<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
舞踏会を紡ぎましょう
暑い夏も去り、聖都エルザードにも秋の気配が漂い始めていた。降り注ぐ黄金色の日差しを浴びながら、セヴリーヌは通りを歩いていた。その一角のホストクラブの前で、足を止め、軽く上を見上げる。
当然のことながらまだホストクラブは開いていなかったが、セヴリーヌは構うことなく玄関横の階段を昇った。現れた洋裁店の扉を開き、声をかける。
「こんにちは」
「あ、セヴリーヌさん、いらっしゃーい。ご注文いただいたドレス、できてますよー」
元気な声とともに、この洋裁店の主、ティオ・ウォーカーが笑顔で出迎えた。繊細な銀髪をツインテールに結い上げた可愛らしい少女だ。
彼女の示す先には、深紅のチャイナドレスを着せられた模型が佇んでいた。
「まあ、素敵」
セヴリーヌは思わず感嘆の溜息を漏らす。
「ね、セヴリーヌさん、中で着ていきませんか?」
「ええ、是非」
ティオの誘いにセヴリーヌは浮き浮きと頷いた。
「それにしても、さすがは王女様の見込んだ方ですわ。去年の舞踏会のドレスも素晴らしかったですし」
「あは、ありがとうございます。それにしてもあの時は驚きましたよー」
ティオはセヴリーヌの着替えを手伝いながら、にっこりと微笑んだ。
それは一年前の夏のこと。
「ねえ、セヴリーヌ。ちょっとお使いに行ってくれないかしら?」
エルファリアのこの一言が全ての始まりだった。
「今度の舞踏会、私と友人のドレスを新しいお店に頼んでみようと思うの。ちょっと気になるお店があるから、注文に行ってくれないかしら?」
実に屈託なく続けられたそれは、とても当時まだ新顔だったセヴリーヌには回ってくるはずもない大任だった。
メイドの仕事にも慣れ、その手腕で周囲を唸らせていたセヴリーヌだったが、さすがに王女のこのお使いにはやや面食らわずににはいられなかった。
「お願いできないかしら?」
わずかに目を瞬かせていたセヴリーヌに、エルファリアは小首を傾げて言い募る。
「かしこまりました」
戸惑っていても仕方はない。メイドの自分にとって王女の命令は絶対だ。それはそれ、これはこれとあっさり割り切ることにして、セヴリーヌは頷いた。洋裁店の場所と注文内容とを聞き取ると、それを手際よくメモに書き付け、セヴリーヌは王女ににこやかに挨拶して城を辞した。
しゃき、しゃき、と大きなはさみが心地よい音を立てた。糸くずが散って、手には軽い、それでもしっかりとした手応えが伝わってくる。思い通りにはさみを動かすのは本当に気持ちが良い。ついつい、鼻歌などが口をついて出るのも、まあごくごく自然なことだった。
手先の器用なティオにとって、仕立て屋の仕事はまさしく天職と言えた。お客によく似合う服やアクセサリーを創り出すのが楽しくて仕方ないのだ。兄たちが経営するホストクラブの2階とはいえ、自分の店を持って仕事ができるというのは最高の気分だった。
「……ごめんくださいまし」
どうやらお客が来たらしい。
「はーい」
ティオは布を裁っていた手を止めて、玄関へと回った。
「いらっしゃいませ」
笑顔で出迎えつつも、ティオは思わず目を丸くした。そこに立っていたのは、エルザード城のメイド服に身を包んだ女性だった。さすがに城つきのメイドともなると、何かが違う。ただ立っているだけなのに、その身からは気品のようなものが匂いたつように漂っている。
「ティオ・ウォーカー様のお店はこちらでよろしいのでしょうか?」
にこりと笑ったその微笑は、まるで天使のそれのようだった。
「はい、ティオは私ですが……」
自分はどこか知らない世界に迷い込んでしまったのではないか。そんな戸惑いに目を瞬かせながらも、ティオはどうにか頷いた。
