<東京怪談ノベル(シングル)>
Tragic Heroine Syndrome
「…やっぱり、いないのね」
今宵もレピアは月夜烏の踊り子を探して黒山羊亭に足を運んていた。
また彼女と踊りたいと願い、毎夜黒山羊亭へ通いつめているが彼女が黒山羊亭に現れることはなく、エルザードのどこかにいるのではないかと客に話を聞くも、もう彼女の噂をする者はいない。
もう少ししたら現れるかもしれない。
そう思って黒山羊亭で踊りながら、レピアは月夜烏の踊り子が現れるのを待った。
だが、もう少しもう少しと時間が迫ってきている中で粘りつつ、いつも夜明け前までにエルファリア別荘へ帰ることが出来ずに黒山羊亭や天使の広場で石化してしまい、黒山羊亭の使いや使用人にエルファリアの部屋まで運んでもらうのだ。
その頻度が最近極端に増えている。
「――レピア…もう黒山羊亭でもその女性の噂は聞かないのでしょう? 危ないからもうやめてちょうだい」
別荘まで帰ってこれず、このところいつも道端で朝になって石化してしまうレピアを、エルファリアはかなり心配しているのだ。
黒山羊亭で石化してしまうのはまだいい。 黒山羊亭の使いが彼女をここまで届けてくれるから。
しかし、道端で石化した時に、もしも心無い者に連れ去られたらと思うと気が気でない。
「…御免なさい、エルファリア。 でもあたし、諦めきれないの…」
彼女と再び踊りたい。
出来ることなら彼女を呪縛から解き放ってあげたい。
そんな方法など、端からないというならばせめて、終夜の舞を共に舞うぐらいよいではないか。
それすらも許されないの言うのか。
この聖獣界には具象的な神という存在はない。
神とは他の世界から齎された概念なのだが、その力が今でも影響しているということは、どれほど離れた存在であってもどんなに遠い世界であっても、月夜烏の踊り子の呪いは解けることはないのだろう。
ならばいつか、自分の手でその術を見つけてあげたい。
夜の帳がおりるとあの緑の黒髪を探してしまう。
「レピア…」
夜毎黒山羊亭へ向かい、明け方までいては石化して運ばれて帰ってくる。
その繰り返しの中、エルファリアはいつかこのサイクルが途切れるのではないかと、朝になっても運ばれてこないのではないかと心配で心配で気が狂いそうになる。
こんなにも心配しているのに、何故?
二度と会えないかもしれない、いや、会えないであろう似た境遇の娘を求めるのだろう。
それも一方的なシンパシーに過ぎないのに。
「わたしがどれだけ心配してると思うの…?」
ただ共に踊りたい。 レピアの願いはただそれだけ。
だが、そんな彼女の想いとは裏腹に、エルファリアの心は屈折していく。
自分がどれだけ心配しているか、レピアはわかってはくれない。
そして、そんな日々が幾日も続いた、ある日の夜のこと。
「――…何?」
別荘を出た時、庭に面した海の方からパシャンと音がした。
魚が跳ねたにしては音が大きい。
別荘近くの海岸はそれほど深いわけではないから、大きな魚が跳ねるというのも不自然だ。
何故か無性に気になってしまったレピアは、海岸が覗ける場所へ静かに足を進め、そっと覗き込んだ。
「エルファリア!?」
目の前にはエルファリア王女によく似た人魚が、夜空を見上げて海岸沿いの岩場の上にいる。
そんな、まさか。
エルファリアは寝室で眠っているはず。
レピアは慌てて別荘に駆け戻り、エルファリアの寝室を確認した。
「――エルファリア…?」
誰もいない。
ベッドに残るぬくもり。
「さっきの人魚は―――…」
頭が混乱する。
エルファリアはあの聖獣王の娘だからして、様々な可能性を秘めていることは確かだ。
しかし普段の彼女は魔法を使えても僅かばかりの力。
体を変化させるような魔法は使えないはずだ。
落ち着いて考えろと自分に命令する。
もう一度確認しなければ。
あの人魚がエルファリアなのか、そうでないなら彼女は今何処にいるのか。
再び海岸に戻り、あの人魚の姿を探す。
先ほどの岩場ではなく、今度は海の中を悠々と泳いでいる。
「エルファリアなの? 答えて!」
レピアの言葉にゆっくりと振り返る人魚の顔が、月明かりの中ではっきりと照らし出される。
あれは紛れもなくエルファリアの顔だ。
「―――違うわ、私は人魚姫」
岩場にのぼり、美しい水晶のような輝きを持つ鱗を纏った魚の下半身。
だが、レピアにはどうしてもエルファリアにしか見えない。
声まで同じなのだから。
「…人魚姫……」
どこかで聞いたことがある。 エルファリアの顔と声以外のこの特徴を何処かで聞いて知っている。
記憶を反芻していると、月夜烏の踊り子の一件より少し前に、エルファリアが持っている絵本を見せてくれたことがあった。
人魚姫の悲劇の物語。 美しい人魚姫には婚約者がいたが、その婚約者に横恋慕していた海の魔女が、嫉妬から姫を石に変えようとした。
その時それを止めに入った婚約者を誤って魔女は殺してしまったのだ。 それを石に変わろうとする中、止めることも出来ずただ見ているしかなかった姫は、慟哭の表情のまま石となってしまい、その涙は真珠となって石となった姫の周りに落ち、それからもずっと姫の石像は真珠の涙を流し続けているという。
そんな悲劇の人魚姫の話を聞いたことがある。
「まさか…そんな…」
レピアはふと思い出した。 悲劇のヒロインになってしまう病気のことを。
トラジックヒロイン・シンドローム、いわゆる悲劇のヒロイン症候群だ。
魔力の高いエルザード固有の魔法病らしく、夢遊病の一種で、発病者の意識が途切れると発症するという、発症率のきわめて低い非常に稀な病気。
「エルファリアが…何故?」
そんな悲劇のヒロインになってしまうような兆候があっただろうか。
彼女の周辺で起きた出来事を出来る限り思い出そうとする。
ところが。
ここにきてふと、つい最近の自分とのやり取りを思い出した。
”――レピア…もう黒山羊亭でもその女性の噂は聞かないのでしょう? 危ないからもうやめてちょうだい”
「―――あ…」
言の葉の断片が脳裏を駆け巡る。
”わたしがどれだけ心配してると思うの…?”
