<聖獣界ソーン・黒山羊亭冒険記>


交響幻想曲 −忘れられた第3楽章−



 黒山羊亭のカウンターに明らかに手書きと思われる地図を広げ、エスメラルダはつぅっと指で地図上をなぞる。
 それは、先日、聖都エルザードの近くにある草原に落ちた、不思議な山のような街の地図。
「人の足には限界があることは分かるわ」
 約半分ほどの地図を見つめ、もう少し詳細な地図を作ることは出来ないかと問いかける。
「例えば、そう…」
 頂上だけに建つなどという、いかにも特別で疑ってくださいと言わんばかりの教会をトンっと指差す。
「ここへ通じる道を見つける……とか」
 話に聞いた、開かずの扉と、開け放たれた扉がどれくらいあるのか、とか。
 4方を囲まれた民家に入るための入り口を見つける、とか。
「それから…」
 短い水晶の鎖がエスメラルダの掌から伸びていく。
 シャランと、鈴が鳴るような音をたてた水晶の鎖に視線を落とし、
「これの謎…とかね」
 そうして冒険者達はまたあの落ちた街へと足を運んだ。





Wisely, and slow; they stumble that run fast.          William Shakespeare





「………また随分と変わったものが落ちてきたものだ」
「そうだな」
 落ちてきた街の足元で、街を見上げ、感慨深げに呟いたライカ=シュミットに、ランディム=ロウファはどこかおざなりな返事を返す。
(あーあ、結局俺が持ち込んだ情報は機材不足で役立たず……)
 とほほ、と心中でため息を吐いて、これでは街で起こるかもしれないゴタゴタを、率先して処理するくらいしか立つ瀬が無い。と、そしてまた短いため息を漏らしたランディムに、追い討ちをかけるようなライカの質問。
「先日街に赴いた帰り、貸し与えた突撃銃を持っていなかったが―――」
 まさか、捨てたんじゃないだろうな?
 この問いにびっくぅとランディムの肩が震える。
 一瞬、街でであった“何か”に襲われて取られたとか、なくしたか(これじゃ一緒か)とか、壊れたとかごまかしてしまおうかと考えたが、下手に嘘や良い訳ではぐらかしても後が怖いだけ。
「使えなかったからな。捨てた」

