<聖獣界ソーン・白山羊亭冒険記>


例えばこんな物語


 最近白山羊亭には毎日のように1人のお客がやってくる。
 彼は、店内全てを見渡せるようなカウンターの椅子に座り、ウェイトレスのルディアに無邪気に話しかける。
 彼の名はコール。
 この世界に始めて降り立った際に、凍るように冷たい瞳をしていると誰かに言われてから、そう名乗るようになった。いわゆる記憶喪失である。
 年の頃20代中ごろといった風貌なのだが、記憶をなくしてしまった反動か、どこかその性格は幼い。
 服装も、頭に乱雑に――だがかっこ悪いというわけではなく――ターバンを巻いて、布の端々から銀の髪を見ることが出来た。
 どこかエルフを思わせる青年は、店内をぐるりと見回し、ルディアにこう告げる。
「新しい物語を考えたんだ。そうだなぁ主役は、あの人」
 夜が更け、生身の身体に戻ったレピア・浮桜は、いつもの様に白山羊亭へ踊りに来た早々指差され足を止める。
 視線を向けてみれば、以前…そう自分を登場人物の一人として冒険譚を話した人だ。
 レピアはカウンターで白紙の本を広げているコールに歩み寄り、
「以前参加した、冒険譚は、お姫様の身代わりじゃなく、勇敢なお姫様そのものが希望だったのよねぇ」
 と、その顔を見てボソリと言葉を零す。けれど、彼も自分もあの時1度しか顔を合わせたことが無い仲ではあるし、仕方がないかなとも思う。
 そうしている内に、コールの物語は幕を開けた。



【ベルゲニアの崩壊】


 大きな宮殿の広間で優雅に踊る青い髪の踊り子。
 時に純粋な少女のように、そして時に妖艶な女性のように。
 踊り子は変わらないのに、まるで1つの物語を見ているかのように変わっていく踊りに、誰もが感嘆の息を零し、その姿を食い入るように見つめた。
 シャラシャラと足と手首に付けられた鈴がステップにあわせて鳴る。
 ウードが奏でるメロディに乗って、鈴の音は広間中を多い尽くすように響く。
 青い髪を持つ妖艶の踊り子は、口元を薄布で覆い、布の先に縫い付けられた金具がその動きにあわせて鳴りあう。踊りにあわせて鳴るその音は、鈴の音に広がりと深みを与える。
 宮殿の最上段に位置した場所から、脂ぎった指全てに大振りの宝石があしらった金の指輪をはめた手が、踊り子の動きに合わせうずうずと動く。この宮殿のマハラジャだ。
 踊り子の視線がマハラジャを射抜く。
「おぉ、おお!」
 マハラジャは興奮して歓喜の声を上げた。
(そろそろかしら)
 踊り子―――レピアは、自分の踊りに気に入らない眼差しながらも熱中しているマハラジャの姿を確認し、すっとヤードを持った相方に目配せする。
 そして踊りのターンと見せかけて広間で一回転するようにあたりを見渡せば、広間に集まっていた人全てがトロンとどこか夢見心地の眼差しで広間を、自分を見ている。
 レピアは薄布の下、口元を弓なりに吊り上げた。
 この広間にいる者たちは完全に踊りに魅了されている。レピアは柄に金の意匠を施した剣を両手に携え、空中に弧を描いた。
 瞬間、音楽とステップが変わる。
 今まで妖艶な踊りであったものが、一気に鋭い俊敏な踊りへと変化し、巧みに動く銀の切っ先に視線を奪われていた。
 レピアは剣舞と見せかけながらマハラジャの居る上段へと駆け上がる。
 マハラジャは恍惚とした笑いを浮かべ、レピアは返すようににっこりと微笑む。そして、マハラジャの手を取って広間へと連れ出した。
 最初の踊りで使っていた布が風に吹かれるように、マハラジャとレピアを包んで舞う。
 その隙間から剣舞が光る。
 誰もが目を凝らし、その光景を見た。

シャン――――――……

 最後の鈴の音。
 広間は舞う布だけを残し、踊り子の姿もウードを弾く楽師の姿も消えていた。
 けれど、誰もその事に気がつかない。
 鈴が止んだという事は、踊りが終わったという事。
 きっとあの布が床に落ちたらマハラジャと踊り子が居るに違いない。そう、思っていた。
 が―――――
「きゃぁああああああ!!!!」
 ラマンの悲鳴が宮殿内に響き渡った。