「私、エルザード城のメイドでセヴリーヌと申します。今日は、エルファリア王女様の遣いで参りました。今度の舞踏会で王女様とご友人お二方のお召しになるドレスをティオ様にご注文したいとのことです」
「えっ」
目の前の女性の言葉は、まさに寝耳に水だった。ティオはただ、ぱちぱちと目を瞬いた。
「お引き受け願えないでしょうか?」
セヴリーヌは変わらず穏やかな微笑みをたたえたままで、軽く小首を傾げた。
「あの……、本当に私でいいんですか?」
いまだ信じられない気持ちで、ティオは聞き返す。
「ええ、王女様のご意向ですから」
「は……、はい、精一杯頑張ります」
「ありがとうございます」
ティオが何とか返した返事に、セヴリーヌはにこりと微笑んだ。
「注文なのですが、王女様にはライトピンクのレインボーラメ高級ロングドレス、ご友人には白の花モチーフ高級ロングドレス、もうお一方のご友人にはパープルの斜めフリル高級ロングドレス、ストール付きでお願い致しますわ。素材はどれもポリエステルで」
「ポリエステル……?」
そういう生地があるのだろうか。聞き慣れない名前にティオは思わず首を傾げた。
「最近、異世界から製造技術がもたらされた合成繊維ですの。石油等を原料に繊維に紡いだものでして、シルクよりも軽くて耐久性に優れてしわにもなりにくく、カビや虫に強いという性質を持っているそうですわ」
「へぇ……」
ティオは思わず溜息をもらした。それが本当なら夢のような素材だ。さすがに王宮の注文ともなると素材から違ってくるらしい。
けれど、次の瞬間には不安が頭をもたげてきた。そんな素材をどうやって手に入れたら良いのだろうか。よしんば手に入ったとしても、自分に扱えるのだろうか。
「ティオ様にはドレスの製作に専念していただけるよう、生地はこちらで手配致しますわ」
まるでティオの心配を読み取ったかのように、セヴリーヌはたおやかな笑みを浮かべた。
「他に必要なものはございますか?」
「もしあるなら、ドレスをお召しになる方の肖像画などを見せて頂けると……」
「そうですね。では、それも手配致しましょう。生地と一緒に後日お届け致しますわ。それではお願い致します」
洗練された物腰で優雅な一礼を残し、王女の遣いは去って行った。いつしか店の外に消えていたその後ろ姿を、ティオはいまだ夢見心地で見送っていた。
さほど日を置くことなく、果たしてセヴリーヌの言葉通り、色鮮やかな生地がティオの店に届けられた。ティオが頼んでおいた肖像画と、3人の寸法ともしっかり入っている。
「これがポリエステルかぁ……」
ティオは初めて見る布地をおそるおそる手に取った。シルクに負けない光沢を持ったそれは、軽く撫でるとしゃなしゃなと聞き慣れない音を立てる。手触りも、しっとりと手に吸い付くようなシルクとは違い、肌の表面をさらさらと滑る。
今まで扱ったことのあるどの生地とも違う。それを目の前にすると、大仕事を受けたのだという実感がじわじわと湧いてくる。それは、喜びであるだけではなく、大きな重圧でもあった。
けれど、恐れていても始まらない。おびえていてもつまらない。幸い、ティオが新しい生地を心置きなく試せるようにという配慮だろう、生地はドレスの着分よりもはるかに多く届けられていた。
「よし、やるぞ」
ティオは大きく息をついた。
「セヴリーヌ、ちょっと頼みたいことがあるの」
夜のエルザード城庭園。そよそよと吹き渡る風は肌に心地よく、そろそろ秋の訪れを感じさせていた。
そこはかとなく漂う花の香の中で、エルファリアがおもむろに口を開いた。
「なんなりと」
セヴリーヌがかしこまって答えると、エルファリアは口元を綻ばせた。
「今度の舞踏会、あなたの力も借りたいの。スタッフとして参加してもらえないかしら?」
それはあまりに唐突な申し出で、さすがのセヴリーヌも度肝を抜かれた。
