<お菓子の国の物語>
ロシアン・ルーレットは甘くない
気づいたら、鍵のかかった部屋にいた。振り返った奥には台所、そして目の前には小さな机と椅子がある。机の上にはお菓子の載った皿。
「どうぢゃ、おいしそうぢゃろう」
向かいの椅子にちょこんと腰かけているのはお菓子魔法使いのアリス・ペンデルトン。金色の大きな鍵を指先でつまみ、ゆらゆら動かしながらにんまりと笑う。ああ、ひょっとしなくても自分を閉じ込めたのは彼女だった。
「これからわたしとこのお菓子を食べっこするのぢゃ。一つずつ順番で、甘くないのを食べたほうが負け」
わたしが負けたならここから出してやる、とアリスは言った。自分が負けたらどうなるのかと聞いたら
「そこの台所で、私の満足するお菓子が作れたら出してやる」
要するにアリスは、おいしいお菓子が食べたいだけなのだ。勝とうが負けようが彼女に損はない、損をするのは概ねこちらである。
勝負を拒否したところでアリスは出してくれそうにもない。ここは勝負を受けるより他なかった。観念して椅子に座り、眺め見た皿の上のお菓子はどれも不思議においしそうだった。
「じゃあね、お姉ちゃんばいばい」
嬉しそうに手を振る少年、ファン・ゾーモンセンに向かってアリスは必死の笑顔を作る。硬直した顔を保ったまま扉を重そうに開き、出て行くファンを見送っていた。扉が閉じる、ほっと息をつきかけたそのとき、また扉がわずかに開きファンが顔を覗かせる。
「お姉ちゃん、また遊ぼうね」
「う、うむ」
口の中をかき回しているような曖昧な返事だったが、ファンは約束だよと念を押して、今度こそ帰っていった。
「・・・・・・」
深く重いため息と共に、アリスはその場にしゃがみこむ。両手で口を抑えて、そのまま十分も動かなかった。
果たしてゲームに負けたのはどちらのほうなのか。今日の勝負、アリスがファンの前に差し出したのは小さなサイズのフルーツタルトだった。生地の上にふわふわのホイップクリームが搾り出され、その上に色とりどり一口サイズのフルーツがのせられている。
「うわーっ、全部食べたいなあ」
食べられる宝石を目の前に、ファンの大きな目は輝いていた。恐らく勝負を受けたのも、部屋を出て行きたいからというよりタルトを食べたかったからなのだろう。
「おい、わかっているか?この中で一つははずれなのぢゃぞ」
「うん。はずれが当たりなんだよね」
「・・・・・・」
わかっているようで、わかっていない。さっきまで見せていたあの警戒はどこへ行ったのだろうか、とアリスは遠い過去を見るような目を空中へ向ける。まったく、入ってきたときのファンといったらアリスのことを誘拐犯でも見るような目つきで、椅子に座れと言ってもまるで聞かなかったのだ。
「お前、本当の悪人には近づくなよ」
「え?」
この調子ではチョコレート一枚、飴玉一つで攫われてしまいかねない。変なところでアリスの善良な部分が顔を出す。
「ねえねえアリスさん。ボクから選んでいい?いいの?」
「ん?別に構わんが・・・」
先攻のほうがタルトを多く食べられると考えたのだろう、頭の中がお菓子という文字でいっぱいのファンはアリスが許せば一度に二個も三個もタルトへ手を伸ばしてしまいそうだった。
「えーとね・・・じゃ、これにする」
初めから大分迷って、ファンが選び出したのはオーソドックスにイチゴのタルト。ホイップクリームもほんのりピンク色で、おまけにタルトの器にはさらに、なにか赤いものが詰まっていた。
「おい、しーい」
クリームをなめては、自分まで溶けてしまいそうな声を出すファン。だったが、タルトを半分くらいかじったあたりで段々とその顔がこわばってきた。
「・・・しくない」
さっきの幸せそうな悲鳴はどこへ行ったのだろう。まるで耳の垂れた犬みたいだとアリスは思いながら、一体なにが入っていたのかとファンの手からタルトを取り上げる。
小さなフォークを使ってタルトの中に詰まっていたものをかきだしてみると、それはシロップで煮付けられたニンジンだった。甘いことは甘いのだが、「ガキんちょ」という肩書きを持つファンには苦手だっただろう。
「お前の負けということぢゃな」
「えーっ!」
「なんぢゃ。文句でもあるのか?ならこれを全部食べきってみろ。食べれば、勝負を続けてやるぞ」
嫌がらせのようにアリスはわざわざ、かきだしたニンジンを詰めなおしてタルトをファンの皿に載せる。だがファンは、それにはまったく手をつけず
「負けはボクでいいよ、だけどタルトはもっと食べたい!」
「・・・・・・」
どうやら、最初で勝負が決まってしまったことに対する不平だったようだ。好きにしろと言ったら、ファンは最後まで迷っていた桃のタルトとパイナップルのタルトを両手に欲張り、さらにベリータルトを皿に取り分ける。
「全部ボクのだからね。食べちゃだめだよ」
その小さな体のどこに、それだけのタルトが入るのだろうか。アリスもいい加減甘いものには底なしなのだが、自分より小さなファンが一人前の大人でも胸焼けしそうな量を平らげていくのを見ていると、なんだか後のお菓子はいらないという気分になってくる。
今考えてみれば、このとき感じていた無意識の満腹感に従っていればよかったのだ。そうすればあの惨劇は免れたはずなのに、アリスはうかつだった。
「あーおいしかった、ごちそうさま」