 ―――カシャ。

「ま…まてまてタンマ!」
 案の定背後に業火を背負って、手持ちの銃のストッパーを解除したライカに、ランディムは両手を首を振って抗議する。
 だが、ランディムの予想とは裏腹に、ライカは短く嘆息の息を漏らした。
「今回ばかりは不問としてやろう」
「へ?」
 撃たないの? と、言わんばかりのランディムの表情。ライカはすっと目を細める。
「……撃ってほしいのか?」
「滅相もございません」
 捨てたという返答が帰ってきた一瞬、本当に弾丸の一発でも叩き込んでやろうと思ったのだが、ランディムもこの街の手がかりを知っている人間の一人。情報がつかめていない街で、情報源を自らの手で1つ減らす事もない。
「やぐら…ちゃんと管理してんのかよ」
「ロッククライムの必要がないだけありがたいと思うが」
 ちょっと壊れかけてない? と思えるようなやぐらを昇り、探査のベースとなる街の広場に降り立てば、前回集まったメンバー、シルフェ、アレスディア・ヴォルフリート、キング=オセロットと、もう一人見知らぬ青年の姿が視界に入る。
 そして、ばさっと羽音が響き、そちらへ視線を向ければ、
「これで全員か?」
 空から訪れたサクリファイスが、共に連れてきた湖泉・遼介を地面に降ろし、自身も街に降り立つ姿が見えた。
「そうみたいだな」
 しばしの沈黙で新たなる来訪者を待ってみたが、ここに降り立つ足音は聞こえない。
 降り立ったという点だけ見れば、サクリファイスが一番最後のようだった。
 アレスディアは人数を確認すると、エスメラルダから預かった前回完成した地図のコピーを配る。
「皆、地図は行き渡っただろうか」
「ああ。こいつの分まで貰っちまって、ありがとな」
 ランディムは、今回初の街探索に加わったライカを指差す。
「気にする事はない。探査をするなら未完成でも地図はあったほうがいい」
「すまない。恩にきる」
 笑顔でそういいきったアレスディアに、ライカは軽く頭を下げた。
「なぁ、提案なんだけど」
 一度地図に視線を落とし、顔を上げた遼介が皆の顔を見回す。
 それぞれどこへ向かうか考え始めていた一同の視線が一気に遼介に集まった。一瞬その視線にうっと遼介は喉を詰まらせるが、
「前みたいに、時間になったら何の収穫がなくても集合しようぜ」
「その案には私も賛成だ」
 と、いち早く同意したのはオセロット。
 エルザードから程近いとは言っても、殆ど解明が住んでいない場所。何が起こるか分からない。
「そういえば、皆どうするか決めてんの?」
 皆の行動を聞いたランディムに、遼介が横から問いかける。
「そう言う、ランディムさんはどうするの?」
「俺?」
 聞くだけ聞いて、自分だけ何も言わないのはちょっとフェアじゃない。
「こいつ…ライカと一緒に探索だな」
「どうやら前回の探索でディムが迷惑をかけたようだな。だが今回は俺も同行する……少なくともディムよりは役立つ筈だ」
「迷惑って何だよ! ちょっとカメラが現像できなかっただけだろ!?」
「探査に赴いて情報を手に入れられなかったことは、充分足手まといではないのか?」
 前回ランディムは、カメラを持ち込みこの街の写真を撮ったのだが、結局機材不足で現像する事が出来ず、何の情報にもならなかった。
 すまし顔のライカに、何か言い換えそうと言葉を捜すランディム。
 遼介はポカンとそのやり取りを見つめた。
 仲が良いのか悪いのか。
 むきー! と、ライカに向けて言い知れぬ咆哮を上げたランディムだったが、ぐるぅりとなぜか据わった視線を遼介に向け、
「そういう遼介はどうするだよ?」
 と、問いかける。
「え、俺?」
 行き成り矛先が自分に向いた事にびくっと肩を震わせ苦笑い。
「俺は、一人で行くよ」
(壁壊してみるなんて言ったら……)
 前回のことを考えれば、遼介が考えているこの行動は止められかねない。
「それと、これ使えるかどうか試してみたいんだ」
 そう言って取り出したのはあの水晶の輪。
「それはあの時の」
 サクリファイスは遼介の手に乗った水晶の輪を見つめる。
「エスメラルダがよく承諾したものだ」
「まぁ、全部は無理だったけどな」
 もしこれがあの人型の“何か”に戻り、また襲い掛かってくる可能性は否めない。それでも頼んだ遼介にエスメラルダが折れたのだろう。
 しかし、何か進展はある……かもしれない。きっとエスメラルダもそれを期待している。
 そして視線は、まだ行動を話していない人へ向けられた。
「わたくしはコール様と共に、探索と地図作りの続きを」
 シルフェの中にある1つの予想。偶然にもこの場に居る男性陣3人とは初対面だが、女性陣には馴染み深い青年、コール。
「えっと、初めまして」
 へにゃっと笑ったコールに、男性陣はつい、こいつ本当に役に立つのか。と、思ったとか、思わなかったとか。
「人形が襲い掛かってきた家へ行ってみる」
 あの時は人型の“何か”が襲い掛かってきたため、民家を調査する事が出来なかった。もしかしたら、他の民家と作りの差異があるかもしれない。
 オセロットはふっと空を見上げ、
「集合は、太陽がこの街の地平線に隠れ始めた辺りでどうだろうか」
