<お菓子の国の物語>


ロシアン・ルーレットは甘くない

 気づいたら、鍵のかかった部屋にいた。振り返った奥には台所、そして目の前には小さな机と椅子がある。机の上にはお菓子の載った皿。
「どうぢゃ、おいしそうぢゃろう」
向かいの椅子にちょこんと腰かけているのはお菓子魔法使いのアリス・ペンデルトン。金色の大きな鍵を指先でつまみ、ゆらゆら動かしながらにんまりと笑う。ああ、ひょっとしなくても自分を閉じ込めたのは彼女だった。
「これからわたしとこのお菓子を食べっこするのぢゃ。一つずつ順番で、甘くないのを食べたほうが負け」
わたしが負けたならここから出してやる、とアリスは言った。自分が負けたらどうなるのかと聞いたら
「そこの台所で、私の満足するお菓子が作れたら出してやる」
要するにアリスは、おいしいお菓子が食べたいだけなのだ。勝とうが負けようが彼女に損はない、損をするのは概ねこちらである。
勝負を拒否したところでアリスは出してくれそうにもない。ここは勝負を受けるより他なかった。観念して椅子に座り、眺め見た皿の上のお菓子はどれも不思議においしそうだった。

 まるでお見合いの席のように、向かい合わせで椅子と椅子に座るアリスと松浪静四郎。真ん中の皿の上で、俎上の鯉の如くに並んでいるのは小さなミルフィーユ。さっきから二人は順番に一つずつ、ミルフィーユを口にしているのだけれど。
「・・・これで最後ぢゃ」
「はい」
アリスが手を伸ばし、静四郎が頷き、皿は空になった。手の平よりも少し小さいミルフィーユをアリスは数秒間黙って見つめ、そして覚悟を決めると一気に口へ放り込んだ。それほど大きくもない口なのに、体なのに、よくもまああれだけお菓子が入るものですと静四郎は心の中で感心する。
 口の中のミルフィーユを何度も噛んで、噛んでそして紅茶と一緒に飲み干して、一息ついたアリスの言葉は。
「・・・おいしい」
「それは、よかったですね」
「よくない!」
眦を吊り上げて、アリスが吠える。なぜそんなに大きな声を出すのかと、静四郎はきょとんとしている。どうやら、勝負の主旨をすっかり忘れているようだ。
「これは、どちらがおいしくないものを食べるかという勝負ぢゃろう!なのにお菓子がみんな一緒でおいしくて、どうするのぢゃ!」
「なるほど」
どこまで純粋なのか、静四郎はアリスから怒鳴られても怒り返すどころか納得している。そしてその決まりごとに従うのならばあれは違っていたのだろうかと、聞いてみる。
「すみません、アリス様。実はわたくし、先ほど塩味のみるふぃーゆというものを食べてしまったのですが、あれはおいしくないものになるのでしょうか?」
「・・・・・・」
それぢゃ、とわめきたいところが声にならない。一体どうして塩味のミルフィーユがおいしいのかと訊ねたいがそれも喉のところでつかえている。しかし顔を真っ赤にして肩を震わせているアリスの様子でなにを言いたいのかは静四郎にも伝わったらしく、
「ああ、あの、本当においしかったのですよ。わたくしのふるさとには塩味のおせんべいや、大福というのもあるのです」
決して自分の味覚が特別ではないのだと説明するのだが、アリスのへそは曲がるばかり。わかりました、と静四郎は了承する。
「今から私、お菓子を作らせていただきます」

 細やかな神経の持ち主である静四郎はお菓子作りを始める前にまず一服、抹茶を点ててアリスへ勧めた。鳥の絵の描かれた美しい平茶碗なのだが、アリス自身は台所にこんな食器があったことも知らなかった。
「粗茶ですが、飲みながらお待ちください」
「ふむ」
取っ手がない茶碗を、どう手に取ればいいものかとアリスは指でつまんだ茶碗をくるくる回し、三度目に描かれた鳥と顔を突き合わせ、仕方なく両手で持ち上げ一口すすった。
「・・・まずい」
率直な感想、できることならそのまま茶碗に戻したいような味だった。生まれて初めて抹茶を飲む人の半分は、こういう反応を見せる。
「本当ならお茶菓子と一緒にいただくのですけれど、お菓子は今から作りますので」
「まだ飲むなというのなら、出すな!」
かんしゃくを起こすアリスはまるでねずみ花火のようだ、静四郎としては抹茶本来の味を知ってもらいたくて点てたのだけれど。
「そうですか・・・」
少し残念そうに、肩を小さく落とす静四郎。その様子が、静四郎としては少ししょげただけなのだが、柔和な外見のせいかやけに落ち込んでいるように見える。
「いや・・・その、別に、うまい菓子を作ってくれればそれでよいのぢゃ、ぞ?」
「わかっております」
自分の言葉すべてに諾と従う静四郎を見ていると、アリスは自分がひどくわがままな性格に思えて自己嫌悪が沸いてくる。
 善良な静四郎といるとなんだか自分が嫌いになりそうなのだが、それでもわがままを言わずにはいられないのがアリスの魔女的な本質だった。