「わ……、私でよろしいのですか?」
「ええ、もちろん。生地の手配も絵師の手配も素晴らしかったし、舞踏会の方もその調子でお願いね」
エルファリアの方はあっけからんとしたものだ。
「で、ですが……」
王宮主催の舞踏会といえば、王族だけでなく、貴族諸侯も参加する大規模なものだ。その大事な催しに、城に勤め始めて日の浅いセヴリーヌを登用するなどと、酔狂も良いところだというのに。
「大丈夫です。私、あなたを信じていますから」
信じている、純真な笑顔と共にその言葉がセヴリーヌの胸にちくりと刺さった。
成り行き上、セヴリーヌはエルファリアの命の恩人であるとはいえ、それももともとはソーンに混乱をもたらすという使命を遂行するための策だったのだから。元いた世界では崇拝の対象であった紅い月の天使といえども、人のそれに似た感情を持っていないわけではない。
「わかりました。精一杯勤めさせていただきます」
セヴリーヌはおっとりと頭を下げた。
それからの月日はめまぐるしく過ぎて行った。
ティオは仕事部屋に籠りっきりで、まずはデザインを書き下ろした。
王宮主催の舞踏会でも恥ずかしくない豪奢なドレスを。けれど、主役はあくまで着る人。着る人を引き立て、華を添えるのがドレスの役目だ。
幸い、セヴリーヌの手配してくれた肖像画が、人物の特徴をよくとらえていたため、自然とティオのイメージも膨らんだ。
エルファリアには、彼女の純真さを引き立てるように、よけいな装飾を最小限にして、布自体の美しさとラインの可憐さの輝くマーメイドスタイルのドレスを。
パープルのドレスを着る婦人はすらりとして大人びた女性だから、すっきりとしたシルエットに、大胆なフリルを斜めに入れてボリュームを出した。
逆に、白のドレスを着る女性は、少し背の低い可愛らしい女性。胸元にアクセントになる花をつけ、絞った腰から裾はふわりと軽く。スカート部分には小花をちりばめて、愛らしさを演出しよう。
デザインが完成したら、それを型紙にして、布を裁ち、丁寧に縫製する。フリルや花のモチーフには、わざと生地を熱して適度に縮れさせ、ボリュームと風合いを出した。
一方、セヴリーヌもまた、忙しく働いていた。
舞踏会の賓客に振る舞われる料理の構成や、材料の手配、楽師たちの選任から、会場の照明や装飾。準備するべきことは山ほどあった。
セヴリーヌはベテランの料理人やメイドたちに混じって、良いと思われることは積極的に提案した。旬の食材の調達や、産地の選定、新素材で作られるドレスのことを考えての照明の調節など。時に自ら手配を買ってでたセヴリーヌの手際は、ベテランのメイドも舌を巻くほどだった。
そうして瞬く間に秋は去り、冬も深まったある日のこと。
「できた……」
華やかなドレスを着た3体の模型の前で、ティオは溜息をついた。精魂込めて作ったドレスは、そこにあるだけで仕事場が華やいだ。
ティオは早速城へ連絡を入れた。城からは、折り返し、すぐに受け取りに行くという返事が届いた。
「まるで夢のようだなぁ……」
ティオは自分の作ったドレスを見て呟く。
この数ヶ月間、ただひたすらこのドレスを製作するために過ごしたことも、新しい素材を扱ったことも、そもそも王女のドレスの注文を請け負ったことも。
「ごめんくださいまし。ドレスを引き取りに参りました」
心地よい脱力感に浸っていたティオを、涼やかな女性の声が引き戻した。
「はーい」
元気に返事を返して玄関へと周り、ティオは思わず絶句した。そこに立っているのは王女エルファリアその人だったのだ。
「この度は急な注文を受けて下さってありがとうございました。さっそくなのですが……、見せてもらってもいいですか?」
実に屈託のない口調で、エルファリアはにこりと微笑みかける。
「は、はい、どうぞ……」