 オセロットの体内では時間を正確に測れるのだが、此処にいる全員が時計を持っていなければ“何時に集まろう”と提案しても確認が出来ない。
 そのため、オセロットはそういった言い方をした。
「夕方じゃあいまいだしな。それで賛成」
「ああ、その辺りにここへ戻ってこよう」
 各々が頷き、それぞれまた手元の地図に視線を落とし、行程を考える。
「地図を作ると言うのなら…」
 と、アレスディアはふと顔を上げ、シルフェに持ってきた紙を1つ手渡した。
「ありがとうございます。そういえば、アレス様はどうされます?」
「徒歩故、移動に限界はあるが私は今回も地図を作ろうと思う」
 正確な地図を作る事が出来れば、探索はもっと今以上にやりやすくなる。地図作りというのは一見地味だが、冒険する者にとっては一番重要なアイテム。
「今回は未踏の地から調査を開始しようと思っている」
「でしたら、ご一緒にはいけませんね」
 シルフェは頬に手を当てて残念と言うように眉をしかめる。
 一緒に行けない理由―――それは一重にコールの神がかり的な迷子気質に起因するのだが。
 そんな様子にアレスディアはつい苦笑を浮かべてしまう。そして、シルフェが首からかけているマリンオーブを指差した。
「何かあれば、水で知らせてほしい」
一気に水を放出させれば、きっとどこに居ても駆けつけられるだろう。
「ご安心ください。この件に限っては未来視は欠かさないように致しますから」
「心得た。だが、もし何かあったら必ず」
「はい」
 前回も各々自由行動をとったのは、シルフェの未来視の結果からだった事を思い出し、アレスディアは心強く微笑んで、紙とペンが入ったかばんを持ち直した。
 そしてひと、頂上を見上げているサクリファイスの姿を目に留め、声をかける。
「サクリファイス殿は、どうする? もし必要とあれば紙をお分けするが」
「ありがとう」
 今回は全体像の把握よりも、頂上の教会から上層部分の詳細な地形を把握しようと思っていたため、サクリファイスはアレスディアが差し出した紙をありがたく受け取る。
「翼があるのはサクリファイスだけ、頂上の探査は時間がかかりそうだ」
 徒歩である自分達が階層を効率よく抜け、頂上へと赴く事はどれくらいかかるだろうか。と、オセロットは感慨深く呟く。
「もしかしたら、正解のルートというのがあって、簡単に頂上に着ける道があるかもしれないな」
 まるで迷路を攻略するかのように。
 徒歩組みがスタートから探査を行うなら、サクリファイスはゴールから探査を行うといってもいいのだから。
 遼介は数回屈伸を繰り返した。今回は一気に頂上近くまで昇る予定のため、準備運動は欠かせない。
「じゃ、夕方ここで!」
「また夕方に」
「了解」
「了解した」
「承知しました」
「りょーかい」
「ああ」
 そして、それぞれの目的地へと向かった。
 今回この街の探査を行うにあたり、ランディムと共に黒山羊亭に訪れたライカは、エスメラルダに事の起こり、それから今まで起こったことの説明を求めた。
 各々の行動によって手に入れた情報もあるのだろうが、個々に問うよりも、情報を一括しているエスメラルダに聞けば、詳しくは無くとも大まかなあらすじを聞けると思ったからだ。
 それに、保管はこの隣に居るランディムが行うだろう。
 そう考え、ライカはエスメラルダに問う。
「そうね。街が落ちてきたのは、オーケストラの噂が広まって直ぐ」
 関連があるのかどうかはまだ分からないわ。
 そう告げるエスメラルダに、ランディムが付け加える。
「先日の探査じゃ、まるっきり関連性は見つけられなかった」
 けれど、二人ともの共通意見として、だからといって何も関連していないとは言いがたい。きっと、そこに至る何かに達していないのだろう。というのがあった。
「それからこれね」
 エスメラルダの手から垂れる、繋がった短い水晶の鎖。
「あの街で襲われた人形を倒すと、これに変わったのさ」
 シャラン…と、まるで鈴が鳴る音を響かせた水晶にランディムの顔つきが変わる。
(………)
 ライカはその微かな変化を見て取ったが、あえて口を挟まず、次の質問を投げかけた。
「その人形は鍵のかかった家から現れたのだな?」
「そうだな」
「そうね」
 頷いたランディムとエスメラルダの言葉から、オセロットと同じように、人形に襲われた家に何か仕掛けがあり、それを確かめるなり解除するなりするつもりであったが、自発的に動かなければ危険に晒される可能性の低いこの街で、同じ場所に二人も行くことは効率が悪い。それに、なによりも黒山羊亭でのランディムの微かな変化が気にかかっていた。
 ゴタゴタを片付ける。
 ランディムとライカは地図を参考に街を歩き、鍵のかかった扉を目指す。
 そう―――あの人形どもを水晶の輪にする。
 いや、もしかしたら“戻す”という言葉で合っているかもしれない。
 二人は1つの扉の前に立つ。
 ガチャガチャと鍵がかかっていることを確認し、一瞬顔を見合わせる。
 ランディムはにっと笑って、鍵で閉ざされた扉に手をかけた。
 その動きと、今まで聞いた話から推測して、ライカは銃のセイフティを外す。
「こーゆー扉はな」
 開けるに限るんだよ!!

