<東京怪談ノベル(シングル)>
『明日Smile』
ここはどこ?
―――そう問いかける声すら儚げで、月の明かりに消え入りそう。
唇から零れた言葉は私と言う容器から放たれて、世界に溶け込んじゃう。
それを羨ましい、と思うのは、私が独りだから?
私は独り。
ここに独りだけ。
独りぼっち。
ただ独りの私。
私を認識しているのは私だけ。
でもその認識は金魚すくいの紙で作った紙縒り(こより)よりも拙い。
ふとそれが切れて、私は私を見失いそうになる。
透明になって世界に溶け込みそうになる。
きっと私はそれが哀しい。
きっと私はそれが恋しい。
私は容器。
ここの森と私は一緒。
気付いたら私はここに居た。
何時から居るのかわからない。
知らない。
それはとても永く紡がれた時の物語のように思えて。
それはとても刹那な時を紡いだ物語のように思えて。
私は知らない。
知らない。
私が何時この世界に産み落とされてしまったのかも、
私が誰なのかも、
私を観測してくれる誰かが居るのかも。
知らない。
知らない。
知らない。
私はここに永いこと居た?
私はたった今ここに産み落とされた?
私はそれを知らない。
私は独りだから。
誰にも観測されない私の物語。
読まれない私の物語。
私の物語=運命=存在理由…………
私は要らない子?
森は深かった。
深い森のぽっかりと開いた場所に私は居た。
私は独りだった。
深い森の、ぽっかりと開いた場所。
何も無いその場所で、だけど花が一輪、咲いていた。
風が飛ばした?
鳥が運んだ?
あなたは前はどこに居たの?
そこには光りが溢れていた?
―――こことは違って。
そこにはたくさんあなたの仲間が居た?
―――あなたも独りぼっち。
そこではあなたは名前を呼ばれていた?
―――ごめんなさい。私はあなたの名前を知らないの。
名前を付けようと思った。
そのお花に。
白く咲く綺麗なお花に。
―――だけどそれは枯れてしまった。
ほんの少しだけ眼を離してしまった間に。
ひょっとしたらそのお花も私と一緒だったのかもしれない………。
私は容器。
私は器。
あまりにも永い間、私は独りだった。
それはとても静かで、
それ故に深く身に馴染んだ、
孤独。
私はそれを生きてきた。
孤独の時を生きてきた。
この森と一緒。
何も無くって、空っぽ。
私のこの身体は、この孤独と言う虚ろなるものを包み込んだ薄い皮膜。
私はそういう容器。
空であり、
無。
だから、私というこの存在が薄い皮膜で孤独を包み込んだものであったように、
その花も薄い皮膜で孤独を包み込んだもので、
だから私がその白い花を観測して、名前をつけようとしたから、それは孤独じゃなくなったから、破れて、孤独が流れ出して、世界に還れた。
きっと、そう。
私は孤独。
この何も無い空っぽな森と一緒。
だから私はこの森が好き。
愛おしい。
私と一緒だったから。
温かな母に身を寄せるように私はこの森に身を寄せる。
母の優しい子宮の中に居るように私はこの森を揺り篭にして身体を丸めて眠る。
許しを請いながら………
―――ねえ、森さん。私はここに居てもいいですか?
花が枯れた。
それがとても哀しかった。
それがとても羨ましかった。
独りが心地良かった。
―――きっと、誰の目も気にしなくっていいから。
誰かに傷つけられなくっていいから。
人との距離感が恐かった。
近づきすぎるのが恐かった。
近づきすぎて傷つけるのが恐かった。
近づきすぎて、傷つけて、それを許されるのが、本当はとても哀しかった。
嫌われるのは嫌。
でも傷つけても許してもらえるのは同じくらい哀しかった。
心が苦しかった。
声にならなかった。
私には何もできないから。
私はちっぽけだから。
私はわからないから。
私が、
私にできる事が………。
私には何ができますか?
優しいあなたに………。
私はあなたに返せていますか?