ティオは狐につままれたような気分のままで、王女を中へと案内した。
「まあ、素敵」
ドレスを前にしてエルファリアは歓声を上げた。その偽りのない感嘆の声は、ティオに深い安堵をもたらした。
「ありがとうございます」
王女に頭を下げたティオの声は、自然と震えていた。大仕事をやり遂げた、その実感がじわじわと湧いてくる。
「本当に、ご苦労様でした。是非、舞踏会にも来て下さいね」
エルファリアがティオに封筒を渡す。それは、舞踏会への招待状だった。
「素敵なドレスを仕立てて下さったデザイナーとして、皆にもご紹介したいのです」
「は……、はい、ありがとうございます」
「まあ、よかった。では是非来て下さいね」
ドレスをたたんで包みながら、なかば反射的に頭を下げていたティオに、エルファリアは無邪気にころころと笑った。
「わ……、私が舞踏会に!?」
やり取りの意味を理解して、思わずティオが叫んだのは、とっくにエルファリアが帰ってしまった後だった。
「た、大変なことになっちゃった……」
手元の招待状を見返して、ティオは天井を仰いだ。
そして、日々は流れて舞踏会当日。
「ようこそいらっしゃいました、ティオ様」
気後れしながらも、エルザード城のダンスホールに足を踏み入れたティオを、セヴリーヌの笑顔が出迎えた。知った顔を見ると、自然と強ばっていた気分もほぐれてくる。
「大丈夫ですよ、ティオ様は自然になさって、舞踏会を楽しんで下されば良いのです。」
色鮮やかな香りの良いカクテルをティオに渡しながら、セヴリーヌは微笑む。
「ありがとうございます」
ティオは安堵の息をついて、グラスにそっと口をつけた。
心浮き立つような音楽が流れて、色とりどりのドレスに身を包んだ人々が軽やかに踊る。料理や飲み物の甘い香りがふわりと漂って、それはまるで夢の世界。
ティオが手持ち無沙汰にならないよう、暇を見つけて声をかけながらも、セヴリーヌは会場全体に気を配った。料理の配膳が偏らないか、誰か困っている人はいないか、飲み物は行き渡っているか。そしてなおかつ、場の雰囲気に水を差さないように。
そうして、舞踏会は最高潮に達した。ティオがエルファリアに呼ばれ、前へと出て行く。エルファリアが、本日の衣装をティオが製作したことを来賓たちに告げ、場内は盛大な拍手に包まれた。一瞬呆然とした表情を浮かべ、次にそれが微笑みに変わったティオの頬はほんのりと上気していた。
「はい、できましたよー、セヴリーヌさん。どうぞ、こちらへ」
手際良くセヴリーヌにドレスを着付けてくれたティオが、姿見の前へと案内してくれた。
「まあ、素敵」
鏡に映った自分の姿に、セヴリーヌは思わずうっとりとした声をもらした。身体のラインにぴったり沿って、深いスリットの入った深紅のチャイナドレスは、セヴリーヌの肌の色にも、つやのある金髪にもしっくりと馴染んで、さらにある種の妖艶さを引き立てていた。
「嬉しいですわ。本当にありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ、あの時の約束が果たせて嬉しいです」
あの時。舞踏会が大盛況に終わった後で、改めてセヴリーヌとエルファリアからティオに礼を述べたのだが、その時にセヴリーヌが今度は自分のドレスを注文したいと言ったのだ。
互いに忙しくて時が経ち、1年越しでやっと約束が果たされたのが、今日この日。
「それより、セヴリーヌさん、こんな扇子もいかがですか?」
と羽でできたふわふわの扇子を取り出すティオ。
「まあ、素敵ですわ」
それを手にとり、鏡の前でポーズを取ってみるセヴリーヌ。
店の中に、2人の涼やかな笑い声が響いた。
<了>
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