「レピアの手は充分綺麗だろう?」
 さっきからずっと手を拭いているレピアに向けて、楽師が苦笑する。
「あの男どうすればあれだけ脂ぎった手になれるのか不思議だわ」
 レピアはふんっと鼻で息をして、街を見回す。
 この街で裕福なのは、外の町や国から来る商人と、その交易品を取り仕切っていたマハラジャ……。
 この街に住む人々は日々貧困にあえいでいた。
 今のマハラジャを倒してもまた新しいマハラジャが宮殿を収め、事態はもしかしたらもっと酷い事になるかもしれない。
 けれど、今のまま何もしなければ、これ以上悪くはなっても、良くなることはない。
 だから街の人々は実行した。マハラジャの暗殺を。なけなしの財産を集めて。
 布のほつれを取り繕いやっと服に仕立てているような衣類に身を包んだレピアは、先ほどまで宮殿の広間で踊っていた踊り子には到底見えない。
 レピアと楽師は街の奥に建つ、街人にとっては唯一の娯楽場とも呼べる酒場に足を踏み入れる。
「ありがとうございます!」
 涙で顔をくしゃくしゃにした老婆がレピアと楽師にすがりつく。マハラジャに息子を殺された女性だ。
「流石ベルゲニア……」
 壮年の男性が酒場に集まっていた人を掻き分け、二人に麻の袋を差し出す。
 けれどレピアは麻袋を手で制し、男性に問いかけた。次のマハラジャが今以上に酷い奴だったらどうするのかと。また、自分たちが組するような暗殺組織に頼むのかと。
「その時は、それが運命だと受け止めるしか……」
 その言葉に誰もが沈痛な面持ちで顔を伏せる。
「今回は苦しむあなた達を見て、あたしが勝手に動いただけよ」
 苦しむ街の人々を助けるためとはいえ、人を殺すという事は綺麗事じゃ済ませない。理由は何であれ咎罪であることに変わりはないのだ。
「ベルゲニア…?」
「あたしの気紛れよ」
 レピアはそれじゃね。と告げると、楽師の手を引いて酒場から出て行った。
 酒場の入り口で街人たちが二人に向けて深く頭を下げる。
 楽師は、しょうがないと言わんばかりにふっと微笑んだ。
「君は暗殺者には向いていないよ、レピア」
 血で手を染める事に躊躇いはないのに、綺麗なものが穢れるのを極端に嫌う。
 まるで、その罪を全て自分一人で背負おうとしているかのように。
「レピア」
「何? 突然」
 真剣に名を呼ばれレピアはどうしたのかと振り返る。
「君は本当に、綺麗だね」
 奏でられるウードの音。
 目の前がくらくらする。
「……―――…」
 レピアは楽師の名前を唇に乗せる。けれど、その名は声にならず、風に消えていった。
「ごめんね。その名前、偽名の偽名なんだ」
 楽師は倒れたレピアを見下ろして、にっこりと微笑んだ。




 レピアは呆然とその場に立ち尽くしていた。
 足元には見知った顔がいくつも転がっている。
 手に握られた剣は自分が何時も剣舞で使っている暗殺刀。
 それが真っ赤に濡れている。
「え…ど、どうして……?」
 最後の記憶は楽師が奏でたウードの音。
「あの子、あの子はどこ…!?」
 レピアは剣を放り出し、楽師の姿を探す。
 自分が、仲間が、全てが真っ赤に濡れている理由を探して。
 ふらふらとした足取りでレピアは街道に出る。完全に錯乱していた。
「レピア・浮桜! 第一級殺人罪で逮捕する!」
 何が起こっているのか分からぬままレピアは投獄され、何の反論もせぬまま裁判は勝手に進んでいった。
 そして、最後の審判が下る。

「その記憶廃れるまで石化刑に処す」

 だがその石像を見るたびに人々は事件を思い出す、永遠の石化刑。
 それはまた、別の組織に向けての見せしめをも込めているように感じた。
 ベルゲニア……表向きは暗殺組織、けれどその実は、圧政に苦しむ人々を助けるため、その暗く汚い部分を全て引き受ける組織、崩壊によって。



終わり。(※この話はフィクションです)































 結局“レピア”は全ての罪を擦り付けられ、その後形を受けることになってしまった。
「うーん…」
 どうもコール自身納得がいかないのか、難しい顔で腕を組み、眉根を寄せる。
「登場人物が足りない感じかも」
 物語的には前編が終わったところ、だろうか。けれどこの話を続けるのならば、この後レピアを助け出す“誰か”の存在が必要で、本当の敵を捕まえて倒してレピアを助けてハッピーエンド、が物語としてもいい感じだ。
「味方と思っていた人が、敵だったなんて」
 そして、その人の手に落ちて、催眠から味方に牙を向けてしまった。
「あたしも気を付けなくっちゃ」
 物語の“レピア”のように操られ、大切な人を手にかけてしまわないように。
 この物語の内容が、なぜだか教訓のように思えて、レピアはしみじみとそう呟いた。










☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【1926】
レピア・浮桜(23歳・女性)
傾国の踊り子


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 例えばこんな物語にご参加ありがとうございます。ライターの紺碧 乃空です。
 単純に操られて手を汚し〜では単純過ぎると思ったので、味方を手にかけてしまうというちょっとシビアな展開になってしまいました。
 物語としてはこれで終わりなのですが、コールが申しますようにもう一方ご用意いただいて、完結まで持っていってみるというのもまた手かと思います。
 それではまた、レピア様に出会える事を祈って……