バン――――!!!

 ドアノブが空へと吹き飛んでいく。
 乱暴に開け放たれた扉の向こう。
 蠢く闇から生まれるように人形が、雪崩れ出てきた。
「分かってるよな?」
「勿論だ」
 人形の構成を解析する間、人形がランディムに近づかないよう動く。
 人形に意思はない。加えて言うなら俊敏な動きも、手の込んだ動作もない。ただ一定距離に近づいた者から順にその額を打ち抜くだけ。
 力は強いと聞いていたが、この動作の遅さならば苦もせず処理できるだろう。
 ランディムは軽くライカに礼の言葉を発し、さて。と人形に向き直る。
 鈴の音がする鎖なんて余程腕のいい細工師が作ったか、そうでなければ魔術的な何かがあるような気がして。
 ランディムは水晶の輪を含む人形を“視る”。
 その解析を、そして額を壊す以外の新たなる解除の方法がないかと思って。
「っ!!?」

 知らない。知らない。異世界の魔法。
 複雑に絡み合った魔方陣。
 読み解けない文字と記号。
 識らない紋章。
 人形をすり抜けて街の構成がその瞳に飛び込む。
 家の形を作る帯の塊。
 違う。この帯も複雑に絡み合う方陣の一部。
 呑み……込まれる!

 人形が襲い来る中で、驚愕に瞳を見開き、まるで誘われるかのようにゆっくりと手を伸ばす。
 けれど、その手はガツンと、無機質な壁に阻まれ、あと少しその先にあるものを掴めない。
「ディム!!?」
 ライカの叫びにランディムはびくっと肩を震わせ、目の前に広がる白い民家から後退る様に数歩離れる。薄く開いた口が微かに震えていた。
「どうした?」
 ざっとライカはその横に移動し、銃弾を補充する。
 ランディムが集中を飛ばしていた間に何体か人形を元に戻していたのだろう。水晶の輪が幾つか地面に落ちていた。
「いや……」
 今自分が何を見たのか、何が起こったのか理解が出来ず、呟くようなその程度にしか言葉が出てこなかった。
 まだ少しランディムが上の空のままの状態でも、ライカは人形の額を打ち抜いていく。
 そう、今は襲い来る人形の処理をする事が優先だ。ランディムはそう自分を奮い立たせると、壁を背に振り返った。
 人形はいい。解除(と、読んでいいのかはまだ分からないが)する方法が分かっているのだから。
『…ruUuuu……』
 銃弾と飛ぶボールの音に隠れて響く、何かの嘆き。
「何か聞こえないか?」
「何かって?」
 ライカは今まで容赦なく打ち込んでいた手を止めて、回避に努める。
『MoDoooooo……RUuuuu』
 多少音が止んだその場に響く人形の口から発せられる嘆き。
「言葉か、これ?」
 くぐもってよく聞き取れないが、確かに“戻る”と言っているようにも聞こえる。
「前の奴より各上ってやつか?」
 そう言ってみても、ランディムが前回その目で見た人形と、今目の前に居る人形の見た目に差異は見られない。
 その嘆きのような唸りが、言葉のように聞こえるようになった位しか。
「しっかし“戻る”って何だよ」
「普通ならば、“戻れ”が正しいだろうな」
 自分たち侵入者に対してこの街に近づくなと言うならば、人形達は“戻れ”と言うべきである。
 けれど、人形は“戻る”と言った。
 人形がどこかへ戻りたいのか? その戻りたいという衝動に駆られているだけなのか。
 しばし避ける事に徹する事にした二人に、人形達は抱きつくように両手を広げ、嘆き、唸る。
『Doo……RuuUUuu』
『Ohhh…KuuUuuuu……』
『KUuuu…RuUuu』
 それが言葉だと最初に認識できた嘆きほどはっきりとはしていないが、繋げてみれば知っている言葉に変わる。
 “おくる”。
 何を送る?
 それとも贈る?
 いや、“戻る”という言葉に合わせるならば“送る”がきっと正しい。
 ランディムとライカは人形達の嘆きや唸りに注意深く耳を傾けてみたが、言葉としてその二つ以上の何かを発しているようには聞こえなかった。
 ただ、その文字を組み合わせ、分解し、思い思いに嘆き、唸る。
「潮時だな」
「ああ」
 これ以上、避けながら聞いていても、それ以上の情報は得られない。
 ランディムはキューを、ライカは銃を、改めて構えた。
 地面に落ちていく水晶の輪。
 辺りを警戒するように見回し、他に人形の姿がない事を確認する。
 落ちた水晶の輪を確認し、ランディムはエスメラルダがしていたように1本の鎖として繋ぎ合わせる。