「それはなにを作っているのぢゃ」
「羊羹です。そうですね、この世界のお菓子で例えるならぜりぃのもう少し固いような・・・でも、それなら水羊羹でしょうか・・・えっと・・・」
とにかくぷるぷるとした水気のある菓子だということは、なんとなくアリスにも伝わった。鍋の中で煮溶かされた寒天に砂糖が加わり、そこへ餡を混ぜて冷やし固めれば普通の羊羹になるのだが、静四郎が裏ごししているのは紫芋。
「混ぜるのか」
「ええ。綺麗な色になりますよ」
「かぼちゃではいかんのか」
「かぼちゃですか?入れたことはありませんが、できなくもないとは思いますが・・・」
「ならかぼちゃにしてくれ。ハロウィンといえばかぼちゃが定番なのぢゃ」
「かしこまりました」
にこりと静四郎は頷いた。
確かにかぼちゃというのも悪くないと思った。芋と同じに甘いし、色も橙で映える。しかし紫芋を無駄にするのも惜しいので、寒天を二つのボウルに取り分けて二種類の羊羹を作ることにした。
「なるほど、はろうぃんというのはかぼちゃなのですね」
他にはなにがあるのですかと振り返りかけたら、静四郎が見ているとは気づいていないアリスが、ためらいながらも再挑戦してみようと抹茶に手を伸ばしていた。まるで静四郎に申し訳ないからという様子で、それを見ただけで静四郎はそもそも怒っていないのだけれど、許してしまえる気持ちになった。
「まずい」
小さく悲鳴が聞こえる。静四郎は笑いを堪えるのに苦労する。一生懸命になっているアリスはなぜか、見てはいけない気がした。

 かぼちゃと紫芋をそれぞれ寒天と混ぜ合わせ、型に入れて冷やし固めた羊羹を食べやすい大きさに切り分ける。せっかくだから引き出しの中にあった型抜きで工夫をし、フォークでは味気ないので皿の隅には竹の楊枝を添える。
「アリスさま。飲み物はいかがしましょうか?」
「・・・・・・」
お茶には苦くない煎茶もあるのですよと説明しようとしたら、そもそもお茶は紅茶と同じ葉を使っているのだから慣れれば美味しいはずである、アリスは唇をへの字に結びつつ空になった茶碗を差し出した。
「おかわりぢゃ」
恐らく口の中は相当に苦いはず。眉間に皺が寄っているから、すぐにわかる。しかしなんて、意地っ張りな性格なのだろう。
「もっと苦いですよ」
しかめ面のアリスの顔があんまり可愛いもので、おどすように声をかけたら一瞬たじろぐような表情を見せたものの、静四郎の手前怖気づくわけにはいかなかった。
「構わぬ。持ってこい」
わかりましたと返事をして、静四郎はわざとさっきよりも抹茶の量を増やしてお茶をたてた。この独特の苦味も、慣れてくると美味しいのだ。
 結局四角い盆の上に並んだのは羊羹の橙に紫、抹茶の緑。外国のピンク色やスカイブルーのお菓子ほど派手ではないけれど、華やかであった。模様のない皿にしてよかった、と静四郎は頷く。静四郎が選んだのはハロウィンの夜のような、漆黒の丸皿。
「どうぞ、召し上がってください」
「これが食べられるのか」
出されたものを見て、アリスが驚くのも無理はなかった。和菓子は素朴だが繊細な細工ができる。静四郎は橙の羊羹をかぼちゃの形に、紫の羊羹をこうもりの形にくり抜いていた。おまけに残った紫の羊羹を薄くそいで目鼻の形をつくり、かぼちゃに表情を作った。
「本当にお菓子なのか」
なにも言われず差し出されていたら、アリスは多分おもちゃと間違えていただろう。おもちゃでも、かなり出来がいい。
「い、いただきます、ぢゃ」
さっきの抹茶と同じ、まるでよその家に放り込まれた猫のように、アリスは羊羹へ恐る恐る手を伸ばし、少しだけ切り分けると口に放り込む。
「・・・・・・」
毒を含むような顔でしばらく噛んでいたのだが、かぼちゃの甘い味が口に広がった途端アリスの頬が赤く染まっていく。あそこが彼女の美味しいというバロメータらしい。そういえば、抹茶のときは血の気が引いていた。

「羊羹と一緒に、お茶もいただいてみてください」
「うむ」
羊羹が美味しいとわかればもうアリスは静四郎に従順で、羊羹を一口抹茶を一口舌の上で味が混ざり合う。羊羹の甘みが抹茶の濃い苦味を中和してまろやかな味に変わる。ただひたすらに甘いものの好きなアリスだったが、甘すぎない和菓子がさらに抹茶で奥深い味へと変わるのに驚きながら、夢中で楊枝を持つ手を動かしていった。
「ごちそうさまぢゃ」
「お粗末さまでした」
アリスの満足そうな声は美味しい羊羹の余韻を楽しんでいるからで、静四郎の微笑むような返事はアリスの皿と茶碗がどちらも綺麗に空になっているからだった。残さず食べてくれて、本当によかった。
「和菓子もよいものでしょう?」
洗い物をしながら静四郎が訊ねると、アリスは頷きながらも
「ぢゃが、しばらくは遠慮ぢゃのう」
と肩をすくめる。
「なぜですか?」
「抹茶もそうぢゃが、和菓子は心臓に悪い」
確かに、お菓子を食べるたびに緊張させられてはたまらないだろう。もっと精巧な細工和菓子もあるのだが、それをアリスに見せたらどんな反応を見せるだろうか。茶器の水気を丁寧に拭いながら、静四郎は再訪を思った。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

2377/ 松浪静四郎/男性/25歳(実年齢31歳)/放浪の癒し手

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
魔女というよりは子悪魔なアリスのわがままに
付き合っていただきありがとうございます。
静四郎さまには、初めての発注をいただきましたが
いかがだったでしょうか。
「なんとなくふんわりしていて柳のように打たれ強い、というか
悪意に気づかない"母"オーラを持つ人」
というイメージで書かせていただきました。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。