「そうだな」
 見る限り扉と思える痕跡は無い。ざっと見た所隠し扉の類でも無いようだ。
「……ただの壁だな」
「あのさ、思ったんだけど」
 ツルハシでも持って来れば良かったか、と想定外の難物に、壁を積んでいる石のどこかが外れないかと普段持ち歩いている短剣でがりがり削り始めたワグネルに、同じように小型のナイフを使い始めたキャビィが口を開く。
「ん?」
「この向こうに部屋があるんだとしたら、あれじゃない? 埋まってるあっちからなら、普通に移動出来たんじゃないかな」
「――かもな」
 ここも、隠し扉であったならあっさりと見付かっていただろう。それが無かったのは、この遺跡が土の中にあり全体図が把握出来なかったものと、ワグネルたちが遺跡の中に入って思ったように、あまりにも小ぢんまりとし過ぎていて価値ある宝があるとは思えなかったからに他ならないだろう。
 そしてまた、幸いな事に、遺跡の中身が全て外に持ち出され、時とともに風化した壁に僅かながら隙間が出来ていた――その二つの偶然が重なったためにワグネルたちに見出されたとも考えられる。
 すなわち、この先には、まだ誰も手を付けていない部屋がある可能性が――と、二人の手が自然と早くなっていくにしたがって、長い年月を経た石壁の一部が、ごとりという重い音と共にひとつ外れ、土臭い、だが明らかに人の手で作られた真っ暗な通路が目の前に現れたのだった。

*****

「……ふう、はあ」
「……」
 肩で息を付くキャビィと、やや息の乱れたワグネルの二人が扉の前に立っている。
「何で、ここまで、しつこい仕掛けが残ってるのよ」
「……この先に、行かせたくなかったんだろ」
 今まで見たところでは錆びついて役に立たなくなっていた罠だけだったために高をくくっていたのだが……この通路だけは、今でも十分機能する仕掛けが満載だった。
 おそらく、土に埋もれていた場所に、仕掛けを解除する何かがあったのだろう。そうとしか思えない執拗で解除しにくい位置に仕掛けられた罠は、いきなり天井から今も実用性たっぷりのきらきら光る槍が勢い良く落ちてきたり、目の前の通路の大部分がごっそりと抜け落ちて相当な跳躍をしなければ飛び移れないようになっていたり、行き止まりかと思えば壁に擬態した魔法生物だったり――と、ひとつひとつ数え上げればきりが無かった。
 その中を進んで行けたのは、身軽さでは引けを取らないキャビィと、殺傷能力の高い罠を狭い通路で器用に大剣を操って片っ端から破壊していったワグネルのチームワークがあってこそだった。
「帰りも同じ道って考えるとうんざりしてくるけど……でもまあ、この中には」
 最後は普通に鍵がかかっているだけの扉。そこを得意の鍵開けでかちりと開けたキャビィが、にこにこと嬉しそうな表情を浮かべて扉を開け放ち……そして、
「えええ?」
 納得いかない、とばかりに声を張り上げる。
 それも当然の事だっただろう。
 ごくごくシンプルな小さな部屋は、魔法の効果でも残っているのか薄明かりで満たされており、その中央に人の腰ほどの高さの台座がちょこんとあるのみだったのだから。
「あれだけの仕掛けがあって何も無い部屋? 何それっ」
「――いや」
 ワグネルが台座の上に何か乗っているのを見つけ、声を上げ。
 その声で同時にキャビィもそれに気付いて、それがほぼ同時のスタートになった。
 たった一つだけの、宝らしきもの。
 それに先に手を付けたものが勝者だと信じて。
『獲った!』
 声を上げたのは、二人同時。
 ひやりとした冷たさのそれに触れたタイミングも、同時――だが。
「俺が先だよな?」
「あたしよ。そんなの分かりきった事じゃない」
 台座の上で小ぶりながらもきらきら輝いている、金と真珠を周りに散りばめたカメオ……その精緻さに見惚れる前に、お互いに所有権を言い始める二人。しかし、その視線と口調に勢いが無いのは、本当に自分が先にこの品に触れたのかという自信の無さのあらわれに違いなかった。
「分かった」
「あたしのもので間違い無い?」
「いや、ここで言い合っても結論が出ないのが分かったって事だ。……戻ってから決着付けようぜ。それまでこれは俺が預かる」
「えええ〜っ!?」
「って良く考えたら、俺がこの遺跡に来るって決めたんだから元々は俺のものじゃないか」
「何言ってるの、途中あたしがいなかったら先に進めなかったくせに」
「……ああ、それは認める。認めるから勝負はお預けにしようって言ってるんだ。こんな事やってたら朝になっちまうぞ」
「――分かった、じゃあひとまず預けておくわ」
 しぶしぶ頷いたキャビィを見て、荷物袋からカメオを包む布を取り出したワグネルが台座からそれを持ち上げる――と、
 ぽろん……ぽろろん……
 二人がいる小部屋全体に共鳴するように、穏やかな弦を弾く音が聞こえて来た。
「へえ……いい趣味してるじゃない。いい音ね」
「悪くないな」
 今まで聴いた事も無い旋律だったが、不快ではなくもっと聞きたいと思わせるような曲で、音の出所を探るように目をあちこちへと配る二人。
 そこに、ぱらぱら……と天井から砂が落ちてきて、ぴしり、と天井に亀裂が走るのが見えた。
「キャビィ――走るぞ」
「言われなくてもそうするわよ!」
 昔は、もしかしたらただ演奏するだけの仕掛けだったのかもしれない。だが、年月が経ち埋もれてしまった遺跡は、その音に耐え切れなかったようだった。