 シャラン―――…

 まるで鈴が鳴るように。
 細工も悪いわけじゃない。それに、魔術的な何かもある。
 そう、これは媒体だ。人形を作るための媒体。
 確か記憶の奥底に似たようなモノが無かっただろうか。そう神秘学の分野において。
「………」
 人形の額にかかれている文字が分かれば、知っている知識を応用できるような気がするのに。
 エメトとメス。真理と死。
 額にある文字を壊すと消えると言う行為が、あまりにも酷似している。
 一通りの思考をめぐらせ、ふっと肩で息をしたランディムは、共に居るはずのライカに振り返る。
「眉間にしわよってっぞ?」
 ランディムは怪訝そうな顔つきでライカの顔つきを覗き込むが、ライカはランディムを一瞥し、上層を見上げた。
「上層に行かなくとも、見る方法があった事を思い出してな」
 そしてライカは跳びあがり、近くの民家の屋根へと昇る。
 ライカは自身の装具を手に取って、広範囲視覚共有探査装置を展開し、装具と視野を共有する。
「この街に探査に来ているのは俺たちだけのはずだな?」
「ああ、そのはずだぞ」
 自分たちが黒山羊亭を出るのが一番遅かったのだから、それは間違いない。
 エスメラルダの依頼外から街に訪れた人間か? それともただの観光客か? それにしては様子がおかしい。
「そろそろ戻ったほうがいいと思うんですけどー」
 難しい顔つきで一点を見つめたまま微動だにしないライカに、ランディムは手に扇を当てて路地から声をかける。
 ライカはただ一心に上層を見上げる。自分の目で上層を見上げる必要はないにせよ、反射的に視線を向けてしまう。その光景は、高低差と勾配にはっきりと見えるとは言いがたい。けれど、上層に見知らぬ男が居て、そいつが腕を動かしたのは見えた!

ゴゴゴゴゴゴゴ―――……

「何!?」
 突然揺れた足元にランディムは蹈鞴を踏み、腰を折る。
「っく…」
 ライカは屋根の上、体感する揺れを最小限に抑えようとその場に蹲る。そして唇をかみ締めると、上層にを睨み付けるように見上げた。





Nothing is a waste of time if you use the experience wisely.          Auguste Rodin





「皆無事か?」
 広場の中心で左右に延びる街道から広場へと戻る仲間たちを見て、オセロットが問いかける。
「はい。わたくし達は大丈夫です」
「こちらも、なんともない」
「しっかし何だったんだ? また傾いたのか?」
「私は、何ともなかったが……」
 サクリファイスは地面に下ろした遼介に視線を送る。
 ただ一人、遼介だけが難しい顔をしてその場に立っていた。
「老紳士」
「!!?」
 ライカの問いかけのような呟きに、遼介が驚きに瞳を見開く。
 何で知っている? と言わんばかりの遼介の顔に、ライカは自身の聖獣装具を取り出した。
「これだ」
 それは【狙偵銃・スコープガン】と呼ぶライカの聖獣装具。
 広範囲での視覚共有を可能とし、この装具が持つ能力によってライカは第五層で起こった騒動を見た。
「揺れは、多分そのせいだと思う」
 遼介は納得がいかないような顔つきで、自分が体験したその一連の出来事皆に話す。
 水晶の輪を欲しがる老紳士。
 動かした指揮棒に呼応する壁。
 「よい働き」と言った不思議な言葉。
 正直、遼介自身、何が「よい働き」なのか分からない。けれど、その言葉から水晶の輪がこの街を動かす事に欠かせないアイテムだという事は分かった。
 しかし、遼介が納得していない部分はそんなことじゃない。
 輪を返せと言ったのに、老紳士から感じるものと水晶の輪から感じるものが全く違ったということ。
「ばっちり、俺の主観だけどな」
 遼介はそう付け加えるが、肌から本能的に感じてしまったものを、頭から否定も出来ない。
「そんな事があったのか」
 見ていたとはいっても、あまりにも遠かったため、いったい何が起こっているのか分からなかったサクリファイスは、感慨深く呟く。
「そんな事と言えば……」
 思い出したように口を開くアレスディア。
「人形が何か言葉を発したのだ」
「あぁ、それなら俺たちも聞いた」
 な? と、ランディムはライカに振り返り、ライカは小さく頷く。
「“戻る”“送る”と言っていたように聞こえたが」
「私は“別世界”と聞こえた」
 この言葉で何か伝わる文章になるだろうかと三人は考え始める。
「“だ”と“め”…。単純に考えて“駄目”か」
 そして、そのやり取りを聞き、オセロットが小さく呟く。
 瞬間、声に視線が自分に集まり、オセロットは軽く肩を竦めるようにして笑う。
「空耳だと思っていたんだがな。それを言葉と言うなら、私も聞いた一人になるだろう」
 文字数があまりにも少なかったため、言葉として認識すべきなのか、ただの嘆きと処理してしまっていいのか、その情報の足りなさにオセロットは少々判断に困っていたのだが、皆の台詞を聞いて、多分言葉だったのだろうと結論付けた。
「“駄目”と“戻る”と“送る”と“別世界”か」
 アレスディアは手に入れた言葉を確認するように1つずつ唇に乗せる。
 これだけでは組み合わせを間違えれば、全く違った文章になりかねない。
 人形は、いったい何を伝えたかったのか。
「もしかしましたら、わたくし達が遭遇した人形さんも何か言ってらしたのかもしれませんね」
 ほう…。と、頬に手を当てて軽く小首をかしげるように告げるシルフェ。
 が、その言葉にアレスディアはぎょっと瞳を大きくした。
「水を流して民家に閉じ込めてしまったものですから。うふふ」
 民家の中で流れる水流によって運よく戻った人形や、弱った人形を水晶の輪に戻していったため、人形の嘆きなど殆ど聞く機会はなかった。
「とりあえず戻ろうか、黒山羊亭へ」
 太陽の明かりが街の水平線に落ちていく。
 長くなった影を見て、サクリファイスは促すように皆に声をかけた。
「詳しい話は、飯でも食べながらでいいだろ?」
 黒山羊亭に辿り着けば、時間は丁度夕食時。ランディムは振り返りざまウィンクして、にっと笑った。


