優しいあなたが私にくれたものを、くれた分だけ………。
それがわからなかった。
つかもうとしても、それはさらさらと私の手の平の上から零れ落ちてしまっていく。
それが呼吸ができなくなるぐらい哀しかった。
嫌だった。
そして私はそういう風だから、優しい誰かに嫌われる事が恐かった。
だからこの孤独は私には心地良かった。
きっと、そう………。
私は容器。
薄い皮膜で孤独を包み込む。
でも本当は、寂しい。
この私が包み込む孤独に波紋が浮かぶ度に私は寂しいと思う。
私のこの孤独に波紋が浮かぶのは私が誰かを思うから。
孤独だから誰かを求めて、
誰かを求めるから孤独を覚える。
私の中の孤独。
孤独は私。
私は孤独。
孤独な私が花を見つけて、
私の中の孤独に波紋が浮かんで、
私は花を求めて、
孤独な花は私に求められて、観測されたから、
そうして孤独じゃなくなって、枯れた。
世界に還れた。
私はそれが羨ましかった。
世界に還った事が?
誰かに観測された事が?
求められた事が?
―――――どれ?
もしも花なんか見つけなければ私の中の孤独に波紋なんか浮かばなかった。
寂しい、って思わなかった。
とても綺麗だった花は枯れた。
でもその枯れた花は、咲いていた頃よりも幸せそうだった。
ねえ、孤独な私。
私が求めているのは誰かに観測されて、求められる事?
それとも世界に還る事?
私は私。
私は孤独。
孤独をとても薄い皮膜で包み込んだ、もの。
私の生。
生=孤独。
孤独=生。
それはいつ終わるの?
それを知る術も無いまま私は孤独のしじまに眠る。
時を止めました。
心を止めました。
何も変わりません。
何も動きません。
何も消えません。
私は今日もこの森の揺り篭で、
孤独のしじまに眠る。
眠るは夢を見せる。
夢は映像を見せる。
それは私の想いが紡いだ絵?
小さな白い仔猫を抱く成長した私。
その私の周りに居てくれるたくさんの優しい人たち。
大好きな人たち。
仲間。
優しいお兄さんのような人。
温かなお姉さんのような人。
かわいい妹のような人。
愛らしい弟のような人。
皆、私に優しくしてくれる。
とても嬉しい色を私にくれる。
とても温かい色に染めてもらえる私。
とても優しい色使いで私にしてもらえる私。
それが嬉しかった。
それが幸せだった。
大好きです。
大好きです。
大好きです、皆さん。
夢から醒めて、それが溶けて、現実が肌に触れた時、私は涙を流していました………。
寂しいよー。
哀しいよー。
独りは嫌だよー。
哀しくって、
寂しい。
寂しくって、
哀しい。
――――だから私は私がこのまま世界に透明になって溶け込んでしまう事を願った。
この寂しくって、
哀しい想いも、
形を失って、
私と一緒に世界に溶け込んでしまう事を願った。
寂しい。
さびしい。
サビシイ。
哀しい。
かなしい。
カナシイ。
誰かに求められる事を願った。
―――距離感が恐いくせに。
誰かに求められない事が恐かった。
―――だから懸命に人の中にあろうと願った事があったのかもしれない。
だけどそれはきっと私の心を磨耗させた。
磨り減った心は厚みが無くなって、薄いそれは鏡になった。
鏡が映したのは、果たして何?
―――それはきり捨てねば生きていけないほどの辛く弱く儚い、未熟な心の欠片…………
私?
誰かが欲しい。
誰かに必要とされたい。
誰かの存在理由となりたかったの。
誰かの一番にして欲しかった。
そしたらきっと私は、あなたに感謝する。
そしたらきっと私は、あなたを愛する。
それは孤独で寂しがり屋の私があなたを存在理由とするのに充分だから。
だからきっと夢の中で見た私は、幸せだった。
たくさんの大切な人たちの中にいれて。
ねえ、私は?