*****

「……遅いな」
 掌でカメオを――その中に彫られている女性の横顔を見ながら、ワグネルがぼそりと呟く。
 あれから何日経っただろうか。カメオが遺跡の主にとって相当大事な物だったらしい、と分かっただけで、製作者もモデルも判明しなかったが、その精緻なデザインと相当な過去の品というだけで、ワグネルが思っていたよりも高価なものだと知らされ、その結果とこのカメオの所有権をはっきりさせようとキャビィを呼び出したものの、目の前の飲み物の杯がいくら空になってもキャビィがあらわれる様子は無い。
 仕事が忙しいなら仕方ない、また日を改めて――と立ち上がりかけたその時、
「ワグネルっ!」
 酒場の喧騒をかき消すような大声を上げたキャビィが飛び込んで来た。
「遅いじゃないか。何してたんだ?」
「あ、あ、あんた覚えてる? あの曲、覚えてるっ!?」
 ワグネルの言葉に返答すらなく、目の色を変えてワグネルの首根っこを掴み、がくがくと揺さぶるキャビィ。
「まて、落ち着け……何なんだ?」
「あの曲よ! あの、小部屋で聞いた曲!」
 話を聞くと、こうだった。
 キャビィはあの曲を気に入ったらしく、何とか覚えていたフレーズをひとつふたつ鼻歌混じりに歌いながら仕事をしていたところ、それを聞きとがめた王宮楽師に詰め寄られたのだと言う。
 それも無理は無かったらしい。何しろその曲は、遥か昔に伝説となった音楽家の作曲したものであったらしいからだ。それも、今や当時の楽譜などほとんど残っておらず、ごく一部伝えられてきたに過ぎなかった。
 その音楽家の作曲した旋律を一曲分でさえ再現出来れば、楽師にとっても名誉な事であるし、またその曲の価値自体計り知れないものであると聞かされたのだという。
 つまり――キャビィ曰く、ワグネルの手の中にあるアンティークよりもずっと価値の高い宝が、あの曲だったと言うのだ。
「だからね、それの所有権はもうどうでもいいの。曲を再現するんだから手伝って!」
「俺に? そりゃ無理だ、覚えてなんか……」
「無理やりでも思い出させる!」
 ほら酒なんかどうだっていいでしょ、こっち来て手伝いなさいよ、とワグネルのようながっしりした体をものともせずにぐいぐい引っ張りながら酒場から連れ去っていく。
 その曲が完成したかどうか――それは定かではないが、ワグネルが夢でうなされるくらいキャビィに責め続けられた事は確かなようだった。


-END-