――エスメラルダへの報告――

■人形の額に刻まれた文字■
※真理。文字をゆがめれば死。
※シルフェの予想が当たり、どうやらコールがもと居た世界のもののようだ?

■落ちてきた街■
※ランディムの見立てでは、街は複雑に細かい大きな魔方陣で出来上がっている。

■人形の嘆き■
※「駄目」「戻る」「送る」「別世界」
※オセロット、ランディム、ライカ、アレスディアが聞いた言葉。合計4つ。
※繋ぎ合わせたこの言葉の意味は? 誰かに向けたメッセージか?

■老紳士■
※遼介が襲われ、サクリファイス、ライカがその様子を見た老紳士。
※どうやら水晶の輪を集めているらしい。
※指揮棒で壁を操る。街の唯一の住人?
※遼介を捕まえようとした。目的不明。

■第五層、第四層の地形図■
※サクリファイスが書いた上層部地形図。方角を合わせていないため第五層と第四層は繋がらないが、大まかに上層部二層の地形は把握できる。

■街の地図■
※アレスディアとシルフェが追加した詳細地図。





「何か見えてきたのかしら」
 それは老紳士という新たなる登場人物が増えた事によって。
「そうだわ。これも多分重要な情報ね」
 それはオセロットがエスメラルダに話した、街に対しての考察。

※街に見えるが街ではなく、オルゴールのようなものではないか。

 オーケストラが聞こえる事、街に生きる気配が何も感じられない事。
 この二つを考え、エスメラルダはオセロットの予想を情報の1つとして付け加えた。










☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【2994】
シルフェ(17歳・女性)
水操師

【2919】
アレスディア・ヴォルフリート(18歳・女性)
ルーンアームナイト

【2872】
キング=オセロット(23歳・女性)
コマンドー

【1859】
湖泉・遼介――コイズミ・リョウスケ(15歳・男性)
ヴィジョン使い・武道家

【2470】
サクリファイス(22歳・女性)
狂騎士

【2767】
ランディム=ロウファ(20歳・男性)
異界職【アークメイジ】

【2977】
ライカ=シュミット(22歳・男性)
異界職【『レイアーサージェンター』】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 交響幻想曲 −忘れられた第3楽章−にご参加ありがとうございます。
 ライターの紺碧 乃空改め紺藤 碧です。以後よろしくお願いします。
 今回皆様のプレイングがかなり当たり方向で色々と情報を加えさせていただきました。
 最終のエスメラルダへの報告は重要と思われる箇所とエスメラルダが記録として書き残しているというスタンスです。
 足りないと感じる方は他納品のノベルを併せてご一読くださいませ。

 水晶の輪の連なり=鎖に対するプレイングから、魔術等の解析が出来るという事で少々神秘学(と、表記しましたがカバラです)の知識を本文中にて考察していただきました。通り越して街まで見ちゃいましたが。これが何かの切欠になればいいなと思います。
 それではまた、ランディム様に出会える事を祈って……