私の手は、
夢の中で見たもうひとりの私のスカートの裾を触ろうとして、
だけどできなかった………。
私はたくさんの人たちに囲まれている私から置いてけぼりにされた。
私は独り。
私は孤独。
私は寂しい。
私は哀しい。
私にできて?
夢の中の私と同じ事が………。
大好きな人たちに、
大好きだと言ってくれる人たちに、
それを返せない事が哀しかった。
恐かった。
私を大好きだと言ってくれる人たちは、
私には、
神様。
だから神様を失った人が、
生きていけないように、
私も嫌われたら、
生きていけなくなるから、
それを恐がる心が、
私の手を、
動かさなかった。
ねえ、私は?
私の事も好きですか?
私の事も見てくれますか?
私の事も愛してくれますか?
私の事を必要としてくれますか?
私の事、大好きですか?
私の声は、あなたに届いていますか?
私は心を止める。
―――もう何も感じないように。
私は時を止める。
―――止まった時をだけど動かしてくれる誰かが現れてくれる事を祈るように願って。
私は深い深い眠りに落ちました。
眠りの中で、またもう一度あの優しい人たちに囲まれている私になりたくって。
時の停止は、心をも止める。
止めた心は、時をも止める。
ただ、雛は殻の中で、その殻の向こう側に広がる外を夢見るように、
私の中の孤独も、人を夢見る。
だけど見た夢は忘れましょう。
忘却が何よりもこの孤独の中に生きる私に安らぎを与えてくれる事を私は誰よりも知っていますから。
夢を見る間だけ人を求めて、
夢から醒めた後は見た夢を忘れて、孤独に沈みましょう。
夢の中で生きて、
現実で眠って。
それが私の心の停止。
止まった時。
果たしてその声は、一体誰の声だったのでしょう?
死者は夢を見ませんよ。
あなたはだから生きているのですよ。
――――って。
優しい声。
温かい声。
それは母の子宮というゆりかごで聴いていた母の心音のように。
孤独の中でただ人を夢見て眠りに落ちたはずの私をだけど見ててくれた人が居ました。
ぽかりと開いた生い茂る木々の枝と葉の間。
そこに見えた星空。
星の海に浮かぶ丸いお月様。
優しい金色の月は、優しく私を照らしてくれる。
「ねえ、お月様。あなた様はどうしてそんなにも温かく、優しいのですか?」
私は天上の月に問いかけました。
するとお月様が優しく笑う柔らかな気配がしました。
それだけでこの孤独の森に降りた夜の濃密な闇の帳も幾分優しいものに変わったような気がしました。
お月様の明かりが声となって、私の心に届きました。
「それはね、私を輝かせてくれる人が居るからですよ。私は私が輝いているのではないのですよ。私は太陽様に輝かせてもらっているのですよ。そして私はその太陽様の輝きを、こうして夜の世界にそっと降ろしているのですよ。月の明かりが優しいと思うのならそれは、そう、それは太陽様から私、私から貴女たちへと手渡しされる愛情だからですよ」
私の中の孤独にとても大きな波紋が浮かびました。
ああ、手渡しされる愛情。
だからお月様の輝きはこんなにも温かく優しくって、心に心地良いのですね。
私にもあるのだろうか?
誰かに手渡しされた、愛情が………。
私は丸いお月様をただ願うように眺めました。
そして優しい月の光り、私へと手渡しされた巡り巡った愛情が私の孤独に凍りついた心を、溶かす。
溶かした。
溶かされた心はそれに触発されたように優しい記憶の糸を手繰り寄せる――――
「ぁ…ぉ………」
―――声が自然に零れた。
それは言葉にならない言葉?
名前の無い言葉?
名前の無い感情?
私の中だけにあって、世界のどこにも無い、モノ?