お腹一杯にタルトを詰め込んだファンは手についたホイップクリームの残りをぺろぺろと舌でなめ取っていた。
「もういいか」
さあ勝負に負けたのだから、料理を作ってもらうぞとアリスはファンを台所へと誘った。部屋に用意してあったのは大人用のエプロンだけだったのでファンには大きかったが、仕方がないのだと背中で蝶結びを作ってやる。おまけに、子供だからと三角巾ものせてやった。
「なんかボク、すごくお料理できる人みたいだね」
見かけだけで料理の腕が決まるならな、とアリスは心中で答える。口元にまだ、さっきのホイップクリームをつけたままの少年が、一体なにを作ってくれるのだろうか。
自分が負けたほうがよかった、とアリスは後悔した。なんとかしてファンのお菓子作りを止めたいのだが飛んでくるホイップクリームのつぶてを避けるだけで精一杯、ファンには近づくことすらできない。
流し台から頭が出るかどうかの幼いファンに火を使わせることは危なくてとてもできなかった。だから、ファンが自分から
「ボクね、さっき食べた甘いクリームを作りたいな」
と、比較的安全なお菓子を選んでくれたので、アリスは胸を撫で下ろしたのだ。
しかし、ファンに安全だからといってアリスにも安全なお菓子であるとは限らなかった。むしろ、ホイップクリームは安全とは程遠い代物といってよかった。
「あ、あれえ?」
ホイップクリームとはつまるところ、クリームの素に砂糖を混ぜて泡立てれば完成である。工夫といえばボウルを氷水につけることくらい、誰にでもできるものと思われがちだ。
しかし実際、ファンが挑戦してみるとまったく泡立たないクリームは飛び散るし氷水はこぼれて台所の床を濡らすし、十回かき混ぜるうちに一回は泡だて器が手からすっぽ抜ける。それがまたなぜか、ちょこちょこと場所を変えるアリスめがけて飛んでいくのだ。
「もう、どうしてうまくいかないんだよう!」
べそをかきながら、それでも諦めないファンは立派だけれど諦めてくれたほうがどれだけアリスにとって助かることか。なにしろ、後片付けをするのは全部アリスなのだ。
「おい、落ち着け」
避けきれなかったホイップクリームをスカートにくっつけたまま、なんとかアリスはファンに触れるまで近づいた。手を伸ばし、後ろから小さな体を捕まえる。
「もうよい、止めていいぞ」
「だけど、まだなんにもできてないよ」
ファンの目から涙が溢れ、頬を伝いクリームを溶かす。可愛らしい顔が台無しだ、と考える余裕はアリスにはない。今はどうにかしてファンを落ち着かせて、お菓子作りを止めさせるほうが大切なのだった。
「大丈夫ぢゃ。お前はちゃんとお菓子を作った」
「どこに?」
「これぢゃ」
ファンの顔からこぼれ落ちる、どうにかわずかに泡立ったクリームを、アリスは指ですくう。これしかファンの作ったものはないのだから、これしかお菓子とは呼べない。
「お前は立派にクリームを作ったではないか。ほら、食ってやる」
ぱくりと指をくわえ、にっこり笑って
「うむ、うまいぞ」
そう言って、ファンを満足させるつもりだった。
「・・・・・・う、うん、うま・・・うまい、な」
ところが予定の通りにはいかなかった。なんとファンは、ボウルにクリームの素を入れた後、加えるべき砂糖を塩と間違えてしまっていたのだ。
「な・・・涙で、少し、塩辛く、なっておるが、の・・・」
うまい言い訳だった。
ファンは自分が勝っただなんて思ってもいない。扉を閉めて、帰り道を辿りながら次こそは絶対ゲームに勝ってやると心に誓っていた。
「また、美味しいお菓子を食べるんだ」
どうしても基本的な興味はそこに尽きるのだけれど。あの家で食べたフルーツタルトの味は、そう簡単には忘れられそうにない。
「お姉ちゃんに作りかた、聞いておけばよかったなあ。ボク、自分で作れるようになったらいいのにな」
次、遊びに行ったときには台所で作らせてもらおう、とファンは一人頷く。その心が届いたのか、砂糖を山のように入れた紅茶を飲んで口直しを図るアリスはさっきから悪寒が止まらなかった。
「・・・なんぢゃ?」
本人は気づいていないが、惨劇はまだ終わっていない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0673/ ファン・ゾーモンセン/男性/9歳(実年齢9歳)/ガキんちょ
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■ ライター通信 ■
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明神公平と申します。
魔女というよりは子悪魔なアリスのわがままに
付き合っていただきありがとうございます。
ファンさまは初めて発注をいただき、最初はもっと
ふわふわぼんやりした子で書かせていただこうかと思っていました。
語尾に「なの」がついているような。
今考えると、そのほうが子悪魔っぷりが上がったかもしれません。
子悪魔vs子悪魔の軍配はファンさまへ。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
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