自分だ。
自分のせいだ。
自分が彼女に、エルファリアに心配をかけすぎたのだ。
それゆえ彼女の心は病んでしまった。
「エルファリア…御免なさい!」
目の前の人魚姫に向かってそう叫ぶも、人魚姫のエルファリアはレピアの言葉に反応しない。
いるはずのない愛しい人の死ぬ瞬間の幻を見ているのだろう。
顔は天を仰ぎ、愛しい人を失った悲しみから声をあげて泣き叫ぶ。
そして、体は徐々に石化していく。
「エルファリア!!」
パキパキと音がして、エルファリアはあっという間に石になっていく。
レピアは石になってしまった彼女に走り寄る。
波をかき分け岩場にたどり着き、石と化したエルファリアを抱きしめる。
「ごめんなさい…ごめんなさいエルファリア…あたし…ッ」
形は違えど、夜の帳が下りているその間だけしか大好きな舞を舞うことができないその辛さをお互い痛いほど分かっているから。
もう一度キチンとあの子と話がしたかった。
もう一度一緒に踊りたかった。
けれどその為に一番身近にいて自分を心配してくれる人を、愛しい人の心を蔑ろにしていたことに、今ようやく気づいたのだ。
自分勝手なことして、周囲に迷惑をかけ、こんな病気にかかってしまうほどエルファリアに心配をかけてしまった。
物言わぬ人魚姫。
石と化したエルファリアの頬をレピアはそっと撫でる。
悲しみの表情のまま動かぬエルファリアの頬は冷たく、物語のように目から零れ落ちた涙は小さな真珠となって海へ落ちる。
「御免なさいエルファリア…もう心配かけるようなことはしないわ」
約束する、そう言ってレピアはエルファリアの額にキスをする。
貴女を悲しませるようなことはしないわ。 レピアはそう囁いて石の肌を抱きしめる。
次の瞬間、抱きしめる石の触感が変わった。
柔らかな人肌の感触。
手の甲にかかるきめ細やかな美しい金髪の肌触り。
「―――レ…ピア…?」
「エルファリア!?」
体を引き離し、エルファリアの顔を見つめる。
きょとんとして、まだ少し眠そうなエルファリアの顔。
涙目で自分を間近に見つめるレピアに、エルファリアも驚き、辺りを見回した。
「あ、あら? 寝ていたはずなのに……海?? 何故!?」
慌てるエルファリアを見て、なんだか少しおかしくなってしまって悪いとは思ったが笑ってしまった。
「何? どうなってるのレピア…?」
「何でもないわ。 きっと少し寝ぼけちゃったのね。 さぁ、こんなところにいつまでもいるのは危ないわ」
先に海の中へ飛び込み、足の届く海の中から、戻りましょうと言ってエルファリアに手を差し伸べる。
夢遊病の癖があるのかとエルファリアは真剣に悩みつつも、レピアの手を取った。
夜が明ける前に別荘に帰ろう。
エルファリアの手の温かさを感じながら、足元に気を配りながら別荘への道のりとを歩いていく。
そして、別荘に戻ってから二人とも着替えを済ませた頃、水平線に日の光が満ちる。
「あら、もうこんな時間なのね」
「ねぇ、エルファリア?」
レピアの石化は始まっている。
「御免なさい。 もう貴女に心配かけるような真似はしないわ…貴女を悲しませるようなことはしない」
「―――レピア…?」
「大好きよ」
そしてそのまま、レピアは満面の笑顔のままでいつものように日の光のもとで石像となった。
「…レピア…」
笑顔のレピアを見つめるエルファリアは、昨晩いったい何があったのだろうと首をかしげる。
しかし、その理由もまた再び夜が訪れてから聞けばいいことだ。
今は彼女が心配をかけないと言ってくれたことが嬉しい。
「おやすみなさい、レピア」
また夜がきたら、その明るい声を聞かせて―――
完
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