ううん、違う。
それは違う。
砂糖の結晶が水に優しく溶け込むように抱いた不安は、手繰り寄せられる記憶に優しく溶け込んでいく。
それは優しさ、愛情、大好き、という感情が形を成したことば。
私の、名前―――――。
「シェアト」
私の声が紡いだのは私の名前。
私にプレゼントされた感情が結び合って織り成した言葉。
天上に浮かぶ丸いお月様に向かって私は、感慨と喜びの海に浸りながらもう一度声を紡ぐ。
「シェアト。私の名前はシェアトと言うのよ、お月様。シェアト。シェアトと言うの」
星々が奏でる。
しゃんしゃんしゃんしゃん。と。
優しい音色を。
しゃんしゃんしゃんしゃん。と。
私が思い出した名前――――生れ落ちる時に遠い場所で約束されていた優しい感情の結晶を祝福してくれるように。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
星々の奏でる音色を聴きながら私はその優しい音色に触発されて浮かび上がってきた私の中にあった声を聴いた。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
それは私の名前の由来を教えてくれた声。
優しい声でそれを教えてくれたあなたは誰ですか?
誰だったのですか?
あなたは私を好いてくれていましたか?
私をあなたの存在理由としてくれていましたか?
私はあなたを私の存在理由としてもいいですか?
私はただそればかりを願い、
そして私に私の名前の由来を語ってくれたその人を思い出そうとして、
だけど思い出すことは叶わなくって、
だから私の中にある孤独の波紋は、とても大きくって、
私はもう思い出してしまったから前のような孤独の海にただ沈む事ができなくって、
それで、だからお月様の光りの中に溶けてしまう事を今までで一番願ったのです。
ただ孤独だったと思う時よりも、
誰かが前に居てくれていた事を思い出した後のこの孤独の方が、
辛かったから。
―――――「シェアト。シェアト、というあなたの名前はね、あなたを守ってくれるお星様の名前から頂いたのよ」
月の光りの中で身体を丸めて、
その光りに孤独が哀しくって、だから溶けてしまう事を祈りながら、
私は、でも同時に見える星空に私と同じ名前の星を探しました。
ねえ、私と同じ名前のお星様。
あなたは今も私を守ってくださっていますか?
私の願いをも叶えてくださる気はありますか?
優しい月の光りに私は溶ける事を願います。
優しい月の光りに私は溶ける事を祈ります。
でも同時に私は私を守ってくださる私と同じ名前の星にただ心の奥底から願いました。
でも同時に私は私を守ってくださる私と同じ名前の星にただ心の奥底から祈りました。
出逢えますように、と―――――。
ただ私は逢いたい。
私の存在理由となってくれるあなたに――――。
私は思いました。
願うように思いました。
祈るように思いました。
私にシェアト、と名づけてくれた人がかつて居たようにこの世界には私を好きになってくれる人が居るかもしれないと。
ただそればかりを、願うように祈ったのです。
触れれば壊れそうな想いでした。
でも、それでもその硝子のように脆く繊細な思いは、私の止まっていた歯車と歯車との間のただ小さな歯車となって、小さく小さく、ぎこちないけど、それでもまた私の止まっていたはずの歯車を回し出したのです。
とても恐くって、恐くって、恐いはじめの一歩を、だけど私は歩み出してみようと、そう思い始めていました。
それは手ですくおうとしてもすくえないような、そんな形の無い想いだったんですけど、でもシェアト、その名づけられた私の名前と、私にその名前の由来を語ってくれた優しい声が、私の背中を押してくれたんです。
たとえそれが、何の一歩かすら私にはわからなくとも…………私はただ一歩を踏み出そうと、そう思えたんです。
名前と声を、思い出したから――――。
明日Smile。
明日、笑えるようにしようと想いました。
だから今日、私は笑おうと想います。
胸を張って、私は私であって、私の笑顔で、あなたに出逢えますように、と。
そんな明日をただ祈って、今は優しい月の明かりの中で、私は眠りに落ちたんです。
私という薄い皮膜でできた容器で、私の孤独をそっと、包み込んで。
明日Smile。
【明日Smile →closed】
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